ギュレン教団クーデターから一年 ― トルコをめぐる思惑

7月15日、あれから一年。
何事も無かったような日々をおくる中、時おり頭をよぎるのは、神と悪魔の間で揺れ動く弱き人のありさま、そしてこの世の行く末である。

チュニジアに端を発する「アラブの春」が中東を席巻したのが2011年、民主化を要望する民衆運動が蜂起へと発展、退陣を余儀なくされた指導者は亡命か投獄か、処刑という運命をたどった。この一連の動きが欧米の計画および主導による中東国家刷新事業であったことは今さらここに記す必要は無い。そして春が過ぎた中東には今、内戦に喘ぐイエメン、無政府状態となりテロの温床となったリビア、米国直属の軍事政権に独裁されるエジプト、そして屍と塵芥の山と化したシリアがある。
 
トルコにアラブの春が飛び火したのは2013年夏のことだった。
日本では「ゲジ公園プロテスト」と銘打たれ、あたかも民主化を求める市民運動と報道されていたが過度の歪曲があった。当初はイスタンブールの市役所による公園内の樹木伐採を糾弾す集会であった。しかし国内の反政府主義者と野党政党が国中に連動を呼びかけ、政府に反感を抱く若者が合流し各地で同日集会を催し、またそれに共感する一部国民の支持支援を得ての破壊活動――商店やバスに投石し放火、警察に火炎瓶を投げ、モスクに立てこもり飲酒――運動と呼ぶに及ばぬただの乱暴狼藉が行われた。政府にしてみれば相手は頭の悪い学生か幼稚な大人を大多数にもつ一般人であるため武装集団を一掃するようには行動できず、警察の失態も手伝ってその鎮圧に二ヶ月を要した。

これも欧米勢力の入れ知恵とお膳立てによる政府転覆計画であったのは言うまでもない。ゲジ公園で最初の集会が開かれる二日前からかなりの量の外国人記者がトルコに入国しゲジ公園の画像を捉えられるホテルに陣取り、また中継車や機材を借りあさっていた。彼らは未だ起きぬ春の風を周知しており、政権を退陣に追い込んだ後の担保となるよう事実を歪めて世界に知らしめるべく待ち構えていたのである。

この間に海外メディアのみならずニセの写真、ヤラセの動画、ありもしない窮状を訴える市民の声がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、トルコが独裁者の弾圧に苛まれる非民主的国家であるという印象焼き付けた。こうして「ゲジ公園―」の目的の半分は達成されるのだが、残りの半分つまり政府を窮地に立たせて失脚させるには至らなかった。「政府への反感」そのものの底が浅いので持久力がないこと、夏休みが終わる頃には学生どもが集会場をさっさと引き上げたこと、なにより、この国には政府に反感を持つ市民も多いが政府を支持する国民がそれ以上に存在することが理由に挙げられる。

しかし去年のクーデターは生ぬるい抗議行動などでは無かった。7月15日深夜、決起した将校たちが軍本部と警察本部を占拠、軍最高指揮官を拘束、同時に国内各地の軍基地の機能が停止した。大都市では戦車隊が出動して市民を制圧、戦闘機が議会ビルを空爆、国営放送局に軍隊が押し入り、局員に銃を突きつけてクーデター成功の宣言を放送させた。、休暇で首都を離れていた大統領のもとにトルコ軍精鋭の特殊工作員が軍用ヘリで差し向けられた。もちろん大統領抹殺がその目的であった。

「ゲジ公園―」を支持した類の人々は両手を上げて喜んだ。事態の重大性が理解できないというか、とにかくお目出度い連中である。年端もいかない子供たちがクーデターを祝うメッセージを共有していたが、このあたりは親か学校教師からの影響であろう。 欧米勢力の思惑を、中東の惨状を知らないわけが無いこの人々はいったい何と何を秤にかけてクーデター支持という結論を導き出すのだろうか、つまりは思い描いたとおりに人生が運ばない人々がその落とし前を政府に求めているに過ぎないのである。この連中をよそに一部の民放は画面からクーデターの阻止を必死に訴え続けた。占拠された軍事警察拠点、市役所、放送局その他を反乱軍から奪取し、空港や病院、サテライト基地などを死守すべしと国民を鼓舞した。多くの国民がこれに呼応する如く国旗を手に市街に溢れ出た。

クーデターの詳細を知らされた大統領は数分後に滞在地をヘリで脱出、飛行機に乗り換えイスタンブールへと向かう。その後もぬけの殻になった部屋は一斉掃射と手榴弾を食らった。大統領が機内から生の画像でテレビに登場すると市街の国民は激しく勇気付けられた。その間、飛行機にF16が接近、しかし燃料が尽きて更なる追跡は断念された。無事に到着し空港で待ち構えていた民衆との邂逅が放送されると反乱軍は意気消沈、将校は部下の士気を高めるためにさらに激しい空爆を指揮し一般市民を襲った。
                      
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                2016年7月15日深夜


市民は走る戦車によじ登った。横たわって道を阻んだ。その排気口に靴下やシャツを詰め込んでエンジンを止めた。銃を構える兵士に立ち向かい、欧米に国を売るな、親を泣かすな、非国民として生きるな、後に背徳者として死ぬな、神を畏れろ、と説き続けた。殴られても撃たれても後に引かなかった。

実行犯は一部将校とその命令を遂行した兵士である。しかしその後ろには判事、検事、弁護士、官僚、警官、軍人、教師、大学職員と、思いつく限りの「公務員」、しかも高給取りと言える人種が共謀していた。何故このようなことになったのか。

クーデター加担者の共通項、それはある宗教団体―「ギュレン教団」の名で日本を含む世界各国で活動するイスラム系新興宗教に入信していたことだ。

端的に言えばこの教団は信仰という仮面を被ったテロ組織である。
世俗国家であるトルコといえどイスラームは未だに不可侵の領域といえる。宗教活動は神聖であり信頼の鍵でもある。40年ほど前から政財界や司法界を筆頭に国内外のトルコ人社会でギュレン教団の信者たちの地位が築かれ始めた。その便宜に預かった信者たちは国家公務員となって昇進を果たすか、或いは事業主として政府から多額の援助を受け成功を収めることになる。
そこで信者は教団に喜捨、つまり善意の寄付を行うことになる。たとえば普通の公務員であれば給与の三分の一を、警視や軍将校、判事などの高級職であれば三分の二を教団に寄付する。つまり公務員給与と民間への補助金として計上された国家予算がずるずると教団に吸い取られていたのである。いうなれば国庫の裏に穴を開けて教団の金庫として利用していた。
教団は私立校・大学、学生寮、進学塾をつくり教育支援を行うが、そこでは学生たちに教祖フェトフッラー・ギュレンを慕い敬うよう強制、いや洗脳が行われた。特に警察学校、軍隊付属校ではまだ考える力の無い子供を有事の即戦力となる人材として育成していた。大学入試、公務員試験、役人や軍人の昇進試験の問題を作成する公機関の中に存在した教団関係者は試験問題を盗み信者たちに配布した。彼らは国家のあらゆる部門に食い込み着々と昇進を果たした。

この構造の露呈がなぜこうも遅れたか、
まず盗撮、盗聴、脅迫という手段で信者たちが固く拘束されていたために暴露の可能性が小さかったことがあげられる。次には過去のトルコは政権の交代が激しく、そのたびに管理体制が解体されてしまうため実情があやふやであったこと、さらに教団の影響はマスコミにも及び、世論に上る教団批判が常に掻き消されてその賛美のみがされていたこと、イスラームを嫌う海外世論もこの教団の活動にはかなり好意的に対応していたこともある。

なにより出世ほど甘いものは無かった。特に軍隊と警察では教団に属さなければ出世の見込みは薄かった。場合によっては飲酒も賭博も不倫も許されるというイスラム教には断じて有り得ない宗旨も魅力だったのだろう、脅迫を受けるまでもなく教団に背を向ける者はいなかった。

教団の首領であるフェトフッラー・ギュレンは心臓手術を口実に1999年アメリカへ渡りペンシルバニアに拠点を移している。以降はアメリカの手厚い庇護の下に活動を展開する。

            フェトフッラー・ギュレン
                 フェトフッラー・ギュレン

レジェップ・タアイプ・エルドアンが首相に就任したのが2003年、国内外、特に発展途上国へのイスラム教育支援を惜しまぬこの教団と政府との関係は良好だった。政府の保護下(学校その他法人の許認可、補助金の交付)でますます勢いを増した教団だったが、水面下で進められていた計画――国家簒奪計画が察知されるのは時間の問題だった。

エルドアン首相(当時)はその長い政権の中でギュレン教団への対応を転換し教団の一掃を目指した。しかしその頃までには政府内部が教団にとことん蝕まれていたためにそれは困難を極めた。教団関係者を国家反逆罪で逮捕しても警察が証拠不十分として釈放するか、法廷に引き出しても判事と検事がつるんで無罪放免にし、教団に厳しい態度をとる司法官は次々と罷免されてしまう。さらに教団御用メディアが贈収賄、横領、テロ支援、イスラム原理主義化政策などををうそぶいてエルドアン政権を批判し世論を混乱させ、虚偽報道をしたとして規制にのりだせば表現の自由の侵害などと言い出す。海外メディアは喜んでこれを利用し反エルドアン報道を繰り返した。日本で一番喜んだのは田中S氏あたりか。

2012年、全ての進学塾を閉鎖する決定を下した政権に対し、国内各地の地下活動拠点である進学塾に鎖をかけられた教団は過剰に反応、牙を剥いて攻撃を始めた。政権に対する不当な批判で世論が混乱する中で迎えたのが「ゲジ公園プロテスト」である。これを鎮圧する際に失態を重ねて混乱を招いた警察長官(当時)がギュレン教団に属していたことはそれからだいぶ後に発覚した。

一介の新興宗教団体が国家簒奪を企て、あわや成功などという話があり得るのだろうか。たとえばオウム真理教は世間に衝撃と被害を与えはしたが国家が揺らぐことはなかった。結局、ギュレン教団は当初からテロ活動を目的に計画された組織であった。それもただの武装集団ではなく、国家の末端から中枢のあらゆる箇所に浸入し、繁殖し、尋常に振舞いながら発病の機を待つ癌細胞の如く、姦計を以って活動する陰謀集団である。痛みを感じて病に気づいたときにはすでに臓器は壊死し切除するほか術が無い。それで救われるならまだしも、脳にあたる部分―すなわち国家の中枢が冒されたのであればそれは国の脳死であり、外からの援助で首を挿げ替えることはすなわち国家の簒奪を意味する。目的はここにあった。

筋書きはこうである。
大統領を抹殺したクーデター勢力が全権掌握し暫定府政を宣言する。これに抵抗を見せる市民を反政府分子として投獄、クーデターに関与しなかった軍人と警官を離反者として逮捕、さらに国境のすぐ外で活動するPKK,YPG,PYD,IS(DAIS)等テロ集団が一気に国内になだれ込み各地で破壊活動をおこない、どさくさに大統領寄りの政治家や著名人を殺害(抹殺リストが実際に存在した)、暫定政府はこのテロリストたちを制圧してほしいと海外に援助を要請する。そこで軍事同盟国であるアメリカが大手を振って介入、テロリストどもが飼い主の命令でおとなしく引き上げると同時にアメリカの足の裏でも舐める新政府が誕生する。筋書きは、こうだった。

フェトフッラー・ギュレン自身は過去にシゾフレニアで精神病院送りになったことのある男である。自らを「救世主(終末に再降臨するイエス・キリスト)」であると宣言し、「大天使ガブリエルが政党を立ち上げてもそこに投票しない」とほざき、預言者ムハマンドの生涯に難癖をつけるなど宗教家である以前にイスラム教徒には絶対に有り得ない、支離滅裂ともいえる発言を繰り替えすいわば病人で、彼を利用しトルコ政府転覆の大役を与えたのもくどいようだがアメリカである。アメリカは「カリフ」の座をギュレンに報酬として約束した。カリフとはイスラームの庇護者であり神の代理人である。これだけならばカトリックの「法王」に近いがその大きな違いは、カリフ制では政治こそイスラム教義に則るべしという解釈から教分離主義をとらず、カリフたるものは宗教指導者にして政治指導者であり、その影響は国境を越えて全イスラム界に及ぶ。歴史上最後のカリフはオスマン帝国最後の皇帝であり第一次大戦後に帝国が崩壊して退位を余儀なくされた後はカリフの座は空のままだった。カリフ制再興を求める声は世界のムスリムの間に今も強い。

政教分離を否定するカリフ制などをアメリカが援護することはじつに理解に苦しむところではある。しかしここで「腐ったカリフ」をイスラム界全体に押し付けるとどうなるか、考えてみると実に興味深い。

教団結成からクーデターに至るまでの調査・研究・準備はCIAによる。
気違いではあるが一応は導師であり、ある種のカリスマ性を備えたギュレンを起用し教団を結成、そしてCIAは組織拡大のためのすべての指導を行った。学生洗脳、茶話会を介した一般信者獲得、盗聴や脅迫という手段、国家機関への浸入、こうした技術すべてを習得する一方、ギュレンはバチカンと接触していた。

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                    ギュレン、ヨハネ・パウロ2世 1998

ヨハネ・パウロ二世の時代、ギュレンはバチカンを訪れある重要な会議(Pontifical Council for Interreleigious Dialogue-法王庁宗派間対話評議会1998)に名を連ねた。元来キリスト教の各宗派の代表が集まるこの会議にギュレンはあろうことか全イスラム教徒の代表として参加している。全イスラム教徒を代表する組織(たとえばオスマントルコ帝国)もその代表も存在しない今、新興宗教の一教祖でしかないこの男をまるでカリフのような肩書きでカトリックの総本山に招待していたのである。ギュレンの訪バチカンはイスラム諸国はおろかトルコの宗教省ですら報告を受けていなかった。つまりこれは甚だしい越権行為である。ギュレンが会議に携えた法王宛ての手紙には「伝道活動の一部を担いたい」とはっきり書かれている。その十数日後に法王は新しく20人の枢機卿を任命するがその中の二人の名前が公表されておらず、ここでギュレンはこの「秘密枢機卿-in pectore(=胸中)」の役を授かったとしてほぼ間違いない。つまりバチカンはイスラームのキリスト教傾倒を目論んでいた。イスラームの強靭さの根源である信仰そのものに矛盾を加えて内的崩壊に追いやることを意味する。十字軍がことごとく追い散らされた過去、コンスタンティノポリスを陥された過去、イスラム教徒に煮え湯を飲まされた過去への復讐である。

筋書きはこうである。
CIAとの密約でバチカンはギュレンを全イスラム社会の代表者に任命、さらに秘密枢機卿としてキリスト教伝道の任務を極秘に与えた。トルコ国家の全権がギュレン教団、いやアメリカの手に堕ちた時、隠れ枢機卿にまで成り下がったこの腐ったカリフをイスラム世界の頂点に据える。ギュレンはカリフの立場からこれまでのイスラム教儀解釈の揚げ足を取り珍妙な新解釈をひねりだし、十字軍遠征に正当性を与え、コンスタンティノポリス(現イスタンブール)をキリスト教徒に返還すると唱えだす。また飲酒や自由恋愛、利息利益を解禁、逆に断食・礼拝・巡礼といった義務からの解放など徹底的に世俗化を進めてイスラームの背骨を抜く。一方でトルコからカリフが選ばれることに不服なサウジアラビアやイランがおとなしくしている訳も無く、ロシアがこれに便乗して小競り合いがはじまり、ゆくゆくはアメリカに忠誠を誓ったアラブ諸国を巻き込んでの中東紛争に発展、武器商人たちは少なくとも百年は飯が食えることになる。荒唐無稽にすら思える酷い筋書きであるが、事実なので仕方が無い。

アメリカという国は利用価値の無い人間に餌を与えはしない。クーデターの失敗後、ギュレンの口を封じるだけなら注射一本で始末してロシアがやったと言えば済む話だのに、トルコ政府からのしつこいまでの返還要請に生返事をしながらギュレンをいまだペンシルバニアで飼い続けている。つまり、アメリカは今一度クーデターそを企てている。

古い話になる。
11世紀も終盤、急速に版図を広げコンスタンティノポリスの縁まで迫るトルコ人に眠りを侵されるビザンス皇帝は、窮してローマ教皇に助けを求める。カトリックたるローマ教皇は東方正教会に属するビザンス帝国を蔑み、本来ならば相手になどしない。しかし貧困と疫病に喘ぐカトリック諸国にとりイスラム教徒に抱く脅威たるや東方に引けをとらず、憂いの中で神に救済を求める教皇ウルバヌス2世はついにあることを思いついた。宗派の分かれたキリスト教徒を結束させて兵を集め、イスラム教徒を追い散らし、掠奪し、ビザンス帝国もエルサレムもすべてカトリック教会の手中に―彼らはこれを「天啓」と呼ぶ。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの共通の「聖地」エルサレム。当時この地はファーティマ朝ムスリムの領土であったが、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてムスリムが共存する安泰かつ豊かな都市として栄え、巡礼とシルクロード貿易がもたらすその富は欧州人の羨望の的であった。ウルバヌス2世は東方正教会とカトリック教会の司教たちを南仏クレルモンに一堂に集めて呼びかけた。

―ムスリムからの蹂躙に苦しむ聖地エルサレムを救わん。巡礼者たちは殺戮され、都市は掠奪を受けている。天国の王国、どこよりも豊かな、永遠の神の恵みたるかの地をトルコ人とアラブ人どもから取り戻さん。これは神の望みなり。さもなくば汝らを待つのは地獄のみなり。

      クレルモン会議
             クレルモン会議 1095

この声に陶酔し、東の富に目の眩んだ欧州諸国の王侯貴族は民兵を募り、軍隊、騎士団を整えエルサレムに向かう。第一次十字軍遠征である。通りかかったキリスト教徒の村や都市すらなりふり構わず掠奪しながら進軍し、ビザンス帝国からの援軍も加わった十字軍はアナトリア半島を踏みにじりついにエルサレムに到着、エルサレム側は降伏し市民の命と引き換えに都市をあけ渡す。しかし、そこで行われたのは1万人のユダヤ教徒と7万人のムスリムからなる市民の大虐殺だった。1099年7月15日。

900年以昔の話だが、少しも色褪せることなく今に重なる。
経済危機のどん底でもがく欧州も、アメリカも、その打開策を常にイスラム圏からの搾取に見出す。他に思いつかないのである。アフリカ・アジアのイスラム国からは露骨な掠奪をする一方、トルコに対しては世俗・西欧化を吹き込み自らの歴史と信仰に背を向けさせてひたすら欧米に追従させた。その立地そして資源面からこの国を自立させるわけにはいかなかった。いつまでも不安と劣等感に縛られる弱小国でいさせねばならなかった。
しかしレジェップ・タアイプ・エルドアンを生かしておいたのでは決して思い通りにいかないことに気がづいた。彼の政権下で外交・経済・教育・福祉・医療その他どれをとってもまともに動き出し、欧米のテロ支援を叱咤し、2009年のダボス会議ではイスラエル大統領に一喝し謝罪までさせた。国民がかつての傀儡国家時代に踏みにじられた誇りを取り戻す一方で世界中のイスラム諸国にも並ならぬ希望を与えた。貧困と対峙する欧米を尻目にトルコの経済は順調に伸び続ける。出産奨励により人口も増加傾向にある。虚偽報道、経済封鎖、テロ工作など、欧米はさまざまな手でトルコを世界から孤立させる。しかしエルドアンは欧米によるイラクとシリアに対する大搾取に果敢に立ちはだかった。さらに兵器の国産化と無利子を標榜した金融政策が始まると武器商人のアメリカと金貸しのバチカンはもはや黙っていなかった。そしてエルサレム大虐殺のその日を選んだ。

―エルドアンからトルコを取り戻さん。これは神の望みなり。

2016年7月15日、トルコ国防軍の軍服を着た十字軍が900年ぶりに押しよせた。自国軍の戦車、戦闘機、機関銃、手榴弾で母国と同胞を襲った。神の声に耳をふさぎ悪魔に跪き、国旗のほかには手に何も握らない市民を襲った。しかし甘言を囁く悪魔に唾を吐いた兵士たち、そして市民は猛攻し、国中のモスクから神を称え加護を求めるアザーンの声は朝まで止むことなく響き、249人の死者、2000人を超える怪我人、彼らの血と引き換えにクーデターは阻止された。神は偉大なり。

勝利
                2016年7月16日朝


思うに、ギュレン教団とはひとつの「現象」である。実体があるようで、ない。
教団の原動力は他でもない一般人である。苦労をしないで学歴を得たい、ばか息子を出世させたい、楽をして稼ぎたい、生活に満足がいかず、現状にあきたらず、虚飾を好み、肩書きと地位に憧れ、妬み、嫉み、隣人に脅威を与えようが、法を犯そうが、国を売ることになろうが―CIAやバチカンなどに縁もゆかりも無い普通の人々の、さほど罪深く無さそうな「欲」が肥大して具現化したものがギュレン教団であり、もとより人が浅はかな欲を掻かなけれは成立しようがないのである。逆にクーデターが不発に終わろうがギュレンを死刑にしようが欲に魂の鍵をあけ渡し、おのれを醜く歪める人々がある限りこれは幾度も姿を変えて生まれ変わるだろう。

よく「悪魔につけいれられた」などという。つまり悪魔は決して自ら武器をとらない。とらせるだけである。悪魔が何を言おうと選択権は当人にあり、その手を取れば地獄、振り払えば天国への道が開けるという、ただそれだけである。人はこうして悪魔と神の声の間で揺れ続けながら審判の日を迎える。



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虚構の上に軍隊は成らず いわんや戦争放棄をや

 戦争法案――べらぼうなイカサマ法であることには違いない。こんな法案を通すような議会であれば無いほうがましである。しかし情けないことに国民側からこの法案に対して為される批判はあまりに子供じみている。ただヘイワ、ヘイワと騒ぎ立て戦争に行きたくないと駄々をこねているに過ぎないではないか、その空恐ろしさを感じているのは筆者だけではないと望む。


筆者の記憶では二十五年ほど前、「平和ボケ」なる言葉が活字になって世間にお目見えした。この言葉は戦争のない日本で安穏と生きることにある種の「罪悪感」を植え付けた意味で重要な役を演じたと言ってよい。その結果として四半世紀後の今、軍国化を唱える右翼くずれどもが票を集めたことを思えば「平和ボケ」とは当時の現状批判として国内から湧き上がった言葉ではなく、国外の勢力が冷戦後の日本の外交位置を想定した上で敢えて我々の潜在意識を操作するため耳に吹き込んだ策略だったのかもしれない。


戦争は非道そのものであり起こしてはならないものである。戦争のない世を望むのは日本に限ったことではない。ボケが来るほど平和であるならこの上なにを望むのか、そうも言よう。しかしそのような状況は果たして人類にとって不可能である。


たとえば戦後の日本は本当に平和であったのだろうか、否。日本は人類史上最悪の戦争である冷戦下においてアメリカという名の防空壕に隠れ目と耳と口をふさいでいたに過ぎない。否、もとより「平和」などという軽薄な言葉はこのような狸寝入りに似つかわしい。戦後日本は朝鮮戦争の軍需工業により復興を遂げた。朝鮮半島を焼け野原にした兵器は日本人の手によって作られたのである。その後日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくと経済成長を果たす傍らで冷戦体制の底辺に置かれた弱小国は欧米に蹂躙され続けてきた。その資金源こそ経済大国と祀り上げられた日本である。日本は間接的であれ第三国にとっての加害者であり続けたのである。我々が平和と名づけて拝するものはどう贔屓目に見てもこの程度である。


日本は先進国の一員とされながらも外交能力の評価は非常に低い。表向きには外務省が置かれ諸外国との国交が持たれており国連では非常任理事国としての位置もある。しかし実際はいかなる交渉も決定も常にアメリカの顔色を伺いながら、あるいは指示を仰いでの上で、これを外交と呼ぶことができようか。日本には外交の能力ではなく外交の権限がない。皆無と言っていい。敗戦後に占領下に置かれた日本はその後独立を認められたものの未だに首を鎖に繋がれたままなのである。そういう国はアジア・中東・アフリカに少なからず存在するが、日本はだてに金を持たされているだけ始末が悪いのである。


戦争を一方的に放棄するだけならば子供でもできる。国家が戦争をしない、巻き込まれないためには政府による万死一生の外交努力が必要でありかつ国民は政府に協力すると同時に政府を厳しく監視せねばならない。しかし日本人はそのすべてを放棄し国防も外交もすべてアメリカに委託している。敗戦国の立場とはそういうものだが、かの敗戦から七十年も経って未だにそれに甘んじていられるのはもはや日本人がそれを望んでの事と言うしかない。


つまり楽なのだ。アメリカに追随してさえいれば貿易が赤字になることも他国に侵害されることもとりあえず無い。なにより複雑な外交と金のかかる軍事を丸投げしておけば軍事行為で手を汚さずに金儲けに専念できる。戦後こうして金持ちになった日本だが、楽をしている間に非常事態を嗅ぎ分ける嗅覚も対応する能力も完全に失ってしまった。ここ数年頻発する海外での日本人拉致・殺害事件をみれば日本政府の外交が全く機能していないことがよくわかる。


「テロリストとの譲歩は有り得ない」などと毅然と語る欧米だがそれは当然嘘八百である。各国政府は自国の諜報(スパイ)組織を通してテロ組織等とは常に交渉を持ち、脅し、すかし、利害の一致があれば協力し、資金を融通し、すべてのテロ活動は事前に察知することが可能であり、逆に誘発することもある。しかし諜報部を持たない日本政府にはこれが決して出来ず、「屈する」ことも出来ず、したがって海外で捕虜となった日本人を日本政府が救う可能性はない。このように日本は丸腰のまま軍を抱えようとしているのである。


軍国の場合、軍の行動は諜報組織のもたらす情報をふまえて計画される。その組織のない日本に軍なるものが配備されれば、レーダーも羅針盤も搭載しない帆掛け舟でいきなり海戦に斬り込むようなものである。いかにも日本的と言えるが笑い話ではない。


(日本人にスパイはやれないと思ってはいけない。江戸幕府が二世紀半に亘って維持されたのは「公儀隠密」の活躍が大きいのである。また外交が本当に下手かといえばそうでもない。黒船来航の百年以上も前からロシアなどの船団が通商を求めて日本近海に現れていたが、すっとぼけながら回答を避けてはうまく遣り過ごしていたのである。江戸幕府の終焉は単に世界の流れに逆らえなかったためだけではない。命を天に預けて戦う「兵-つわもの」であったはずの武士たちが泰平の世に甘んじて官僚化し、保身のために政治判断が先例重視に傾いたのが大いなる原因である。一大事を察知る武士の気は萎え、破魔の武芸は形ばかりのものとなり、もとより軍事政権たる江戸幕府はその存在の根拠を失った。こういった内的な崩壊を察知したアメリカが満を持して江戸前に大砲を構えたのである。)


今になって日本の軍国化を望んでいるのは他でもないアメリカである。世界の覇権国として君臨してきたもののアメリカはもはや疲弊した。国内を見れば精神異常と肥満と薬物中毒に満ち、職も働く気力も体力も無い。ありもしない正義を振りまわし世界中に戦争をふっかけまくった挙句の当然の結果である。そろそろ覇権を他国に分散して影でその糸を引いて暮らしたい、かつてイギリスがそうしたように、である。日本はアジア地域の番兵として好都合、というわけである。日本国諜報部設置などはアメリカが承知するはずも無く、されたとしても有名無実の組織(例:内閣情報調査室)になる。


日本再軍備論は誰も住まない猫の額ほどの孤島の領有権という実にどうでもいい問題から起った。日本と中国が協調することでアジアへの影響力を失い損をするのはアメリカであることを忘れてはならない。北方領土問題のせいで日露協調が今日まで実現しなかったことがアメリカにどれだけ利益を与えたか試算してみるべきである。いま政府が法改正をしてまで配備しようとしている「日本軍」は単なる米軍の下請けであり我らが国とその国民を守るための武力ではない。


資金さえあれば軍隊は作れるので、日本ならば自衛隊を増強し最新鋭の軍備を数年で整えることが出来よう。ただし飛行機、銃器、弾薬すべてをアメリカから輸入することが余儀なくされる。兵器を輸入するか自給するかは単に経費の問題ではない。A国がB国から兵器を輸入しているのならばA国は結局B国に防衛を依存していると言い換えることができる。依存を絶つためにA国が兵器の国産に乗り出してもB国はあらゆる手でそれを妨害する。世界で起こる謎の株価暴落や航空機事故、クーデターまがいの市民デモはその脅しの常套手段である。技術先進国の日本でさえ未だに旅客機すら国産していないのはゆめゆめ戦闘機の開発などをせぬようにと頭を押さえつけられているからである(日本には某中華人民共和国のようにロシアから戦闘機を盗んで丸ごとコピーしたりするような真似はできない)。こうしてB国から輸入した兵器の制御システムが実戦では決して正常に作動しないであろうことはA国も重々承知であり、だからこそA国はB国に逆らえない。今のままでは虚構を承知で軍備することになる。


相手の物を奪いたいという本能がある限り人は隣人に害を与えてしまう。そうなればおのれと家族を守るために武器を握ることは避けられない。人は裸では生きてゆけない。この原初の道理を国の次元まで引き上げたものが戦争である。外から侵害をうければ国家は国と国民を守るために武力を行使せねばならない。前時代じみた野蛮な考えだとのご指摘もあるだろう、しかし「正義」「平和」「友愛」などとぬかす民族こそ手の付けられない蛮族であり、地球上にこいつらが存在する限り侵略は絶えないと断言できる。国家には有事に行使できる武力があって然るべきである。


わが国にとってその武力とは米軍である。アメリカとは人類史上最も好戦的な国であり、建国以来アメリカが関わらなかった戦争はこの地球上に存在しない。まさに戦争で飯を食っている国に「守られて」いるという事実が不快でないのはなぜであろう、それは「戦争放棄」の一言があまりに眩しいからに違いない。


日本に軍隊がないのは戦争の永久放棄を明記した日本国憲法に由来する。その草稿を起こしたのも、それをほぼ丸呑みした日本政府案を「了承」したのもGHQである。そしてこれは世界に二つと無い平和憲法であり何があろうと死守するべきと謳った戦後教育を設計し導入したのも他でもないGHQである。原爆と敗戦によって自失状態になった日本に占領軍の言い分のすべてを承諾させ、正気をとりもどしたあとにも懐疑の余地を与えぬために学校教育をして日本国憲法を神聖化した。これは大政奉還後、天皇を現神人(あらがみびと)として奉り神国日本のあらゆる行動を肯定した仕組みと酷似している。(明確な「神」をもたないために導き方次第で何でも神と信じてしまうという日本人の弱点はすでに室町時代にイエズス会のスパイである宣教師ルイス・フロイスの手で解析され西欧に報告されていた。)


占領軍が非占領国の国法制定に介入することは越権行為であり現行の日本国憲法は本来ならば無効である。と、ときおり起こるこの正当な主張はアメリカ追従をやめられない日本政府に常に黙殺されてきた。兵役に行かないですむ国民からも無視されてきた。


誰が作った憲法であろうと戦争放棄は至高の法である、そうお考えの方は多いと思うが、日本はアメリカの起こす戦争に影で加担することで自国の安泰と富を築いてきたことをどうか正視していただきたい。この幻影の如き理想を掲げて生きるうち国は病んで衰え明日には地球の癌となる。虚構の上に軍隊は成らず、いわんや戦争放棄をや。


わが国には独自の憲法が必要である。「自由」「平和」「幸福」などという詐欺まがいのあいまいな表現を含まぬ、国の進むべき道を淡々と綴る新憲法を作らねばならない。


わが国には独自の軍隊が必要である。現政権が強行に作ろうとしている米軍日本支部ではなく、日本と日本人を守る日本軍である。その兵器はすべて国産でなければならない。戦争放棄を目指すのはその後である。


わが国には独自の外交が必要である。戦争放棄は突然「やめた」と言って成り立つものではない。同じ意志を持った国々と密接に交渉を続け、協調し、他国(例:アメリカ)の利益のために参戦できないとする国内外の法整備を重ねてこそ実現できる。ただし経済制裁とテロの標的になることを覚悟し耐え抜かなければならない。


日本はまず輸出入に偏りすぎた経済を叩き直さなければならない。経済制裁という脅迫を撥ね付けるだけの国内生産力が要る。このまま国民が都市生活に固執しているうちは生産力は下がりつづけ、不足を補うための輸入とその対価を支払うための外貨獲得すなわち輸出に血道を上げることになる。さらに都市集中から生まれた「地価」という架空の価値のために国民は無駄な労力を常に費やし、その利益は銀行が吸い上げて最後は国外に持ち出されているのである。都市とは金融システムの都合が生んだものである。いまはそれに背いて都市から離れた生き方を模索する時である。


輸出入が減れば株は下落し、失業が増える。しかしそこで農林水産業と工業を援助し雇用を増やすのは国の仕事である。「都市」がその引力を失えばしめたもの、国民生活は逆に向上するだろう。


日本には食糧生産の可能な土地がまだいくらでもあり、また市場の食糧の三割以上が廃棄されていることを考えれば自重することで食糧完全自給は十分可能になる。そして毎日のごとく膨大に排出されもはや行き場を失った不燃ごみとはもとより石油そのものである。日本が資源を大量に輸入せざるを得ないのは資源が無いからではなく使い方を誤っているからである。市場が「使い捨て」を前提としている以上この過ちは繰り返され、いずれ国民も使い捨てにされるだろう。


廃絶すべきは受験を標榜した教育である。その教育を通して体得させられているものは「合理性」のみである。聞こえはよさそうだがこれはただただ資本主義経済に貢献する手足となるための理念でしかない。ようは「金がすべて」という理屈で調教されているのである。すると「金のためなら」どんな非合理も理不尽も受け入れられるよう洗脳されてしまう。すると海外の弱小国あるいは国内の弱者の暮らしを、そして慕うべき朋友の暮らしをどれだけ侵害していても、逆に侵害を受けていてもそれを雄弁に肯定できるようになる。いらぬ戦争へと引きずり込まれてしまうのはこうした下地があってこそである。


絶縁すべきはメディアである。牙を隠して笑顔で歩み寄り、主義主張のみならず善悪の判断までも塗り替えてしまうことができる。世界の街角で民衆が「春」と叫ぶ暴徒と化した。それを煽り戦争を起こしたのも、世界に事実無根の画像を配信し「春」を美化したのもテレビとソーシャルメディアであった。いずれのメディアもその持ち主のために存在するのであって民衆のためではないことを知らねばならない。


今までどおりアメリカに追従することで保身を図るというのであればそれも国としての道であろう。ただしそれは属国としての道である。


日本は独立国として、外交と防衛を自らの意志と手で行うべきである。アメリカが疲弊し国力を失った今がその檻を破る好機である。


国策のアメリカ追従を断ち切るには、「内的な自立」をおいて他はない。それは生活の手段や嗜好にはじまり史観、社会観、倫理観そのほかあらゆる観念をアメリカから押し付けられ、それを「よいもの」と信じ込まされている状況を破壊し日本人としての本来の生き方を取り戻すことである。国の根本である国民一人ひとりがその自立を果たせば政治などは自ずと変わる。



…と、書き連ねるのは楽だが、実現には苦難に満ち、多くの尊い血が流れることも避けられないだろう。そして今日の日本人がそれに耐えられるとは思い難い。なぜなら今や苦難に耐えるための大儀名文が実に怪しいからである。近代以前は「神仏」を畏れ、苦しいことがあろうと「神罰や仏罰」をうけぬようにと非道を避け、それに耐れば「徳」を積むことができ死後には極楽に迎えられるとの考えがあった。しかし現在はそのようなものはただの非合理でしかなくなった。我々が悪事に手を染めぬための縛りは「法律」である。法を犯せば「刑罰」をうける。さすれば「金と自由」を失う。そうならぬためなら社会の軋轢をも辛抱できる。「金と自由」は現代人にとって最も神聖なものであるからして、敵国が「金と自由」をちらつかせて近寄ってくれば苦難に耐える必然性が蒸発してしまうのである。悲しくもそれが日本の現状である。


新憲法、再軍備を語るのであればその根底を為すもの、つまり日本を束ねる共同体意識を見出さなければならない。それには先史から今に至るまでに世界に興亡した国々がいかなる道を歩んだかをよく学ぶべきである。

セキュラリズム 刹那の現世主義 後編

「セキュラリズム―現世主義」というものについて、今回はその後編である。

端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。
これは世界の殆どの国で政策として執られていること、その上でいちばん影響を持つのが「教育」の分野であること、そしてセキュラリズムは世代が進むに連れ教育によって濃縮されてゆくことを前編で述べた。
忘れてはならないのは、セキュラリズムは決して「無神論」でないことである。神は存在するとした上で「神との別居」そして「神の陳腐化」をその目的とする。

厄介なことにセキュラリズムは自覚症状のない病によく似ている。「あなたは病んでいる」と説いたとしても当人が認めないことには治療の余地がなく、しかも当人は至って元気に生きてゆける。しかしそれは社会全体を確実に蝕み壊死へと導く。ではその過程を書いてみるとする。セキュラリズムが浸透した社会とそこに生きる人々はどうなるか。

第一に、理論で整理された判断にのみ理解を示す。数式や統計に表すことができ、さらにそこから予測可能な事象つまり「目に見えるもの」はその存在と価値を認めることができるが、そうでないものには口先で敬意を表することはあっても認めはせず、精神論、感情論などと名づけて価値判断の対象から外す。


第二に、凡そ数量による裏付けがあるものを価値として認め信用することができる。物を価格で評価し、職業を収入でえらび、学歴とは獲得した点数の総量、学校は偏差値と倍率、刑罰は量、保障は額、世相を指数化し、企業を実績で格付けし、多くの著作が流通していれば知識人と認め、多数の受賞があれば権威と呼び、多額の寄付があれば篤志家となる。得票が多ければ与党になる。
つまり、価値を比較検討するためには数量で具体化することが必要となった。言い方を変えれば数値に遮られ内容を見なくなった。

安全、信用、そういった一見して価値の置き所が心の中にありそうなものも例外ではない。たとえば建設現場や工場で取られている安全対策は人の命の尊さや後に残される家族を思ってのことではない。信用を失うことでこうむる損益や支払うべき賠償と安全管理への投資の比較(=損得勘定)である。補償制度が整った先進国ほど作業場の安全への投資が余儀なくされ、それは信用の指標として商品の単価に跳ね返る。逆に途上国では労働者に泣き寝入りを強いることで安価な製品を製造できる。だから先進国は途上国で製造したものを輸入する。が、資源の輸入にしろ、現地生産にしろ、「投資」の一言が先進国による途上国からの搾取に正当性を与えている。途上国の産業がどのような環境下にあるかを見て見ぬ振りをせざるを得なくなる。おなじ搾取を国内の移民に、被差別集団に、後ろ盾のない弱者たちに強いるようになる。が、いつのまにか自らも搾取される側に置かれることになる。

第三に、理論と数量により生まれた信用や価値というものに一人歩きを許し、それを「権威」や「知名度」に成長させてしまう。人はこれに出くわすことで事象の吟味を怠る。思考停止状態のまま社会との関係を続ける。多くの人々の皮膚感覚がここで麻痺を起こす。こうなれば内容は置き去りで権威と知名度だけを追いかけさえすれれば価値にも信用にも接することができる。その指針としての貨幣が活躍し、科学者、知識人、企業、報道、教育という権威の売り手と、買い手である民衆の双方がひたすら市場を膨らませ続ける。しかしそれは貨幣を注ぎ込み、高く売り、高く買わされ、負債を抱え、日々の糧のためとは別の無意味な労働に日の殆どを費やし、頭を悩ませ、気づけば精も魂も尽き果てることを意味する。

教会による民衆支配が暗黒時代と呼ばれた「中世」の全景ならば、西洋による非西洋への侵略と搾取はモダンつまり「近代」そのものといえる。そしてその後に来るポストモダンすなわち「現代」もやはり権威による民衆への侵略と搾取である。中世の、王権とともにあったキリスト教会が民衆の財産と精魂を吸う吸血鬼であったあの時代の相似形がいま世界中で再現されている。違うのはキリスト教が理論に、司祭が科学者やマスコミに、そして神が貨幣に取って代わったことである。アフリカなどの特定の地域ではいまだに中世と何ら変わらぬ暴力支配が続き、剥き出しの武力を行使できない国ではイデオロギーや経済の支配が繰り広げられている。

そうした歴史を現世に輪廻させるのがセキュラリズムである。


第四に、搾取を受ける側に落ち、現代生活に精魂尽き果て疲弊しても人々はそれを認めたがらない。認めることで現世すなわち人生の価値が木っ端微塵に打ち砕かれるからである。そこで自らが信じてきた合理主義や物質主義をさらに援護し実践する羽目になり、同時に自らを癒してくれる何かに縋りつく。しかし来世とは別居したため現世しか意識できず、現世の幸福を実現してくれそうな何かを見出してそれに頼らざるを得なくなる。金品、娯楽、快楽、人間関係、表現、主張、いろいろあるが結局それらが行き着くのが「自由」の言葉である。しかし現代、人の思考と行動を羽交い絞めにするものこそこの「自由」である。

「不自由」がなければ「自由」などは存在しない。そして不自由は権威や権力を背景にした制度によって人が好きなだけ作り出せるものである。つまり民衆が自由を意識するにはそれに先立って不自由の製造がなされなければならない。ならば権力者は不自由の匙加減をする。時に不自由で束縛し、また時に自由を押し付けて懐柔し、慣れた頃にそれを剥奪して恫喝し、そういった支配は古代も中世も今も変わらない。民衆がいくら自由を連呼したところでその敵である権威が存在する間は不自由は消えうせず、況や権威に益々の権威を与え不自由を肥大させることとなる。

自由の追求が可能な領域の限界線とされている「法」と「倫理」はいずれもキリスト教社会のセキュラリストたちによって確定された。この線は越えられないが、この線は彼らの都合で描き換えることが出来る。

第五に、セキュラリズムの出発点はキリスト教会の暴力からの開放でありそこから「近代的自由」が生まれた。しかしこれは最終的に世界の権威と権力が集中する場所つまりキリスト教社会にのみ寄与する思想であり、世界の人々は自由を求めることで知らぬ間にここに貢献させられる。


日本はキリスト教国ではない。しかし憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である。よって我が国の富と生気がキリスト教社会に吸い上げられているのは至極当然の避けられぬ事態である。この受け入れがたい状況が闊歩するのは日本にセキュラリズムがいかに深く染み込んだかをよく表している。

理不尽きわまる政治と社会に異論を唱え立ち上がる人々は必ず19世紀の思想家の名を掲げて、あるいはフランス革命や自由民権運動、日本国憲法の精神を引き合いに出し「本当の民主主義を」、「本当の自由を」求めて熱く語る。しかしそのようなものは決して存在しないことに気づかない。民主主義も自由も所詮はキリスト教社会の発明品であり、世界をその権力下に置くために異常なまでに美化された道具に過ぎないことに目を向けない。民主主義とは、自由とは何かという不毛な議論に時を奪われ上に掲げた五つの悲劇を繰り返す。そして来世への旅支度は手付かずのまま現世での時を終える。

アラブの春、グローバル化、フクシマ、少子化、そのほか題名をつけられない社会悲劇のどれもがセキュラリズムなくしては起こりえない欺瞞と非道である。現世での時をこのように使い果たすのが悲しく虚しいと思わない、あるいは思いながらも仕方なしと受け入れて本当の自由とやらを求め続けてしまうのがセキュラリズムである。



本論は科学と理論を否定するものではない。科学と理論を神への冒涜として迫害した中世に戻ろうという考えは毛頭ない。ただ現世に近視眼的になってはならない、そう申し上げるものである。科学にせよ理論にせよ、これらは現世で隣人に非道を働かないための智慧と捉えるべきである。そこに根拠を持つ民主主義などの政治手法はただの選択肢であり崇高なものではない。そして科学者、識者は物事の摂理を図式と論文で表現することを生業としているだけであり、彼らに万物の創造主であるかの如き権威を決して与えてはならない。
セキュラリズムの罪悪はまず科学と理論を神の替わりに神聖視させたこと、そこで生まれた権威を頂点とする支配構造を創り民衆をそこに縛りつけたこと、民衆に「自由」という得体の知れないよろこびを与え現世での時と来世への畏れを奪ったことにある。

分身の術を使い、筋斗雲を駆って飛び回る孫悟空はこの世に敵なしと思い上がり神になろうとした。「悟空よ、それほどならば我が掌から逃れてみよ」と言う釈迦に、一尺ほどの手のひらから逃れるなどとは笑止、俺様の一飛びは十万八千里、この世の果てまで駆けて見せようと息巻いた。そして幾日かとび続け、この世の果てと思われる五本の柱の立つ処へと辿り着くと、その根元に「斉天大聖」の名を書き見参の証をのこして後を戻る。やれ百万里、二百万里を駆け抜けたと豪語する悟空だが、じつは釈迦の掌の上をぐるりと周っただけであった。
孫悟空は驕り高ぶる人の子を、悟空が証拠にと名を書き残したことは弁証法や因果律をそれぞれたとえ、「釈迦の掌」とは数量と理屈が価値を裏付ける現世そのものを暗示している。その外を包む無限の来世があり、そこでは現世の法など毛ほどの重さもないことを知らなかったからこそ悟空は傍若無人な振る舞いができたのであろう。

日本の中で信仰の話をするのは極めて難しい。それだけ日本はセキュラリズムに侵されているといっていい。まがりなりにも神の存在を認めてきた西洋のほうがセキュラリズムからの脱却の余地があるのかもしれない。日本の場合は前編に記したように来世や神に関わる多くの霊的な概念を皇室神道に結び付けて玉砕した経緯があり、人々は「神」を否定をしないまでもそれを「自然」や「宇宙」と呼んでみたり、「心のよりどころ」などと定義してみたり、また地球外生命体に人類の救済を求めてみたり、とにかく直接認めたがらない。そこには歴史上で宗教戦争を繰り返してきた一神教に対する抵抗、暴利をむさぼる宗教団体への嫌悪、複雑になりすぎ解釈不可となった仏教からの逃避などさまざまな影響が垣間見れるが、いずれにしてもセキュラリズムが現世の周りに築いた塀があまりに高く、日本が「神」を直に見つめることが出来なくなったことに負う。我々がその塀の中でいくつもの手製の神を弄んでいることにもう気づかねばならない。

現世の中に閉じこもっていたのではその現世すら見えなくなるだろう。井の中の蛙が井戸とは何かを知らないのと同様、孫悟空が釈迦の掌の上を得意に駆け回っていたのと同様である。
生きているうちに現世から出ることは無理だが、現世のしがらみから意識を解き放ち現世を見つめなおすことは可能である。

生を受けて魂が宿ったその肉体が朽ちるまでの数十年の時、それが人ひとりにとっての現世である。国家が興り滅びるまでの一時代、それが一つの国の現世である。人が人としての営みを始めやがて地上から消滅するまでの間、それが人類のための現世である。ビッグバンに始まる時空の拡張が終結し、そしてもとの一点に再び集束するまでの時間、それが宇宙の現世である。つまり、意識が肉体や国や地球という媒体に宿ることで生まれる時を現世といい、その媒体が滅びるとともに必ず終わる刹那なるものである。現世での時を終えた人の魂は来世に迎えられ、来世での行き先が天国か地獄かは現世での行いが秤にかけられ裁かれる―多くの信仰で説かれるこのことを拒むかぎり、時が尽き果てるまでセキュラリズムに操られ続ける。セキュラリズムの語源saeculumの原義はやはり「時間」である。そして来世、そこでは時は流れない。日本の先祖はそれを常世(とこよ)と呼んで知っていた。時の流れがないことは「永遠」を意味する。



大海への通い路を絶たれた入り江の如く、来世から切り離された現世は淀み、穢れ、毒を放つ。その毒が時につれ濃さを増しこの酷すぎる現代に至った。
これはひとえに「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ」として現世の善悪を現世の法で裁いてきたセキュラリズムの結果である。現世に生まれた事象の善悪の判断を、同じく現世生まれの科学と理論に頼っていては遠からず己の毒に毒されることになる。カエサルのものは神に還されなければならない。



参照

「自由」について  自由非自在 じゆうはじざいにあらず
            自在非自由 じざいはじゆうにあらず
「信仰」について  キライなことば―「信じる」
「時間」について  とき、とこ、ところ

セキュラリズム―刹那の現世主義 前編

セキュラリズム、「信仰―霊的な存在からの教え」に由来する思考から政治と社会契約上の判断を切り離すべしとする主義主張であり、いわゆる政教分離はこの産物である。一般には「世俗主義」と日本語訳されている。多民族、多宗教を抱えるインドなどがセキュラリズム国家と呼ばれる。

が、そこだけに着目していてはこのセキュラリズムの正体を見誤まる。その発生、背景、そして語源までを辿ればこの矛盾に満ちた「酷すぎる現代」の構造を見ることができる。日本は苦しい国である。それは日本が、日本人がセキュラリズムに染まったため、いっそ染まり切ってしまえばもはや苦痛を感じないだろう、いま日本人が覚える得体の知れない苦痛はセキュラリズムに憑依された部分とそうでない部分が引き裂かれる痛みである。たしかに現代は酷いが中世よりはマシ、いや現代は素晴らしいとお考えの方には尚のこと一読頂きたい。


セキュラリズム(英・secularism)の語源は中世教会ラテン語のsaeculumに遡る。今われわれが生きるこのかりそめの「現世」という意味にして、死後に往くであろうあの世「来世」の対義語である。社会・政治学でいう「世俗主義」とは実はライシテ(仏・laïcité)という「聖職者以外の人間」を意味するラテン語laicusに語源を持つ言葉に当てられた訳である。セキュラリズムの世俗主義という日本語訳は誤りであり正しくは「現世主義」とするべきである。

その場かぎりの至福に身をまかせる態度は「刹那的」などと呼ばれるが、「刹那」とは極々みじかい間のことである。人の一生は長いとも短いともいえよう、どちらにせよ世の営みという悠久を思えば瞬きほどに短い。ひとりにとっての現世はそんな刹那でしかない一生である。それをどのように生きようと世間に迷惑及ばねば「自由」とばかり好きに生き、来世などは自己責任、後は野となれ山となれ…誰も彼もがそう生きて死んだならば、どんな現世になるかは明白である。



セキュラリズムの前夜

暗黒時代の中世欧州、王権と結びついた教会勢力により社会は窒息する寸前であった。「地球」などと言い出せば異端審問をうけ火刑に処された。
天体を論ずるまでもなく教会にカンテラの灯りを点したというだけで「神の与えたもうた闇を侵した」罪を問われて投獄される。病気治療といえば司祭が聖水をかけるという程度、衛生観念に激しく欠けた環境にいて当然のごとく伝染病に罹った者と、その病を撒き散らす魔女の疑いがかけられた者は即ち炎に投じられた。

教会の審理が世の中を動かすことができたのも、ひとえに世の中の善悪・可否の判断がキリスト教に由来していたからである。いや、ただでさえ食うや食わずの民衆に敢えて読み書きすら与えぬ教会は世の判断力を一手に握っていたといえる。民衆はおろか王侯貴族でも教会の言葉を否定することは不可能だった。欧州では当然にこのような社会からの脱却が望まれ、そのためには「キリスト教」の束縛から逃れるしかないという結論に至る。契機となるのは仮想敵であり事実上の脅威でもあるイスラム勢力から流入した「科学」―古代ギリシア人の残した知的遺産を「神への冒涜」として焼き払ったキリスト教徒とは反対にムスリムが「神の賜れし叡智」として暖めた物理学や数学、哲学との再会である。欧州社会はコペルニクスからニュートンに至る数世紀を費やして(現代から考えれば恐ろしく長い時間だが当時の時間の流れはこのようなものであったのだろう)事象の可否を経験と因果性により論証するべきと結論し、判断を神学に委ねることから離れた。当初は激しい抵抗を見せた教会も次第にそれを認めこの流れは後のルネッサンス運動へと繫がることになる。

ここまではキリスト教会の暴力に喘ぐ欧州社会の切実な必要によるものとして一応受け取ることが出来る。しかしその先が悪かった。教会が科学と和解するためにはそれなりの見返りがあったはず、この運動を教会がなぜ受け入れたか。


まず教会が勢力を保てなくなっていた。重なる十字軍遠征の失敗とそれに伴う農村の荒廃、欧州の土から吸い上げるものは尽き、目はいやおうなしに外を向いていた。力学、数学、つまり戦争と増産の技術というものには総身が疼いた。現世に有用なことは教会にも魅力であった。

教会は何とか権威を維持しながら科学を社会に認める口実を聖書に求め、見出した。

イエスは言ひ給ひて曰く 『さらばカエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ』 ルカの福音書 第20章25節


この世の富と繁栄、その所産の名声や権力も含めた物質的価値を「カエサルの物」になぞらえ、それは現世に納める(=帰属する)。対して神の御心に適うことで得る霊的・精神的価値は「神の物」であるとし来世に納める。それを互いに侵すことなかれ、福音からこういった解釈を導いた。
現世は神の領域に在らずとする大義名分、ここにあり。

本来のイエスの教えによれば、さらにモーゼもムハンマドも同じく説くところによれば現世を統治するのも人の子ではなく神である。それを無視している以上この引用は福音の意図的な悪用である。また現世とは来世(天国ないし地獄)のための修練の場でありこの二つの世界は最後の審判をはさんで確実に連続するという教えを知りながら、それを分断して現世と来世は並行して別々に存在するという思考へと人心を導いたのがセキュラリズムである。つまり、「神との別居」である。


そして夜明け

セキュラリズムという名が与えられたのは近代を迎えてからであるが、それに至るまでは特に形のある思想ではなく今も一言で定義するのは難しい。「神との別居」を目的としたあらゆる努力が神学者と科学者、聖と俗のそれぞれで行われた末に近代が生まれたとも言える。
まず13世紀の神学者トマス・アクィナスが神学の立場からセキュラリズムの土台ともいえる観念を引き出した。それによると創造主たる神の「永久の法」のなかに含まれる被造物たる人間が、その理性に由来する独自の「自然の法」を分有すると説いた。神中心の無限界の中に人間中心の領域を設けたのである。その領域では1+1が常に2であるように理論・視覚・経験の上で整然とした法、つまり科学や論理学に則る法則が求められた。そこでは科学と論理で証明できないものはその存在が認められない。よって神も存在しない。その領域の支配者は人間である。トマスによって科学は市民権を得たといえる。
トマスの後、イエズス会の「努力」で世界中に大学が設立された。科学、そして修辞学(言論・演説に関する学問)が広く学ばれ科学者と思想化が次々と輩出、ニュートン、カント、マルテス、マルクス、ダーヴィン、ウェーバー…科学者たちは神の領域を侵すことなく人間の領域の法を整える。そして思想家たちは神の干渉をうけずに「倫理」を確立、科学の擁護を展開した。
それが物質主義や合理主義、そして後に資本主義、個人主義、民主主義などと呼ばれるものと発展しセキュラリズムの遺伝子を世界に、未来に拡散した。

神を完全否定するアテイズム(=無神論)とは違い、セキュラリズムが敢えて神の領域と人の領域を分けたにとどまり神の存在を否定してはいないことに注意すべきである。これならば神の領域を侵さずに人の領域の運営に集中できることがひとつ。ふたつめに、信仰を科学に目覚めぬ暗黒時代の因習として軽視・蔑視の対象に据えることで人々を現世に没頭することへの罪の意識からほぼ開放したことを挙げられる。これは、「神の陳腐化」である。


対イスラーム戦略

「神との別居」の出発点がイスラームとの攻防であったことを先に記した。その後も欧州がなぜイスラームと敵対したかは、物質主義や合理主義、そして金利の理念がイスラームの教義に反するそのためにキリスト教徒がセキュラリズムを通して立ち上げた資本主義経済網を富の溢れる東方に拡大できなかったことに拠る。現世と来世が連続しているとする一神教本来の教義を強固に持ち続けていたイスラム教徒を「どうにかする」にはセキュラリズムを感染させるのが唯一にして最も効果がある、と欧州は悟った。

東ローマ帝国を滅亡させ十字軍を追い返し続けたオスマントルコ帝国がどのように解体されたかは過去の記事で触れたとおり帝国内の民族主義を煽られたことによる。その後にふたたびイスラームとしての統合や団結が叶わなかったのも、帝国から独立したアラブ諸国・バルカン諸国そして新生トルコ共和国に「世俗主義政府」がそれぞれ打ち立てられ政治の領域からイスラームが駆逐されたためである。およそ独立国としての技量にかける新生国を裏から無理に支えていたのはもちろんイスラームによる結束を阻む欧州である。
新生世俗国家の教育はセキュラリズムを徹底し、信仰ゆえに抵抗を見せる学生は冷遇され社会の下層に留まることが強いられる。そうして信仰が貧困と暗愚の象徴になる。逆に上層、とくに政治・司法・教育界に参入できるのは優等生として出世街道を進んだセキュラリストのみとなる。こうなれば自動的に「神との別居」と「神の陳腐化」が国家単位で進む。セキュラリズムの遺伝子からなる民主主義は「信教の自由」を高らかに謳うが、嘆かわしくはこの欺瞞に気づく者が無いに等しいことである。


日本とセキュラリズム

世界中の国々を資本主義経済の網に取り込むためにはその国ごとのセキュラリズムの移植が不可欠であり、もちろん日本も例外ではなかった。
黒船でやってきた西洋人の碧い目には日本人と別居させるべき信仰が何なのか不明瞭で、当の日本人も実はよく分かっていなかったことが予想できる。日本共同体の土台となっていたものはいわゆるキリスト教のように体系付けられた信仰ではなく、自然の摂理の向こうにある不可視な世界への漠然とした畏怖心であった。誰かひとりの不心得が疫病、ひでり、嵐、不作などを以って共同体全体に跳ね返るとし、そして子孫は現世で生きる場を失い、黄泉の国の先祖は苦しむ事になる、そういった意識であった。だからこそ潔斎して生きることを心がけ、生きる場である共同体、つまり現世を穢さぬよう勤めたのである。わが国でのは神道や仏教ですら根底のこの意識の上にただ腰掛けたものだったと考えられる。この様相は西洋人には簡単には理解できなかったのであろう、彼らに言わせればこれはある種の「倫理」であり「信仰」の定義からは外れている。

それでは日本にセキュラリズムはどのように入り込んだのか結果から検証する。
あくまで「巫(かむなぎ)」の頂として神の意思を政治に反映させる存在であった天皇が、大政奉還後、お雇い外人の書いた大日本帝国憲法により「現人神」として祀られたことの意味を考えてみなければならない。具現的な信仰の対象をもたない日本人の前に「神」としての天皇が降臨した。異国人に踏み込まれ動乱する国の中でそれは救世主のごとく鮮烈であり、それまでの日本に残る精神遺産―史観や風習や道徳観―の多くを天皇と神道に結びつけ、恭順し、寺は廃され、神社は祀神を変えられ、日本には天皇中心の社会が始動した。

もしかするとだが、「国家神道」はセキュラリズムを浸透させる目的で設計された信仰だった可能性がある。ためしに上の文を少々変えると次のようになる。

「あくまで「預言者」として神に預けられた言葉を人々に伝える存在であったイエスを、その昇天の後、使徒パウロが突然「神の御子」と宣言し、共通の信仰対象を持たない多神教徒の集まりであったローマ帝国市民に「神」としてのキリストが説かれた。ローマ人がそれまで多神教の神々に求めていたもの―救世主、大地母神、犠牲、再生―をキリスト教に結びつけ、熱狂し、ローマの神殿と神像は破壊され、地中海一帯にはキリスト教中心の社会が始動した。」

キリスト教がローマの国教に採択されたのはローマの政治支配と軍事力拡大を目指した民意の統制という背景がある。「国家神道」をキリスト教に、「天皇」をキリストに重ねればここに相似形を見出すことができる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との大日本帝国憲法による「法定」は四世紀のニカイア公会議にて「イエスは神の御子」であるという審理に基づく新約聖書と同じ臭いがする。彼ら西洋人は自らの歴史をよく識る者であり、それを外に対してどう利用するかを心得ている。

明治新政府が推し進めた殖産興業と富国強兵は国民に合理主義と物質主義、つまり近代思想を刷り込むことで成立した。そこで活躍したのが欧州で近代主義の洗礼を受け日本に啓蒙した知識人たちである。近代化の障害となる非合理な、されど古き良き在来の精神世界は知識人たちの罵詈雑言にて萎縮する。居場所を失った日本人としての生き方、日本人の意識や誇りは皇室という万世一系の神の系譜に集約される。その後は近代というものの中身を吟味する余地もなく、日本人のひたむきで疑うことを知らない気質が手伝い、追いつけ追い越せとばかり自らを駆り立てて近代化が進められたといっていい。忠孝心、愛国心、畏怖心、そういった意識は天皇とともに空高く舞い上がり、そして敗戦をうけて撃沈、昇天し現世から切り離された。そして現世は戦後という時代を迎えるが、そこに残るのはかつて知識人たちに因習そのものと定義された脱ぎ捨てる対象としての過去、そして輝ける近代思想に裏付けられた未来への期待であった。日本にはこうしてセキュラリズム=現世主義が定着した。疑いなく、我々は尊いものと引き裂かれた。

戦争やクーデターがおこり、国民が自失状態に陥った後などにセキュラリズムは浸透する。その効果を長続き、いや恒久化させるため、セキュラリズムは教育に埋め込まれるのが常である。
社会の細胞は個人である。個人の確立は「教育」と「教え」に作られた下地に実社会での経験が加わることで起こる。非道を働けばどうなるか、「教育」では法で裁かれ牢に繋がれると言い「教え」では神や仏に裁かれ地獄に落ちるとされる。「教え」つまり信仰を現世と絶縁させておけば地獄は不安材料にはならない。現世での不幸を「生き地獄」と比喩することはあるがそれは自分よりもむしろ他人の非道によることが多くやはり来世への畏れにはつながらない。ならば騙されるよりも騙すほうが得をする、もちろん現世での法の範囲では。また善行を行えば来世で天国へ迎えられるという教えよりも、善行の見返りには現世で名声や信用を得るとする教育が上に立つ。現世での罪への歯止めや善悪の根拠は「教育」へと傾き、そうした社会で経験しうるのは受けてきた教育の確認でしかない。この循環の中で来世は忘れ去られ、人の意識は有限な物質界である現世でのみ生きる。限りあるゆえに人は競い合い、奪い合い、騙し、謗り、罠と禍を仕掛け、傷つき、魂を穢し合う。しかし人はなぜかこの生き地獄を「自由」と呼ばされ崇めている。


セキュラリズムが世に与える苦痛とはなにか、なぜそこから脱却しなければいけないか、出来るのだろうか、そしてその術は、セキュラリズムと「自由」の関係は、それは次号後編に続けるとする。やや余談になるが以下に世間ではよく知られていながら議論には殆ど上らないことを記して前編を閉じたい。


GHQによって焼却処分されところであった靖国神社はローマ法王の口添えによりそれを間逃れている。こうして禍根としての靖国は残り、少しでもつついて揺さぶれば国論と国際世論を刺激し常に日本の外に利益をあたえる。現世の利益のためなら霊を来世から借用してでも悪用するというセキュラリズムならではの手法を以って、「靖国」は「エルサレム」と化した。禍根は残るものではなく、残すものである。

これでもアサドが好きですか?

アラブの春は情報戦争と化してしまった。とくにシリアは大国による二重、三重の情報操作に撹乱されたソーシャルメディアの利用者が趣味や娯楽と履き違えた論評を好き勝手に行い続けるのをよそに泥沼、いや血の海と成り果てた。
各国政府と大手メディア、人権団体と国連等国際機関の評価はアサドを断罪する動向、逆に市民の意思を代弁する(かのように誤解されている)ソーシャルメディアはアサドを支持している。

混乱を避けるために先に結論から書けば、この極悪非道の頂点にいるのは国際社会である。アサドは実行犯であり、国連やEUは悪事の黒幕の中に座していながらアサドを独裁者として非難している。国際社会とメディアの欺瞞に辟易している世界市民はマスコミに騙されるものかとの思いから逆説的にアサド擁護に走った。市民は「敵の敵は味方」という短絡した理論に嵌まったといえる。
裏の裏が表であるのはオセロ板の上の定石でしかない、そんな単純なことが解らなくなるほど人の心が摩滅していると、そう思わざるを得ない。


以前から「阿修羅」という投稿掲示板にこのブログの記事を投稿している。そこには「政治板」「原発板」など多くの選択肢がありどこに投稿するかを記事の内容によって選ぶのだが、筆者はめんどうくさいのでいつも「雑談板」にお世話になることにしている。でもたまに「戦争板」に投稿したりする。

上に記したことを指摘するため短い記事をブログに書かずに直接戦争板に投稿した。内容は、内戦の続くシリアでこの20日、国防軍の軍属の一人がアサドによる市民への非道を写真とともに告発したことについてである。その投稿文と映像のリンクを以下に転載する。続けてその投稿に寄せられた質問と意見への筆者の回答を、煩雑にならぬよう質問文は省略し細切れの回答文を編集し載せるものとする。
ただ、映像はやむなく添付したものであり、なるべくなら見ないことをお勧めしたい。残忍なものであるし、こういうものを見慣れてしまうことは確実に人間性を浪費させるからである。


これでもアサドが好きですか?

http://www.youtube.com/watch?v=c0S6rG6pelA
この罪悪を許すか許さないかは神の領域であり、人は関与できない。
しかし看過することは罪悪への供与であり、加担であり、同罪である。
日本ではなぜかシリアの殺人鬼バシャル・アサドの人気が高い。
それはアメリカへの敵意、イランへの同情心、プーチンへの憧れが入り混じることでおこる混迷であることを指摘した上で、日本人が陥った落とし穴であることを断言する。
この写真はシリアの従軍警察官の撮影した、シリア国防軍による拷問と飢餓により死亡したシリア市民である。罪の意識に耐え切れずに二年間にわたり写真を海外に流出させ保存したものであると報道されている。保存先は国連関連の研究所であり、当然国連の目にも二年前から触れていたことになる。

合成写真かどうか、好きなだけ議論するがいい。
反政府軍の自作自演であるかどうかを好きなだけ詮索するがいい。
反政府軍が空軍機で村を、町を爆撃できるかどうかを気の済むまで討論すればいい。

それでもアサドがすきですか?

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コメントありがとうございます。すべてにお答えできるよう、少々長くなりますがひとコマで書かせていただきます。
まず「アサドが好きですか?」という題ですが。

シリア問題に限らず中東問題に関しては日本はあまりに情報不足で、なにより石油の輸入以外にはほとんど無関係の地域での事件であるために事実を知る必要さえないのが現状です。しかし非道に対する怒りは当然存在し、そこで前に出るのは近代主義的な(西欧的な)正義感・倫理観による短絡した判断と経済先行型理論で、いくら中東情勢評論家たちが分析の真似事をしてどっちが正しい正しくないと書きたてようと、そこから生まれるのは結局「好きか・好きでないか」という程度の幼稚な議論です。「アサドが好きですか?」とやや恣意的な言葉を使ったのはそれに対する問題提起です。

アルカイダはイスラム原理主義とは何の関係もありません。ゴロツキどもを集めて銃を与え「神は偉大なり」と叫ばせているだけです。
原理主義とは危険思想保持者という意味で使われがちですが、本来「原形」という意味です。イスラム原理主義とは預言者ムハンマドの時代のイスラームであり、スンニもシーアも教義の上では差異はありませんでした。シーア派が定着した地域、古代ペルシアの多神教の土壌が後のシーア派の体質を創りました。
シリア内戦にあまり宗教色はありません。シーア・スンニの対立はあくまでイスラームの荒廃を狙う欧米の画策です。信仰とイデオロギーを取り違えた場合こういう罠にかかります。
アルカイダの存在理由など私が書くまでもありませんが、要はアルカイダの行動が確認された地域には米軍が、国連軍が、NATO軍が侵攻する権利が発生してしまうわけです。こんな便利な組織があるでしょうか。

シリアに欧米が攻撃できなかった理由は、トルコのエルドアン首相が空爆を阻止するため徹底的に反対したからです。トルコが陸軍を出すから空爆するな、と。こうして欧米多国籍軍による無人爆撃機の無差別攻撃は出る幕を失いトルコも陸軍を出せなくなりました。陸軍が出ることで内情が表沙汰になると困るのは虐殺を繰り返すアサド、そして黒幕の欧米です。

アサドの父、ハフィズ・アサドはソ連に教育・援助された独裁者です。クーデター、検閲、拷問、虐殺に関する技術をソ連から授与されました。そして一方で英国と繋がり立場を強化し世俗国家シリアを独裁しました。それに反抗するムスリム同朋団を一掃するために1982年、父アサドは暴動を扇動し数万人の自国民を虐殺しました。それ以来のシリアは緩い世俗国家として国民は比較的「自由」に生きてきましたがその実は厳しい監視・密告・情報規制社会に怯えていました。政府批判をしようものなら即投獄です。アサドが国民の支持を受けているという解釈はここに根源を持ちます。支持者とはアサドが怖くて批判が出来ないか、イスラームを捨てて自由享楽に浸って生きることを選んだかのどちらかです。

アサドを支持するかしないかはシリア国民が決めること、そのとおりです。しかしこれは内戦が始まる前までの話です。逮捕者に食料を与えず、拷問を加え、餓死するまで放置する。この手口を看過するか、しないかはシリアだけの問題ではありません。

リビアの春がシリアに飛び火したのはアルカイダの工作です。もちろんアサド政権も反政府組織のあぶり出しの好機として喜んで活用しました。地下活動を続けていたムスリム同朋団とそれに近い組織は否応なく決起します。そこへ、近隣国の支援を得たゲリラ組織が蝿のようにたかり出し内戦と化しました。反政府ゲリラを捕まえてみたら外国人の傭兵だったなどの理由はこのあたりで、これがアサド政権を正当化するために利用されています。

昨年のいわゆるトルコの春はエルドアン政権を憎む欧米の画策でしたが失敗に終わりました。失敗の理由はいろいろありますが、一番はエルドアン首相の背筋が曲がっていないこと、そしてトルコ国民の愚民化がまだ足りなかったこと、欧米の手先の野党があまりに無能だったことが挙げられます。
エルドアン首相はシリア国民を援護し、難民を数十万人トルコに受け入れ、またトルコの非政府組織も物資の供給などの援助を繰り返しています。ただしシリアとは800キロの国境線を共有しており自国民をアサド政権およびその息のかかったゲリラから守る義務から防衛活動も当然行います。それを指して「トルコとシリアは戦争状態」というのはあまりにぬるい表現としか言えません。日本はそんなに平和なのですか?

アサドの抱える国防軍が攻撃しているのは罪のない市民です。イスラエルがゴラン高原に侵攻した際に土地を失ったパレスチナ難民がシリアにおり、彼らも攻撃の的になり、食料が届かず、骨と皮だけになって死んでいった子供たちが大勢います。転載した映像も、その対象となったのは一人や二人ではなく一万一千人であり今この瞬間も虐待が続いています。これがシリアの春といわれるものです。
欧米主導の新世界体制が築かれているのは中東も極東も同じです。中東は対岸の火事ではありません。

アサドと国が一丸となってシオニストと戦わなければならないときに自国の力を減らし、自国民を殺して何のメリットがあるのかという問いについてお答えします。
まず、アサドはシリア人でありイスラム教徒という建前ですが、彼はイスラームに対する敬意も信仰心も少しも持ち合わせていません。またシリアという国、そして国民は私物として認識しています。アサド自身がシオニストであるかどうかは確認のしようがありません。が、おそらくそうでないとしてもシオニストたちの画策に加担し中東での権威拡大の好機を狙って漁夫の利を得ようとしていることは確かです。シオニストたちはイスラームの崩壊を切望しています。しかし信仰心のないアサドにしてみればそれはどうでもいいことです。中東は国という枠組みでは何一つ動きません。

アサド側の国防軍は市民ではありません。アサドの命令でいかなる行動でもとるように訓練されています。シーア・アレヴィー派であるという(教義ではなくあくまで)血縁的な縛りもあります。また特権階級であり一般市民のことは動物同様に考えています。

皆様の最大の誤解を指摘させていただきます。

反政府軍は反政府連合ではありません。それぞれ意識の違う小さなゲリラの複数形でしかなく、共謀も同盟もありません。数の上で一番多いのはアルカイダに代表されるプロパガンダ組織であり、無差別な破壊行為を行いその映像がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、「アサドの愛する国家と国民」が外国勢力から無体な攻撃を受けているとのプロパガンダを信じ込んだ人々がアサド擁護をしています。あなたのことです。
また、一般市民はただの巻き添えであり反政府組織との混同は厳禁です。政府軍の空軍機からの爆撃により市街は壊滅し生活基盤を失い、救援もなく、彼らはただ飢えに苦しみ餓死と背中合わせで暮らしています。

「アッラーフ・アクバル=神は偉大なり」はアラブ系の人々の一日のうちでもっとも多用する言葉です。いいにつけ、悪いにつけ、とにかくこの声を発します。映像の中で反政府軍がアッラーフ・アクバルとしか発していない(ように聞こえる)のは非シリア人であるために言葉がわからないからではありません。シリア人の言語はアラビア語であり、中東の殆どの人種が使うのがこのアラビア語であり、たとえばリビアから、チュニジアから、サウジから流れ込んだプロパガンダ組織のゴロツキどもも信仰心とは無関係にアッラーフ・アクバルといい続けます。もちろんイスラム教徒の残忍さを強調するために「アッラー」と叫びながら暴行を繰り返す映像を意図的に撮影したでしょうし、実際流通しています。逆に政府軍と見られる男が市民の頭に銃をつきつけアサドの肖像に接吻させる映像もあります。なんでそんなものわざわざ撮影してソーシャルメディアに流すか考えれば簡単です。情報戦争において映像は撹乱でしかないということを皆が気づくべきです。


反政府軍に子供を殺され政府軍に助けをを求めるという女性のアラビア語と字幕の英語や日本語との整合性を考えたことがおありでしょうか?
米国という国は国家予算を投じて映像技術やマインドコントロールや集団煽動術を研究していることをお忘れなく。

シリア軍に限らず、どの国の軍部にも反政府体制が潜んでいるのが普通です。それに発破をかけるのは海外からの協力者です。また、世界の多くの軍国政府は自国の軍部を制御するのに手を焼いていますが、こうした造反を反政府的思想保持者を一掃する好機として使うことがよくあります。自由シリア軍は国防軍からの離反者たちが結成しましたが、その時期は欧米がリビアに介入し終結に向かった頃です。「アラブの春」自体が西欧の画策した中東新体制構築の一環であることを考えれば自由シリア軍の結成もまた西欧が一枚も二枚も噛んでいたことの現われです。
自由シリア軍の構成員の信条(愛国心・信仰心)とその結束力はどれほど硬いものかは疑問です。アサドが離反者を許すなどということは皆無です。

シリアの惨状は昨日今日の話ではありません。そして国際社会はそれをを「知っていた」のです。少なくとも、写真流失がはじまったとされる二年前からこの拷問、餓死、遺体への辱めの事実は国連をはじめとする国際機関は知っていながら見ない不利をしているのです。国連が人道と国際平和のために作られた機関であるなどということをいまさら信じる人もいませんが、この社会は写真等物的証拠とそれを審議する司法機関、そしてそれにお墨付きを与える国連の縛りから抜け出せないのです。そして国連をはじめとする国際的に法権威を持つ機関は英米イスラエルの手にあります。

写真を撮影させたのはアサドです。流出させたのもアサドかも知れません。逆らえばこうなる、との暗喩かもしれません。

アフリカで飢餓に苦しむ子供たちの写真は見慣れてしまいました。こうして拷問死したイスラム教徒の写真も見慣れてゆくでしょう。ソーシャルメディアを通して共有される画像は捏造であろうとなかろうとその残忍さだけは変わりません。そうして国際社会は残虐・非道に「不感症」になり行くでしょう。もっと近いところでこの非道を目の当たりにしても正視できてしまうでしょう。しかし人間ですから潜在意識の中に恐怖は残ります。その恐怖心を刺激されることで、われわれはより制御されやすくなるでしょう。
しかしその状況から目を背けることはもう不可能です。心して見るべきだということを申し上げる次第です。

化学兵器は何だったのか。化学兵器は使用され、市民が被害を受け、国際社会が騒ぎ立て、化学兵器は残忍だが普通の爆弾は残忍ではないのかという議論には決してならず、他国が処理費用を負担してアサドがその費用を丸儲けしました。


国民も国の行く末も糞食らえで、国家シリアとしての権威拡大などは鼻から眼中になどないでしょう。アサドがシリアという国を母国とも何だとも意識してないからです。アサドは新世界体制というものに意識を移し、つまり中東一帯の地図は西欧の手によって一新され、その舞台の上で何らかのおこぼれ(=漁夫の利)を頂戴するぐらいしか考えていないでしょう。ロシアと組んで起死回生を狙っているとは考えにくいです。

子供を失った母親ほど不幸な存在はないでしょう。それにあれこれ注釈をつけるのは私自身も気が引けますが、その心理も利用されています。映像班は必ず母親を利用するのです。ただ例の母親は間違いなくアサド支持層の裕福な世俗家庭の女性です。それ以外は何も申せません。

カダフィーは見せしめお為に殺されました。彼は元は英国のエージェントでありそこはアサドと似ています。カダフィーの場合とちゅうで覚醒して国家主義に転換したためにああいった最後を遂げました。アサドも英国で養育を受けています。
シリア転覆を狙い行動を起こしている組織の多くはのはシリアの明日のために戦っているわけではありません。それぞれの利益のため、あるいは傭兵としてです。ただその中にイスラム同胞団のように強固な信条の元に戦う集団もあるので、それが事を複雑にしてしまっているのが現状です。
「アラブの春」の指揮者である西欧は混沌を、そしてその混沌の末に西欧主導の新体制を築くことを求めています。アサドがどうのといっている場合ではないのです。


BBCやCNNしか情報源がないのであればいっそ見ないほうがよいでしょう。
「信用にたりる情報源」、そんなものはどこにもないのかもしれません。昨日まで全うな報道をしていた局が明日にはひそかに買収されることなど日常茶飯事になりました。さらにソーシャルメディアなどは自分に似た意見の持ち主との馴れ合いの場であり、さらに実は電網の持ち主である英米に洗脳されるための道具でしかないことを、私はもうずいぶん前から指摘しています。
質問をいただいた、「詳しいブログ」などというものも所詮は執筆者の主観の範囲を出ませんし、私の意見もその一つに過ぎません。私の意見が絶対正しいなどとも申して降りませんし、それは誰にもできないことです。

事実を知り得るのはもはや神のみです。しかし皆さん、どうか事件の行間を読む訓練をなさってください。目の前に突きつけられた映像も、写真も、その裏にはあらゆる意図が隠れています。異なる情報をいくつか並べてみれば、運がよければ何かがわかるかもしれません。そのためには偏見や利己を捨てていかなければなりません。今のままではみすみすメディアの食い物になり新世界体制の歯車にされるのが関の山、次世代にひどい世界しか残せないことになります。それを食い止める必要があると主張しているのです。


次元の低いコメント応酬はまだ続いている。http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/371.html

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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