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もものはなし

そろそろ桃の花が見ごろであろうか。散ってしまったか。


日本が旧暦に従っていたころは月初めは新月、月中は満月、そして次の新月で月が改まった。すると一年365日には11日ほど足りない計算になる。それが三年たまるとおよそひと月になり、その足りない分を「閏月」として四年目のどこかに挟み込む。今年はその年にあたり次の新月から「閏三月」が始まる。

なにせ三年分のずれが立て込んだ年である。先月末の旧暦の桃の節句でも桃の花盛りにはちと早かったのではないだろうか。ましてや新暦の三月三日に店先に出回る桃の花などは、どこの誰かであろうか。


桃と日本人の関わりは深く、古くは縄文時代の遺跡からも桃の種が見つかっている。大陸から伝わったというのが定説であるが日本在来種があったかなかったかはまだ結論が出ていないという。


遠い神代の昔、イザナギとイザナミの頃から桃の話が残る。
古事記によれば、息絶えたイザナミを忘れることが出来なかったイザナギは恋しい妻を黄泉の国まで追い、姿のみえぬ暗がりの中で会うことができた。そしてどうしても戻れと聞かない夫をイザナミは決して見てはならぬと制しそこに待たせた。しかし待てど暮らせど来ぬ妻にしびれをきらせたイザナギは禁を犯して灯をともし、雷神の纏わり憑く変わり果てた妻の姿を見てしまう。恐れをなして逃げだしたイザナギをイザナミに仕える黄泉醜女(ヨモツシコメ、力士のような女)が追い迫る。髪飾りや櫛を投げると山葡萄や筍に変わり、醜女がそれに喰いついている隙に逃げる。が、イザナミはさらに雷神と黄泉軍(ヨモツイクサ、黄泉の大軍)を遣わして負わせ、イザナギは剣を後ろ手に振りながら猶も逃げる。黄泉比良坂の坂本(登り口、つまり黄泉国は地下ではなく山の上であった)に着いたとき、イザナギがそこにあった桃の木からもいだ実を三つ投げつけると追っ手は退散したという。


「汝、吾を助けしが如く、葦原中国(アシハラノナカツクニ)に有らゆる宇都志伎(ウツシキ)青人草(アヲヒトクサ)の、苦しき瀬に落ちて患ひ愡む時、助くべし。」と告りて、名を賜ひて意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)と号ひき。

―我を助けたように、葦原中国(日本)にいる此の世の人々が苦しいときや患い悩むときに助けるべし―イザナギはそうのたまい、オホカムヅミノミコト‐大神実命の命と名を与えて呼んだ。


イザナギを助けたものが桃であったと古事記に記されているからには、桃に秘められた力に人々が助けられていたと考えることが出来る。そしてその力とは他の木の実ならぬ桃にのみ見出すことができたのであろう。


苦しいときや患い悩むときに助けになるのは先ず薬。実はもちろんのこと種にも葉にも花にも薬としての効果がある。
整腸のために薬草を食べるなどの本能は動物たちでも持ち合わせている。しかし人間は草木から単に治療や滋養だけではなくより深い何かを求めた。それは病や死などの穢れを遠ざけ、人に生きて命を継ぐ力を与えてくれる霊力であった。

枝も折れんばかりに実をつける桃は豊かさの象徴であった。
桃に限らずマ行の音ではじまる「やまとことば」には「生産」や「増加」の意味が多く見当たり

ス(増す)、ル(丸、円)、ユ(繭)、(実、身、三)、ツ(満つ、蜜、水)、ス(産す)、ツ(持つ、物)、チ(望、餅)、モモ(桃、百)

などをすぐに挙げることができる。また、女を意味する名詞もマ行の音を含むことが多い。

(女、雌、妻、妾)、ヒ(姫)、イ(妹)、オナ(女、嫗)、ノト(乳母)、イザナ

「女」とはあらゆる意味で生産の担い手である。花の色、身のかたち、いずれも「女」を思わせ、そして子供である「実」をたわわにもたらす桃の木に霊力を感じないわけにはいかぬはずである。

黄泉の国の軍勢が生産のしるしたる桃の実を嫌がったのも無理はなさそうだ。

さて、気になるのは桃の保存方法である。古代人は我々とは違い収穫したものを腐らせることなどはしなかったはずである。
木の実には栗や椎の実のようにそのままとって置けるものと、干し葡萄や干し柿のように乾燥させるもの、梅のように塩漬けにできるものがある。しかし桃はそのままでは腐ってしまう。日差しが強く乾燥した国でも干し桃というものがないところを見れば日本では尚更むりであろう。塩梅ならともかく、塩桃などはどう考えても美味くない。蜂蜜漬けはできたかもしれないが大量の蜂蜜を使ってしまうことになるので理にかなわない。

おそらく唯一の保存法は果実酒、娘たちが桃の実を噛んでつくる口噛み酒ではなかろうか。
酒造りは神事であり神々のためにつくられる。そして人々は一旦神々に捧げられた酒を下賜されるかたちで口にする。酒は人の心を楽しませ、疲れを癒し、薬でもあり、あるいは我を忘れさせ心を惑わす力もあった。これらは神々の力によるとされていた。

話をわざとそらすと、スサノオがヤマタノオロチに飲ませた「八塩折之酒」は何度も繰り返し醸造させた強い酒であった。日本書紀に「汝、衆(あまた)の菓(このみ)を以ちて…」とあるように、米から搾った酒ではなく「あまたのこのみ‐いろいろな果実」の酒であることが窺える。桃はその中にあったのだろうか。ヤマタノオロチが甘い桃の酒でへべれけになったことを思うのもまた面白い。


桃の節句は大陸から伝わった五節句のひとつ、上巳にあたる。
唐の歴法によれば奇数が揃う三月三日や五月五日などの日は邪が近づくとされ、それを祓い清めるために川にはいり禊をおこなう「避邪」の風習があった。その暦法は風習をも伴って日本へとやってきた。当時の日本での三月三日はちょうど桃の花が咲く頃、上巳は古代日本の桃の霊威への畏れと重なり「桃の節句」と相成った。平安貴族たちは上巳のならわしとして紙を切り抜き自らに見立てた人形に穢れをうつし水に流す「流し雛」をおこなった。まだヒト(人)に満たない小さなものをヒナ(雛)という


やまとことばの「母音が変わる」という特徴を考えればモモ(桃)はミミ(三三)と関わりがあって不思議ではない。そういえばイザナギが投げた桃の数も三である。桃が生産の象徴であるとするならば、その前提には夫婦がなくてはならない。神前で夫婦の契りを結ぶ三々九度の杯も三に三を掛けたもの、偶然なのだろうか。

最初の夫婦神はイザナギ・イザナミではない。古事記によればイザナギ・イザナミよりも前に生まれたウヒジニ(宇比地邇)・スヒジニ(須比地邇)がそうであり、それぞれ泥と砂の神性を持っていた。そして人形の祖は土偶や埴輪であった。紙という貴重品を流し雛として使う以前には泥の人形を流していたのではないだろうか。

これらが複雑に絡み合い、雛祭りの基になったのではなどと思う。

                ひなまつり


本題である。暦とは年や月や日を番号で整理する方法ではない。天体の運行で日々変わり続ける磁力や重力、日の光、潮の動き、草木が目覚め育ち実をつけまた眠る律動を知るための術である。それを読み人々に告げるのはスメラミコトたる天皇の為すことである。

明治六年の「改暦」を以って旧暦は廃されグレコリオ暦(現在の暦)が施行された。同時に五節句も国の行事から外された。そうして日本は目出度くもない日を祝い、咲くはずのない花を供え、穢れを祓うことを忘れた国となった。自然の力に生かされていることを思い出さなくなった。
外国と付き合うための改暦であれば節句や正月という国の大事まであっさり変える必要が何処にあろう。これは偶然ではなく、故意である。日本の国を資本主義帝国に取り込むためには自然との共生を旨とした江戸時代までの日本人の生き方が邪魔だった。それを根底から突き崩すために作られたのが「明六社」である。‘

このようなことは「識者」たる方々が考え主張して然るべきであって、れっきとした無識者である筆者が書きたてることなどではない。ところが皇室の行事も神社の神事もみな一向にグレコリオ暦によって為されている。愛国者を名乗る政治家は国歌と国旗を振りかざすが、それだけだ。まったく以って理解しがたい。

                         
                    三日月



新月をついたちとする旧暦では、毎月三日目の月は三日月となる。
三日月は上弦、晴れていれば、日の入りの頃の西の空には地に向かって弓をひく三日月が見えるだろう。そして今年は閏年。来る新月に閏三月がはじまり、今年はもういちど上巳がある。それは新暦四月二十四日である。
その昔、桃の木で作った弓には穢れを祓い幸を呼ぶ力があるとされていた。

願はくば ももの弓もて祓はれむ 霞ヶ関の 痴れものどもを

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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