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「独立遊戯」  戦争の序曲

その前夜

地域が国家からの離反を求めれば国家は当然それを阻止すべく軍事力を行使する。地域が蜂起してそれに抵抗すれば内戦がはじまる。ゲリラまがいの蜂起軍が政府軍に適うわけなどない。普通ならば程なく制圧がなされ反政府行動の罪を問われた首謀者たちが検挙されて事は終結する。しかし反政府勢力に武器と資金を与える別の勢力が存在すれば話はがらりと変わる。残念なことに実はこちらのほうが普通である。

過去、欧米列強が少数民族に対し独立の二文字をちらつかせ民族意識に火の粉をかけることで二つの大戦がおこされた。無論それには地域ごとに周到なる準備を整えてこそ成立したのである。
第一次世界大戦が主に何を目的としておこされたか、それは十字軍の時代から欧州の脅威であったオスマントルコ帝国を殲滅することにあった。北アフリカ・バルカン・東欧・黒海沿岸・紅海沿岸・湾岸・中東・コーカサスにまたがる広大な帝国版図には石油が唸る。この地域をピザのように割譲し、独立傀儡国家を誕生させてその資源、その労働力、その利権を搾取することは欧米列強の産業発展には不可欠と考えられた。帝国内各地に定住する民族を刺激して帝国からの離脱・独立気運を高め、武器弾薬を供給して内戦をあおり帝国を内側から蝕んだ。外からは列強が絶え間なく干渉を繰り返し露土戦争以降のオスマン帝国は衰退の一途を辿る。こうした背景のもと第一次大戦に参戦しドイツと共に破れあわや国家喪失となる段、青年将校ケマル・アタテュルクが唐突にあらわれ英国軍を駆逐して独立国を新たに樹立した。オスマントルコ帝国に変わって誕生したトルコ共和国は欧米に奉仕する道を歩むこととなる。
            OSMAN-JAPAN.jpg
         オスマントルコ帝国最大版図(1800年頃)と大東亜共栄圏  

そして第二次大戦が意図したところは、植民地の直接支配から傀儡国家の間接支配への移行である。具体的には欧米の植民地であったアジア全土を日本に奪われたふりを装いその後に日本もろとも叩き潰し、各地域に名目上の独立を認めた後も植民地時代とさしてかわらぬ傀儡国家として維持させることに成功、環太平洋の経済圏は全て英米に奉仕するよう建設された。また「ドイツの狂人」の愚行を口実に国家イスラエルを誕生させるのもこの大戦の重要な意図であった。戦争の金庫番であるユダヤ金融組織にかねてからの約束を果たし、さらに中東の戦火が一日とて消えることのないようその担保としてイスラエルは建国された。

維新後着々と太らされて有頂天にあった日本が更なるアジア攻略の一環として、かつ連合軍の行動力を削ぐために米・英・蘭・仏領のアジア諸国の独立運動を支援、運動家たちに軍事訓練を施して宗主国に対し蜂起させるという戦略をとった。しかし所詮はアラビアのロレンスの猿真似かあるいは敵国情報部の入れ知恵でしかなく、日本の敗戦と共に反逆罪で検挙されたアジア諸国の独立運動家たちは結果として「あぶりだし」を受けたことになる。これはアジア各国の独立の際に宗主国側にさらに有利な傀儡政権が置かれる事に寄与するのみとなった。
前号の記事をぜひ参照していただきたい。

まず植民地の独立を煽って運動家たちを狩り、変わって自らの息のかかった新指導者を送り込み傀儡政権を打ち立てるというこの戦略は英国が得意とするものである。近年ではアラブの春と銘打った中東クーデター症候群が世界を騒がせたが、手法と経過は違えどそのどれも基本構造は変わらない。

英国流外交戦略

現在もシリアとイラクでは戦闘が絶えない。ここでは当初から純粋な蜂起軍と国防軍の衝突とは次元の異なる、複数のテロ組織と海外正規軍が混戦する国際戦争が繰り広げられる。これを内戦と呼ぶのは元より正しくない。

アラビア半島からこの地域にかけてはアラビアのロレンスがラクダに跨り駆けずり回った砂漠地帯である。彼は実在した英国情報部員であり、この広大な砂漠に分散した諸々の部族の共同体意識に火を放ち、オスマン帝国に反旗を翻させるのが彼の任務であった。                                       
             ロレンス
                  ロレンス

現在のシリア、イラク、レバノン、ヨルダン、パレスチナそしてイスラエルは第一次大戦後にオスマン帝国からもぎ取った土地を英仏が自らの都合で勝手に分割して誕生させた国々である。ロレンスは師とも呼べる女性ゲートルード・ベルとともに地域の情報をほじくり返し、アラブ独立を口実にした戦略地図を作成し数年後にそれは現実の国境として発効する。しかしそれは英国の利益のみを追求したものであるため地域の歴史とも信仰とも民族とも、この国境線、いや境界線は全く噛み合わない。それが今に続く混乱と流血の原因になったことは多くの識者が指摘するもののそれを「英国流二枚舌外交」と賞賛するばかりで批判の声はあがらない。あげられない。この中東線引き活動の仕上げがイスラエル建国であるからして、英国戦略批判はイスラエルの否定に繋がるからである。ロレンスとベルは英国では今も英雄・女傑とされている。
          ベル-ロレンス
                砂漠の詐欺師

「ほらふき」ロレンスは大英帝国の名の下にアラブの部族たちに独立国の建国を囁く。そしてオスマン帝国から任命されたメッカ宰相フセインに近寄り独立の援助とヒジャース王の座を約束する(情報部員でしかない彼にその権限はない)。フセインはアラブ人たちを束ねて反乱軍を組織しダマスカス(現シリア首都)を陥落、そこを首都とするヒジャース王国(アラビア半島紅海沿岸地帯)を打ち立て独立を宣言した。が、英仏は申し合わせた上で独立を拒否した。怒り心頭のフセインはアラビア半島をヒジャース王国として維持、子のファイサルが残りの地域を以って大シリア王国とし王位を宣言、またファイサルの弟アブドゥッラーが今のイラクとなる地域でイラク王国を宣言する。しかし仏軍のダマスカス攻撃によりファイサルはシリアを追われ、後にイギリスの取り成しでイラク王となる。イラクから押し出されたアブドゥッラーは今のヨルダンを与えられる。
          フセイン
             ヒジャース王フセイン     
                           
傀儡王 
   次期ヒジャース王アリ  ヨルダン王アブドゥッラー  イラク王ファイサル

独立遊戯はまだ終わらない。英国はオスマン帝国の終焉と共に主を失った「カリフ=神の代理人」の座を指差し、父フセインを誘惑した。イスラム世界のその頂点に立つことを打診されたフセインは両手をあげて承諾、王位を長男アリーに譲りカリフを宣言する。するとアラビア半島は蜂の巣をつついたかの如く反乱の嵐となった。そしてフセインはまもなく敗走、替わって王位についたのは現サウジアラビア初代国王、そして現国王の父であるサウード家のアブドゥルアジズである。サウジ王室の米へのいじらしいまでの献身は今も続いている。
          abdulaziz
           初代サウジアラビア国王アブドゥルアジズ

19世紀半ばにはオスマン帝国から自治権を得ての半独立を果たしていたエジプトが完全なる独立を模索する中、アフリカ進出を目論む英仏の利益がそれに重なりエジプトと列強の関係が強まった。まず仏の援助でスエズ運河が建設される。そしてエジプトは資金難とかさむ外債から運河株の売却を決めると、英はロスチャイルド家から融資を得てその買収に成功、それによりエジプトは更なる経済難に陥り完全に英仏の管理下に置かれた。これは偶然でも必然でもない英仏の計画であった。

現在イスラエルと呼ばれる地は一神教の共通の聖地であるエルサレムを内包するため、昔からイスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が着かず離れずに共存していた。その均衡を突き崩し戦火の火種として利用することはユダヤ武器商人たちの目論むところであり、母国を建国する足がかりとしてこの地を手に入れるのも「亡国の民」を称するシオニストたちの望むところであり、第一次世界大戦の運営に必要な資金をユダヤ資本家から搾り取るのも英国の得意とするところであった。英国はロスチャイルド家による莫大な資金援助の見返りとしてパレスチナの地にユダヤ人の国の建国を約束する。その後はパレスチナへのユダヤ人入植が相次ぎイスラム教徒との間の緊張が急激に高まって行く。
palestina
            増長するイスラエルと狭まりゆくパレスチナの地

ファイサルが追われたシリアは仏が植民地として直接支配した。仏はこの地に古くから住むマロン派キリスト教徒たちを保護するという口実で地中海に面した地域をレバノンとして分離独立させた。しかしユダヤ人入植とともに土地を失ったパレスチナ人が難民として流入するとまたしてもここで異教徒間対立が生まれ、常に一触即発の状態が今も続き、複雑な民族構成と機能しない政府を背景にレバノンはテロリスト牧場の様相を呈している。

こうしてひとつづつ、手ずから地雷を埋めるが如き周到さを以って禍いの種を撒くのであった。

米国流テロ戦略

第二次大戦を待たずに社会共産主義が産声をあげた。それは破竹の勢いで成長しロシア帝国を飲み込むと共産の城砦としてソビエト連邦が築かれた。植民地支配に苦しむ中東および北アフリカのイスラム諸国は英仏そして伊に対抗するための解決策としてソ連との接近を試む。地中海、そして太平洋への回廊が欲しいソ連にとってもこれらの国に対し影響力を持つことにやぶさかでない。独立運動家たちがソ連に招かれ軍事訓練とイデオロギー教育を受けると、第二次大戦後には中東・北アフリカ地域では次々と革命が起きいずれも社会主義的思想を掲げる軍事政権が発足する。畢竟、宗教を麻薬とするマルクスの考えはイスラームと相容れず不協和音を呼んだ。ソ連に従順な各国の軍事政権がイスラームからの離脱を推進したため国家の高官や公務員は世俗主義層に斡旋されることになり、信仰に重きを置いた層はその流れに完全に取り残され貧困と弾圧に苦しめられた。この構造が将来にもたらしたの、それがいわゆる「イスラム過激派」である。こうした波にすかさず付け入ったのはかつての英国の舎弟、今は仇敵となりつつある米国であった。

社会主義化だけではない。欧米から支援を受けたキリスト教層が優遇されたレバノンでも、欧米依存型の王政が国家を占有したパーレヴィー王朝イランやイラク王国、イスラエルに蹂躙を受け続けるパレスチナでも同じ弾圧がおこった。要はイスラム教徒たちを窮地に立たせさえすればすぐさま欧米の利益になるという戦略方程式がこの頃までに成立した。

不公平な境遇に不満を募らせた若者に金と武器を与える。あらかじめ用意しておいた似非イスラム指導者が神の名の下にあらゆる破壊を聖戦と見なす「手製の教義」をふりかざし殉教を呼びかける。そうすれば一夜にしてテロ組織が成立する(ターリバーン、アルカイダ、ダーイシュ、ヒズボッラー他)。あるいは真に自衛のために立ち上がった組織をも内側から蝕み分裂、吸収のすえ過ちを犯させる(アルシャハブ、ヌスラ戦線他)。米国はこうした戦略研究に国家資金で取り組み、CIAやペンタゴンという国家組織をしてその実現を図る。この方策は自らの手を汚すことなく、正規軍を動かすよりもはるかに安価に、国際人道法に縛りを受けない残忍な手立てを用い、そしてイスラム教徒を血塗りの狂信者として発信しつつ他国を内側から破壊することができる。そして介入、さらに侵攻。アフガニスタン、ソマリア、シリア、レバノン、イラク、イエメンその他、無政府状態あるいは傀儡政権を維持しつつ次の戦略のための足がかりとして管理されている。

シリアのハフィーズ・アサド前大統領(現大統領の父親)は完全な「ソ連製」シリア軍人であった。冷戦時代は反欧米、反イスラエルの立場を明確に打ち出しソ連に貢献することでその保護を受けた。世俗化政策を急進し国内では絶対多数勢力であるスンニ派ムスリムを徹底的に迫害し化学兵器による大虐殺をも行った独裁者である(1982年ハマの大虐殺、死者4万人)。逆に自らの宗派であるシーア・アラウィー派ムスリムを国家のあらゆる場で優遇した(アラウィー派は一部を除けば信仰心の薄い集団である)。それを世襲した息子の>べシャル・アサドは英国帰国子女の妻を娶るなど親西欧的な印象を与えようとはしたものの父親同様のロシアの飼い犬で、自国民への弾圧と強権ぶりは父親以上であった。
     アサド父子
                  アサド父子

もはや冷戦が虚構であったのは人々の知るところとなった。犬猿の仲と見せかけて裏では互いの権利を侵さぬよう取り決めが為されている。歴史的にみても米露は一度も戦っていない。今、米と露がシリアを取り合っているように見えるがそれもまやかしに過ぎず、最終的には「山分け」またはそれに相応する取引が為される。

現アサド政権はアラブの春では倒れなかった。アサド背後に立つ露とイランがアサドを倒そうとする民兵(自由シリア軍)を相手に援護射撃をおこない、それに米軍とNATO軍が応戦したため事態は泥沼化した。もちろんシリアを混迷させることで新しい機軸を構築するための米と露の茶番である。隣のイラクから泥沼を泳いでやってきたISIS(ダーイシュ)が突然シリアとイラクの真ん中に建国を宣言した。ISISはもとより米英によるイラク侵攻(2003~2011)に抵抗するためにイラク・アルカイダとして成立したアルカイダ傘下の組織であった。主に欧米資本の油田の占拠や関連施設の破壊に携わり、その後周辺の小規模なスンニ派テロ組織群を吸収してシーア派ムスリムの生活圏や宗教施設を中心に破壊活動を続け2006年に「イラク・イスラム国=ISI」の建国を宣言、それがシリアに拡大して「イラク・シリア・イスラム国=ISIS」となった。

ただのゴロツキ集団が国際テロ集団にまで成長するのには武器と資金と訓練の援助が不可欠であり、それ以上前にテロ組織に加わるだけの貧しい、無学の、不幸な、そして怒りと恨みを募らせた若者たちがあふれるような土壌が用意さがれていなければならない。またその存在を世界に知らしめる必要がある。欧米がサウジの御用メディアであるアル・ジャジーラを用いてISISを世界に露出し、日本人を犠牲にしてまでその残虐さを宣伝した。全てのテロは大国の産物である。
ISIS或いはその前身に敢えてシーア派を攻撃「させた」ことでイラン(とロシア)の敵役を演じさせた。となればスンニ派を標的に活動するシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(民衆の力)が「自然」に発生したのも、イラン最高指導者のハメネイ師が彼らに公然と軍事訓練を含む大支援を行なったのもまた「自然」であるが、彼らの手にあるのは何故か(やっぱり)米軍が支給した武器である。

ISISの存在は同時に「新たな役者」を登場させることが可能になった。その役者とはクルド人たちである。

クルド・テロ回廊

クルドの民族性なるものは我々日本人からするとかなり理解しにくい筈だ。物質よりも精神の結びつきを重んじる、痩せてはいるが強靭な体をもつ働き者で、冗談が好きな概して「いい人」たちである。しかし怒らせると手がつけられない。恨みあう同士が急に仲良くなることもその逆もある(忘れっぽい)。民主主義などには全く興味も期待も持たず「アー(首長、族長)」の一言が全てを左右するという古風な共同体意識を持つ。狡猾な欧米人たちから見れば彼らの利用価値は非常に高い。欧米は70年代からシリア・イラク・トルコ国境付近に点在するクルド民族の耳に「クルディスタン建国」を囁き、アーたちの統率する小集団を束ねた武装組織PKKを結成させ、トルコ国内のクルド民族をも扇動してトルコをテロの脅威にさらし続けた。

90年代の終盤、シリアのアサド(父)政権がトルコ戦略のために保護していたPKKは両国の緊張を和らげるために一時解散させられ、直後にクルド人政党PYDとその配下の武装勢力YPGとして再編する。つまりYPGとはPKKそのものである。地域から誘拐した少年少女を兵士に仕立て盾に使うPKK同様の卑劣な戦法を使う。思想的には社会共産主義を打ち立てておりイスラム色は希薄である(イスラム以前の宗教であるゾロアスター教の影響が強い)。2013年以降ISISが地域で台頭するとその排除を名目に米がYPGに武器を供給し破壊活動を拡大する。
米軍が蹴散らせないテロ組織を他のテロ組織に退治させる、そんなでたらめが通じるとでも思っているのだろうか、しかし米政府はYPGを対ISIS戦略に貢献する「よいテロリスト」と認定し援助しており各国政府もメディアも腑抜けのように同調している。
米軍からYPGに支給された武器弾薬(トラック3500台分、トラックあたりYPG三人)はPKKに行き渡りトルコ国内での破壊活動に使用される。YPGの持つ本当の意味はPKKと同様に、トルコの東部国境地帯にクルド系「テロ回廊」を築いてトルコ以東中国まで繋がる経済圏から絶縁することにある。鳴り物入りで登場し世界を恐怖させたISISとはYPGの存在意義を長期にわたり保証するために敢えて作られた組織であった。
    YPG-ISIS
         黄色の地帯がYPG/PKKによる「テロの回廊」

そんなことをされては堪らないのがトルコである。アタテュルク改革以降80年、世俗化政策を徹底し欧米に貢いできたこの国はその舵を大きく変えていた。属国的な立場からの脱却を標榜し改革を続けるトルコに対し欧米はそれを阻まんとするテロ、経済封鎖、外交圧力、クーデター、虚偽報道などあらゆる攻撃を仕掛けており、それはこの先も続く。それに堪えるためには国内産業と資源供給の安定が必須であるため国境のすぐ外側がテロの温床という現状は何が何でも打開せねばならない。

イラク受難 「一人のサダムを殺したら100人のサダムがやってきた」

米によってサダム・フセインが血祭りにあげられたあとのイラクは無政府状態に近く、米英が打ち立てた形ばかりの傀儡政府は北イラクを制御できずクルド・イラク自治政府を認めざるを得なかった。またイラク中央部はシリア国境をはさんでISISが居座り続け首都バグダードに漸近し、イラク政府の勢力範囲は残りの南部のみとなる。北イラクはトルコと国境を接しておりトルコ国民と親戚関係にあるクルド人たちも多く住む。またオスマン帝国時代の臣民であったトルクメン人もこの地域で生活し続けているため地域の経済安定と治安維持を促す責任がトルコにあった。長期的なテロ土壌の解消に向けて北イラクに多額の援助を行いインフラを整備、民兵ペシュメルガにも協力をするなど、クルド人地帯を味方につけPKKから遠ざける努力を続けた。しかしクルド・イラク自治政府バルザーニ議長は米にクルディスタン建国を焚き付けられて舞い上がり、独立の是非を問う市民投票を決行する。

北イラク独立の選挙運動の風景、そこに意外な旗印があった。最近妙におとなしい、あたかもパレスチナに理不尽を働くほかは興味がないかのように振舞う狂犬。クルド独立を叫び、民族結集を喚くバルザーニの集会にはユーフラテス河、ナイル川、そしてダビデの六芒星を模したあの布切れがひるがえる。イスラエルである。
    ISRAEL
              イスラエルの威を借るクルド人

大イスラエル

産業基盤を持たない集団が民族という括りだけで独立する可能性はない。あったとしても吸血鬼のような大国に吸い尽くされるのが関の山、しかしクルド市民の答えは「独立」支持であった。絶頂のバルザーニをよそにイラク政府は国防軍に加えてシーア派テロ組織ハシディ・シャービ(イラン過激派でありながらイラク国防軍に編入)を北イラクに投入、クルド兵ペシュメルガは戦わずして逃走、独立遊戯に弄ばれたバルザーニは議長を退任した。北イラクのクルド人たちはリーダーを失った。しかし油をそそがれ燃え上がった独立の炎はもう鎮められない。クルド人の闘争への渇望に付け入ったYPG(PKK)がシリアから勢力を拡大し北イラクを掌握、現在トルコで投獄されているPKKの首領の大看板を担ぎ出しクルディスタン建国を鼓舞する。このペンタゴンによる戦略は現在までにほぼ完了した。

世に言う、いわゆる大イスラエル構想である。米の一言でISISがユーフラテス河流域のこの地域はをYPG(PKK)に明け渡せば事実上クルド人の土地となる。しかしクルディスタンとは名ばかりで米国に支援および管理される。欧米が謀ったクーデターに屈し完全に手足を縛られたエジプトはナイル河より東をイスラエルに委ねた。建国以来の無抵抗主義国ヨルダンはイスラエルに従属する。その他の条件がそろったその時、この地域に「大イスラエル」を宣言する、そういう事だろう。

同じ手に騙され続ける人類

本稿は大イスラエル構想をご紹介するためのものではない。近現代に横たわる大問題、世界が「独立」という同じ罠に100年以上も陥り続けていることを再考するためのものである。
第一次大戦後に引かれた中東地域の国境は地形も歴史も民族もすべて無視されたものであると前述したが、正しくは後に禍根を残すために敢えて「最悪」の形で分割した、と言い換えることができる。例えばクルド民族をトルコ・シリア・イラク・イランの四カ国に意図的に分断したのは、まず独立を餌に武器を取らせて地域に脅威を与え、そこへ「調停」と言いながら土足で踏み込み地下の資源ともども「管理」するためであった。コーカサスも、アフリカも、バルカンもかつて大東亜共栄圏と呼ばれたアジアの地域も第二次大戦後に同じように分割されたのである。ここで前号で綴ったロヒンギャ虐殺を思い出していただきたい。

第二次大戦前までは現在のパキスタン・インド・バングラディシュ・ミャンマーは英国領であった。ムスリムとヒンドゥー教徒と仏教徒が混在する地帯であったが英国はその独立を認める際、少数派が必ず多数派の中に残るよう工作を怠らなかった。イスラームが優勢なカシミール地方がイスラム国パキスタンではなく敢えてヒンドゥー国インドに帰属させられたことで印パは三度も戦争をおこしており現在もにらみ合いが続いている。
そしてミャンマー、かつてビルマと呼ばれた仏教国に取り残されたムスリムたち(ロヒンギャ族)は戦前から今日まで恐ろしい迫害を受け続ける。彼らの土地アラカン州をバングラディシュの国境内に敢えて含めなかったのは英国である。第二次大戦を連合軍側について戦った国には独立を認めると約束しておきながら、英国のために戦ったロヒンギャ族を独立はおろか異教徒のビルマの国境の中に封じ込め、仏僧たちに武器を与えて殺させた。畜生なり。

懸念ざれるのはロヒンギャのテロ化である。自衛組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ解放軍)が今後、アルカイダなどのテロ屋の手に堕ちると事態は最悪となる。ミャンマー政府は仏教徒による虐殺を治安維持行為と偽り問題の所在をロヒンギャ側にすり替える声明を出し続けており、どうも中東問題と同じ匂いがしてならない。かねてから待機させていたロヒンギャ問題を今になって激化させ、そこへテロの菌をばら撒いてアジア戦略の材料とする可能性はあまりにも高い。ただしロヒンギャの民は欧米の目算よりはるかに強く、気高い。
すでにインドネシアとフィリピンにはアルカイダの手が伸びている。フィリピンのカトリック教徒の保護を口実に欧米が派兵するとすればスペインである。昨今のカタルーニャ独立騒ぎで投資家撤退の酷い目にあっているあのスペインである。カタルーニャ州首相のプッチダモンは国家攪乱という任務を果たしてベルギーに逃亡、それもそのはず、ブリュッセルはシオニストたちの溜り場である。今後スペインはこの手の攻撃を恐れるあまり米主導の対アジア戦略に噛ませ犬として担ぎ出されるかもしれない。

中国包囲網建設を目的としたこのアジア戦略に日本は当然巻き込まれている。日本が虐待をうけてテロに手を染めることはなさそうだが逆に虐待を与える側に堕ちぶれかねない。国民が現政権の続投を願うなら、それも仕方なかろう。
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虚構の上に軍隊は成らず いわんや戦争放棄をや

 戦争法案――べらぼうなイカサマ法であることには違いない。こんな法案を通すような議会であれば無いほうがましである。しかし情けないことに国民側からこの法案に対して為される批判はあまりに子供じみている。ただヘイワ、ヘイワと騒ぎ立て戦争に行きたくないと駄々をこねているに過ぎないではないか、その空恐ろしさを感じているのは筆者だけではないと望む。


筆者の記憶では二十五年ほど前、「平和ボケ」なる言葉が活字になって世間にお目見えした。この言葉は戦争のない日本で安穏と生きることにある種の「罪悪感」を植え付けた意味で重要な役を演じたと言ってよい。その結果として四半世紀後の今、軍国化を唱える右翼くずれどもが票を集めたことを思えば「平和ボケ」とは当時の現状批判として国内から湧き上がった言葉ではなく、国外の勢力が冷戦後の日本の外交位置を想定した上で敢えて我々の潜在意識を操作するため耳に吹き込んだ策略だったのかもしれない。


戦争は非道そのものであり起こしてはならないものである。戦争のない世を望むのは日本に限ったことではない。ボケが来るほど平和であるならこの上なにを望むのか、そうも言よう。しかしそのような状況は果たして人類にとって不可能である。


たとえば戦後の日本は本当に平和であったのだろうか、否。日本は人類史上最悪の戦争である冷戦下においてアメリカという名の防空壕に隠れ目と耳と口をふさいでいたに過ぎない。否、もとより「平和」などという軽薄な言葉はこのような狸寝入りに似つかわしい。戦後日本は朝鮮戦争の軍需工業により復興を遂げた。朝鮮半島を焼け野原にした兵器は日本人の手によって作られたのである。その後日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくと経済成長を果たす傍らで冷戦体制の底辺に置かれた弱小国は欧米に蹂躙され続けてきた。その資金源こそ経済大国と祀り上げられた日本である。日本は間接的であれ第三国にとっての加害者であり続けたのである。我々が平和と名づけて拝するものはどう贔屓目に見てもこの程度である。


日本は先進国の一員とされながらも外交能力の評価は非常に低い。表向きには外務省が置かれ諸外国との国交が持たれており国連では非常任理事国としての位置もある。しかし実際はいかなる交渉も決定も常にアメリカの顔色を伺いながら、あるいは指示を仰いでの上で、これを外交と呼ぶことができようか。日本には外交の能力ではなく外交の権限がない。皆無と言っていい。敗戦後に占領下に置かれた日本はその後独立を認められたものの未だに首を鎖に繋がれたままなのである。そういう国はアジア・中東・アフリカに少なからず存在するが、日本はだてに金を持たされているだけ始末が悪いのである。


戦争を一方的に放棄するだけならば子供でもできる。国家が戦争をしない、巻き込まれないためには政府による万死一生の外交努力が必要でありかつ国民は政府に協力すると同時に政府を厳しく監視せねばならない。しかし日本人はそのすべてを放棄し国防も外交もすべてアメリカに委託している。敗戦国の立場とはそういうものだが、かの敗戦から七十年も経って未だにそれに甘んじていられるのはもはや日本人がそれを望んでの事と言うしかない。


つまり楽なのだ。アメリカに追随してさえいれば貿易が赤字になることも他国に侵害されることもとりあえず無い。なにより複雑な外交と金のかかる軍事を丸投げしておけば軍事行為で手を汚さずに金儲けに専念できる。戦後こうして金持ちになった日本だが、楽をしている間に非常事態を嗅ぎ分ける嗅覚も対応する能力も完全に失ってしまった。ここ数年頻発する海外での日本人拉致・殺害事件をみれば日本政府の外交が全く機能していないことがよくわかる。


「テロリストとの譲歩は有り得ない」などと毅然と語る欧米だがそれは当然嘘八百である。各国政府は自国の諜報(スパイ)組織を通してテロ組織等とは常に交渉を持ち、脅し、すかし、利害の一致があれば協力し、資金を融通し、すべてのテロ活動は事前に察知することが可能であり、逆に誘発することもある。しかし諜報部を持たない日本政府にはこれが決して出来ず、「屈する」ことも出来ず、したがって海外で捕虜となった日本人を日本政府が救う可能性はない。このように日本は丸腰のまま軍を抱えようとしているのである。


軍国の場合、軍の行動は諜報組織のもたらす情報をふまえて計画される。その組織のない日本に軍なるものが配備されれば、レーダーも羅針盤も搭載しない帆掛け舟でいきなり海戦に斬り込むようなものである。いかにも日本的と言えるが笑い話ではない。


(日本人にスパイはやれないと思ってはいけない。江戸幕府が二世紀半に亘って維持されたのは「公儀隠密」の活躍が大きいのである。また外交が本当に下手かといえばそうでもない。黒船来航の百年以上も前からロシアなどの船団が通商を求めて日本近海に現れていたが、すっとぼけながら回答を避けてはうまく遣り過ごしていたのである。江戸幕府の終焉は単に世界の流れに逆らえなかったためだけではない。命を天に預けて戦う「兵-つわもの」であったはずの武士たちが泰平の世に甘んじて官僚化し、保身のために政治判断が先例重視に傾いたのが大いなる原因である。一大事を察知る武士の気は萎え、破魔の武芸は形ばかりのものとなり、もとより軍事政権たる江戸幕府はその存在の根拠を失った。こういった内的な崩壊を察知したアメリカが満を持して江戸前に大砲を構えたのである。)


今になって日本の軍国化を望んでいるのは他でもないアメリカである。世界の覇権国として君臨してきたもののアメリカはもはや疲弊した。国内を見れば精神異常と肥満と薬物中毒に満ち、職も働く気力も体力も無い。ありもしない正義を振りまわし世界中に戦争をふっかけまくった挙句の当然の結果である。そろそろ覇権を他国に分散して影でその糸を引いて暮らしたい、かつてイギリスがそうしたように、である。日本はアジア地域の番兵として好都合、というわけである。日本国諜報部設置などはアメリカが承知するはずも無く、されたとしても有名無実の組織(例:内閣情報調査室)になる。


日本再軍備論は誰も住まない猫の額ほどの孤島の領有権という実にどうでもいい問題から起った。日本と中国が協調することでアジアへの影響力を失い損をするのはアメリカであることを忘れてはならない。北方領土問題のせいで日露協調が今日まで実現しなかったことがアメリカにどれだけ利益を与えたか試算してみるべきである。いま政府が法改正をしてまで配備しようとしている「日本軍」は単なる米軍の下請けであり我らが国とその国民を守るための武力ではない。


資金さえあれば軍隊は作れるので、日本ならば自衛隊を増強し最新鋭の軍備を数年で整えることが出来よう。ただし飛行機、銃器、弾薬すべてをアメリカから輸入することが余儀なくされる。兵器を輸入するか自給するかは単に経費の問題ではない。A国がB国から兵器を輸入しているのならばA国は結局B国に防衛を依存していると言い換えることができる。依存を絶つためにA国が兵器の国産に乗り出してもB国はあらゆる手でそれを妨害する。世界で起こる謎の株価暴落や航空機事故、クーデターまがいの市民デモはその脅しの常套手段である。技術先進国の日本でさえ未だに旅客機すら国産していないのはゆめゆめ戦闘機の開発などをせぬようにと頭を押さえつけられているからである(日本には某中華人民共和国のようにロシアから戦闘機を盗んで丸ごとコピーしたりするような真似はできない)。こうしてB国から輸入した兵器の制御システムが実戦では決して正常に作動しないであろうことはA国も重々承知であり、だからこそA国はB国に逆らえない。今のままでは虚構を承知で軍備することになる。


相手の物を奪いたいという本能がある限り人は隣人に害を与えてしまう。そうなればおのれと家族を守るために武器を握ることは避けられない。人は裸では生きてゆけない。この原初の道理を国の次元まで引き上げたものが戦争である。外から侵害をうければ国家は国と国民を守るために武力を行使せねばならない。前時代じみた野蛮な考えだとのご指摘もあるだろう、しかし「正義」「平和」「友愛」などとぬかす民族こそ手の付けられない蛮族であり、地球上にこいつらが存在する限り侵略は絶えないと断言できる。国家には有事に行使できる武力があって然るべきである。


わが国にとってその武力とは米軍である。アメリカとは人類史上最も好戦的な国であり、建国以来アメリカが関わらなかった戦争はこの地球上に存在しない。まさに戦争で飯を食っている国に「守られて」いるという事実が不快でないのはなぜであろう、それは「戦争放棄」の一言があまりに眩しいからに違いない。


日本に軍隊がないのは戦争の永久放棄を明記した日本国憲法に由来する。その草稿を起こしたのも、それをほぼ丸呑みした日本政府案を「了承」したのもGHQである。そしてこれは世界に二つと無い平和憲法であり何があろうと死守するべきと謳った戦後教育を設計し導入したのも他でもないGHQである。原爆と敗戦によって自失状態になった日本に占領軍の言い分のすべてを承諾させ、正気をとりもどしたあとにも懐疑の余地を与えぬために学校教育をして日本国憲法を神聖化した。これは大政奉還後、天皇を現神人(あらがみびと)として奉り神国日本のあらゆる行動を肯定した仕組みと酷似している。(明確な「神」をもたないために導き方次第で何でも神と信じてしまうという日本人の弱点はすでに室町時代にイエズス会のスパイである宣教師ルイス・フロイスの手で解析され西欧に報告されていた。)


占領軍が非占領国の国法制定に介入することは越権行為であり現行の日本国憲法は本来ならば無効である。と、ときおり起こるこの正当な主張はアメリカ追従をやめられない日本政府に常に黙殺されてきた。兵役に行かないですむ国民からも無視されてきた。


誰が作った憲法であろうと戦争放棄は至高の法である、そうお考えの方は多いと思うが、日本はアメリカの起こす戦争に影で加担することで自国の安泰と富を築いてきたことをどうか正視していただきたい。この幻影の如き理想を掲げて生きるうち国は病んで衰え明日には地球の癌となる。虚構の上に軍隊は成らず、いわんや戦争放棄をや。


わが国には独自の憲法が必要である。「自由」「平和」「幸福」などという詐欺まがいのあいまいな表現を含まぬ、国の進むべき道を淡々と綴る新憲法を作らねばならない。


わが国には独自の軍隊が必要である。現政権が強行に作ろうとしている米軍日本支部ではなく、日本と日本人を守る日本軍である。その兵器はすべて国産でなければならない。戦争放棄を目指すのはその後である。


わが国には独自の外交が必要である。戦争放棄は突然「やめた」と言って成り立つものではない。同じ意志を持った国々と密接に交渉を続け、協調し、他国(例:アメリカ)の利益のために参戦できないとする国内外の法整備を重ねてこそ実現できる。ただし経済制裁とテロの標的になることを覚悟し耐え抜かなければならない。


日本はまず輸出入に偏りすぎた経済を叩き直さなければならない。経済制裁という脅迫を撥ね付けるだけの国内生産力が要る。このまま国民が都市生活に固執しているうちは生産力は下がりつづけ、不足を補うための輸入とその対価を支払うための外貨獲得すなわち輸出に血道を上げることになる。さらに都市集中から生まれた「地価」という架空の価値のために国民は無駄な労力を常に費やし、その利益は銀行が吸い上げて最後は国外に持ち出されているのである。都市とは金融システムの都合が生んだものである。いまはそれに背いて都市から離れた生き方を模索する時である。


輸出入が減れば株は下落し、失業が増える。しかしそこで農林水産業と工業を援助し雇用を増やすのは国の仕事である。「都市」がその引力を失えばしめたもの、国民生活は逆に向上するだろう。


日本には食糧生産の可能な土地がまだいくらでもあり、また市場の食糧の三割以上が廃棄されていることを考えれば自重することで食糧完全自給は十分可能になる。そして毎日のごとく膨大に排出されもはや行き場を失った不燃ごみとはもとより石油そのものである。日本が資源を大量に輸入せざるを得ないのは資源が無いからではなく使い方を誤っているからである。市場が「使い捨て」を前提としている以上この過ちは繰り返され、いずれ国民も使い捨てにされるだろう。


廃絶すべきは受験を標榜した教育である。その教育を通して体得させられているものは「合理性」のみである。聞こえはよさそうだがこれはただただ資本主義経済に貢献する手足となるための理念でしかない。ようは「金がすべて」という理屈で調教されているのである。すると「金のためなら」どんな非合理も理不尽も受け入れられるよう洗脳されてしまう。すると海外の弱小国あるいは国内の弱者の暮らしを、そして慕うべき朋友の暮らしをどれだけ侵害していても、逆に侵害を受けていてもそれを雄弁に肯定できるようになる。いらぬ戦争へと引きずり込まれてしまうのはこうした下地があってこそである。


絶縁すべきはメディアである。牙を隠して笑顔で歩み寄り、主義主張のみならず善悪の判断までも塗り替えてしまうことができる。世界の街角で民衆が「春」と叫ぶ暴徒と化した。それを煽り戦争を起こしたのも、世界に事実無根の画像を配信し「春」を美化したのもテレビとソーシャルメディアであった。いずれのメディアもその持ち主のために存在するのであって民衆のためではないことを知らねばならない。


今までどおりアメリカに追従することで保身を図るというのであればそれも国としての道であろう。ただしそれは属国としての道である。


日本は独立国として、外交と防衛を自らの意志と手で行うべきである。アメリカが疲弊し国力を失った今がその檻を破る好機である。


国策のアメリカ追従を断ち切るには、「内的な自立」をおいて他はない。それは生活の手段や嗜好にはじまり史観、社会観、倫理観そのほかあらゆる観念をアメリカから押し付けられ、それを「よいもの」と信じ込まされている状況を破壊し日本人としての本来の生き方を取り戻すことである。国の根本である国民一人ひとりがその自立を果たせば政治などは自ずと変わる。



…と、書き連ねるのは楽だが、実現には苦難に満ち、多くの尊い血が流れることも避けられないだろう。そして今日の日本人がそれに耐えられるとは思い難い。なぜなら今や苦難に耐えるための大儀名文が実に怪しいからである。近代以前は「神仏」を畏れ、苦しいことがあろうと「神罰や仏罰」をうけぬようにと非道を避け、それに耐れば「徳」を積むことができ死後には極楽に迎えられるとの考えがあった。しかし現在はそのようなものはただの非合理でしかなくなった。我々が悪事に手を染めぬための縛りは「法律」である。法を犯せば「刑罰」をうける。さすれば「金と自由」を失う。そうならぬためなら社会の軋轢をも辛抱できる。「金と自由」は現代人にとって最も神聖なものであるからして、敵国が「金と自由」をちらつかせて近寄ってくれば苦難に耐える必然性が蒸発してしまうのである。悲しくもそれが日本の現状である。


新憲法、再軍備を語るのであればその根底を為すもの、つまり日本を束ねる共同体意識を見出さなければならない。それには先史から今に至るまでに世界に興亡した国々がいかなる道を歩んだかをよく学ぶべきである。

民主主義は犠牲を求めて彷徨う

世は「民主主義とは何か」を滔々と語る。あたかもこの世の真理を語るが如く美しく。


ある空間を共有するためには何らかの「きめごと」が要る。共有される空間は家や寮や学校にはじまり、仕事場、地域、と規模を大きくしてゆけばやがて国に行き着き、いまのところ最大規模のそれは地球という惑星である。この地球での「きめごと」、それは民主主義である。いつのまにか何となくそういうことになっている。

それは筆者が生まれついた時代にはすでに日本に深く根付いていた。その国で育ち、教育を受けた。しかしどうも腑に落ちないままこの歳になった。そして世界中で「民主」「民主」と連呼される今、それを実現しようとする側と壊そうとする側の双方からその語がとびだすのが耳障りでならない。このブログを長い間読んでくださっている方であれば筆者が「民主主義」というものにえらく懐疑的であることはお気づきであろうと思う。



終戦記念日が近づいた。
アジアの盟主と呼ばれていた軍国日本は焼け野原になり民主国家として生まれ変わった。生まれ変わらせた戦勝国のアメリカは日本に原爆を二つも落とした民主主義国家である。その国はその後も朝鮮の、ベトナムの、フィリピンの、アフガニスタンの民主化に貢献し世界から深く感謝されているに違いない。各国はその感謝のしるしとして米軍基地の配備を請け負い、思いやり予算を差し出し、駐屯兵の起こす交通事故も婦女暴行も自国の法律では裁かないと約束した。
二度と軍隊を持たず二度と戦争に加わらないと憲法において誓わせたのは占領軍であった。それから半世紀後のイラク戦争に出兵しろと圧力をかけたのもかつての占領国である。


一月ほどまえにトルコで起こったデモは皆様のご記憶に新しいかと存ずる。
イスタンブールの公園開発を環境破壊であると叫ぶ集団がソーシャルメディアを駆使して参加者を募りいつの間にか民主化を求める反政府デモにすり替わった。バス停や車両に火を放ち商店のガラスを割りながら強硬に民主化を叫ぶ彼らを支援していたのは1980年の軍事クーデターの後20年以上政権を握っていた社会民主主義政党と、いずれも民主国家とされる欧米諸国とそのメディアであった。槍玉に挙げられたのはここ十年来トルコの民主化を進めた政権政党、つまり国民の投票によって選ばれた政権である。


前回の記事でエジプトについて書いた。
アラブ地域で民主化を求める市民が起こした一連の民主化運動はが飛び火したエジプトでは独裁者が政権から引き摺り下ろされ大統領選挙が行われた。そして民主的に選ばれた新大統領民主化を求める反政府派市民から批判を受け大規模デモに発展、しかし同じく民主化を求める大統領支持派の国民も立ち上がる。混乱に乗じた国防軍が大統領の身柄を拘束し政権を剥奪、軍による暫定政府を立ち上げ大統領支持派の市民を大量に射殺した。民主主義の守護神を自称するアメリカ合衆国政府はこの身柄拘束は民主的でないとして民主的な解決を求めながらも国防軍による暫定政府に対し民主主義を築きだしているという評価を与えている。


もう矛盾が多すぎてどこが矛盾しているかを指摘できない。
言葉は身を離れてとして独り歩きをする。賛美されすぎたこの言葉は無条件で受け入れられそしてその中身が吟味されることはまずない。いま民主主義は両手に兵器を引っさげて世界を闊歩する。



理論上可能でも実現しようのないことはいくらでもある。
軍隊を持たず永遠に戦争を放棄する、それは素晴らしいことである。しかし戦争はひとつの国でするものではなく相手国が存在してはじめて成立する。だから日本だけ一方的に戦争を放棄してもはじまらないのである。この世のどこかに軍隊がある限り必ず攻めて来るだろう、なぜならそれが軍の仕事であるからだ。そうなれば自衛のために武器を取らざるを得ず、それをあくまで自衛であり戦争ではないというのは綺麗ごとだといっていい。軍備とは自衛という大義の元におこなわれるものである。そして武器を持てば使うことを余儀なくされてしまうのが常である。
戦争放棄、耳には美しく聞こえるそれを美辞麗句で終わらせないために払うべき努力というものがあった筈だ。自国、相手国、他国間におけるあらゆる侵略を否定し戦争撲滅を世界に毅然と働きかけるべきであった。しかし日本はこの憲法制定するやいなや勃発した朝鮮戦争でアメリカに武器を売り、その儲けで復興を果たしその後もアメリカの核の傘の下でぬくぬくと経済成長を遂げた。日本が戦争に巻き込まれないための外交はアメリカに丸投げし、そのぶん貿易に精を出し、アメリカの軍事活動に多額の資金を供出した。


この精神分裂症患者に近い言行不一致の後ろにあるのが民主主義である。冷戦以降のこの世界の全ての戦争は「民主化」の名の下に行われた。炸裂する民主化の爆弾に家や村を焼かれ民主化の銃弾に倒れた。孤児たちは民主主義の養子になった。



戦後アジアの民主化においての日本の役割は米軍の補給であった。極東に睨みを効かせたいアメリカは日本を基地だらけにし、食料と武器弾薬と燃料の補給庫として利用した。また格好の資金源でもあった。幕末に開国を求めて日本近海をうろつく外国船を体よく追い払うため幕府は外国船団に補給の協力はしても開国はしないという「薪水給与令」という苦策を講じたが、戦後は逆に桁違いの「薪水」をむこうから要求されることになる。


とある永久中立国すら世界中に武器を売ってはじめて経済・軍事ともに自立できるのであり時計を作って生計を立てているわけではない。二枚舌を駆使し何らかの形で戦争に組しているのならば中立も放棄もへったくれもない。この矛盾に気づかぬのは、あるいはこの詭弁に耳をふさいでいられるのは民主主義という言葉が眩しすぎるからである。


「人民による人民のための人民の政治」を執る民主国家アメリカは思うにすでに年老いた。かつて大航海時代から横車を押し続けていたイギリスが年をとり侵略に倦んだため敢えてアメリカを建国して汚れ仕事を任せたように、派手な軍事外交に疲弊したアメリカはイスラエルをして中東の、日本をして極東の遠隔操作を目論むようになった。これが日本の右傾化の背景である。民族主義を外から煽られて負け戦に手を染めた教訓は泡沫に帰し日本は今おなじ過ちを犯そうとしている。戦後日本をその庇護下に置くかわり軍備することを許さなかったアメリカが掌を反してこれ以上日本を防衛する気がないことを仄めかすと世論はすぐさま右傾化を煽った。そして再軍備を唱える政党が政権をとった。これは憲法に謳われた戦争放棄が日本国民に本気で相手にされていなかったことの裏返しである。


逆に、四面楚歌ならぬ戦争屋だらけのこの世界で国を挙げて毅然と戦争放棄の道を歩み出せばどうなるか。ひどい経済制裁を受ける。在外公館がテロの標的にされる。外交官が誘拐される。先の大戦の責任を問われ続ける。海外で差別を受ける。核兵器保持の濡れ衣をかけられる。伝染病と麻薬に侵される。頭の弱い学生が環境・人権保護団体に騙されて反政府デモを起こす。突然爆撃されて誤射だったといわれる。駐屯兵が傍若無人に振舞う。耳に民族自決の言葉を吹き込まれて陶酔し、どこからともなく供給された武器で武装する集団が現れる。戦争放棄と憲法に書くだけなら楽なものである。


エジプト軍によるムルシー大統領の拘束をうけて人道的立場から仲介に乗り出し大統領と面会したEUの外務官の「ムルシー氏の健康状態は良好」という発表に対し、炎天下でクーデターに反抗し続ける市民の一人が言った言葉が忘れられない。

「我々がこの広場に集まるのはムルシーの健康を願うがためではない、我々が選んだ政権を取り戻すためである」

老婆であった。EUの偽善に対するこの鋭い批判をしたのはソーシャルメディアで意見交換しあう若者ではなかった。外の国が「非民主的」と揶揄するこの国の秘められた力を感じた。


国民の代表を選んでそこで終わりではない。投票だけが権力の行使と義務の遂行ではない。選んだ候補者と政党の後ろ盾になり、監視し、その政策に責任を負わなければならない。政治家は国民のはしくれであり民意の請負人でしかない。日本では政治家だけが失政を責められているがそれでは国は作れない。政治家を厳しく躾けて育てなければならない。でなければ政治家は得票のために美味い話を並べるだろう、できもしない公約を掲げて支持を得るだろう、これが民主政治の弱点だということを忘れてはならない。国民は騙されてはならない。聡明でいなければならない。民意は国を作る。民意とは国民一人ひとりから生まれる。ならば我々は国の母体である。母体が愚かではそれなりの国にしかならない。民主主義とは、楽ではない。



民主主義には古代ギリシアで産声を上げたその当時からすでに「衆愚政治」という批判があった。書いて字のごとくであるが、今のままでは紀元前の批判がまさに的中したことになる。民主政治はそれを熱愛し過信し甘やかし放任すればするほど衆愚政治に近づくのである。衆愚のままでは軍隊など持っても国は守れない。どこぞの衆愚主義国家の後を継いで世界中を犠牲にするのが関の山である。










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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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