「独立遊戯」  戦争の序曲

その前夜

地域が国家からの離反を求めれば国家は当然それを阻止すべく軍事力を行使する。地域が蜂起してそれに抵抗すれば内戦がはじまる。ゲリラまがいの蜂起軍が政府軍に適うわけなどない。普通ならば程なく制圧がなされ反政府行動の罪を問われた首謀者たちが検挙されて事は終結する。しかし反政府勢力に武器と資金を与える別の勢力が存在すれば話はがらりと変わる。残念なことに実はこちらのほうが普通である。

過去、欧米列強が少数民族に対し独立の二文字をちらつかせ民族意識に火の粉をかけることで二つの大戦がおこされた。無論それには地域ごとに周到なる準備を整えてこそ成立したのである。
第一次世界大戦が主に何を目的としておこされたか、それは十字軍の時代から欧州の脅威であったオスマントルコ帝国を殲滅することにあった。北アフリカ・バルカン・東欧・黒海沿岸・紅海沿岸・湾岸・中東・コーカサスにまたがる広大な帝国版図には石油が唸る。この地域をピザのように割譲し、独立傀儡国家を誕生させてその資源、その労働力、その利権を搾取することは欧米列強の産業発展には不可欠と考えられた。帝国内各地に定住する民族を刺激して帝国からの離脱・独立気運を高め、武器弾薬を供給して内戦をあおり帝国を内側から蝕んだ。外からは列強が絶え間なく干渉を繰り返し露土戦争以降のオスマン帝国は衰退の一途を辿る。こうした背景のもと第一次大戦に参戦しドイツと共に破れあわや国家喪失となる段、青年将校ケマル・アタテュルクが唐突にあらわれ英国軍を駆逐して独立国を新たに樹立した。オスマントルコ帝国に変わって誕生したトルコ共和国は欧米に奉仕する道を歩むこととなる。
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         オスマントルコ帝国最大版図(1800年頃)と大東亜共栄圏  

そして第二次大戦が意図したところは、植民地の直接支配から傀儡国家の間接支配への移行である。具体的には欧米の植民地であったアジア全土を日本に奪われたふりを装いその後に日本もろとも叩き潰し、各地域に名目上の独立を認めた後も植民地時代とさしてかわらぬ傀儡国家として維持させることに成功、環太平洋の経済圏は全て英米に奉仕するよう建設された。また「ドイツの狂人」の愚行を口実に国家イスラエルを誕生させるのもこの大戦の重要な意図であった。戦争の金庫番であるユダヤ金融組織にかねてからの約束を果たし、さらに中東の戦火が一日とて消えることのないようその担保としてイスラエルは建国された。

維新後着々と太らされて有頂天にあった日本が更なるアジア攻略の一環として、かつ連合軍の行動力を削ぐために米・英・蘭・仏領のアジア諸国の独立運動を支援、運動家たちに軍事訓練を施して宗主国に対し蜂起させるという戦略をとった。しかし所詮はアラビアのロレンスの猿真似かあるいは敵国情報部の入れ知恵でしかなく、日本の敗戦と共に反逆罪で検挙されたアジア諸国の独立運動家たちは結果として「あぶりだし」を受けたことになる。これはアジア各国の独立の際に宗主国側にさらに有利な傀儡政権が置かれる事に寄与するのみとなった。
前号の記事をぜひ参照していただきたい。

まず植民地の独立を煽って運動家たちを狩り、変わって自らの息のかかった新指導者を送り込み傀儡政権を打ち立てるというこの戦略は英国が得意とするものである。近年ではアラブの春と銘打った中東クーデター症候群が世界を騒がせたが、手法と経過は違えどそのどれも基本構造は変わらない。

英国流外交戦略

現在もシリアとイラクでは戦闘が絶えない。ここでは当初から純粋な蜂起軍と国防軍の衝突とは次元の異なる、複数のテロ組織と海外正規軍が混戦する国際戦争が繰り広げられる。これを内戦と呼ぶのは元より正しくない。

アラビア半島からこの地域にかけてはアラビアのロレンスがラクダに跨り駆けずり回った砂漠地帯である。彼は実在した英国情報部員であり、この広大な砂漠に分散した諸々の部族の共同体意識に火を放ち、オスマン帝国に反旗を翻させるのが彼の任務であった。                                       
             ロレンス
                  ロレンス

現在のシリア、イラク、レバノン、ヨルダン、パレスチナそしてイスラエルは第一次大戦後にオスマン帝国からもぎ取った土地を英仏が自らの都合で勝手に分割して誕生させた国々である。ロレンスは師とも呼べる女性ゲートルード・ベルとともに地域の情報をほじくり返し、アラブ独立を口実にした戦略地図を作成し数年後にそれは現実の国境として発効する。しかしそれは英国の利益のみを追求したものであるため地域の歴史とも信仰とも民族とも、この国境線、いや境界線は全く噛み合わない。それが今に続く混乱と流血の原因になったことは多くの識者が指摘するもののそれを「英国流二枚舌外交」と賞賛するばかりで批判の声はあがらない。あげられない。この中東線引き活動の仕上げがイスラエル建国であるからして、英国戦略批判はイスラエルの否定に繋がるからである。ロレンスとベルは英国では今も英雄・女傑とされている。
          ベル-ロレンス
                砂漠の詐欺師

「ほらふき」ロレンスは大英帝国の名の下にアラブの部族たちに独立国の建国を囁く。そしてオスマン帝国から任命されたメッカ宰相フセインに近寄り独立の援助とヒジャース王の座を約束する(情報部員でしかない彼にその権限はない)。フセインはアラブ人たちを束ねて反乱軍を組織しダマスカス(現シリア首都)を陥落、そこを首都とするヒジャース王国(アラビア半島紅海沿岸地帯)を打ち立て独立を宣言した。が、英仏は申し合わせた上で独立を拒否した。怒り心頭のフセインはアラビア半島をヒジャース王国として維持、子のファイサルが残りの地域を以って大シリア王国とし王位を宣言、またファイサルの弟アブドゥッラーが今のイラクとなる地域でイラク王国を宣言する。しかし仏軍のダマスカス攻撃によりファイサルはシリアを追われ、後にイギリスの取り成しでイラク王となる。イラクから押し出されたアブドゥッラーは今のヨルダンを与えられる。
          フセイン
             ヒジャース王フセイン     
                           
傀儡王 
   次期ヒジャース王アリ  ヨルダン王アブドゥッラー  イラク王ファイサル

独立遊戯はまだ終わらない。英国はオスマン帝国の終焉と共に主を失った「カリフ=神の代理人」の座を指差し、父フセインを誘惑した。イスラム世界のその頂点に立つことを打診されたフセインは両手をあげて承諾、王位を長男アリーに譲りカリフを宣言する。するとアラビア半島は蜂の巣をつついたかの如く反乱の嵐となった。そしてフセインはまもなく敗走、替わって王位についたのは現サウジアラビア初代国王、そして現国王の父であるサウード家のアブドゥルアジズである。サウジ王室の米へのいじらしいまでの献身は今も続いている。
          abdulaziz
           初代サウジアラビア国王アブドゥルアジズ

19世紀半ばにはオスマン帝国から自治権を得ての半独立を果たしていたエジプトが完全なる独立を模索する中、アフリカ進出を目論む英仏の利益がそれに重なりエジプトと列強の関係が強まった。まず仏の援助でスエズ運河が建設される。そしてエジプトは資金難とかさむ外債から運河株の売却を決めると、英はロスチャイルド家から融資を得てその買収に成功、それによりエジプトは更なる経済難に陥り完全に英仏の管理下に置かれた。これは偶然でも必然でもない英仏の計画であった。

現在イスラエルと呼ばれる地は一神教の共通の聖地であるエルサレムを内包するため、昔からイスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が着かず離れずに共存していた。その均衡を突き崩し戦火の火種として利用することはユダヤ武器商人たちの目論むところであり、母国を建国する足がかりとしてこの地を手に入れるのも「亡国の民」を称するシオニストたちの望むところであり、第一次世界大戦の運営に必要な資金をユダヤ資本家から搾り取るのも英国の得意とするところであった。英国はロスチャイルド家による莫大な資金援助の見返りとしてパレスチナの地にユダヤ人の国の建国を約束する。その後はパレスチナへのユダヤ人入植が相次ぎイスラム教徒との間の緊張が急激に高まって行く。
palestina
            増長するイスラエルと狭まりゆくパレスチナの地

ファイサルが追われたシリアは仏が植民地として直接支配した。仏はこの地に古くから住むマロン派キリスト教徒たちを保護するという口実で地中海に面した地域をレバノンとして分離独立させた。しかしユダヤ人入植とともに土地を失ったパレスチナ人が難民として流入するとまたしてもここで異教徒間対立が生まれ、常に一触即発の状態が今も続き、複雑な民族構成と機能しない政府を背景にレバノンはテロリスト牧場の様相を呈している。

こうしてひとつづつ、手ずから地雷を埋めるが如き周到さを以って禍いの種を撒くのであった。

米国流テロ戦略

第二次大戦を待たずに社会共産主義が産声をあげた。それは破竹の勢いで成長しロシア帝国を飲み込むと共産の城砦としてソビエト連邦が築かれた。植民地支配に苦しむ中東および北アフリカのイスラム諸国は英仏そして伊に対抗するための解決策としてソ連との接近を試む。地中海、そして太平洋への回廊が欲しいソ連にとってもこれらの国に対し影響力を持つことにやぶさかでない。独立運動家たちがソ連に招かれ軍事訓練とイデオロギー教育を受けると、第二次大戦後には中東・北アフリカ地域では次々と革命が起きいずれも社会主義的思想を掲げる軍事政権が発足する。畢竟、宗教を麻薬とするマルクスの考えはイスラームと相容れず不協和音を呼んだ。ソ連に従順な各国の軍事政権がイスラームからの離脱を推進したため国家の高官や公務員は世俗主義層に斡旋されることになり、信仰に重きを置いた層はその流れに完全に取り残され貧困と弾圧に苦しめられた。この構造が将来にもたらしたの、それがいわゆる「イスラム過激派」である。こうした波にすかさず付け入ったのはかつての英国の舎弟、今は仇敵となりつつある米国であった。

社会主義化だけではない。欧米から支援を受けたキリスト教層が優遇されたレバノンでも、欧米依存型の王政が国家を占有したパーレヴィー王朝イランやイラク王国、イスラエルに蹂躙を受け続けるパレスチナでも同じ弾圧がおこった。要はイスラム教徒たちを窮地に立たせさえすればすぐさま欧米の利益になるという戦略方程式がこの頃までに成立した。

不公平な境遇に不満を募らせた若者に金と武器を与える。あらかじめ用意しておいた似非イスラム指導者が神の名の下にあらゆる破壊を聖戦と見なす「手製の教義」をふりかざし殉教を呼びかける。そうすれば一夜にしてテロ組織が成立する(ターリバーン、アルカイダ、ダーイシュ、ヒズボッラー他)。あるいは真に自衛のために立ち上がった組織をも内側から蝕み分裂、吸収のすえ過ちを犯させる(アルシャハブ、ヌスラ戦線他)。米国はこうした戦略研究に国家資金で取り組み、CIAやペンタゴンという国家組織をしてその実現を図る。この方策は自らの手を汚すことなく、正規軍を動かすよりもはるかに安価に、国際人道法に縛りを受けない残忍な手立てを用い、そしてイスラム教徒を血塗りの狂信者として発信しつつ他国を内側から破壊することができる。そして介入、さらに侵攻。アフガニスタン、ソマリア、シリア、レバノン、イラク、イエメンその他、無政府状態あるいは傀儡政権を維持しつつ次の戦略のための足がかりとして管理されている。

シリアのハフィーズ・アサド前大統領(現大統領の父親)は完全な「ソ連製」シリア軍人であった。冷戦時代は反欧米、反イスラエルの立場を明確に打ち出しソ連に貢献することでその保護を受けた。世俗化政策を急進し国内では絶対多数勢力であるスンニ派ムスリムを徹底的に迫害し化学兵器による大虐殺をも行った独裁者である(1982年ハマの大虐殺、死者4万人)。逆に自らの宗派であるシーア・アラウィー派ムスリムを国家のあらゆる場で優遇した(アラウィー派は一部を除けば信仰心の薄い集団である)。それを世襲した息子の>べシャル・アサドは英国帰国子女の妻を娶るなど親西欧的な印象を与えようとはしたものの父親同様のロシアの飼い犬で、自国民への弾圧と強権ぶりは父親以上であった。
     アサド父子
                  アサド父子

もはや冷戦が虚構であったのは人々の知るところとなった。犬猿の仲と見せかけて裏では互いの権利を侵さぬよう取り決めが為されている。歴史的にみても米露は一度も戦っていない。今、米と露がシリアを取り合っているように見えるがそれもまやかしに過ぎず、最終的には「山分け」またはそれに相応する取引が為される。

現アサド政権はアラブの春では倒れなかった。アサド背後に立つ露とイランがアサドを倒そうとする民兵(自由シリア軍)を相手に援護射撃をおこない、それに米軍とNATO軍が応戦したため事態は泥沼化した。もちろんシリアを混迷させることで新しい機軸を構築するための米と露の茶番である。隣のイラクから泥沼を泳いでやってきたISIS(ダーイシュ)が突然シリアとイラクの真ん中に建国を宣言した。ISISはもとより米英によるイラク侵攻(2003~2011)に抵抗するためにイラク・アルカイダとして成立したアルカイダ傘下の組織であった。主に欧米資本の油田の占拠や関連施設の破壊に携わり、その後周辺の小規模なスンニ派テロ組織群を吸収してシーア派ムスリムの生活圏や宗教施設を中心に破壊活動を続け2006年に「イラク・イスラム国=ISI」の建国を宣言、それがシリアに拡大して「イラク・シリア・イスラム国=ISIS」となった。

ただのゴロツキ集団が国際テロ集団にまで成長するのには武器と資金と訓練の援助が不可欠であり、それ以上前にテロ組織に加わるだけの貧しい、無学の、不幸な、そして怒りと恨みを募らせた若者たちがあふれるような土壌が用意さがれていなければならない。またその存在を世界に知らしめる必要がある。欧米がサウジの御用メディアであるアル・ジャジーラを用いてISISを世界に露出し、日本人を犠牲にしてまでその残虐さを宣伝した。全てのテロは大国の産物である。
ISIS或いはその前身に敢えてシーア派を攻撃「させた」ことでイラン(とロシア)の敵役を演じさせた。となればスンニ派を標的に活動するシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(民衆の力)が「自然」に発生したのも、イラン最高指導者のハメネイ師が彼らに公然と軍事訓練を含む大支援を行なったのもまた「自然」であるが、彼らの手にあるのは何故か(やっぱり)米軍が支給した武器である。

ISISの存在は同時に「新たな役者」を登場させることが可能になった。その役者とはクルド人たちである。

クルド・テロ回廊

クルドの民族性なるものは我々日本人からするとかなり理解しにくい筈だ。物質よりも精神の結びつきを重んじる、痩せてはいるが強靭な体をもつ働き者で、冗談が好きな概して「いい人」たちである。しかし怒らせると手がつけられない。恨みあう同士が急に仲良くなることもその逆もある(忘れっぽい)。民主主義などには全く興味も期待も持たず「アー(首長、族長)」の一言が全てを左右するという古風な共同体意識を持つ。狡猾な欧米人たちから見れば彼らの利用価値は非常に高い。欧米は70年代からシリア・イラク・トルコ国境付近に点在するクルド民族の耳に「クルディスタン建国」を囁き、アーたちの統率する小集団を束ねた武装組織PKKを結成させ、トルコ国内のクルド民族をも扇動してトルコをテロの脅威にさらし続けた。

90年代の終盤、シリアのアサド(父)政権がトルコ戦略のために保護していたPKKは両国の緊張を和らげるために一時解散させられ、直後にクルド人政党PYDとその配下の武装勢力YPGとして再編する。つまりYPGとはPKKそのものである。地域から誘拐した少年少女を兵士に仕立て盾に使うPKK同様の卑劣な戦法を使う。思想的には社会共産主義を打ち立てておりイスラム色は希薄である(イスラム以前の宗教であるゾロアスター教の影響が強い)。2013年以降ISISが地域で台頭するとその排除を名目に米がYPGに武器を供給し破壊活動を拡大する。
米軍が蹴散らせないテロ組織を他のテロ組織に退治させる、そんなでたらめが通じるとでも思っているのだろうか、しかし米政府はYPGを対ISIS戦略に貢献する「よいテロリスト」と認定し援助しており各国政府もメディアも腑抜けのように同調している。
米軍からYPGに支給された武器弾薬(トラック3500台分、トラックあたりYPG三人)はPKKに行き渡りトルコ国内での破壊活動に使用される。YPGの持つ本当の意味はPKKと同様に、トルコの東部国境地帯にクルド系「テロ回廊」を築いてトルコ以東中国まで繋がる経済圏から絶縁することにある。鳴り物入りで登場し世界を恐怖させたISISとはYPGの存在意義を長期にわたり保証するために敢えて作られた組織であった。
    YPG-ISIS
         黄色の地帯がYPG/PKKによる「テロの回廊」

そんなことをされては堪らないのがトルコである。アタテュルク改革以降80年、世俗化政策を徹底し欧米に貢いできたこの国はその舵を大きく変えていた。属国的な立場からの脱却を標榜し改革を続けるトルコに対し欧米はそれを阻まんとするテロ、経済封鎖、外交圧力、クーデター、虚偽報道などあらゆる攻撃を仕掛けており、それはこの先も続く。それに堪えるためには国内産業と資源供給の安定が必須であるため国境のすぐ外側がテロの温床という現状は何が何でも打開せねばならない。

イラク受難 「一人のサダムを殺したら100人のサダムがやってきた」

米によってサダム・フセインが血祭りにあげられたあとのイラクは無政府状態に近く、米英が打ち立てた形ばかりの傀儡政府は北イラクを制御できずクルド・イラク自治政府を認めざるを得なかった。またイラク中央部はシリア国境をはさんでISISが居座り続け首都バグダードに漸近し、イラク政府の勢力範囲は残りの南部のみとなる。北イラクはトルコと国境を接しておりトルコ国民と親戚関係にあるクルド人たちも多く住む。またオスマン帝国時代の臣民であったトルクメン人もこの地域で生活し続けているため地域の経済安定と治安維持を促す責任がトルコにあった。長期的なテロ土壌の解消に向けて北イラクに多額の援助を行いインフラを整備、民兵ペシュメルガにも協力をするなど、クルド人地帯を味方につけPKKから遠ざける努力を続けた。しかしクルド・イラク自治政府バルザーニ議長は米にクルディスタン建国を焚き付けられて舞い上がり、独立の是非を問う市民投票を決行する。

北イラク独立の選挙運動の風景、そこに意外な旗印があった。最近妙におとなしい、あたかもパレスチナに理不尽を働くほかは興味がないかのように振舞う狂犬。クルド独立を叫び、民族結集を喚くバルザーニの集会にはユーフラテス河、ナイル川、そしてダビデの六芒星を模したあの布切れがひるがえる。イスラエルである。
    ISRAEL
              イスラエルの威を借るクルド人

大イスラエル

産業基盤を持たない集団が民族という括りだけで独立する可能性はない。あったとしても吸血鬼のような大国に吸い尽くされるのが関の山、しかしクルド市民の答えは「独立」支持であった。絶頂のバルザーニをよそにイラク政府は国防軍に加えてシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(イラン過激派でありながらイラク国防軍に編入)を北イラクに投入、クルド兵ペシュメルガは戦わずして逃走、独立遊戯に弄ばれたバルザーニは議長を退任した。北イラクのクルド人たちはリーダーを失った。しかし油をそそがれ燃え上がった独立の炎はもう鎮められない。クルド人の闘争への渇望に付け入ったYPG(PKK)がシリアから勢力を拡大し北イラクを掌握、現在トルコで投獄されているPKKの首領の大看板を担ぎ出しクルディスタン建国を鼓舞する。このペンタゴンによる戦略は現在までにほぼ完了した。

世に言う、いわゆる大イスラエル構想である。米の一言でISISがユーフラテス河流域のこの地域はをYPG(PKK)に明け渡せば事実上クルド人の土地となる。しかしクルディスタンとは名ばかりで米国に支援および管理される。欧米が謀ったクーデターに屈し完全に手足を縛られたエジプトはナイル河より東をイスラエルに委ねた。建国以来の無抵抗主義国ヨルダンはイスラエルに従属する。その他の条件がそろったその時、この地域に「大イスラエル」を宣言する、そういう事だろう。

同じ手に騙され続ける人類

本稿は大イスラエル構想をご紹介するためのものではない。近現代に横たわる大問題、世界が「独立」という同じ罠に100年以上も陥り続けていることを再考するためのものである。
第一次大戦後に引かれた中東地域の国境は地形も歴史も民族もすべて無視されたものであると前述したが、正しくは後に禍根を残すために敢えて「最悪」の形で分割した、と言い換えることができる。例えばクルド民族をトルコ・シリア・イラク・イランの四カ国に意図的に分断したのは、まず独立を餌に武器を取らせて地域に脅威を与え、そこへ「調停」と言いながら土足で踏み込み地下の資源ともども「管理」するためであった。コーカサスも、アフリカも、バルカンもかつて大東亜共栄圏と呼ばれたアジアの地域も第二次大戦後に同じように分割されたのである。ここで前号で綴ったロヒンギャ虐殺を思い出していただきたい。

第二次大戦前までは現在のパキスタン・インド・バングラディシュ・ミャンマーは英国領であった。ムスリムとヒンドゥー教徒と仏教徒が混在する地帯であったが英国はその独立を認める際、少数派が必ず多数派の中に残るよう工作を怠らなかった。イスラームが優勢なカシミール地方がイスラム国パキスタンではなく敢えてヒンドゥー国インドに帰属させられたことで印パは三度も戦争をおこしており現在もにらみ合いが続いている。
そしてミャンマー、かつてビルマと呼ばれた仏教国に取り残されたムスリムたち(ロヒンギャ族)は戦前から今日まで恐ろしい迫害を受け続ける。彼らの土地アラカン州をバングラディシュの国境内に敢えて含めなかったのは英国である。第二次大戦を連合軍側について戦った国には独立を認めると約束しておきながら、英国のために戦ったロヒンギャ族を独立はおろか異教徒のビルマの国境の中に封じ込め、仏僧たちに武器を与えて殺させた。畜生なり。

懸念ざれるのはロヒンギャのテロ化である。自衛組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ解放軍)が今後、アルカイダなどのテロ屋の手に堕ちると事態は最悪となる。ミャンマー政府は仏教徒による虐殺を治安維持行為と偽り問題の所在をロヒンギャ側にすり替える声明を出し続けており、どうも中東問題と同じ匂いがしてならない。かねてから待機させていたロヒンギャ問題を今になって激化させ、そこへテロの菌をばら撒いてアジア戦略の材料とする可能性はあまりにも高い。ただしロヒンギャの民は欧米の目算よりはるかに強く、気高い。
すでにインドネシアとフィリピンにはアルカイダの手が伸びている。フィリピンのカトリック教徒の保護を口実に欧米が派兵するとすればスペインである。昨今のカタルーニャ独立騒ぎで投資家撤退の酷い目にあっているあのスペインである。カタルーニャ州首相のプッチダモンは国家攪乱という任務を果たしてベルギーに逃亡、それもそのはず、ブリュッセルはシオニストたちの溜り場である。今後スペインはこの手の攻撃を恐れるあまり米主導の対アジア戦略に噛ませ犬として担ぎ出されるかもしれない。

中国包囲網建設を目的としたこのアジア戦略に日本は当然巻き込まれている。日本が虐待をうけてテロに手を染めることはなさそうだが逆に虐待を与える側に堕ちぶれかねない。国民が現政権の続投を願うなら、それも仕方なかろう。
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ロヒンギャ大虐殺 ミャンマー独立の爪痕


今世紀、人類はここまで堕ちた

いまミャンマーの西海岸地域でおこる大虐殺を、例の如く国際情勢の圏外に位置する日本列島では知る由も無いかもしれない。しかしどうか直視していただきたい。なぜならこの虐殺の一端を担ってしまった我が国の一員にはその義務がある。ミャンマーのアラカン州に古くから居住するイスラム教民族・ロヒンギャ族に対し民族浄化とも呼べる残虐行為が日々行われており、世界市民がその実態を知ることをメディアは必死に妨げている。掠奪、強姦、機関銃掃射、怪我人の横たわる家屋に火を放ち、墓地を陵辱し、今日までに3千人を超える罪無き人々が命を奪われ、40万人を超える罪なき人々が家と家族を焼かれ片目両腕を無くして難民となった。雨季にさしかかった今月末、彼らは隣接するバングラディシュとの国境であるネフ河を自力で渡る。増水した河は彼らの僅かな食糧を飲み込む。そして幼児の溺死、悪条件に耐え切れず息を引き取る妊婦や怪我人。神よ、どうか彼らを助け、安住の地を与え給え。
     アラカン

この虐殺の実行犯はミャンマー国防軍治安部隊、そしてアラカン仏教徒(Rakhine-Magh)の僧侶からなる武装集団である。

注:報道等で「ラカイン(RAKHINE)」と表現されるのは「アラカン(ARAKAN)」の現地の発音を英語で表記されたものであり、両者は同一の地名である。

近代以前

ミャンマー。かつてビルマと呼ばれていたこの国を、「ビルマの竪琴」の影響か純然たる仏教国とする思い込みも薄くは無いはずだ。しかしミャンマー北西部に位置し地図の上でラカイン=アラカンと書かれるこの地にはイスラム教徒がその以前から国を築き営んでいた。
アラブ人商人に連れられた最初のムスリム集団が10世紀までにこの地に定住した。彼らは自らを称した名称こそがロヒンギャであった。同じ頃に仏教徒のチベット系ビルマ人も東インドのMAGHADA地方からこの地に移住する。彼ら仏教徒はマグと自称し、先住民、またロヒンギャ族とともにこの地の構成員となる。アラカンは1407年ビルマ王の侵略を受ける。アラカン王は一族と共にムガール帝国の属州であったベンガルに逃れ20数年に亘りベンガル太守の庇護を受けるうちイスラームに帰依した。1430年、ベンガル太守の助けによりアラカンのビルマ勢力は駆逐されそこにアラカン-イスラム王国を建国、1784年にビルマ王国からふたたび侵略を受けるまでの350年にわたりこの地域を統治した。ビルマ占領下の1824年、英国とビルマが開戦しその結果アラカンは英国植民地の一部となる。イスラム圏、仏教圏を無視(或いは綿密に計算)した国境線が英国によって引かれビルマという国が成立したのは近代以降である。

パイプラインとアラカン
現在アラカンはミャンマーを区分する七つの州のひとつで、ここにはおよそ百万人のイスラム教徒が居住している。いや、していた。治安部隊とマグ族仏教徒によるムスリムへの迫害は2013年から激化が始まり、とくに今年2017年の8月以降は地獄と化した。
迫害政策の直接の原因はアラカンの戦略的立地条件である。
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アラカンは東南アジアのベンガル湾に面する南北500kmに渡る海岸線を持つ。中東に端を発しインド洋を渡り中国の雲南省に至る天然ガスと石油の二本のパイプラインがこのアラカン州を横切る形で2010年にその建設が始まった。すると同州は国防軍の管理下に置かれ軍用地同然の警備体制が布かれた。これはアラカンの住民が国防軍によって全ての権利を剥奪されたことを意味する。
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パイプライン建設の警備とはいえ異常なまでの厳戒体制が取れられた背景として、アラカンのムスリムたちの土地には豊かな資源が埋蔵されていることが以前から囁かれており、そして2004年の調査の結果160兆㎥超の天然ガスと32億バレル相当の石油、金額にして七百五十億ドル相当の地下資源が存在すると判明したことが挙げられる。警備区域の侵犯を口実に地域住民であるムスリムたちが見せしめの如く頻繁に射殺されていった。つまり地域占領の本当の目的は埋蔵された地下資源の利権である。目的はどうあれ国防軍治安部隊とマグ族仏教徒によるその手口は婦女暴行や放火、子の目の前で親を射殺するという目も当てられない残忍さであり、しかもこれはここ数年の事件ではなく1941年から繰り返されていたことを我々は知りえなかった。

ミャンマー アラカン州埋蔵地下資源調査結果および試算(PDF)

ビルマ対英独立運動の爪痕

仏教の僧侶が武器を手に狼藉を働くのは実に想像しにくい。しかし室町の頃の日本でも僧兵というテロ組織が活動していたこと思い出しつつ、暴力を教義の上で禁じられた仏教の僧とて一つ間違えれば暴徒と化すことを認めなければならない。
ロヒンギャ族とマグ族は互いに信仰が異なうがそれだけでは一方が他方の民族浄化を標榜した殺戮の理由にはならない。しかしそこに第三の力が介入すればその関係をどのようにでも操作できる。両者の関係が悪化したきっかけは1930年初頭にはじまったビルマ対英独立である。独立運動の旗手であったタキン党がアラカン地域のマグ族と接触し多くの党員を確保したあたりから様相は一変し、そして最初の虐殺は1941年日本軍のビルマ侵攻の直後に行われた。それ以前の虐殺はロヒンギャ側の記録にも記憶にも残っていない。


19世紀末、英国との戦争に敗北したビルマはイギリス領インドに編入されインド総督下の副総督による統治がはじまった。人を人と思わぬその専横ぶりに統治民たちの不満が募る中、20世紀前半にはじまる対英独立運動は次第にその勢力を拡大、1930年にアウンサン・スー・チーの父であるアウンサンが学生を中心とするタキン党に参加し更なる運動が広まる。そしてとうとう総督府の撤退が決定、1937年にアラカンはビルマと共に植民地から自治区へと移行する。しかし、ビルマのその後の統治について協議がなされたロンドン円卓会議にはマグ族仏教徒の代表とビルマ全土に分散したインド系ムスリムが招待されたのに対しアラカンのムスリムはひとりとて招かれなかった。そしてその際、ラカイン州の自治をマグ族仏教徒に託すという無体な採択が取られた。現地民の信仰の違いを撤退後も地域を背後から操作するための起爆剤として利用するというおなじみ英国流の政治手法である。タキン党はアラカン地域の勢力を掌握するためにかつてからマグ族仏教徒と手を結んでいたのである。もちろん英国の入れ知恵である。こうしてアラカン自治政府の構成員は反ムスリムのマグ族タキン党員で満たされる。日中戦争のさなか水平線に第二次世界大戦が白み始めた頃である。日本軍は英米による中国支援の道を阻むためにビルマ攻略を標榜、独立運動を支援して反英闘争への発展を画策、運動家たちを海外に脱出させ軍事訓練等の支援をおこなった。アウンサンもその運動家の一人であった。
                  アウンサン
                   日本潜伏中のアウンサン

1941年ヤンゴンが、翌年にアクヤブが日本軍の空爆を受けるとビルマに駐留していた英国軍は英国領インドに撤退した。その折にアラカン自治区の全権をタキン党マグ族に委託した英国駐留軍は武器弾薬をも置き去りにし、そのすべてがマグ族の手に渡ってしまう。そして1942年、英国製の兵器で武装した僧侶も含むマグ族自治団の手によりロヒンギャ族に対する大虐殺が行われた。10万人の死者、50万人の怪我人、294もの村が消滅、故郷を後にせざるを得ない8万人がバングラディシュに逃げ堕ちた。当時英国は統治国としての責任範囲の外にいた。また新たな占領国である日本も一切関知しなかった。しかしロヒンギャ族は激しい抵抗をみせて遂にアラカンを奪還、ふたたびこの地に生きる基盤を築いた。
         ナフ河
            ナフ河を越えてバングラディシュに逃れるロヒンギャ族

1943年日本の後見でビルマ国が建国される。しかし翌年には日本の敗色がいよいよ濃厚になるとアウンサンを指揮官とする国民軍、タキン党を前身とする共産党などが連携して英国に寝返り、日本の指揮下にあるビルマ政府に対しクーデターを起こす。連合軍はそれに乗じて侵攻してビルマを日本から奪回し再度植民地とし、そのまま終戦を迎えた。英国は大戦で連合軍側についた植民地に独立を約束していたが、日本と協調したビルマに対しては様々な条件を出して独立を先送りにした。アウンサンはその間、やがては実現する独立の後に自らが率いるAFPFL(反ファシスト人民自由連盟)による一党支配の実現のための準備に奔走、ビルマ人以外の各地の少数民族に団結を説いて回った。姑息なアウンサンとの協調には何の希望も持てないロヒンギャはAFPFLへの加入を拒否する。大戦の折にロヒンギャ族は連合軍側に立ち英兵と行動を共にしていたのである。いうなれば戦後の独立を約束された立場にあった。それを英国側に主張しあくまで自治権を求めた。

そして1947年ビルマの将来を構想するための国民会議がアウンサン主催で開かれるが、ロヒンギャはまたしても意図的に招待されず、自治権はおろかビルマ人とは歴史を異にする民族としての認定すら得られなかった。
英国と日本の両方を利用し、また利用されたアウンサンらの処刑を経て1948年ビルマ全土の独立が実現、アラカンを内包する現在の国境線が引かれる。

         bargandy blood
            現在のマグ族仏教徒武装集団の頭目Ashin Wirathu

血染めの衣を着る僧侶

英国の撤退を機にアラカンの警察権はふたたびマグ族仏教徒の手に渡り、当然の如くロヒンギャ・ムスリムへの殺戮が始まった。数で評価するべきことではないが1万人が命を奪われ、そして5万人がこの時点までに独立を果たしていたパキスタンへと亡命した。残ったロヒンギャたちは再び武装し仏教勢力と対峙、そして押し戻した。もとより大義名分の欠如したマグ族とそれを影で援助する政権にとってこれ以上の衝突は害があっても益が無いとの決断から、政権はロヒンギャに対してマグ族との和解と国政への加入を持ちかけた。ロヒンギャとしてもこれ以上の流血は回避せねばならない、しかしひとかけらも信頼をおけぬ連中との協力はそれこそ身を滅ぼしかねないと葛藤するうち共同体内の意見に一致が見られぬようになりそのまま弱体化していった。一方で政権はマグ族に対し民族間対立の「凍結」を指示、この不気味な静けさの中、次なる受難が近づいていた。
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                    焼失した村

1962年、軍部によりクーデターが決行される。軍が国の全権を掌握するや否や、アラカンのムスリムを反政府分子とする虚言を盾に彼らの権利の縮小が決行される。また軍から派遣された治安部隊による謂れのない暴力や恐喝、投獄は日を追って増し、それに勇気付けられたマグ族仏教徒は昔を懐かしむが如くロヒンギャたちに危害を加えるようになった。

数年おきに大量のロヒンギャ難民がおしよせるバングラディシュも事態を苦慮していた。ビルマ軍事政権は国境付近に避難したロヒンギャ難民をバングラディッシュからの不法入国者と主張しビルマ国籍を否定、彼らを無国籍状態におとしめた。人としても同じムスリムとしても難民たちを見殺しにできないが彼らを抱えるだけの国力もないバングラディシュの指導者はビルマ軍事政権に対し、ロヒンギャ難民をアラカンに帰国させない限りはカダフィーがリビアから部隊を差し向けアラカンでゲリラ活動を開始すると脅し、青くなったビルマ政府は早急に難民を召還した。しかし帰国したおよそ二十万人の難民たちにビルマの国籍を認めることはなく国民外と認定、事実上の無国籍である。
今現在もしつこく継続されるロヒンギャへの虐待と虐殺が国際社会から追及されるたびビルマにはロヒンギャと呼ばれる民族など存在しないことを主張し、国境地帯で逃亡生活をする人々をあくまで不法入国者と言い切り、国連の調査団はと言えば「ああそうですか」とばかりにミャンマーの言うがままの調査報告書を作成し帰っていくのである。そこらの市役所以下の仕事ぶりである。
          buddist
        イスラムホビックのまねごとをする血気盛んな坊主ども

きりがない。つまりロヒンギャ・ムスリムたちは絶え間なく交代する国家権力者にそのつど政治的迫害を受け、千年前から同じ土地に住むマグ族仏教徒からは物理的迫害を受け続けているのである。しかしこれはあくまで表皮でしかない。その内側の構造を端的に言えばマグ族仏教徒とは胸中の憎悪を刺激されればいつでも噛み付くように洗脳された集団であり、英国総督府にはじまり今日のミャンマー政府に至るまでの歴代の政権はアラカンからロヒンギャを一掃することを自らに義務化した集団であり、もしこの歴代政権が全て大英帝国の傀儡であると仮定すれば(べつに断言してもかまわないのだが)長期にわたりアラカンのロヒンギャ・ムスリムを虐待したがっているのは大英帝国だということになる。

新たな資源戦争

実はビルマは1853年以来の世界の最も古い石油輸出国(英国植民地となった直後)である。そして2004年にアラカン州に石油が埋蔵されていることが判明すると中国はその購入を希望、マラッカ海峡を経由する従来の海路交通ではなく、アラカンからのパイプラインで直接輸入することを条件とした。2010年に開始されたパイプライン建設は2013年に完了、そして供給が始まった。アラカンの西海岸は資源運輸にとって少ない投資で高い利潤を得る上で絶好の条件を備えている。中東から海路で運ばれた資源をアジア全域に行き渡らせ、またミャンマーで採掘された資源を精製し輸出、海路・陸路、長い海岸線と穏やかな海、欧米の言いなりになる政府、これ以上の立地条件はそうはない。そうなると世界の石油業界はそこに群がる。これに投資する業者の面子はといえば、BP、BG、シェル、トータル、シェブロン、アラムコ(サウジ)・・・

またか、としか言いようがないのだが、アラカンの虐殺が世界のメディアから無視され続けていたのはこのためである。しかしそう括って諦めてはアラカンの人々の傷つく魂を癒すことはできない。それどころか更なる殺戮に対し目を背けることになる。人の子としてそれは許されないはずである。

一部の見解によればアラカンの無人化を率先しているのはサウジアラビアで、理由は資源輸出入の拠点にすることと同時に肥沃なこの地域を自国の食糧供給に寄与する形で再計画するためだという。なさそうな話でもないが、ウラン濃縮施設でもあるまいし農地計画に無人化の必要はないだろう、ましてや労働力が必要な農業にサウジ国民が出稼ぎに来るわけもなく、それでいて人払いとは何やら胡散臭い。今年(2017年)から急にロヒンギャ問題に世界の目が向けられるようになったのもアラブ人のアラカン進出が糞面白くない英国が無人化のための虐殺という罪の衣をサウジに着せるため虚偽混じりの情報公開を始めたとも考えられる。


意図的な誤報、またの名は虚偽

ロヒンギャ虐殺に関していま日本語で読める情報は非常に限られており、その元に間なる記事も海外の主だったニュースの英語版がせいぜいである。つまり日本列島に住む日本人はAPやロイターの書いた出任せのあらすじの日本語訳の書き損じのコピーを読まされている。ましてや○○大学の××教授による論評云々や某多極化説などは一体どうすればこんな嘘八百がかけるのだろうかと情けなくなるものが殆どである。こうして時を追うごとに情報は混乱し、事態は全く理解されないまま忘却されて行くのである。ロヒンギャ虐殺に関する幾つかの英語の報道に悪質な嘘が密かに記されていることをここに記しておきたい。 

NIKKEI ASIAN REVIW

ここには本稿で繰り返し殺戮者として表記したマグ族仏教徒(RAKHINE MAGH)をシーア派イスラム教徒にすり替えて記載されている。つまりロヒンギャ虐殺問題をスンニー・シーア対立の結果として扱おうとしているのである。卑怯を超えて姑息といえる。
この虚偽の目的は実は歴然としている。現在イスラム諸国の軍事力と経済力を少しでも削ぐことに血道を上げている欧米は、それをもっとも効率よく実現させるための戦略としてスンニーとシーアを衝突させることを常に目論んでいる。事あるごとに領宗派を刺激し、憎悪の念を呼び覚まし、過ちを犯すのを待つ。

国と呼べないミャンマー

本稿を通してビルマあるいはミャンマーという国をかなり批判した。しかしアウンサンの寝返りといい、軍事政権の意識の低さといい、まともな政治家を輩出できない国民といい、それ以前に民族浄化とも言える虐殺を平気で行うような国に国という称号などふさわしくないことは明らかである。今ロヒンギャ虐殺問題に為す術を持たないアウンサン・スー・チーには批判と同情の両方が寄せられている。中国と欧米に挟まれ動きが取れないのは理解できる。しかし立場が苦しいのはアジアのどの国も五十歩百歩であり、ましてやミャンマーには資源という強味を生かす機会がまだ残っている。私腹を肥やして保身に勤しむことをやめなければ政治などありえない。しかしこの国は軍事政権時代から資源輸出の利益の着服が横行し、スーチー氏自身も2016年新政府発足当初、国家顧問と兼任する形でエネルギー相を勤め僅か三月で謎のポスト返上をしている。彼女に贈られたノーベル平和賞は欧米の対中エネルギー政策の飛車角的存在である彼女への報酬でしかなく、明らかな虐待に目をつぶり外に対してはそれを否定すると言う態度は人々が平和なる言葉に抱く幻想を捨てて我にかえるための格好の材料である。今後も元首として国の矢面に立つのであれば討ち死に覚悟で戦うべきであり、できないならばさっさと退陣し回顧録でも書けばよい。


日本のすべきことは何か

日本人の耳に「戦争責任」と囁けば頭に血がのぼり右か左に転んでしまう。ドイツ人に「ホロコースト」と言ってみても同じことが起こる。
日本軍のビルマ侵攻の際、英国勢力の排除のために独立運動に加勢したことは戦略の上では効果があったが、多民族国家の抱える複雑な事情を考慮に入れず、まして自治権の発生と共におこった民族浄化政策を見てみぬふりで通したなどは人として許されることではなく、すでに地に落ちて血にまみれた大戦の大儀を美談で覆ったところで覆い尽くせる訳がない。右翼の皆様の口癖でもある「日本はアジアの独立に貢献」とは所詮この程度のものであり、独立国としての資質のない地域を無理やり独立させていまだに父親顔をしているに過ぎない。父親であれば幼い我が子に刃物を預けはしないだろう。
               切手

今の日本政府がロヒンギャ問題に言及しないのは国民が知らないであろうこの疾しい過去を今さら知られたくないからである。さらに言えばロヒンギャと同じ運命を辿り戦後六十年を経た今も苦しみ続ける民族がほかにいくつも存在するはずである。それを報告書にまとめて政府の横っ面を叩き外交の舵を引っ張ることこそ左翼の皆様の仕事であるはずなのに護憲だの反戦だのとわめき散らすばかりで何の役にも立っていない。職務怠慢である。
日本人はまず事実を知ることからはじめなければならない。知れば良心が見ぬふりを許さないはずである。見れば何をすべきかはおのずと導き出されるはずである。このままでは原爆投下や東京大空襲を知らぬ存ぜぬで通されても返す言葉がない。

本稿は掲載を急いだため無感情に事実関係のみを記すに限った。シリア、パレスチナ、イラクなどの諸地域を含めての考察は次号に続けたい。

これでもアサドが好きですか?

アラブの春は情報戦争と化してしまった。とくにシリアは大国による二重、三重の情報操作に撹乱されたソーシャルメディアの利用者が趣味や娯楽と履き違えた論評を好き勝手に行い続けるのをよそに泥沼、いや血の海と成り果てた。
各国政府と大手メディア、人権団体と国連等国際機関の評価はアサドを断罪する動向、逆に市民の意思を代弁する(かのように誤解されている)ソーシャルメディアはアサドを支持している。

混乱を避けるために先に結論から書けば、この極悪非道の頂点にいるのは国際社会である。アサドは実行犯であり、国連やEUは悪事の黒幕の中に座していながらアサドを独裁者として非難している。国際社会とメディアの欺瞞に辟易している世界市民はマスコミに騙されるものかとの思いから逆説的にアサド擁護に走った。市民は「敵の敵は味方」という短絡した理論に嵌まったといえる。
裏の裏が表であるのはオセロ板の上の定石でしかない、そんな単純なことが解らなくなるほど人の心が摩滅していると、そう思わざるを得ない。


以前から「阿修羅」という投稿掲示板にこのブログの記事を投稿している。そこには「政治板」「原発板」など多くの選択肢がありどこに投稿するかを記事の内容によって選ぶのだが、筆者はめんどうくさいのでいつも「雑談板」にお世話になることにしている。でもたまに「戦争板」に投稿したりする。

上に記したことを指摘するため短い記事をブログに書かずに直接戦争板に投稿した。内容は、内戦の続くシリアでこの20日、国防軍の軍属の一人がアサドによる市民への非道を写真とともに告発したことについてである。その投稿文と映像のリンクを以下に転載する。続けてその投稿に寄せられた質問と意見への筆者の回答を、煩雑にならぬよう質問文は省略し細切れの回答文を編集し載せるものとする。
ただ、映像はやむなく添付したものであり、なるべくなら見ないことをお勧めしたい。残忍なものであるし、こういうものを見慣れてしまうことは確実に人間性を浪費させるからである。


これでもアサドが好きですか?

http://www.youtube.com/watch?v=c0S6rG6pelA
この罪悪を許すか許さないかは神の領域であり、人は関与できない。
しかし看過することは罪悪への供与であり、加担であり、同罪である。
日本ではなぜかシリアの殺人鬼バシャル・アサドの人気が高い。
それはアメリカへの敵意、イランへの同情心、プーチンへの憧れが入り混じることでおこる混迷であることを指摘した上で、日本人が陥った落とし穴であることを断言する。
この写真はシリアの従軍警察官の撮影した、シリア国防軍による拷問と飢餓により死亡したシリア市民である。罪の意識に耐え切れずに二年間にわたり写真を海外に流出させ保存したものであると報道されている。保存先は国連関連の研究所であり、当然国連の目にも二年前から触れていたことになる。

合成写真かどうか、好きなだけ議論するがいい。
反政府軍の自作自演であるかどうかを好きなだけ詮索するがいい。
反政府軍が空軍機で村を、町を爆撃できるかどうかを気の済むまで討論すればいい。

それでもアサドがすきですか?

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コメントありがとうございます。すべてにお答えできるよう、少々長くなりますがひとコマで書かせていただきます。
まず「アサドが好きですか?」という題ですが。

シリア問題に限らず中東問題に関しては日本はあまりに情報不足で、なにより石油の輸入以外にはほとんど無関係の地域での事件であるために事実を知る必要さえないのが現状です。しかし非道に対する怒りは当然存在し、そこで前に出るのは近代主義的な(西欧的な)正義感・倫理観による短絡した判断と経済先行型理論で、いくら中東情勢評論家たちが分析の真似事をしてどっちが正しい正しくないと書きたてようと、そこから生まれるのは結局「好きか・好きでないか」という程度の幼稚な議論です。「アサドが好きですか?」とやや恣意的な言葉を使ったのはそれに対する問題提起です。

アルカイダはイスラム原理主義とは何の関係もありません。ゴロツキどもを集めて銃を与え「神は偉大なり」と叫ばせているだけです。
原理主義とは危険思想保持者という意味で使われがちですが、本来「原形」という意味です。イスラム原理主義とは預言者ムハンマドの時代のイスラームであり、スンニもシーアも教義の上では差異はありませんでした。シーア派が定着した地域、古代ペルシアの多神教の土壌が後のシーア派の体質を創りました。
シリア内戦にあまり宗教色はありません。シーア・スンニの対立はあくまでイスラームの荒廃を狙う欧米の画策です。信仰とイデオロギーを取り違えた場合こういう罠にかかります。
アルカイダの存在理由など私が書くまでもありませんが、要はアルカイダの行動が確認された地域には米軍が、国連軍が、NATO軍が侵攻する権利が発生してしまうわけです。こんな便利な組織があるでしょうか。

シリアに欧米が攻撃できなかった理由は、トルコのエルドアン首相が空爆を阻止するため徹底的に反対したからです。トルコが陸軍を出すから空爆するな、と。こうして欧米多国籍軍による無人爆撃機の無差別攻撃は出る幕を失いトルコも陸軍を出せなくなりました。陸軍が出ることで内情が表沙汰になると困るのは虐殺を繰り返すアサド、そして黒幕の欧米です。

アサドの父、ハフィズ・アサドはソ連に教育・援助された独裁者です。クーデター、検閲、拷問、虐殺に関する技術をソ連から授与されました。そして一方で英国と繋がり立場を強化し世俗国家シリアを独裁しました。それに反抗するムスリム同朋団を一掃するために1982年、父アサドは暴動を扇動し数万人の自国民を虐殺しました。それ以来のシリアは緩い世俗国家として国民は比較的「自由」に生きてきましたがその実は厳しい監視・密告・情報規制社会に怯えていました。政府批判をしようものなら即投獄です。アサドが国民の支持を受けているという解釈はここに根源を持ちます。支持者とはアサドが怖くて批判が出来ないか、イスラームを捨てて自由享楽に浸って生きることを選んだかのどちらかです。

アサドを支持するかしないかはシリア国民が決めること、そのとおりです。しかしこれは内戦が始まる前までの話です。逮捕者に食料を与えず、拷問を加え、餓死するまで放置する。この手口を看過するか、しないかはシリアだけの問題ではありません。

リビアの春がシリアに飛び火したのはアルカイダの工作です。もちろんアサド政権も反政府組織のあぶり出しの好機として喜んで活用しました。地下活動を続けていたムスリム同朋団とそれに近い組織は否応なく決起します。そこへ、近隣国の支援を得たゲリラ組織が蝿のようにたかり出し内戦と化しました。反政府ゲリラを捕まえてみたら外国人の傭兵だったなどの理由はこのあたりで、これがアサド政権を正当化するために利用されています。

昨年のいわゆるトルコの春はエルドアン政権を憎む欧米の画策でしたが失敗に終わりました。失敗の理由はいろいろありますが、一番はエルドアン首相の背筋が曲がっていないこと、そしてトルコ国民の愚民化がまだ足りなかったこと、欧米の手先の野党があまりに無能だったことが挙げられます。
エルドアン首相はシリア国民を援護し、難民を数十万人トルコに受け入れ、またトルコの非政府組織も物資の供給などの援助を繰り返しています。ただしシリアとは800キロの国境線を共有しており自国民をアサド政権およびその息のかかったゲリラから守る義務から防衛活動も当然行います。それを指して「トルコとシリアは戦争状態」というのはあまりにぬるい表現としか言えません。日本はそんなに平和なのですか?

アサドの抱える国防軍が攻撃しているのは罪のない市民です。イスラエルがゴラン高原に侵攻した際に土地を失ったパレスチナ難民がシリアにおり、彼らも攻撃の的になり、食料が届かず、骨と皮だけになって死んでいった子供たちが大勢います。転載した映像も、その対象となったのは一人や二人ではなく一万一千人であり今この瞬間も虐待が続いています。これがシリアの春といわれるものです。
欧米主導の新世界体制が築かれているのは中東も極東も同じです。中東は対岸の火事ではありません。

アサドと国が一丸となってシオニストと戦わなければならないときに自国の力を減らし、自国民を殺して何のメリットがあるのかという問いについてお答えします。
まず、アサドはシリア人でありイスラム教徒という建前ですが、彼はイスラームに対する敬意も信仰心も少しも持ち合わせていません。またシリアという国、そして国民は私物として認識しています。アサド自身がシオニストであるかどうかは確認のしようがありません。が、おそらくそうでないとしてもシオニストたちの画策に加担し中東での権威拡大の好機を狙って漁夫の利を得ようとしていることは確かです。シオニストたちはイスラームの崩壊を切望しています。しかし信仰心のないアサドにしてみればそれはどうでもいいことです。中東は国という枠組みでは何一つ動きません。

アサド側の国防軍は市民ではありません。アサドの命令でいかなる行動でもとるように訓練されています。シーア・アレヴィー派であるという(教義ではなくあくまで)血縁的な縛りもあります。また特権階級であり一般市民のことは動物同様に考えています。

皆様の最大の誤解を指摘させていただきます。

反政府軍は反政府連合ではありません。それぞれ意識の違う小さなゲリラの複数形でしかなく、共謀も同盟もありません。数の上で一番多いのはアルカイダに代表されるプロパガンダ組織であり、無差別な破壊行為を行いその映像がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、「アサドの愛する国家と国民」が外国勢力から無体な攻撃を受けているとのプロパガンダを信じ込んだ人々がアサド擁護をしています。あなたのことです。
また、一般市民はただの巻き添えであり反政府組織との混同は厳禁です。政府軍の空軍機からの爆撃により市街は壊滅し生活基盤を失い、救援もなく、彼らはただ飢えに苦しみ餓死と背中合わせで暮らしています。

「アッラーフ・アクバル=神は偉大なり」はアラブ系の人々の一日のうちでもっとも多用する言葉です。いいにつけ、悪いにつけ、とにかくこの声を発します。映像の中で反政府軍がアッラーフ・アクバルとしか発していない(ように聞こえる)のは非シリア人であるために言葉がわからないからではありません。シリア人の言語はアラビア語であり、中東の殆どの人種が使うのがこのアラビア語であり、たとえばリビアから、チュニジアから、サウジから流れ込んだプロパガンダ組織のゴロツキどもも信仰心とは無関係にアッラーフ・アクバルといい続けます。もちろんイスラム教徒の残忍さを強調するために「アッラー」と叫びながら暴行を繰り返す映像を意図的に撮影したでしょうし、実際流通しています。逆に政府軍と見られる男が市民の頭に銃をつきつけアサドの肖像に接吻させる映像もあります。なんでそんなものわざわざ撮影してソーシャルメディアに流すか考えれば簡単です。情報戦争において映像は撹乱でしかないということを皆が気づくべきです。


反政府軍に子供を殺され政府軍に助けをを求めるという女性のアラビア語と字幕の英語や日本語との整合性を考えたことがおありでしょうか?
米国という国は国家予算を投じて映像技術やマインドコントロールや集団煽動術を研究していることをお忘れなく。

シリア軍に限らず、どの国の軍部にも反政府体制が潜んでいるのが普通です。それに発破をかけるのは海外からの協力者です。また、世界の多くの軍国政府は自国の軍部を制御するのに手を焼いていますが、こうした造反を反政府的思想保持者を一掃する好機として使うことがよくあります。自由シリア軍は国防軍からの離反者たちが結成しましたが、その時期は欧米がリビアに介入し終結に向かった頃です。「アラブの春」自体が西欧の画策した中東新体制構築の一環であることを考えれば自由シリア軍の結成もまた西欧が一枚も二枚も噛んでいたことの現われです。
自由シリア軍の構成員の信条(愛国心・信仰心)とその結束力はどれほど硬いものかは疑問です。アサドが離反者を許すなどということは皆無です。

シリアの惨状は昨日今日の話ではありません。そして国際社会はそれをを「知っていた」のです。少なくとも、写真流失がはじまったとされる二年前からこの拷問、餓死、遺体への辱めの事実は国連をはじめとする国際機関は知っていながら見ない不利をしているのです。国連が人道と国際平和のために作られた機関であるなどということをいまさら信じる人もいませんが、この社会は写真等物的証拠とそれを審議する司法機関、そしてそれにお墨付きを与える国連の縛りから抜け出せないのです。そして国連をはじめとする国際的に法権威を持つ機関は英米イスラエルの手にあります。

写真を撮影させたのはアサドです。流出させたのもアサドかも知れません。逆らえばこうなる、との暗喩かもしれません。

アフリカで飢餓に苦しむ子供たちの写真は見慣れてしまいました。こうして拷問死したイスラム教徒の写真も見慣れてゆくでしょう。ソーシャルメディアを通して共有される画像は捏造であろうとなかろうとその残忍さだけは変わりません。そうして国際社会は残虐・非道に「不感症」になり行くでしょう。もっと近いところでこの非道を目の当たりにしても正視できてしまうでしょう。しかし人間ですから潜在意識の中に恐怖は残ります。その恐怖心を刺激されることで、われわれはより制御されやすくなるでしょう。
しかしその状況から目を背けることはもう不可能です。心して見るべきだということを申し上げる次第です。

化学兵器は何だったのか。化学兵器は使用され、市民が被害を受け、国際社会が騒ぎ立て、化学兵器は残忍だが普通の爆弾は残忍ではないのかという議論には決してならず、他国が処理費用を負担してアサドがその費用を丸儲けしました。


国民も国の行く末も糞食らえで、国家シリアとしての権威拡大などは鼻から眼中になどないでしょう。アサドがシリアという国を母国とも何だとも意識してないからです。アサドは新世界体制というものに意識を移し、つまり中東一帯の地図は西欧の手によって一新され、その舞台の上で何らかのおこぼれ(=漁夫の利)を頂戴するぐらいしか考えていないでしょう。ロシアと組んで起死回生を狙っているとは考えにくいです。

子供を失った母親ほど不幸な存在はないでしょう。それにあれこれ注釈をつけるのは私自身も気が引けますが、その心理も利用されています。映像班は必ず母親を利用するのです。ただ例の母親は間違いなくアサド支持層の裕福な世俗家庭の女性です。それ以外は何も申せません。

カダフィーは見せしめお為に殺されました。彼は元は英国のエージェントでありそこはアサドと似ています。カダフィーの場合とちゅうで覚醒して国家主義に転換したためにああいった最後を遂げました。アサドも英国で養育を受けています。
シリア転覆を狙い行動を起こしている組織の多くはのはシリアの明日のために戦っているわけではありません。それぞれの利益のため、あるいは傭兵としてです。ただその中にイスラム同胞団のように強固な信条の元に戦う集団もあるので、それが事を複雑にしてしまっているのが現状です。
「アラブの春」の指揮者である西欧は混沌を、そしてその混沌の末に西欧主導の新体制を築くことを求めています。アサドがどうのといっている場合ではないのです。


BBCやCNNしか情報源がないのであればいっそ見ないほうがよいでしょう。
「信用にたりる情報源」、そんなものはどこにもないのかもしれません。昨日まで全うな報道をしていた局が明日にはひそかに買収されることなど日常茶飯事になりました。さらにソーシャルメディアなどは自分に似た意見の持ち主との馴れ合いの場であり、さらに実は電網の持ち主である英米に洗脳されるための道具でしかないことを、私はもうずいぶん前から指摘しています。
質問をいただいた、「詳しいブログ」などというものも所詮は執筆者の主観の範囲を出ませんし、私の意見もその一つに過ぎません。私の意見が絶対正しいなどとも申して降りませんし、それは誰にもできないことです。

事実を知り得るのはもはや神のみです。しかし皆さん、どうか事件の行間を読む訓練をなさってください。目の前に突きつけられた映像も、写真も、その裏にはあらゆる意図が隠れています。異なる情報をいくつか並べてみれば、運がよければ何かがわかるかもしれません。そのためには偏見や利己を捨てていかなければなりません。今のままではみすみすメディアの食い物になり新世界体制の歯車にされるのが関の山、次世代にひどい世界しか残せないことになります。それを食い止める必要があると主張しているのです。


次元の低いコメント応酬はまだ続いている。http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/371.html

英国流「漁夫の利」


「アラブの春」が西欧によって書かれた台本に沿って進行していることをこのブログで再三指摘してきた。民主化から取り残された市民が国家の主権を得るために戦う「聖戦」であるかのようにメディアにより描かれた一連の抗議行動を「春」などと呼ばされているが、それが如何に狡猾に設計されたものであるかを今回、あらためて遠巻きに眺めてみることにする。



大航海時代の覇王であり、産業革命の旗手であり、第一次大戦の連合軍筆頭であり、国際連盟常任理事国であった国、冷たい海に浮かぶろくに資源もない小さな島国でありながら常に世界の頂点にあるのは「英国」である。いったいどういう頭脳をしているのかは知らないが、とにかくこの国の手段は人間業とは思えない。まず他国の内側に墨の如く染み入り人心を惑わして均衡を崩す。その混乱に乗じてその国の体制を作り変える。そのときに恨みと争いの火薬を綿密に仕込んでおくことを忘れず、時が来れば発火させて煽りたて内戦や紛争を起こす。しかもこの火薬は自らの手を汚さずに何度でも激しさを増しながら繰り返し燃え上がらせることができる。もちろん英国の描いた世界設計図に合うように、的確にである。英国が戦争で大暴れをすることはなく、また積極外交もしない。知恵を使って座りしままに漁夫に利を得るのがこの国流である。


中世も終わる頃、航海技術の進歩から世界の「かたち」が認識されるようになった。農業生産中心の自国経済に限界を見出しアジアや南米・アフリカ大陸からの搾取を前提とする貿易経済に移行した西欧は、さらに国外から安価で仕入れた材料で工業生産を行う形で発展を図った。産業革命である。そのための労働者は国内にいくらでもいた。産業が拡張するに従い徐々に需要が増したのが資源である。

西欧世界の資源庫はまずアフリカが挙げられる。必定、アフリカは次々と西欧列強に征服される運命をたどる。しかし欧州からもっと近いところに石油も石炭もうなるほど隠されていた。イラク、シリア、エジプト、アラビア半島、北アフリカ…どれもオスマントルコ帝国の版図にあった。


第一次世界大戦の場合、「バルカン半島の民族自決の擁護」がこの戦争を正当化する材料であり「サラエボ事件」が大戦の発端となった。言うまでもなくこれは戦争を起こすための名目でしかない。
「ヨーロッパの火薬庫」という20世紀初頭のバルカン半島を形容したこの言葉はあまりに有名である。オスマントルコ帝国の領土であったこの地域に共存していた多様な民族は18世紀の終わりからすこしづつその手を振り切り、「民族自決」を合言葉にそれぞれの国土を主張し第一次大戦前までに小さな王朝がいくつも誕生した。大国の狭間でどれも国家として成立する力のないほどの小国をわざわざ生み出し、その後ろで西欧は民族間の緊張を高めようと画策し、満を持してセルビア青年に武器を与えオーストリア-ハンガリー王国皇太子を手にかけるというサラエボ事件を起こした。自ら仕掛けた火薬庫にこうして火を放った。

(じつはサラエボ事件の前に日本で似たような騒動があった。「大津事件」である。来日していたロシアの皇太子(後のニコライ二世)が日本人巡査に切りつけられ負傷したこの事件だがロシアとの戦争には発展しなかった。不成功におわったとしてもこれが英国の差し金によるロシア挑発だったとすれば、血の日曜日も日露戦争ももっと早く起こっていたかもしれない。)


結果からいえばオスマントルコ帝国は第一次世界大戦に臨みドイツ・オーストリア側にについて敗戦し割譲を受ける。トルコの領土はアナトリア半島と呼ばれる一帯のみを残し、旧オスマントルコ帝国の領土からは20カ国にのぼる大量の独立国が誕生する。「イスラーム」という一つの共同体意識のもと、異人種、異民族、異言語という壁を壁ともせずに栄えていた帝国を内側から焚きつけるための火種、それは「民族自決」の一言であった。


敗戦国は戦後処理の名の下に、戦勝国の監視により国家体制の作り替えを強制される。中世であればただ属州とされる所だが近代の理屈ではそうも行かない。すでに通信が発達したこの時代、露骨な侵略支配を行えば当事国以外にも評価が残り後の時代まで侵略国の汚名を背負うであろうことはすでに理解されていた。ここで国際世論にも、そして後の歴史認識にも有無を言わせないための大義名分を打ち立てることが提案された。そこで1920年に国際秩序の監視役として正式に誕生した組織こそ国際連盟である。表向きは「国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関」、その実は西欧中心の新世界秩序を正当化するための国際会議である。

常任理事国は英・仏・伊、そして日本であった。有史以来地中海世界と接触が皆無である日本をわざわざ参入させたのは理事会の中立性を演出する茶番といえる。第一次世界大戦の目的と連盟樹立の意義はこのトルコ割譲であった。

トルコが連合軍に突きつけられた新国家体制とは、

1. 帝国という旧態依然とした枠組みを廃止して周辺の資源地帯を手放し
2. 政治からイスラームを払拭し旧領の独立国との結束を捨て
3. 西欧寄りの世俗国家としての道を行き西欧の政治・経済・軍事に寄与する

これが大筋である。これに背けば連盟から非難を受け、将来にわたり国際条約を締結する折に何もかも不利にはたらく。連盟も、その後の連合もただの巨大な権威組織であり国際平和などは夢にも思わない。


イスラームとは信仰という枠の中にはとどまらず、生活と社会の規範としての重要な役割があった。イスラム帝国であるオスマントルコの領内の政治経済その他全ての規約はクルアーンに基づくイスラム法によるものであり、それぞれ異なる言語と歴史を持つ多様な民族を抱えながらも帝国の内部の均衡はイスラームの屋根の下にしかと保たれていた。異教徒は人頭税を納めることで帝国市民権を得られ兵役は免除されていた。
英国は19世紀初頭からしきりに民族自決を囁き資源地帯の属州をトルコから精神的に遠ざけようと画策していた。それが功を奏してアラビア半島、北アフリカ一帯の造反があいついで帝国はほころび始め、大戦勃発までに混乱は明らかなものとなった。帝国から独立を果たした資源地帯の国々は以下のとおり、モロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジア、エジプト、パレスチナ、サウジアラビア、アラブ首長国、イエメン、バーレーン、クウェート、カタール、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、西欧の手口が巧妙と言わざる得ないのは、見事なほどちりじりばらばらに独立させたところにある。この国々は現代も近隣国と協力関係を築くことより目先の利益から欧米の指人形として働くことを選ぶ。エジプトでは英国委任統治時代にオスマントルコへの帰属か英国の統治を継続するかを巡り市民投票が行われたが、西欧化を求めるだろうと踏んでいた英国の算段を裏切りエジプト市民の大多数はトルコ帰属を選択した。こうした想定外の事件には「市民に教育が足りないので選挙無効」という処理法も持ち合わせていた。2012年のエジプトでの大統領選挙を無効にしたあの事件は実は英国のお家芸であった。


さらに、帝国の解体後に新生国家郡が再びイスラム連合として結束することを危惧した英国はイスラームの最高指導者であるカリフを廃して国外に追放した。カリフとは預言者の代理人、言うなればカトリック世界のローマ法王にあたる聖職であり、帝国誕生以来首都のイスタンブールに座し世界のスンニ派イスラム教社会の信仰生活と政治の指針を担っていた。イスラム世界はこうして求心力を失うことで迷走し、それが今日のイスラム社会の諸問題の原因となった。

いかに敗戦国といえど西欧にここまでの無体を受けてなおトルコは西欧化と世俗化を受け入れるのだろうか、それが受け入れたのである。巧妙な仕掛けは尽きない。

(オスマントルコ帝国と日本とは少しも関わりがない。しかし少なからず西欧というものに疑いの目を持つ方々には、これまでの話しが開国と敗戦という日本の被った二度の痛手と妙に共通するところがあることは感じていただけると存じる。)

歴史の授業では「セーブル条約」なるものも習う。1920年に連合国とオスマントルコとの間で交わされた戦後処理条約であるが、それによればトルコはアンカラ周辺の狭小な地域のみの領有を認められたとある。トルコ人が嘆き、怒り、失望に陥る中で一人の軍人が彗星の如く現れ、ギリシア駐屯軍を蹴散らしてイズミルを奪還し一気に共和政府を樹立し初代大統領を名乗った。そしてセーブル条約からたった三年でトルコは旧態依然とした帝国から見事民主化を果たしたと連盟に評価され「ローザンヌ条約」を締結、それにより現在の国境線まで国土を回復したとある。その軍人とは建国の父と謳われるケマル・アタテュルクである。

だがセーブル条約などはどこにも存在しない。英国はロシアで確立しつつあった共産圏に対する緩衝地帯としてトルコを温存したかった。しかし西欧へのトルコの国民感情は最悪でありその反動からロシアに靡くことを懸念したため、黒海沿岸と東部トルコをロシアに与えて残りの海岸線地帯を英・仏・伊が割拠するという戦後処理案をちらつかせたのみであった。つまり「脅し」をかけトルコが西欧への仲間入りを泣いて懇願するように仕向けたのである。現代のトルコの領土は最初から英国の描いた国境線の中にある。架空セーブル条約は将来トルコ軍部が国内向けにおおいに利用した。
「セーブル条約」を信じたトルコ国民は死刑宣告に近い悪夢を見た。それを西洋人の目の前で破り捨てたとされるアタテュルクに対し国民はこの世が終わる日まで感謝を捧げ続けなければならないような錯覚に囚われた。アタテュルクは死後にいわば神格化され、彼のその遺志を継いだとされる「ケマリスト」たちの専横がはじまった。西欧の属国として「民主主義世俗国家トルコ」を作る傍ら国内の民族間の不協和音を指揮した。クルド民族のテロ問題は民族問題などではない。テロさえあれば失業しない軍部と、民族問題さえあれば民族主義の風を吹かせて国を牛耳ることができるケマリストと、ケマリストさえいればトルコを属国として扱える英国の共有財産である。


はたしてその火薬とは、ただの民族意識を敵対の道具に仕立て上げた「民族主義」である。


人種とは肌の色に代表される生物学的な括りである。さらにそれを言語、信仰、国境、記憶などの細かい括りで別けたものを「民族」と呼んでいる。
人間の遺伝子情報を俯瞰すれば民族間の差異などはじつに僅かなもの、いや皆無といえる場合もある。しかし人種と民族の違いに由来する争いは絶えることがない。人種による差別はやや前時代的なものになったとしても「民族」の問題は逆に加速をみせている。そうさせているのはその僅かな違いではない。



幼い頃、子供たちの間には罪のない差別と支配がそこらじゅうにあった。好きな歌手が違うから、着ている服が変わっているから、大人びているから、特技があるから、とにかく虫が好かないから、と、言い出せばきりがないが自分たちとは何かどこかが違う少数派を差別し、多少なりとも攻撃した経験が誰にでもある。あるいは逆の記憶もあるだろう。子供たちの社会で起こる現象は自然にちかい。ならば人の中には差別という自然が備わっていると言ってもいい。
ではなぜ差別をしてしまうか、それはひとえに保身のためである。自分たちにない特徴を持つものと行動を共にすると厄介なことになる、あるいは損をする。その日までに築いた自分らなりの規律や価値観を壊される、だから異分子を受け入れたくない。これこそ「虫が好かない」の構造である。生存圏を維持するための本能のようなものであり、差別そのものに罪はない。

幼い兄弟がいるとする。兄は弟のおやつをよこせと言い、弟が作りかけた積み木の塔を横取りして作り変え、一緒に遊ぶときもどう遊ぶかを指示して従わせる。これは強い方が弱い方に対して抱く支配欲求である。親(特に母親)と子、夫婦、友人、教師と生徒、どちらが強者であるかはその都度かわりえるが、支配欲というものは人が出くわすあらゆる関係のなかで必ず頭をもたげる。これもまた人の中の自然である。人が生存圏の拡大と充実を無意識に求めるために起こる。

しかし差別心も支配欲も相手の存在を認めることで鎖につなぐことができる。相手の持つ自分との違いを魅力と認識できるようになれば状況は大きく変わる。
そのためにはお互いが人として成長するか、または心ある大人に諭されるかを待たなければならない。

差別も支配も源とするのは利己である。人が生まれながらにして利己であることは昔も今もかわらない。しかし人がみな利己を貫いたのでは草生えぬ土地となり子や孫たちが生きる場所を失うことを、時代とともに学びあらゆる形で戒めてきた。それが人である。利己と戦い、躾け、他者との共存を模索してきた。ときに成功し、ときには不毛の荒野に墓標すら残らない。それが人の世である。

もともと利己な人々が集団で生きるために従わなければならない規範、古代においてそれは信仰であった。神の怒りを恐れることで自らを律し、神の報いを期待して善行をおこない、神との繋がりのなかで集団の価値世界を築いた。その世界を共有したものが「民族」の始まりである。
民族は分裂と融合を繰り返し、移動し、互いに価値を認め合えない異民族を蹴散らし、あるいは圧力をけ、反抗する者を抹殺した。恭順する者を支配した。支配を逃れて新天地を目指した。民族の生存圏を維持し拡大するための行動の軌跡が歴史である。
時代は降り、神に代わり或いは神の名において人を従えたのが国である。法に書かれた罪と罰の規範の中で人は否が応でも利己を抑えて国を共有した。軍事・経済・政治の面から強大な帝国に多民族が専制的に統括されることで戦争の起こりにくい時代を築いたこともあった。それがローマであり清であり、オスマントルコであった。規模は異なるがムガール帝国も江戸時代の日本もそうであった。

こうして眺めれば「人」と「民族」は相似の関係にあることがよくわかる。すなわち民族間の差別や支配も「利己」を源としている。一つの民族の中の個々が所属する共同体の価値と利益のために他の民族を疎外し、嫌悪し、あるいは利用して支配する。その構造の利用法を「民族主義」として開発したのが英国、それを煽り立て起きない戦争を起こしてきた。ローマは古いのでともかくとして、清もオスマントルコもインドも江戸幕府も英国にしてやられたではないか。

英国は外交の表舞台から姿を隠した。かわりに饒舌になったのが米国とイスラエルだが同じこと、鵜にくくりつけた縄を引くのは未だに英国である。

民族自決という美辞により独立建国を果たした国をみれば今、スンニ派が大多数をしめる国にシーア派の支配者がいる。シリアがそうである。その逆はバーレーンである。それぞれ他民族の住む複数の地域を無理に国としてまとめられたのはイラクである。虐殺の記憶の中で民族同士が敵視しあう国がある。ソマリア、ウガンダ、旧ユーゴ、パレスチナである。遠隔操作の爆弾を抱えさせられ主権も主張もできない国に自決も何もあったものではない。

政教分離という麗句は民族問題の解決策のひとつかのように聞こえるがどうだろう。特定の信仰・宗派が優遇されないためとされるこの政策は非キリスト教国の悪夢であった。これにより教育と風習から信仰心が叩き出された。結果として英国を背後に持つ世俗主義者の手に政治を受け渡すことになった。エジプトが、シリアが、チュニジアが、湾岸諸国が、その他西欧に支配を受けた全ての地域がそうである。

このような国々では日々、西欧の資金と入れ知恵で抗議集会や暴動が起こされ西欧から好かれない分子は現地の軍部に一掃される。時に起こる大虐殺をには自決権のある独立国に対し外から干渉することはできないと目をつぶり、そうかと思えば別の国には人道人道と叫びながら空軍がミサイルを撒き火事場泥棒を働く。
民族自決を謳った当事者はいま「グローバル化」と称して世界を均一に扱うことを標榜している。グローバルな世界には民族も信仰も言語も記憶も何もない。人はただの労働者と消費者であり、人と人との間には貨幣と物質の交換の他の何もない。こんな連中のいうことを鵜呑みにしていては明日はない。

さて日本、近隣国との中がこじれた経緯は近代史にきざまれている。どの悲劇も遡れば英国に行き着く。

恨みの記憶、言葉と思想の違い、人がみな生まれつき背負うもの、それを火薬たらしめる者たちから死守しなければならない。手を変え品を変え近づく卑怯者どもに隙を与えてはならない、そのためには近代から戦後にかけ英国とその弟子たちから教えられた全てのことをいまいちど吟味すべきである。わが子たちに火薬を背負わせ火の中に歩ませてはいけない。

スノーデンなんかにかまっている場合ではない

青白いヲタク青年がやたらとメディアに露出しているのが引っかかっていた。出すぎである。アメリカにとって本当に都合が悪いことであれば隠蔽できる類の事件であろう、もう彼の存在の目的が見えてきたような気がする。あくまで予測でしかないため短い記事にしておこうと思う。


「のぞき趣味」をすっぱ抜かれた合衆国政府はまっつぁおになり捜査に乗り出す。が、そのころにはスノーデンは香港に逃れていた。彼はNSAのプリズム計画(監視・盗聴システム)が存在することとその手口を告発、NSAから持ち出した機密情報を複製して多数の新聞社に送付し、危害が加えられることがあればその情報を公開するとそして身の安全を図った。
スノーデンはプリズム計画を告発した時点で合衆国政府からパスポートを失効させられている筈であり、そうなれば香港当局に身柄を拘束されアメリカに強制送還されなければならない。なのになぜか香港から出国できた。行き先はロシアだった。

合衆国政府はスノーデンの引渡しをロシア側に要請するが、両国間には犯罪者の引渡しに関する取り決めがないため交渉は平行線をたどる。プーチン大統領は「おいでやすモスクワへ」とも言えないのですぐには入国を認めなかった。その間スノーデンは空港内(ここはロシア国内でないためロシアの法律が及ばないとされる。もちろん外交上の言い訳でしかないが)にとどまり、同じく空港内のロシア外務省出先機関から各国政府に対し亡命の申請をしていた。また人権団体との面会も頻繁に行われていた。

結局ロシアが一年を期限とした亡命を受け入れた。

国家機密の国外持ち出しはどこの国でも最高刑に値する重罪である。アメリカはロシアの犯罪者保護を激しく非難した。しかしその国家機密というのが「国家的のぞきシステム」であったというのが笑うに笑えない。諜報機関がある国ならばどこでもやっていることと主張するオバマには悪びれた様子もない。さて、各国はこれをどう評価しているか。

盗聴の対象にされたのは一般人の個人情報から大学、ひいては各国大使館に及ぶ。各国政府は一様に不快感の声をあげた。しかしその程度である。その筈、冷戦時代から大使館の盗聴などは日常茶飯事であり、KGBとCIAは言うなれば盗聴の家元であった。時代が変わってコンピューター化したために情報の量と速度が増しただけのことであり、NSAの収集したような情報は世界中で共有され使い回される。どの国も文句を言う筋合いでない。

事件は一般人の興味を引いてはいるがその反応は鈍い。個人情報を盗まれていることに対する危惧よりも事件のドラマ性に惹かれて興味本位で成り行きを眺めているといっていい。おそらくこの手の情報収集が行われているであろうことは一般人でも多かれ少なかれ予感していたことで、やや不感症に陥っているのかもしれない。メールの内容や個人情報が盗まれているのではないか、それによる脅迫がこの先おこるのではないか、そんなことは普通にささやかれていた。そして、

「後ろめたいことをしていなければ恐れることはない」

多くの人がそう結論付けている。
強請られるようなことをしなければよい、たしかにそうだがそこでは終わらない。指紋や声紋や筆跡を利用したり、データを改竄した冤罪がいくらでも可能になる。犯罪現場に政府にとって煙たい人間の指紋を人工的に残すことなど朝飯前になる。これはやや極論めいているとしても「データ」の過信が覆すことのできない冤罪を生む可能性はおおきい。

それでも多くの一般市民に直接降りかかる災難というよりは反政府的な発言を繰り返す文筆家や一部の政治家が危惧することであろう、やはり普通に暮らす善良な小市民には縁遠い話である。だからこのスノーデン事件をスパイ映画を観る感覚で眺めていられる。





この事件をいつものヤラセ・アメリカーナだったと仮定する。
大使館をはじめ一般人の個人情報までが公然と盗まれている、そんな事実が公になったとしてもアメリカは痛くもかゆくもない。実はこうして告発されて明るみに出ることで、世界中に盗聴を「承諾」させることができる。既成事実による事後承諾である。それが意味するのはすなわち「あなたは監視されてますよ」という暗示である。

監視を受けていることを潜在的に意識することで人々は政府批判、政治談議、そういったものから無意識に遠ざかるだろう、沈黙を余儀なくされる。政府に従順な国民をそだて、その枠の中で民主主義とやらを展開させればいいことになる。楽だ。

そして親たちは政治から目を背け、ただでさえメディアが垂れ流す娯楽に骨を抜かれたその子供たちは一切政治に触れずに成長することになる。今の子供たちが成人する頃には世の中から政治の話をするものが絶滅することになる。これが第一の目的であろう。



スノーデンは香港から出国できたというだけでも十分におかしいが香港は完全に中国とは言い切れない地帯である。100年もの英国支配を受けた土地は返還の一言でその影響が一蹴されるようなことはない。国家機密を持ち出したとされるスノーデンは女王陛下のスカートの中にかくれた。盗聴されて困るようなことが何もない中国政府は「しらんかお」を通し目をつぶり、英国情報部との細かい調整を終えたスノーデンはモスクワ・シェレメチヴォ空港へと発った。

英国とアメリカは別の国はあるが親子関係にある。本店と支店の関係ともいえる。

スノーデンのもつ情報がはたしてロシアに有益なのか、ゴミ屑同然かもしれない。そしてスノーデンを受け入れることで米から批判を受けるのと米露関係が傷つくのは明らかである。しかしロシア行きは最初から決まっていた。なぜか。

この事件を受けてオバマは九月に予定されていた訪露を一方的に中止した。メドヴェーシェフ時代に氷解に向けて動いていた米露関係はプーチンの再就任により逆戻りしたように見える。

W・ブッシュ時代の外務大臣であり現在は大学で教鞭をとるゴンドリーサ・ライスはCBSの番組に出演しオバマの訪露中止を支持する発言をした。「ロシアによるスノーデン亡命受け入れはアメリカの顔に食らわせた平手打ちだ」、そして「米露関係は冷戦時代に逆戻りしたとは言わないまでも恐ろしいものとなった」と言った。

ここにきて「冷戦」の言葉をちらつかせている。
第二の目的がこれである。冷戦状態はアメリカにとってもロシアにとっても都合がいい。大統領の支持率は上がり、武器弾薬がよく売れる。



そして第三の目的は中東問題の長期化である。
九月に予定されていたプーチン・オバマ会談では長引くシリア問題の解決が重要な議題とされていた。表向きは内戦という触れ込みのシリア問題もアサドを利用したロシアと欧米の代理戦争である。双方ともまだ停戦する気がないためわざと仲たがいして見せることで和平協調の席に敢えて着かないのである(イラン系サイトのアサドを支持する記事を鵜呑みにするとロシアが正義の味方に見えてしまうので注意が必要である。普通どの国も自国の利益のためにしか動きはしない)。




当ブログに中東事情を綴るのは単なる興味や暇つぶしではない。ましてや無責任な正義感からでもない。中東で常に非道をはたらく影の勢力と、わが日本人が憧れて止まず生き方や思想の手本としている国々は同一であることを申し上げたいのである。そのようなことは判りきっているとおっしゃる方々には、ではなぜそれに甘んじて生きてゆかねばならないのかをお尋ねするためである。
わが国は知らぬうちにその非道に加担していることも、いずれ同じ非道を行うであろうことも逆に同じ非道を受けるであろうことも目に見えている。中東の戦火は対岸の火事ではない。
日本には日本の先祖が残した知恵と生き方がある。近代の訪れとともにその全てを「非合理」と見なしかなぐり捨てて、西欧に学び西欧を真似て生きてきた150年間の負債をいま突きつけられている。このまま非道に迎合し続けるか、踵を返すかを日本人がその胸に問いただす時は今である。


エジプトでは敬虔なイスラム教徒でありムルシー大統領を支持する非武装の市民が軍のクーデターの餌食になり、13日から続いたなりふり構わぬ虐殺で600人以上の命が失われた。黒幕でありながらこの恐ろしい殺人劇に気づかぬ振りをしてきたアメリカはここに来てようやく流血を非難、アメリカに続いて西欧諸国と国連も似たような声を上げた。西欧には非難に必要な死者数というものがあるらしい、さすがは数量でしか物事を判断しない民主主義の信望者である。しかし軍と市民のどちらを非難しているのかまったく不明瞭なゆるい発言であった。エジプトにはコプトと呼ばれるキリスト教徒が生活しており、その宗教活動のための教会も多数ある。その教会が放火による被害を受けていることをオバマは軍部に反抗するイスラム教市民の仕業と発言しているが明らかな虚偽である。なぜならたとえ異教徒のものであろうと聖域は聖域、決して侵してはならないという教義がイスラームにはある。なによりも無抵抗で凶弾に倒れることを選んだ市民は蛮行など働けない。

アメリカとイスラエルも親子である。イスラエルと国境を接するシナイ半島では混乱に乗じてイスラエル軍が侵入し市民に危害を加えている。ここでも馬鹿息子に火事場泥棒をさせている。
ムルシー支持派の市民を軍に殲滅させ、その軍事政権はこのまま世界世論に抹殺させてエジプトの全土、あるいは一部をイスラエルの手に委ねようとしているのかも知れない。そしてパレスチナを完全に孤立させることを目論んでいるのかも知れない。



イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、ソマリア、紅海をはさんでイエメン、いま非道が進行している地域である。この地域を人の近づけぬ地獄にしてしまいたいのである。なぜか、石油目当てというだけではない。
ここはユダヤ教・キリスト教の初期の教徒たちが流浪した土地である。ローマ教会とシオニストたちが歪曲する前の純粋な教義を記した、教義とともに生きて死んだ教徒たちの魂を刻んだ紙片が、羊皮が、木片が、石碑が石油の如く埋もれている土地である。宗教を大義名分に世界地図を作り上げた欧米が知られて本当に困ることはこの地に昏々と眠る。スパイが持ち出した情報などは紙屑にも及ばない。




スノーデン事件。アメリカがとっつきやすいスパイ劇をメディアにばら撒いたという予測とその理由に関する覚書きとして読んでいただければ幸いである。

ただし理由とした部分は予測などではない。

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Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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