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くわずにょうぼう 魔よけ

旧暦の五月五日、端午節(端陽節)に菖蒲とよもぎを魔よけとして飾るならわしが大陸から我が国につたえられたのは飛鳥の終わりから奈良にかけてからと思われる。それより以前から「五月忌み」なる行事が日本にはあったという。田植えの働き手である女たちの穢れをはらう神事であり(米作りそのものが神聖な仕事であった)、その「五月忌み」と端午節はちょうど季節が重なったこともあって同一視されたのであろう、田植えをひかえた女たちは菖蒲の葉で屋根を葺いた小屋で一夜を過ごしその身を清めるようになったという。

菖蒲、よもぎ、いずれも生薬としての効果があり、ここでは書きつくせないほど多くの効能がある。病や死を穢れとしてとらえた古代の人々は薬効のあるこの植物を穢れを祓う存在として位置づけた。干ばつと疫病が遅い来る夏、黄泉の国が大きく戸を開くこの季節を人々は恐れた。死の世界の穢れを寄せつけまいと、夏の入り口である端午の節を菖蒲とよもぎで祓い清めたのであろう。

原発を何とかしなくてはならない。我が国から原発と原発族を叩き出さなくてはならない。飯を食わずによくはたらく女房の正体は化け物だった。その化け物に黄泉の国へと連れ去られる途中、男は命からがら逃げてきた。我々は男を守って戦わねばならないのだ。菖蒲の葉が剣と化して化け物を刺したというからには、我々も武装せねばならない。
何を以って武装せむ?銃や刀で身を固めたのでは西欧に陥れられたイスラム教徒たちと同じ運命を辿るだろう。
手にするべきは叡智という武器であり、鉄や鉛の塊ではない。そして叡智を蓄えた我らは自ら傷つくことを覚悟で切り込まねばならない。

失うものが、まだあるうちに



すべてがうまく運んだとする。地上から原子力を駆逐できたとして、荒れ狂う福島原発を手懐けることができたとする。東北の傷ついた大地を元に戻す術はあるのだろうか。

よもぎには、水銀・鉛などの有害金属を体内から除去する力、そして体内の癌抑制因子を助けるはたらきもあるという。ウラン、プルトニウムともに癌を引き起こす有害金属だ。

確証などない。しかし土を蘇らせるには、よもぎや菖蒲に限らず浄化作用をそなえた草花を育てるのがひとつの方法ではなかろうか。育ち、種をこぼし、枯れてはまた芽を出す。たとえ何十年かかろうと。


くわずにょうぼうをよく知る遠いご先祖は、後の世にこれを託したかった、そう思いたい。
きたる六月六日は旧暦で言う端午の節句、夏の戸が開く。黄泉の国が少し、近づく。


おわり
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くわずにょうぼう 離縁

前回の記事は、原子力という化け物の来し方行く末を民話・くわずにょうぼうに准えて創作したものである。
野暮とは知りつつ解説したい。

まずは配役を。
散々な目に遭う「男」     一般人、日本人、あるいは原発保有国の国民、国家そのもの
「女じつは化け物」      核燃料、原発、原子力エネルギー、それで生きる者
体にあいた無数の「口」   原発に群がる政治家、役人、企業、学者、大学、海外勢力
蔵の「カネ」          広い解釈での財産、「男」の分身
「山」              外つ国
「糞」              核廃棄物、放射能汚染

黄金飯を食わずによく働く原子力女房を娶って幸せだった男は見てはならぬものを見てしまった。それはがつがつと全てを食い尽くす口、口、口…
これが今日の日本の有様だ。福島原発の事故がおきて、原発産業の恐ろしい姿が露見した。もはやこんな女と暮らしてゆけるものか。我が国の国民は苦難を覚悟の上で原発に離縁状を叩きつけねばならない。甘い蜜を手放したくない化け物は荒れ狂い、山のものどもの力を借りて総攻めにかかるだろう。気づかなかったならば幸せな日々は続いたであろうか。

否。化け物は言う。どうせ蔵のカネが尽きた時ゃ同じ事をしてやる、と。

ここから先は進行中の現実、そして深い願いである。配役はまだはっきりとしない。

「桶」に放り込まれて男は連れ去られる。  「桶」は何を意味するか? 新たな国際法?、経済制裁? 戦争?
化け物はまさに傍若無人に突き進む。   ロケット弾をぶっ放しながら平和を叫ぶ某パラノイア国? 国連?
男は恐ろしさで何もできない         無為無策無能無睾丸の某国政府
「峠」ふと一息つく化け物。           「峠」はどこだろう?
天が男に差し伸べた「枝」           「枝」は何を意味するか? 政策転換? 救済者? 叡智? 


天がこの男を助けることを祈る。信心もなく善行ともさほど縁のないこの愚かな者、このような者だからこそ救いが要るのである。天が差し伸べるであろうこの千載一隅の助けを、この男はその手に握ることができるであろうか。下手をすると気づくことすらできぬかもしれない。または、枝を掴む勇気がなくそのままズルズルと山に連れて行かれることを選んでしまう、最悪の筋書きはこうだ。

参議院USTREAM中継 脱原発への道 1/2
参議院USTREAM中継 脱原発への道 2/2

今月22日、参議院行政監視委員会において、京都大学原子炉実験所に助教として勤務される小出裕章氏をはじめ、4名の方がそれぞれの立場で脱原発を訴え、その模様はテレビではなくインターネットでのみ公開された。ご存じない方も多いはずであるが、これは少しでも多くの方にぜひ見ていただきたいのでここに記すことにする。決して難しいことを言ってるわけではない。だれにでも判る言葉で、厳重な事実と甚大な知識からなる「脱原発論」を、たったの、たったの三時間で説いている。
この会議での四氏の言葉を天が差し伸べた枝と解さずして、なんとするか。

杞憂はたんすに押し込んで、男はうまく逃げられたとする。

悪鬼と化した化け物から男を守ったものは何か。傍若無人に振舞う原発の、原発族の、原発利潤団体の、この世をば我が世にせむと企む巨悪の恐れるものは「菖蒲」であった。慌てふためいた化け物が転んだ先は「よもぎ」に覆われた大地であった。焼けて腐って、溶けて、消えた。

急急如律令、この二つが何を意味するか、


早急に、緊急に、見出さなければならない



またまたつづく

くわずにょうぼう そして原子力

あるわけないけど欲しいもの カネのなる木に 魔法の杖に 不老長寿の瀧の水
くわずにょうぼう、とは、「都合のいいもの」の象徴である。

もとより天災であるはずの地震と大津波が引き金となった福島原発の惨憺たる状況を目の当たりにする今、もはや
人間の犯した過ちを、罪を咎めずにはいられない。常軌を逸した電気使用が日本の足を掬ったのだ。原子力の甘い蜜に群がる企業や政治家、そして学者は妖怪と化し、我々の耳に囁いた。

「遠い国から高い石油を買ってこんでも、こんな小さなウランでその何倍も電気が作れる」
「石油を焚くと煙が出るが、ウランは水も空気も汚さない」
「核燃料の燃えかすはまた使える。何度も使って、最後は貧乏な国にカネで押し付ければいい」
「原発は安全だ、絶対に事故など起きない」

「めしはくわねえ(カネはかからぬ)、よっくはたらくから(いくらでも発電するから)、
おらを女房にしてくれ(原発を推進してくれ)。」

いざ原発を女房にしてみると、それはいい働きぶりだった。それにちっともカネを食わない。ありがてえ、これで好き放題電気が使える。朝から晩まで、要るもんでも要らんもんでも作って売ってまた売って、いまに蔵に入りきらねえほどカネがたまるぞ。と喜ぶ男だった。

が、あるひ、男が蔵をあけてみると、あれだけあったカネがごっそり消えている。
こりゃ、いったいどうした?だれかが盗って隠したか?
男は痛い目に遭ってはじめておかしいと気づいた。飯を食わずに働くもんなどこの世にいる筈ないことに。
あるひ出かける振りをして、蔵の中に隠れてそっと見張ることにした。

「馬鹿めが、やっと出て行った」
女は立ち上がり、蔵へのしのしと歩いた。蔵の戸を開けると優しかったその姿はむくむくと膨れあがって鬼のようになり、きれいだった顔はまるで山賊の頭目のように変わった。着ていた着物はとうに裂けて肌があらわになっていた。見ると体中にに数え切れないほどの口がはりついていて、口々に何かをまくし立てていた。中には男の知らない異国の言葉も混じって聞こえた。女、いや、化け物は残り少なくなった男のカネをわしづかみにして体中の口に食わせてやった。

男は恐ろしさのあまり動けなくなった。化け物が居住まいを整えて蔵から出て行ってもしばらくそのまま何もできなかった。やっと我にかえって考えて、とにかくあの女房、いや化け物と離縁することにきめた。

「やっぱり原発はいらねえ、でてってくれ」

そう切り出した男に女は激怒して掴みかかった。
「みたなあ!」 すでにさっきと同じ鬼の姿。
「知られたからには仕方ねえ、このまま生かしておくものか。はん!どうせお前のカネが尽きた時ゃこうして同じ目に遭わせてやろうと思ってたよ。山につれて帰って死ぬまで働かせてやろうか、それとも五体ばらして仲間たちにくわせてやろうか!」

髷をむんずと掴まれ桶に放り込まれた男、がたがた震えて声も出せない。化け物はその桶を担いでもとの棲家へと向かい、走った。山道、けもの道をものともせずに走る。岩を蹴ころがし、木を押し倒し、なおも走る。峠を越えたか、という頃にはさすがに疲れた。桶を頭にのせたまま座り込んで一息ついた。そこへ天の助けか男の頭の上に木から一本に枝がだらりと下がってきたのだ。男はそうっとそうっと枝を頼りに木に登った。化け物はそれに気づかずそのままいってしまった。

「ものども、みやげをくれてやる」
頭から桶をおろしてみると、空っぽだ。山の者たちは腹を立てて言った。
「この役立たず、ひもじいぞ、もっと人が食いてえ」
もともと鬼のような姿は怒りでますます恐ろしく変わった。
「十っぺん殺してから食ってやる、糞になったら四方八方にまきちらしてはやり病をおこしてやる」
そういったが早いか化け物はもと来た道を取って返し、村へと逃げる男をすぐにみつけた。

いくら走ってもあの化け物にかないようがない。男は泥に足を捉られて転んでしまった。これまでじゃ、と観念したとき、化け物は急に怖気づいた。
「こええ、刺される」
男があたりを見回すとそこは沼地で菖蒲が生い茂っていた。
「やめろ、いてえ」
剣のような菖蒲の葉が男を守って化け物に斬ってかかった。

たまらず逃げ出した化け物は男と同じように、泥ですべって転んでしまった。
わめき声を上げて苦しむ化け物、体が焼けただれて溶け出した。
「ちきしょう、ちきしょう」

とうとう消えてなくなった。見るとそこにはよもぎの葉がびっしりと生えていた。
よもぎと菖蒲

またつづく


くわずにょうぼう

よっくはたらいて、飯を食わない女房がほしいなあ

男のそんな願いがかない、ちっとも飯を食わないでくるくるとよく働くおんなが嫁にきた。
これで蔵にはいりきらないほどの米がたまるぞ、とほくほく喜ぶ男。でもそれどころか蔵がほとんど空になっていた。
男はある日出かける振りをして梁にしがみつき女房の様子を見張ることにした。男が出かけたと思い込んだ女房は蔵から米俵を担ぎだし、釜に一俵の米ぜんぶ入れてじゃきじゃきと研ぎだした。そして釜戸の火ぼんぼんと焚いて米を炊き、戸板を外してその上ににぎりめしをこさえていった。女房が結い上げた髪をばらりと解くと、なんと頭のてっぺんにもうひとつの口があった。ぽいぽいと握り飯を放り投げれば頭の口はがぶがぶと飲み込む。男は恐ろしさで縮み上がった。

やっぱり一人のほうがいいから出てってくれ。

男の申し出に激怒した女房はその山姥の正体を見せる。見られたからは仕方ない、お前を連れて帰って山のものたちに食わせてやる。山姥は男をむんずととらえて桶放り込み、肩にのせて山へと走り出した。途中で疲れた山姥が座った隙に木の枝を頼りに逃げ出した男。きづかぬ山姥はそのまま山に辿り着くが、桶の中に男がいないのを知るや怒って引き返す。

男は菖蒲の花の生い茂る中に隠れたが山姥に見つかってしまう。これまでじゃ、と思ったとき、山姥は急に怯えだした。菖蒲の葉が剣となって男を守ったのだ。逃げ出した山姥はよもぎの葉の茂みに落ちて死んでしまう。常人にとって薬となるよもぎの葉の汁は悪い山姥には毒となるからだ。

                          くわずにょうぼう


この昔話は形を変えて広い地域に残っている。山姥か、蜘蛛あるいは大蛇が人に姿を変えて男の欲につけ入り腹を満たす。そして正体をみられて牙を剝くが、菖蒲とよもぎの`毒`にあたって命うを落とすというのがほぼ共通の筋だ。
読み終わって何かが腑に落ちないのであった。なぜなら、悪いのは山姥ではなくこの欲張りな男ではないのか?という思いがしてならなかった。おかしいのは飯を食わないでよく働く女房など欲しがるほうで、天罰が下ってしかるべき愚か者が助かりなぜ山姥が死なねばならないのか、そんなら私とて男前で稼ぎがよくて浮気も博打もしない子煩悩な亭主が欲しいぞと思う。

年を経て例のごとく少し違った考えを持てるようになった。ぜひ書きとめておきたい。

この男は聖人でも君子でもないのだ。飯を食わないでよく働く女房がいい、という願いは正しくないとしても人としては至極ふつうである。それに願ったというだけで、どこぞの娘を無理やり妻にして飲まず食わずで働かせたわけではない。だが、飯を食わないで働いてくれる女が向こうからやってきてしまった。それが災難でもあり、変だと思わずにほくほくと喜んでいた男の過ちでもあった。

この男は言うなれば「普通の人間」の典型である。日本の、あるいは地上の大半の男女が彼のような願いを持っていると思う。(もちろん程度の差はあろうが)
そして「普通の人間」たちは飯を食わない女房、あるいは男前で働き者の亭主があらわれるという「奇跡」に恵まれ喜んでしまうのだが、蔵が空になるという「痛い目」をみてやっとその「はかりごと」に気づくのであった。


つづく

ニンニキ西遊記 蛇足

あれこれと題した以上はもうすこし書いてみたい。
知らない方、よく覚えていない方のために配役を記しておきたい。
長さんの三蔵法師、志村けんの孫悟空、仲本工事の裟悟浄、ブーちゃんの猪八戒、ここまではいわゆる西遊記のメインキャラクターである。

だが常人の発想を超えた存在があった。
カトちゃんの持ち芸のひとつ、はげ親父の姿(ダボシャツ、ステテコ、首から下げた守り札、はげヅラ)で登場し、酒ばかり飲んでなぜか三蔵一行にくっついてくるというかつて類を見ない無関係キャラ、その名もカトーだ。

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原作に出てこないなどというのは言うまでもない。酔ってくだをまいたり敵の妖怪にからんだり、たまにピンクのライトで「ちょっとだけよ~」とか「あんたも好きね~」といったおなじみのネタを披露するだけの役である。
おい子供番組だろう!だの、おい西遊記だろう?などと言っている場合ではなく、もうカトーの存在をありがたく受け入れるしか術はなかった。同じ頃に「モンキーマジック」という堺正明主演の実写の西遊記が放送されていた。夏目雅子や西田敏行という素晴らしいキャストがそろっていたいたにもかかわらずそっちのほうは何故かどうしても物足りなかったという記憶があるが、それはおそらくカトーに匹敵する登場人物がなかったからではないかと睨んでいる。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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