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「独立遊戯」  戦争の序曲

その前夜

地域が国家からの離反を求めれば国家は当然それを阻止すべく軍事力を行使する。地域が蜂起してそれに抵抗すれば内戦がはじまる。ゲリラまがいの蜂起軍が政府軍に適うわけなどない。普通ならば程なく制圧がなされ反政府行動の罪を問われた首謀者たちが検挙されて事は終結する。しかし反政府勢力に武器と資金を与える別の勢力が存在すれば話はがらりと変わる。残念なことに実はこちらのほうが普通である。

過去、欧米列強が少数民族に対し独立の二文字をちらつかせ民族意識に火の粉をかけることで二つの大戦がおこされた。無論それには地域ごとに周到なる準備を整えてこそ成立したのである。
第一次世界大戦が主に何を目的としておこされたか、それは十字軍の時代から欧州の脅威であったオスマントルコ帝国を殲滅することにあった。北アフリカ・バルカン・東欧・黒海沿岸・紅海沿岸・湾岸・中東・コーカサスにまたがる広大な帝国版図には石油が唸る。この地域をピザのように割譲し、独立傀儡国家を誕生させてその資源、その労働力、その利権を搾取することは欧米列強の産業発展には不可欠と考えられた。帝国内各地に定住する民族を刺激して帝国からの離脱・独立気運を高め、武器弾薬を供給して内戦をあおり帝国を内側から蝕んだ。外からは列強が絶え間なく干渉を繰り返し露土戦争以降のオスマン帝国は衰退の一途を辿る。こうした背景のもと第一次大戦に参戦しドイツと共に破れあわや国家喪失となる段、青年将校ケマル・アタテュルクが唐突にあらわれ英国軍を駆逐して独立国を新たに樹立した。オスマントルコ帝国に変わって誕生したトルコ共和国は欧米に奉仕する道を歩むこととなる。
            OSMAN-JAPAN.jpg
         オスマントルコ帝国最大版図(1800年頃)と大東亜共栄圏  

そして第二次大戦が意図したところは、植民地の直接支配から傀儡国家の間接支配への移行である。具体的には欧米の植民地であったアジア全土を日本に奪われたふりを装いその後に日本もろとも叩き潰し、各地域に名目上の独立を認めた後も植民地時代とさしてかわらぬ傀儡国家として維持させることに成功、環太平洋の経済圏は全て英米に奉仕するよう建設された。また「ドイツの狂人」の愚行を口実に国家イスラエルを誕生させるのもこの大戦の重要な意図であった。戦争の金庫番であるユダヤ金融組織にかねてからの約束を果たし、さらに中東の戦火が一日とて消えることのないようその担保としてイスラエルは建国された。

維新後着々と太らされて有頂天にあった日本が更なるアジア攻略の一環として、かつ連合軍の行動力を削ぐために米・英・蘭・仏領のアジア諸国の独立運動を支援、運動家たちに軍事訓練を施して宗主国に対し蜂起させるという戦略をとった。しかし所詮はアラビアのロレンスの猿真似かあるいは敵国情報部の入れ知恵でしかなく、日本の敗戦と共に反逆罪で検挙されたアジア諸国の独立運動家たちは結果として「あぶりだし」を受けたことになる。これはアジア各国の独立の際に宗主国側にさらに有利な傀儡政権が置かれる事に寄与するのみとなった。
前号の記事をぜひ参照していただきたい。

まず植民地の独立を煽って運動家たちを狩り、変わって自らの息のかかった新指導者を送り込み傀儡政権を打ち立てるというこの戦略は英国が得意とするものである。近年ではアラブの春と銘打った中東クーデター症候群が世界を騒がせたが、手法と経過は違えどそのどれも基本構造は変わらない。

英国流外交戦略

現在もシリアとイラクでは戦闘が絶えない。ここでは当初から純粋な蜂起軍と国防軍の衝突とは次元の異なる、複数のテロ組織と海外正規軍が混戦する国際戦争が繰り広げられる。これを内戦と呼ぶのは元より正しくない。

アラビア半島からこの地域にかけてはアラビアのロレンスがラクダに跨り駆けずり回った砂漠地帯である。彼は実在した英国情報部員であり、この広大な砂漠に分散した諸々の部族の共同体意識に火を放ち、オスマン帝国に反旗を翻させるのが彼の任務であった。                                       
             ロレンス
                  ロレンス

現在のシリア、イラク、レバノン、ヨルダン、パレスチナそしてイスラエルは第一次大戦後にオスマン帝国からもぎ取った土地を英仏が自らの都合で勝手に分割して誕生させた国々である。ロレンスは師とも呼べる女性ゲートルード・ベルとともに地域の情報をほじくり返し、アラブ独立を口実にした戦略地図を作成し数年後にそれは現実の国境として発効する。しかしそれは英国の利益のみを追求したものであるため地域の歴史とも信仰とも民族とも、この国境線、いや境界線は全く噛み合わない。それが今に続く混乱と流血の原因になったことは多くの識者が指摘するもののそれを「英国流二枚舌外交」と賞賛するばかりで批判の声はあがらない。あげられない。この中東線引き活動の仕上げがイスラエル建国であるからして、英国戦略批判はイスラエルの否定に繋がるからである。ロレンスとベルは英国では今も英雄・女傑とされている。
          ベル-ロレンス
                砂漠の詐欺師

「ほらふき」ロレンスは大英帝国の名の下にアラブの部族たちに独立国の建国を囁く。そしてオスマン帝国から任命されたメッカ宰相フセインに近寄り独立の援助とヒジャース王の座を約束する(情報部員でしかない彼にその権限はない)。フセインはアラブ人たちを束ねて反乱軍を組織しダマスカス(現シリア首都)を陥落、そこを首都とするヒジャース王国(アラビア半島紅海沿岸地帯)を打ち立て独立を宣言した。が、英仏は申し合わせた上で独立を拒否した。怒り心頭のフセインはアラビア半島をヒジャース王国として維持、子のファイサルが残りの地域を以って大シリア王国とし王位を宣言、またファイサルの弟アブドゥッラーが今のイラクとなる地域でイラク王国を宣言する。しかし仏軍のダマスカス攻撃によりファイサルはシリアを追われ、後にイギリスの取り成しでイラク王となる。イラクから押し出されたアブドゥッラーは今のヨルダンを与えられる。
          フセイン
             ヒジャース王フセイン     
                           
傀儡王 
   次期ヒジャース王アリ  ヨルダン王アブドゥッラー  イラク王ファイサル

独立遊戯はまだ終わらない。英国はオスマン帝国の終焉と共に主を失った「カリフ=神の代理人」の座を指差し、父フセインを誘惑した。イスラム世界のその頂点に立つことを打診されたフセインは両手をあげて承諾、王位を長男アリーに譲りカリフを宣言する。するとアラビア半島は蜂の巣をつついたかの如く反乱の嵐となった。そしてフセインはまもなく敗走、替わって王位についたのは現サウジアラビア初代国王、そして現国王の父であるサウード家のアブドゥルアジズである。サウジ王室の米へのいじらしいまでの献身は今も続いている。
          abdulaziz
           初代サウジアラビア国王アブドゥルアジズ

19世紀半ばにはオスマン帝国から自治権を得ての半独立を果たしていたエジプトが完全なる独立を模索する中、アフリカ進出を目論む英仏の利益がそれに重なりエジプトと列強の関係が強まった。まず仏の援助でスエズ運河が建設される。そしてエジプトは資金難とかさむ外債から運河株の売却を決めると、英はロスチャイルド家から融資を得てその買収に成功、それによりエジプトは更なる経済難に陥り完全に英仏の管理下に置かれた。これは偶然でも必然でもない英仏の計画であった。

現在イスラエルと呼ばれる地は一神教の共通の聖地であるエルサレムを内包するため、昔からイスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が着かず離れずに共存していた。その均衡を突き崩し戦火の火種として利用することはユダヤ武器商人たちの目論むところであり、母国を建国する足がかりとしてこの地を手に入れるのも「亡国の民」を称するシオニストたちの望むところであり、第一次世界大戦の運営に必要な資金をユダヤ資本家から搾り取るのも英国の得意とするところであった。英国はロスチャイルド家による莫大な資金援助の見返りとしてパレスチナの地にユダヤ人の国の建国を約束する。その後はパレスチナへのユダヤ人入植が相次ぎイスラム教徒との間の緊張が急激に高まって行く。
palestina
            増長するイスラエルと狭まりゆくパレスチナの地

ファイサルが追われたシリアは仏が植民地として直接支配した。仏はこの地に古くから住むマロン派キリスト教徒たちを保護するという口実で地中海に面した地域をレバノンとして分離独立させた。しかしユダヤ人入植とともに土地を失ったパレスチナ人が難民として流入するとまたしてもここで異教徒間対立が生まれ、常に一触即発の状態が今も続き、複雑な民族構成と機能しない政府を背景にレバノンはテロリスト牧場の様相を呈している。

こうしてひとつづつ、手ずから地雷を埋めるが如き周到さを以って禍いの種を撒くのであった。

米国流テロ戦略

第二次大戦を待たずに社会共産主義が産声をあげた。それは破竹の勢いで成長しロシア帝国を飲み込むと共産の城砦としてソビエト連邦が築かれた。植民地支配に苦しむ中東および北アフリカのイスラム諸国は英仏そして伊に対抗するための解決策としてソ連との接近を試む。地中海、そして太平洋への回廊が欲しいソ連にとってもこれらの国に対し影響力を持つことにやぶさかでない。独立運動家たちがソ連に招かれ軍事訓練とイデオロギー教育を受けると、第二次大戦後には中東・北アフリカ地域では次々と革命が起きいずれも社会主義的思想を掲げる軍事政権が発足する。畢竟、宗教を麻薬とするマルクスの考えはイスラームと相容れず不協和音を呼んだ。ソ連に従順な各国の軍事政権がイスラームからの離脱を推進したため国家の高官や公務員は世俗主義層に斡旋されることになり、信仰に重きを置いた層はその流れに完全に取り残され貧困と弾圧に苦しめられた。この構造が将来にもたらしたの、それがいわゆる「イスラム過激派」である。こうした波にすかさず付け入ったのはかつての英国の舎弟、今は仇敵となりつつある米国であった。

社会主義化だけではない。欧米から支援を受けたキリスト教層が優遇されたレバノンでも、欧米依存型の王政が国家を占有したパーレヴィー王朝イランやイラク王国、イスラエルに蹂躙を受け続けるパレスチナでも同じ弾圧がおこった。要はイスラム教徒たちを窮地に立たせさえすればすぐさま欧米の利益になるという戦略方程式がこの頃までに成立した。

不公平な境遇に不満を募らせた若者に金と武器を与える。あらかじめ用意しておいた似非イスラム指導者が神の名の下にあらゆる破壊を聖戦と見なす「手製の教義」をふりかざし殉教を呼びかける。そうすれば一夜にしてテロ組織が成立する(ターリバーン、アルカイダ、ダーイシュ、ヒズボッラー他)。あるいは真に自衛のために立ち上がった組織をも内側から蝕み分裂、吸収のすえ過ちを犯させる(アルシャハブ、ヌスラ戦線他)。米国はこうした戦略研究に国家資金で取り組み、CIAやペンタゴンという国家組織をしてその実現を図る。この方策は自らの手を汚すことなく、正規軍を動かすよりもはるかに安価に、国際人道法に縛りを受けない残忍な手立てを用い、そしてイスラム教徒を血塗りの狂信者として発信しつつ他国を内側から破壊することができる。そして介入、さらに侵攻。アフガニスタン、ソマリア、シリア、レバノン、イラク、イエメンその他、無政府状態あるいは傀儡政権を維持しつつ次の戦略のための足がかりとして管理されている。

シリアのハフィーズ・アサド前大統領(現大統領の父親)は完全な「ソ連製」シリア軍人であった。冷戦時代は反欧米、反イスラエルの立場を明確に打ち出しソ連に貢献することでその保護を受けた。世俗化政策を急進し国内では絶対多数勢力であるスンニ派ムスリムを徹底的に迫害し化学兵器による大虐殺をも行った独裁者である(1982年ハマの大虐殺、死者4万人)。逆に自らの宗派であるシーア・アラウィー派ムスリムを国家のあらゆる場で優遇した(アラウィー派は一部を除けば信仰心の薄い集団である)。それを世襲した息子の>べシャル・アサドは英国帰国子女の妻を娶るなど親西欧的な印象を与えようとはしたものの父親同様のロシアの飼い犬で、自国民への弾圧と強権ぶりは父親以上であった。
     アサド父子
                  アサド父子

もはや冷戦が虚構であったのは人々の知るところとなった。犬猿の仲と見せかけて裏では互いの権利を侵さぬよう取り決めが為されている。歴史的にみても米露は一度も戦っていない。今、米と露がシリアを取り合っているように見えるがそれもまやかしに過ぎず、最終的には「山分け」またはそれに相応する取引が為される。

現アサド政権はアラブの春では倒れなかった。アサド背後に立つ露とイランがアサドを倒そうとする民兵(自由シリア軍)を相手に援護射撃をおこない、それに米軍とNATO軍が応戦したため事態は泥沼化した。もちろんシリアを混迷させることで新しい機軸を構築するための米と露の茶番である。隣のイラクから泥沼を泳いでやってきたISIS(ダーイシュ)が突然シリアとイラクの真ん中に建国を宣言した。ISISはもとより米英によるイラク侵攻(2003~2011)に抵抗するためにイラク・アルカイダとして成立したアルカイダ傘下の組織であった。主に欧米資本の油田の占拠や関連施設の破壊に携わり、その後周辺の小規模なスンニ派テロ組織群を吸収してシーア派ムスリムの生活圏や宗教施設を中心に破壊活動を続け2006年に「イラク・イスラム国=ISI」の建国を宣言、それがシリアに拡大して「イラク・シリア・イスラム国=ISIS」となった。

ただのゴロツキ集団が国際テロ集団にまで成長するのには武器と資金と訓練の援助が不可欠であり、それ以上前にテロ組織に加わるだけの貧しい、無学の、不幸な、そして怒りと恨みを募らせた若者たちがあふれるような土壌が用意さがれていなければならない。またその存在を世界に知らしめる必要がある。欧米がサウジの御用メディアであるアル・ジャジーラを用いてISISを世界に露出し、日本人を犠牲にしてまでその残虐さを宣伝した。全てのテロは大国の産物である。
ISIS或いはその前身に敢えてシーア派を攻撃「させた」ことでイラン(とロシア)の敵役を演じさせた。となればスンニ派を標的に活動するシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(民衆の力)が「自然」に発生したのも、イラン最高指導者のハメネイ師が彼らに公然と軍事訓練を含む大支援を行なったのもまた「自然」であるが、彼らの手にあるのは何故か(やっぱり)米軍が支給した武器である。

ISISの存在は同時に「新たな役者」を登場させることが可能になった。その役者とはクルド人たちである。

クルド・テロ回廊

クルドの民族性なるものは我々日本人からするとかなり理解しにくい筈だ。物質よりも精神の結びつきを重んじる、痩せてはいるが強靭な体をもつ働き者で、冗談が好きな概して「いい人」たちである。しかし怒らせると手がつけられない。恨みあう同士が急に仲良くなることもその逆もある(忘れっぽい)。民主主義などには全く興味も期待も持たず「アー(首長、族長)」の一言が全てを左右するという古風な共同体意識を持つ。狡猾な欧米人たちから見れば彼らの利用価値は非常に高い。欧米は70年代からシリア・イラク・トルコ国境付近に点在するクルド民族の耳に「クルディスタン建国」を囁き、アーたちの統率する小集団を束ねた武装組織PKKを結成させ、トルコ国内のクルド民族をも扇動してトルコをテロの脅威にさらし続けた。

90年代の終盤、シリアのアサド(父)政権がトルコ戦略のために保護していたPKKは両国の緊張を和らげるために一時解散させられ、直後にクルド人政党PYDとその配下の武装勢力YPGとして再編する。つまりYPGとはPKKそのものである。地域から誘拐した少年少女を兵士に仕立て盾に使うPKK同様の卑劣な戦法を使う。思想的には社会共産主義を打ち立てておりイスラム色は希薄である(イスラム以前の宗教であるゾロアスター教の影響が強い)。2013年以降ISISが地域で台頭するとその排除を名目に米がYPGに武器を供給し破壊活動を拡大する。
米軍が蹴散らせないテロ組織を他のテロ組織に退治させる、そんなでたらめが通じるとでも思っているのだろうか、しかし米政府はYPGを対ISIS戦略に貢献する「よいテロリスト」と認定し援助しており各国政府もメディアも腑抜けのように同調している。
米軍からYPGに支給された武器弾薬(トラック3500台分、トラックあたりYPG三人)はPKKに行き渡りトルコ国内での破壊活動に使用される。YPGの持つ本当の意味はPKKと同様に、トルコの東部国境地帯にクルド系「テロ回廊」を築いてトルコ以東中国まで繋がる経済圏から絶縁することにある。鳴り物入りで登場し世界を恐怖させたISISとはYPGの存在意義を長期にわたり保証するために敢えて作られた組織であった。
    YPG-ISIS
         黄色の地帯がYPG/PKKによる「テロの回廊」

そんなことをされては堪らないのがトルコである。アタテュルク改革以降80年、世俗化政策を徹底し欧米に貢いできたこの国はその舵を大きく変えていた。属国的な立場からの脱却を標榜し改革を続けるトルコに対し欧米はそれを阻まんとするテロ、経済封鎖、外交圧力、クーデター、虚偽報道などあらゆる攻撃を仕掛けており、それはこの先も続く。それに堪えるためには国内産業と資源供給の安定が必須であるため国境のすぐ外側がテロの温床という現状は何が何でも打開せねばならない。

イラク受難 「一人のサダムを殺したら100人のサダムがやってきた」

米によってサダム・フセインが血祭りにあげられたあとのイラクは無政府状態に近く、米英が打ち立てた形ばかりの傀儡政府は北イラクを制御できずクルド・イラク自治政府を認めざるを得なかった。またイラク中央部はシリア国境をはさんでISISが居座り続け首都バグダードに漸近し、イラク政府の勢力範囲は残りの南部のみとなる。北イラクはトルコと国境を接しておりトルコ国民と親戚関係にあるクルド人たちも多く住む。またオスマン帝国時代の臣民であったトルクメン人もこの地域で生活し続けているため地域の経済安定と治安維持を促す責任がトルコにあった。長期的なテロ土壌の解消に向けて北イラクに多額の援助を行いインフラを整備、民兵ペシュメルガにも協力をするなど、クルド人地帯を味方につけPKKから遠ざける努力を続けた。しかしクルド・イラク自治政府バルザーニ議長は米にクルディスタン建国を焚き付けられて舞い上がり、独立の是非を問う市民投票を決行する。

北イラク独立の選挙運動の風景、そこに意外な旗印があった。最近妙におとなしい、あたかもパレスチナに理不尽を働くほかは興味がないかのように振舞う狂犬。クルド独立を叫び、民族結集を喚くバルザーニの集会にはユーフラテス河、ナイル川、そしてダビデの六芒星を模したあの布切れがひるがえる。イスラエルである。
    ISRAEL
              イスラエルの威を借るクルド人

大イスラエル

産業基盤を持たない集団が民族という括りだけで独立する可能性はない。あったとしても吸血鬼のような大国に吸い尽くされるのが関の山、しかしクルド市民の答えは「独立」支持であった。絶頂のバルザーニをよそにイラク政府は国防軍に加えてシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(イラン過激派でありながらイラク国防軍に編入)を北イラクに投入、クルド兵ペシュメルガは戦わずして逃走、独立遊戯に弄ばれたバルザーニは議長を退任した。北イラクのクルド人たちはリーダーを失った。しかし油をそそがれ燃え上がった独立の炎はもう鎮められない。クルド人の闘争への渇望に付け入ったYPG(PKK)がシリアから勢力を拡大し北イラクを掌握、現在トルコで投獄されているPKKの首領の大看板を担ぎ出しクルディスタン建国を鼓舞する。このペンタゴンによる戦略は現在までにほぼ完了した。

世に言う、いわゆる大イスラエル構想である。米の一言でISISがユーフラテス河流域のこの地域はをYPG(PKK)に明け渡せば事実上クルド人の土地となる。しかしクルディスタンとは名ばかりで米国に支援および管理される。欧米が謀ったクーデターに屈し完全に手足を縛られたエジプトはナイル河より東をイスラエルに委ねた。建国以来の無抵抗主義国ヨルダンはイスラエルに従属する。その他の条件がそろったその時、この地域に「大イスラエル」を宣言する、そういう事だろう。

同じ手に騙され続ける人類

本稿は大イスラエル構想をご紹介するためのものではない。近現代に横たわる大問題、世界が「独立」という同じ罠に100年以上も陥り続けていることを再考するためのものである。
第一次大戦後に引かれた中東地域の国境は地形も歴史も民族もすべて無視されたものであると前述したが、正しくは後に禍根を残すために敢えて「最悪」の形で分割した、と言い換えることができる。例えばクルド民族をトルコ・シリア・イラク・イランの四カ国に意図的に分断したのは、まず独立を餌に武器を取らせて地域に脅威を与え、そこへ「調停」と言いながら土足で踏み込み地下の資源ともども「管理」するためであった。コーカサスも、アフリカも、バルカンもかつて大東亜共栄圏と呼ばれたアジアの地域も第二次大戦後に同じように分割されたのである。ここで前号で綴ったロヒンギャ虐殺を思い出していただきたい。

第二次大戦前までは現在のパキスタン・インド・バングラディシュ・ミャンマーは英国領であった。ムスリムとヒンドゥー教徒と仏教徒が混在する地帯であったが英国はその独立を認める際、少数派が必ず多数派の中に残るよう工作を怠らなかった。イスラームが優勢なカシミール地方がイスラム国パキスタンではなく敢えてヒンドゥー国インドに帰属させられたことで印パは三度も戦争をおこしており現在もにらみ合いが続いている。
そしてミャンマー、かつてビルマと呼ばれた仏教国に取り残されたムスリムたち(ロヒンギャ族)は戦前から今日まで恐ろしい迫害を受け続ける。彼らの土地アラカン州をバングラディシュの国境内に敢えて含めなかったのは英国である。第二次大戦を連合軍側について戦った国には独立を認めると約束しておきながら、英国のために戦ったロヒンギャ族を独立はおろか異教徒のビルマの国境の中に封じ込め、仏僧たちに武器を与えて殺させた。畜生なり。

懸念ざれるのはロヒンギャのテロ化である。自衛組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ解放軍)が今後、アルカイダなどのテロ屋の手に堕ちると事態は最悪となる。ミャンマー政府は仏教徒による虐殺を治安維持行為と偽り問題の所在をロヒンギャ側にすり替える声明を出し続けており、どうも中東問題と同じ匂いがしてならない。かねてから待機させていたロヒンギャ問題を今になって激化させ、そこへテロの菌をばら撒いてアジア戦略の材料とする可能性はあまりにも高い。ただしロヒンギャの民は欧米の目算よりはるかに強く、気高い。
すでにインドネシアとフィリピンにはアルカイダの手が伸びている。フィリピンのカトリック教徒の保護を口実に欧米が派兵するとすればスペインである。昨今のカタルーニャ独立騒ぎで投資家撤退の酷い目にあっているあのスペインである。カタルーニャ州首相のプッチダモンは国家攪乱という任務を果たしてベルギーに逃亡、それもそのはず、ブリュッセルはシオニストたちの溜り場である。今後スペインはこの手の攻撃を恐れるあまり米主導の対アジア戦略に噛ませ犬として担ぎ出されるかもしれない。

中国包囲網建設を目的としたこのアジア戦略に日本は当然巻き込まれている。日本が虐待をうけてテロに手を染めることはなさそうだが逆に虐待を与える側に堕ちぶれかねない。国民が現政権の続投を願うなら、それも仕方なかろう。
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スノーデンなんかにかまっている場合ではない

青白いヲタク青年がやたらとメディアに露出しているのが引っかかっていた。出すぎである。アメリカにとって本当に都合が悪いことであれば隠蔽できる類の事件であろう、もう彼の存在の目的が見えてきたような気がする。あくまで予測でしかないため短い記事にしておこうと思う。


「のぞき趣味」をすっぱ抜かれた合衆国政府はまっつぁおになり捜査に乗り出す。が、そのころにはスノーデンは香港に逃れていた。彼はNSAのプリズム計画(監視・盗聴システム)が存在することとその手口を告発、NSAから持ち出した機密情報を複製して多数の新聞社に送付し、危害が加えられることがあればその情報を公開するとそして身の安全を図った。
スノーデンはプリズム計画を告発した時点で合衆国政府からパスポートを失効させられている筈であり、そうなれば香港当局に身柄を拘束されアメリカに強制送還されなければならない。なのになぜか香港から出国できた。行き先はロシアだった。

合衆国政府はスノーデンの引渡しをロシア側に要請するが、両国間には犯罪者の引渡しに関する取り決めがないため交渉は平行線をたどる。プーチン大統領は「おいでやすモスクワへ」とも言えないのですぐには入国を認めなかった。その間スノーデンは空港内(ここはロシア国内でないためロシアの法律が及ばないとされる。もちろん外交上の言い訳でしかないが)にとどまり、同じく空港内のロシア外務省出先機関から各国政府に対し亡命の申請をしていた。また人権団体との面会も頻繁に行われていた。

結局ロシアが一年を期限とした亡命を受け入れた。

国家機密の国外持ち出しはどこの国でも最高刑に値する重罪である。アメリカはロシアの犯罪者保護を激しく非難した。しかしその国家機密というのが「国家的のぞきシステム」であったというのが笑うに笑えない。諜報機関がある国ならばどこでもやっていることと主張するオバマには悪びれた様子もない。さて、各国はこれをどう評価しているか。

盗聴の対象にされたのは一般人の個人情報から大学、ひいては各国大使館に及ぶ。各国政府は一様に不快感の声をあげた。しかしその程度である。その筈、冷戦時代から大使館の盗聴などは日常茶飯事であり、KGBとCIAは言うなれば盗聴の家元であった。時代が変わってコンピューター化したために情報の量と速度が増しただけのことであり、NSAの収集したような情報は世界中で共有され使い回される。どの国も文句を言う筋合いでない。

事件は一般人の興味を引いてはいるがその反応は鈍い。個人情報を盗まれていることに対する危惧よりも事件のドラマ性に惹かれて興味本位で成り行きを眺めているといっていい。おそらくこの手の情報収集が行われているであろうことは一般人でも多かれ少なかれ予感していたことで、やや不感症に陥っているのかもしれない。メールの内容や個人情報が盗まれているのではないか、それによる脅迫がこの先おこるのではないか、そんなことは普通にささやかれていた。そして、

「後ろめたいことをしていなければ恐れることはない」

多くの人がそう結論付けている。
強請られるようなことをしなければよい、たしかにそうだがそこでは終わらない。指紋や声紋や筆跡を利用したり、データを改竄した冤罪がいくらでも可能になる。犯罪現場に政府にとって煙たい人間の指紋を人工的に残すことなど朝飯前になる。これはやや極論めいているとしても「データ」の過信が覆すことのできない冤罪を生む可能性はおおきい。

それでも多くの一般市民に直接降りかかる災難というよりは反政府的な発言を繰り返す文筆家や一部の政治家が危惧することであろう、やはり普通に暮らす善良な小市民には縁遠い話である。だからこのスノーデン事件をスパイ映画を観る感覚で眺めていられる。





この事件をいつものヤラセ・アメリカーナだったと仮定する。
大使館をはじめ一般人の個人情報までが公然と盗まれている、そんな事実が公になったとしてもアメリカは痛くもかゆくもない。実はこうして告発されて明るみに出ることで、世界中に盗聴を「承諾」させることができる。既成事実による事後承諾である。それが意味するのはすなわち「あなたは監視されてますよ」という暗示である。

監視を受けていることを潜在的に意識することで人々は政府批判、政治談議、そういったものから無意識に遠ざかるだろう、沈黙を余儀なくされる。政府に従順な国民をそだて、その枠の中で民主主義とやらを展開させればいいことになる。楽だ。

そして親たちは政治から目を背け、ただでさえメディアが垂れ流す娯楽に骨を抜かれたその子供たちは一切政治に触れずに成長することになる。今の子供たちが成人する頃には世の中から政治の話をするものが絶滅することになる。これが第一の目的であろう。



スノーデンは香港から出国できたというだけでも十分におかしいが香港は完全に中国とは言い切れない地帯である。100年もの英国支配を受けた土地は返還の一言でその影響が一蹴されるようなことはない。国家機密を持ち出したとされるスノーデンは女王陛下のスカートの中にかくれた。盗聴されて困るようなことが何もない中国政府は「しらんかお」を通し目をつぶり、英国情報部との細かい調整を終えたスノーデンはモスクワ・シェレメチヴォ空港へと発った。

英国とアメリカは別の国はあるが親子関係にある。本店と支店の関係ともいえる。

スノーデンのもつ情報がはたしてロシアに有益なのか、ゴミ屑同然かもしれない。そしてスノーデンを受け入れることで米から批判を受けるのと米露関係が傷つくのは明らかである。しかしロシア行きは最初から決まっていた。なぜか。

この事件を受けてオバマは九月に予定されていた訪露を一方的に中止した。メドヴェーシェフ時代に氷解に向けて動いていた米露関係はプーチンの再就任により逆戻りしたように見える。

W・ブッシュ時代の外務大臣であり現在は大学で教鞭をとるゴンドリーサ・ライスはCBSの番組に出演しオバマの訪露中止を支持する発言をした。「ロシアによるスノーデン亡命受け入れはアメリカの顔に食らわせた平手打ちだ」、そして「米露関係は冷戦時代に逆戻りしたとは言わないまでも恐ろしいものとなった」と言った。

ここにきて「冷戦」の言葉をちらつかせている。
第二の目的がこれである。冷戦状態はアメリカにとってもロシアにとっても都合がいい。大統領の支持率は上がり、武器弾薬がよく売れる。



そして第三の目的は中東問題の長期化である。
九月に予定されていたプーチン・オバマ会談では長引くシリア問題の解決が重要な議題とされていた。表向きは内戦という触れ込みのシリア問題もアサドを利用したロシアと欧米の代理戦争である。双方ともまだ停戦する気がないためわざと仲たがいして見せることで和平協調の席に敢えて着かないのである(イラン系サイトのアサドを支持する記事を鵜呑みにするとロシアが正義の味方に見えてしまうので注意が必要である。普通どの国も自国の利益のためにしか動きはしない)。




当ブログに中東事情を綴るのは単なる興味や暇つぶしではない。ましてや無責任な正義感からでもない。中東で常に非道をはたらく影の勢力と、わが日本人が憧れて止まず生き方や思想の手本としている国々は同一であることを申し上げたいのである。そのようなことは判りきっているとおっしゃる方々には、ではなぜそれに甘んじて生きてゆかねばならないのかをお尋ねするためである。
わが国は知らぬうちにその非道に加担していることも、いずれ同じ非道を行うであろうことも逆に同じ非道を受けるであろうことも目に見えている。中東の戦火は対岸の火事ではない。
日本には日本の先祖が残した知恵と生き方がある。近代の訪れとともにその全てを「非合理」と見なしかなぐり捨てて、西欧に学び西欧を真似て生きてきた150年間の負債をいま突きつけられている。このまま非道に迎合し続けるか、踵を返すかを日本人がその胸に問いただす時は今である。


エジプトでは敬虔なイスラム教徒でありムルシー大統領を支持する非武装の市民が軍のクーデターの餌食になり、13日から続いたなりふり構わぬ虐殺で600人以上の命が失われた。黒幕でありながらこの恐ろしい殺人劇に気づかぬ振りをしてきたアメリカはここに来てようやく流血を非難、アメリカに続いて西欧諸国と国連も似たような声を上げた。西欧には非難に必要な死者数というものがあるらしい、さすがは数量でしか物事を判断しない民主主義の信望者である。しかし軍と市民のどちらを非難しているのかまったく不明瞭なゆるい発言であった。エジプトにはコプトと呼ばれるキリスト教徒が生活しており、その宗教活動のための教会も多数ある。その教会が放火による被害を受けていることをオバマは軍部に反抗するイスラム教市民の仕業と発言しているが明らかな虚偽である。なぜならたとえ異教徒のものであろうと聖域は聖域、決して侵してはならないという教義がイスラームにはある。なによりも無抵抗で凶弾に倒れることを選んだ市民は蛮行など働けない。

アメリカとイスラエルも親子である。イスラエルと国境を接するシナイ半島では混乱に乗じてイスラエル軍が侵入し市民に危害を加えている。ここでも馬鹿息子に火事場泥棒をさせている。
ムルシー支持派の市民を軍に殲滅させ、その軍事政権はこのまま世界世論に抹殺させてエジプトの全土、あるいは一部をイスラエルの手に委ねようとしているのかも知れない。そしてパレスチナを完全に孤立させることを目論んでいるのかも知れない。



イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、ソマリア、紅海をはさんでイエメン、いま非道が進行している地域である。この地域を人の近づけぬ地獄にしてしまいたいのである。なぜか、石油目当てというだけではない。
ここはユダヤ教・キリスト教の初期の教徒たちが流浪した土地である。ローマ教会とシオニストたちが歪曲する前の純粋な教義を記した、教義とともに生きて死んだ教徒たちの魂を刻んだ紙片が、羊皮が、木片が、石碑が石油の如く埋もれている土地である。宗教を大義名分に世界地図を作り上げた欧米が知られて本当に困ることはこの地に昏々と眠る。スパイが持ち出した情報などは紙屑にも及ばない。




スノーデン事件。アメリカがとっつきやすいスパイ劇をメディアにばら撒いたという予測とその理由に関する覚書きとして読んでいただければ幸いである。

ただし理由とした部分は予測などではない。

追記 アラブの春が大好きな方に言うことはもう無いが

前回の記事に寄せられたコメントをくまなくお読みになってくださる方々、またソーシャルメディアに対して何らかの疑いをお持ちになっていることを伝えてくださった方々が大勢いらっしゃるので短い投稿を以って続報を兼ね補足させていただきたい。



イスタンブールのゲズィ公園デモは、もとは環境破壊反対を名目としてはじめられた抗議集会だった。既存の公園の26本の木を切る、切らないを言い訳におきたプロパガンダであった。

問題の根底にはイスラム主義を掲げる現政権(エルドアン首相)と西欧化・世俗化を標榜する前政権の対立がある。前政権は「弾圧」という言葉を連発して現政権を挑発・牽制する。

前政権はひどい弾圧政権であった。たいした政治理念があったわけではないが自らを支持しない層は徹底的に排除された。婦女は髪をスカーフで隠すというイスラムの風習を「悪習の象徴」と設定し、髪を隠した女子は大学の入試すら認められなかった。大学に入りたければ髪を出せというのである。女子は海外で学ぶことを余儀なくされたか、泣く泣くスカーフを外したか、多くは進学をあきらめた。彼らのいう民主主義とはこの次元である。今もこの先も同じ次元である。まあ、民主主義などはそんなものかもしれないが。

イスラム主義を世界は快く思っていない。わかりもしないのに、である。

ある方からいただいたコメントに筆者がお返しした文章の要約を以下に貼り付けておく。「反イスラム製造法」および「目的」について。

――まず欧米はアフガニスタンに内側から干渉し「イスラム的独裁国家」の雛形として世界に発信した。つまりあそこも傀儡である。あまりにもひどいイスラム圧政、それを若者に見せることで反イスラム主義を植えつける。「世俗化しないとアフガニスタンになるよ~」と脅す。
社会が世俗化すると得をするのは「金融」である。彼らが標榜する「カネが全ての世の中」に宗教ほど、とくにイスラム教ほど煙たいものはない。なぜなら利息を取ることも払うことも禁忌だからである。中世からこの方、金融の仕組みが世界を痛めつけてきたことを考えていただければなぜ禁忌とされたかということはお分かりいただけるであろう。エルドアン首相が何年も格闘しているのは金融ロビーたちで、そのためにトルコ国内の金融業者と、それと深いつながりのある司法・医療・大学・メディア(つまり他人のふんどしで相撲を取って稼ぐ人たち)はこぞってデモを支援している。金融業者は大航海時代からグローバルなので世界中のメディアが「春」を応援するのは当然なのです。
デモ隊のおおくは裕福な家庭に育った子供たち、そして彼らを束ねているのは極左の運動家、中には人権・環境活動家の仮面をかぶり世界の暴動に首を突っ込む海外テロリストも顔を連ねている。
人権および環境団体は「きれいごと」を武器に世界に火種を撒き続ける糞虫である。もちろん金融業界の出先機関でしかなく、日本の反原発運動を複雑にしているのこの連中である。(例 アムネスティ、グリーンピース、シーシェパード他)――


五輪招致合戦が過熱しだした頃からいやな予感はしていた。

オリンピックはスポーツの祭典などと思ってはいけない。「代理戦争」である。国の威信を賭けて、でもとりあえず血を流さずに戦士たちを衝突させるのである。
しかし戦士たちは見えない血を流している。日本の柔道会の虐め、監督による暴行、ドーピング詐欺、女子選手の無月経症やホルモン異常。北京五輪の際のウイグル人暴動。
世界中から諜報員が集まりスパイ外交の天国となる。開催国はその緊張の代償として国際社会への入場券と海外からの投資、内需の拡大を約束されはするものの、それとは別に地価と物価の高騰や古き良き精神的財産がある形で失われてゆくというつり銭を渡すことになる。

日本における「トルコの春」支援は東京にオリンピックを招致したいという日本政府の了見が見え隠れしている。猪瀬馬鹿都知事の失言(というかアメリカにそう言わされたこと)もあるため慎重に行動しているようだが、日本としてはオリンピックをぜひとも招致し、かつてのオリンピック景気の再現を夢見ているようである。多くの国民の皆様もやぶさかではない筈だ。
しかし戦後のオリンピックと万博、それによる景気の向上は、あれは日本が自力で勝ち取ったものとだとでもお思いなのだろうか?核の傘の下でアメリカに握らされた飴でしかなかったことをまだ認めようとしないのだろうか?それとも、もっと飴がほしいのか?

西欧の腹の底はまた別のところにある。オリンピックは西欧社会のものであり、西欧のほかで行われることは気分がよくない。だから高く売りつける。機会を与えないのは民主主義に反する(らしい)のでいちおう立候補は認める。そして気を持たせておいたあとで言いがかりをつけ、罵詈雑言をあびせて招致権を剥奪するのである。または開催中に事件を起こして台無しにする。

トルコ現政権としてはオリンピックはべつにどうでもよい。面倒なのでできれば他の国に持っていってほしいが確かに投資は魅力であるし国民が望んでいるものを頭から否定するのはリーダーのすることではない。逆に招致を逃してしまうと野党の攻撃材料を与えてしまう。今度の騒乱を理由に候補地から外されれば現政権には怪我の功名ということにはなる。(デモを支援した野党のせいにできる)


煽りたい側の人間が何を言おうとデモは収束にむかっている。それを妨害しようと、ヨーロッパ議会はエルドアン政権を弾圧政権として批判、抗議文書の作成を決議した。トルコ政府は「そんな紙切れは受け取れねぇ」と、受理しないことを今朝表明している。

デモがはじまったのは5月31日だが、イスタンブールでは28日の時点でテレビ中継用の車両が海外メディアからレンタルされている。多くの海外記者がその前日までにトルコに入国している。そんなことはFBマニアたちは知らないし、知りたくも無いだろう。

火炎瓶と肉切り包丁を振り回し、商店に放火しガラスを割り、盗みすら働く反政府勢力に対して水と催涙ガス(トウガラシ水溶液)を使用することになにか問題があるだろうか。米国CNNはトルコ政府が化学兵器を使用していると報道している。そうしたければ自分の国ですればいいのであり、よその国で使っても、使わせても、使ったことにしてもいけない。

アラブの春が大好きな皆様に申し上げる

つくづく報道というものは見る価値のないものだと再認せざるを得ない。そしてソーシャルメディアも同じ穴のムジナ、低級下劣下劣極まりない。

いま日本の世論で「トルコの春」が騒がせていることは何となく耳に入る、というか心配をしてくださった方々からメールをいただいたりブログにコメントを寄せていただいたりしているのだが、とりあえず海外で報道されているような状態は虚構といっていい。都市でも田舎でも普段どおりの生活が続いている。

「アラブの春」に関していつも思うのだが、政府に対して抗議行動を起こす団体はなぜか海外から支援される。エジプトもリビアもシリアも、どの国もまるで事情がちがうのに糞味噌ごちゃ混ぜに反政府組織を支持する「悪癖」が市民にある。世界地図のどこに位置するかすら認識されていないのにその国の歴史的問題に起因する実情が外からうかが得るわけがない。だがなぜか、デモの映像が流れれば「加害者が政府で被害者が市民」ということにされてしまいみなそれを信じ込んでしまう。盲信するだけならメディアなどに触れるべきではない、危険だからである。

政府に対して抗議行動を起こす団体が海外から支援されるのはなぜか、それはそう仕向けるためにテレビで報道され、ネットで共有されているからに過ぎない。「市民主導の民主化への戦い」と評されるこの一連の暴力の正体は「西欧の意図による国家元首の首のすげ替え」である。中東地域には近代以降各国に西欧寄りの傀儡政権がおかれたが、古くなったもの、あるいは都合が悪くなったものを一新し再統制するために始められたものであり、フェイスブックを筆頭とするソーシャルメディアはその道具として開発されたものである。そのユーザーはさらにその下の道具にされたと言っても過言ではあるまい。

イラクのフセインは「増徴して言うことを聞かなくなった」としてアメリカに捨てられクルドゲリラの親玉に政権を譲ることになった。クルド民族の名誉のために一応書いておくが、クルド人問題も欧米が仕組んだ「火種」でしかない。

エジプトのムバラクは親米派の代表であったにも関わらず切り捨てられた。エジプトはパレスチナ問題の緩衝地帯である。そのエジプトの元首があまりにアメリカ寄りでは、パレスチナ問題の尻拭いがいつもアメリカに回ってくるので重荷になってきた。逆にここでイスラム政権を立てておけばアメリカの責任外で戦火を煽ることができ、漁夫の利を得ることすらできる。

ヨルダンとレバノン政府は不穏分子を摘発し西欧に対し再度忠誠を誓うことで温存された。

リビアのカッダーフィーは元は英国のエージェントとしてイスラムの醜悪さを印象付ける反欧米の旗手を演じていたが後に本当にイスラムに覚醒してしまった。アフリカを纏め上げアフリカ連盟の樹立を構想、さらに欧米を本気で怒らせたのは金貨による独自通貨の導入計画だった。そんなことをされてはドルもユーロももともと紙屑であったことが明らかになる。だから潰された。リビア国民は裕福で労働の必要すらなかった。働いていたのは世界各地から集まる外国人で、彼らにすらドル建ての高給が支払われていた。革命がおこる理由はない。

シリアのアサドは独裁者として描かれているが米国政府の傀儡政権を父親から譲り受けた「二代目のぼん」であり、政治らしい政治はしていなかった。平穏な世俗主義国家であったシリアでは政府批判以外は全ての権利が認められており、国民は政治にほとんど関心がなくアサドは好かれも嫌われもしていなかった。血まみれの内戦を招く状況はなかった。ここまで混戦したのはロシアとイランがどうしても南下したいために自らに都合のいい新政権を立てたがっているところにも原因がある。

こんなことを日々画策しているのは欧米とイスラエルの政財界の大物たちである。年に数回どこかに集まっては血のしたたる肉料理を葡萄酒で胃に流し込みながら次は誰をどうやって殺そうかと討議しているのである。どちらが野蛮人かは明白である。

トルコ国内の問題は山積しており、その原因のひとつは多民族国家であることが指摘されている。しかしこの国の国民は多民族であることを誇りにすら思っている。それはオスマントルコ帝国のかつての版図の広大さを示すものであり、かつてはひとつの共同体という屋根の下で共存共栄していたという自負がある。それがどうして問題化したかといえば、ナショナリズムが海外から持ち込まれたからである。
クルド問題はこうして始まった。1970頃のトルコ政府はクルド語をトルコ語の方言であるとしてその存在を否定、クルド民族を差別下においた。不当な差別を受けた側の一部はゲリラ化し東部国境に近い山岳地帯に潜伏してテロ活動を行う。しかしこの活動を支援していたのは西欧諸国であり、彼らに武器弾薬を供給する傍らアフガニスタン方面から麻薬を調達させていた。その麻薬を欧州に運搬していたのはトルコ正規軍の輸送車である。トルコ軍は英米に育てられた使い走りである。トルコ軍は兵役で集められた未熟な兵士を武器も持たせず山中に置き去りにし、テロリストたちにその居場所を無線で連絡し惨殺させた。すると翌日の新聞には「クルド人による残虐テロで若い兵士が戦死」という見出しが載り国中で反クルドの抗議行動が起こるのであった。国はこうして割られていった。

当時のトルコ政府は「アタテュルク主義」を標榜する左翼系軍事政権である。どのような主義かといえば民主主義と共産主義と世俗主義と拝金主義をごちゃ混ぜにしたような、これといって主張のないよくわからない主義である。はっきりしているのは無神論・唯物論を核としている事、政財界と軍が偉くてそれ以外は奴隷と定義している事である。

冬、山間部の村に通じる道は雪に閉ざされ病人が出ると村人たちがソリでふもとの保健所まで運搬していたような国だった。子供の出生届けを出すのにも役人が賄賂を要求するような国だった。それが是正されたのはアタテュルク主義政権を倒したいまの政権に交代してからである。ほんの十年前のことである。国中に医療チームがヘリで出動し、子供の医療費が無料になり、高校までの教科書が無料になり、贈収賄が厳禁になり、道路が整備され、地震で家を失った人々には耐震構造の住宅が支給され、いちいち書いていてはきりがないが、とにかく今のこの国の政府は国民に文句を言われる筋合いなどなく、「政府の弾圧」も糞もないのである。

「アタテュルク主義者」たちは確かに面白くないだろう。今まではそれこそ大意張りで生きてこれたのに、大好きな賄賂が要求できないし、なにか下手をして裁判沙汰になっても判事を買収できない、旧共産圏の企業に天下りして優雅な老後を送ろうと思ってせっかく軍人になったのにその夢を砕かれた、等々、恨み骨髄とはまさにこのことである。

エルドアン首相の率いる現政権は欧米イスラエルにとって目の上の瘤である。高利貸のIMFがユーロを無理やり貸したがっているのを拒否しているのがひとつ、加入を認めてやるから靴を舐めろとまでに高飛車な態度をとるEUに対し背中を向けたのがふたつ、日本をふくむ多くの国の資本がトルコに大量に流れ始めていることがみっつ、そしてクルド問題が解決に向かって動き出しているのがよっつ目、「トルコの春」を起こして現政権を倒したいのはEUであってトルコ民衆ではない。


もちろん、火のないところに煙は立たないことを否定するものではない。アラブの春が起こった国々にはその国なりの問題があった。トルコの場合はかつてのアタテュルク主義政権による愚民化政策が功を奏して若い世代は無知無教養、路上でキスをする権利を求めて抗議集会に参加しても参政権を行使して国政に参加することはない。物欲に囚われ、常に支払いに追い立てられていてもまだ新しいものを欲しがる。自分の境遇が悪いのは政府のせいだと思い込む。フェイスブックに一日の大半を費やし、「春ごっこ」に憧れ、気がつけばデモ隊の中にいて警官に石や火炎瓶を投げている。まあその程度である。つつけば燃え上がる火種はいくらでもあり、下手をすれば皆様のお望みどおりの軍事クーデターにまで発展するかもしれない。

恐ろしいのは、その問題を的確に見抜き、その一番脆いところを突き刺す能力を持つ連中がメディアを握っていることである。このブログで何度も何度も何度も指摘しているが、インターネットには持ち主がいて、いかに利口に利用したつもりでも結局は彼らの情報操作からは逃れられないのである。テレビと新聞が悪でフェイスブックが善、そんなオセロのような単純な世界ではない。もしニュース同士を突き合わせて検証し、その骨髄を抽出するだけの目がおありならばネットを駆使して情報収集なさるのもよかろう。しかし盲信するだけならばいっそ目を塞いだほうが賢明である。

ネット上に公開されている暴力映像を見て、どちらが加害者でどちらが被害者かお判りになるだろうか?アラビア語の音声と字幕が合致しているという確証がおありだろうか?裏で誰が儲けているか考えたことがおありだろうか?

アラブの春が大好きな皆様に申し上げる。
弾圧を受ける遠い国の民衆を支援したいという純粋なお気持ちは大事にしていただきたい。しかし日本の状況はアラブ諸国より良好かどうかは微妙である。日本政府の機能は町の商工会議所以下でありとても政府と呼べるものではない。しかしたかがそんな政府に対し行動を起こそうとしても糠に釘だった。国民の多くは「不景気」の一言で全てを片付け問題の所在を見ようとしない、それを3.11以来今日まで目の当たりにしてきた苛立ちを、皆様は遠い国の蜂起を鼓舞することで癒そうとしてはいないだろうか。そして流れる血に興奮を覚え、自らを戦地に投影して心の中で武器を取っていないだろうか。皆様が作り上げる世論はありもしない正義を生み出し、遠い国のつましい平穏な暮らしを取り返しがつかないほど壊した可能性があるのだ。

はっきりとしているのは流血惨事が確実に存在しているということである。片目片足片親を失った子供たちが大勢いるということである。ソーシャルメディアは掠り傷をを癌細胞にまで仕立て上げてしまった。その片棒担ぎをしてしまったかもしれないことをどうか認識していただきたい。


フェイスブック退会はこちらから→ http://nanapi.jp/25829/

ご注意! どのような方法でアカウントを削除しても削除後二週間以内にあらためてログインするとアカウントが復活してしまうというインチキなシステムになっております。お子様のアカウントを無理やり削除したい場合などは本当に苦労しますのでご注意ください。



やいイスラエル、謝って済みゃ警察はいらねえ

日本ではまったく報道されていないと思うが、このあいだイスラエル政府が生まれて初めて謝った。誰にって、それはトルコ共和国にである。


    


あれはもう三年近く前、滅茶苦茶な事件だった。イスラエルに一方的な攻撃を受け続け食料も医薬品も底をついたパレスチナのガザ地区に救援物資を届けるため地中海を就航中の六隻の民間船(トルコ、アメリカ、ギリシア船籍など)がイスラエル軍に行く手を阻まれ、そのうち一隻が攻撃に遭い死傷者が出た。

過半数がトルコ人、そして周辺のイスラム・非イスラム国32カ国からなる総勢748人が分乗する船団はもちろん非武装であった。乗組員も民間の社会活動家や医師、記者などであった。

2010年5月30日、地中海各地からキプロス島に集まった船がガザに向かって出航した。事件は早くもその日の深夜におこる。午後10時を過ぎた頃、船団に対しイスラエル側から警告が始まった。イ海岸線から50海里以上はなれた公海上である。法律上、公海は全ての国に解放された水域であり、そこではその船の掲げた国旗の示す国の法律によってのみ拘束される。この地点でイスラエルにとやかく言われる筋合いはない。この救済船団の主要船であったマーヴィ・マルマラ号の船長は、航行の目的と積荷の明細をイスラエル側に告げ、また停泊・進路変更の意思も義務もないことを伝えた。数時間におよぶ無線応答のあいだも船団は南下を続けるがイ領海を侵すことはなかった。拿捕の上イスラエルに連行する旨を伝えられるが船団はこれを拒否、なおも南下を続けた。乗組員たちは万一に備え救命胴衣とガスマスクに身を包んで待機した。無線以外の通信手段は妨害電波により絶たれていたためNATOにも国連にも通報できなかった。

    gazze
    緑の破線が船団の航路、赤破線がイスラエル軍、紫の海域は各国の領海域を示す

そして夜明け間近、依然として公海上にありしかも応戦する装備などない船団にヘリと高速船が近づいた。自動小銃をにぎる完全武装の特殊部隊が強行に乗り込むと六隻のうち五隻は無血で拿捕されたが、大型船であったマーヴィ・マルマラ号はそうは行かなかった。

イスラエル兵は無抵抗の乗組員に対しいきなり発砲し、昏倒するまで殴りつけた上に至近距離から頭や胸を撃ち抜いた。普段からガザで働いている暴行と同じ手口、その模様は乗組員たちが撮影している。ましてや各国の報道関係者が撮影機材を積み込んでおり攻撃の詳細が記録されることはイスラエル側もわかっていた筈だ。これが世界中に公開されることも目的の一つであったかのようである。

なぶり殺しにされぬために、甲板にあった角材や金属パイプで乗組員たちは必死に防戦した。しかし死傷者が増え続けることを恐れた船長は降伏し拿捕受け入れを決定、白旗を掲げてその意を示したがその後も攻撃はしばらく続いた。死者9名、重軽傷者54名。死者のうち8人がトルコ人で一人はアメリカ国籍を併せ持つ未成年のトルコ人であった。


イスラエル国防軍の特殊部隊とは何やら強そうだがそのうち三人が武器を奪われて袋叩きにされている。本当は弱いのだろうか?イスラエルの行動などはもとより理解不能なため見失いがちだが、静観すると不自然なところがいろいろ浮かんでくる。船団のなかには20人規模の船もあったというのにわざわざ500人以上も乗船している船を選んで騒ぎを起こすのはおかしい。日本とは違いトルコには兵役があり、成人男子は素手で武装者と戦う訓練を一応受けている。いくら武装しているからとはいえ、大勢に囲まれればそれなりに不利になるし、それを見越した装備であったとも思えない。

乗組員たちの行動は極めて冷静であった。イ兵の銃を奪い取るが使用はせずに海に投げ捨て、負傷し降伏した兵士の手当ても船医が速やかに行っている。仮に奪った銃を発砲して応戦してしまったとすれば海賊行為を働いたとの嫌疑が向けられていただろう。また負傷兵を見殺しにしていたとすれば殺人罪で起訴された可能性もある(生きたまま重しをつけて海に放り込んでやりたいのを必死でこらえたことだろう)。負傷したイ兵の懐中には乗組員の名簿があり、氏名・職業などの詳細が写真とともに詳細に載せられていた。どの船に誰がいるかまで知られていた。

おそらくこの事件の裏には過去のイザコザが関係している。

トルコは新政府樹立から親イスラエルで知られていた。トルコ軍の高官はすべてイスラエルの肝煎りで、軍備はほとんどイスラエルから調達していた。国家の武器庫の内訳をにぎられていたことにもなる。(いや、そんな国がほとんどである筈なのに戦争だの国防だのといっているほうが可笑しい)
しかしこの最後の十年でトルコは進路を変えた。親イスラムの政権が生まれイスラエルとは当然距離を置くことになった。イスラエルに媚びへつらって私腹を肥やしていた軍人や政治家はその勢いをほぼ失った。
2009年のダボス国際フォーラムにおいて、トルコのエルドアン首相はイスラエルのペレス(敬称不要)に対しガザ(パレスチナ)への暴力を面と向かって批判した。ペレスが激昂し反論するには、パレスチナで暴れているのは我々ではなくハマスである、我々は平和を求める民族であり、それに牙を剥くハマスと戦っているに過ぎない、お前は何も分かっていない、と。それを受けたエルドアン首相は頭から湯気を出して怒った。(過去においてハマスは武装集団としての活動が目立ったが近年は代替わりが進み、いまでは国民に支持された与党政党である。しかし国連とアメリカはハマスに対しテロ組織としての指定をまだ解除していない。)

       

この模様は日本語でも紹介されておりご存知の方もあるだろう。しかし英語から日本語に訳したものでは微妙に感触が違うので筆者がトルコ語から日本語に直してみた。首相が伝法に喋るのは皆様の気のせいである。(映像で最初にでてくるのはイスラエルのペレス、エルドアン首相の演説は一分を過ぎたころからはじまる。)

年寄りのくせしてふてえ声を出しやがる。悪党どもの声がでかくなるのは負い目があるからに違えねえ。
やい、てめえらは人殺しにかけちゃあ見上げたもんだ。
こちとらガザの海岸でてめえらが年端もいかねえ子供らをどうやって殺したかはよっく知ってらあ。
そういやイスラエルの昔の首相の中で二人の野郎が面白れぇこと言ってやがったな。戦車に乗ってパレスチナに入ったときの気持ちよさときたら他たぁ一味違うんだとよ。それから戦車に乗ってパレスチナに入ったときゃあ滅法幸せな気持ちになるんだとよ。
てめえらも許せねえが、この極悪非道を手を叩いて囃し立てる連中も許せねえ。子殺し人殺しを誉めそやす奴らも同じ穴のムジナってことよ、てめえらの悪行を洗いざらいぶちまけてやりてえがそれほど暇じゃねえ、たったの二つだけしゃべらしてもらうから神妙に聞きやがれ!


ここまで話すと司会者が邪魔に入る。時間がありませんから、と、一体何様のつもりか知らないが一国の首相の肩を揺すり喋らせまいとする。司会者を睨んで一分待ちやがれすっこんでろと怒る首相、しかし執拗に首相の言葉を遮る司会者に堪忍袋の緒が切れた。

へえへえありがとさんにございやす、あっち(ペレスの持ち時間)が25分でこっちがたった12分たぁどういうことでえ!こんなふざけたダボスなんざ呼ばれたって二度と来るもんか畜生め!

そういい捨てるとエルドアン首相は席を立ってダボスを後にした。(後日、首相は危うくあの司会者をぶん殴るところだったと述懐している)イスラム教国諸国はもとよりパレスチナを援助するキリスト教団体やそのほか人権擁護団体からは首相のこの発言に対し感謝の声が降り注いだ。国内の野党からも一切の批判は出なかった。

誰がどう見ても主催者側の態度はおかしく、イスラエルの嘘もあからさまだった。後でペレスから届いた弁明によれば耳が遠いので何を言われたのかよく理解できなかったため誤解が生じたとか、何やら爺くさい言い訳だがどう聞き間違えればイスラエルが悪くないことになるのかは不明である。いずれにしてもこの騒動はここで幕を閉じた。しかしイスラエル政府やそれと同じ穴のムジナたちはさぞ面白くないことだろう、首相を賞賛する声で沸き返る国内もいつかイスラエルから手の込んだ嫌がらせを受けることは肌で感じていた。

イスラエルによるパレスチナの攻撃は緩急の差はあろうとも止むことはない。飛び地状態のガザ地区は二方をイスラエルと国境を接し一方には海が迫り、残りの一方はパレスチナに対して頑なであったエジプトに面していたため正に陸の孤島、食料も飲み水も燃料もイスラエルの機嫌しだいで皆無になることもあった。市民は国連による雀の涙ほどの援助でようやく命を繋いでいた。

首相が名指しで批判したのはイスラエルだけではない。同じ穴のムジナたち、つまりこの非道を止める気のない国連、まともな救援活動をしないWHO,WFP,勘定奉行のIMF,イスラエルの使い走りのEUと欧州議会、イスラエルの産みの親であり御目付役であるアメリカ合衆国政府、そしてそのアメリカに引導を渡し知らぬ存ぜぬを通す世界中の人々全てに対し啖呵を切ったのであった。

そして起こったのがかのマーヴィ・マルマラ号事件であった。国連に救援物資を委託してはドブに捨てるも同然、そこでトルコの市民団体がわざわざ80万ドルを負担して船を購入しての救援活動だった。積み込まれていたのは食料や薬品のほか、手術や検査のための医療器具、建築資材、工具など、一刻も早く役立てねばならない品々であった。イスラエルに連行された船団と乗組員は二ヶ月以上軟禁されてようやく帰国することができたが、その喜びとは別に言葉にできない悔しさをかみ締めていた。船体に残る銃痕は事件を言葉なく語っていた。
内心どうあれ国連、NATO,EUからはこの事件に関しイスラエルを非難する声明が出されている。船団の届けるはずだった救援物資は国連が責任を持ってガザ市民に分配すると約束した。(そもそもこいつらがまともに仕事をしていれば起きない事件であった。盗っ人猛々しい。)
しかしアメリカは、市民団体の援助はハマスに対し向けられたものでイスラエルの権利を害する行為にあたり、またイ軍の制止を強行に突破しようとしたのは犯罪的である、即ち事件をイスラエルの正当防衛とする意見を出した。繰り返しになるが船団はイスラエルの領海には掠りもしていない。そのままガザに到達しようがイ軍には制止する権限など存在しない。つまりアメリカでは海軍が公海を鮫のようにうろつき、軍人が装備のない民間船に乗り込んで一般人に殴る蹴るの暴行を加えた上に射殺することは正当な防衛なのだそうだ。なるほど、そういえばアメリカの裏路地では警官が同じようなことを市民に行っている。

その「力」を誇示することが存在の目的であるかのように何かしらを絶え間なく攻撃するしか他にやることがないのである。凶暴な上に嫌われるのが好きでたまらないという物理的かつ生理的に迷惑な国、イスラエルとはそんな国だ。
報道陣の撮影を妨害しなかったのは事件後に公開させたかったからである。妨害電波を張り巡らせて救援を呼ばせなかったのはNATOに対する「思いやり」であろう。トルコ人を執拗に挑発し反撃させようと試みた。特殊部隊の中に弱い奴を混ぜて置いたのか、あるいは芝居を打たせたのかはわからないが意図的に武器を奪わせ使わせようとした。そして殺させようとした。そしてその映像を公開し「民間人を使ってハマスのテロに加担するトルコ政府」と銘打ってにっくきトルコの顔を潰そうとしたのである。誰を射殺するかは事前に手に入れた乗船名簿から検討されていた。アメリカも、アメリカ国籍を持つ少年の射殺に対し眉一つ動かさないことでトルコ側に弁解の余地がないとする態度を強調するつもりだった。が、そうは問屋がおろさなかった。乗組員の冷静な行動によりマーヴィ・マルマラ号作戦は失敗に終わった。

そして三年ちかく経ったつい先日、イスラエルは事件の非を認め謝罪してきた。遺族および被害者に対する補償も要求どおり行うとも言ってきた。トルコ政府は謝罪を受け入れる方針を示したが実のところは謝罪ということを建国以来一度もしなかった国からこういわれたので薄気味悪くて困っている。ぎりぎりの外交努力で掴んだ謝罪には違いないが素直に喜ぶわけには行かない。

たしかに三年前の勢いはイスラエルにない。欧米とてみな自国の経済難を何とかすることに忙しくイスラエルのすることにかまっていられるほどの余裕はない。また中東でのトルコの発言力は増す一方で欧米はもはやこれを無視できなくなっている。欧米は中東・アフリカ地域の管理・搾取をトルコを利用することでより潤滑に行いたいため、うわべだけでもトルコに仁義を切ろうとする。だから仕方なく謝罪してきたのかと思えば、それだけでもないだろう。

国際社会におけるトルコの地位を必要以上に引き上げ中東の「君主」として舞い上がらせることで石油成金諸国(サウジ、クウェート、バーレーン、ヨルダンその他)との仲たがいをさせたがっている。小さなことですぐに関係が壊れるのがこの地域の危ういところである。アラブ人たちが国家間紛争を部族同士の小競り合いと同じ次元でしか考えていないからである。エルドアン首相は周辺諸国に対し協和の大切さを強調し、欲からは欲が、憎しみからは憎しみしか生まれないこと、欧米の庇護を受けずに自立した上で自国民のための政治を行うべきだと説いて回っている。石油漬けで頭が働かなくなった王族たちの理解を得るのは至難の業だがエルドアン首相は決して怯まない。
そんなことをされては商売上がったり、欧米にしてみれば迷惑千万である。イスラム社会の覚醒ほど彼らが嫌うものはない。長年かけて築き上げてきた西欧中心の唯物主義社会が音を立てて崩れ去るかもしれないからである。だから彼らは今、イスラムの弱点を探し漁りそれを突くことに血道をあげている。

これに対抗できるのは法的手段でも復讐や憎悪でもない。人の手による法律などは人がいかようにでも利用することができる。懲罰は神に委ねるべきものであり、憎しみに任せて手を振り上げることは許されない。仲間の額を打ち抜いた兵士を捕まえても血祭りに上げなかったのは神への畏れがそうさせたのである。イスラエルの兵士とて人の子、神の創造物である。その罪を問うのは神であって人ではない。憎しみは悪魔の糧、復讐は悪魔の余興、これを悪魔に貢いではいけない。一人が武器を捨てれば100人の血が救われる。皆が憎しみを捨てれば、この世の傷は明日にでも癒える。





日本人が仮に国の外で拘束され、酷い目に合わされたとしても日本政府は救出はおろか補償に関しても一切の外交努力をしないだろう。その気もなければ能力もないときてるから恐れ入る。どなたさんもお気をつけなすって。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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