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すべての道は日本に続く クルアーンと浦島伝説 前編

我々の知る「浦島太郎」は明治時代、尋常小学校の教科書用に修正し書き直された新しいものである。それ以前の浦島伝説が文章で残るのは古い順に「日本書紀」「丹後國風土記」「万葉集」「お伽草子」などであるが、そこで綴られる浦島太郎は親孝行な働き者ではなく男前の風雅者であった。乙姫とは浦島が釣り上げた海亀が変化(へんげ)して現れた女人であり、そして二人は夫婦の契りを交わしそのまま享楽の三年を過ごす。が、明治の新政府からしてみれば青少年の健全な育成にふさわしからぬけしからん内容であるため野暮な忠孝者の話に改められた。

しかし日本書紀の浦島太郎にもその前世というか、前身がある。

日本の昔話の特徴として、それが単体の物語であることが無いに等しいほど少ないことをまず挙げたい。土着の「はなし」と遠い国から伝わる「はなし」が出会う。混ざり、重なり、それが時を経るごとに時代に染まり、風俗を着こなしその姿を変え続ける。遠い昔のはなしをそのまま伝えるものと思われがちな昔話は、実は日本という島であたかも人の如く育ったものである。これというのも流動的に文物の伝播がなされる大陸に対し、我が日本列島がいわば袋小路のような位置にあることに大きく由来する。日本の昔話の代表たる「浦島伝説」もその例に漏れずそれぞれ別の伝説から構成された物語といえる。

九州は日向地方に伝わる伝承で記紀にも収められた「海幸山幸」は「浦島伝説」の原型として知られる。

山で獣を狩る山幸彦と海で魚を獲る海幸彦は天孫の子である。弟の山幸彦は兄にお互いの「さち(幸、刺ち)」、すなわち獲物を獲る道具を取り替えてみたいと三度も乞い、ようやく許されて兄から借りた鉤(つりばり)で漁に出るが、一匹の魚を獲ることも叶わず挙句にその鉤を海の中に失くしてしまう。一方、弟のさち(紀:弓矢)にて狩りに出たが何も獲れずに帰った海幸彦は弟から大事な鉤を失くしたことを告げられると大いに怒り、如何にしても返せと迫る。山幸彦は腰に佩いた剣から五百の鉤を作るも兄はそれを取らず、千の鉤を作るも受け入れなかった。
海辺で泣き患う山幸彦のもとに現れた鹽椎神(しほつちのかみ、潮流の神)は、事情を聞くと山幸に小船(紀:目の詰まった籠)を作り与えて載せ、潮を押して綿津見(わたつみ-海つ神)の神の宮に送り届けた。
そこで大綿津見神(海神)の娘の豊玉毘売命(とよたまひめ)と結ばれた山幸彦は綿津見神宮で三年を過ごすが何故ここに来たかを思えば嘆かずにはいられず、その夫を見かねた豊玉姫は大綿津見神にそれを告げて助けを求めた。海の魚という魚を呼び集めて失せた鉤を聞き質し見つけ出した大綿津見の神は、潮盈珠(しおみつたま)と潮乾珠(しおふるたま)を山幸彦に鉤とともに与え、その珠をして海幸彦を従わせる術を授けた。山幸彦は一尋和邇(ひとひろわに、=鮫)の背に乗り陸に戻り、大綿津見神に教えられた通りに兄を懲らしめた。
身篭っていた豊玉姫は海原で天つ神の子を産むわけに行かぬと陸に上がる。子を産む時は決して産屋の中を覗かぬようにと念を押された山幸彦だが、気掛かりに負けてつい産屋の中をみてしまう。すると、もとより八尋和邇(やひろわに、=大鮫)の化身であった姫が本当の姿にもどって子を産む姿がそこにあった。豊玉姫は辱しめを受けたと怒り、子を残して海の中に帰ってしまう。後に神武天皇の父となる、その子の乳母として豊玉姫の妹の姫が山幸彦のもとに送られ、やがて妻として迎えられる。



本稿は「浦島伝説」の原典をどれだけ遠くにまで求められるかを考察するものである。まず「海幸山幸」とともに分解して要素を整理し、一般史観と筆者の偏見による解釈を羅列したものを前編、そして中東の伝承を加えて再解釈したものを後編として書き記したい。そんな考察をしなくても地球は回るのだが、味気ない現世を放れて束の間の心の旅をするのも悪くはない、と、そんな思いにお付き合いいただけるならば恐悦至極。さればさっそく分解してみる。


     「浦島伝説」

     い) 亀(じつは乙姫)との遭遇
     ろ) 異界(竜宮城あるいは蓬莱山)への旅
     は) 乙姫との三年(現世での三百年)の蜜月
     に) 両親への思いに駆られ暇を乞う
     ほ) 乙姫から玉くしげ(=大事な物の箱の意)を授かり陸に戻る
     へ) 三百年経っていた
     と) 玉手箱を「開けてはならぬ」約束
     ち) 約束を破ることで乙姫との離別が確定する。

     「海幸山幸」
 
     イ) 兄から借りた鉤を失い責められる
     ロ) 異界(綿津見神の宮)への旅
     ハ) 豊玉姫との三年の蜜月
     ニ) 兄との決着をつけるために暇を乞う
     ホ) 大綿津見神から宝珠と兄を征伐する方法を授かり陸に戻る
     ヘ) 兄を懲らしめ、恭順させる。
     ト) 豊玉姫の出産を「見てはならぬ」約束
     チ) 約束を破ることで豊玉姫との離別が確定する。


異界の者が人の女に姿を変えこの世の男の妻となって幸せな日々を送るも(は)(ハ)、男が「見て(開けては)はならぬ」の禁を破ることでそれが崩壊するという筋書き(と)(ト)は「つるにょうぼう」「くわずにょうぼう」「羽衣天女」などに共通するおなじみのものであり古くはイザナミとイザナギの別れに、さらには遠いギリシアのオルフェウスやパンドラの神話の中にも見ることができる。男と女はそもそも生きる世界が違うことの現われなのか。だからして、ここは古代伝承における普遍的要素の一つと解釈してやや遠巻きに見るべきである。本題をここに求めてしまうと道に迷いかねない。

「海幸山幸」にあって「浦島伝説」にない要素のひとつに「兄弟の争い」が挙げられる。この「海幸―」の根幹ともいえる顛末は海幸彦の子孫とされる隼人族が山幸彦の流れを汲む朝廷と敵対しつつもやがて恭順してゆく経緯であり、発端(イ)からして「浦島―」には描かれていない。稲作に向かない九州地方に住む隼人族は朝廷の米による徴税に酷く苦しめられて反乱が絶えず、朝廷も手を焼いたが王朝としての力が蓄えられる過程でこれも制圧されたことを物語る。
「海幸―」における姫の父親の大綿津見神は日本土着の海の氏族の長と考えることができる。彼らが朝廷に協力し(ホ)、さらに一族の娘たちを妃として朝廷に嫁がせていたことが伺える。一方の「浦島―」に海神は登場せず乙姫がその役を兼ねて勤めている(ほ)。

二つのはなしに共に現れるのが海の生き物、「浦島―」では亀、「海幸―」では和邇(ワニではなく鮫)であるが、いずれも美しい姫の姿となり三年の甘い月日の伴侶として過ごしたとある。亀が長寿の象徴であることからも、明治以前の書物には竜宮城ではなく蓬莱山と記述されていることからも「浦島―」が神仙思想の影響を受けていることがよくわかる(ろ)。蓬莱山とは中国の神仙思想でいう不老不死の仙人のすむ理想郷をさし日本では古代からその山が富士山と結び付けられていたことは竹取物語や除福伝説にも見られる。

豊玉姫が「八尋和邇」の化身であったこと、また「一尋和邇」が山幸彦を陸に送り届けたことは海神の一族として描かれているのが謎の古代氏族・和邇氏である考えられる。系図の上で五代考昭天皇の血脈とされる和邇氏は富士山を祀神とする浅間(せんげん)神社の神官を代々つとめた家系である。富士山の怒りを鎮めるための神事を預かり、和邇氏の娘たちの中から巫女が選ばれた。巫女を妻に娶ることは天皇にのみ許されていたが、和邇氏からは多くの娘が妃として六代考安天皇に始まる歴代の天皇に嫁いでいる。

初代神武から九代開化までの天皇は実在性が薄いとされ神話と史実の間を埋める架空の存在とする見方が強い。それに対し日本に古来から存在した倭人の王朝の系譜を天孫系(大陸系)王朝たる大和朝廷が吸収し我が物にしたとする説もある。いずれにしても記紀はそれを覆うために創られた血統書であると考えられている。後者の系譜吸収の説を採るならば、和邇氏の存在はその土着の古代王朝の血筋か、そうでなくとも深い関わりがあるといえる。

和邇氏は元来、安曇氏や海部氏と縁続きの海人(あま)族であり、海神である綿津見神をその始祖として祀る一族であった。船を操って海から河川を登りその生活圏を山に移し、直接政治に関わることはなかったが天皇家の血統の維持には大きな影響を持っていたと考えられている。またなぜ海神の子孫が富士山を祀るのか、それは火を噴く霊峰を牽制するためにはやはり水をあやつる海神と縁続きの彼らがその司祀に望まれたからであろう。天皇家が和邇氏の血を混ぜたがったのはその霊力を我が物にせんとする目論見があったのではないだろうか。

海幸彦も山幸彦も「富士山」と「火」には大いに関わりがある。この二神の母は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ、別名を神阿多都比売-カムアタツヒメ)という富士山に鎮座する女神である。姫はたった一夜を共にしただけで身篭ったために夫の邇邇芸命(ニニギノミコト、アマテラスの孫)に不貞の疑いを抱かれ、不義の子でなければ焼け死ぬことなく無事に生まれるであろうとの「うけひ(=誓約)」を立て産屋に自ら火をかけた。燃え盛る炎の中で生まれたのがホデリ(海幸彦のこと)、炎が弱まる中でうまれたのがホスセリ、最後に炎が消えた中で生まれたのがホオリ(山幸彦)である。木花咲耶姫の父である大山津見神(オオヤマツミ-山の神)は邇邇芸命に木花咲耶姫とその姉であるイワナガヒメの姉妹二人を嫁がせたが、邇邇芸命は醜い姉を送り返していた。と、ここでも妻にした姉妹のうちの片方との離別(チ)が描かれている。

「浦島―」と「海幸―」にともに見られる結婚譚は極めて魅惑的であり物語にとってなくてはならない要素ではある。しかし上にも記したが、これは別の系列の伝承が原典に習合したのではないかと思えてならない。異界の姉妹を妻にするという話は古くは邇邇芸命にその例を見ることができ、それが山幸彦に受け継がれたことは間違いない。さらに「浦島―」にある「乙姫」という名は本来、姉妹の姫の妹のほうを指しての愛称つまり「弟姫―オトヒメ」であり、ここでの乙姫は姉が登場しなくても妹の方であることを匂わせ、物語が「海幸―」を下敷きにしていることを暗示していると取るべきであろう。また征服者に一人ではなく姉妹両方を差し出すという行為が完全服従を意味しているとも想像できる。昔話の結婚譚とは色恋沙汰を装う征服譚である。

これまでの話をまとめてみる。
西日本に拠点を築いた大陸系王朝が勢力圏を徐々に東へと延ばす上で、富士山をその信仰の頂点に戴く東日本の土着氏族(縄文人)との衝突と婚姻を描いたものが「海幸―」と言える。その征服譚を隠し結婚譚を前面に出して叙情的な物語に仕上げたのが「浦島―」である。さらに皮肉なことに「明治浦島」は結婚譚までが隠されたため亀を助けた報いに何故か老人になってしまうという奇妙な物語に成り果てた。
しかしこの物語には征服と結婚だけでは語れない何かがある。異界への旅、そして時の流れ である。

明治以降の「浦島―」では海の中に山があるという物理的な矛盾を解消するため蓬莱山の名が削られて竜宮城と改められたわけだが、それを無視すればやはり異界とは海の底とは限らないようである。和邇氏の系譜もさることながらこの物語からは海と山の間にある不思議な互換性が感じられ、上述の山の神・大山津見神の別名が和多志大神(ワタシノオオカミ-渡しの大神)つまり航海の神であるのも見逃せない。

「丹後國風土記」を見ればあるいは空の彼方へと旅をしたのかという思いにも駆られる。

「即七竪子來。相語曰。是龜比賣之夫也。亦八竪子來。相語曰。是龜比賣之夫也。茲知女娘之名龜比賣。及女娘出來。嶼子語竪子等事。女娘曰。其七竪子者昴星也。其八竪子者畢星也。君莫恠焉。(丹後國風土記 逸文)」

龜比賣(かめひめ、乙姫のこと)に誘われて蓬莱山に至った嶼子(しまこ、浦島太郎のこと)を迎えた七人の童子が、この方は亀比賣の夫君だと相語った。また別の八人の童子も、この方は龜比賣の夫君だと相語った。嶼子が宮から出てきた比賣にそのことを話すと、比賣はその七人の童子たちは昴星(すばるぼし)、八人の童子たちは畢星(あめふりぼし)なので怪しむことのないようにと言った。

昴星、畢星とは、中国の占星・天文学に用いられた二十八宿の中の隣り合った二宿、おうし座のなかにあるプレアデス星団とヒアデス星団を指している。宇宙に引き上げられた浦島太郎が牡牛座の中に遊び、再び地上に戻れば三百年の時が経っていたとされる説の根拠はじつはこの逸文に求められる。勿論ない話ではない。計器と燃料を搭載した宇宙船だけが宇宙への橋渡しではない。
二十八宿の知識は七世紀ごろに渡来人たちが我が国にもたらしたとされるが、月と星の位置を知ることはさらに古い時代から我が国古来の海の民にとっても重要であった筈、天体の運行を熟知した海の氏族が当然存在しただろう。「海幸―」に登場する潮流の神の鹽椎神は「渡し」つまり水先案内人の役を勤めている。すると、ここで邇邇芸命の舅、山幸の祖父、コノハナサクヤヒメの父たる大山津見神、またの名をワタシノオオカミと繋がる。

浦島太郎や山幸彦の旅した先は海か、山か、星屑か、はたまた中国王朝か、物語を読み込めば総てが輪のように繋がってしまうようである。物理的な位置を割り出すまでもなく、万葉集には「常世」と答えが書いてある。われわれが今日まで生きてきたこの世、それを「現世-うつしよ」と呼ぶが、その向こう側は「常世-とこよ」である。仏教でいう彼岸であり、来世ともあの世とも端的に死後の世界とも呼ぶその世界、花は散ることなく緑褪せずして、実り尽きず雪の融けぬ国、時の流れぬその国を常世と呼ぶ。おそらくは現世の者が踏み入れることの出来ないその国を旅し生きたまま戻った者の言い伝えがこの伝承が原典であろう。それを入れ物に結婚譚や征服譚が綴られて各地にさまざまな伝承が残り、太郎たちの行った先はそれに応じて言い換えられ今に伝わった。


                seven sleepers

そろそろ本題に移るとする。「浦島―」にしか存在せず「浦島―」の心臓ともいえる要素、それは三百年の経過であろう(は)。ではひとまず日本から遥か西方に目を向け、中東の不思議な伝承「アスハーベル・カーフ(أصحاب الكهف)」を記しひとまず筆を置く。以下次号。

偶像を崇拝する多神教の帝国にありながら唯一神を敬う六人の若者たちは皇帝に囚われて投獄され、唯一神を忘れて多神教の神々の偶像に跪くか死罪かを選べと迫られた。牢獄を破り逃げた若者たちはにべもなく現世を打ち捨て、神の教えを貫くために山へ踏み入るとそこに犬を連れて現れた一人の羊飼いが彼らを洞窟に導いた。その夜、羊飼いを合わせた七人は神の教えを今日まで守り得たことを感謝してさらなる大慈大悲を請い、犬に守られながらそのまま眠りにつく。やがて目を覚ますと彼らの中の一人が銀貨を手に糧を求めて町へと下った。目に映る町の様子も人々の装いも大きく変わっているのを怪訝に思いながらもひとつの店に入り銀貨を渡してパンを求めた。店主にしてみればその若者のほうがよほど怪訝であった。なぜなら古めかしい衣服を纏い、手渡された銀貨には数百年前の皇帝の名と肖像が刻まれていたからである。領主に知らせが走り盗掘の疑いで若者は捕らえられた。よくよく話をしてみれば、若者は洞窟での僅かな眠りから目覚めるまでの間に偶像崇拝の時代が過ぎ去り一神教が栄えたことを知り、そして町の人々は三百年前の偶像崇拝時代に追っ手を振り切り姿を消した一神教徒の若者たちが再来したと知る。町は奇跡に沸き返り、その騒ぎは皇帝の耳に届く。皇帝は奇跡の若者たちを尋ねて洞窟へと向かう。そしてそこに至ればまさしく残る者たちと犬が佇み、皆と言葉をかわし、やがて若者たちは再び、しかし今度は深い眠りについたとも伝わり、忽然とその姿を掻き消したとも伝わる。
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セキュラリズム 刹那の現世主義 後編

「セキュラリズム―現世主義」というものについて、今回はその後編である。

端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。
これは世界の殆どの国で政策として執られていること、その上でいちばん影響を持つのが「教育」の分野であること、そしてセキュラリズムは世代が進むに連れ教育によって濃縮されてゆくことを前編で述べた。
忘れてはならないのは、セキュラリズムは決して「無神論」でないことである。神は存在するとした上で「神との別居」そして「神の陳腐化」をその目的とする。

厄介なことにセキュラリズムは自覚症状のない病によく似ている。「あなたは病んでいる」と説いたとしても当人が認めないことには治療の余地がなく、しかも当人は至って元気に生きてゆける。しかしそれは社会全体を確実に蝕み壊死へと導く。ではその過程を書いてみるとする。セキュラリズムが浸透した社会とそこに生きる人々はどうなるか。

第一に、理論で整理された判断にのみ理解を示す。数式や統計に表すことができ、さらにそこから予測可能な事象つまり「目に見えるもの」はその存在と価値を認めることができるが、そうでないものには口先で敬意を表することはあっても認めはせず、精神論、感情論などと名づけて価値判断の対象から外す。


第二に、凡そ数量による裏付けがあるものを価値として認め信用することができる。物を価格で評価し、職業を収入でえらび、学歴とは獲得した点数の総量、学校は偏差値と倍率、刑罰は量、保障は額、世相を指数化し、企業を実績で格付けし、多くの著作が流通していれば知識人と認め、多数の受賞があれば権威と呼び、多額の寄付があれば篤志家となる。得票が多ければ与党になる。
つまり、価値を比較検討するためには数量で具体化することが必要となった。言い方を変えれば数値に遮られ内容を見なくなった。

安全、信用、そういった一見して価値の置き所が心の中にありそうなものも例外ではない。たとえば建設現場や工場で取られている安全対策は人の命の尊さや後に残される家族を思ってのことではない。信用を失うことでこうむる損益や支払うべき賠償と安全管理への投資の比較(=損得勘定)である。補償制度が整った先進国ほど作業場の安全への投資が余儀なくされ、それは信用の指標として商品の単価に跳ね返る。逆に途上国では労働者に泣き寝入りを強いることで安価な製品を製造できる。だから先進国は途上国で製造したものを輸入する。が、資源の輸入にしろ、現地生産にしろ、「投資」の一言が先進国による途上国からの搾取に正当性を与えている。途上国の産業がどのような環境下にあるかを見て見ぬ振りをせざるを得なくなる。おなじ搾取を国内の移民に、被差別集団に、後ろ盾のない弱者たちに強いるようになる。が、いつのまにか自らも搾取される側に置かれることになる。

第三に、理論と数量により生まれた信用や価値というものに一人歩きを許し、それを「権威」や「知名度」に成長させてしまう。人はこれに出くわすことで事象の吟味を怠る。思考停止状態のまま社会との関係を続ける。多くの人々の皮膚感覚がここで麻痺を起こす。こうなれば内容は置き去りで権威と知名度だけを追いかけさえすれれば価値にも信用にも接することができる。その指針としての貨幣が活躍し、科学者、知識人、企業、報道、教育という権威の売り手と、買い手である民衆の双方がひたすら市場を膨らませ続ける。しかしそれは貨幣を注ぎ込み、高く売り、高く買わされ、負債を抱え、日々の糧のためとは別の無意味な労働に日の殆どを費やし、頭を悩ませ、気づけば精も魂も尽き果てることを意味する。

教会による民衆支配が暗黒時代と呼ばれた「中世」の全景ならば、西洋による非西洋への侵略と搾取はモダンつまり「近代」そのものといえる。そしてその後に来るポストモダンすなわち「現代」もやはり権威による民衆への侵略と搾取である。中世の、王権とともにあったキリスト教会が民衆の財産と精魂を吸う吸血鬼であったあの時代の相似形がいま世界中で再現されている。違うのはキリスト教が理論に、司祭が科学者やマスコミに、そして神が貨幣に取って代わったことである。アフリカなどの特定の地域ではいまだに中世と何ら変わらぬ暴力支配が続き、剥き出しの武力を行使できない国ではイデオロギーや経済の支配が繰り広げられている。

そうした歴史を現世に輪廻させるのがセキュラリズムである。


第四に、搾取を受ける側に落ち、現代生活に精魂尽き果て疲弊しても人々はそれを認めたがらない。認めることで現世すなわち人生の価値が木っ端微塵に打ち砕かれるからである。そこで自らが信じてきた合理主義や物質主義をさらに援護し実践する羽目になり、同時に自らを癒してくれる何かに縋りつく。しかし来世とは別居したため現世しか意識できず、現世の幸福を実現してくれそうな何かを見出してそれに頼らざるを得なくなる。金品、娯楽、快楽、人間関係、表現、主張、いろいろあるが結局それらが行き着くのが「自由」の言葉である。しかし現代、人の思考と行動を羽交い絞めにするものこそこの「自由」である。

「不自由」がなければ「自由」などは存在しない。そして不自由は権威や権力を背景にした制度によって人が好きなだけ作り出せるものである。つまり民衆が自由を意識するにはそれに先立って不自由の製造がなされなければならない。ならば権力者は不自由の匙加減をする。時に不自由で束縛し、また時に自由を押し付けて懐柔し、慣れた頃にそれを剥奪して恫喝し、そういった支配は古代も中世も今も変わらない。民衆がいくら自由を連呼したところでその敵である権威が存在する間は不自由は消えうせず、況や権威に益々の権威を与え不自由を肥大させることとなる。

自由の追求が可能な領域の限界線とされている「法」と「倫理」はいずれもキリスト教社会のセキュラリストたちによって確定された。この線は越えられないが、この線は彼らの都合で描き換えることが出来る。

第五に、セキュラリズムの出発点はキリスト教会の暴力からの開放でありそこから「近代的自由」が生まれた。しかしこれは最終的に世界の権威と権力が集中する場所つまりキリスト教社会にのみ寄与する思想であり、世界の人々は自由を求めることで知らぬ間にここに貢献させられる。


日本はキリスト教国ではない。しかし憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である。よって我が国の富と生気がキリスト教社会に吸い上げられているのは至極当然の避けられぬ事態である。この受け入れがたい状況が闊歩するのは日本にセキュラリズムがいかに深く染み込んだかをよく表している。

理不尽きわまる政治と社会に異論を唱え立ち上がる人々は必ず19世紀の思想家の名を掲げて、あるいはフランス革命や自由民権運動、日本国憲法の精神を引き合いに出し「本当の民主主義を」、「本当の自由を」求めて熱く語る。しかしそのようなものは決して存在しないことに気づかない。民主主義も自由も所詮はキリスト教社会の発明品であり、世界をその権力下に置くために異常なまでに美化された道具に過ぎないことに目を向けない。民主主義とは、自由とは何かという不毛な議論に時を奪われ上に掲げた五つの悲劇を繰り返す。そして来世への旅支度は手付かずのまま現世での時を終える。

アラブの春、グローバル化、フクシマ、少子化、そのほか題名をつけられない社会悲劇のどれもがセキュラリズムなくしては起こりえない欺瞞と非道である。現世での時をこのように使い果たすのが悲しく虚しいと思わない、あるいは思いながらも仕方なしと受け入れて本当の自由とやらを求め続けてしまうのがセキュラリズムである。



本論は科学と理論を否定するものではない。科学と理論を神への冒涜として迫害した中世に戻ろうという考えは毛頭ない。ただ現世に近視眼的になってはならない、そう申し上げるものである。科学にせよ理論にせよ、これらは現世で隣人に非道を働かないための智慧と捉えるべきである。そこに根拠を持つ民主主義などの政治手法はただの選択肢であり崇高なものではない。そして科学者、識者は物事の摂理を図式と論文で表現することを生業としているだけであり、彼らに万物の創造主であるかの如き権威を決して与えてはならない。
セキュラリズムの罪悪はまず科学と理論を神の替わりに神聖視させたこと、そこで生まれた権威を頂点とする支配構造を創り民衆をそこに縛りつけたこと、民衆に「自由」という得体の知れないよろこびを与え現世での時と来世への畏れを奪ったことにある。

分身の術を使い、筋斗雲を駆って飛び回る孫悟空はこの世に敵なしと思い上がり神になろうとした。「悟空よ、それほどならば我が掌から逃れてみよ」と言う釈迦に、一尺ほどの手のひらから逃れるなどとは笑止、俺様の一飛びは十万八千里、この世の果てまで駆けて見せようと息巻いた。そして幾日かとび続け、この世の果てと思われる五本の柱の立つ処へと辿り着くと、その根元に「斉天大聖」の名を書き見参の証をのこして後を戻る。やれ百万里、二百万里を駆け抜けたと豪語する悟空だが、じつは釈迦の掌の上をぐるりと周っただけであった。
孫悟空は驕り高ぶる人の子を、悟空が証拠にと名を書き残したことは弁証法や因果律をそれぞれたとえ、「釈迦の掌」とは数量と理屈が価値を裏付ける現世そのものを暗示している。その外を包む無限の来世があり、そこでは現世の法など毛ほどの重さもないことを知らなかったからこそ悟空は傍若無人な振る舞いができたのであろう。

日本の中で信仰の話をするのは極めて難しい。それだけ日本はセキュラリズムに侵されているといっていい。まがりなりにも神の存在を認めてきた西洋のほうがセキュラリズムからの脱却の余地があるのかもしれない。日本の場合は前編に記したように来世や神に関わる多くの霊的な概念を皇室神道に結び付けて玉砕した経緯があり、人々は「神」を否定をしないまでもそれを「自然」や「宇宙」と呼んでみたり、「心のよりどころ」などと定義してみたり、また地球外生命体に人類の救済を求めてみたり、とにかく直接認めたがらない。そこには歴史上で宗教戦争を繰り返してきた一神教に対する抵抗、暴利をむさぼる宗教団体への嫌悪、複雑になりすぎ解釈不可となった仏教からの逃避などさまざまな影響が垣間見れるが、いずれにしてもセキュラリズムが現世の周りに築いた塀があまりに高く、日本が「神」を直に見つめることが出来なくなったことに負う。我々がその塀の中でいくつもの手製の神を弄んでいることにもう気づかねばならない。

現世の中に閉じこもっていたのではその現世すら見えなくなるだろう。井の中の蛙が井戸とは何かを知らないのと同様、孫悟空が釈迦の掌の上を得意に駆け回っていたのと同様である。
生きているうちに現世から出ることは無理だが、現世のしがらみから意識を解き放ち現世を見つめなおすことは可能である。

生を受けて魂が宿ったその肉体が朽ちるまでの数十年の時、それが人ひとりにとっての現世である。国家が興り滅びるまでの一時代、それが一つの国の現世である。人が人としての営みを始めやがて地上から消滅するまでの間、それが人類のための現世である。ビッグバンに始まる時空の拡張が終結し、そしてもとの一点に再び集束するまでの時間、それが宇宙の現世である。つまり、意識が肉体や国や地球という媒体に宿ることで生まれる時を現世といい、その媒体が滅びるとともに必ず終わる刹那なるものである。現世での時を終えた人の魂は来世に迎えられ、来世での行き先が天国か地獄かは現世での行いが秤にかけられ裁かれる―多くの信仰で説かれるこのことを拒むかぎり、時が尽き果てるまでセキュラリズムに操られ続ける。セキュラリズムの語源saeculumの原義はやはり「時間」である。そして来世、そこでは時は流れない。日本の先祖はそれを常世(とこよ)と呼んで知っていた。時の流れがないことは「永遠」を意味する。



大海への通い路を絶たれた入り江の如く、来世から切り離された現世は淀み、穢れ、毒を放つ。その毒が時につれ濃さを増しこの酷すぎる現代に至った。
これはひとえに「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ」として現世の善悪を現世の法で裁いてきたセキュラリズムの結果である。現世に生まれた事象の善悪の判断を、同じく現世生まれの科学と理論に頼っていては遠からず己の毒に毒されることになる。カエサルのものは神に還されなければならない。



参照

「自由」について  自由非自在 じゆうはじざいにあらず
            自在非自由 じざいはじゆうにあらず
「信仰」について  キライなことば―「信じる」
「時間」について  とき、とこ、ところ

セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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