1965年5月6日
- 2009/10/18 06:12
- よりわけ: ひとり言
トルコへ移住してこの方八年住んだ家を引っ越すことになった。
たかが八年、されど八年。育児という大義名分のもとに家事を極力サボっていたせいで、いざ引き払うとなると宿題だらけである。
納戸の中から端午の節句のためにと父が持たせてくれた兜のお飾りが出てきた。これはもともと父の実家にあった物だが、その後私の弟のために飾られ、そして今ここにあるのは私の息子たちのため。父の実家のあった京都から東京へ、さらにはトルコへと、またどえらい都落ちもあったものである。
兜を入れてあった漆塗りの唐櫃はこの地での乾燥に堪えきれずばらばらになってしまい涙をのんで処分することにしたが、その中から面白いものを発見した。それは中敷にしていた古新聞 —京都新聞1965年5月6日付けだった。
父が産まれたのは戦況も厳しくなった1942年、当時父一家は台湾に居住しており終戦後に引き上げてきた。父のための兜飾りもあったのだろうが、それを携えて帰国したとはその頃の状況からは考えにくい。ではこの兜は誰のためのものであったか?
父は男ばかりの四人兄弟の長男なので私には三人の叔父がいる。一番小さい叔父は私より12、3歳年上で、1965年では7歳か8歳、真ん中の叔父は12歳くらいであろうか。おそらく、兜を飾り端午の節句のお祝いをしたのはこの年少の二人の小さい時、敗戦の傷が癒され、平和を謳歌できるようになったこの頃ではなかろうか。
お節句の翌日、祖母が兜をしまう時、中敷にその日の新聞を折りたたんでいる姿が目に浮かぶ。
二面に、米陸軍戦闘部隊がベトナムに到着したとの記事があった。日本の京都のとある家庭で子供の成長を慶ぶそのころ、冷戦という名の人類最大級の犯罪は着実に遂行されつつあった。
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