ギュレン教団クーデターから一年 ― トルコをめぐる思惑

7月15日、あれから一年。
何事も無かったような日々をおくる中、時おり頭をよぎるのは、神と悪魔の間で揺れ動く弱き人のありさま、そしてこの世の行く末である。

チュニジアに端を発する「アラブの春」が中東を席巻したのが2011年、民主化を要望する民衆運動が蜂起へと発展、退陣を余儀なくされた指導者は亡命か投獄か、処刑という運命をたどった。この一連の動きが欧米の計画および主導による中東国家刷新事業であったことは今さらここに記す必要は無い。そして春が過ぎた中東には今、内戦に喘ぐイエメン、無政府状態となりテロの温床となったリビア、米国直属の軍事政権に独裁されるエジプト、そして屍と塵芥の山と化したシリアがある。
 
トルコにアラブの春が飛び火したのは2013年夏のことだった。
日本では「ゲジ公園プロテスト」と銘打たれ、あたかも民主化を求める市民運動と報道されていたが過度の歪曲があった。当初はイスタンブールの市役所による公園内の樹木伐採を糾弾す集会であった。しかし国内の反政府主義者と野党政党が国中に連動を呼びかけ、政府に反感を抱く若者が合流し各地で同日集会を催し、またそれに共感する一部国民の支持支援を得ての破壊活動――商店やバスに投石し放火、警察に火炎瓶を投げ、モスクに立てこもり飲酒――運動と呼ぶに及ばぬただの乱暴狼藉が行われた。政府にしてみれば相手は頭の悪い学生か幼稚な大人を大多数にもつ一般人であるため武装集団を一掃するようには行動できず、警察の失態も手伝ってその鎮圧に二ヶ月を要した。

これも欧米勢力の入れ知恵とお膳立てによる政府転覆計画であったのは言うまでもない。ゲジ公園で最初の集会が開かれる二日前からかなりの量の外国人記者がトルコに入国しゲジ公園の画像を捉えられるホテルに陣取り、また中継車や機材を借りあさっていた。彼らは未だ起きぬ春の風を周知しており、政権を退陣に追い込んだ後の担保となるよう事実を歪めて世界に知らしめるべく待ち構えていたのである。

この間に海外メディアのみならずニセの写真、ヤラセの動画、ありもしない窮状を訴える市民の声がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、トルコが独裁者の弾圧に苛まれる非民主的国家であるという印象焼き付けた。こうして「ゲジ公園―」の目的の半分は達成されるのだが、残りの半分つまり政府を窮地に立たせて失脚させるには至らなかった。「政府への反感」そのものの底が浅いので持久力がないこと、夏休みが終わる頃には学生どもが集会場をさっさと引き上げたこと、なにより、この国には政府に反感を持つ市民も多いが政府を支持する国民がそれ以上に存在することが理由に挙げられる。

しかし去年のクーデターは生ぬるい抗議行動などでは無かった。7月15日深夜、決起した将校たちが軍本部と警察本部を占拠、軍最高指揮官を拘束、同時に国内各地の軍基地の機能が停止した。大都市では戦車隊が出動して市民を制圧、戦闘機が議会ビルを空爆、国営放送局に軍隊が押し入り、局員に銃を突きつけてクーデター成功の宣言を放送させた。、休暇で首都を離れていた大統領のもとにトルコ軍精鋭の特殊工作員が軍用ヘリで差し向けられた。もちろん大統領抹殺がその目的であった。

「ゲジ公園―」を支持した類の人々は両手を上げて喜んだ。事態の重大性が理解できないというか、とにかくお目出度い連中である。年端もいかない子供たちがクーデターを祝うメッセージを共有していたが、このあたりは親か学校教師からの影響であろう。 欧米勢力の思惑を、中東の惨状を知らないわけが無いこの人々はいったい何と何を秤にかけてクーデター支持という結論を導き出すのだろうか、つまりは思い描いたとおりに人生が運ばない人々がその落とし前を政府に求めているに過ぎないのである。この連中をよそに一部の民放は画面からクーデターの阻止を必死に訴え続けた。占拠された軍事警察拠点、市役所、放送局その他を反乱軍から奪取し、空港や病院、サテライト基地などを死守すべしと国民を鼓舞した。多くの国民がこれに呼応する如く国旗を手に市街に溢れ出た。

クーデターの詳細を知らされた大統領は数分後に滞在地をヘリで脱出、飛行機に乗り換えイスタンブールへと向かう。その後もぬけの殻になった部屋は一斉掃射と手榴弾を食らった。大統領が機内から生の画像でテレビに登場すると市街の国民は激しく勇気付けられた。その間、飛行機にF16が接近、しかし燃料が尽きて更なる追跡は断念された。無事に到着し空港で待ち構えていた民衆との邂逅が放送されると反乱軍は意気消沈、将校は部下の士気を高めるためにさらに激しい空爆を指揮し一般市民を襲った。
                      
    15 Temmuz 3
                2016年7月15日深夜


市民は走る戦車によじ登った。横たわって道を阻んだ。その排気口に靴下やシャツを詰め込んでエンジンを止めた。銃を構える兵士に立ち向かい、欧米に国を売るな、親を泣かすな、非国民として生きるな、後に背徳者として死ぬな、神を畏れろ、と説き続けた。殴られても撃たれても後に引かなかった。

実行犯は一部将校とその命令を遂行した兵士である。しかしその後ろには判事、検事、弁護士、官僚、警官、軍人、教師、大学職員と、思いつく限りの「公務員」、しかも高給取りと言える人種が共謀していた。何故このようなことになったのか。

クーデター加担者の共通項、それはある宗教団体―「ギュレン教団」の名で日本を含む世界各国で活動するイスラム系新興宗教に入信していたことだ。

端的に言えばこの教団は信仰という仮面を被ったテロ組織である。
世俗国家であるトルコといえどイスラームは未だに不可侵の領域といえる。宗教活動は神聖であり信頼の鍵でもある。40年ほど前から政財界や司法界を筆頭に国内外のトルコ人社会でギュレン教団の信者たちの地位が築かれ始めた。その便宜に預かった信者たちは国家公務員となって昇進を果たすか、或いは事業主として政府から多額の援助を受け成功を収めることになる。
そこで信者は教団に喜捨、つまり善意の寄付を行うことになる。たとえば普通の公務員であれば給与の三分の一を、警視や軍将校、判事などの高級職であれば三分の二を教団に寄付する。つまり公務員給与と民間への補助金として計上された国家予算がずるずると教団に吸い取られていたのである。いうなれば国庫の裏に穴を開けて教団の金庫として利用していた。
教団は私立校・大学、学生寮、進学塾をつくり教育支援を行うが、そこでは学生たちに教祖フェトフッラー・ギュレンを慕い敬うよう強制、いや洗脳が行われた。特に警察学校、軍隊付属校ではまだ考える力の無い子供を有事の即戦力となる人材として育成していた。大学入試、公務員試験、役人や軍人の昇進試験の問題を作成する公機関の中に存在した教団関係者は試験問題を盗み信者たちに配布した。彼らは国家のあらゆる部門に食い込み着々と昇進を果たした。

この構造の露呈がなぜこうも遅れたか、
まず盗撮、盗聴、脅迫という手段で信者たちが固く拘束されていたために暴露の可能性が小さかったことがあげられる。次には過去のトルコは政権の交代が激しく、そのたびに管理体制が解体されてしまうため実情があやふやであったこと、さらに教団の影響はマスコミにも及び、世論に上る教団批判が常に掻き消されてその賛美のみがされていたこと、イスラームを嫌う海外世論もこの教団の活動にはかなり好意的に対応していたこともある。

なにより出世ほど甘いものは無かった。特に軍隊と警察では教団に属さなければ出世の見込みは薄かった。場合によっては飲酒も賭博も不倫も許されるというイスラム教には断じて有り得ない宗旨も魅力だったのだろう、脅迫を受けるまでもなく教団に背を向ける者はいなかった。

教団の首領であるフェトフッラー・ギュレンは心臓手術を口実に1999年アメリカへ渡りペンシルバニアに拠点を移している。以降はアメリカの手厚い庇護の下に活動を展開する。

            フェトフッラー・ギュレン
                 フェトフッラー・ギュレン

レジェップ・タアイプ・エルドアンが首相に就任したのが2003年、国内外、特に発展途上国へのイスラム教育支援を惜しまぬこの教団と政府との関係は良好だった。政府の保護下(学校その他法人の許認可、補助金の交付)でますます勢いを増した教団だったが、水面下で進められていた計画――国家簒奪計画が察知されるのは時間の問題だった。

エルドアン首相(当時)はその長い政権の中でギュレン教団への対応を転換し教団の一掃を目指した。しかしその頃までには政府内部が教団にとことん蝕まれていたためにそれは困難を極めた。教団関係者を国家反逆罪で逮捕しても警察が証拠不十分として釈放するか、法廷に引き出しても判事と検事がつるんで無罪放免にし、教団に厳しい態度をとる司法官は次々と罷免されてしまう。さらに教団御用メディアが贈収賄、横領、テロ支援、イスラム原理主義化政策などををうそぶいてエルドアン政権を批判し世論を混乱させ、虚偽報道をしたとして規制にのりだせば表現の自由の侵害などと言い出す。海外メディアは喜んでこれを利用し反エルドアン報道を繰り返した。日本で一番喜んだのは田中S氏あたりか。

2012年、全ての進学塾を閉鎖する決定を下した政権に対し、国内各地の地下活動拠点である進学塾に鎖をかけられた教団は過剰に反応、牙を剥いて攻撃を始めた。政権に対する不当な批判で世論が混乱する中で迎えたのが「ゲジ公園プロテスト」である。これを鎮圧する際に失態を重ねて混乱を招いた警察長官(当時)がギュレン教団に属していたことはそれからだいぶ後に発覚した。

一介の新興宗教団体が国家簒奪を企て、あわや成功などという話があり得るのだろうか。たとえばオウム真理教は世間に衝撃と被害を与えはしたが国家が揺らぐことはなかった。結局、ギュレン教団は当初からテロ活動を目的に計画された組織であった。それもただの武装集団ではなく、国家の末端から中枢のあらゆる箇所に浸入し、繁殖し、尋常に振舞いながら発病の機を待つ癌細胞の如く、姦計を以って活動する陰謀集団である。痛みを感じて病に気づいたときにはすでに臓器は壊死し切除するほか術が無い。それで救われるならまだしも、脳にあたる部分―すなわち国家の中枢が冒されたのであればそれは国の脳死であり、外からの援助で首を挿げ替えることはすなわち国家の簒奪を意味する。目的はここにあった。

筋書きはこうである。
大統領を抹殺したクーデター勢力が全権掌握し暫定府政を宣言する。これに抵抗を見せる市民を反政府分子として投獄、クーデターに関与しなかった軍人と警官を離反者として逮捕、さらに国境のすぐ外で活動するPKK,YPG,PYD,IS(DAIS)等テロ集団が一気に国内になだれ込み各地で破壊活動をおこない、どさくさに大統領寄りの政治家や著名人を殺害(抹殺リストが実際に存在した)、暫定政府はこのテロリストたちを制圧してほしいと海外に援助を要請する。そこで軍事同盟国であるアメリカが大手を振って介入、テロリストどもが飼い主の命令でおとなしく引き上げると同時にアメリカの足の裏でも舐める新政府が誕生する。筋書きは、こうだった。

フェトフッラー・ギュレン自身は過去にシゾフレニアで精神病院送りになったことのある男である。自らを「救世主(終末に再降臨するイエス・キリスト)」であると宣言し、「大天使ガブリエルが政党を立ち上げてもそこに投票しない」とほざき、預言者ムハマンドの生涯に難癖をつけるなど宗教家である以前にイスラム教徒には絶対に有り得ない、支離滅裂ともいえる発言を繰り替えすいわば病人で、彼を利用しトルコ政府転覆の大役を与えたのもくどいようだがアメリカである。アメリカは「カリフ」の座をギュレンに報酬として約束した。カリフとはイスラームの庇護者であり神の代理人である。これだけならばカトリックの「法王」に近いがその大きな違いは、カリフ制では政治こそイスラム教義に則るべしという解釈から教分離主義をとらず、カリフたるものは宗教指導者にして政治指導者であり、その影響は国境を越えて全イスラム界に及ぶ。歴史上最後のカリフはオスマン帝国最後の皇帝であり第一次大戦後に帝国が崩壊して退位を余儀なくされた後はカリフの座は空のままだった。カリフ制再興を求める声は世界のムスリムの間に今も強い。

政教分離を否定するカリフ制などをアメリカが援護することはじつに理解に苦しむところではある。しかしここで「腐ったカリフ」をイスラム界全体に押し付けるとどうなるか、考えてみると実に興味深い。

教団結成からクーデターに至るまでの調査・研究・準備はCIAによる。
気違いではあるが一応は導師であり、ある種のカリスマ性を備えたギュレンを起用し教団を結成、そしてCIAは組織拡大のためのすべての指導を行った。学生洗脳、茶話会を介した一般信者獲得、盗聴や脅迫という手段、国家機関への浸入、こうした技術すべてを習得する一方、ギュレンはバチカンと接触していた。

     papa
                    ギュレン、ヨハネ・パウロ2世 1998

ヨハネ・パウロ二世の時代、ギュレンはバチカンを訪れある重要な会議(Pontifical Council for Interreleigious Dialogue-法王庁宗派間対話評議会1998)に名を連ねた。元来キリスト教の各宗派の代表が集まるこの会議にギュレンはあろうことか全イスラム教徒の代表として参加している。全イスラム教徒を代表する組織(たとえばオスマントルコ帝国)もその代表も存在しない今、新興宗教の一教祖でしかないこの男をまるでカリフのような肩書きでカトリックの総本山に招待していたのである。ギュレンの訪バチカンはイスラム諸国はおろかトルコの宗教省ですら報告を受けていなかった。つまりこれは甚だしい越権行為である。ギュレンが会議に携えた法王宛ての手紙には「伝道活動の一部を担いたい」とはっきり書かれている。その十数日後に法王は新しく20人の枢機卿を任命するがその中の二人の名前が公表されておらず、ここでギュレンはこの「秘密枢機卿-in pectore(=胸中)」の役を授かったとしてほぼ間違いない。つまりバチカンはイスラームのキリスト教傾倒を目論んでいた。イスラームの強靭さの根源である信仰そのものに矛盾を加えて内的崩壊に追いやることを意味する。十字軍がことごとく追い散らされた過去、コンスタンティノポリスを陥された過去、イスラム教徒に煮え湯を飲まされた過去への復讐である。

筋書きはこうである。
CIAとの密約でバチカンはギュレンを全イスラム社会の代表者に任命、さらに秘密枢機卿としてキリスト教伝道の任務を極秘に与えた。トルコ国家の全権がギュレン教団、いやアメリカの手に堕ちた時、隠れ枢機卿にまで成り下がったこの腐ったカリフをイスラム世界の頂点に据える。ギュレンはカリフの立場からこれまでのイスラム教儀解釈の揚げ足を取り珍妙な新解釈をひねりだし、十字軍遠征に正当性を与え、コンスタンティノポリス(現イスタンブール)をキリスト教徒に返還すると唱えだす。また飲酒や自由恋愛、利息利益を解禁、逆に断食・礼拝・巡礼といった義務からの解放など徹底的に世俗化を進めてイスラームの背骨を抜く。一方でトルコからカリフが選ばれることに不服なサウジアラビアやイランがおとなしくしている訳も無く、ロシアがこれに便乗して小競り合いがはじまり、ゆくゆくはアメリカに忠誠を誓ったアラブ諸国を巻き込んでの中東紛争に発展、武器商人たちは少なくとも百年は飯が食えることになる。荒唐無稽にすら思える酷い筋書きであるが、事実なので仕方が無い。

アメリカという国は利用価値の無い人間に餌を与えはしない。クーデターの失敗後、ギュレンの口を封じるだけなら注射一本で始末してロシアがやったと言えば済む話だのに、トルコ政府からのしつこいまでの返還要請に生返事をしながらギュレンをいまだペンシルバニアで飼い続けている。つまり、アメリカは今一度クーデターそを企てている。

古い話になる。
11世紀も終盤、急速に版図を広げコンスタンティノポリスの縁まで迫るトルコ人に眠りを侵されるビザンス皇帝は、窮してローマ教皇に助けを求める。カトリックたるローマ教皇は東方正教会に属するビザンス帝国を蔑み、本来ならば相手になどしない。しかし貧困と疫病に喘ぐカトリック諸国にとりイスラム教徒に抱く脅威たるや東方に引けをとらず、憂いの中で神に救済を求める教皇ウルバヌス2世はついにあることを思いついた。宗派の分かれたキリスト教徒を結束させて兵を集め、イスラム教徒を追い散らし、掠奪し、ビザンス帝国もエルサレムもすべてカトリック教会の手中に―彼らはこれを「天啓」と呼ぶ。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの共通の「聖地」エルサレム。当時この地はファーティマ朝ムスリムの領土であったが、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてムスリムが共存する安泰かつ豊かな都市として栄え、巡礼とシルクロード貿易がもたらすその富は欧州人の羨望の的であった。ウルバヌス2世は東方正教会とカトリック教会の司教たちを南仏クレルモンに一堂に集めて呼びかけた。

―ムスリムからの蹂躙に苦しむ聖地エルサレムを救わん。巡礼者たちは殺戮され、都市は掠奪を受けている。天国の王国、どこよりも豊かな、永遠の神の恵みたるかの地をトルコ人とアラブ人どもから取り戻さん。これは神の望みなり。さもなくば汝らを待つのは地獄のみなり。

      クレルモン会議
             クレルモン会議 1095

この声に陶酔し、東の富に目の眩んだ欧州諸国の王侯貴族は民兵を募り、軍隊、騎士団を整えエルサレムに向かう。第一次十字軍遠征である。通りかかったキリスト教徒の村や都市すらなりふり構わず掠奪しながら進軍し、ビザンス帝国からの援軍も加わった十字軍はアナトリア半島を踏みにじりついにエルサレムに到着、エルサレム側は降伏し市民の命と引き換えに都市をあけ渡す。しかし、そこで行われたのは1万人のユダヤ教徒と7万人のムスリムからなる市民の大虐殺だった。1099年7月15日。

900年以昔の話だが、少しも色褪せることなく今に重なる。
経済危機のどん底でもがく欧州も、アメリカも、その打開策を常にイスラム圏からの搾取に見出す。他に思いつかないのである。アフリカ・アジアのイスラム国からは露骨な掠奪をする一方、トルコに対しては世俗・西欧化を吹き込み自らの歴史と信仰に背を向けさせてひたすら欧米に追従させた。その立地そして資源面からこの国を自立させるわけにはいかなかった。いつまでも不安と劣等感に縛られる弱小国でいさせねばならなかった。
しかしレジェップ・タアイプ・エルドアンを生かしておいたのでは決して思い通りにいかないことに気がづいた。彼の政権下で外交・経済・教育・福祉・医療その他どれをとってもまともに動き出し、欧米のテロ支援を叱咤し、2009年のダボス会議ではイスラエル大統領に一喝し謝罪までさせた。国民がかつての傀儡国家時代に踏みにじられた誇りを取り戻す一方で世界中のイスラム諸国にも並ならぬ希望を与えた。貧困と対峙する欧米を尻目にトルコの経済は順調に伸び続ける。出産奨励により人口も増加傾向にある。虚偽報道、経済封鎖、テロ工作など、欧米はさまざまな手でトルコを世界から孤立させる。しかしエルドアンは欧米によるイラクとシリアに対する大搾取に果敢に立ちはだかった。さらに兵器の国産化と無利子を標榜した金融政策が始まると武器商人のアメリカと金貸しのバチカンはもはや黙っていなかった。そしてエルサレム大虐殺のその日を選んだ。

―エルドアンからトルコを取り戻さん。これは神の望みなり。

2016年7月15日、トルコ国防軍の軍服を着た十字軍が900年ぶりに押しよせた。自国軍の戦車、戦闘機、機関銃、手榴弾で母国と同胞を襲った。神の声に耳をふさぎ悪魔に跪き、国旗のほかには手に何も握らない市民を襲った。しかし甘言を囁く悪魔に唾を吐いた兵士たち、そして市民は猛攻し、国中のモスクから神を称え加護を求めるアザーンの声は朝まで止むことなく響き、249人の死者、2000人を超える怪我人、彼らの血と引き換えにクーデターは阻止された。神は偉大なり。

勝利
                2016年7月16日朝


思うに、ギュレン教団とはひとつの「現象」である。実体があるようで、ない。
教団の原動力は他でもない一般人である。苦労をしないで学歴を得たい、ばか息子を出世させたい、楽をして稼ぎたい、生活に満足がいかず、現状にあきたらず、虚飾を好み、肩書きと地位に憧れ、妬み、嫉み、隣人に脅威を与えようが、法を犯そうが、国を売ることになろうが―CIAやバチカンなどに縁もゆかりも無い普通の人々の、さほど罪深く無さそうな「欲」が肥大して具現化したものがギュレン教団であり、もとより人が浅はかな欲を掻かなけれは成立しようがないのである。逆にクーデターが不発に終わろうがギュレンを死刑にしようが欲に魂の鍵をあけ渡し、おのれを醜く歪める人々がある限りこれは幾度も姿を変えて生まれ変わるだろう。

よく「悪魔につけいれられた」などという。つまり悪魔は決して自ら武器をとらない。とらせるだけである。悪魔が何を言おうと選択権は当人にあり、その手を取れば地獄、振り払えば天国への道が開けるという、ただそれだけである。人はこうして悪魔と神の声の間で揺れ続けながら審判の日を迎える。



スポンサーサイト

セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。

Pagination

Utility

書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

つれづれのかきこみ

さがしもの

こよひのつき

CURRENT MOON