ロヒンギャ大虐殺 ミャンマー独立の爪痕


今世紀、人類はここまで堕ちた

いまミャンマーの西海岸地域でおこる大虐殺を、例の如く国際情勢の圏外に位置する日本列島では知る由も無いかもしれない。しかしどうか直視していただきたい。なぜならこの虐殺の一端を担ってしまった我が国の一員にはその義務がある。ミャンマーのアラカン州に古くから居住するイスラム教民族・ロヒンギャ族に対し民族浄化とも呼べる残虐行為が日々行われており、世界市民がその実態を知ることをメディアは必死に妨げている。掠奪、強姦、機関銃掃射、怪我人の横たわる家屋に火を放ち、墓地を陵辱し、今日までに3千人を超える罪無き人々が命を奪われ、40万人を超える罪なき人々が家と家族を焼かれ片目両腕を無くして難民となった。雨季にさしかかった今月末、彼らは隣接するバングラディシュとの国境であるネフ河を自力で渡る。増水した河は彼らの僅かな食糧を飲み込む。そして幼児の溺死、悪条件に耐え切れず息を引き取る妊婦や怪我人。神よ、どうか彼らを助け、安住の地を与え給え。
     アラカン

この虐殺の実行犯はミャンマー国防軍治安部隊、そしてアラカン仏教徒(Rakhine-Magh)の僧侶からなる武装集団である。

注:報道等で「ラカイン(RAKHINE)」と表現されるのは「アラカン(ARAKAN)」の現地の発音を英語で表記されたものであり、両者は同一の地名である。

近代以前

ミャンマー。かつてビルマと呼ばれていたこの国を、「ビルマの竪琴」の影響か純然たる仏教国とする思い込みも薄くは無いはずだ。しかしミャンマー北西部に位置し地図の上でラカイン=アラカンと書かれるこの地にはイスラム教徒がその以前から国を築き営んでいた。
アラブ人商人に連れられた最初のムスリム集団が10世紀までにこの地に定住した。彼らは自らを称した名称こそがロヒンギャであった。同じ頃に仏教徒のチベット系ビルマ人も東インドのMAGHADA地方からこの地に移住する。彼ら仏教徒はマグと自称し、先住民、またロヒンギャ族とともにこの地の構成員となる。アラカンは1407年ビルマ王の侵略を受ける。アラカン王は一族と共にムガール帝国の属州であったベンガルに逃れ20数年に亘りベンガル太守の庇護を受けるうちイスラームに帰依した。1430年、ベンガル太守の助けによりアラカンのビルマ勢力は駆逐されそこにアラカン-イスラム王国を建国、1784年にビルマ王国からふたたび侵略を受けるまでの350年にわたりこの地域を統治した。ビルマ占領下の1824年、英国とビルマが開戦しその結果アラカンは英国植民地の一部となる。イスラム圏、仏教圏を無視(或いは綿密に計算)した国境線が英国によって引かれビルマという国が成立したのは近代以降である。

パイプラインとアラカン
現在アラカンはミャンマーを区分する七つの州のひとつで、ここにはおよそ百万人のイスラム教徒が居住している。いや、していた。治安部隊とマグ族仏教徒によるムスリムへの迫害は2013年から激化が始まり、とくに今年2017年の8月以降は地獄と化した。
迫害政策の直接の原因はアラカンの戦略的立地条件である。
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アラカンは東南アジアのベンガル湾に面する南北500kmに渡る海岸線を持つ。中東に端を発しインド洋を渡り中国の雲南省に至る天然ガスと石油の二本のパイプラインがこのアラカン州を横切る形で2010年にその建設が始まった。すると同州は国防軍の管理下に置かれ軍用地同然の警備体制が布かれた。これはアラカンの住民が国防軍によって全ての権利を剥奪されたことを意味する。
         pipeline


パイプライン建設の警備とはいえ異常なまでの厳戒体制が取れられた背景として、アラカンのムスリムたちの土地には豊かな資源が埋蔵されていることが以前から囁かれており、そして2004年の調査の結果160兆㎥超の天然ガスと32億バレル相当の石油、金額にして七百五十億ドル相当の地下資源が存在すると判明したことが挙げられる。警備区域の侵犯を口実に地域住民であるムスリムたちが見せしめの如く頻繁に射殺されていった。つまり地域占領の本当の目的は埋蔵された地下資源の利権である。目的はどうあれ国防軍治安部隊とマグ族仏教徒によるその手口は婦女暴行や放火、子の目の前で親を射殺するという目も当てられない残忍さであり、しかもこれはここ数年の事件ではなく1941年から繰り返されていたことを我々は知りえなかった。

ミャンマー アラカン州埋蔵地下資源調査結果および試算(PDF)

ビルマ対英独立運動の爪痕

仏教の僧侶が武器を手に狼藉を働くのは実に想像しにくい。しかし室町の頃の日本でも僧兵というテロ組織が活動していたこと思い出しつつ、暴力を教義の上で禁じられた仏教の僧とて一つ間違えれば暴徒と化すことを認めなければならない。
ロヒンギャ族とマグ族は互いに信仰が異なうがそれだけでは一方が他方の民族浄化を標榜した殺戮の理由にはならない。しかしそこに第三の力が介入すればその関係をどのようにでも操作できる。両者の関係が悪化したきっかけは1930年初頭にはじまったビルマ対英独立である。独立運動の旗手であったタキン党がアラカン地域のマグ族と接触し多くの党員を確保したあたりから様相は一変し、そして最初の虐殺は1941年日本軍のビルマ侵攻の直後に行われた。それ以前の虐殺はロヒンギャ側の記録にも記憶にも残っていない。


19世紀末、英国との戦争に敗北したビルマはイギリス領インドに編入されインド総督下の副総督による統治がはじまった。人を人と思わぬその専横ぶりに統治民たちの不満が募る中、20世紀前半にはじまる対英独立運動は次第にその勢力を拡大、1930年にアウンサン・スー・チーの父であるアウンサンが学生を中心とするタキン党に参加し更なる運動が広まる。そしてとうとう総督府の撤退が決定、1937年にアラカンはビルマと共に植民地から自治区へと移行する。しかし、ビルマのその後の統治について協議がなされたロンドン円卓会議にはマグ族仏教徒の代表とビルマ全土に分散したインド系ムスリムが招待されたのに対しアラカンのムスリムはひとりとて招かれなかった。そしてその際、ラカイン州の自治をマグ族仏教徒に託すという無体な採択が取られた。現地民の信仰の違いを撤退後も地域を背後から操作するための起爆剤として利用するというおなじみ英国流の政治手法である。タキン党はアラカン地域の勢力を掌握するためにかつてからマグ族仏教徒と手を結んでいたのである。もちろん英国の入れ知恵である。こうしてアラカン自治政府の構成員は反ムスリムのマグ族タキン党員で満たされる。日中戦争のさなか水平線に第二次世界大戦が白み始めた頃である。日本軍は英米による中国支援の道を阻むためにビルマ攻略を標榜、独立運動を支援して反英闘争への発展を画策、運動家たちを海外に脱出させ軍事訓練等の支援をおこなった。アウンサンもその運動家の一人であった。
                  アウンサン
                   日本潜伏中のアウンサン

1941年ヤンゴンが、翌年にアクヤブが日本軍の空爆を受けるとビルマに駐留していた英国軍は英国領インドに撤退した。その折にアラカン自治区の全権をタキン党マグ族に委託した英国駐留軍は武器弾薬をも置き去りにし、そのすべてがマグ族の手に渡ってしまう。そして1942年、英国製の兵器で武装した僧侶も含むマグ族自治団の手によりロヒンギャ族に対する大虐殺が行われた。10万人の死者、50万人の怪我人、294もの村が消滅、故郷を後にせざるを得ない8万人がバングラディシュに逃げ堕ちた。当時英国は統治国としての責任範囲の外にいた。また新たな占領国である日本も一切関知しなかった。しかしロヒンギャ族は激しい抵抗をみせて遂にアラカンを奪還、ふたたびこの地に生きる基盤を築いた。
         ナフ河
            ナフ河を越えてバングラディシュに逃れるロヒンギャ族

1943年日本の後見でビルマ国が建国される。しかし翌年には日本の敗色がいよいよ濃厚になるとアウンサンを指揮官とする国民軍、タキン党を前身とする共産党などが連携して英国に寝返り、日本の指揮下にあるビルマ政府に対しクーデターを起こす。連合軍はそれに乗じて侵攻してビルマを日本から奪回し再度植民地とし、そのまま終戦を迎えた。英国は大戦で連合軍側についた植民地に独立を約束していたが、日本と協調したビルマに対しては様々な条件を出して独立を先送りにした。アウンサンはその間、やがては実現する独立の後に自らが率いるAFPFL(反ファシスト人民自由連盟)による一党支配の実現のための準備に奔走、ビルマ人以外の各地の少数民族に団結を説いて回った。姑息なアウンサンとの協調には何の希望も持てないロヒンギャはAFPFLへの加入を拒否する。大戦の折にロヒンギャ族は連合軍側に立ち英兵と行動を共にしていたのである。いうなれば戦後の独立を約束された立場にあった。それを英国側に主張しあくまで自治権を求めた。

そして1947年ビルマの将来を構想するための国民会議がアウンサン主催で開かれるが、ロヒンギャはまたしても意図的に招待されず、自治権はおろかビルマ人とは歴史を異にする民族としての認定すら得られなかった。
英国と日本の両方を利用し、また利用されたアウンサンらの処刑を経て1948年ビルマ全土の独立が実現、アラカンを内包する現在の国境線が引かれる。

         bargandy blood
            現在のマグ族仏教徒武装集団の頭目Ashin Wirathu

血染めの衣を着る僧侶

英国の撤退を機にアラカンの警察権はふたたびマグ族仏教徒の手に渡り、当然の如くロヒンギャ・ムスリムへの殺戮が始まった。数で評価するべきことではないが1万人が命を奪われ、そして5万人がこの時点までに独立を果たしていたパキスタンへと亡命した。残ったロヒンギャたちは再び武装し仏教勢力と対峙、そして押し戻した。もとより大義名分の欠如したマグ族とそれを影で援助する政権にとってこれ以上の衝突は害があっても益が無いとの決断から、政権はロヒンギャに対してマグ族との和解と国政への加入を持ちかけた。ロヒンギャとしてもこれ以上の流血は回避せねばならない、しかしひとかけらも信頼をおけぬ連中との協力はそれこそ身を滅ぼしかねないと葛藤するうち共同体内の意見に一致が見られぬようになりそのまま弱体化していった。一方で政権はマグ族に対し民族間対立の「凍結」を指示、この不気味な静けさの中、次なる受難が近づいていた。
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                    焼失した村

1962年、軍部によりクーデターが決行される。軍が国の全権を掌握するや否や、アラカンのムスリムを反政府分子とする虚言を盾に彼らの権利の縮小が決行される。また軍から派遣された治安部隊による謂れのない暴力や恐喝、投獄は日を追って増し、それに勇気付けられたマグ族仏教徒は昔を懐かしむが如くロヒンギャたちに危害を加えるようになった。

数年おきに大量のロヒンギャ難民がおしよせるバングラディシュも事態を苦慮していた。ビルマ軍事政権は国境付近に避難したロヒンギャ難民をバングラディッシュからの不法入国者と主張しビルマ国籍を否定、彼らを無国籍状態におとしめた。人としても同じムスリムとしても難民たちを見殺しにできないが彼らを抱えるだけの国力もないバングラディシュの指導者はビルマ軍事政権に対し、ロヒンギャ難民をアラカンに帰国させない限りはカダフィーがリビアから部隊を差し向けアラカンでゲリラ活動を開始すると脅し、青くなったビルマ政府は早急に難民を召還した。しかし帰国したおよそ二十万人の難民たちにビルマの国籍を認めることはなく国民外と認定、事実上の無国籍である。
今現在もしつこく継続されるロヒンギャへの虐待と虐殺が国際社会から追及されるたびビルマにはロヒンギャと呼ばれる民族など存在しないことを主張し、国境地帯で逃亡生活をする人々をあくまで不法入国者と言い切り、国連の調査団はと言えば「ああそうですか」とばかりにミャンマーの言うがままの調査報告書を作成し帰っていくのである。そこらの市役所以下の仕事ぶりである。
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        イスラムホビックのまねごとをする血気盛んな坊主ども

きりがない。つまりロヒンギャ・ムスリムたちは絶え間なく交代する国家権力者にそのつど政治的迫害を受け、千年前から同じ土地に住むマグ族仏教徒からは物理的迫害を受け続けているのである。しかしこれはあくまで表皮でしかない。その内側の構造を端的に言えばマグ族仏教徒とは胸中の憎悪を刺激されればいつでも噛み付くように洗脳された集団であり、英国総督府にはじまり今日のミャンマー政府に至るまでの歴代の政権はアラカンからロヒンギャを一掃することを自らに義務化した集団であり、もしこの歴代政権が全て大英帝国の傀儡であると仮定すれば(べつに断言してもかまわないのだが)長期にわたりアラカンのロヒンギャ・ムスリムを虐待したがっているのは大英帝国だということになる。

新たな資源戦争

実はビルマは1853年以来の世界の最も古い石油輸出国(英国植民地となった直後)である。そして2004年にアラカン州に石油が埋蔵されていることが判明すると中国はその購入を希望、マラッカ海峡を経由する従来の海路交通ではなく、アラカンからのパイプラインで直接輸入することを条件とした。2010年に開始されたパイプライン建設は2013年に完了、そして供給が始まった。アラカンの西海岸は資源運輸にとって少ない投資で高い利潤を得る上で絶好の条件を備えている。中東から海路で運ばれた資源をアジア全域に行き渡らせ、またミャンマーで採掘された資源を精製し輸出、海路・陸路、長い海岸線と穏やかな海、欧米の言いなりになる政府、これ以上の立地条件はそうはない。そうなると世界の石油業界はそこに群がる。これに投資する業者の面子はといえば、BP、BG、シェル、トータル、シェブロン、アラムコ(サウジ)・・・

またか、としか言いようがないのだが、アラカンの虐殺が世界のメディアから無視され続けていたのはこのためである。しかしそう括って諦めてはアラカンの人々の傷つく魂を癒すことはできない。それどころか更なる殺戮に対し目を背けることになる。人の子としてそれは許されないはずである。

一部の見解によればアラカンの無人化を率先しているのはサウジアラビアで、理由は資源輸出入の拠点にすることと同時に肥沃なこの地域を自国の食糧供給に寄与する形で再計画するためだという。なさそうな話でもないが、ウラン濃縮施設でもあるまいし農地計画に無人化の必要はないだろう、ましてや労働力が必要な農業にサウジ国民が出稼ぎに来るわけもなく、それでいて人払いとは何やら胡散臭い。今年(2017年)から急にロヒンギャ問題に世界の目が向けられるようになったのもアラブ人のアラカン進出が糞面白くない英国が無人化のための虐殺という罪の衣をサウジに着せるため虚偽混じりの情報公開を始めたとも考えられる。


意図的な誤報、またの名は虚偽

ロヒンギャ虐殺に関していま日本語で読める情報は非常に限られており、その元に間なる記事も海外の主だったニュースの英語版がせいぜいである。つまり日本列島に住む日本人はAPやロイターの書いた出任せのあらすじの日本語訳の書き損じのコピーを読まされている。ましてや○○大学の××教授による論評云々や某多極化説などは一体どうすればこんな嘘八百がかけるのだろうかと情けなくなるものが殆どである。こうして時を追うごとに情報は混乱し、事態は全く理解されないまま忘却されて行くのである。ロヒンギャ虐殺に関する幾つかの英語の報道に悪質な嘘が密かに記されていることをここに記しておきたい。 

NIKKEI ASIAN REVIW

ここには本稿で繰り返し殺戮者として表記したマグ族仏教徒(RAKHINE MAGH)をシーア派イスラム教徒にすり替えて記載されている。つまりロヒンギャ虐殺問題をスンニー・シーア対立の結果として扱おうとしているのである。卑怯を超えて姑息といえる。
この虚偽の目的は実は歴然としている。現在イスラム諸国の軍事力と経済力を少しでも削ぐことに血道を上げている欧米は、それをもっとも効率よく実現させるための戦略としてスンニーとシーアを衝突させることを常に目論んでいる。事あるごとに領宗派を刺激し、憎悪の念を呼び覚まし、過ちを犯すのを待つ。

国と呼べないミャンマー

本稿を通してビルマあるいはミャンマーという国をかなり批判した。しかしアウンサンの寝返りといい、軍事政権の意識の低さといい、まともな政治家を輩出できない国民といい、それ以前に民族浄化とも言える虐殺を平気で行うような国に国という称号などふさわしくないことは明らかである。今ロヒンギャ虐殺問題に為す術を持たないアウンサン・スー・チーには批判と同情の両方が寄せられている。中国と欧米に挟まれ動きが取れないのは理解できる。しかし立場が苦しいのはアジアのどの国も五十歩百歩であり、ましてやミャンマーには資源という強味を生かす機会がまだ残っている。私腹を肥やして保身に勤しむことをやめなければ政治などありえない。しかしこの国は軍事政権時代から資源輸出の利益の着服が横行し、スーチー氏自身も2016年新政府発足当初、国家顧問と兼任する形でエネルギー相を勤め僅か三月で謎のポスト返上をしている。彼女に贈られたノーベル平和賞は欧米の対中エネルギー政策の飛車角的存在である彼女への報酬でしかなく、明らかな虐待に目をつぶり外に対してはそれを否定すると言う態度は人々が平和なる言葉に抱く幻想を捨てて我にかえるための格好の材料である。今後も元首として国の矢面に立つのであれば討ち死に覚悟で戦うべきであり、できないならばさっさと退陣し回顧録でも書けばよい。


日本のすべきことは何か

日本人の耳に「戦争責任」と囁けば頭に血がのぼり右か左に転んでしまう。ドイツ人に「ホロコースト」と言ってみても同じことが起こる。
日本軍のビルマ侵攻の際、英国勢力の排除のために独立運動に加勢したことは戦略の上では効果があったが、多民族国家の抱える複雑な事情を考慮に入れず、まして自治権の発生と共におこった民族浄化政策を見てみぬふりで通したなどは人として許されることではなく、すでに地に落ちて血にまみれた大戦の大儀を美談で覆ったところで覆い尽くせる訳がない。右翼の皆様の口癖でもある「日本はアジアの独立に貢献」とは所詮この程度のものであり、独立国としての資質のない地域を無理やり独立させていまだに父親顔をしているに過ぎない。父親であれば幼い我が子に刃物を預けはしないだろう。
               切手

今の日本政府がロヒンギャ問題に言及しないのは国民が知らないであろうこの疾しい過去を今さら知られたくないからである。さらに言えばロヒンギャと同じ運命を辿り戦後六十年を経た今も苦しみ続ける民族がほかにいくつも存在するはずである。それを報告書にまとめて政府の横っ面を叩き外交の舵を引っ張ることこそ左翼の皆様の仕事であるはずなのに護憲だの反戦だのとわめき散らすばかりで何の役にも立っていない。職務怠慢である。
日本人はまず事実を知ることからはじめなければならない。知れば良心が見ぬふりを許さないはずである。見れば何をすべきかはおのずと導き出されるはずである。このままでは原爆投下や東京大空襲を知らぬ存ぜぬで通されても返す言葉がない。

本稿は掲載を急いだため無感情に事実関係のみを記すに限った。シリア、パレスチナ、イラクなどの諸地域を含めての考察は次号に続けたい。
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虚構の上に軍隊は成らず いわんや戦争放棄をや

 戦争法案――べらぼうなイカサマ法であることには違いない。こんな法案を通すような議会であれば無いほうがましである。しかし情けないことに国民側からこの法案に対して為される批判はあまりに子供じみている。ただヘイワ、ヘイワと騒ぎ立て戦争に行きたくないと駄々をこねているに過ぎないではないか、その空恐ろしさを感じているのは筆者だけではないと望む。


筆者の記憶では二十五年ほど前、「平和ボケ」なる言葉が活字になって世間にお目見えした。この言葉は戦争のない日本で安穏と生きることにある種の「罪悪感」を植え付けた意味で重要な役を演じたと言ってよい。その結果として四半世紀後の今、軍国化を唱える右翼くずれどもが票を集めたことを思えば「平和ボケ」とは当時の現状批判として国内から湧き上がった言葉ではなく、国外の勢力が冷戦後の日本の外交位置を想定した上で敢えて我々の潜在意識を操作するため耳に吹き込んだ策略だったのかもしれない。


戦争は非道そのものであり起こしてはならないものである。戦争のない世を望むのは日本に限ったことではない。ボケが来るほど平和であるならこの上なにを望むのか、そうも言よう。しかしそのような状況は果たして人類にとって不可能である。


たとえば戦後の日本は本当に平和であったのだろうか、否。日本は人類史上最悪の戦争である冷戦下においてアメリカという名の防空壕に隠れ目と耳と口をふさいでいたに過ぎない。否、もとより「平和」などという軽薄な言葉はこのような狸寝入りに似つかわしい。戦後日本は朝鮮戦争の軍需工業により復興を遂げた。朝鮮半島を焼け野原にした兵器は日本人の手によって作られたのである。その後日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくと経済成長を果たす傍らで冷戦体制の底辺に置かれた弱小国は欧米に蹂躙され続けてきた。その資金源こそ経済大国と祀り上げられた日本である。日本は間接的であれ第三国にとっての加害者であり続けたのである。我々が平和と名づけて拝するものはどう贔屓目に見てもこの程度である。


日本は先進国の一員とされながらも外交能力の評価は非常に低い。表向きには外務省が置かれ諸外国との国交が持たれており国連では非常任理事国としての位置もある。しかし実際はいかなる交渉も決定も常にアメリカの顔色を伺いながら、あるいは指示を仰いでの上で、これを外交と呼ぶことができようか。日本には外交の能力ではなく外交の権限がない。皆無と言っていい。敗戦後に占領下に置かれた日本はその後独立を認められたものの未だに首を鎖に繋がれたままなのである。そういう国はアジア・中東・アフリカに少なからず存在するが、日本はだてに金を持たされているだけ始末が悪いのである。


戦争を一方的に放棄するだけならば子供でもできる。国家が戦争をしない、巻き込まれないためには政府による万死一生の外交努力が必要でありかつ国民は政府に協力すると同時に政府を厳しく監視せねばならない。しかし日本人はそのすべてを放棄し国防も外交もすべてアメリカに委託している。敗戦国の立場とはそういうものだが、かの敗戦から七十年も経って未だにそれに甘んじていられるのはもはや日本人がそれを望んでの事と言うしかない。


つまり楽なのだ。アメリカに追随してさえいれば貿易が赤字になることも他国に侵害されることもとりあえず無い。なにより複雑な外交と金のかかる軍事を丸投げしておけば軍事行為で手を汚さずに金儲けに専念できる。戦後こうして金持ちになった日本だが、楽をしている間に非常事態を嗅ぎ分ける嗅覚も対応する能力も完全に失ってしまった。ここ数年頻発する海外での日本人拉致・殺害事件をみれば日本政府の外交が全く機能していないことがよくわかる。


「テロリストとの譲歩は有り得ない」などと毅然と語る欧米だがそれは当然嘘八百である。各国政府は自国の諜報(スパイ)組織を通してテロ組織等とは常に交渉を持ち、脅し、すかし、利害の一致があれば協力し、資金を融通し、すべてのテロ活動は事前に察知することが可能であり、逆に誘発することもある。しかし諜報部を持たない日本政府にはこれが決して出来ず、「屈する」ことも出来ず、したがって海外で捕虜となった日本人を日本政府が救う可能性はない。このように日本は丸腰のまま軍を抱えようとしているのである。


軍国の場合、軍の行動は諜報組織のもたらす情報をふまえて計画される。その組織のない日本に軍なるものが配備されれば、レーダーも羅針盤も搭載しない帆掛け舟でいきなり海戦に斬り込むようなものである。いかにも日本的と言えるが笑い話ではない。


(日本人にスパイはやれないと思ってはいけない。江戸幕府が二世紀半に亘って維持されたのは「公儀隠密」の活躍が大きいのである。また外交が本当に下手かといえばそうでもない。黒船来航の百年以上も前からロシアなどの船団が通商を求めて日本近海に現れていたが、すっとぼけながら回答を避けてはうまく遣り過ごしていたのである。江戸幕府の終焉は単に世界の流れに逆らえなかったためだけではない。命を天に預けて戦う「兵-つわもの」であったはずの武士たちが泰平の世に甘んじて官僚化し、保身のために政治判断が先例重視に傾いたのが大いなる原因である。一大事を察知る武士の気は萎え、破魔の武芸は形ばかりのものとなり、もとより軍事政権たる江戸幕府はその存在の根拠を失った。こういった内的な崩壊を察知したアメリカが満を持して江戸前に大砲を構えたのである。)


今になって日本の軍国化を望んでいるのは他でもないアメリカである。世界の覇権国として君臨してきたもののアメリカはもはや疲弊した。国内を見れば精神異常と肥満と薬物中毒に満ち、職も働く気力も体力も無い。ありもしない正義を振りまわし世界中に戦争をふっかけまくった挙句の当然の結果である。そろそろ覇権を他国に分散して影でその糸を引いて暮らしたい、かつてイギリスがそうしたように、である。日本はアジア地域の番兵として好都合、というわけである。日本国諜報部設置などはアメリカが承知するはずも無く、されたとしても有名無実の組織(例:内閣情報調査室)になる。


日本再軍備論は誰も住まない猫の額ほどの孤島の領有権という実にどうでもいい問題から起った。日本と中国が協調することでアジアへの影響力を失い損をするのはアメリカであることを忘れてはならない。北方領土問題のせいで日露協調が今日まで実現しなかったことがアメリカにどれだけ利益を与えたか試算してみるべきである。いま政府が法改正をしてまで配備しようとしている「日本軍」は単なる米軍の下請けであり我らが国とその国民を守るための武力ではない。


資金さえあれば軍隊は作れるので、日本ならば自衛隊を増強し最新鋭の軍備を数年で整えることが出来よう。ただし飛行機、銃器、弾薬すべてをアメリカから輸入することが余儀なくされる。兵器を輸入するか自給するかは単に経費の問題ではない。A国がB国から兵器を輸入しているのならばA国は結局B国に防衛を依存していると言い換えることができる。依存を絶つためにA国が兵器の国産に乗り出してもB国はあらゆる手でそれを妨害する。世界で起こる謎の株価暴落や航空機事故、クーデターまがいの市民デモはその脅しの常套手段である。技術先進国の日本でさえ未だに旅客機すら国産していないのはゆめゆめ戦闘機の開発などをせぬようにと頭を押さえつけられているからである(日本には某中華人民共和国のようにロシアから戦闘機を盗んで丸ごとコピーしたりするような真似はできない)。こうしてB国から輸入した兵器の制御システムが実戦では決して正常に作動しないであろうことはA国も重々承知であり、だからこそA国はB国に逆らえない。今のままでは虚構を承知で軍備することになる。


相手の物を奪いたいという本能がある限り人は隣人に害を与えてしまう。そうなればおのれと家族を守るために武器を握ることは避けられない。人は裸では生きてゆけない。この原初の道理を国の次元まで引き上げたものが戦争である。外から侵害をうければ国家は国と国民を守るために武力を行使せねばならない。前時代じみた野蛮な考えだとのご指摘もあるだろう、しかし「正義」「平和」「友愛」などとぬかす民族こそ手の付けられない蛮族であり、地球上にこいつらが存在する限り侵略は絶えないと断言できる。国家には有事に行使できる武力があって然るべきである。


わが国にとってその武力とは米軍である。アメリカとは人類史上最も好戦的な国であり、建国以来アメリカが関わらなかった戦争はこの地球上に存在しない。まさに戦争で飯を食っている国に「守られて」いるという事実が不快でないのはなぜであろう、それは「戦争放棄」の一言があまりに眩しいからに違いない。


日本に軍隊がないのは戦争の永久放棄を明記した日本国憲法に由来する。その草稿を起こしたのも、それをほぼ丸呑みした日本政府案を「了承」したのもGHQである。そしてこれは世界に二つと無い平和憲法であり何があろうと死守するべきと謳った戦後教育を設計し導入したのも他でもないGHQである。原爆と敗戦によって自失状態になった日本に占領軍の言い分のすべてを承諾させ、正気をとりもどしたあとにも懐疑の余地を与えぬために学校教育をして日本国憲法を神聖化した。これは大政奉還後、天皇を現神人(あらがみびと)として奉り神国日本のあらゆる行動を肯定した仕組みと酷似している。(明確な「神」をもたないために導き方次第で何でも神と信じてしまうという日本人の弱点はすでに室町時代にイエズス会のスパイである宣教師ルイス・フロイスの手で解析され西欧に報告されていた。)


占領軍が非占領国の国法制定に介入することは越権行為であり現行の日本国憲法は本来ならば無効である。と、ときおり起こるこの正当な主張はアメリカ追従をやめられない日本政府に常に黙殺されてきた。兵役に行かないですむ国民からも無視されてきた。


誰が作った憲法であろうと戦争放棄は至高の法である、そうお考えの方は多いと思うが、日本はアメリカの起こす戦争に影で加担することで自国の安泰と富を築いてきたことをどうか正視していただきたい。この幻影の如き理想を掲げて生きるうち国は病んで衰え明日には地球の癌となる。虚構の上に軍隊は成らず、いわんや戦争放棄をや。


わが国には独自の憲法が必要である。「自由」「平和」「幸福」などという詐欺まがいのあいまいな表現を含まぬ、国の進むべき道を淡々と綴る新憲法を作らねばならない。


わが国には独自の軍隊が必要である。現政権が強行に作ろうとしている米軍日本支部ではなく、日本と日本人を守る日本軍である。その兵器はすべて国産でなければならない。戦争放棄を目指すのはその後である。


わが国には独自の外交が必要である。戦争放棄は突然「やめた」と言って成り立つものではない。同じ意志を持った国々と密接に交渉を続け、協調し、他国(例:アメリカ)の利益のために参戦できないとする国内外の法整備を重ねてこそ実現できる。ただし経済制裁とテロの標的になることを覚悟し耐え抜かなければならない。


日本はまず輸出入に偏りすぎた経済を叩き直さなければならない。経済制裁という脅迫を撥ね付けるだけの国内生産力が要る。このまま国民が都市生活に固執しているうちは生産力は下がりつづけ、不足を補うための輸入とその対価を支払うための外貨獲得すなわち輸出に血道を上げることになる。さらに都市集中から生まれた「地価」という架空の価値のために国民は無駄な労力を常に費やし、その利益は銀行が吸い上げて最後は国外に持ち出されているのである。都市とは金融システムの都合が生んだものである。いまはそれに背いて都市から離れた生き方を模索する時である。


輸出入が減れば株は下落し、失業が増える。しかしそこで農林水産業と工業を援助し雇用を増やすのは国の仕事である。「都市」がその引力を失えばしめたもの、国民生活は逆に向上するだろう。


日本には食糧生産の可能な土地がまだいくらでもあり、また市場の食糧の三割以上が廃棄されていることを考えれば自重することで食糧完全自給は十分可能になる。そして毎日のごとく膨大に排出されもはや行き場を失った不燃ごみとはもとより石油そのものである。日本が資源を大量に輸入せざるを得ないのは資源が無いからではなく使い方を誤っているからである。市場が「使い捨て」を前提としている以上この過ちは繰り返され、いずれ国民も使い捨てにされるだろう。


廃絶すべきは受験を標榜した教育である。その教育を通して体得させられているものは「合理性」のみである。聞こえはよさそうだがこれはただただ資本主義経済に貢献する手足となるための理念でしかない。ようは「金がすべて」という理屈で調教されているのである。すると「金のためなら」どんな非合理も理不尽も受け入れられるよう洗脳されてしまう。すると海外の弱小国あるいは国内の弱者の暮らしを、そして慕うべき朋友の暮らしをどれだけ侵害していても、逆に侵害を受けていてもそれを雄弁に肯定できるようになる。いらぬ戦争へと引きずり込まれてしまうのはこうした下地があってこそである。


絶縁すべきはメディアである。牙を隠して笑顔で歩み寄り、主義主張のみならず善悪の判断までも塗り替えてしまうことができる。世界の街角で民衆が「春」と叫ぶ暴徒と化した。それを煽り戦争を起こしたのも、世界に事実無根の画像を配信し「春」を美化したのもテレビとソーシャルメディアであった。いずれのメディアもその持ち主のために存在するのであって民衆のためではないことを知らねばならない。


今までどおりアメリカに追従することで保身を図るというのであればそれも国としての道であろう。ただしそれは属国としての道である。


日本は独立国として、外交と防衛を自らの意志と手で行うべきである。アメリカが疲弊し国力を失った今がその檻を破る好機である。


国策のアメリカ追従を断ち切るには、「内的な自立」をおいて他はない。それは生活の手段や嗜好にはじまり史観、社会観、倫理観そのほかあらゆる観念をアメリカから押し付けられ、それを「よいもの」と信じ込まされている状況を破壊し日本人としての本来の生き方を取り戻すことである。国の根本である国民一人ひとりがその自立を果たせば政治などは自ずと変わる。



…と、書き連ねるのは楽だが、実現には苦難に満ち、多くの尊い血が流れることも避けられないだろう。そして今日の日本人がそれに耐えられるとは思い難い。なぜなら今や苦難に耐えるための大儀名文が実に怪しいからである。近代以前は「神仏」を畏れ、苦しいことがあろうと「神罰や仏罰」をうけぬようにと非道を避け、それに耐れば「徳」を積むことができ死後には極楽に迎えられるとの考えがあった。しかし現在はそのようなものはただの非合理でしかなくなった。我々が悪事に手を染めぬための縛りは「法律」である。法を犯せば「刑罰」をうける。さすれば「金と自由」を失う。そうならぬためなら社会の軋轢をも辛抱できる。「金と自由」は現代人にとって最も神聖なものであるからして、敵国が「金と自由」をちらつかせて近寄ってくれば苦難に耐える必然性が蒸発してしまうのである。悲しくもそれが日本の現状である。


新憲法、再軍備を語るのであればその根底を為すもの、つまり日本を束ねる共同体意識を見出さなければならない。それには先史から今に至るまでに世界に興亡した国々がいかなる道を歩んだかをよく学ぶべきである。

悪銭 身につかず

悪事や賭け事で儲けたカネなど役に立つどころかあれよという間に消えてゆく、そんなことを諭す諺や格言はそれこそ世界中にある。世の中を見渡せばたしかに悪銭は身につかず泡沫と帰すことは目に見えている。が、人々がこの諺に教訓を得ているかどうかはまた別のようである。



日本はかつて金持ちなどではなかった


兎に角よく働き、怠けることを嫌う。よいものを作ることに喜びを見出し試行錯誤を惜しまない。遠い国から見たことのないものが伝わるとわずか数年でそれ以上のものを自ら作ってしまう「目」と「手」を持っていた。勤勉にして利発、そして器用という日本人の気質は昨日今日のものではなく遠い先祖から受け継いだものである。しかしかつての日本人たちは心豊かな暮らしをしてはいたものの決して「金持ち」などではなく、少なくとも江戸時代までは西欧列強諸国からしてみれば「木と紙と藁の家に棲む」「裸同然の」「貧しき民」でしかなかった。



開国から戦後

幕末以降、海外に留学した者たちは口をそろえて日本の遅れを訴え、日本の国際社会への参入を標榜し技術や思想の輸入と移植に励んだ。それは日清・日露の戦勝をへてついに日本の手に届くものとなった。

しかし第二次大戦によって日本は焦土と化し大東亜共栄圏の盟主という肩書きは敗戦国に取って変わられた。多くの命が奪われ多くの物を失った。それでも日本人たちは日々の糧に事欠きながら皆で働き、そして働いた。日本人の作るものはたちまち世界中で重宝された。敗戦からたったの20年、オリンピックや万博を招致するに至ったことはここに記するまでもない。当時うわ言のように呟いた「西洋に追いつけ」は、その昔に「殖産興業」「富国強兵」などと言ったものの戦後版だろう。

貧しいながらも正直で働き者の夫婦が最後に大判小判を手に入れるという昔話を地で行った、それが日本の経済成長だった。



経済大国

勤勉な国民性が功を奏したか、ついこの間まで焼け野原に佇んでいた日本人はわずか半世紀で世界第二位の経済大国となるにまでに国を成長させた。筆者自身を含む多くの日本人は父母や祖父母が骨身を削って働き今日の繁栄を手にしたことを信じ、誇りに思う。そしてこれは事実でもある。


しかし。

常に世界一の経済大国を誇る某国の国民は我々のように勤勉ではない。どちらかというとその逆でおおむね怠惰、まともな機械部品ひとつ作れない。作ろうとしない。先に述べたように幕末までの日本人はまさに働き者であったが金持ちではなかったことを考え合わせると、どうやら金持ちと働き者とはさして関係のないものということになる。



日本はどうやって金持ちになったか

日本が占領されている頃の世界は「冷戦」の影に覆われていた。軍需産業の甘い蜜を忘れられない戦争屋たちが先進国の国土を焼かずに戦争するための秘策であった。1950年、日本のすぐ対岸で朝鮮戦争が勃発するとそこに国連軍として出兵したのは日本に在留していた占領軍だった。畢竟、占領下にあった日本は占領軍の受注を満たすための工業生産と輸送に勤しむことになる。朝鮮戦争に日本は無関係であったにしろそのことはあまり議論されず、むしろ外貨獲得の好機との受け入れ方が強かった。
特需の内訳は輸送(出兵や民間人の引き揚げ、物資、武器)や建設(国内の基地や滑走路などの軍用施設)、修理(飛行機、自動車)などの事業と、紡績品や鉄鋼資材・機関車等の輸出からなる。
戦後に武器の生産が禁止されたため当初は秘密裏に行われていた武器輸出も52年の法改正を期に制約がなくなり輸出高の多くを占めるようになった。銃器・戦車・船舶などを日本国内で製造し、輸出した。

雇用は増えドルやポンドが舞い込んだ。これを「特需景気」と呼ぶ。日本はこの朝鮮特需によって戦後復興のはじめの一歩を踏んだ。

日本製品がすぐさま歓迎されたわけではなかった。当時の日本人はまだ機械類を工場で大量に生産することに不慣れだったため最初は多くの不良品を出荷してしまった。そんなことをされて困るのは最前線で戦闘中の軍である。製品の水準を上げるために徹底した生産管理の枠組みを占領軍自らがつくり現場で厳しく指導した。
ここで日本は産業革命以来の欧米のお家芸である「大量生産」の運営・管理法を伝授されたことになる。明治維新による西欧化の不完全であった部分をこうして徐々に補填してゆく、その一例である。この秘術にわが国流の創意工夫を加え出来上がったものは今日の日本の工業の土台になった。

その後は我々が父母から聞いて知るところの高度経済成長期へと流れてゆく。



戦争ほど儲かる仕事はござんせん

「特需」という言葉を最初に使ったのは日本経済新聞だった。経済に重きを置く新聞ならではの論調でこの特需景気に期待をかけ歓迎している。他の大手新聞社もこれに追随し、世論は特需を、いや朝鮮での戦争を歓迎した。
戦後の日本をこの目で見た年代ではないが、その酷いありさまは家族たちから聞いて育った。ここにそれを記すのは憚られるため割愛するとして、とにかく一日も早く立ち直りたかったことであろうことは明らかである。しかし戦争の悲惨さを身に浸みて知っているはずの日本人が見出した活路はまた戦争だった。皮肉である。

日本の軍需工場で作られた銃が、戦車が、よその国で暴れまわり町と人を焼く。そのころ戦争の真の当事者たちの国ではそよ風がふいている。この構図に誰かが少しでも疑問を抱いたかどうかはもはや知る由もない。あったとしても新聞の作り出す世論はそれをたやすく掻き消したであろう。どの道、特需や戦争に後ろ指をさすことなどはGHQの検閲が見逃すわけがなかった。
朝鮮戦争のみならず、戦争になどひとかけらの道義も存在しない。国が別たれ人が引き裂かれるが、そんなことは戦争の儲けに比べれば些細なことと見向きもされない。



復興と戦争

この朝鮮特需によって日本は急速に復興の道を切り開いた。
朝鮮戦争は日本にとって偶然でしかないとし仮に起こらなかった場合の復興の遅れを数値によって検証した論文などが存在し、特需なしでの復興はあり得たのかという研究は広くなされている。しかし筆写がこの手の研究に興味を持てないのは、戦争をはじめから天災のような「偶然」に位置づけているという誤りの上で議論されているからだ。

戦争は仕方なく起こるものではなく誰かが意図的に起こすもの、この時期にこの地域で煙が立つことを望む輩がいたのだからそうなったに過ぎない。この日本列島が戦場となり朝鮮半島のような運命をたどっていたかもしれないことはよく知られている。「日本ではなく朝鮮で戦争が始まり」、「日本はその戦争特需によって復興し」、「高度経済成長を成し遂げ」、「占領国にいつまでも貢ぎ続ける」。そんな安手の脚本がハリウッドあたりで書かれていたのだろう。

占領国は非占領国の復興に責任がある。少なくとも20世紀以降は道義上そうである。
しかし「極東の大悪党」たる日本を立ち直らせるため国費を費やすことに占領国の国民が納得するわけもなく、復興させようにもその費用をどこからか捻り出す必要があった。そこでよくある話、占領国は朝鮮戦争の物資・武器弾薬を日本で調達する名目で日本に出資する。雇用の賃金と製品の対価によって潤った日本が自力で復興したということであれば批判は避けられる。

ただし当時の日本政府は敗戦国として膨大な占領経費を支払っていた。これは今の「思いやり予算」に近いもので、占領軍の生活費をふくむ諸経費を負担していた。この額は特需の総売り上げに匹敵、もちろん日本側に監査の権限はなかったので占領軍側の発表であるが、これは朝鮮戦争が日本の負担で行われたことを意味するという見方もできる。


「ものつくり」

日本は工芸の国でもある。狩猟と採取に明け暮れる太古から道具を作ることに長けていた。よりよい材料を得るために列島中を移動した。名もない職人の作る道具でも使い勝手と美しさを兼ね備えていた。我々はそんな先祖をもっている。日本人が物を作るときは必ずその「ものつくり」の血が騒ぐ。誰かの役に立つように、誰かに喜ばれるように、そう願いながら手を動かす。
そして戦後、明らかに今までと違う方法で物を作らされるようになった。それでも使う者の身になり役に立つよう喜ばれるよう精魂をこめた。
軍需工場で働いた者のなかには戦争で父や夫を失った女たちもあった。人を傷つける道具をその手で組み立てた彼女たちの心中や、いかに。


悪銭身につかず

戦争は悪事である。その悪事に加担して稼いだカネは悪銭である。そう考えるのならば特需でつかんだ好景気とそれを資本に発展した日本経済すべてを悪銭と罵り拒絶しなければならない。しかしその繁栄のなかで安穏に育った世代の人間にそうする資格はなく、さりとて「悪銭だろうがカネに変わりはない」と居直るのではもはやそれまでである。

悪銭で潤うことに呵責がないのであれば初めから騙して脅して奪えばよい。ならば働く必要などは何処にもない。国民に働く気力もなく、薬物中毒と肥満に悩む国が世界一の経済大国でいられるのは大して不思議な話ではないのだ。彼らとてそんな国を築きたかったのではなかった筈、ではなぜそうなったのか。悪銭が、そうさせたのか。

復興とともに家や学校が建てられ、昼夜を問わず皆が働き、病院も役所もできた。憲法が整い占領軍も引き上げた。大量生産技術を習得したため経済は加速し続ける。日本製品は嫌われながらもよく売れた。外交と防衛は「外注」してあるので商売に没頭できた。さらなる需要に追いつくために資源をつぎ込みまた加速、世界中の金融機関に義理を果たし、いつの間にやら原発だらけ、そして気がつけば家庭は冷え、教育の場からは悲鳴が、医療も行政も疑問だらけ、司法は乱れて地に落ちた。我々が築きたかった国はこれなのか、やはりあれは悪銭だったのか。


当時の日本人たちが占領国の書き下ろした脚本どおりに動くほか術がなかったのは仕方がない。忌むべきは当時の、そして今も変わることのない構造そのものである。我々に求められるのはのは、あたらしい生き方だ。

悪銭は身につかぬばかりでなくその身を穢す。悪銭と知っていようが知るまいが人と世を蝕む。増え続けたかと思えば人に穢れを残し忽然と消えうせる。そして人がそれに目を背けている以上、悪銭は回り続ける。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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