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学問のすすめかた

日本の教育がどういうことになっているか、今となっては想像するほかないのだが。

トルコ人の主人と所帯を持って以来、そして子供を授かってからもトルコに住んで子供たちをトルコの学校に通わせることに何の疑問も抱かなかった。日本の学校教育に対する失望のあらわれだったとでも言おうか、今でこそ失望の所在を言葉にできるが若かった頃の自分にその術はなく、気がつけば三人の息子たちがここで学んでいた。

筆者の長男は高校一年生、家から少し離れたカイセリという地方都市で寮生活をしている。矢継ぎ早に試験があり、いつも夜遅くまで勉強しているという。
日本のそれに比べてトルコの教育がそんなに素晴らしいか、決してそのようなことはない。「受験」という名のもので振り回し子供時代をむだに忙しくする以外、意味はない。

より良い職に就いてより良い暮らしを手に入れる、そのためには良い教育を受けなければならない、そこまでなら間違いではなかろう。が、そのために競争を強いられ勝者と敗者が生まれるのではすでに間違いだ。なぜなら勝敗を決める側の人間に都合のよい世の中をつくることが出来るからだ。
子供のころの筆者は何度か引越しをしたためにそのつど学校がかわった。すると自分を取り巻く環境もかわり、成績や評価が変わることに気付く。前の学校でドンジリでも今度の学校では優等生、自分は同じなのにである。おかげで周りのだれかと競争をして成績という評価を得ることの無意味さを早くから知ることができた。人とではなく、自分と競えばそれでよいではないか。


トルコでは学校に必ず「トルコ建国の父ケマル・アタテュルク」の銅像を、教室には肖像を置くことが義務とされている。このアタテュルクはトルコの近代教育の父でもある。

                atatürk



第一次大戦に敗れたオスマン帝国は西欧列強により割譲され支配を受けた。彗星の如くあらわれたアタテュルクが軍を率いて列強を押さえ、独立を勝ち取りトルコ共和国を建国したのが1923年、その後アタテュルクは西欧諸国と肩を並べるために様々な改革に着手した。それまでのアラビア文字を廃しローマ文字が導入され、都市にも農村にも学校かつくられた。小学校で自ら読み書きを教えるアタテュルクの写真は子供たちの教科書に今も必ず載っている。

                           ata


つい最近までこの国の子供たちは学校で何を習っていたか、アタテュルクの生涯、独立戦争、トルコ共和国の歩み、などである。西暦、メートル法、人権、民主主義、「新しく、すばらしいもの」はすべてアタテュルクを通してもたらされたという。アタテュルク以前は原始時代と同じ扱いかそれ以下で、帝政が布かれていたころは世襲制による恐怖政治が行われ文盲であることを強いられた民衆は餓えと恐怖の中で生きていたと、それを救ったのが近代思想と民主主義であったと、それは皇帝を追い出したアタテュルクによって国民に与えられたと教わっていた。

「アタテュルク」を日本語に訳すと「明治維新」になりはしないか。

新生トルコにとって近代化を阻むものは「信仰」であった。なぜなら、オスマン帝国の大義名分はイスラームの庇護にあった。政治も法律も教育も経済もすべてイスラームによるものであり、イスラームのためのものであった。民衆のイスラムの神に対する信仰心を破壊しないかぎりは「アタテュルク」を神格化できなかったからである。
近代国家である以上は信仰の自由を認めなければならない。禁教のかわりに行われた様々なイスラム蔑視は教育の場にも持ち込まれた。

「アタテュルクと預言者ムハマンドが川で溺れていたらどちらを助けるかい?」

教育省から学校に派遣される監視員が小学生にこう聞くと、子供たちは「アタテュルク」と答えねばならなかった。さもなくば担任教師と校長が処罰され、それから逃れるには子供たちにそう教えるしかなかった。保身のためのアタテュルク至上主義教育がいつしか常識と化すにはさほど時がかからなかった。

ハリス


半世紀ほどのずれがあるものの、明治維新とトルコ建国の背景、そしてその後の道はあまりにも似ている。日本には一神教の国にあるような明確な「神」はいない。しかし我々にとってのその存在は先祖であったり、山や海、大岩の内に見出すことのできる自然の秩序であるといえる。その仲立ちをしてきたのが祭司そして神社であった。明治新政府が国家神道の名のもとに推し進めた神社合祀はトルコにおいてのイスラム阻害と同じ目的を持つ。心のよりどころであった神々は「整理統合」され、このさき何を信じるべきかは尋常小学校でしっかりと教えられた。

日本人と、先祖から受け継いだものとの間に亀裂が走った。その後は音をたてて崩れていった。

「文明」という服を着た近代思想は格好がよく洒落ていたのですぐに歓迎された。だから近代思想とは一皮?けば暴力と軍事力にものを言わせて好き勝手をする「戦争屋たちの理屈」にすぎないことに気付くものはいなかった。いたのであろうが、いないことにされた。文明開化の演出をしたのは福澤諭吉とその仲間たちであった。

                  学問のすすめ
       

現代トルコ語の中に存在するアラビア語・ペルシャ語の語彙は英仏の外来語にとって替わられれ、今では外来語なくしては会話が成り立たないほどになった。そのため人々は生活の規範であるクルアーンを読めなくなり、読めたとしても意味が汲めなくなってしまった。若くとも敬虔な信者たちは社会から抹殺された。実際には投獄や拷問による獄死も横行していた。教義にのっとり髪をスカーフで隠した女性は職に就けず、大学には入試すら拒まれた。高校は普通科の他に職業(商業・工業・宗教)高校があり、職業高校を出た学生は大学受験が不利になるよう入試の際の得点を割り引かれた。


近代思想の崇高さは叩き込まれたものの、近代思想とは何なのかは誰も理解していなかった。


ここまで露骨にイデオロギー教育がなされていれば多くの者がおかしいと思うはず、トルコにとって結局はそれが救いとなった。9.11テロが契機となり西欧主導の近代思想の馬脚が見え始めると、それまで口を閉ざし、目を閉ざし、息を殺していた者たちがようやく立ち上がった。
独立後90年間この国の舵取りをしていた旧政権は倒され新政権は膨大な矛盾の解消に着手し、もちろんその筆頭には教育があった。国を貶める歪んだ歴史教育を廃し、近代史の年表とアタテュルクを讃える詩を暗記させるのみの指導法は通用しなくなった。

ここまで順調に進んだことは評価するべきである。が、その先は簡単ではない。むしろ教育があさっての方向に歩き出すおそれがある。

なにしろ近代史の年表とアタテュルクを讃える詩を暗記させるのみで事が足りていたのである。
生徒の前で威張り散らすだけでも給料と年金を保証されていた教育者たちは政権が変わったぐらいでは変質しないのだ。例えば中学校の社会の教師はアタテュルク史以外は知らなくて当たり前、試験で問われるお決まりの項目を繰り返していればよかった。それが急に古代帝国の興亡からオスマン帝国の足跡、地理史まですべて網羅せねばならなくなり、生徒たちの成績という形で逆に自らたちが評価されるようになってしまった。他の教科も状況は同じ、大混乱である。
教師たちが不名誉を免れるためにやることといえば、生徒の尻を叩き、競争させて点数を取らせる程度、子供は被害者のままだった。「競争原理」が加わったことでさらに悪くなった。


高校はもはや大学受験の予備校としか捉えられていない。では大学は何の予備校なのだろう、トルコにはこんな諺がある――利口な子には仕事をさせろ、馬鹿な子は学校にいかせろ――。


敗戦し、西欧列強によってたかってむしりとられている最中のトルコに突然現れたたった一人の軍人が本当に国を独立に導くことができるのだろうか。戦費をどこでどうやって調達したか、愛国心だけで勝てるのか、そんな事を考えさせないためには考える力を削ぐのが一番早い。そのために教育が、学校がある。
ともあれ一足先に誕生していたソビエトと、中近東とヨーロッパの間に位置するこの国の、かつての西欧寄りの政治を見れば盾として使われてきたことは明白である。

ソビエトの誕生も日露戦争が大きく関わっていた。本当は資金などなかった日本に戦費を融通してまで開戦させたのはアメリカのユダヤ人だった。二つの大戦に参戦したのも戦後の復興も外から仕組まれててのことだった。学校はそれを知らしめぬためにある。


いま、ともに教育を含む改革を叫ぶ両国で、このさき競争原理から踵を返し人の世をつくるための政治に立ち戻る可能性のあるのはトルコであって日本でではない。改革の骨組みが違いすぎるのである。近代思想が踏み砕いたものをイスラム回帰によって繋ぎ合わせているトルコに対し、目先の不満にとらわれて指導者を乗り換えつづける日本が同じ失敗を繰り返してしまうのは当然である。先祖たちが築いた共同体の根底にあったもの、自分たちに流れる血の中にあるものを見据えてゆかない限り不毛である。そうでなければ一つの国が国として成り立つはずもなく、政治屋たちの醜い争いの泥をかぶるだけで終わるだろう。国旗や国歌を道具にして改革を謳う輩には特に気をつけなければいけない。なぜなら、「象徴」が眩しければ眩しいほど中身が見えなくなるからである。



改革が行われるのを待つ間にも我が子たちはどんどん育ってしまうのだ。そしてその改革が良いほうに進むとは限らない。だからこそ親たちが正気を失ってはならない。


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にせウイルスに教わること   第二幕

  • 2011/06/09 08:50
  • よりわけ: 学問
第二幕

熱に冒され意識のない息子に取りすがる家族。

「ああ、何で言わなかったんだい、こんなに悪くなるまで!」と母親。
「ねえっ、隣のお婆ちゃんを呼んできておまじないしてもらいましょうよ!」と叔母。
「それよりお医者さんよんでよっ!」と姉。

父親があわてて医者を呼びにいった。程なく医者を連れてもどる。

「…絶対安静だ。今夜が峠だな。」神妙な面持ちでそう言う医者。
「先生、まさか豚インフルエンザじゃあ…」恐る恐る、父親が訊く。
「予防接種は受けてないのか?」と、医者。
「うー…その、えっと…」答えられない父親。
「ちょうど保健所に行こうと思ってたところでしたの!」割ってはいる母親。アンタは黙ってろと夫を押しのけさらに続ける。
「でも、その矢先に親戚の結婚式があって、兄嫁が兵役から帰ってきたもんで、そのお悔やみに行かなきゃならなかったんでつい日延べにしてしまって…ああこうなるのが判っていたらもっと早く予防接種しておくべきでしたわ。」

冠婚葬祭、病気見舞い、兵役の壮行会と慰労会はトルコの言い訳の常套手段である。たいていの事は許される。

「備えあれば憂いなしと言うだろう。どんな危険も正しい知識があれば怖くない。私も接種している。」医者の意見。
「まったくその通りですナ。とやかく言う人間は多いですが、専門家に任せるべきですワイ」と父親。
「そんなことより弟を何とかしてください!」と姉。

ああそうか、と思い出したように診察を続ける医者、熱冷ましを注射する。

「弟はそんな注射なんかで良くなるんでしょうか!?」と医者に食ってかかる姉。
「子供に何が判るって言うの?こういう事は大人に任せておけばいいのよ!」制する母親。

そして姉の堪忍袋の緒がきれた。

「みんないい加減にしてよ!さっきから聞いてれば言い訳ばっかり並べて!この子、家に帰ってきてから何度も何度も具合が悪いって言ってたでしょ、知らなかったのっ!?…大体あたしたちが何を言ってもちっともわかろうとしてくれないじゃないさ!」

少女の声が劇場に響いた。みな、固唾を呑んで聞き入る。この部分は子供たちが書いた脚本にあった台詞を敢えてそのまま残した。なぜなら、これはかれらの「叫び」に違いないからだ。さらに続く。

「人目がどうの、陰口がどうのって、それが何だって言うの?そんなに大事なの?いつもいつも誰かと比べられる身にもなってよ!じゃあ自分たちはどうなの?隣のお母さんみたいに宿題見てくれたことあるの?隣のお父さんみたいに毎日サッカーして遊んでくれた?ねえ!」

たとえこの台詞を親に面と向かって言ったとしても効果はない。「反抗期だから」と片付けられたしまうだろう。しかし我が子が、その仲間たちが作り上げた劇を通して放たれた言葉は得体の知れない力を持つ。大人たちは負けを認めるほかに術はなかった。


そこへ、テレビのニュース速報が。

「健康省からの緊急ニュースをお伝えします。世界で確認されている病原菌H1N1は、人体および社会に大きな脅威をもたらすものではないことが判明しました。早い話が豚インフルエンザは無いってこってす。以上」

呆気にとられる一同。

「…おかしいと思っていたさ。信じてなかったから予防注射も受けてない。」と医者。全国のお医者さんごめんなさい。
「まったくその通りですナ。とやかく言う人間は多いですが、専門家に任せるべきですワイ」と父親。
「あの…弟はどうなるんでしょう?」と姉。
「ああ、だいじょぶ、だいじょぶ。痛み止めと解熱剤出しておくから。」全国のお医者さんごめんなさい。
「おかげで息子が助かりました、何とお礼を言っていいやら…」と母親。

父親は医者を見送り、叔母はテレビドラマがはじまる時間だとお茶を温めなおしにいく。母親は宿題を済ませて寝るよう娘に言って叔母に続く。舞台に残ったのは姉と弟。

子供たちよ、いつかは大人になるだろう。でも忘れないで欲しい、今日の舞台で虚構の世界に打ち勝ったことを。
この脚本はこれから大人になる君たちへの贈り物だ。この世で一番大事な子供たちへ。
今日と同じ心のまま生きていくのは難しい。いつかは嫌でも虚構の中に身を置かねばならない日が来るだろう。そして父や母のした理不尽を、他の誰かにするだろう。でも決して忘れないで欲しい。虚構を真実にすり替えてはならないことを。そこからは何一つ生まれないということを。


舞台は照明を落とし、姉弟のみ照らされる。


「姉ちゃん、さっきは何で怒ってたの?」薬が効いて我に返った弟。
「勉強しろ勉強しろっていつも言うくせに、自分たちはちっとも学習しないからね、それで怒ったの。」と言う姉。
「後で叱られない?」心配する弟。
「平気よ。きっと今頃もう忘れてるよ。」笑う姉。
「わすれ…あ…!宿題やってない!」と弟。
「先に元気になりなよ。それから手伝ってあげる。」と、姉。
「うん、そりゃいいや。」と、笑う弟。





にせウイルスにおそわること   幕間

  • 2011/06/08 22:03
  • よりわけ: 学問
第二幕に移る前に是非とも書いておきたいことがある。

豚インフルエンザの菌は実験室で作られたものである。
古い歴史を持ちながら中世以来つねに列強から搾取され続けた国メキシコが標的にされた。
NAFTA/北米自由貿易協定 (にがあろうとメリカの都合はんでりません の略)に羽交い絞めにされたうえアメリカの景気後退の煽りを受けて経済が沈没したメキシコに止めを刺すが如く菌は撒かれたのだ。
この先もこれまで通り麻薬の安定供給をしてもらいたいアメリカはメキシコの経済的自立を認めない。衣食足りた人間がヘロインの精製などするものか、教育のある人間がコカインの運び屋などするものか、それを重々承知の上で彼らに最低生活を強いるのだ。さらにIMFに嵌められて借金地獄、立ち上がろうとすれば容赦なく制裁を加える。盾突くつもりか、と。

それじゃまるでマフィアだ、と思われた方に申し上げておきたい。
「マフィアの皆さんに失礼でしょ。」

ワクチンはすでに用意してあった。細菌兵器で特定の国を攻撃し、さらに不特定多数の国に薬をうりつけた。


そして今、ヨーロッパは新たな感染症に悩まされている。
ドイツを中心に多くの感染者、そして死者が出ている。

腸管出血性大腸菌   媒体は、「有機栽培のモヤシ」。

これが細菌兵器かどうかは今は議論できないが、気になる点がいくつかある。
今現在、有機栽培という点が槍玉に挙げられている。環境と健康の観点から化学肥料を否定し有機肥料を使用した栽培法が大腸菌の温床になったという理由だ。被害者はエコ先進国のドイツ、福島原発の事故を受けて真っ先に原発全廃を宣言したドイツである。大腸菌感染症と脱原発宣言、このふたつが無縁であると考えるほうが筆者には困難だ。

福島原発事故とほぼ同時に国連が強行されたリビア侵攻に猛反対したのもドイツだった。
「口出し無用 出したら撒くぞ」 か。

頃合を見て特効薬を登場させればビンゴだ。薬のキャンペーンはマギー司郎氏にやってもらいたい。

ついでだがドイツの皆さんに進言したい。有機栽培の野菜はやたらに生で食べないほうがいい。我が日本は大昔から有機肥料(人糞ともいう)を使っているが、大根や生姜のように殺菌効果のある野菜以外はあまり生で食べない。火を通さないにしても塩や酢で〆る。ワサビや山椒といった毒消しも多く使う。健康のために命を落とすようなことはあってはならない。



幕間はこれまでということに。

さあてお立会い!御用とお急ぎでない方はご覧あれ、あれほど騒いだ豚インフルエンザもとんだ偽ウイルスときたもんだ、さあ子供たちの運命や如何に、それはみてのお楽しみい!


第二幕につづく

にせウイルスに教わること   第一幕

  • 2011/06/07 08:27
  • よりわけ: 学問
トルコの学校は年度末。長い夏休みがやってくる。

去年の年明けから次男のクラスの演劇を半年ほど指導していて、発表を間近に控えていたのがちょうど今頃だった。
当時小四だった次男のクラスのために脚本も書いていたのだが、それが噂になったのか高学年(7.8年生)からなる有志の演劇グループから脚本の手直しを頼まれたのだ。

人から何かを頼まれやすい。体質か?
彼らにとっては外国人であるはずの人間に脚本を直せというのも不思議な話だが、まあ結局いつもの安請け合いをしてしまうのであった。

元の筋書きは一昨年から去年にかけて世界が大騒ぎした豚インフルエンザを扱った喜悲劇、担当教師は一切口出しせずに子供たちが自力で書いた力作だった。
力作だったのだが、子供たちは予期せぬ壁に当たってしまった。あれほど騒いだウイルスが、実はさほど殺傷力のない物ということが徐々にわかり、終いには製薬会社のヤラセだったということまで暴露されたため、主人公の少年が豚インフルエンザのために死んでしまうという結末がすっかり浮いてしまったのだ。

顧問は学校のトルコ語の先生、日本でいう国語の先生にあたる。曰く、教育者たる人間が今さらああしろこうしろと言ったのでは子供たちの努力が無駄になる。友達の立場で助言できるのはあなたしかいない。だそうな。つまりメンドクサイんでしょ?しかし頼まれたからには良いものを、それが日本人の生きる道なのだ。

子供たちによるオリジナル部分を第一幕にまとめた。筆者による変更部分は第二幕とした。。


第一幕

舞台はあまり出来の良くない姉と弟、両親、叔母の住むトルコの普通の家庭。子供たちが学校から帰る時刻。
母親とその妹である叔母がワイドショーを見ながら、豚フル怖い、予防接種しとこうか、注射キライ、病気より消費税のほうが怖い、などと埒の明かないことをべらべら喋る中、弟(主人公・1)が帰宅するが体がだるそう。

「勉強しないでほっつき歩いてばかりいるから風邪引くのよ!さっさと宿題でもしな!」と母親。
「でもこないだの模試で3652人中3534番目だったんだよ!」と反論する弟。
「やれば出来るじゃないか!さすがは俺の息子だ。」と全然わかってない父親。

夕食後に来客があるという電話がくる。母と叔母は具合の悪い息子を放ったらかしで茶菓子の支度をはじめる。
そこへ、難しい年頃の姉(主人公・2)が帰宅。服装が乱れていることに小言をいう母親。

「まったく何て格好だい!?こんな姿、人に見られたら一体何を言われるか知れたもんじゃないよ」
「さっさと着替えてちょうだい、もうすぐ口が悪いお客がくるんだから。」と叔母も釘を刺す。

何よりも大事なのは人の目か。と言いたげな少女。熱が出てきたと訴えても相手にされない弟。

「だいたいお前の躾が悪いから子供たちの出来がわるいんだぞ!」と母親を責める父親。
「なにさ!家に居たってテレビ見てるか寝てるだけのあんたにそんな事言われる筋じゃないわよ!」と攻め返す母親。
「あああ大変!きたわよっ!」叔母の声に我に返る夫婦。

トルコでは夫婦そろって来たお客というのは貴賓扱いをするのが習いである。実に厄介な風習で、どんな小さい不調法も末代までバカにされかねない。戦々恐々、襟元を正して客を迎える。

「まああまああ、坊ちゃんもお嬢さんもすっかり大きくなって、先が楽しみですこと、ほほほほほ。」やや気持ち悪い来客・妻。
「息子は成績も良くて、この間の模試では3652人中3534番目たということだし、ま、安心ですわい。」とまだわかってない父親。
「近頃の若いお嬢さん方はまあそれは凄い格好で歩いてるけど、厳しく躾けた甲斐あってウチの娘は大丈夫ですの。」と母親。
「そおですわよほんとにその通り。さっきもそこの公園で若いお嬢さんが男の子たちとタバコ吸っていたのを見ましたの。それがまあこーんなに短いスカートはいてねえ…こちらのお嬢さんによーく似ていたけれど、まあさかそん筈ないって、主人と話しておりましたのよお。」と来客・妻。どうやらこれをチクリに来たらしい事が推して量れる。

子供たちが「大人の虚構の世界」を醒めた目で見ている。彼らは劇を通して大人たちに挑んでいるのだ。

「ところで豚インフルエンザ!怖いですなー」と話題を変えようとする父親。
「イヤーまったく。忌々しい話ですわい。」と興味なさそうに来客・夫。
「ワクチンも豚のばい菌から作るって話ですわよ。私たちイスラム教徒には使えないってことですわ。」と知ったかぶりの母親。
「そうさねえ、ワクチンも豚抜きにしてもらわないとねえ。」ともうどーでもいいという感じの来客・夫。

それではもう遅いから、と席を立つ客、まだ宵の口ですよとその気もないのに引き止める家の主人。
客が帰るなり後ろから悪態をつく母と叔母。子供たちは実に雄弁だ。この劇を観る大人たちの心中やいかに。

おまえのせいで恥をかいた、と娘を責める父と母。
そこへ…

「誰かああ!大変、凄い熱!早く来てええ!!」と叔母の金切り声。

本来の筋書きでは、このあと息子の病気をめぐって大人たちが責任のなすり合いをしているうちにその子が死んでしまい、「市から豚インフルエンザの犠牲者がでたので気をつけましょう」という市役所のアナウンスで幕がおりる筈であった。残酷なようだが、逆この残酷さに気づかない子供の無垢な心を感じた。子を持つ親には、ましてや虚構の世界に足を突っ込んだ大人には、この結末はちと重い。


昏倒した少年にみな狼狽する。


暗転







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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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