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虚構の上に軍隊は成らず いわんや戦争放棄をや

 戦争法案――べらぼうなイカサマ法であることには違いない。こんな法案を通すような議会であれば無いほうがましである。しかし情けないことに国民側からこの法案に対して為される批判はあまりに子供じみている。ただヘイワ、ヘイワと騒ぎ立て戦争に行きたくないと駄々をこねているに過ぎないではないか、その空恐ろしさを感じているのは筆者だけではないと望む。


筆者の記憶では二十五年ほど前、「平和ボケ」なる言葉が活字になって世間にお目見えした。この言葉は戦争のない日本で安穏と生きることにある種の「罪悪感」を植え付けた意味で重要な役を演じたと言ってよい。その結果として四半世紀後の今、軍国化を唱える右翼くずれどもが票を集めたことを思えば「平和ボケ」とは当時の現状批判として国内から湧き上がった言葉ではなく、国外の勢力が冷戦後の日本の外交位置を想定した上で敢えて我々の潜在意識を操作するため耳に吹き込んだ策略だったのかもしれない。


戦争は非道そのものであり起こしてはならないものである。戦争のない世を望むのは日本に限ったことではない。ボケが来るほど平和であるならこの上なにを望むのか、そうも言よう。しかしそのような状況は果たして人類にとって不可能である。


たとえば戦後の日本は本当に平和であったのだろうか、否。日本は人類史上最悪の戦争である冷戦下においてアメリカという名の防空壕に隠れ目と耳と口をふさいでいたに過ぎない。否、もとより「平和」などという軽薄な言葉はこのような狸寝入りに似つかわしい。戦後日本は朝鮮戦争の軍需工業により復興を遂げた。朝鮮半島を焼け野原にした兵器は日本人の手によって作られたのである。その後日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくと経済成長を果たす傍らで冷戦体制の底辺に置かれた弱小国は欧米に蹂躙され続けてきた。その資金源こそ経済大国と祀り上げられた日本である。日本は間接的であれ第三国にとっての加害者であり続けたのである。我々が平和と名づけて拝するものはどう贔屓目に見てもこの程度である。


日本は先進国の一員とされながらも外交能力の評価は非常に低い。表向きには外務省が置かれ諸外国との国交が持たれており国連では非常任理事国としての位置もある。しかし実際はいかなる交渉も決定も常にアメリカの顔色を伺いながら、あるいは指示を仰いでの上で、これを外交と呼ぶことができようか。日本には外交の能力ではなく外交の権限がない。皆無と言っていい。敗戦後に占領下に置かれた日本はその後独立を認められたものの未だに首を鎖に繋がれたままなのである。そういう国はアジア・中東・アフリカに少なからず存在するが、日本はだてに金を持たされているだけ始末が悪いのである。


戦争を一方的に放棄するだけならば子供でもできる。国家が戦争をしない、巻き込まれないためには政府による万死一生の外交努力が必要でありかつ国民は政府に協力すると同時に政府を厳しく監視せねばならない。しかし日本人はそのすべてを放棄し国防も外交もすべてアメリカに委託している。敗戦国の立場とはそういうものだが、かの敗戦から七十年も経って未だにそれに甘んじていられるのはもはや日本人がそれを望んでの事と言うしかない。


つまり楽なのだ。アメリカに追随してさえいれば貿易が赤字になることも他国に侵害されることもとりあえず無い。なにより複雑な外交と金のかかる軍事を丸投げしておけば軍事行為で手を汚さずに金儲けに専念できる。戦後こうして金持ちになった日本だが、楽をしている間に非常事態を嗅ぎ分ける嗅覚も対応する能力も完全に失ってしまった。ここ数年頻発する海外での日本人拉致・殺害事件をみれば日本政府の外交が全く機能していないことがよくわかる。


「テロリストとの譲歩は有り得ない」などと毅然と語る欧米だがそれは当然嘘八百である。各国政府は自国の諜報(スパイ)組織を通してテロ組織等とは常に交渉を持ち、脅し、すかし、利害の一致があれば協力し、資金を融通し、すべてのテロ活動は事前に察知することが可能であり、逆に誘発することもある。しかし諜報部を持たない日本政府にはこれが決して出来ず、「屈する」ことも出来ず、したがって海外で捕虜となった日本人を日本政府が救う可能性はない。このように日本は丸腰のまま軍を抱えようとしているのである。


軍国の場合、軍の行動は諜報組織のもたらす情報をふまえて計画される。その組織のない日本に軍なるものが配備されれば、レーダーも羅針盤も搭載しない帆掛け舟でいきなり海戦に斬り込むようなものである。いかにも日本的と言えるが笑い話ではない。


(日本人にスパイはやれないと思ってはいけない。江戸幕府が二世紀半に亘って維持されたのは「公儀隠密」の活躍が大きいのである。また外交が本当に下手かといえばそうでもない。黒船来航の百年以上も前からロシアなどの船団が通商を求めて日本近海に現れていたが、すっとぼけながら回答を避けてはうまく遣り過ごしていたのである。江戸幕府の終焉は単に世界の流れに逆らえなかったためだけではない。命を天に預けて戦う「兵-つわもの」であったはずの武士たちが泰平の世に甘んじて官僚化し、保身のために政治判断が先例重視に傾いたのが大いなる原因である。一大事を察知る武士の気は萎え、破魔の武芸は形ばかりのものとなり、もとより軍事政権たる江戸幕府はその存在の根拠を失った。こういった内的な崩壊を察知したアメリカが満を持して江戸前に大砲を構えたのである。)


今になって日本の軍国化を望んでいるのは他でもないアメリカである。世界の覇権国として君臨してきたもののアメリカはもはや疲弊した。国内を見れば精神異常と肥満と薬物中毒に満ち、職も働く気力も体力も無い。ありもしない正義を振りまわし世界中に戦争をふっかけまくった挙句の当然の結果である。そろそろ覇権を他国に分散して影でその糸を引いて暮らしたい、かつてイギリスがそうしたように、である。日本はアジア地域の番兵として好都合、というわけである。日本国諜報部設置などはアメリカが承知するはずも無く、されたとしても有名無実の組織(例:内閣情報調査室)になる。


日本再軍備論は誰も住まない猫の額ほどの孤島の領有権という実にどうでもいい問題から起った。日本と中国が協調することでアジアへの影響力を失い損をするのはアメリカであることを忘れてはならない。北方領土問題のせいで日露協調が今日まで実現しなかったことがアメリカにどれだけ利益を与えたか試算してみるべきである。いま政府が法改正をしてまで配備しようとしている「日本軍」は単なる米軍の下請けであり我らが国とその国民を守るための武力ではない。


資金さえあれば軍隊は作れるので、日本ならば自衛隊を増強し最新鋭の軍備を数年で整えることが出来よう。ただし飛行機、銃器、弾薬すべてをアメリカから輸入することが余儀なくされる。兵器を輸入するか自給するかは単に経費の問題ではない。A国がB国から兵器を輸入しているのならばA国は結局B国に防衛を依存していると言い換えることができる。依存を絶つためにA国が兵器の国産に乗り出してもB国はあらゆる手でそれを妨害する。世界で起こる謎の株価暴落や航空機事故、クーデターまがいの市民デモはその脅しの常套手段である。技術先進国の日本でさえ未だに旅客機すら国産していないのはゆめゆめ戦闘機の開発などをせぬようにと頭を押さえつけられているからである(日本には某中華人民共和国のようにロシアから戦闘機を盗んで丸ごとコピーしたりするような真似はできない)。こうしてB国から輸入した兵器の制御システムが実戦では決して正常に作動しないであろうことはA国も重々承知であり、だからこそA国はB国に逆らえない。今のままでは虚構を承知で軍備することになる。


相手の物を奪いたいという本能がある限り人は隣人に害を与えてしまう。そうなればおのれと家族を守るために武器を握ることは避けられない。人は裸では生きてゆけない。この原初の道理を国の次元まで引き上げたものが戦争である。外から侵害をうければ国家は国と国民を守るために武力を行使せねばならない。前時代じみた野蛮な考えだとのご指摘もあるだろう、しかし「正義」「平和」「友愛」などとぬかす民族こそ手の付けられない蛮族であり、地球上にこいつらが存在する限り侵略は絶えないと断言できる。国家には有事に行使できる武力があって然るべきである。


わが国にとってその武力とは米軍である。アメリカとは人類史上最も好戦的な国であり、建国以来アメリカが関わらなかった戦争はこの地球上に存在しない。まさに戦争で飯を食っている国に「守られて」いるという事実が不快でないのはなぜであろう、それは「戦争放棄」の一言があまりに眩しいからに違いない。


日本に軍隊がないのは戦争の永久放棄を明記した日本国憲法に由来する。その草稿を起こしたのも、それをほぼ丸呑みした日本政府案を「了承」したのもGHQである。そしてこれは世界に二つと無い平和憲法であり何があろうと死守するべきと謳った戦後教育を設計し導入したのも他でもないGHQである。原爆と敗戦によって自失状態になった日本に占領軍の言い分のすべてを承諾させ、正気をとりもどしたあとにも懐疑の余地を与えぬために学校教育をして日本国憲法を神聖化した。これは大政奉還後、天皇を現神人(あらがみびと)として奉り神国日本のあらゆる行動を肯定した仕組みと酷似している。(明確な「神」をもたないために導き方次第で何でも神と信じてしまうという日本人の弱点はすでに室町時代にイエズス会のスパイである宣教師ルイス・フロイスの手で解析され西欧に報告されていた。)


占領軍が非占領国の国法制定に介入することは越権行為であり現行の日本国憲法は本来ならば無効である。と、ときおり起こるこの正当な主張はアメリカ追従をやめられない日本政府に常に黙殺されてきた。兵役に行かないですむ国民からも無視されてきた。


誰が作った憲法であろうと戦争放棄は至高の法である、そうお考えの方は多いと思うが、日本はアメリカの起こす戦争に影で加担することで自国の安泰と富を築いてきたことをどうか正視していただきたい。この幻影の如き理想を掲げて生きるうち国は病んで衰え明日には地球の癌となる。虚構の上に軍隊は成らず、いわんや戦争放棄をや。


わが国には独自の憲法が必要である。「自由」「平和」「幸福」などという詐欺まがいのあいまいな表現を含まぬ、国の進むべき道を淡々と綴る新憲法を作らねばならない。


わが国には独自の軍隊が必要である。現政権が強行に作ろうとしている米軍日本支部ではなく、日本と日本人を守る日本軍である。その兵器はすべて国産でなければならない。戦争放棄を目指すのはその後である。


わが国には独自の外交が必要である。戦争放棄は突然「やめた」と言って成り立つものではない。同じ意志を持った国々と密接に交渉を続け、協調し、他国(例:アメリカ)の利益のために参戦できないとする国内外の法整備を重ねてこそ実現できる。ただし経済制裁とテロの標的になることを覚悟し耐え抜かなければならない。


日本はまず輸出入に偏りすぎた経済を叩き直さなければならない。経済制裁という脅迫を撥ね付けるだけの国内生産力が要る。このまま国民が都市生活に固執しているうちは生産力は下がりつづけ、不足を補うための輸入とその対価を支払うための外貨獲得すなわち輸出に血道を上げることになる。さらに都市集中から生まれた「地価」という架空の価値のために国民は無駄な労力を常に費やし、その利益は銀行が吸い上げて最後は国外に持ち出されているのである。都市とは金融システムの都合が生んだものである。いまはそれに背いて都市から離れた生き方を模索する時である。


輸出入が減れば株は下落し、失業が増える。しかしそこで農林水産業と工業を援助し雇用を増やすのは国の仕事である。「都市」がその引力を失えばしめたもの、国民生活は逆に向上するだろう。


日本には食糧生産の可能な土地がまだいくらでもあり、また市場の食糧の三割以上が廃棄されていることを考えれば自重することで食糧完全自給は十分可能になる。そして毎日のごとく膨大に排出されもはや行き場を失った不燃ごみとはもとより石油そのものである。日本が資源を大量に輸入せざるを得ないのは資源が無いからではなく使い方を誤っているからである。市場が「使い捨て」を前提としている以上この過ちは繰り返され、いずれ国民も使い捨てにされるだろう。


廃絶すべきは受験を標榜した教育である。その教育を通して体得させられているものは「合理性」のみである。聞こえはよさそうだがこれはただただ資本主義経済に貢献する手足となるための理念でしかない。ようは「金がすべて」という理屈で調教されているのである。すると「金のためなら」どんな非合理も理不尽も受け入れられるよう洗脳されてしまう。すると海外の弱小国あるいは国内の弱者の暮らしを、そして慕うべき朋友の暮らしをどれだけ侵害していても、逆に侵害を受けていてもそれを雄弁に肯定できるようになる。いらぬ戦争へと引きずり込まれてしまうのはこうした下地があってこそである。


絶縁すべきはメディアである。牙を隠して笑顔で歩み寄り、主義主張のみならず善悪の判断までも塗り替えてしまうことができる。世界の街角で民衆が「春」と叫ぶ暴徒と化した。それを煽り戦争を起こしたのも、世界に事実無根の画像を配信し「春」を美化したのもテレビとソーシャルメディアであった。いずれのメディアもその持ち主のために存在するのであって民衆のためではないことを知らねばならない。


今までどおりアメリカに追従することで保身を図るというのであればそれも国としての道であろう。ただしそれは属国としての道である。


日本は独立国として、外交と防衛を自らの意志と手で行うべきである。アメリカが疲弊し国力を失った今がその檻を破る好機である。


国策のアメリカ追従を断ち切るには、「内的な自立」をおいて他はない。それは生活の手段や嗜好にはじまり史観、社会観、倫理観そのほかあらゆる観念をアメリカから押し付けられ、それを「よいもの」と信じ込まされている状況を破壊し日本人としての本来の生き方を取り戻すことである。国の根本である国民一人ひとりがその自立を果たせば政治などは自ずと変わる。



…と、書き連ねるのは楽だが、実現には苦難に満ち、多くの尊い血が流れることも避けられないだろう。そして今日の日本人がそれに耐えられるとは思い難い。なぜなら今や苦難に耐えるための大儀名文が実に怪しいからである。近代以前は「神仏」を畏れ、苦しいことがあろうと「神罰や仏罰」をうけぬようにと非道を避け、それに耐れば「徳」を積むことができ死後には極楽に迎えられるとの考えがあった。しかし現在はそのようなものはただの非合理でしかなくなった。我々が悪事に手を染めぬための縛りは「法律」である。法を犯せば「刑罰」をうける。さすれば「金と自由」を失う。そうならぬためなら社会の軋轢をも辛抱できる。「金と自由」は現代人にとって最も神聖なものであるからして、敵国が「金と自由」をちらつかせて近寄ってくれば苦難に耐える必然性が蒸発してしまうのである。悲しくもそれが日本の現状である。


新憲法、再軍備を語るのであればその根底を為すもの、つまり日本を束ねる共同体意識を見出さなければならない。それには先史から今に至るまでに世界に興亡した国々がいかなる道を歩んだかをよく学ぶべきである。

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キライなことば―「時間」

長きにわたり更新を休んでおりました。にもかかわらずご来訪を続けていただきましてまことにありがたく存じます。またご心配をおかけした事をお詫び申し上げます。体調を崩したりモサドに暗殺されたわけではなく日々の雑事に忙殺されてどうにも更新できずにおりました。しかしこの頃ようやく字を書くゆとりが見つかるようになりました。
そんな毎日を送るとどうしても「時間」について考えることが多くなります。そのような訳で更新再開にあたり時間についての記事をしたためました。よろしくお願いいたします。




ちくたくと均一に刻まれる「時間」に追い立てられながら生きる我々は、はたしてそれが何かを見切っているのだろうか。雁字搦めに縛られて振り回されていながら時間の正体が見えていないとすれば、これを悲喜劇と呼ばずして何とすべしか。

「時間」、これはかつてこの連作で扱った「自由」「平和」「健康」などと同じく近代以前の日本には存在しなかった語彙、すなわち明治の新語である。明治の新語とは開国と前後して西洋から我が国に流入した文物の対訳として新たに考案された語彙、或いは「詩経」などに代表される漢語文献から借用した漢語熟語に新たに意味を付け加えたものをいう。
日本には古くから「とき-時」という立派なやまとことばがあった。にもかかわらず"time"の対訳になぜ「時間」ということばが新しく必要になったのか、それを少し考えてみたい。

当ブログに初めて来訪された方のために一応申し上げれば、本連作は明治の新語とその背景にある近代主義をを否定的に扱うものである。

明治を迎えるまでの日本の「時」の流れ方は今とは違う。そのせわしなさを光陰矢の如しと喩えることもあれば一日を千秋の思いで待ちあぐねることもあった。
日の出(明六ツ-あけむつ)から日の入り(暮六ツーくれむつ)までを一日と考え、そして夜を一日のうちに数えることなく今日と明日の間の空隙と見なしていた。そのために夏と冬では一日の長さがもちろん違っていた。刻を知らせる寺の鐘も明六ツから暮六ツの間を六分割して打つゆえ鐘と鐘の間隔は季節による伸縮があった。時候の挨拶として日が長くなった、短くなったなどと使われるが、ここでの「日」とは日照時間のことではなく「一日」そのものを指していた。

つまり夏と冬では、また昼と夜では時の流れ方がそもそも違うのである。そして人の体と気も時の流れと呼び合うかの如くその働きを違え、人が果たすべき仕事の量も種類も変わる。陽の光ふりそそぎ草木生い茂る夏は人にも精気がみなぎり、疲れを知らず、迫る危難をものともせず、心の戸を外に大きく開いて長い一日を働きとおすことができる。夏は冬をやり過ごすための糧を蓄えるためにある。やがて来る冬は人に疲れを思い出させる。寒さに萎縮した体は気孔を狭めることで自らに壁を築いて寒気の流入を防ぎ保温を図る。自然と気もふさぎ内を向く。すると何かと億劫になり、重いものを持ち上げる気も起こらず、夏に手荒く扱った体を知らぬまに労わるのである。昼間は道具の手入れなどをしながら過ごし、夜は火のそばで早く床に就く。風邪などをひき熱が出れば古い細胞は壊れて生まれ変わる。冬はまた巡り来る夏にそなえ体と気を養うためにある。
そして冬に相当するのが夜である。日が沈めば家屋の戸を閉ざし、火を囲んでは夜明けとともに働きつめて疲れた体をねぎらい、明日にそなえて眠る。夜を冬、日の出を春、昼は夏、日の入りを秋になぞらえることができる。つまり一日と一年は相似の関係にある。

人の一生や国の興亡、時代、地球、宇宙、すべてはこの相似の輪のなかにあるだろう。生まれ、栄え、熟れ、そして滅ぶのである。凡そこの世に生をうけたものが滅するまでの猶予こそが各々にとっての「時」である。すなわち「時」は個々の存在にとっても流れ方が違い、そして必ずその始めと終りがある。


これに対し「時間」とはなにを指しているのだろうか。

かつて西洋において夜は悪魔の支配する暗黒世界と恐れられていた。民衆の本能的な恐怖心を逆手に取り、魔女や吸血鬼が闇夜に現れると吹聴しては魔女裁判や悪魔祓いの儀式により権威と利益を手にしていたのがカトリック教会であった。古代ギリシアの遺産でもある医術や天文学を神への冒涜と戒め、それを推奨しようものなら捉えられて刑をうけた。神の名を欲しいままに騙る教会の脅威から絶えず身を脅かされていた知識人たちは救いを教会とは別世界に在る科学に求めた。
果たして自然科学はその暗澹たる中世のとばりを破った。ランプの光に夜が隈なく照らし出されると人々は闇を克服し、日没から夜明けまでの空隙も社会生活に加えられることとなった。こうして不確かであった一日を昼夜あわせて二十四時間と定義しそれを六十分、六十秒と等分したものが「時間」である。この「時間」を座標の軸のひとつに見立て、速度・エネルギー・仕事・熱量などを算出するための次元としての役割を与えた。もとより得体の知れぬ流れであるはずの「時」を便宜上等間隔に切り揃え、均質かつあたかも実体を持つ存在のようにみせかけたもの、始点も終点ももたぬそれが「時間」である。わが国にも開国を待たず自然科学の波が押し寄せた。季節ごとに伸びては縮み人と共に歩む「時」は忘れられ、時計の刻む「時間」に管理されるようになる。

"time"はもとは詩的な意味合いが強い語彙であったが、より数学的な意味をルネサンスから産業革命期にかけて自ら獲得したといえる。しかしやまとことばの「とき」には数直線としての概念が明らかに欠けていた、いや、少なくとも開国までは必要がなかった。産業革命とその理念を我が国に輸入するにあたって初めてその必要が生まれたのである。歴史の授業では開国後の近代化・西欧化をさも美しく正しいものと教えている。しかし「近代化」の正体は日本を近代西欧の主導する産業経済の鎖に繋ぐための調教でしかなかった。そこで外来の価値基準を語る新しい語彙が多く必要になり、在来のことばはその居場所を失うこととなった。文化人と呼ばれる西洋かぶれたちがあらたな日本語を大量に製造した背景はこういったものである。「時間」も、しかり。

二十世紀以降またたくまに世界を席巻した資本主義経済は「時間」をさらに具現化することに成功した。それは生産という行動を貨幣に換算するための基準軸としてつねに「時間」を利用することによってである。生産に費やす熱量、電力量などのエネルギー(J = kg • m2/s2)は時間概念なしには算出できない。流通のための運賃も燃料のエネルギー消費量であり、また人の労動力は「労働時間」により人件費に換算される。在庫にかかる費用は倉庫の経費でありこれも時間がものを言う。生産品の開発から販売を管理する企業も同様、その人件費も維持費も時間によりはじき出される。市場にとって「時間」が季節や感情により伸び縮みするものであっては非常に都合が悪いのである。
自動車、飛行機、家電その他近代以降に開発された機器はすなわち利便性を追求するものである。利便性とは時間短縮と労働削減に他ならない。我々は生活する上であらゆる利便を獲得したわけだが、結局のところその対価を支払うために人生の時間のほとんどを労働従事に費やすことになる。
一方で生産者は生産効率を上げるため大量生産を図り、これを大量消費につなげるために「流行」なるものを自ら仕組んで消費者の趣向を一律に撫で付ける。流行は消費を煽り、より短時間でより多くの経済効果を生む。そして市場が十分に利益を回収すれば新たな流行に手綱を渡して自らを掻き消す。消費者は目まぐるしく立ち代わる流行に常に奔走させられる。こうなれば夏も冬もあったものではない。人は日も夜も問わずに馬車馬のごとく働くことで「時間」を貢ぎ続けねばならなくなった。



いにしへの、やまとことばの「とき」はいかなるものか。

過去から未来にかけて移りゆく、この不確かな、しかし決して逆に流れることのないものをわが先祖たちは「とき-時」とよんだ。
いや、こうして流れるもののひとつぶ、今の言葉で言う「一瞬」こそが「とき-時」であった。過去から未来にかけて移ろうそれを「とき-解き、溶き」、取り出したものは不変・不朽の「とき-常」である。それは決して変えることのできぬ過去であり、それは色あせぬ記憶でもあり、それは再び訪れることのない今でもある。ある「とき」からしばらく後の「とき」までを「ま―間」と言った。「つかのま」「ひるま」のように、領域を限定した時の流れをさす。「時間」という新語は「とき」と「ま」をあわせて創られた。
花が散らぬよう、緑が枯れぬよう、若きが老いぬよう願えどそれは決して叶わず、必ずや終りが訪れるという掟に従うしかないこの世をば、そのむかしは「うつしよ-現世、顕世」と、時が終りに向かって「うつろい-移ろい、映ろい、顕ろい」ゆくことに諦めをこめてそう呼んだ。そしてこの世での「時」が尽きた魂が逝く「とこよ-常世」は時の移ろわぬ、つまりは終りなき不変不朽の世界である。いま我々が「あの世」と呼ぶ世界のことである。
「とき-時、常」はこのように一瞬を示すことばでありながら実は永劫をも意味する。


「時」のはじまりについて考えてみたい。

ひとり一人の「時」は誕生することにはじまる。魂が「この世」に存在するための媒体つまり「体」に宿り、そこで人としての「時」が発生する。ではその舞台となる「この世」はいつ始まったのであろう。「この世」とは我々が生きるこの領域、またそれを含む宇宙全体、つまり「物質界」である。その始まりとはおそらくビッグバンと呼ばれる瞬間である。
ビッグバン以前は全くの、「時-とき」の流れも「空-うつほ」の広がりも持たぬ途方もない「無」であった。その状態から突如として陰と陽が発生し、「時」と「空」が拡張を始めこの宇宙=「時空」となった。我々は広がり続ける時空の中のつかのまの存在である。


「この世は神による創造物である」という一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通する考えに基うならば、時は神なるものが「無」からこの世を創造したその瞬間からはじまったとすることができる。宇宙の始まりを説いたビッグバン説は「きわめて神学的」として発表されるなり学会から非難をうけた。神を毛嫌いし現実世界からぜひ切り離したいと願う科学者たちが宇宙に始まりがあることを拒絶したためである。なぜなら仮に宇宙に始まりがあったとした場合その誕生の原因と理由が科学的に実証できねばならず、それができない以上は「神のみわざ」と認めるほかなくなるからである。近代科学の出発点が「神との別居」であった以上それだけは断固拒否せねばならなかった。だからこそ宇宙は始点を持たぬ超然とした存在(絶対空間)でなければならず、同様に「時間」にも始まりがあってはならない(絶対時間)。だからこそ「時間」をあくまで過去から未来へと均一に経過する始点も終点も持たぬものであることを主張した。  




草木、山海、雪月花、そして人、森羅万象がこの世に姿を留めていられるのは時が流れてこそである。生きとしけるものに血が流れるのも、日の光りをうけて緑が育つのも月の満ち欠けも時のうつろいに拠る。またそれを眼に映し、耳に鼻に聞くことができるのも光と音と香りが時に運ばれてこそである。思い悩んではまた悦ぶことができるのも意識が過去を記憶し未来を想定するからに他ならぬ。人体しかり路傍の石しかり万物を構成する最小単位は原子の粒、その粒こそは原子核の周りをさらに小さい電子が運動(古典力学では回転運動、量子力学では波動)することで成り立つ。運動とは物事が時にともないその位置位相を変えることである。ならば時が運動を、そして運動が物の存在を担保していることになる。

「時がとまる」と聞いて静止画像のような情景を思い描いてはいけない。それは単に流れる時空の瞬間値を記録したにすぎず、それを観測できるのは他でもなく我々が流れる時空に存在するからである。もし時がとまれば電子運動はとまり、原子の結合がほどけ、音も光も届くことなく、惑星の自転も公転も止み、惑星間にはたらく力は消えてこの世のすべてが一瞬を待たずに崩壊する。苦痛と恐怖を伴う壮絶な最後とはまた違う虚しくも悲しい終末である。これは「時」が物質界を成立させていることをうまく説明しているがおそらく原因と結果が逆である。時がとまってこの世が終わるのではなく、物質界が消滅するにあたって「時」が流れなくなるのであろう。ただしこの世の終りがいつ訪れるかは神のみぞ知る。


延々と続く縦糸に横糸をくりかえし渡して織られた一重の衣、この物質界をそのような織物にたとえるならば、その縦糸こそが「時」であり横糸を「空」になぞらえることができる。ここで言う「空」とは何らかの力によって秩序付けられる場である。磁場であったり重力場であったりするが、どのような場であれそれを秩序だてる力が作用するためには時の流れが必要である。「時」と「空」は両者ともに絡み合ってこそ存在することができ、どちらも単独ではただの概念でしかない。「時」とは何かを論ずるためにはば先ず「時空」ありき、「時」はその構成要素として捉えるべきである。


ビッグバン説が通説としての地位をほぼ築いた今日でも一般には時間と空間が別々に語られている。計算上はそれも必要だが、それは計算という架空の世界においてのみ成立するのであり実際はそうはいかない。我々が振りまわされ続ける「時間」の正体は、いわば計算上の必要によって敢えて独立させられた概念、ただの架空の目盛りである。そんなものに何故ふりまわされるかは時間が貨幣の影法師であるからに違いない。だが貨幣もまた実体のない数字の羅列でしかない。同じことである。

誰が言ったか「Time is Money」、この低俗な言葉を日本語に翻すのであれは「時間は金なり」とするべきである。時は金に非ず。


ちと寄り道をば。
やまとことばにおいて「織る(をる)」と同じ音をもち、かつ繋がりのあることばに「折る-おる」と「居る-おる」がある。
横糸を右に左に「折」っては返し衣を「織る」、もとより「折る」とは波が繰り返し寄せては返すさまから生まれた反復・継続を意味することばであり、月日や季節、人の生死が巡るさまをも含む。そして「折る」を「折り」と名詞に直せばまた「時」を意味することばとなるのが興味深い。
「居る-おる」の意は存在する、ある、いる、である。先に述べたようにこの物質界において或いは物質界そのものが存在するためには「時」の裏付けが不可欠である。この世に存在するということは時と空の双方から認知されることである。

「記紀」によれば、高天原の「忌服屋-いみはたや」では「天の服織女-あまのはたおりめ」たちが神に捧げる「神衣-かむみそ」を織るという。また高天原の統治者たるアマテラスは自ら神衣を織る服織女でもあったという。この「神衣―かむみそ」こそが時空つまり人の領域たるこの世を暗示しているのはなかろうか、じつはそんな予感を糸口に本稿をしたためた次第である。







セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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