セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。

英国流「漁夫の利」


「アラブの春」が西欧によって書かれた台本に沿って進行していることをこのブログで再三指摘してきた。民主化から取り残された市民が国家の主権を得るために戦う「聖戦」であるかのようにメディアにより描かれた一連の抗議行動を「春」などと呼ばされているが、それが如何に狡猾に設計されたものであるかを今回、あらためて遠巻きに眺めてみることにする。



大航海時代の覇王であり、産業革命の旗手であり、第一次大戦の連合軍筆頭であり、国際連盟常任理事国であった国、冷たい海に浮かぶろくに資源もない小さな島国でありながら常に世界の頂点にあるのは「英国」である。いったいどういう頭脳をしているのかは知らないが、とにかくこの国の手段は人間業とは思えない。まず他国の内側に墨の如く染み入り人心を惑わして均衡を崩す。その混乱に乗じてその国の体制を作り変える。そのときに恨みと争いの火薬を綿密に仕込んでおくことを忘れず、時が来れば発火させて煽りたて内戦や紛争を起こす。しかもこの火薬は自らの手を汚さずに何度でも激しさを増しながら繰り返し燃え上がらせることができる。もちろん英国の描いた世界設計図に合うように、的確にである。英国が戦争で大暴れをすることはなく、また積極外交もしない。知恵を使って座りしままに漁夫に利を得るのがこの国流である。


中世も終わる頃、航海技術の進歩から世界の「かたち」が認識されるようになった。農業生産中心の自国経済に限界を見出しアジアや南米・アフリカ大陸からの搾取を前提とする貿易経済に移行した西欧は、さらに国外から安価で仕入れた材料で工業生産を行う形で発展を図った。産業革命である。そのための労働者は国内にいくらでもいた。産業が拡張するに従い徐々に需要が増したのが資源である。

西欧世界の資源庫はまずアフリカが挙げられる。必定、アフリカは次々と西欧列強に征服される運命をたどる。しかし欧州からもっと近いところに石油も石炭もうなるほど隠されていた。イラク、シリア、エジプト、アラビア半島、北アフリカ…どれもオスマントルコ帝国の版図にあった。


第一次世界大戦の場合、「バルカン半島の民族自決の擁護」がこの戦争を正当化する材料であり「サラエボ事件」が大戦の発端となった。言うまでもなくこれは戦争を起こすための名目でしかない。
「ヨーロッパの火薬庫」という20世紀初頭のバルカン半島を形容したこの言葉はあまりに有名である。オスマントルコ帝国の領土であったこの地域に共存していた多様な民族は18世紀の終わりからすこしづつその手を振り切り、「民族自決」を合言葉にそれぞれの国土を主張し第一次大戦前までに小さな王朝がいくつも誕生した。大国の狭間でどれも国家として成立する力のないほどの小国をわざわざ生み出し、その後ろで西欧は民族間の緊張を高めようと画策し、満を持してセルビア青年に武器を与えオーストリア-ハンガリー王国皇太子を手にかけるというサラエボ事件を起こした。自ら仕掛けた火薬庫にこうして火を放った。

(じつはサラエボ事件の前に日本で似たような騒動があった。「大津事件」である。来日していたロシアの皇太子(後のニコライ二世)が日本人巡査に切りつけられ負傷したこの事件だがロシアとの戦争には発展しなかった。不成功におわったとしてもこれが英国の差し金によるロシア挑発だったとすれば、血の日曜日も日露戦争ももっと早く起こっていたかもしれない。)


結果からいえばオスマントルコ帝国は第一次世界大戦に臨みドイツ・オーストリア側にについて敗戦し割譲を受ける。トルコの領土はアナトリア半島と呼ばれる一帯のみを残し、旧オスマントルコ帝国の領土からは20カ国にのぼる大量の独立国が誕生する。「イスラーム」という一つの共同体意識のもと、異人種、異民族、異言語という壁を壁ともせずに栄えていた帝国を内側から焚きつけるための火種、それは「民族自決」の一言であった。


敗戦国は戦後処理の名の下に、戦勝国の監視により国家体制の作り替えを強制される。中世であればただ属州とされる所だが近代の理屈ではそうも行かない。すでに通信が発達したこの時代、露骨な侵略支配を行えば当事国以外にも評価が残り後の時代まで侵略国の汚名を背負うであろうことはすでに理解されていた。ここで国際世論にも、そして後の歴史認識にも有無を言わせないための大義名分を打ち立てることが提案された。そこで1920年に国際秩序の監視役として正式に誕生した組織こそ国際連盟である。表向きは「国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関」、その実は西欧中心の新世界秩序を正当化するための国際会議である。

常任理事国は英・仏・伊、そして日本であった。有史以来地中海世界と接触が皆無である日本をわざわざ参入させたのは理事会の中立性を演出する茶番といえる。第一次世界大戦の目的と連盟樹立の意義はこのトルコ割譲であった。

トルコが連合軍に突きつけられた新国家体制とは、

1. 帝国という旧態依然とした枠組みを廃止して周辺の資源地帯を手放し
2. 政治からイスラームを払拭し旧領の独立国との結束を捨て
3. 西欧寄りの世俗国家としての道を行き西欧の政治・経済・軍事に寄与する

これが大筋である。これに背けば連盟から非難を受け、将来にわたり国際条約を締結する折に何もかも不利にはたらく。連盟も、その後の連合もただの巨大な権威組織であり国際平和などは夢にも思わない。


イスラームとは信仰という枠の中にはとどまらず、生活と社会の規範としての重要な役割があった。イスラム帝国であるオスマントルコの領内の政治経済その他全ての規約はクルアーンに基づくイスラム法によるものであり、それぞれ異なる言語と歴史を持つ多様な民族を抱えながらも帝国の内部の均衡はイスラームの屋根の下にしかと保たれていた。異教徒は人頭税を納めることで帝国市民権を得られ兵役は免除されていた。
英国は19世紀初頭からしきりに民族自決を囁き資源地帯の属州をトルコから精神的に遠ざけようと画策していた。それが功を奏してアラビア半島、北アフリカ一帯の造反があいついで帝国はほころび始め、大戦勃発までに混乱は明らかなものとなった。帝国から独立を果たした資源地帯の国々は以下のとおり、モロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジア、エジプト、パレスチナ、サウジアラビア、アラブ首長国、イエメン、バーレーン、クウェート、カタール、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、西欧の手口が巧妙と言わざる得ないのは、見事なほどちりじりばらばらに独立させたところにある。この国々は現代も近隣国と協力関係を築くことより目先の利益から欧米の指人形として働くことを選ぶ。エジプトでは英国委任統治時代にオスマントルコへの帰属か英国の統治を継続するかを巡り市民投票が行われたが、西欧化を求めるだろうと踏んでいた英国の算段を裏切りエジプト市民の大多数はトルコ帰属を選択した。こうした想定外の事件には「市民に教育が足りないので選挙無効」という処理法も持ち合わせていた。2012年のエジプトでの大統領選挙を無効にしたあの事件は実は英国のお家芸であった。


さらに、帝国の解体後に新生国家郡が再びイスラム連合として結束することを危惧した英国はイスラームの最高指導者であるカリフを廃して国外に追放した。カリフとは預言者の代理人、言うなればカトリック世界のローマ法王にあたる聖職であり、帝国誕生以来首都のイスタンブールに座し世界のスンニ派イスラム教社会の信仰生活と政治の指針を担っていた。イスラム世界はこうして求心力を失うことで迷走し、それが今日のイスラム社会の諸問題の原因となった。

いかに敗戦国といえど西欧にここまでの無体を受けてなおトルコは西欧化と世俗化を受け入れるのだろうか、それが受け入れたのである。巧妙な仕掛けは尽きない。

(オスマントルコ帝国と日本とは少しも関わりがない。しかし少なからず西欧というものに疑いの目を持つ方々には、これまでの話しが開国と敗戦という日本の被った二度の痛手と妙に共通するところがあることは感じていただけると存じる。)

歴史の授業では「セーブル条約」なるものも習う。1920年に連合国とオスマントルコとの間で交わされた戦後処理条約であるが、それによればトルコはアンカラ周辺の狭小な地域のみの領有を認められたとある。トルコ人が嘆き、怒り、失望に陥る中で一人の軍人が彗星の如く現れ、ギリシア駐屯軍を蹴散らしてイズミルを奪還し一気に共和政府を樹立し初代大統領を名乗った。そしてセーブル条約からたった三年でトルコは旧態依然とした帝国から見事民主化を果たしたと連盟に評価され「ローザンヌ条約」を締結、それにより現在の国境線まで国土を回復したとある。その軍人とは建国の父と謳われるケマル・アタテュルクである。

だがセーブル条約などはどこにも存在しない。英国はロシアで確立しつつあった共産圏に対する緩衝地帯としてトルコを温存したかった。しかし西欧へのトルコの国民感情は最悪でありその反動からロシアに靡くことを懸念したため、黒海沿岸と東部トルコをロシアに与えて残りの海岸線地帯を英・仏・伊が割拠するという戦後処理案をちらつかせたのみであった。つまり「脅し」をかけトルコが西欧への仲間入りを泣いて懇願するように仕向けたのである。現代のトルコの領土は最初から英国の描いた国境線の中にある。架空セーブル条約は将来トルコ軍部が国内向けにおおいに利用した。
「セーブル条約」を信じたトルコ国民は死刑宣告に近い悪夢を見た。それを西洋人の目の前で破り捨てたとされるアタテュルクに対し国民はこの世が終わる日まで感謝を捧げ続けなければならないような錯覚に囚われた。アタテュルクは死後にいわば神格化され、彼のその遺志を継いだとされる「ケマリスト」たちの専横がはじまった。西欧の属国として「民主主義世俗国家トルコ」を作る傍ら国内の民族間の不協和音を指揮した。クルド民族のテロ問題は民族問題などではない。テロさえあれば失業しない軍部と、民族問題さえあれば民族主義の風を吹かせて国を牛耳ることができるケマリストと、ケマリストさえいればトルコを属国として扱える英国の共有財産である。


はたしてその火薬とは、ただの民族意識を敵対の道具に仕立て上げた「民族主義」である。


人種とは肌の色に代表される生物学的な括りである。さらにそれを言語、信仰、国境、記憶などの細かい括りで別けたものを「民族」と呼んでいる。
人間の遺伝子情報を俯瞰すれば民族間の差異などはじつに僅かなもの、いや皆無といえる場合もある。しかし人種と民族の違いに由来する争いは絶えることがない。人種による差別はやや前時代的なものになったとしても「民族」の問題は逆に加速をみせている。そうさせているのはその僅かな違いではない。



幼い頃、子供たちの間には罪のない差別と支配がそこらじゅうにあった。好きな歌手が違うから、着ている服が変わっているから、大人びているから、特技があるから、とにかく虫が好かないから、と、言い出せばきりがないが自分たちとは何かどこかが違う少数派を差別し、多少なりとも攻撃した経験が誰にでもある。あるいは逆の記憶もあるだろう。子供たちの社会で起こる現象は自然にちかい。ならば人の中には差別という自然が備わっていると言ってもいい。
ではなぜ差別をしてしまうか、それはひとえに保身のためである。自分たちにない特徴を持つものと行動を共にすると厄介なことになる、あるいは損をする。その日までに築いた自分らなりの規律や価値観を壊される、だから異分子を受け入れたくない。これこそ「虫が好かない」の構造である。生存圏を維持するための本能のようなものであり、差別そのものに罪はない。

幼い兄弟がいるとする。兄は弟のおやつをよこせと言い、弟が作りかけた積み木の塔を横取りして作り変え、一緒に遊ぶときもどう遊ぶかを指示して従わせる。これは強い方が弱い方に対して抱く支配欲求である。親(特に母親)と子、夫婦、友人、教師と生徒、どちらが強者であるかはその都度かわりえるが、支配欲というものは人が出くわすあらゆる関係のなかで必ず頭をもたげる。これもまた人の中の自然である。人が生存圏の拡大と充実を無意識に求めるために起こる。

しかし差別心も支配欲も相手の存在を認めることで鎖につなぐことができる。相手の持つ自分との違いを魅力と認識できるようになれば状況は大きく変わる。
そのためにはお互いが人として成長するか、または心ある大人に諭されるかを待たなければならない。

差別も支配も源とするのは利己である。人が生まれながらにして利己であることは昔も今もかわらない。しかし人がみな利己を貫いたのでは草生えぬ土地となり子や孫たちが生きる場所を失うことを、時代とともに学びあらゆる形で戒めてきた。それが人である。利己と戦い、躾け、他者との共存を模索してきた。ときに成功し、ときには不毛の荒野に墓標すら残らない。それが人の世である。

もともと利己な人々が集団で生きるために従わなければならない規範、古代においてそれは信仰であった。神の怒りを恐れることで自らを律し、神の報いを期待して善行をおこない、神との繋がりのなかで集団の価値世界を築いた。その世界を共有したものが「民族」の始まりである。
民族は分裂と融合を繰り返し、移動し、互いに価値を認め合えない異民族を蹴散らし、あるいは圧力をけ、反抗する者を抹殺した。恭順する者を支配した。支配を逃れて新天地を目指した。民族の生存圏を維持し拡大するための行動の軌跡が歴史である。
時代は降り、神に代わり或いは神の名において人を従えたのが国である。法に書かれた罪と罰の規範の中で人は否が応でも利己を抑えて国を共有した。軍事・経済・政治の面から強大な帝国に多民族が専制的に統括されることで戦争の起こりにくい時代を築いたこともあった。それがローマであり清であり、オスマントルコであった。規模は異なるがムガール帝国も江戸時代の日本もそうであった。

こうして眺めれば「人」と「民族」は相似の関係にあることがよくわかる。すなわち民族間の差別や支配も「利己」を源としている。一つの民族の中の個々が所属する共同体の価値と利益のために他の民族を疎外し、嫌悪し、あるいは利用して支配する。その構造の利用法を「民族主義」として開発したのが英国、それを煽り立て起きない戦争を起こしてきた。ローマは古いのでともかくとして、清もオスマントルコもインドも江戸幕府も英国にしてやられたではないか。

英国は外交の表舞台から姿を隠した。かわりに饒舌になったのが米国とイスラエルだが同じこと、鵜にくくりつけた縄を引くのは未だに英国である。

民族自決という美辞により独立建国を果たした国をみれば今、スンニ派が大多数をしめる国にシーア派の支配者がいる。シリアがそうである。その逆はバーレーンである。それぞれ他民族の住む複数の地域を無理に国としてまとめられたのはイラクである。虐殺の記憶の中で民族同士が敵視しあう国がある。ソマリア、ウガンダ、旧ユーゴ、パレスチナである。遠隔操作の爆弾を抱えさせられ主権も主張もできない国に自決も何もあったものではない。

政教分離という麗句は民族問題の解決策のひとつかのように聞こえるがどうだろう。特定の信仰・宗派が優遇されないためとされるこの政策は非キリスト教国の悪夢であった。これにより教育と風習から信仰心が叩き出された。結果として英国を背後に持つ世俗主義者の手に政治を受け渡すことになった。エジプトが、シリアが、チュニジアが、湾岸諸国が、その他西欧に支配を受けた全ての地域がそうである。

このような国々では日々、西欧の資金と入れ知恵で抗議集会や暴動が起こされ西欧から好かれない分子は現地の軍部に一掃される。時に起こる大虐殺をには自決権のある独立国に対し外から干渉することはできないと目をつぶり、そうかと思えば別の国には人道人道と叫びながら空軍がミサイルを撒き火事場泥棒を働く。
民族自決を謳った当事者はいま「グローバル化」と称して世界を均一に扱うことを標榜している。グローバルな世界には民族も信仰も言語も記憶も何もない。人はただの労働者と消費者であり、人と人との間には貨幣と物質の交換の他の何もない。こんな連中のいうことを鵜呑みにしていては明日はない。

さて日本、近隣国との中がこじれた経緯は近代史にきざまれている。どの悲劇も遡れば英国に行き着く。

恨みの記憶、言葉と思想の違い、人がみな生まれつき背負うもの、それを火薬たらしめる者たちから死守しなければならない。手を変え品を変え近づく卑怯者どもに隙を与えてはならない、そのためには近代から戦後にかけ英国とその弟子たちから教えられた全てのことをいまいちど吟味すべきである。わが子たちに火薬を背負わせ火の中に歩ませてはいけない。

「まなぶ」を問う



現代では意味が違うことば同士が実はある頃に枝分かれした同じことばであることはよくある。とくに日本語の祖語やまとことばの成り立ちを見つめるとそれによく出会う。日本語はおもしろい。

最近日本人の学力が下がったとよく耳にする。教育の制度や政策が槍玉に挙げられるが本当のところは如何なるものか。
学力の学の字の訓読み「まなぶ」の一語を吟味したい。まず「まなぶ」とは何ぞ哉。

1.「学ぶ」の古くからの意味を下から選択せよ。

い)教育をうけること
ろ)思考すること
は)真似すること
に)記憶すること



「まなぶ」は古い日本語、大陸から漢語と漢字がやってくる前の日本で使われていたやまとことばである。名詞の「まな(合・真・正・似)」に助動詞「ふ」が膠着して(くっついて)まねをする、近づく、匹敵させる、などを意味する動詞となった。つまり「まなぶ」と「まねる」は今ではずいぶん意味が違ってしまったが元は同じ言葉であった。他動詞であるため目的語を取る。つまり何をまね、何に近づくかが問われる。そしてそれは「真-まこと-真事」を以って他にはない。「まなぶ」とは「まこと」に近づこうと尽すことである。時を経て平安時代ごろに「まねぶ」が「まなぶ」から分かれた。

記憶も思考も、学ぶという大きな目的を遂げるための行動の一つに過ぎない。たとえ教育を受けようが受けまいが「まなぶ」ことはでき、あるいはできない。ひとえに当人と「まこと」との間の問題である。「まね」が模倣や盗作という後ろめたい意味を持つようになったのはおそらく雅語として分かれた「まねぶ」のなかに「虚飾」らしき意味が芽生えたからであろう。    
正解  は)


2.「まこと」の説明として適当なものを下から選択せよ。

い)科学的に証明・立証が可能なもの
ろ)文献や資料に裏付けられた歴史的事実
は)教育者の一言一句
に)自然の摂理のなかにあるもの



まず根底にこの世をこの世たらしめる「摂理」、やまとことばで言うなれば「ことわり-理、事割り」が存在する。事を割る、筋道をたてる、混沌とした事象の中から核心を割り出す。潮の満ち引きと月の満ち欠けの間の「ことわり」、木から落ちた実とそこから芽生え育つ分身のあいだの「ことわり」、それらを謙虚に見つめて導き出せば、ことわりをつかさどる目に見ぬ力の存在に触れることができる。「ことわり」こそが「まこと」の在り処である。科学とはそれをを数式、あるいは図を以って体系付ける作業に過ぎない。が、どういうわけか世間ではこの科学ばかりに権威が集まった。すると人々は物事を科学の窓からしか見ぬようになり科学で証明できないことは議論から落ちこぼれる。そこであたかも科学こそが真理であるという考えが罷り通るようになった。
もちろん、「まこと」の在り処は物理・科学の庭だけではない。先人たちの歩んだ道や我々が日々使う言葉のなかにも「まこと」は必ずや在る。歴史・文学はその上に何とかと立っているだの分野、まして文献や資料はさらにその所産でしかない。教育とは図式化・言語化された端末情報を教えるただの手段・制度であることは言うまでもない。   

正解  に)


科学の権威を「安置」するため場所、それは学会や大学である。子供たちはただ大学というものに属するためだけの教育を十年以上も受け、競争をし、秤にかけられ
る。そして大学に受け入れられるとその後は出身校の名を肩書きに職業生活を送る。だから大学に権威があればそれだけ有難い。一般人だけでなく専門家にとってもそれは同様である。



3. 大学(university)を世界中に創設した機関を下から選択せよ。

い)創価学会
ろ)国連安保理事会
は)日本船舶振興会
に)イエズス会


古代のメソポタミアやギリシアにて展開された数学、天文学、医学、哲学などの学問はローマ帝国が東西に分裂した時点で東ローマにとどまり欧州の根源である西ローマには波及しなかった。理由はギリシア語で残された文献がラテン語を公用語とした西ローマでは価値が理解されなかったことにある。科学などは神の御業に干渉する呪わしき行為として糾弾され書物は炎にくべられた。そして何よりこの地の権力者たちは学問よりも腕力が好きだった。
そのまま中世を迎えた欧州だが、人々は神を讃える傍らでその心は悪魔や吸血鬼への恐怖に病んでいた。疫病、飢饉、天変地異、この世の全ての凶事は悪魔が目論み手先の魔女たちが引き起こすと説かれ、それを退治できるのは高潔な僧侶の祈り、あるいは銀の十字架などととされていた。しかしそれは教会が神の出先機関としてさらなる尊敬と信頼と寄付を集めるために作り上げたいわば虚構、人々の心を支配し教会に縛るものでしかなかった。
逆に東ローマでは学問が好まれ過去の文献も温存された。そしてイスラム教徒に圧される形で東ローマ帝国は領土を徐々に失いやがて消滅するが、この地に残った古代の学問はイスラム教徒たちによってペルシア語やアラビア語に訳され解釈が深められながら注釈がつけられた。さらにウマイヤ朝のあったイベリア半島ではそれらがラテン語に翻訳され徐々に西欧にもたらされる様になった。置き去りにしてきた古代の学問「科学」に欧州はそうして出会ってしまう。そして虚構が傾いた。

数学や天文学や医学という技術の土台となる分野だけをとっても「科学」の魅力を思い知り、そして錬金術に至ってはもう神への冒涜などとは言っていられなくなった。そこで教会は科学と信仰の融合を急いだ。「科学」とは「神の御業」つまり「自然」を神から与えられた理性で「理解」する行為だとする立場を築き、聖書の窓から科学を説くことを試みた。与えられた命題をとことん討論し、論理により真理を導き出すという、教会で培われたこの学問の形式を指してスコラ学という。

欧州各地に大学を開設したのも、スコラ学者を育てたのも修道会のイエズス会であった。神学とともに科学全般を教育した大学では同時に論理学教育にも重きを置き、論理により真理を導き出すという姿勢は教育の中に定着する。そしてそれは大航海時代、イエズス会がキリスト教の布教とともに世界中に大学を創ることで世界基準としてひろまる。    

正解  に)



やがて実験や観察による証拠を論理の根拠とする自然科学の台頭を受け、根拠を信仰にもとめたスコラ学は机上の空論として批判の対象となる。しかし役目を終えたあとで批判されようとそれは大きな問題ではない。重要なのは、信仰に支配されていた中世欧州において科学がスコラ学を通して見事に消化吸収されたという事実、その後の科学と信仰の別居、そして論理によって解き明かされないものは価値がないとする考えが教育を凌駕しその支配が今も続いているという惨劇である。



4. 日本と科学の出会いはいかなるものであったか。(複数回答可)

い)イザナギとイザナミの二神が諸物を生み出した。
ろ)大陸からの渡来人が、暦学、稲作、養蚕、機織、鋳金、薬学など多くの技術をもたらした。
は)戦国時代に望遠鏡、地球儀などがキリスト教と一緒にイエズス会の宣教師によって持ち込まれた。
に)開国後に近代の科学や思想が海外から流入し、福沢諭吉らがそれを啓蒙した。


キリスト教社会からの科学の流入は宣教師によるものである。聖書と鉄砲を餌に日本を西欧の軍事経済網に組み入れようとするイエズス会の魂胆を見通した豊臣秀吉は禁教令を出し伴天連どもを追放したが、ここで西洋の科学と縁が切れたわけではなかった。鎖国と言われるほどには閉鎖的ではなかった江戸時代、オランダとの貿易を介して西洋の知識は日本に届き「蘭学」と呼ばれ、軍事知識とキリスト教思想が侵入して日本の体制を揺るがさない限り幕府は蘭学を認めた。果たして日本でこの時代に浸透した「科学」は医学、暦学などであり、先祖から伝わる「暮らし」を毒することなく在来の知との摺り合わせを繰り返しながら学ばれた。おそらく西洋からすれば軍事知識を欠いた科学などは肉のない料理のように見えたであろう。
しかし黒船が日本の門戸を蹴破り近代の科学と思想が怒涛のごとく流れ込んだ。蘭学は洋学と名を変え、それまで欠けていた武器、軍制、法制の知識、資本主義、近代思想は肩で風を斬りながら「在来の知」の居場所を奪う。古きものを守ろうする者に対し福沢諭吉は「ばかもの」呼ばわりをした(「改暦弁」)。

太古、この世のすべてのものごとは互いに離れた陽と陰が「あふ(合ふ、逢ふ、和ふ、会ふ)」ことで生まれ起こると考えられていた。世界の古代文明を掘り下げればみなここに行き着く。陽陰とは「天と地」「日と月」「男と女」「魂と躯」…、原子も宇宙も引力も繁殖もこれに尽きる。そして「あふ」ことは別れることの始まりである。生と死は互いに呼び合い、永代に繰り返す。イザナギとイザナミの出会いと別れはそれを神話として饒舌に語るものである。   

日本人が遠いとおい先祖から受け継いだ知とは「生き方」である。それは「死に方」とも言い代えることが出来る。どのように生き、どのようにそれを終え、それをどのように子孫に伝えるかである。新しい何かを学ぶときも「ことわり」の中の「まこと」に真摯に問いかけその答えを待った。「ことわり」に叛けば子孫に害が及ぶことをよく知っていた。大陸から来た新しいものごとも時をかけて日本に馴染ませた。しかし宣教師や黒船が持ち込んだのは「殺し方」であった。    

正解 い)ろ)は)に)


5. 琉球大学遺伝子研究チームが福島で大量に見つかった蝶の奇形は放射性物質に遺伝子を破壊されたことが原因となったという発表を行ったが、根拠の一つとして突然変異促進剤を投与したときに起こる変異と同様の異常が見られることを挙げている。これの意味するものとして不適当なものを下から選択せよ。

い)福島の蝶に突然変異促進剤投与の事実がある
ろ)福島の蝶に放射性物質による汚染の疑いがある
は)突然変異促進剤とは放射性物質を指す場合がある
に)放射性物質を使って遺伝子を組み替えてまで生体に干渉することが当然になった


放射能が遺伝子を傷つけることはもう常識となっているが、「突然変異促進剤」というものは一般には聞き慣れない。これは抗生物質や農作物などの研究開発に利用されており、多くは放射性物質によって遺伝子に損傷を与えて突然変異を促して「強い」種を発見することが目的である。突然変異は人類が今日まで長い時のあいだに自然に体験してきたことではあるが、人の手によって、人の利益のために行われてきたわけではない。自然環境を構成する膨大な要素が同時に影響し合いその淘汰の中で生き残りをかけてごく微小な変異が生まれるのである。今しかし遺伝子研究の現場ではこのような実験が繰り返され社会にとって有益と判断された「異変」は時を移さず市場に放たれる。こうして開発された薬品や食品は日々我々の口に入る。その害の有無を判断するのもまた学者であって我々ではない。そして学者が無害を証明すれば誰も口を挟むことは出来なくなる。だが「ことわり」に手出しをすれば、その咎めがどのような道をたどりどのような形で与えられるかは学者には証明しきれまい。

正解 い)


6. 2011年から続くシリア内戦に対する世論が緩慢なものからに急激に厳しくなった理由として適当なものを下から選択せよ

い)反政府組織の中にアルカイダの活動が認められたため
ろ)サウジアラビアが子飼いのチェチェン人テロ集団をロシアにけしかけたため
は)シリア北部で国際法に違反する化学兵器が使用され多くの死者が出たため
に)トルコ軍がシリア国境にパトリオットミサイルを配備したため


二年以上続くこの内戦ではすでに何百万という死者、そして孤児、そして手足を失い、故郷を後にすることを余儀なくされた人々がいる。しかし世論はそれを直視せず中東は戦火があって当然という見方すらされていた。だがある日、化学兵器使用という一線を越えたそのとたん、世界は態度を変え一斉にシリアの子供たちのために泣き出した。   

正解 は)


化学兵器の使用を擁護するつもりはない。あってはならない事である。なら、ふつうの爆弾でなら市民の命を奪ってもよいというのだろうか。どちらも同じ殺人ではないか。国際法に触れさえしなければどのような非道も合法なのか。国際法とは誰が何を基準に作るのか。

人の子であれば、子の親であれば誰にでも浮かぶ疑念であろう、しかしそれが世論に声となって響くことはなかった。疑念よりも論理が先に立つからである。疑念が湧いて出る場所は「魂」である。逆に論理は「魂」を切り離し状況証拠あるいは経験からの共通項で組み立てるものである。我々が学校で学ばされてきたのは後者である。―化学兵器は残忍だ、残忍な化学兵器がシリアで使われた、だからシリアの内戦を終わらせて子供たちの人権を守らなければならない― あまりに、あまりに不毛なな思考。


学力が落ちた云々ではない。「学-まなぶ」対象のほうにに問題がある。学校という所で教えられていることは「まこと」を根とする枝葉のようなものである。世のことわりを体系付けた学問の表層だけを知識と呼ばされただやみくもにそれを拾い集めるが、評価されるのは集めた枝葉の量であり、そのために葉の色や姿を見つめる暇は与えられない。根から離れた知識は遠からず枯れて朽ちる。気づけば何一つ学ぶことなく人生を終えることになる。その空虚さ、不毛さが露わになることを恐れた個人も社会もただ「まねる」ことで殻を築く。他人から借りてきた思想と知識で武装する。そうしておけば世の中から嘲笑を買うことも抹殺されることもなさそうだから、である。

科学こそが真理であるという錯覚がここにある。それが科学そして科学を拠り所として生まれた思想、法律、経済に過度の権威を与えてしまったこと、そして権威を得たものがこの錯覚の発信源であることは畢竟、中世欧州の教会と神の関係を考えれば現代がその焼き直しに過ぎないことはよく分かる。科学は真理に築かれた「ことわり」を視覚化・具現化して我々に見せただけであり真理そのものではない。「まこと」をつかさどる世界は凡そ不可視である。


錯覚を捨てねば「まねる」ことはできても「まなぶ」ことはできない。この世の霧が晴れるまで、ひたすらまなぶことにつとめてはどうか。

スノーデンなんかにかまっている場合ではない

青白いヲタク青年がやたらとメディアに露出しているのが引っかかっていた。出すぎである。アメリカにとって本当に都合が悪いことであれば隠蔽できる類の事件であろう、もう彼の存在の目的が見えてきたような気がする。あくまで予測でしかないため短い記事にしておこうと思う。


「のぞき趣味」をすっぱ抜かれた合衆国政府はまっつぁおになり捜査に乗り出す。が、そのころにはスノーデンは香港に逃れていた。彼はNSAのプリズム計画(監視・盗聴システム)が存在することとその手口を告発、NSAから持ち出した機密情報を複製して多数の新聞社に送付し、危害が加えられることがあればその情報を公開するとそして身の安全を図った。
スノーデンはプリズム計画を告発した時点で合衆国政府からパスポートを失効させられている筈であり、そうなれば香港当局に身柄を拘束されアメリカに強制送還されなければならない。なのになぜか香港から出国できた。行き先はロシアだった。

合衆国政府はスノーデンの引渡しをロシア側に要請するが、両国間には犯罪者の引渡しに関する取り決めがないため交渉は平行線をたどる。プーチン大統領は「おいでやすモスクワへ」とも言えないのですぐには入国を認めなかった。その間スノーデンは空港内(ここはロシア国内でないためロシアの法律が及ばないとされる。もちろん外交上の言い訳でしかないが)にとどまり、同じく空港内のロシア外務省出先機関から各国政府に対し亡命の申請をしていた。また人権団体との面会も頻繁に行われていた。

結局ロシアが一年を期限とした亡命を受け入れた。

国家機密の国外持ち出しはどこの国でも最高刑に値する重罪である。アメリカはロシアの犯罪者保護を激しく非難した。しかしその国家機密というのが「国家的のぞきシステム」であったというのが笑うに笑えない。諜報機関がある国ならばどこでもやっていることと主張するオバマには悪びれた様子もない。さて、各国はこれをどう評価しているか。

盗聴の対象にされたのは一般人の個人情報から大学、ひいては各国大使館に及ぶ。各国政府は一様に不快感の声をあげた。しかしその程度である。その筈、冷戦時代から大使館の盗聴などは日常茶飯事であり、KGBとCIAは言うなれば盗聴の家元であった。時代が変わってコンピューター化したために情報の量と速度が増しただけのことであり、NSAの収集したような情報は世界中で共有され使い回される。どの国も文句を言う筋合いでない。

事件は一般人の興味を引いてはいるがその反応は鈍い。個人情報を盗まれていることに対する危惧よりも事件のドラマ性に惹かれて興味本位で成り行きを眺めているといっていい。おそらくこの手の情報収集が行われているであろうことは一般人でも多かれ少なかれ予感していたことで、やや不感症に陥っているのかもしれない。メールの内容や個人情報が盗まれているのではないか、それによる脅迫がこの先おこるのではないか、そんなことは普通にささやかれていた。そして、

「後ろめたいことをしていなければ恐れることはない」

多くの人がそう結論付けている。
強請られるようなことをしなければよい、たしかにそうだがそこでは終わらない。指紋や声紋や筆跡を利用したり、データを改竄した冤罪がいくらでも可能になる。犯罪現場に政府にとって煙たい人間の指紋を人工的に残すことなど朝飯前になる。これはやや極論めいているとしても「データ」の過信が覆すことのできない冤罪を生む可能性はおおきい。

それでも多くの一般市民に直接降りかかる災難というよりは反政府的な発言を繰り返す文筆家や一部の政治家が危惧することであろう、やはり普通に暮らす善良な小市民には縁遠い話である。だからこのスノーデン事件をスパイ映画を観る感覚で眺めていられる。





この事件をいつものヤラセ・アメリカーナだったと仮定する。
大使館をはじめ一般人の個人情報までが公然と盗まれている、そんな事実が公になったとしてもアメリカは痛くもかゆくもない。実はこうして告発されて明るみに出ることで、世界中に盗聴を「承諾」させることができる。既成事実による事後承諾である。それが意味するのはすなわち「あなたは監視されてますよ」という暗示である。

監視を受けていることを潜在的に意識することで人々は政府批判、政治談議、そういったものから無意識に遠ざかるだろう、沈黙を余儀なくされる。政府に従順な国民をそだて、その枠の中で民主主義とやらを展開させればいいことになる。楽だ。

そして親たちは政治から目を背け、ただでさえメディアが垂れ流す娯楽に骨を抜かれたその子供たちは一切政治に触れずに成長することになる。今の子供たちが成人する頃には世の中から政治の話をするものが絶滅することになる。これが第一の目的であろう。



スノーデンは香港から出国できたというだけでも十分におかしいが香港は完全に中国とは言い切れない地帯である。100年もの英国支配を受けた土地は返還の一言でその影響が一蹴されるようなことはない。国家機密を持ち出したとされるスノーデンは女王陛下のスカートの中にかくれた。盗聴されて困るようなことが何もない中国政府は「しらんかお」を通し目をつぶり、英国情報部との細かい調整を終えたスノーデンはモスクワ・シェレメチヴォ空港へと発った。

英国とアメリカは別の国はあるが親子関係にある。本店と支店の関係ともいえる。

スノーデンのもつ情報がはたしてロシアに有益なのか、ゴミ屑同然かもしれない。そしてスノーデンを受け入れることで米から批判を受けるのと米露関係が傷つくのは明らかである。しかしロシア行きは最初から決まっていた。なぜか。

この事件を受けてオバマは九月に予定されていた訪露を一方的に中止した。メドヴェーシェフ時代に氷解に向けて動いていた米露関係はプーチンの再就任により逆戻りしたように見える。

W・ブッシュ時代の外務大臣であり現在は大学で教鞭をとるゴンドリーサ・ライスはCBSの番組に出演しオバマの訪露中止を支持する発言をした。「ロシアによるスノーデン亡命受け入れはアメリカの顔に食らわせた平手打ちだ」、そして「米露関係は冷戦時代に逆戻りしたとは言わないまでも恐ろしいものとなった」と言った。

ここにきて「冷戦」の言葉をちらつかせている。
第二の目的がこれである。冷戦状態はアメリカにとってもロシアにとっても都合がいい。大統領の支持率は上がり、武器弾薬がよく売れる。



そして第三の目的は中東問題の長期化である。
九月に予定されていたプーチン・オバマ会談では長引くシリア問題の解決が重要な議題とされていた。表向きは内戦という触れ込みのシリア問題もアサドを利用したロシアと欧米の代理戦争である。双方ともまだ停戦する気がないためわざと仲たがいして見せることで和平協調の席に敢えて着かないのである(イラン系サイトのアサドを支持する記事を鵜呑みにするとロシアが正義の味方に見えてしまうので注意が必要である。普通どの国も自国の利益のためにしか動きはしない)。




当ブログに中東事情を綴るのは単なる興味や暇つぶしではない。ましてや無責任な正義感からでもない。中東で常に非道をはたらく影の勢力と、わが日本人が憧れて止まず生き方や思想の手本としている国々は同一であることを申し上げたいのである。そのようなことは判りきっているとおっしゃる方々には、ではなぜそれに甘んじて生きてゆかねばならないのかをお尋ねするためである。
わが国は知らぬうちにその非道に加担していることも、いずれ同じ非道を行うであろうことも逆に同じ非道を受けるであろうことも目に見えている。中東の戦火は対岸の火事ではない。
日本には日本の先祖が残した知恵と生き方がある。近代の訪れとともにその全てを「非合理」と見なしかなぐり捨てて、西欧に学び西欧を真似て生きてきた150年間の負債をいま突きつけられている。このまま非道に迎合し続けるか、踵を返すかを日本人がその胸に問いただす時は今である。


エジプトでは敬虔なイスラム教徒でありムルシー大統領を支持する非武装の市民が軍のクーデターの餌食になり、13日から続いたなりふり構わぬ虐殺で600人以上の命が失われた。黒幕でありながらこの恐ろしい殺人劇に気づかぬ振りをしてきたアメリカはここに来てようやく流血を非難、アメリカに続いて西欧諸国と国連も似たような声を上げた。西欧には非難に必要な死者数というものがあるらしい、さすがは数量でしか物事を判断しない民主主義の信望者である。しかし軍と市民のどちらを非難しているのかまったく不明瞭なゆるい発言であった。エジプトにはコプトと呼ばれるキリスト教徒が生活しており、その宗教活動のための教会も多数ある。その教会が放火による被害を受けていることをオバマは軍部に反抗するイスラム教市民の仕業と発言しているが明らかな虚偽である。なぜならたとえ異教徒のものであろうと聖域は聖域、決して侵してはならないという教義がイスラームにはある。なによりも無抵抗で凶弾に倒れることを選んだ市民は蛮行など働けない。

アメリカとイスラエルも親子である。イスラエルと国境を接するシナイ半島では混乱に乗じてイスラエル軍が侵入し市民に危害を加えている。ここでも馬鹿息子に火事場泥棒をさせている。
ムルシー支持派の市民を軍に殲滅させ、その軍事政権はこのまま世界世論に抹殺させてエジプトの全土、あるいは一部をイスラエルの手に委ねようとしているのかも知れない。そしてパレスチナを完全に孤立させることを目論んでいるのかも知れない。



イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、ソマリア、紅海をはさんでイエメン、いま非道が進行している地域である。この地域を人の近づけぬ地獄にしてしまいたいのである。なぜか、石油目当てというだけではない。
ここはユダヤ教・キリスト教の初期の教徒たちが流浪した土地である。ローマ教会とシオニストたちが歪曲する前の純粋な教義を記した、教義とともに生きて死んだ教徒たちの魂を刻んだ紙片が、羊皮が、木片が、石碑が石油の如く埋もれている土地である。宗教を大義名分に世界地図を作り上げた欧米が知られて本当に困ることはこの地に昏々と眠る。スパイが持ち出した情報などは紙屑にも及ばない。




スノーデン事件。アメリカがとっつきやすいスパイ劇をメディアにばら撒いたという予測とその理由に関する覚書きとして読んでいただければ幸いである。

ただし理由とした部分は予測などではない。

民主主義は犠牲を求めて彷徨う

世は「民主主義とは何か」を滔々と語る。あたかもこの世の真理を語るが如く美しく。


ある空間を共有するためには何らかの「きめごと」が要る。共有される空間は家や寮や学校にはじまり、仕事場、地域、と規模を大きくしてゆけばやがて国に行き着き、いまのところ最大規模のそれは地球という惑星である。この地球での「きめごと」、それは民主主義である。いつのまにか何となくそういうことになっている。

それは筆者が生まれついた時代にはすでに日本に深く根付いていた。その国で育ち、教育を受けた。しかしどうも腑に落ちないままこの歳になった。そして世界中で「民主」「民主」と連呼される今、それを実現しようとする側と壊そうとする側の双方からその語がとびだすのが耳障りでならない。このブログを長い間読んでくださっている方であれば筆者が「民主主義」というものにえらく懐疑的であることはお気づきであろうと思う。



終戦記念日が近づいた。
アジアの盟主と呼ばれていた軍国日本は焼け野原になり民主国家として生まれ変わった。生まれ変わらせた戦勝国のアメリカは日本に原爆を二つも落とした民主主義国家である。その国はその後も朝鮮の、ベトナムの、フィリピンの、アフガニスタンの民主化に貢献し世界から深く感謝されているに違いない。各国はその感謝のしるしとして米軍基地の配備を請け負い、思いやり予算を差し出し、駐屯兵の起こす交通事故も婦女暴行も自国の法律では裁かないと約束した。
二度と軍隊を持たず二度と戦争に加わらないと憲法において誓わせたのは占領軍であった。それから半世紀後のイラク戦争に出兵しろと圧力をかけたのもかつての占領国である。


一月ほどまえにトルコで起こったデモは皆様のご記憶に新しいかと存ずる。
イスタンブールの公園開発を環境破壊であると叫ぶ集団がソーシャルメディアを駆使して参加者を募りいつの間にか民主化を求める反政府デモにすり替わった。バス停や車両に火を放ち商店のガラスを割りながら強硬に民主化を叫ぶ彼らを支援していたのは1980年の軍事クーデターの後20年以上政権を握っていた社会民主主義政党と、いずれも民主国家とされる欧米諸国とそのメディアであった。槍玉に挙げられたのはここ十年来トルコの民主化を進めた政権政党、つまり国民の投票によって選ばれた政権である。


前回の記事でエジプトについて書いた。
アラブ地域で民主化を求める市民が起こした一連の民主化運動はが飛び火したエジプトでは独裁者が政権から引き摺り下ろされ大統領選挙が行われた。そして民主的に選ばれた新大統領民主化を求める反政府派市民から批判を受け大規模デモに発展、しかし同じく民主化を求める大統領支持派の国民も立ち上がる。混乱に乗じた国防軍が大統領の身柄を拘束し政権を剥奪、軍による暫定政府を立ち上げ大統領支持派の市民を大量に射殺した。民主主義の守護神を自称するアメリカ合衆国政府はこの身柄拘束は民主的でないとして民主的な解決を求めながらも国防軍による暫定政府に対し民主主義を築きだしているという評価を与えている。


もう矛盾が多すぎてどこが矛盾しているかを指摘できない。
言葉は身を離れてとして独り歩きをする。賛美されすぎたこの言葉は無条件で受け入れられそしてその中身が吟味されることはまずない。いま民主主義は両手に兵器を引っさげて世界を闊歩する。



理論上可能でも実現しようのないことはいくらでもある。
軍隊を持たず永遠に戦争を放棄する、それは素晴らしいことである。しかし戦争はひとつの国でするものではなく相手国が存在してはじめて成立する。だから日本だけ一方的に戦争を放棄してもはじまらないのである。この世のどこかに軍隊がある限り必ず攻めて来るだろう、なぜならそれが軍の仕事であるからだ。そうなれば自衛のために武器を取らざるを得ず、それをあくまで自衛であり戦争ではないというのは綺麗ごとだといっていい。軍備とは自衛という大義の元におこなわれるものである。そして武器を持てば使うことを余儀なくされてしまうのが常である。
戦争放棄、耳には美しく聞こえるそれを美辞麗句で終わらせないために払うべき努力というものがあった筈だ。自国、相手国、他国間におけるあらゆる侵略を否定し戦争撲滅を世界に毅然と働きかけるべきであった。しかし日本はこの憲法制定するやいなや勃発した朝鮮戦争でアメリカに武器を売り、その儲けで復興を果たしその後もアメリカの核の傘の下でぬくぬくと経済成長を遂げた。日本が戦争に巻き込まれないための外交はアメリカに丸投げし、そのぶん貿易に精を出し、アメリカの軍事活動に多額の資金を供出した。


この精神分裂症患者に近い言行不一致の後ろにあるのが民主主義である。冷戦以降のこの世界の全ての戦争は「民主化」の名の下に行われた。炸裂する民主化の爆弾に家や村を焼かれ民主化の銃弾に倒れた。孤児たちは民主主義の養子になった。



戦後アジアの民主化においての日本の役割は米軍の補給であった。極東に睨みを効かせたいアメリカは日本を基地だらけにし、食料と武器弾薬と燃料の補給庫として利用した。また格好の資金源でもあった。幕末に開国を求めて日本近海をうろつく外国船を体よく追い払うため幕府は外国船団に補給の協力はしても開国はしないという「薪水給与令」という苦策を講じたが、戦後は逆に桁違いの「薪水」をむこうから要求されることになる。


とある永久中立国すら世界中に武器を売ってはじめて経済・軍事ともに自立できるのであり時計を作って生計を立てているわけではない。二枚舌を駆使し何らかの形で戦争に組しているのならば中立も放棄もへったくれもない。この矛盾に気づかぬのは、あるいはこの詭弁に耳をふさいでいられるのは民主主義という言葉が眩しすぎるからである。


「人民による人民のための人民の政治」を執る民主国家アメリカは思うにすでに年老いた。かつて大航海時代から横車を押し続けていたイギリスが年をとり侵略に倦んだため敢えてアメリカを建国して汚れ仕事を任せたように、派手な軍事外交に疲弊したアメリカはイスラエルをして中東の、日本をして極東の遠隔操作を目論むようになった。これが日本の右傾化の背景である。民族主義を外から煽られて負け戦に手を染めた教訓は泡沫に帰し日本は今おなじ過ちを犯そうとしている。戦後日本をその庇護下に置くかわり軍備することを許さなかったアメリカが掌を反してこれ以上日本を防衛する気がないことを仄めかすと世論はすぐさま右傾化を煽った。そして再軍備を唱える政党が政権をとった。これは憲法に謳われた戦争放棄が日本国民に本気で相手にされていなかったことの裏返しである。


逆に、四面楚歌ならぬ戦争屋だらけのこの世界で国を挙げて毅然と戦争放棄の道を歩み出せばどうなるか。ひどい経済制裁を受ける。在外公館がテロの標的にされる。外交官が誘拐される。先の大戦の責任を問われ続ける。海外で差別を受ける。核兵器保持の濡れ衣をかけられる。伝染病と麻薬に侵される。頭の弱い学生が環境・人権保護団体に騙されて反政府デモを起こす。突然爆撃されて誤射だったといわれる。駐屯兵が傍若無人に振舞う。耳に民族自決の言葉を吹き込まれて陶酔し、どこからともなく供給された武器で武装する集団が現れる。戦争放棄と憲法に書くだけなら楽なものである。


エジプト軍によるムルシー大統領の拘束をうけて人道的立場から仲介に乗り出し大統領と面会したEUの外務官の「ムルシー氏の健康状態は良好」という発表に対し、炎天下でクーデターに反抗し続ける市民の一人が言った言葉が忘れられない。

「我々がこの広場に集まるのはムルシーの健康を願うがためではない、我々が選んだ政権を取り戻すためである」

老婆であった。EUの偽善に対するこの鋭い批判をしたのはソーシャルメディアで意見交換しあう若者ではなかった。外の国が「非民主的」と揶揄するこの国の秘められた力を感じた。


国民の代表を選んでそこで終わりではない。投票だけが権力の行使と義務の遂行ではない。選んだ候補者と政党の後ろ盾になり、監視し、その政策に責任を負わなければならない。政治家は国民のはしくれであり民意の請負人でしかない。日本では政治家だけが失政を責められているがそれでは国は作れない。政治家を厳しく躾けて育てなければならない。でなければ政治家は得票のために美味い話を並べるだろう、できもしない公約を掲げて支持を得るだろう、これが民主政治の弱点だということを忘れてはならない。国民は騙されてはならない。聡明でいなければならない。民意は国を作る。民意とは国民一人ひとりから生まれる。ならば我々は国の母体である。母体が愚かではそれなりの国にしかならない。民主主義とは、楽ではない。



民主主義には古代ギリシアで産声を上げたその当時からすでに「衆愚政治」という批判があった。書いて字のごとくであるが、今のままでは紀元前の批判がまさに的中したことになる。民主政治はそれを熱愛し過信し甘やかし放任すればするほど衆愚政治に近づくのである。衆愚のままでは軍隊など持っても国は守れない。どこぞの衆愚主義国家の後を継いで世界中を犠牲にするのが関の山である。










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Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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