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これからの聖戦 四男

「まったくこの不景気だってのに四人も生んでどうするの!学校にやって、食べさせて、結婚させて…あああ~あんたの亭主の稼ぎじゃ足りるわけないでしょうが!」

四年前に長女が生まれたときは近所の人たちによく叱られたものだ。よそ様の生活といえど、おせっかいなこの国の人たちは本気で心配してくれる。町ですれ違う見ず知らずのおばさんからも同じような小言を食らったものだ。

しかしさすがに五人目となると周囲の方々も諦めたのか呆れたのか、よかったねえ、と素直にいってくれる。じつは先日、四男がうまれた。


  bebek



筆者には薄情なところがある。新生児を前にしても「新しい生命の誕生…」とか「穢れなき真っ白な存在…」とか、その手の感情にまるで駆られないのである。新生児が新しいのは当たり前ではないか、と思うし、生まれたての赤ん坊の顔をみて「あどけない」とは思ったことがない。


およそ子供という子供には父方と母方の血が流れており、その中には遺伝子などという言葉だけでは語りつくせない太古の記憶が眠っている。「血―ち」と「霊―ち」は互いに近い意味を持つ言葉である。
浮世の思惑に触れていない子供たちには先祖との「霊―ち」のつながりが色濃く現れる。我々には聞こえない声が聞こえる。だからどの子も気難しい老人か求道者のような顔をしている。赤ん坊が何からも影響を受けていない穢れなき白紙の状態と思えないのはこのためである。




「へ?こんなものどうすんの?」

トルコの助産婦さんは臍の緒を持って帰りたいという変な注文におどろきながらも大事にガーゼにくるんで手渡してくれた。(半分だけ)日本の赤ちゃんが生まれたと病院中から看護婦さんや事務員さんたちが「見物」に来ていた。美女に囲まれてご満悦の四男とは裏腹に先生はちょっと不機嫌だった。この子の体重が平均よりも少なめで、筆者が処方されていたビタミンや鉄剤を使わなかったのを知っていたからである。ちなみにトルコでは新生児は3.5kgぐらいが望ましいとされ、妊婦はだいたい20~25kgぐらい体重が増える(!)。おそらく、新生児の体重が3.5kgに近いほど、担当医は産科医としての評価が上がるのだろう、しかし申し訳ないが栄養剤を使ってまでもご協力するようなことではない。子供は、天から授かった己が命運で生まれてくるのだから、その体重にまで周り口出しするものではない。


臍の緒は、医者が匙を投げるような大病をしたときに煎じて薬にするためにとっておくと祖祖母から聞いていた。「母と子の感傷あふれる記念品」という解釈はかなり新しいものである。イワシの頭よろしくこれも民間信仰の一種だともいわれているがそうとも言い切れないだろう。この手のことをあまり科学の窓から見つめるのは好きではないのだが、臍帯血は白血病の治療に現に役立っており、臍帯の中の体液は細胞を再生させる効果があるとされている。日本の先祖たちはこの不思議な緒の中に何かを見出していたのだろう。しかし科学という窓を持たなかった先祖たちはこういうものに「信心」と名をつけて守ってきたのだと思う。
とにかく薬として使わずに済むことを祈りつつ、とっておく。


母親という殻に宿った時から、その子は臍の緒をとおして母親の血から栄養、酸素そのほか全てを補う。元気な子が生まれるようにと母親はつとめてよい食生活を心がける。そう、母親が口にしたものと嗅いだものは即刻その子に届いてしまうのだ。煙草や薬品、排気ガス、化学物質、何もかもである。人の体に入った「毒」は肝臓や腎臓、膵臓脾臓が分解してくれるのだが、はたしてどこまでか。この臓器は生まれてこのかた摂取し続けた薬品や化学物質の分解に疲れ果てている。血圧や糖やコレステロールが高い価を示すのは、肝臓がもう仕事をしきれなくなっていることの現れである。そしてアレルギー疾患の原因は免疫力の低下、その原因もやはり体の自浄力の衰えにある。


食品とて生体である。植物や動物の組織を食べやすく加工しただけであり、そこでは生きた成分や微生物がまだ活動を続けている。しかし電子レンジの電磁波は人の胃のなかに納まった食品の分解に役立つ成分を殲滅してしまうために大仕事は全て消化器の負担となる。
胃が重いといっては胃薬を飲み、その分解もまた肝臓に押し付けられる。鼻水が出るといっては抗生物質をつかい、体内の自浄活動を担う微生物をも殺してしまう。消費者の五感に訴えようと添加した着色料や香料は体に残留する。フッ素という有害金属を喜んで歯磨き粉に添加し骨を脆くする。それだけではない。洗髪料、液体洗剤、乳液、化粧品はその中にたった一滴の植物油を混ぜておくことで植物オイル配合と表示できるが基材は石油系鉱物油、さらにその品質維持のための保存料、安定剤、乳化剤、香料、保湿剤、色素などの毒物が添加されたものを、、人はなぜか顔や体に塗りたくっている。それは皮膚と呼吸器から体内に浸透し血に混ざり「処分場」へと集められるが、処分しきれない毒は溢れてふたたび血に戻され臓器や血管に巣食う。
農作物に使われた農薬と化学肥料、そして有機肥料と銘打つのは得体の知れない添加物入りの餌を食べた家畜の糞であり、遺伝子を組み替え大量生産した作物を食べさせられ、ひどい国では家畜を生きたまま挽肉にしたものを乾燥させて飼料にまぜている。その肥料で育った作物を、あるいはその飼料で育った家畜の肉を食べたとき、工業や生活排水に毒された水域で育った魚介藻類をたべたとき、捕食の頂点にいる人間はどうなるか、言うなれば、環境の中の毒素を最も濃縮した存在となる。


父となり母となる齢を迎えるまでに人の血はこのように毒されてゆく。母親だけが身篭ってから気をつければよいというものではない。


この惨憺たる状況下でも元気な子供たちが生まれるのは奇跡というほかない。目には見えない力が働いて子供たちを穢れから守ってくれているのだろう。
臍の緒の根っこの部分である胎盤が胎児の呼吸器と泌尿器と消化器の仕事をしており、おそらくここで母親側から来る多くの毒物はせき止められるのだろう。胎児には胎児の体内で新しい血がつくられ、母親の血が混じることはない。産後直後にこの胎盤は母体から剥離する。血に滞った毒素とともに母体を去る。大量の血を失った母体は授乳のために必要な清い血を大急ぎで作り出す。そう、「乳―ち」は「血―ち」から作られる。

母乳が子供に免疫力を与えることはすでに知られている。ならば母乳にありつけなかった子達はこの先つねに病魔の脅威にさらされることになるのか、そうではない。母親の胎内にいるうちから免疫力はやはり臍の緒をとおして受け取っており、母乳はその延長上にある。妊婦がくよくよ、いらいらしてはお腹の子に障ると昔からいわれているとおり、母親が心を乱すと内分泌が狂い臓器を作るに必要な成分や免疫力の譲渡を妨げてしまうためである。
始まったばかりの生命活動から排出した老廃物はまだ臓器が出来上がっていないためには母親に戻される。これも臍の緒を介してである。

しかしそれでも子供の虚弱やアレルギー体質、先天的な疾患は起きてしまう。あるいは生後何年もたってから食生活や生活環境と絡み合い病におかされることもある。胎盤が盾になれない毒物もある。放射線である。

つまり、世の抱えるさまざまな問題が、この世のもっとも弱い、抵抗の余地のない存在である赤ん坊に「病」という皺寄せを与えている。そしてその問題とはひとごとではなく我々一人ひとりが関わっている。


我々の消費した資源が何らかの環境汚染を引き起こしているのは間違いない。いかに行政の過ちが大きかろうとも消費したのは我々である。妊婦のみならず誰ひとり心穏やかに暮らせないのもみなが異常なまでの「不安」をかかえて生きているからであり、その温床は我々の属する競争社会である。溢れ返る情報の尻馬に乗り目隠しをしたまま走るのも、商品に無駄な付加価値をのせることで利潤が上がる市場のありかたを受け入れているのも、その市場に依存してしまっているのも、隣国に嫌悪を抱くゆえに開戦をほのめかすような政党を勝たせたのも我々である。その政党は原発再稼動、TPP、戦争へと向かう。


胎児の異常の有無を調べようと、医者つまり政府は「検査」を推奨する。ダウン症などの障害の兆候が認められると中絶を勧める。ひとつの家族にとって障害を抱えた子を持つことは大変なことであることは間違いない。その子の人生も健常者のものとは明らかに違い周囲の支援が必要になる。その後ろ盾にならなければならないのは政府である。その筈の政府が「面倒を見たくないから生まないでくれ」とばかりに門前払いにするのは筋違いだ。国にとっては経済効果の期待できないない見返りのない仕事である。だから冷たい。そしてこの先、子供たちの先天疾患は確実に増えていくことを重々承知しているためになおさら突き放すのである。
どういう姿で生まれようとそれはその子の天命である。その子の親となることは親の天命である。その子を社会の、国の一員として迎えることは世の中の天命である。それに逆らいまだ産ぶ声をあげる前の人生を雑草のごとく摘み取ることを国は推奨する。そう、強制ではなく奨励という名のやわらかい脅迫である。この検査を受けるかどうかの判断は子の人生に責任のある親のほうにある。政府の勧めに忠実に従う必要はない。



「ジハード―聖戦」、この言葉を聞いて思いに浮かぶのは、剣を喉元につきつけて改宗を迫るイスラム教徒、あるいは神の名の元に破壊活動をする中東ゲリラといったところだろう。しかしこれは異教徒側がイスラム教徒を悪意の目で見たときの姿であり本来はそうではない。聖戦とは神の教えを守って生きることを阻害するもの、「異教徒との戦い」は狭義でいう聖戦である。広義では人の中の欲や悪意、物質世界への固執との戦いをいう。
そして人の体は魂がこの世で生きるための入れ物として神から与えられたものという考えがある。いわば神からの借り物である体に害を与えることは「ばちあたり」であり、他人の体はもちろん自らのその体も穢し傷つけることを禁忌としている。

ならば、体を穢すものとの戦いは聖戦である。

次世代の命を病に曝し、あるいはこの世に生まれる前に命を奪う「毒」、その毒の出どころは社会であり、こともあろうにその社会の持ち主は我々である。経済中心の社会の掟を忠実にまもる我々である。「人の中の欲、悪意、物質世界への固執」、これは仏教の言葉の「貪欲・瞋恚・無明」つまり「煩悩」にとても近い。また古代日本の先祖に言わせれば「けがれ―穢れ・気枯れ」になる。全人類の敵は大昔から知られていた。


冒頭にあるおばさんの小言は罪のないものだが実は世相が露呈している。この世の不安を「不景気」という言葉で一括してしまう。「不景気」の行き先は「貧困」である。物質の豊かさは幸せに生きるためなくてはならない条件、家と車と貯蓄があって初めて幸せといえるような幸福観に人々は支配されてしまった。生活に追われる経験がまだない若い世代はさらに即物的である。最新の通信機器と誰にも干渉されない部屋、なるべく時間に縛られない楽な仕事をして趣味三昧の暮らしをするのが彼らの幸せである。結婚の条件は経済力、それを得るために教育を受け、病気になっても医療費が払えることが解決であり、事故を起こしても保険が保障し、裁判になればよい弁護士をつければよい。寄せ来る不幸の盾になるのも金銭である。自分の持ち物が隣人のものより劣っているのは我慢がならない。だから「貧困」は何よりも恐ろしい。姿なき神の怒りよりも、いまだまみえぬ地獄の業火よりも、目の前の貧困に呑まれるほうが恐ろしいのである。
 
怒りを人間外にむけることは難しい。人は顔の見えない敵と戦うために仮想敵をつくりだすことでようやく怒りを集中させることができる。そこで誰かを、どこかの組織を、自国政府あるいはよその国を敵に見立てて戦いだす。しかしそのような狭義の戦いは不毛、新たな怒りの呼び水にしかならない。いま怒りを向けている相手は影法師、東電も、原発も、政権も、戦争もアメリカもイスラエルもみなおのれの欲の化身かもしれない。見誤ってはいけない。敵は一人ひとりの中にいる。


目まぐるしく変わるわが子の面差しには日本の両親や弟、叔父たち、もとより会うことの叶わぬ遠い遠い先祖の顔も現れているのだろう。かわいい子孫の誕生をことほぎに黄泉の国から現れたのか、それともこちらから会いに行ったのか。
大好きだった祖祖母と祖父の顔が見えたときはさすがに涙が流れて止まらなかった。
主人の家族も冬の終わりに他界した義父の顔も順番に見える。スキュタイや突厥と呼ばれていたトルコ人の先祖や、北バイカルの大地を馬で駆け回っていた民も現れているかもしれない。そして彼らは在りし日に大陸から列島に渡り、その血を縄文の日本にもたらしたのかもしれない。綿々と続く親子の縁を縦糸に、時の記憶を横糸にした織物はながらえて今に至る。


― 穢れと戦え これは聖戦ぞ ―
先祖たちは子の母親の肝に銘じ還っていった。







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くそ教師の罪状書 次男

「くそ教師どもっ」

普段は穏やかなうちの次男が家に帰るなり言い捨てた。中学二年、難しい年頃といわれる時期を生きているこの子は、一月ほど前に級友を痛ましい交通事故で失っていた。


その級友は去年の夏までオーストラリアで暮らしていたトルコ人家族の子だった。父親は海外で暮らすトルコ人のために政府から派遣されるイスラム教のイマーム、僧という訳はちと正しくないが。つまり聖職者であった。その任期満了を以って家族とともに祖国に戻り、筆者の暮らす町でモスクとイマムたちを統括するムフトゥという職に就いていた。

ユスフという名のその子はよその国で育ったためか頓珍漢なトルコ語を話す面白い子だった。たぶん何もない草原の中で大きくなったのだろう、大がらで大らかで大ざっぱな性格だった。彼はどう贔屓目みてもトルコ人に見えないうちの息子たちに親近感を覚えたらしく、次男の学級に転入してからずっと一緒に遊んでいた。家も近かった。

「どの高校にいくの?一緒に宗教学校にいってイマムになろうぜ」
次男はそんな妙なお誘いを受けるほどユスフから好かれていた。

大人は別としてだがこの国の子供たちの間には今のところ「いじめ」というものがほとんどない。本人に著しい問題がなければ、見た目が違っても家庭に問題のある子でも疎外されることはなく、うちの子たちも一度たりとて「よそもの」と揶揄されたことはなかった。

しかし次男の学級には「いじめ」の萌芽が見え隠れしていた。いじめを受けることはなかった次男であるが、集団の中で息苦しい思いをしている子たちの受け皿になってはいつも周囲との板ばさみになっていた。なぜそんな学級になったかははっきりしている。小学校の一年から五年までを担任した教師が、人生を成功させるには競争することで互いを高め合うことが効果的であり、そのためにはどうすれば相手に勝てるかを常に意識しなければならないという信念の持ち主であったからである。そんな彼女でも二児の母である。

その「教育」の方法は最初から卑怯そのものだった。新一年生たちの親、とくに母親たちをまず脅迫する。

競争はもう始まっている、そのバスに乗り遅れたら一生はそこで台無しになる、そうならないためには学校と家庭が子供を追い立てなくてはならない、模擬試験の結果は子供の「現在位置」を示す信頼のおける座標であり常にこの窓から子供たちを監視せねばならない、成績の推移は家庭の鏡であり親の監視の甘さは子供たちに即座に影響する、お宅のお子さんは成績が悪いが親としてどのように対応しているのか、と。

生まれた年度のほかは全てが違う子供たちに「平等」な教育を施すことを「公平」と思い込むおめでたい大人たちは、早足の授業についてゆけない子たち、頭の使い方がほかの子と違う子たち、興味がもっと別のところにある子たちがいることを考えない、考えようとしない。そんなことを考えているうちに教師たちの言うようにバスに乗り遅れてしまうからである。
女教師の得意技は「ゴミ拾い」、規律を乱したり宿題をわすれた子たちは罰としてゴミ拾いをさせられ、周りの子たちはそれを指差して笑うように指導された。そして努力しないとろくな職業に就けずにゴミ収集業者になるというのが口癖だった。規則を守らないことや努力を怠ることを恥じるように啓蒙しているというが、恐ろしい履き違いをしていることはここに書くまでもない。

入学してから半年たった頃の保護者会でのことだった。この担任教師は生徒の親が自分の陰口をたたいていると大泣きしながら訴えた。親たちからは指導が厳しすぎるという反発もあったが教師当人に抗議したところで聞き入れられないのなら当然おこる陰口である。しかし自分は生徒たちに寝ても覚めても頭を悩ませており夢に出てくるのは我が子ではなく生徒たちであると言っては自らを激しく弁護する。たとえ陰で何も言った覚えがなくともこの教師がやり過ぎだとは誰もが思っていたので泣かれた側としてばつが悪い。ありもしない罪の意識にかられてあえなく敗訴、弁護士兼原告兼判事のこの教師に教育という名の武力行使権をさらに与えてしまうことになる。雄弁であって当然な教師によるこの茶番法廷を卑怯といわなければ何と言おう。

遊びも、行事も全てが競争だった。遅れをとる子は罵倒された。怒鳴り声で緊縛され、頭が真っ白になったところで授業をうけるという毎日だった。自分の競争相手を見つけ、それに勝つことを目標にその日を生きるように教えられたと次男の口から聞いたときはさすがに「まずい」と思い学校へ行った。あんたの信念はそうかもしれないがうちの息子には関わりのないことだから今後は読み書き算術以外はなにも教えないでほしいとお願い申し上げた。面を喰らった担任は、これは自分の思い付きなどではなく有名な心理学者の推奨だと反論する。それがどうしたキチガイめ、こちとらその心理学者とやらにビタ1リラ(1リラ≒60円)の借りもないのである。

だからこの学級の子たちは人の失敗を喜ぶような癖があり、人を庇うことを知らず、押し付けはしても分け合うことができない。病気で学校を休んだ友達の親に向かって「次のテストで悪い点とるかもね」などと平気でいう。日本の慢性化したいじめには程遠いが、その初期症状ともいえる不器用な慳貪さを感じる。このまま放っておけばれっきとしたいじめに発展するだろう。
教師が親たちを煽り一緒になって押さえつけた結果である。この子達はいわば被害者だろう。しかし悲しいかな子供の心とはいえいつまでも哀れな被害者であることは自らが許さないのである。被害者同士のなかで弱者を選び出し、それに対して加害者となることで何とか矜持を保とうとしてしまうのである。そしてその弱者というのも教師側から勝手に弱者に分類された子たちであって彼らが判断したわけではない。

うちの次男のまわりには、不登校、落ちこぼれ、そのほか文字に書きにくい境遇の子たちが集まっては違う町へと越していった。

そして組変えを経ることなく同じ仲間たちがそのまま中学にあがった。今度の担任も二児の母親である。将来、職場で一番の成績を成したものだけが人生の成功者になれるのだからその訓練は今から始まる、一等賞の子供たちには豪華商品を与えてその味を覚えさせるべきである、という考えの持ち主である。国語(トルコ語)の教師であるだけにやはり弁が立つ。柔らかい口調で親たちを洗脳するのであった。

模擬試験の成績上位十五人だけスキー遠足に連れて行くだの、年度末に一等成績の「完璧くん、完璧ちゃん」を選び政府発行の金貨を贈るだの(その費用は保護者全員で出すのだが)ふざけたことばかり思いつくのである。いったい人を何だと思っているのだろう、鞭で尻を叩き人参を鼻先にぶら下げておけばいくらでも走る競走馬だとでもいうのだろうか、馬にも失礼である。

もう呆れてしまい抗議するのも面倒なのだが仕方なく学校へ行き、スキーも海水浴も金貨も間に合っているので頼むから普通に授業だけやってくれませんかとまたお願いした。そのときにたまたまその場にいたのがユスフの母親だった。どうやらユスフのことで呼び出されていたらしい。

ユスフは私にとって誇りともいえる生徒です、トルコ語がまともにできなかったのに短い間ですっかり上達して今ではほとんど支障がありません、とまず褒めていた。その後で、オーストラリアの教育は知りませんがこの国のシステムにそぐわなそうですね、ユスフのおかげで授業が遅れて困っています、と脅しつけ、さあ力を合わせてユスフを矯正しましょう、と母の心臓を一突きにした。彼は確かに落ち着きにかける子だったが授業の妨げになるほどではなかったし、もっと困った子は他に大勢いた。「いいがかり」をつけているのだとすぐにわかった。ユスフの母親もクルアーン学校の教師を長年つとめるいわば聖職者である。こういう一家は「学校」からは無視されるか目の仇にされるかのどちらかなのである。これはトルコという国が建国以来抱える難題のひとつである。

オスマントルコ帝国はイスラム教義に基づいた法(シャーリア)により統治されていた。イスラム法の善悪のよりどころはクルアーンであり、クルアーンは神が預言者ムハマンドに天使を介して与えた啓示を文字にしたものである。
大航海時代以来覇権を手にした欧州列強の目の上のこぶがトルコであった。なにしろ弱者からの搾取を基盤とする欧州経済理念が通用しないのである。この世の全ては神の持ち物であるとするイスラム経済によれば、命も知恵も力も神が与えたものであり、それによって富を得た者は喜捨をすることで弱者を守る義務があるとされている。富める者の喜捨こそが経済の礎であった。帝国の領土は広く食料と労働力に満ち市内にも宮殿にも黄金がひしめいているというのに、イスラム法は利息を厳禁としているためイスラム教徒に金を貸しつけ身ぐるみを剥がすことができない。経済のいろはを説こうと「神を畏れよ」と説教されるのが関の山、かといってキリスト教への改宗を促すと刀を抜いて追い返される。全く忌々しいのがイスラームであった。
しかしその帝国も不滅ではなかった。第一次大戦後に新政府が樹立されるとこの国にも日本の明治維新より80年ほど遅れて欧州化がはじまった。欧州の価値観が流れ込む中でそれにそぐわないものが次々に駆逐された。しかし西欧人が手こずったのはやはり神様、この世の物質の持ち主が誰か、それは神ではなく人であり人の命も所詮は物質であると人々に教え込むのには時間がかかることは容易に予想できた。そのため新政府は学校の整備と教師の育成を急ぎ、その傍らで聖職者たちを思想犯として追い詰めた。学校では子供たちに帝政とイスラム教を過去の汚点と教えた。


いま学校で威張り腐る教師たちはこの世代の孫か曾孫の代にあたる。ほとんどが左翼を自称するがマルクスとケインズの区別もつかないただの物質主義者、言い換えれば「アンチ神様」に過ぎない。小中学校からしてこの調子であればそこで好成績を修め人生の成功者としての道をすべりだした者たちがどのような社会を築こうとするかは理解にたやすい。しかしこの国が日本のような過度な物質主義国にはすぐに成り下がらなかったのは、まだ家庭という器がしっかりとしていたからだった。学校の先生が何を言おうと親の言うことが絶対であり、男子であれば親の職業を継ぎ女子はよき母親になればそれで十分と考えられていたため子供のうちから学校で競争する必要が全く無かったのである。が、それも過去の話となった。

次男の担任たちがまず親たちを脅して狂わせようと画策したのは教育界の闇の指令があったのかと感じないわけにはいかないのである。そしてそれは今のところ成果を挙げ続けている。わが子たちが成功者になれば家や車を手に入れ、よき伴侶を得て幸せに生きられると、だがバスに乗り遅れるとそのすべてを諦めることになると思い込まされた。


ユスフ一家は週末は病気見舞いや揉め事の仲裁に駆けずり回っていた。それは彼らの勤めでもあり、市内のみならず遠い地方まで足を伸ばすのはいつものことであった。そして事故はそこで起こってしまった。
ユスフと父親はその場で命を落とした。後部座席にいた母親と二人の妹たちのうち母親がその身で庇うことができた末娘だけは軽傷で済んだが長女はいまだに意識不明の重態である。危篤から抜け出した母親は、皮肉なことに意識が戻り悲劇を知ることとなった。天命とはいえ受け入れるにはあまりに重い。

一月まえの土曜日の朝、家の中を無言でさまよう次男に気がつきどうしたと聞けばニュースでユスフ一家の事故を知ったという。間違いかもしれないけれど怖くて誰にも聞けないという。そのうちに、葬儀を知らる町内放送が聞こえてきた。町中が悲しんだ。普段は物見高い人々も噂をするのが憚られるほどみな意気消沈した。モスクでの葬儀には町の内外から人が集まり救急車と軍警察が待機するほどの人混みとなった。今それから一月が過ぎようとしている。


人々が会してクルアーンを誦むことを「メヴリッド」という。イスラム教では葬儀から40日たった頃に残された隣人たちがそのメヴリッドを行い、この世からあの世に祈りをとどけるという習慣がある。40日は土の中で亡骸が朽ち土に還るためにかかる時だといわれている。この日はイスラム教の大預言者ムハマンドがこの世に降りたという祝日であった。40日にはだいぶ足りないがその恩恵にあずかるためにも繰上げてメヴリッド行われたという。

40日目のメヴリッドは葬儀を出した家に隣人を招くのが普通であるが、参加者の多さ次第で集会場やモスクでも行われる。昼の礼拝の後に町で一番大きなモスクでメヴリッドがおこなわれるとの町内放送が聞こえたのはその日の午前、二時限目の授業中だった。
昼の礼拝は南中時の少し後にはじまるので、それが終わるのは今の季節なら午後の授業が始まった頃にあたる。次男と級友たちは担任にどうしてもメヴリッドに行きたいと懇願した。答えは「HAYIR (だめ)」、メヴリッドにかこつけて授業をさぼるつもりでしょうと頑として許さない。自分らは私用でいくらでも授業を放り出すくせにである。だが子供たちは諦めなかった。話をわかってくれそうな先生に片っ端から頼んで回る。葬儀となればともかく、それ以外の宗教行事のために生徒に授業を受けさせないのは本来禁止でありもし報告されれば懲罰を受けかねない。生徒たちの気持ちはわかってもなかなか首を縦に振ってやれない教師たちも、その心は物質主義と神様の間で揺れ動いていた。なぜならば彼らも子供時代に同じような思いをした記憶があるのだから。そしてとうとう教頭が折れてくれた。区役所からマイクロバスを調達して子供たちを乗せ、会場となるモスクまで引率してくれた。



この世での善行も悪行も全て天使が書き記し動かぬ証拠として神に献ずる。神はそれを秤にかけて魂の行く先を審判する。天国か、地獄。その秤は喜捨の金額や殺生の回数などの物質量ではうごかない。なぜなら人はもとより平等になどは創られておらず、施し得る善行も犯した悪行もその生まれに左右されるからである。蜘蛛を踏み潰すことを思いとどまった大泥棒が地獄行きを赦されるかもしれないことなどは在ってあり得ることである。もしかすると紙一重の差で地獄の業火に焼かれることから免れるかもしれない、残された者はその願いをこめてこの世から祈るが、それが聞き入れられるかは神のみぞ知る。
ならば体を離れた魂は祈りをささげる者があろうと、なかろうと、ただ神の御前に引き出されこの世での行いを裁かれるのみと思うほうがよい。ならば葬儀も墓標も残されたもののためにあるといえる。葬儀がなければ大事な誰かがこの世から去ったことを認めることができないだろう。墓がなければまだ生きているかもしれないと思い煩うだろう。人が集まりその世話に追われれば、身を斬る悲しみがいくらかは和らぐだろう。そしてその亡骸が朽ちた頃に人々はまた集い、この世というかりそめの時を生きる肉体は天命により必ず亡びることを、そして肉体は再びこの世によみがえることの無いことを、ならばこそ肉体のあるこの今を、裁きを受けるその前のたった一度の人生を神の御心に添うよう生きなければならないことを肝に銘じ、人生を踏み出したばかりの子供たちにも伝えるのである。



メヴリッドから戻った次男は願いを聞き入れようとしなかった教師たちを「くそ教師ども」と呼んでなじった後は、モスクでは集まった大人たちが抱きしめるように歓迎してくれたこと、そして教頭先生は連れて行ってくれただけでなく、28人の子達に昼食を手配してくれたことを静かに話した。

もう何年もこの学校に勤めている教頭はイマムの資格もある宗教学校の出身者である。そんな彼が教頭にまでなれるのは珍しいといってよい。三年前にやってきた新しい校長は無神論者にちかい人物なので教頭はかなり息苦しい思いをしており、そろそろ転勤を願い出ようかとこぼしていたらしいことを聞けば今度の行動は「やけっぱち」だったのかもしれない。以前ゆっくりと話したことがあるのだが、教頭いわく昔は「わたし」はなく「わたしたち」だけだったという。いい事も悪いことも「わたしたち」ものとしていつも分け合うのが当たり前だったが、いま生徒たちにその話をしてもまるで分かってもらえなくなった。「わたし」の目先の損得だけが評価基準となり「わたしたち」はどこかに消えうせたと。そして国の中もばらばらの「わたし」が闊歩するのみ、それを集めても「わたし」団体であって「わたしたち」にはなりえない、と。


キチガイのようなかつての担任教師だが、彼女はこの国での少数派に属するアゼルバイジャン系トルコ人であり東部は旧ソ連国境近くの貧しい村の出身であった。となれば彼女も教師の職をつかむまでの間には冷たい疎外を受けてきたその当人なのかもしれない。被害者でいつづけることに魂が耐えられず知らぬ間に加害者となってしまったのかも知れない。それは彼女の天命によるもので罪だけではない。だから憎んではいけないのだろう、彼女の教え子となったのも次男の天命といえる。


次男は家では兄と弟の間に挟まれて大きくなった。学校に行けばいつも弱い子と強い子たちの間にあった。そんな彼は叩き上げの板ばさみ体質なのか、すれ違う二つの心の双方を理解してしまう事ができるために一人で心を痛めることが多い。痛んでいるのが人の心なのか自分の心なのかが判らなくなるようだ。
もしユスフが生きていたら、歪んだ学級で息が詰まった彼の「一緒にイマムになろうぜ」という願いを断りきれずに本当にそうしたかもしれない、そう思うとなんだか可笑しい。イマムという職は世間並み以下の低収入で、農業や商店などと兼業しなければ生活は厳しく結婚すらおぼつかないこともある。そして故郷で職に就けるとも限らない。遠い寒村の子供たちにようやくクルアーンを教えるようになれた頃には同級生たちは大都市で外車を乗り回しているかもしれないのである。だがどんな生き方が幸せかは親や教師や社会に教え込まれる事ではない。見つけるのは他でもない自分である。

この子が大人になる頃には世の中はもっと複雑になり、幸せとは何かなどはもう到底わからなくなっているかもしれない。逆にその日の糧にも事欠く暮らしを世界中が強いられているかもしれない。どちらにしろ親である我々はそんな世の中しか残してやれそうにない。あまりに非力な我々が親としてできるのは、どんな天命でも受け入れられる心を持てればそれが幸せだということを、この人生をして見せてやることぐらいである。

ゆきやどり

鉛色の空をながめていたら雪がもかもかと降ってきた。ああ、やっぱりと思いながら現場を後にする。かれこれ二年ほど携わっている洞穴住居を改修したホテルの、いまは増築部分を設計・管理している。もう開業しているのでお客の少ない冬の間に工事をすすめている。肩に降りかかる雪は気短かにとけて濡れかかる。春が、そこまで来ている。

           
 淡雪


この日の夜明け前、モスクから朝の礼拝の時刻を知らせるアザーンの声が響くなか主人の実家から電話があった。主人の父が「ここはどこだ」といい続け自失状態だという知らせだった。もう何があってもおかしくない齢で、しかも老夫婦の二人暮らしである。実家のあるカイセリは我が家から100kmほど離れた大都市、すぐに身支度し家を飛び出す主人をみおくり、この日はこうして始まった。


こんな日は家に居ても何も手につかないのでほかの現場も見に行くことする。バスに乗ろうと中心街に向かう道々、降りが激しくなってきた。降ってはきえる春の淡雪、石造りの壁にはさまれた狭い路地、目の前の景色も白く淡む。
ふと木戸があくと中から顔を出し気さくに声をかけてくれたのは知り合いの職人さんの奥さんだった。こんな雪の日にどこへ行く、小やみになるまでお茶を飲んでいけ、と誘いをうけた。こういうお誘いはよほど急いでいない限りありがたくお受けすることにしている。「客人」は神が遣わす者であり、もてなすことは神の御心に添う
ことと信じられている。そんなちいさな善行をたくさん集めてよい国を作るのがイスラームの教えである。さっさと仕事を片付けて空いた時間にほかの仕事を詰め込めばお茶ばかり飲んでいるより稼ぎは増える。しかしそこで必ず起こる恐ろしい短絡に気づき歯止めをかけろと神様は説いている。

          
            台所


「ちょいとあんたー、誰が来たと思う?ほら、日本の、名前なんだっけ?」
「だれじゃー?」

奥に居る家主に声をかける。推定年齢六十代後半のふたりである。

小さな庭をぬけ、石のアーチ造りの部屋に通されると石炭ストーブが暖かく燃えていた。鋳鉄の天板の上ではブリキのヤカンがしゅんしゅんと湯気を出している。

ああ、あんたか、よくきたね、と笑顔で迎えてくれる。日本と同じく室内では靴を脱ぎ、床に座って暮らすのが普通である。実に居心地がいい。すぐに支度をするから食事をしていけと言われたが仕事があるからとさすがに辞退、ストーブに手をかざして暖める。


数年前まではわが一家もこの石炭ストーブで暖をとっていた。煮込み料理がおいしくできるし洗濯物もよく乾く。ヤカンから出る蒸気が部屋を加湿してくれるし、そのお湯で入れたお茶はガスの炎では味わえない。厄介なのは灰の始末と煙突掃除、そして寝場所である。ひとつのストーブでは家中を暖めることはできないため、普通は冬の間みな居間で、つまりストーブのある部屋で寝起きすることになる。それが嫌なら寝室でもストーブを焚くしかないが、それでは石炭も焚き付けをする薪も掃除の手間も増えてしまう。この地方の冬は電気ストーブではちと心もとない。
居間で雑魚寝というのが我が家の冬景色だった。こんな暮らしは嫌いではないし子供たちも小さかったので特に問題はなかったのだが、その他もろもろの事情もあったため引越しを決め、その越し先が温水暖房式の家だった。今ではどの部屋も同じ温度、厚着して台所に立つこともなくなった。これを快適というのだろうけど。



           石造部分



かつてはほとんどが農家だったこの地域の古い家々は昔の農家の姿をとどめている。建物が石造りなので手入れさえすれば何百年でもそのままの姿でいることができる。どの家にもタンドゥルという掘りごたつのようなパン焼きかまどがあった。葡萄や杏の枝を焚いていた。まだ石炭が暖房の燃料として普及しなかった頃は、冬はこのタンドゥルのある部屋で寝起きしたという。農作業のない冬はこの部屋で春に備えて体を休めた。炎を囲み、農具の修理をする父親、絨毯を織る母親、年寄りの昔話に聞き入る子供たち、日本によく似たあたたかい冬があった。
         

            タンドゥル


老夫婦との話はおもしろい。仕事の話、孫たちの話、父親がたった一人で管理していた山林を息子が三人いても見きれなかったという話、西海岸に出稼ぎにいったとき海辺に横たわる素っ裸の外国人を見て仰天した話、病院にいくと病気にされるから行きたくないという話…ストーブの胴についている小さなオーブンで焼いたパンをお茶請けに、そんな取り止めのない話を楽しんだ。


主人から連絡がないのが気になってきた。そろそろ仕事に行かねばと暇乞いし、お礼を言って石の家を後にする。子供たちに食べさせてあげてと、腰につけている道具入れの布袋にクルミをいっぱい詰めてくれた。雪はいつの間にかやんでいた。心優しい老夫婦に神のご加護がありますように。


途中、靴屋に寄って長靴を買った。さっきの工事現場では冬休みの小遣い稼ぎにと高二になる筆者の長男が働いているのだが、靴下まで泥に濡れていたのが気になっていた。学校の成績は悪くない子だがそれだけでは生きていけるわけがない。重いものや汚いものは誰かが運んで片付けていることを、明かりが灯るのは、水が出るのは誰かが設備を整えていることを、しかしそのためだけに膨大な資源がゴミに化けることを「痛感」してほしい。 


やっとバスに乗る。行く先の村には直通のバスがないので途中下車して迎えの車に乗る。ここはかなり標高が高いので気温が低い。崖にはりつくような洞穴住居郡は修復が進み、朽ち果てることをまぬがれた。観光化という活路を与えられたからである。ホテルやレストランの需要は増すばかりで工事が追いつかないほどの現状、雇用は増え地域は潤った。しかし所詮うたかたでしかないこの世の騒ぎなど長くは続かないことを神は教え、我々もそれを知っている。

「神の教え」はいずれ硬化して「知識」というものに化け魂から乖離する。そして「神などいない」の一言で打ち砕くことができてしまう。

人の思惑などよりも石や岩を相手に仕事をするほうがよい。ここでは30年ほど前にすでに改修された洞穴ホテルを再改築する工事を担当している。やわらかい堆積岩を掘り進み拡張、そのために必要な補強を壁やアーチを架構することで行う。同時に内部の平面計画、動線を整える。現場で計測しそれを図面に落とし込み工事の指示をし、また計測する、その繰り返しである。高所での作業も多いので両手をふさがないため計測道具を腰の道具入れに入れている。帳面と巻尺、方位磁石、釘、糸などが入っている。のだが、この日はおばさんがくれたクルミがぎっしり入っていたので大変だった。義父のことも気になってさっぱり仕事にならなかった。


今夜は病院に泊まるから、と主人。電話の声は普段のものでとくに深刻ではなかった。主人は五人兄弟の長男なのでいざというときの責任は重い。五人の子を育て上げた義父は小柄だが屈強な人で、雪深い寒村に生まれ幼い頃に父親を亡くしてからは都会に出て工事現場や工場で働き家計を助けたという。相撲(トルコ相撲)では村で義父に敵うものはいなかったそうだ。兵役を終えて結婚し、カイセリに移り住み建設作業員として働き、工事の手法をすっかり熟知すると自分で工務店を開き請負業を始めて財を成した。日に五回の礼拝を欠かさずメッカへの巡礼も果たした敬虔なイスラム教徒であるが、異教徒の国から来た嫁も大事にしてくれる人である。つい数日前に子供たちと遊びに行ったときはいつもどおりの調子だったのに。


翌日、もしかしたらカイセリに呼ばれるかもしれないと思ったので家に居ることにした。やることは山ほどあるので時間をもてあますことはない。しかしどこか行き場のない気持ちはつのるばかり、そして昼下がりに電話があった。子供たちはどうしているか、といつもの声の主人、そんなことよりそっちはどうかと訊きかえすと、だめだと一言いって涙声に変わった。あとはもう何を言っているのか解らなかった。神様の決めることだからしかたがない、としかいってあげられなかった。雪がまた、ふっていた。


いったん帰宅してもう落ち着いていた主人は義父の最後の様子をはなしてくれた。
病院に運ばれてからは意識はしっかりしていて痛くも苦しくもなかったそうだ。ときどき目が見えなくなったり、記憶がとぎれたりしたがしばらくすると元に戻るという。そのうちに肝臓と腎臓が働くなくなってきた。夜半からベッドに座ったままの姿勢でお祈りをはじめ、時折横になりながらも最後までやめなかったという。そのころにはもう誰の声もとどかず、何も言わず、ひたすらに祈り続けていたという。そしてそのまま旅立った。


イスラム教徒がおそれるのは死後に必ず受ける「審判」である。死者の魂は神の御前に引き出され、この世での善行と悪行を秤にかけられるという。善行が悪行に勝れば天国に招かれ、その逆であれば申し開きの余地はなく地獄の業火に投じられる。うたかたのこの世での貧困も苦難もそして死をもおそれてはいけない。なぜならば本当の人生は死後にはじまるからである。彼らはそれをよりどころに、悲しみを、苦難を乗り越える。そして魂は平安を得る。ただし「神の教え」を「知識」にすり替えその魂から切り離さなければ―



埋葬がすみ、集まった親戚一同が家路についたころにはやわらかい春の日差しが満ちていた。暦の上でもいつのまにか春を迎えていた。あの雪は冬の名残りか、それとも義父を迎えにきたのだろうか。

根無し草 憲法と軍隊

筆者は護憲でも改憲でもない。
護憲派の方々に申し上げたい。いったい何を護ろうとお考えなのか。
改憲派の方々にもお尋ねしたい。いったいどう改めてゆくおつもりか。




先の選挙

吐き気をもよおす有様だ。思いもよらない結果とは言わないまでもここまでとは想像しなかった。日本人は烏合の衆か。


日本を出てから十一年、後悔しないようにと心がけそれなりに懸命に生きてきた。一度も帰国していない。
しかしそんな小さな意地とは無関係に、いつのまにやら日本を出たことを後悔しようがなくなってきた。音を立てて崩れてゆく日本、不安げな同胞たちを遠巻きに眺める自分、皮肉だ。

日本人として人間として親として、真剣に考えなければいけないことに目をつむって生きてきた皺寄せが来た。この負債は我々の世代だけではとても埋めることのできる代物ではない。子や孫の代まで重くのしかかるであろう。原発もTPPも日米関係も、酷すぎる借金だ。

どれも議論の余地などない危険物である。目の前に着火した爆発物がころがっているというのに雁首そろえて眺めながら「これは我々にどのような不利をもたらすか」について尤もらしく意見交換しているのが今の日本人、近代は我々を危険が察知できない愚鈍な民族に変えた。

愚鈍だからこそいまだに自民党や石原を支持する。民主党に裏切られたことへの復習のつもりなのか、二者択一しか知らないのか。国政はオセロではない。それとも流行りの国粋主義に軽い気持ちで染まったか、エエエ情けない。

平和憲法の根拠

平和を愛し戦争の永久放棄を謳う日本国憲法の素晴らしさが強調されているが、その根拠をどこに求めているのか。改憲派の指摘のとおりアメリカの傘、しかも核の傘という大前提がなければ何の効力もない平和である。地球上に日本列島しかなけれはありえるが、護憲を唱える方々はそこまで盲目なのか。
日本の経済発展は軍事費をかけず若い労働力を削らずに製造と商売に専念してきたことが大きく関与した。狂犬病のアメリカン・シェパードを前庭に放っておけば外から攻撃されることもない。そんな環境の中で日本人は平和を愛する民族であると嘯いたところで笑いものになるのが関の山である。戦争は厭だがアメリカにカネで片付けてもらうならよいというのは、核兵器は悪いが原子力エネルギーならよいと言ったり、東京に原発はあってはならないが地方ならよいと言ったり、人件費の高い日本での製造はあきらめ途上国の未成年を一日18時間働かせて安く作ればよいと言ったりするのと同様の幼稚な理屈でしかない。

日本国憲法は日本の軍事力を無力化し、アメリカに頭の上がらない国に貶めるための五寸釘である。基本的人権の擁護はその痛み止めである。「軍隊を持たない代わりに人権は最高に尊重される」と言うほうが「軍隊も人権もやらん」と書くより広く長く支持されるだろう。この憲法の原文を作成したのは「権利」のプロたちである。彼らはこの言葉をいかに麗しく魅せるかをよく心得ている。権利には必ず義務がついてくるのは小学生でも知ったことだが、その重さは常に等しいとは限らない。ちんけな権利のために甚大な義務、いや犠牲が伴なうこともある。権利を逆から読めばわかりやすい。


ならば破棄して軍国化なのか。

恐ろしい短絡である。あからさまな軍国化を目的とする意図的な破棄としか言いようがない。改憲と軍国化は本来まるで別の問題である。それが混同されているのは問題の焦点を捻じ曲げ護憲派と改憲派の睨み合いをあおって国論を分断するためである。
戦争ほど儲かる商売はない。アメリカはカネに困ったと言っては戦争をふっかけ、あるいは第三国同士を仲違いさせて漁夫の利を得ている。どこかで戦争が起これば大統領に支持率があがるという物騒な国である。建国以来この世界でアメリカの関わらなかった戦争・紛争があるか数えてほしい。

通信の発達に伴い大航海時代にやっていたような卑怯な真似をやりにくくなったイギリスが汚れ仕事を任せるために作った国がアメリカである。そのアメリカも世界の警察を気取るためにイスラエルを生んで後を譲った。こうして親子三代続いた老舗だが、三代目が言うことを聞かなくなってきたために勘当し、その代りに日本を養子に取ろうという魂胆かもしれない。
日清日露と二度の大戦がそうであったと同じく日本が軍隊を持ってしまえばアメリカの代理戦争をまた買って出ることになる。つまり昨今の日本の右傾化はアメリカを中心とする軍産勢力の差し金である。わが国の対米従属を軍国化で断ち切れるなどと思うのは無知にも程がある。


憲法を持つということ

もし憲法を持つならば、それはこの国の中から生まれなければならない。先祖たちの血が条文の中に脈々と流れてなければいけない。
それなのに、この日本国憲法にはそれがない。なぜならそれは「自由」「権利」「平和」「文化」という我が国にはなかった言葉と概念で作られた舶来品だからである。自由や平和はすばらしい、その何が悪い、そうおっしゃる方々のほうが圧倒的に多いのは徹底した戦後教育の賜物であるし、ハリウッド映画によるやわらかな洗脳の成果でもある。

欧米にはキリスト教が、中東にはイスラム教とユダヤ教がある。彼らの国の法律には生活規範としての信仰がいまだ生きており、それは最後の審判を神に委ねる気質が残っていることの証拠でもある。近代法といえどその精神を踏まえて作られた。しかし日本の場合は先祖たちから受け継いだ精神を近代化のためにかなぐり捨てた。捨てさせられた。日本の憲法は外から取ってつけたに過ぎない。日本人の血が少しも生きていない。

我が国は一朝一夕で成りえたものではない。たかだか二百年たらずの近代と、たかだか二千年あまりの有史時代のその前には二万年を越す太古の時代がある。我々の五体と心にはこの古代の記憶が生きている。森羅万象に神の存在を見出し、それを畏れ敬い多くを望ます行いを正して生きてきた先祖の記憶が生きている。日本を共同体としてとらえるとき、必要なのはこの「民族の記憶」である。日本民族であれば誰もが同じように考えるとは言わないが、必ず心の共通項、数学で言えば公約数が存在する。かりに憲法を制定しようと言うのならばここから歩み始めるべきである。
現実はそうではなかった。我々の民族の記憶は非科学・非合理と形容され顧みられなくなった。それよりも輸入された近代思想を持ち上げ、その上で受け入れたのがこの日本国憲法である。民主主義という係数を掛けて公倍数を得たのである。この憲法は我々の内側から生まれなかったために軋み、揺らぐ。国の最高法規がこのざまであるからこの国が独り立ちできない。改憲派がいくら上書きしたり削除したとしても時間の無駄である。

政府内の改憲派のやりたいことは明解だ。冷戦時代とは掌を返し日本に戦争をさせたがるようになった欧米軍産勢力に国を売り渡し権力と身の安泰を得たいだけだ。まるで幕末の再来を見るようだ。あまりに不毛な150年だ。その売国奴の尻馬に乗る国民の多さはさらに不毛だ。

ばかげた憲法論争はこの先も続く。論争すべきはこの国をどうするのか、どのような国をつくらねばならぬのか、それだのに。

軍隊を持つということ

自分の国を守るために国民が戦う、ときには負傷し、あるいは命をおとす、国はその補償をする。よその国々ではこれは当然のこととなっている。この制度を肯定した教育を受けて育つので日本にあるような軍隊嫌悪症候群はみられない。日本には軍も兵役もないというと「いいなああ」より「だめだなあ」といわれることのほうが多い。他国と国境を接してしのぎを削ってきた経験のある国から見れば軍がないのは裸も同然なのである。今日は仲のよい隣国が、明日に攻めてくることもあり得る。彼らにとっての国境というものが縄張り争いの結果に張られた「縄」であり、それはいつでも「最前線」に変わりうるものだからである。そういう意味では海に囲まれた日本国は特殊な状況に見えないこともない。が、そう見えるだけである。爆弾は海の向こうからでも、大気圏外からでも飛んでくる。弓と刀で戦った時代は過ぎてしまった。

トルコは長年、隣のギリシアと領土問題で反目し続けてきた。近年それが氷解に向けて動き出し首脳会談にまでこぎつけたがその矢先、あろうことかトルコ軍はイスラエルから対ギリシアと称しミサイルを購入、配備した。軍が政府の言うことをきかないのである。軍は必ずこうなる。それは各国の軍部の中枢には無国籍の軍産勢力の息がかかった間者が放たれるからである。もちろん政府の中にもであるが、そこに必ず介在するのが財界人、薬や食品にかこつけて兵器を売買する武器商人たちである。世界のそれを「調整」するのは国連の仕事である。大戦争を回避し小競り合いを長く続けさせるよう手心を加える。これが一番儲かり、しかも先進国の威光をより見せ付けることができるからである。

もし軍をもつならば政府に軍の首根っこをつかみ制御する力量と他国と渡り合うだけの外交手腕が必要なのである。日本政府にそれができるかなど笑止千万、軍隊を持つ持たないの話をする前に政府と呼べるものなど日本にはない。


特定の国を第三国に貶めるためには内紛を煽るか近隣諸国と仲違いをさせておくのがよい。国論を分断され戦費を費やし若者が傷つき命を落としてゆく。国力は下がり続ける。罠である。今この世の中で軍隊を持ち戦争をするということはこの罠に嵌りにゆくことである。陰で笑うのは誰か、それは国旗をふりかざす者に違いない。

そしてもうひとつ、この軍国化を叫ぶ政党は原発の推進もしたがっている。それには福島第一原発の収拾と今後も起こりうる原発事故の処理に当たらせる人員の確保が急務となる。国に軍があり兵士がいればそれは当然彼らの責務となる。汚い奴等ほど勘定高い。


何を守るのか

これまではカネに物を言わせて外国に国を守らせるていた。ただし「守る」という言い方は正しくない。アメリカが楯になり外からの攻撃をかわしてくれた訳ではなくアメリカが日本のための戦争を用意しなかっただけのことである。だから米軍は日本に無意味に駐留していたことになる。日本が米軍のために費やしたカネをそっくり寒い国にくれてやればそれでも事は済んだはずだ。我々が「平和」と呼んでいたものはこれである。白昼夢でも見たと思って忘れたほうがいい。

しかしアメリカはもはや方向を転換し、日本を防衛する気などない。なぜなら新与党は昔からアメリカの手先でありこれまでもアメリカの指示に従い政策を打ち出してきた。勝手に改憲・軍備をさけぶことなどは罷りならない。つまり日本に軍隊を持たせたがっているのはアメリカ、いや軍産勢力であり、このままでは日本の若者たちは国のためではなく武器商人たちの利益のために戦地に赴くことになる。そして敵兵とて武器商人に駆り出されただけの人の子である。あってはならない。

近代、そして戦後に手に入れた繁栄に盲執し、さらに多くを望む我々の姿ははたして日本人に似つかわしいだろうか。繁栄を失いたくないあまり原発事故にすら目をつぶる姿は、人に似つかわしいだろうか。挙句には子供たちに武器をわたし人を撃たせる羽目になる。これが親のすることだろうか。モノの豊かさを追い求めれば最後には血を流さざるを得なくなるのだ。

そうまでして守ろうとしている物は子供たちよりも重いのか。

我々が今日ここに在るのは遠い昔から命を紡いできたからである。子を産み、育て、守り、それを繰り返してきたからである。辛かろうが、飢えていようが、我が子を思う気持ちは普遍である。しかし今、若者たちは子を持つことに逃げ腰になった。貧しさを恐れてか、時間が惜しいのか、よほど邪魔なのか、理由はそれぞれだろうが子供どころか結婚まで億劫になったという。これではもう守るべきものを失ってしまったといっていい。そんな彼らと国防の話などできようか。国は国民の集まりである。国民一人ひとりを生んで育てるのは家族である。その家族を守れない、あるいは守るべき家族をほしがらない国民が集まってできた国を、誰が何のために守るというのか。

死守すべきは繁栄でも、憲法でも、ましてや日の丸でもない。遠い先祖たちから受け継いだこの命の、そのあるじたる魂の、その担い手たる我が子たちである。それを思い出さねば法も国家もただの偶像でしかない。

いざ アンカラ   在外投票

去る十二月五日、公示の翌日から三日間は日本の外からの投票が行われた。筆者も一足早く票を投じた一人である。カッパドキアから日本大使館のあるアンカラまで片道五時間のバスの旅。いやな予感はしていたが、ごんごんと雪が降ってきた。

在外投票自体まだ日が浅くこの十数年でやっと確立した制度だが、その不便さには閉口するしかない。海外在住者は「在外選挙人証」というものを前から申請し手元に持っておかなければならず、その申請もすべて日本との往復郵便なので時間がかかる。つまり国会が解散してから申請しても間に合わない場合がおおい。

筆者の住むトルコなどは投票所がアンカラとイスタンブールの二箇所もあるから文句も言えないが、アフリカには国境をふたつもまたがなければ投票所に行き着けない国もある。そのような交通事情が悪い国の日本国民は日本の選挙管理局に直接、郵送で投票できる。しかしその場合は投票用紙を選管つまり日本の役所に請求、そこからまた郵送されてきた投票用紙に記入し返送、という国際郵便の一往復半がある。例の在外選挙人証の請求と受理を含めると二往復半だ。なめているのだろうか。

まさか歩いて行くわけでなし、と不服を飲み込んで一路アンカラを目指し車中の人となる。


ここは旅のしやすい国である。道路網は隅々まで整備され、公共交通の要であるバスが縦横無尽に駆け回っている。バスの中でふるまわれるお茶と軽食がうれしい。数時間に一度は必ず休憩所にとまり、気の利いた食事もとれる。

雪のふる田舎町の休憩所、遠巻きに見たのは若い日本人旅行者たち。いったい本当に日本語を話しているのだろうかと不安になるが、耳を澄ませるとどうやら日本語らしい。最近ますますせわしなく話すようになったような気がする。頷きながら話す癖もみなに共通している。定まらない視線も腰砕けの歩き方も何とも頼りない。それより彼らは帰国後に選挙に行くのだろうか、などと思ったが、もちろん干渉する筋合いではない。しかし選挙というのは個人の好き勝手ではなく日本人全体の問題のはず、道端に空き缶をすてる子供をたしなめるのと同じように選挙に行かない連中を叱り飛ばしてももいいはずだとも思う。厄介な問題だ。


残念だが今の政治は消去法で考えるしかない。絶対にしてはいけないこと、してほしくないことをシラミつぶしに消去して、あっちよりはこっちのほうが少しはましだろうというという選択しかないと思っている。ろくな選択肢しかない選挙区のほうが多いだろう。少なくとも比例は最高裁判事の信任投票のように否定投票に切り替えればもっと正しい結果が出る筈だ。

民主主義などにははなから少しも期待していないし、「真の民主主義」「民主国家のあるべき姿」、こんな馬鹿げた議論に加割る気持ちなど微塵もない。

「民主主義」に実体はない。ぶよぶよした袋のようなものに、自由だの、権利だの、平和だのという甘い言葉を吹き込んで誰もが憧れる姿に仕立てた操り人形でしかない。それを操るのは「資本主義」、その媒体は「経済」である。民主主義に熱い思いを寄せる気持ちはよくわかるが叶わぬ恋とすっぱり思い切るほうがいい。つまり民主主義とは聞こえは良さそうだが所詮は資本主義の隠れ蓑に過ぎない。人種差別や殖民支配、ナチスの恐怖政治という汚物をさんざん見せ付けたあとで民主主義をご開帳すればみなありがたがるに決まっているではないか。


今の世の中は電子レンジとよく似ている。中に食品を入れて強引に暖める箱のことである。食品が冷たいときはその食品を組成する原子の周りをまわる電子の動きは緩慢である。つまり電子の運動エネルギーが小さい。電子レンジに電源をいれるとその中に磁場がつくられ電子がとびかう。電子は食品の中をつきぬける。そのときに食品独自のもっていた電子とのあいだに摩擦がおこり食品電子の運動が加速される。すなわち電子の運動エネルギーが増す。熱エネルギーを与えたわけではなく、電子摩擦を誘発して温度を上昇させるのである。
市場という箱のなかでは必要・不必要に関わらず貨幣が飛び交い、われわれの暮らしのなかを突き抜ける。消費につぐ消費を誘発されてわれわれはそれを追いかけ、おいこそうと奔走する。これこそ経済が活性化された状態である。市場に貨幣を投入し拡大し、雇用を増やし、所得を増やし、発達を加速させ…この世の運動エネルギーが高まることを誘発するための大義名分が資本主義だ。しかしこれはいずれ疲弊と枯渇をもたらす。それが今の日本、そして世界だ。

電子レンジであたためたものが鍋にかけたものより早く冷めることにはお気づきであろう。それは誰とも熱交換を行っていないからである。働きもしないで得たカネが一晩で泡と消えるのとよく似ている。そしてこの電子摩擦には、食品の組織や微生物は耐えられず死滅する。それを口にする我々は食品から受け取ることのできた免疫力を完全に取り逃がすことになる。われわれの中の大切なものがこの飛び交う貨幣に焼かれているのも事実、ならば何故この市場という箱から出ようとしないのか。

資本主義をあげつらって民主主義を否定するのはおかしいとのご意見もあろうかと思うが、先に述べたようにこの両者は人形遣いと人形の間柄にある。外は可憐だが使い手が腐っている。だからこれまでもこの先もまともに機能する筈などない。それを旗印に政策を叫ぶ政治家どもも滑稽でしかない。もし日本の歩むべき道を民主主義という言葉を使わずに説く政治家がいれば耳を貸そう。だが、我が国にその力量と勇気を持つものが現れるとは思えない。

民主主義も共産主義も理論上は実現可能である。ただし人間の生きる「場」をとことん無視すればである。
たとえば羽毛と硬貨は質量が違うが引力は等しく作用する。同じ高さから同時に落とせばそれぞれ自由落下し同時に着地する、はずであるが、普通はそうはならない。「空気の抵抗はないものとする」というお決まりの但し書きがつかない限り決してあり得ない。空気抵抗のない宇宙空間は重力場の外になるので論外、ならばどこかの大学の真空試験室の中にでも行くしかない。いわば恐ろしく限られた「場」でのみ実現する法則であるが、これを一般解としてしまうから矛盾が生まれる。
人はもともと怠惰で強欲、嫉妬深く淫蕩な生き物である。物理空間に空気抵抗や摩擦があるように人の生きる「場」には様々な抵抗が渦巻く。これを「ないもの」としたときにはじめて民主主義や共産主義がなりたつのである。こんないかさまに気づかぬために前に進まない、それが近現代だろう。

ペレストロイカの風を受け東欧の共産主義が崩壊した。その数年後のブルガリアを旅したことがある。首都ソフィアは凍てつく町、ならぶ建物は共産のにおいが強く残る無機質な造りで、駅、地下道、廃墟と処かまわず失業者たちが寒さをしのいでいた。せわしなく働くのはヤミ両替の業者だけだった。生活必需品はキオスクのような売店のみで専売されていた。すり、ひったくり、強盗、警察もそんな軽犯罪にはお構いなし、強盗に遭い所持金もパスポートも全部なくして大使館に保護されているという気の毒な日本人にも会った。一方でトルコ国境に近い東の町は共産党時代から「運び屋」が活躍し裕福層が存在する。人間界で共産主義を貫こうとしてもこうなるだけである。
民主主義を掲げる国々はミサイルを片手に.世界平和を謳い、従わぬ国があれば木っ端微塵の焼け野原にする。その傍らでかつて植民地として支配した国から資源と労働力を搾り取る。人間界においての民主主義とはこれである。主義主張の内容など議論しなくとも結果だけ見れば明白である。

そうこう思いを巡らすうちにバスはアンカラに到着、地下鉄に乗り換え中心街へ。久しぶりに来たアンカラだがやはり好きにはなれぬ町だった。この都市は帝政が打ち倒され新政府が樹立したときに人心を一新するためイスタンブールから遷都されたもので歴史も味もない。西欧化にそぐわないイスラム教色を排除するため左寄りの政策がおかれた近代トルコの新首都の風景はよく見ると共産圏の都市のそれと酷似していた。今でこそ華々しく飾られ物質的な豊かさと賑わいを見せてはいるが町の骨子はブルガリアの首都と同じ臭いがする。

さらに市バスで日本大使館へ。菊の御紋をはりつけた入り口をくぐり館内へ。受付をすませ投票。比例は未来を選んだ。筆者の日本での最後の住所地のある東京一区の候補の中から誰かを選ぶのは不可能、ひどい選挙区もあったものだ。腐ったりんごと虫食いだらけのりんごのどちらでも好きなほうを選べと押し付けられている。選択肢は「該当者なし」。未来の候補だからといってN氏と書くのは踏み絵を踏むこと同然だ。こんな候補をあわてて立てるなら未来もお里が知れる。
職員の方に投票率はいかがですかと訊ねたところ、ぼちぼちです、と気まずい笑顔が返ってきた。留学生も商社や銀行に携わる日本人もこのアンカラには多いはず、民主国家で民主教育を受けて育った優等生たちには原発もTPPもたいした問題ではないのだろう。

勝手にすればいい。


世の中は「変える」ことはできない。何かの結果として「変わる」のである。我々が変わってはじめて世の中も変わる。主権者である国民が今のままではその延長上にある国も今のままだろう。しかし我々はくだらない知恵をつけられすぎたおかげで個々の思考が方向性を欠き、国として共同体として纏まりようがなくなった。そこで民主主義が数の理論で横車を押すことを認めざるを得なくなる。また、鍛えられずに成長してしまった我々の脆弱な思考力は社会生活に忙殺される毎日によってほぼ麻痺してしまった。そこで民意を問われたところで結果はわかりきっている。失意の海に沈みゆく日本。


潮流をよみ、風をも見据えて舵取りをするべきはずの我々は、民主主義という誤った海図を信じたためにに座礁した。

日本丸よ、いつまでそこで立ち往生するつもりか
はやく帆をあげてゆくがいい、潮はとうに満ちている。

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Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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