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セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。
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これでもアサドが好きですか?

アラブの春は情報戦争と化してしまった。とくにシリアは大国による二重、三重の情報操作に撹乱されたソーシャルメディアの利用者が趣味や娯楽と履き違えた論評を好き勝手に行い続けるのをよそに泥沼、いや血の海と成り果てた。
各国政府と大手メディア、人権団体と国連等国際機関の評価はアサドを断罪する動向、逆に市民の意思を代弁する(かのように誤解されている)ソーシャルメディアはアサドを支持している。

混乱を避けるために先に結論から書けば、この極悪非道の頂点にいるのは国際社会である。アサドは実行犯であり、国連やEUは悪事の黒幕の中に座していながらアサドを独裁者として非難している。国際社会とメディアの欺瞞に辟易している世界市民はマスコミに騙されるものかとの思いから逆説的にアサド擁護に走った。市民は「敵の敵は味方」という短絡した理論に嵌まったといえる。
裏の裏が表であるのはオセロ板の上の定石でしかない、そんな単純なことが解らなくなるほど人の心が摩滅していると、そう思わざるを得ない。


以前から「阿修羅」という投稿掲示板にこのブログの記事を投稿している。そこには「政治板」「原発板」など多くの選択肢がありどこに投稿するかを記事の内容によって選ぶのだが、筆者はめんどうくさいのでいつも「雑談板」にお世話になることにしている。でもたまに「戦争板」に投稿したりする。

上に記したことを指摘するため短い記事をブログに書かずに直接戦争板に投稿した。内容は、内戦の続くシリアでこの20日、国防軍の軍属の一人がアサドによる市民への非道を写真とともに告発したことについてである。その投稿文と映像のリンクを以下に転載する。続けてその投稿に寄せられた質問と意見への筆者の回答を、煩雑にならぬよう質問文は省略し細切れの回答文を編集し載せるものとする。
ただ、映像はやむなく添付したものであり、なるべくなら見ないことをお勧めしたい。残忍なものであるし、こういうものを見慣れてしまうことは確実に人間性を浪費させるからである。


これでもアサドが好きですか?

http://www.youtube.com/watch?v=c0S6rG6pelA
この罪悪を許すか許さないかは神の領域であり、人は関与できない。
しかし看過することは罪悪への供与であり、加担であり、同罪である。
日本ではなぜかシリアの殺人鬼バシャル・アサドの人気が高い。
それはアメリカへの敵意、イランへの同情心、プーチンへの憧れが入り混じることでおこる混迷であることを指摘した上で、日本人が陥った落とし穴であることを断言する。
この写真はシリアの従軍警察官の撮影した、シリア国防軍による拷問と飢餓により死亡したシリア市民である。罪の意識に耐え切れずに二年間にわたり写真を海外に流出させ保存したものであると報道されている。保存先は国連関連の研究所であり、当然国連の目にも二年前から触れていたことになる。

合成写真かどうか、好きなだけ議論するがいい。
反政府軍の自作自演であるかどうかを好きなだけ詮索するがいい。
反政府軍が空軍機で村を、町を爆撃できるかどうかを気の済むまで討論すればいい。

それでもアサドがすきですか?

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コメントありがとうございます。すべてにお答えできるよう、少々長くなりますがひとコマで書かせていただきます。
まず「アサドが好きですか?」という題ですが。

シリア問題に限らず中東問題に関しては日本はあまりに情報不足で、なにより石油の輸入以外にはほとんど無関係の地域での事件であるために事実を知る必要さえないのが現状です。しかし非道に対する怒りは当然存在し、そこで前に出るのは近代主義的な(西欧的な)正義感・倫理観による短絡した判断と経済先行型理論で、いくら中東情勢評論家たちが分析の真似事をしてどっちが正しい正しくないと書きたてようと、そこから生まれるのは結局「好きか・好きでないか」という程度の幼稚な議論です。「アサドが好きですか?」とやや恣意的な言葉を使ったのはそれに対する問題提起です。

アルカイダはイスラム原理主義とは何の関係もありません。ゴロツキどもを集めて銃を与え「神は偉大なり」と叫ばせているだけです。
原理主義とは危険思想保持者という意味で使われがちですが、本来「原形」という意味です。イスラム原理主義とは預言者ムハンマドの時代のイスラームであり、スンニもシーアも教義の上では差異はありませんでした。シーア派が定着した地域、古代ペルシアの多神教の土壌が後のシーア派の体質を創りました。
シリア内戦にあまり宗教色はありません。シーア・スンニの対立はあくまでイスラームの荒廃を狙う欧米の画策です。信仰とイデオロギーを取り違えた場合こういう罠にかかります。
アルカイダの存在理由など私が書くまでもありませんが、要はアルカイダの行動が確認された地域には米軍が、国連軍が、NATO軍が侵攻する権利が発生してしまうわけです。こんな便利な組織があるでしょうか。

シリアに欧米が攻撃できなかった理由は、トルコのエルドアン首相が空爆を阻止するため徹底的に反対したからです。トルコが陸軍を出すから空爆するな、と。こうして欧米多国籍軍による無人爆撃機の無差別攻撃は出る幕を失いトルコも陸軍を出せなくなりました。陸軍が出ることで内情が表沙汰になると困るのは虐殺を繰り返すアサド、そして黒幕の欧米です。

アサドの父、ハフィズ・アサドはソ連に教育・援助された独裁者です。クーデター、検閲、拷問、虐殺に関する技術をソ連から授与されました。そして一方で英国と繋がり立場を強化し世俗国家シリアを独裁しました。それに反抗するムスリム同朋団を一掃するために1982年、父アサドは暴動を扇動し数万人の自国民を虐殺しました。それ以来のシリアは緩い世俗国家として国民は比較的「自由」に生きてきましたがその実は厳しい監視・密告・情報規制社会に怯えていました。政府批判をしようものなら即投獄です。アサドが国民の支持を受けているという解釈はここに根源を持ちます。支持者とはアサドが怖くて批判が出来ないか、イスラームを捨てて自由享楽に浸って生きることを選んだかのどちらかです。

アサドを支持するかしないかはシリア国民が決めること、そのとおりです。しかしこれは内戦が始まる前までの話です。逮捕者に食料を与えず、拷問を加え、餓死するまで放置する。この手口を看過するか、しないかはシリアだけの問題ではありません。

リビアの春がシリアに飛び火したのはアルカイダの工作です。もちろんアサド政権も反政府組織のあぶり出しの好機として喜んで活用しました。地下活動を続けていたムスリム同朋団とそれに近い組織は否応なく決起します。そこへ、近隣国の支援を得たゲリラ組織が蝿のようにたかり出し内戦と化しました。反政府ゲリラを捕まえてみたら外国人の傭兵だったなどの理由はこのあたりで、これがアサド政権を正当化するために利用されています。

昨年のいわゆるトルコの春はエルドアン政権を憎む欧米の画策でしたが失敗に終わりました。失敗の理由はいろいろありますが、一番はエルドアン首相の背筋が曲がっていないこと、そしてトルコ国民の愚民化がまだ足りなかったこと、欧米の手先の野党があまりに無能だったことが挙げられます。
エルドアン首相はシリア国民を援護し、難民を数十万人トルコに受け入れ、またトルコの非政府組織も物資の供給などの援助を繰り返しています。ただしシリアとは800キロの国境線を共有しており自国民をアサド政権およびその息のかかったゲリラから守る義務から防衛活動も当然行います。それを指して「トルコとシリアは戦争状態」というのはあまりにぬるい表現としか言えません。日本はそんなに平和なのですか?

アサドの抱える国防軍が攻撃しているのは罪のない市民です。イスラエルがゴラン高原に侵攻した際に土地を失ったパレスチナ難民がシリアにおり、彼らも攻撃の的になり、食料が届かず、骨と皮だけになって死んでいった子供たちが大勢います。転載した映像も、その対象となったのは一人や二人ではなく一万一千人であり今この瞬間も虐待が続いています。これがシリアの春といわれるものです。
欧米主導の新世界体制が築かれているのは中東も極東も同じです。中東は対岸の火事ではありません。

アサドと国が一丸となってシオニストと戦わなければならないときに自国の力を減らし、自国民を殺して何のメリットがあるのかという問いについてお答えします。
まず、アサドはシリア人でありイスラム教徒という建前ですが、彼はイスラームに対する敬意も信仰心も少しも持ち合わせていません。またシリアという国、そして国民は私物として認識しています。アサド自身がシオニストであるかどうかは確認のしようがありません。が、おそらくそうでないとしてもシオニストたちの画策に加担し中東での権威拡大の好機を狙って漁夫の利を得ようとしていることは確かです。シオニストたちはイスラームの崩壊を切望しています。しかし信仰心のないアサドにしてみればそれはどうでもいいことです。中東は国という枠組みでは何一つ動きません。

アサド側の国防軍は市民ではありません。アサドの命令でいかなる行動でもとるように訓練されています。シーア・アレヴィー派であるという(教義ではなくあくまで)血縁的な縛りもあります。また特権階級であり一般市民のことは動物同様に考えています。

皆様の最大の誤解を指摘させていただきます。

反政府軍は反政府連合ではありません。それぞれ意識の違う小さなゲリラの複数形でしかなく、共謀も同盟もありません。数の上で一番多いのはアルカイダに代表されるプロパガンダ組織であり、無差別な破壊行為を行いその映像がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、「アサドの愛する国家と国民」が外国勢力から無体な攻撃を受けているとのプロパガンダを信じ込んだ人々がアサド擁護をしています。あなたのことです。
また、一般市民はただの巻き添えであり反政府組織との混同は厳禁です。政府軍の空軍機からの爆撃により市街は壊滅し生活基盤を失い、救援もなく、彼らはただ飢えに苦しみ餓死と背中合わせで暮らしています。

「アッラーフ・アクバル=神は偉大なり」はアラブ系の人々の一日のうちでもっとも多用する言葉です。いいにつけ、悪いにつけ、とにかくこの声を発します。映像の中で反政府軍がアッラーフ・アクバルとしか発していない(ように聞こえる)のは非シリア人であるために言葉がわからないからではありません。シリア人の言語はアラビア語であり、中東の殆どの人種が使うのがこのアラビア語であり、たとえばリビアから、チュニジアから、サウジから流れ込んだプロパガンダ組織のゴロツキどもも信仰心とは無関係にアッラーフ・アクバルといい続けます。もちろんイスラム教徒の残忍さを強調するために「アッラー」と叫びながら暴行を繰り返す映像を意図的に撮影したでしょうし、実際流通しています。逆に政府軍と見られる男が市民の頭に銃をつきつけアサドの肖像に接吻させる映像もあります。なんでそんなものわざわざ撮影してソーシャルメディアに流すか考えれば簡単です。情報戦争において映像は撹乱でしかないということを皆が気づくべきです。


反政府軍に子供を殺され政府軍に助けをを求めるという女性のアラビア語と字幕の英語や日本語との整合性を考えたことがおありでしょうか?
米国という国は国家予算を投じて映像技術やマインドコントロールや集団煽動術を研究していることをお忘れなく。

シリア軍に限らず、どの国の軍部にも反政府体制が潜んでいるのが普通です。それに発破をかけるのは海外からの協力者です。また、世界の多くの軍国政府は自国の軍部を制御するのに手を焼いていますが、こうした造反を反政府的思想保持者を一掃する好機として使うことがよくあります。自由シリア軍は国防軍からの離反者たちが結成しましたが、その時期は欧米がリビアに介入し終結に向かった頃です。「アラブの春」自体が西欧の画策した中東新体制構築の一環であることを考えれば自由シリア軍の結成もまた西欧が一枚も二枚も噛んでいたことの現われです。
自由シリア軍の構成員の信条(愛国心・信仰心)とその結束力はどれほど硬いものかは疑問です。アサドが離反者を許すなどということは皆無です。

シリアの惨状は昨日今日の話ではありません。そして国際社会はそれをを「知っていた」のです。少なくとも、写真流失がはじまったとされる二年前からこの拷問、餓死、遺体への辱めの事実は国連をはじめとする国際機関は知っていながら見ない不利をしているのです。国連が人道と国際平和のために作られた機関であるなどということをいまさら信じる人もいませんが、この社会は写真等物的証拠とそれを審議する司法機関、そしてそれにお墨付きを与える国連の縛りから抜け出せないのです。そして国連をはじめとする国際的に法権威を持つ機関は英米イスラエルの手にあります。

写真を撮影させたのはアサドです。流出させたのもアサドかも知れません。逆らえばこうなる、との暗喩かもしれません。

アフリカで飢餓に苦しむ子供たちの写真は見慣れてしまいました。こうして拷問死したイスラム教徒の写真も見慣れてゆくでしょう。ソーシャルメディアを通して共有される画像は捏造であろうとなかろうとその残忍さだけは変わりません。そうして国際社会は残虐・非道に「不感症」になり行くでしょう。もっと近いところでこの非道を目の当たりにしても正視できてしまうでしょう。しかし人間ですから潜在意識の中に恐怖は残ります。その恐怖心を刺激されることで、われわれはより制御されやすくなるでしょう。
しかしその状況から目を背けることはもう不可能です。心して見るべきだということを申し上げる次第です。

化学兵器は何だったのか。化学兵器は使用され、市民が被害を受け、国際社会が騒ぎ立て、化学兵器は残忍だが普通の爆弾は残忍ではないのかという議論には決してならず、他国が処理費用を負担してアサドがその費用を丸儲けしました。


国民も国の行く末も糞食らえで、国家シリアとしての権威拡大などは鼻から眼中になどないでしょう。アサドがシリアという国を母国とも何だとも意識してないからです。アサドは新世界体制というものに意識を移し、つまり中東一帯の地図は西欧の手によって一新され、その舞台の上で何らかのおこぼれ(=漁夫の利)を頂戴するぐらいしか考えていないでしょう。ロシアと組んで起死回生を狙っているとは考えにくいです。

子供を失った母親ほど不幸な存在はないでしょう。それにあれこれ注釈をつけるのは私自身も気が引けますが、その心理も利用されています。映像班は必ず母親を利用するのです。ただ例の母親は間違いなくアサド支持層の裕福な世俗家庭の女性です。それ以外は何も申せません。

カダフィーは見せしめお為に殺されました。彼は元は英国のエージェントでありそこはアサドと似ています。カダフィーの場合とちゅうで覚醒して国家主義に転換したためにああいった最後を遂げました。アサドも英国で養育を受けています。
シリア転覆を狙い行動を起こしている組織の多くはのはシリアの明日のために戦っているわけではありません。それぞれの利益のため、あるいは傭兵としてです。ただその中にイスラム同胞団のように強固な信条の元に戦う集団もあるので、それが事を複雑にしてしまっているのが現状です。
「アラブの春」の指揮者である西欧は混沌を、そしてその混沌の末に西欧主導の新体制を築くことを求めています。アサドがどうのといっている場合ではないのです。


BBCやCNNしか情報源がないのであればいっそ見ないほうがよいでしょう。
「信用にたりる情報源」、そんなものはどこにもないのかもしれません。昨日まで全うな報道をしていた局が明日にはひそかに買収されることなど日常茶飯事になりました。さらにソーシャルメディアなどは自分に似た意見の持ち主との馴れ合いの場であり、さらに実は電網の持ち主である英米に洗脳されるための道具でしかないことを、私はもうずいぶん前から指摘しています。
質問をいただいた、「詳しいブログ」などというものも所詮は執筆者の主観の範囲を出ませんし、私の意見もその一つに過ぎません。私の意見が絶対正しいなどとも申して降りませんし、それは誰にもできないことです。

事実を知り得るのはもはや神のみです。しかし皆さん、どうか事件の行間を読む訓練をなさってください。目の前に突きつけられた映像も、写真も、その裏にはあらゆる意図が隠れています。異なる情報をいくつか並べてみれば、運がよければ何かがわかるかもしれません。そのためには偏見や利己を捨てていかなければなりません。今のままではみすみすメディアの食い物になり新世界体制の歯車にされるのが関の山、次世代にひどい世界しか残せないことになります。それを食い止める必要があると主張しているのです。


次元の低いコメント応酬はまだ続いている。http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/371.html

英国流「漁夫の利」


「アラブの春」が西欧によって書かれた台本に沿って進行していることをこのブログで再三指摘してきた。民主化から取り残された市民が国家の主権を得るために戦う「聖戦」であるかのようにメディアにより描かれた一連の抗議行動を「春」などと呼ばされているが、それが如何に狡猾に設計されたものであるかを今回、あらためて遠巻きに眺めてみることにする。



大航海時代の覇王であり、産業革命の旗手であり、第一次大戦の連合軍筆頭であり、国際連盟常任理事国であった国、冷たい海に浮かぶろくに資源もない小さな島国でありながら常に世界の頂点にあるのは「英国」である。いったいどういう頭脳をしているのかは知らないが、とにかくこの国の手段は人間業とは思えない。まず他国の内側に墨の如く染み入り人心を惑わして均衡を崩す。その混乱に乗じてその国の体制を作り変える。そのときに恨みと争いの火薬を綿密に仕込んでおくことを忘れず、時が来れば発火させて煽りたて内戦や紛争を起こす。しかもこの火薬は自らの手を汚さずに何度でも激しさを増しながら繰り返し燃え上がらせることができる。もちろん英国の描いた世界設計図に合うように、的確にである。英国が戦争で大暴れをすることはなく、また積極外交もしない。知恵を使って座りしままに漁夫に利を得るのがこの国流である。


中世も終わる頃、航海技術の進歩から世界の「かたち」が認識されるようになった。農業生産中心の自国経済に限界を見出しアジアや南米・アフリカ大陸からの搾取を前提とする貿易経済に移行した西欧は、さらに国外から安価で仕入れた材料で工業生産を行う形で発展を図った。産業革命である。そのための労働者は国内にいくらでもいた。産業が拡張するに従い徐々に需要が増したのが資源である。

西欧世界の資源庫はまずアフリカが挙げられる。必定、アフリカは次々と西欧列強に征服される運命をたどる。しかし欧州からもっと近いところに石油も石炭もうなるほど隠されていた。イラク、シリア、エジプト、アラビア半島、北アフリカ…どれもオスマントルコ帝国の版図にあった。


第一次世界大戦の場合、「バルカン半島の民族自決の擁護」がこの戦争を正当化する材料であり「サラエボ事件」が大戦の発端となった。言うまでもなくこれは戦争を起こすための名目でしかない。
「ヨーロッパの火薬庫」という20世紀初頭のバルカン半島を形容したこの言葉はあまりに有名である。オスマントルコ帝国の領土であったこの地域に共存していた多様な民族は18世紀の終わりからすこしづつその手を振り切り、「民族自決」を合言葉にそれぞれの国土を主張し第一次大戦前までに小さな王朝がいくつも誕生した。大国の狭間でどれも国家として成立する力のないほどの小国をわざわざ生み出し、その後ろで西欧は民族間の緊張を高めようと画策し、満を持してセルビア青年に武器を与えオーストリア-ハンガリー王国皇太子を手にかけるというサラエボ事件を起こした。自ら仕掛けた火薬庫にこうして火を放った。

(じつはサラエボ事件の前に日本で似たような騒動があった。「大津事件」である。来日していたロシアの皇太子(後のニコライ二世)が日本人巡査に切りつけられ負傷したこの事件だがロシアとの戦争には発展しなかった。不成功におわったとしてもこれが英国の差し金によるロシア挑発だったとすれば、血の日曜日も日露戦争ももっと早く起こっていたかもしれない。)


結果からいえばオスマントルコ帝国は第一次世界大戦に臨みドイツ・オーストリア側にについて敗戦し割譲を受ける。トルコの領土はアナトリア半島と呼ばれる一帯のみを残し、旧オスマントルコ帝国の領土からは20カ国にのぼる大量の独立国が誕生する。「イスラーム」という一つの共同体意識のもと、異人種、異民族、異言語という壁を壁ともせずに栄えていた帝国を内側から焚きつけるための火種、それは「民族自決」の一言であった。


敗戦国は戦後処理の名の下に、戦勝国の監視により国家体制の作り替えを強制される。中世であればただ属州とされる所だが近代の理屈ではそうも行かない。すでに通信が発達したこの時代、露骨な侵略支配を行えば当事国以外にも評価が残り後の時代まで侵略国の汚名を背負うであろうことはすでに理解されていた。ここで国際世論にも、そして後の歴史認識にも有無を言わせないための大義名分を打ち立てることが提案された。そこで1920年に国際秩序の監視役として正式に誕生した組織こそ国際連盟である。表向きは「国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関」、その実は西欧中心の新世界秩序を正当化するための国際会議である。

常任理事国は英・仏・伊、そして日本であった。有史以来地中海世界と接触が皆無である日本をわざわざ参入させたのは理事会の中立性を演出する茶番といえる。第一次世界大戦の目的と連盟樹立の意義はこのトルコ割譲であった。

トルコが連合軍に突きつけられた新国家体制とは、

1. 帝国という旧態依然とした枠組みを廃止して周辺の資源地帯を手放し
2. 政治からイスラームを払拭し旧領の独立国との結束を捨て
3. 西欧寄りの世俗国家としての道を行き西欧の政治・経済・軍事に寄与する

これが大筋である。これに背けば連盟から非難を受け、将来にわたり国際条約を締結する折に何もかも不利にはたらく。連盟も、その後の連合もただの巨大な権威組織であり国際平和などは夢にも思わない。


イスラームとは信仰という枠の中にはとどまらず、生活と社会の規範としての重要な役割があった。イスラム帝国であるオスマントルコの領内の政治経済その他全ての規約はクルアーンに基づくイスラム法によるものであり、それぞれ異なる言語と歴史を持つ多様な民族を抱えながらも帝国の内部の均衡はイスラームの屋根の下にしかと保たれていた。異教徒は人頭税を納めることで帝国市民権を得られ兵役は免除されていた。
英国は19世紀初頭からしきりに民族自決を囁き資源地帯の属州をトルコから精神的に遠ざけようと画策していた。それが功を奏してアラビア半島、北アフリカ一帯の造反があいついで帝国はほころび始め、大戦勃発までに混乱は明らかなものとなった。帝国から独立を果たした資源地帯の国々は以下のとおり、モロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジア、エジプト、パレスチナ、サウジアラビア、アラブ首長国、イエメン、バーレーン、クウェート、カタール、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、西欧の手口が巧妙と言わざる得ないのは、見事なほどちりじりばらばらに独立させたところにある。この国々は現代も近隣国と協力関係を築くことより目先の利益から欧米の指人形として働くことを選ぶ。エジプトでは英国委任統治時代にオスマントルコへの帰属か英国の統治を継続するかを巡り市民投票が行われたが、西欧化を求めるだろうと踏んでいた英国の算段を裏切りエジプト市民の大多数はトルコ帰属を選択した。こうした想定外の事件には「市民に教育が足りないので選挙無効」という処理法も持ち合わせていた。2012年のエジプトでの大統領選挙を無効にしたあの事件は実は英国のお家芸であった。


さらに、帝国の解体後に新生国家郡が再びイスラム連合として結束することを危惧した英国はイスラームの最高指導者であるカリフを廃して国外に追放した。カリフとは預言者の代理人、言うなればカトリック世界のローマ法王にあたる聖職であり、帝国誕生以来首都のイスタンブールに座し世界のスンニ派イスラム教社会の信仰生活と政治の指針を担っていた。イスラム世界はこうして求心力を失うことで迷走し、それが今日のイスラム社会の諸問題の原因となった。

いかに敗戦国といえど西欧にここまでの無体を受けてなおトルコは西欧化と世俗化を受け入れるのだろうか、それが受け入れたのである。巧妙な仕掛けは尽きない。

(オスマントルコ帝国と日本とは少しも関わりがない。しかし少なからず西欧というものに疑いの目を持つ方々には、これまでの話しが開国と敗戦という日本の被った二度の痛手と妙に共通するところがあることは感じていただけると存じる。)

歴史の授業では「セーブル条約」なるものも習う。1920年に連合国とオスマントルコとの間で交わされた戦後処理条約であるが、それによればトルコはアンカラ周辺の狭小な地域のみの領有を認められたとある。トルコ人が嘆き、怒り、失望に陥る中で一人の軍人が彗星の如く現れ、ギリシア駐屯軍を蹴散らしてイズミルを奪還し一気に共和政府を樹立し初代大統領を名乗った。そしてセーブル条約からたった三年でトルコは旧態依然とした帝国から見事民主化を果たしたと連盟に評価され「ローザンヌ条約」を締結、それにより現在の国境線まで国土を回復したとある。その軍人とは建国の父と謳われるケマル・アタテュルクである。

だがセーブル条約などはどこにも存在しない。英国はロシアで確立しつつあった共産圏に対する緩衝地帯としてトルコを温存したかった。しかし西欧へのトルコの国民感情は最悪でありその反動からロシアに靡くことを懸念したため、黒海沿岸と東部トルコをロシアに与えて残りの海岸線地帯を英・仏・伊が割拠するという戦後処理案をちらつかせたのみであった。つまり「脅し」をかけトルコが西欧への仲間入りを泣いて懇願するように仕向けたのである。現代のトルコの領土は最初から英国の描いた国境線の中にある。架空セーブル条約は将来トルコ軍部が国内向けにおおいに利用した。
「セーブル条約」を信じたトルコ国民は死刑宣告に近い悪夢を見た。それを西洋人の目の前で破り捨てたとされるアタテュルクに対し国民はこの世が終わる日まで感謝を捧げ続けなければならないような錯覚に囚われた。アタテュルクは死後にいわば神格化され、彼のその遺志を継いだとされる「ケマリスト」たちの専横がはじまった。西欧の属国として「民主主義世俗国家トルコ」を作る傍ら国内の民族間の不協和音を指揮した。クルド民族のテロ問題は民族問題などではない。テロさえあれば失業しない軍部と、民族問題さえあれば民族主義の風を吹かせて国を牛耳ることができるケマリストと、ケマリストさえいればトルコを属国として扱える英国の共有財産である。


はたしてその火薬とは、ただの民族意識を敵対の道具に仕立て上げた「民族主義」である。


人種とは肌の色に代表される生物学的な括りである。さらにそれを言語、信仰、国境、記憶などの細かい括りで別けたものを「民族」と呼んでいる。
人間の遺伝子情報を俯瞰すれば民族間の差異などはじつに僅かなもの、いや皆無といえる場合もある。しかし人種と民族の違いに由来する争いは絶えることがない。人種による差別はやや前時代的なものになったとしても「民族」の問題は逆に加速をみせている。そうさせているのはその僅かな違いではない。



幼い頃、子供たちの間には罪のない差別と支配がそこらじゅうにあった。好きな歌手が違うから、着ている服が変わっているから、大人びているから、特技があるから、とにかく虫が好かないから、と、言い出せばきりがないが自分たちとは何かどこかが違う少数派を差別し、多少なりとも攻撃した経験が誰にでもある。あるいは逆の記憶もあるだろう。子供たちの社会で起こる現象は自然にちかい。ならば人の中には差別という自然が備わっていると言ってもいい。
ではなぜ差別をしてしまうか、それはひとえに保身のためである。自分たちにない特徴を持つものと行動を共にすると厄介なことになる、あるいは損をする。その日までに築いた自分らなりの規律や価値観を壊される、だから異分子を受け入れたくない。これこそ「虫が好かない」の構造である。生存圏を維持するための本能のようなものであり、差別そのものに罪はない。

幼い兄弟がいるとする。兄は弟のおやつをよこせと言い、弟が作りかけた積み木の塔を横取りして作り変え、一緒に遊ぶときもどう遊ぶかを指示して従わせる。これは強い方が弱い方に対して抱く支配欲求である。親(特に母親)と子、夫婦、友人、教師と生徒、どちらが強者であるかはその都度かわりえるが、支配欲というものは人が出くわすあらゆる関係のなかで必ず頭をもたげる。これもまた人の中の自然である。人が生存圏の拡大と充実を無意識に求めるために起こる。

しかし差別心も支配欲も相手の存在を認めることで鎖につなぐことができる。相手の持つ自分との違いを魅力と認識できるようになれば状況は大きく変わる。
そのためにはお互いが人として成長するか、または心ある大人に諭されるかを待たなければならない。

差別も支配も源とするのは利己である。人が生まれながらにして利己であることは昔も今もかわらない。しかし人がみな利己を貫いたのでは草生えぬ土地となり子や孫たちが生きる場所を失うことを、時代とともに学びあらゆる形で戒めてきた。それが人である。利己と戦い、躾け、他者との共存を模索してきた。ときに成功し、ときには不毛の荒野に墓標すら残らない。それが人の世である。

もともと利己な人々が集団で生きるために従わなければならない規範、古代においてそれは信仰であった。神の怒りを恐れることで自らを律し、神の報いを期待して善行をおこない、神との繋がりのなかで集団の価値世界を築いた。その世界を共有したものが「民族」の始まりである。
民族は分裂と融合を繰り返し、移動し、互いに価値を認め合えない異民族を蹴散らし、あるいは圧力をけ、反抗する者を抹殺した。恭順する者を支配した。支配を逃れて新天地を目指した。民族の生存圏を維持し拡大するための行動の軌跡が歴史である。
時代は降り、神に代わり或いは神の名において人を従えたのが国である。法に書かれた罪と罰の規範の中で人は否が応でも利己を抑えて国を共有した。軍事・経済・政治の面から強大な帝国に多民族が専制的に統括されることで戦争の起こりにくい時代を築いたこともあった。それがローマであり清であり、オスマントルコであった。規模は異なるがムガール帝国も江戸時代の日本もそうであった。

こうして眺めれば「人」と「民族」は相似の関係にあることがよくわかる。すなわち民族間の差別や支配も「利己」を源としている。一つの民族の中の個々が所属する共同体の価値と利益のために他の民族を疎外し、嫌悪し、あるいは利用して支配する。その構造の利用法を「民族主義」として開発したのが英国、それを煽り立て起きない戦争を起こしてきた。ローマは古いのでともかくとして、清もオスマントルコもインドも江戸幕府も英国にしてやられたではないか。

英国は外交の表舞台から姿を隠した。かわりに饒舌になったのが米国とイスラエルだが同じこと、鵜にくくりつけた縄を引くのは未だに英国である。

民族自決という美辞により独立建国を果たした国をみれば今、スンニ派が大多数をしめる国にシーア派の支配者がいる。シリアがそうである。その逆はバーレーンである。それぞれ他民族の住む複数の地域を無理に国としてまとめられたのはイラクである。虐殺の記憶の中で民族同士が敵視しあう国がある。ソマリア、ウガンダ、旧ユーゴ、パレスチナである。遠隔操作の爆弾を抱えさせられ主権も主張もできない国に自決も何もあったものではない。

政教分離という麗句は民族問題の解決策のひとつかのように聞こえるがどうだろう。特定の信仰・宗派が優遇されないためとされるこの政策は非キリスト教国の悪夢であった。これにより教育と風習から信仰心が叩き出された。結果として英国を背後に持つ世俗主義者の手に政治を受け渡すことになった。エジプトが、シリアが、チュニジアが、湾岸諸国が、その他西欧に支配を受けた全ての地域がそうである。

このような国々では日々、西欧の資金と入れ知恵で抗議集会や暴動が起こされ西欧から好かれない分子は現地の軍部に一掃される。時に起こる大虐殺をには自決権のある独立国に対し外から干渉することはできないと目をつぶり、そうかと思えば別の国には人道人道と叫びながら空軍がミサイルを撒き火事場泥棒を働く。
民族自決を謳った当事者はいま「グローバル化」と称して世界を均一に扱うことを標榜している。グローバルな世界には民族も信仰も言語も記憶も何もない。人はただの労働者と消費者であり、人と人との間には貨幣と物質の交換の他の何もない。こんな連中のいうことを鵜呑みにしていては明日はない。

さて日本、近隣国との中がこじれた経緯は近代史にきざまれている。どの悲劇も遡れば英国に行き着く。

恨みの記憶、言葉と思想の違い、人がみな生まれつき背負うもの、それを火薬たらしめる者たちから死守しなければならない。手を変え品を変え近づく卑怯者どもに隙を与えてはならない、そのためには近代から戦後にかけ英国とその弟子たちから教えられた全てのことをいまいちど吟味すべきである。わが子たちに火薬を背負わせ火の中に歩ませてはいけない。

戦争屋の理屈 シリアで化学兵器が使われたことについて

この映像は春の風が吹きすさぶリビアにサルコジ前大統領が仏軍を侵攻させさた後だった。2011年6月2日、イスラエルのテル-アヴィブ大学で行われた講演である。講師はフランス人哲学者のベルナール・アンリ・レヴィ(Bernard-Henri Lévy)、そして現在イスラエル法相のツイッピー・リヴニ(Tzipi Livni・当時はイスラエル野党第一党党首)である。



おふらんす野朗のオカマ英語にイライラするのでご了承いただきたい。



-レヴィ氏に質問します…政治において倫理と現実との間の選択はどのように為すべきとお考えですか?たとえばじきにエジプトで大統領選挙がありますがムスリム同胞団が議席の過半数を得たとしますと、どのような立場をとられるでしょう?アルジェリアで起こったようにエジプト軍がムスリム同胞団の政権獲得を阻止する必要があるというご意見はおありでしょうか?もしくはガザ地区でハマスがそうなったように民主主義の掟に従いムスリム同胞団の勝利を許すのでしょうか。

-1992年にアルジェリアで選挙が(軍事クーデターにより)中断したのを肯定的に見ている。「GIA(武装イスラム集団)」や「イスラム救済戦線」が与党となるのは民主主義に反している。
ガザの例(ハマスが選挙に勝ったこと)にも同じ感情を抱いている。私に言わせればあれもクーデターだ。民主的なクーデターだがクーデターには違いない。ヒットラーが1943年に与党を勝ち取ったのもクーデタだ。
エジプトでムスリム同胞団が与党に立ったとしても「民主主義がこれを欲した」とは言えまい。「選挙の結果に従おう」とは、もちろん言えまい。
モンテスキューの言を用いてバラク・オバマが言ったように、民主主義は選挙だけを指すのではなく社会的価値を指す。両方とも必要だ。
もし私が何を信じているかしりたいのなら…ここでこれをいうにはリスクがあるけれど…私もエジプトの専門化ではないので皆さんと同様に状況を見ながら主張しているに過ぎない(ことを前提に話す)が、私の主張は、エジプトで有力になるであろう新しい空気(ムバラク独裁を駆逐し国民投票による民主政治が始まること)はムスリム同胞団にとっていい風を送るとは言えないということである。同胞団が与党になりそうだという状況を役立てるために彼らを「力をもつ唯一の政治組織」と認めることを私は肯定しない。

-あなたのお話を正しく理解したとすれば、もしムスリム同胞団が正式に選挙に勝ったとすれば、同胞団が与党に立つことを阻むために軍部がクーデタを起こすことに賛成するとおっしゃるのですか?

-ああ、賛成する。彼ら(ムスリム同胞団)が与党に納まらないためならなんでもする。

-国際法に従って、ね(笑うリヴニ)

-さっき話したようにね(笑うレヴィ)




演題は「リビア」であった。ここでは欧米がリビア問題にどういう姿勢をとるべきかということが話され、その関連で話に上ったのがエジプトである。
講演の日付は2011年6月でありながら、語られた内容はまさに今日のエジプトである。これが何を意味するかはお察しのよい方であれば説明の必要もない。


レヴィの主張を要約すれば次のようになる。

ひとつ、西欧の価値観から外れた政党が当事国国民の支持を得て勝利した場合それをクーデターと定義している。

ふたつ、アルジェリアの選挙が軍事クーデターにより反故にされたことを肯定している。

みっつ、国民が指導者を選ぶという民主主義の大原則をはなから無視している。

よっつ、エジプト国民が選んだ政党をエジプト軍によるクーデターにより排除すべきだとしている。



ベルナール・アンリ・レヴィは、アルジェリア生まれのフランス国籍を持つ「哲学者」である。ユダヤ系であるとされている。アフリカ・中東・旧ユーゴ・旧ソ連のあらゆる政治問題に首を突っ込んでは欧米の軍事介入を煽るいわば「戦争屋」である。懇意にしていたサルコジ前大統領に仏軍のリビア侵攻を提唱したのもこの男、つまり「アラブの春」の脚本家の一人でもある。レヴィに鼓舞されたためかサルコジは仏軍にリビア空爆を開始させ、英米軍はそれに続く形で参戦した。さらにNATO軍が加わりリビア介入は空爆開始後半年でようやく終結する。この映像の講演が行われたのは仏英米NATO軍の「いい加減な」爆撃のため多くの市民が誤射・誤爆の犠牲になっていることが明るみになり介入に批判の声が集まりだした頃であり、おそらくは軍事介入の正当性を再確認するためにもこのような講演会が催されたのだろう。

仏軍のリビア侵攻は一般には「悪者カッダーフィー」を王座から追い落としたとされ肯定的に見られているがそうではない。アフリカ・アラブ一帯に欧米の新体制を布くための作為であり、侵略である。今のエジプトの惨劇も同じように欧米の標的となったために起きたであろうことはこの映像がそれを証明している。

横で首を立てに振りながら賛同する女はツイッピー・リヴニである。ユダヤ人である彼女はシオニスト武装組織の幹部の娘として生まれた。兵役の後モサドに勤務しパリなどを舞台に多くの特殊工作(暗殺)に携わった。その後弁護士を経て政界に入りシャロン首相の懐刀として活躍、脳卒中に倒れたシャロン(暗殺未遂説あり)からオルメルトに政権が移るとそこで外務大臣に就任した。その後一時政治の中心から遠ざかるが去年から議員として復帰する。現在はネタニヤフ政権の法務大臣を務める。殺し屋が大臣になれる物騒な国である。

一般人が勝手にこのようなことをほざく分には問題はない。しかし欧米の政財界そして世論に少なからぬ影響力を持つこの男が、国立大学の講演会で元閣僚と同席の上で発言したことであれば意味が違う。さらなる問題はエジプトがこの男の提言したとおりの道を歩まされていることである。



今日のエジプトの惨状は日本でも映像が公開され知られるものとなったがわかりづらいことが多い。「誰が暴力を振るっているか」が見えにくい。

虐待を受けるのはムスリム同胞団とそれを支持する市民たちである。
銃で市民を射殺するのはエジプト軍である。
催涙ガスや棒で市民を攻撃するのは警察である。
軍や警察とは別の「自警団」がある。現地では「バルタギイヤ」と呼ばれている。テロや紛争で親を失った子供たちをムバラク政権が保護養育しバルタ(=斧)を持つ私服の暴力集団として育てた。思想も信仰もない。金、食料、覚せい剤を与えられ、家もなくバラックで暮らす。ムバラク政権時時代には敬虔なイスラム教徒の市民たちはこのバルタギイヤに常に生活を脅かされていた。
ムスリム同胞団のデモ隊に危害を加え、逃げる者をリンチにかけ、逃げこんだモスクを取り囲んでは火をつけ、教会に放火しその罪をムスリム同胞団になすりつけたのはこのバルタギイヤである。ソーシャルメディアの映像の中で棒を振り上げ暴れ周り「暴徒化したムスリム同胞団」の印象を世界に与えたのはこのバルタギイヤである。

アメリカはエジプト軍に対する一切の援助から手を引き制裁することを宣言した。こうして表面上は虐殺を受ける側に立つかのように取り繕う。しかしアメリカの中東外交はイスラエル抜きでは語れない。アメリカがエジプト軍に資金と兵器を流さないことはイスラエルを中東で丸裸にすることに近いのである。ではどうやってイスラエルを納得させたか。

アメリカが停止した援助は我々が埋め合わせる、と、エジプト軍を勇気付けるサウジアラビア王家。イスラエル・米・サウジ・エジプト軍がそう合意した上での制裁宣言だった。サウジを含む湾岸諸国の殆どは欧米追従型の世俗主義政権である。彼らにとって同胞団の台頭は甘い石油を貪ることを阻害されかねないために何より恐ろしい。その湾岸諸国を使い石油価格を操る欧米としては同砲団にその基盤をひっくり返させるわけにはいかない。この好機に同胞団をあぶり出し、駆除したいのである。

エジプトではムスリム同胞団の幹部たちが次々に捕らえられている。
若く血気盛んな者たちに忍耐を教え、神の言葉を咀嚼して説くことのできる老練の指導者が最も必要なこのときに彼らは軍によって獄中に送られる。
そのかわりに獄中から舞い戻ったのは無期懲役で服役していたムバラクである。今後は自宅で軟禁されるという。

世界のメディアがいかに同胞団をテロ組織呼ばわりしようとそうでないものは仕方がない。彼らの真の目的は教徒として生き、教徒として死ぬことである。そして神のほかには誰にも服従しないという教義を守るためには命を顧みずに戦う。
傀儡政権によって信仰を妨げられることに反抗したこの市民たちを「民主化を求めて立ち上がった」と勝手に定義したのはじつは西洋人である。


シリアでも昔からムスリム同胞団が政治組織として活躍していた。そして悲劇は国民のほとんどがスンニ派イスラム教徒であるこの国で、シーア派であった軍人ハーフィズ・アサドが欧米の支援でクーデターを起こして政権を乗っ取ったことで起こった。スンニ派の同砲団と市民は政府から激しい弾圧を受けることになった。そして1982年、「ハマの大虐殺」が起こる。非武装の市民が政府軍の爆撃に遭い、地下に避難した市民は毒ガスによって殺害、その数は三万人を超える。シリアにおいてこの大虐殺に触れることは投獄を意味している。

そしていま泥沼の内戦にあえぐシリアでは、息子のバシャール・アサド政権と、それに反抗する勢力が攻防を繰り返している。

反政府勢力はひとつではなく、いくつもの勢力がゲリラ的に戦いを続けていることは「いったい誰が悪いのか」を見えにくくしている。


父から大統領を継承したバシャール・アサドは引き続きスンニ派の国民を迫害し続けた。
ハマの大虐殺以後もムスリム同胞団は地下活動を続けアサドを政権から追う好機をうかがい続けていた。そしてエジプトから飛び火したアラブの春に乗じて反政府デモを開始したが政府軍の激しい制圧はデモを内戦に発展させた。
シリア軍から離反した軍人たちが「自由シリア軍」を結成し反政府戦闘勢力の中心的存在となる。
シリア北部に勢力を持つクルド人武装部隊も反政府側に組みしているが、圧政に対して戦う集団とは目的が違い彼らは「国土」を求めている(旗をたてれば建国できると思っている)。
そのほか金で雇われた寄せ集めのアルカイダとヒズボッラー(いずれも擬似イスラム武装集団)が目的もなく暴れている。その雇い主もまた欧米である。
アサド政権を非難しこの反政府組織に資金協力をするのは欧米である。
それに対しアサド側に資金を貸し付け武器を売るのはロシアである。
これだけの流血惨事を前にして、指一本動かそうとしないのが国連である。


いったい誰と誰と誰が悪いのか。


アメリカはアサド政権に対し「化学兵器の使用が(侵攻の)限界線である」とかねてから宣言していた。しかし去年から化学兵器が使用されたとの噂が流れていたが調査する権限のある唯一の組織である国連は何の調査も行わなかった。
今月にはいりエジプトの情勢がますます悪化するのと同時にシリアの戦火は激しさを増した。そして今週明けに国連の調査団がシリアに入り化学兵器の使用があったかどうかの調査がようやく行われ始めた。


その矢先である。
21日未明ダマスカス近郊の数箇所で、サリンと思われる化学兵器が使用された。正式でない発表によれば死者は1300人を超える。苦しみながら命を落とした罪なき市民の、その大半は子供だった。


アサド政権は化学兵器の使用を否定した。
ロシアは反政府勢力のプロパガンダだとして支援していたアサドを庇った。
国連は直ちに事の真相を明らかにするよう委員会を立ち上げる意向を明らかにした。
アメリカは「限界線を超えた」と指摘、反政府勢力に更なる資金援助をすると発言。
イギリスはアサドを非難。
フランスは「軍事介入」と即座に言った。
イスラエルはアサド政権が化学兵器を使用したことを諜報部が確認したと発表。


国連調査団がシリア国内で活動中の今なぜ化学兵器を使ったか、これは解せない。
アメリカが以前から化学兵器の使用を侵攻の前提のような言い方をしており、イスラエル諜報部がその使用を告発し、それにフランスが呼応するかのように侵攻を叫んだ、これも解せない。
なにより今まで何もしなかった国連が重い腰を持ち上げて調査団を送った時点と化学兵器が使用された時点の一致、これが一番解せない。

そして気が遠くなるほど恐ろしいのは、化学兵器を使ったのは誰であったかを「認定」するのは国連なのである。



冒頭の、民主主義とは投票結果ではなく社会的価値観だという戦争屋の主張をぜひもう一度読んでいただきたい。その価値観とやらの中には非西洋人社会のそれは含まれていない。まさにこれが民主主義の産みの親たちが掲げた思想である。
この世で親子が死に別れたり、一家が消えてしまったり、町中、村中、国中が焼かれたり、国が孤児たちをゴロツキに育てたり、そして同国人を殴り、襲い、血を流して内戦へと引きずり込む地獄絵の背景にはこの吐き気のするような戦争屋の理屈があることを知っていただきたい。
そしてこれはイスラエルという特殊な国での理屈ではなく世界の主導権を握って離さない欧米と、国連という決して和平のためになど機能しない巨大組織で共有する思想であることを、ゆめゆめ忘れないでいただきたい。

スノーデンなんかにかまっている場合ではない

青白いヲタク青年がやたらとメディアに露出しているのが引っかかっていた。出すぎである。アメリカにとって本当に都合が悪いことであれば隠蔽できる類の事件であろう、もう彼の存在の目的が見えてきたような気がする。あくまで予測でしかないため短い記事にしておこうと思う。


「のぞき趣味」をすっぱ抜かれた合衆国政府はまっつぁおになり捜査に乗り出す。が、そのころにはスノーデンは香港に逃れていた。彼はNSAのプリズム計画(監視・盗聴システム)が存在することとその手口を告発、NSAから持ち出した機密情報を複製して多数の新聞社に送付し、危害が加えられることがあればその情報を公開するとそして身の安全を図った。
スノーデンはプリズム計画を告発した時点で合衆国政府からパスポートを失効させられている筈であり、そうなれば香港当局に身柄を拘束されアメリカに強制送還されなければならない。なのになぜか香港から出国できた。行き先はロシアだった。

合衆国政府はスノーデンの引渡しをロシア側に要請するが、両国間には犯罪者の引渡しに関する取り決めがないため交渉は平行線をたどる。プーチン大統領は「おいでやすモスクワへ」とも言えないのですぐには入国を認めなかった。その間スノーデンは空港内(ここはロシア国内でないためロシアの法律が及ばないとされる。もちろん外交上の言い訳でしかないが)にとどまり、同じく空港内のロシア外務省出先機関から各国政府に対し亡命の申請をしていた。また人権団体との面会も頻繁に行われていた。

結局ロシアが一年を期限とした亡命を受け入れた。

国家機密の国外持ち出しはどこの国でも最高刑に値する重罪である。アメリカはロシアの犯罪者保護を激しく非難した。しかしその国家機密というのが「国家的のぞきシステム」であったというのが笑うに笑えない。諜報機関がある国ならばどこでもやっていることと主張するオバマには悪びれた様子もない。さて、各国はこれをどう評価しているか。

盗聴の対象にされたのは一般人の個人情報から大学、ひいては各国大使館に及ぶ。各国政府は一様に不快感の声をあげた。しかしその程度である。その筈、冷戦時代から大使館の盗聴などは日常茶飯事であり、KGBとCIAは言うなれば盗聴の家元であった。時代が変わってコンピューター化したために情報の量と速度が増しただけのことであり、NSAの収集したような情報は世界中で共有され使い回される。どの国も文句を言う筋合いでない。

事件は一般人の興味を引いてはいるがその反応は鈍い。個人情報を盗まれていることに対する危惧よりも事件のドラマ性に惹かれて興味本位で成り行きを眺めているといっていい。おそらくこの手の情報収集が行われているであろうことは一般人でも多かれ少なかれ予感していたことで、やや不感症に陥っているのかもしれない。メールの内容や個人情報が盗まれているのではないか、それによる脅迫がこの先おこるのではないか、そんなことは普通にささやかれていた。そして、

「後ろめたいことをしていなければ恐れることはない」

多くの人がそう結論付けている。
強請られるようなことをしなければよい、たしかにそうだがそこでは終わらない。指紋や声紋や筆跡を利用したり、データを改竄した冤罪がいくらでも可能になる。犯罪現場に政府にとって煙たい人間の指紋を人工的に残すことなど朝飯前になる。これはやや極論めいているとしても「データ」の過信が覆すことのできない冤罪を生む可能性はおおきい。

それでも多くの一般市民に直接降りかかる災難というよりは反政府的な発言を繰り返す文筆家や一部の政治家が危惧することであろう、やはり普通に暮らす善良な小市民には縁遠い話である。だからこのスノーデン事件をスパイ映画を観る感覚で眺めていられる。





この事件をいつものヤラセ・アメリカーナだったと仮定する。
大使館をはじめ一般人の個人情報までが公然と盗まれている、そんな事実が公になったとしてもアメリカは痛くもかゆくもない。実はこうして告発されて明るみに出ることで、世界中に盗聴を「承諾」させることができる。既成事実による事後承諾である。それが意味するのはすなわち「あなたは監視されてますよ」という暗示である。

監視を受けていることを潜在的に意識することで人々は政府批判、政治談議、そういったものから無意識に遠ざかるだろう、沈黙を余儀なくされる。政府に従順な国民をそだて、その枠の中で民主主義とやらを展開させればいいことになる。楽だ。

そして親たちは政治から目を背け、ただでさえメディアが垂れ流す娯楽に骨を抜かれたその子供たちは一切政治に触れずに成長することになる。今の子供たちが成人する頃には世の中から政治の話をするものが絶滅することになる。これが第一の目的であろう。



スノーデンは香港から出国できたというだけでも十分におかしいが香港は完全に中国とは言い切れない地帯である。100年もの英国支配を受けた土地は返還の一言でその影響が一蹴されるようなことはない。国家機密を持ち出したとされるスノーデンは女王陛下のスカートの中にかくれた。盗聴されて困るようなことが何もない中国政府は「しらんかお」を通し目をつぶり、英国情報部との細かい調整を終えたスノーデンはモスクワ・シェレメチヴォ空港へと発った。

英国とアメリカは別の国はあるが親子関係にある。本店と支店の関係ともいえる。

スノーデンのもつ情報がはたしてロシアに有益なのか、ゴミ屑同然かもしれない。そしてスノーデンを受け入れることで米から批判を受けるのと米露関係が傷つくのは明らかである。しかしロシア行きは最初から決まっていた。なぜか。

この事件を受けてオバマは九月に予定されていた訪露を一方的に中止した。メドヴェーシェフ時代に氷解に向けて動いていた米露関係はプーチンの再就任により逆戻りしたように見える。

W・ブッシュ時代の外務大臣であり現在は大学で教鞭をとるゴンドリーサ・ライスはCBSの番組に出演しオバマの訪露中止を支持する発言をした。「ロシアによるスノーデン亡命受け入れはアメリカの顔に食らわせた平手打ちだ」、そして「米露関係は冷戦時代に逆戻りしたとは言わないまでも恐ろしいものとなった」と言った。

ここにきて「冷戦」の言葉をちらつかせている。
第二の目的がこれである。冷戦状態はアメリカにとってもロシアにとっても都合がいい。大統領の支持率は上がり、武器弾薬がよく売れる。



そして第三の目的は中東問題の長期化である。
九月に予定されていたプーチン・オバマ会談では長引くシリア問題の解決が重要な議題とされていた。表向きは内戦という触れ込みのシリア問題もアサドを利用したロシアと欧米の代理戦争である。双方ともまだ停戦する気がないためわざと仲たがいして見せることで和平協調の席に敢えて着かないのである(イラン系サイトのアサドを支持する記事を鵜呑みにするとロシアが正義の味方に見えてしまうので注意が必要である。普通どの国も自国の利益のためにしか動きはしない)。




当ブログに中東事情を綴るのは単なる興味や暇つぶしではない。ましてや無責任な正義感からでもない。中東で常に非道をはたらく影の勢力と、わが日本人が憧れて止まず生き方や思想の手本としている国々は同一であることを申し上げたいのである。そのようなことは判りきっているとおっしゃる方々には、ではなぜそれに甘んじて生きてゆかねばならないのかをお尋ねするためである。
わが国は知らぬうちにその非道に加担していることも、いずれ同じ非道を行うであろうことも逆に同じ非道を受けるであろうことも目に見えている。中東の戦火は対岸の火事ではない。
日本には日本の先祖が残した知恵と生き方がある。近代の訪れとともにその全てを「非合理」と見なしかなぐり捨てて、西欧に学び西欧を真似て生きてきた150年間の負債をいま突きつけられている。このまま非道に迎合し続けるか、踵を返すかを日本人がその胸に問いただす時は今である。


エジプトでは敬虔なイスラム教徒でありムルシー大統領を支持する非武装の市民が軍のクーデターの餌食になり、13日から続いたなりふり構わぬ虐殺で600人以上の命が失われた。黒幕でありながらこの恐ろしい殺人劇に気づかぬ振りをしてきたアメリカはここに来てようやく流血を非難、アメリカに続いて西欧諸国と国連も似たような声を上げた。西欧には非難に必要な死者数というものがあるらしい、さすがは数量でしか物事を判断しない民主主義の信望者である。しかし軍と市民のどちらを非難しているのかまったく不明瞭なゆるい発言であった。エジプトにはコプトと呼ばれるキリスト教徒が生活しており、その宗教活動のための教会も多数ある。その教会が放火による被害を受けていることをオバマは軍部に反抗するイスラム教市民の仕業と発言しているが明らかな虚偽である。なぜならたとえ異教徒のものであろうと聖域は聖域、決して侵してはならないという教義がイスラームにはある。なによりも無抵抗で凶弾に倒れることを選んだ市民は蛮行など働けない。

アメリカとイスラエルも親子である。イスラエルと国境を接するシナイ半島では混乱に乗じてイスラエル軍が侵入し市民に危害を加えている。ここでも馬鹿息子に火事場泥棒をさせている。
ムルシー支持派の市民を軍に殲滅させ、その軍事政権はこのまま世界世論に抹殺させてエジプトの全土、あるいは一部をイスラエルの手に委ねようとしているのかも知れない。そしてパレスチナを完全に孤立させることを目論んでいるのかも知れない。



イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、ソマリア、紅海をはさんでイエメン、いま非道が進行している地域である。この地域を人の近づけぬ地獄にしてしまいたいのである。なぜか、石油目当てというだけではない。
ここはユダヤ教・キリスト教の初期の教徒たちが流浪した土地である。ローマ教会とシオニストたちが歪曲する前の純粋な教義を記した、教義とともに生きて死んだ教徒たちの魂を刻んだ紙片が、羊皮が、木片が、石碑が石油の如く埋もれている土地である。宗教を大義名分に世界地図を作り上げた欧米が知られて本当に困ることはこの地に昏々と眠る。スパイが持ち出した情報などは紙屑にも及ばない。




スノーデン事件。アメリカがとっつきやすいスパイ劇をメディアにばら撒いたという予測とその理由に関する覚書きとして読んでいただければ幸いである。

ただし理由とした部分は予測などではない。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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