火と炎
- 2011/07/27 22:04
- よりわけ: やまとことば
とおい昔に思いを馳せよう。
「炎―ほのお」の語源は「火の穂―ほのほ」であるという。大陸から漢字の伝わるそのずっと昔から火を道具として使っていた我らが祖先たちにとって、炎はあたかも草木の先端にみのるもののようであったらしい。
科学の世界では、炎とはマッチをすったときに生まれる熱と光を放つ玉、火とは炎が消えた後ぼうっと赤く光るマッチの軸をさす。我々が普段「火」と呼んでいる焚火やろうそくの火は本当は「炎」だった。「火」とは炭火や線香の火のようなもののことである。だがこれはあくまで科学の世界の話で、日本語という言語の中では「炎」は「火」のなかに含まれていることが多い。つまり「炎」と表現されたものは「火」と言い換えても差し障りなく、むしろ一音節と三音節という違いを利用し和歌の中で使いわけられてきたと見たほうがよい。しかし逆はそうもいかない。すべての「火」を「炎」に置き換えることはできず「炭火」のようなものは決して「炎」と呼ばないのである。
おのず、「火」と「炎」の間を取り持つのは「炭」ということになる。
「炭―すみ」は燃えそこなった(不完全燃焼した)燃料、おもに木片をさす。その語源は諸説ある中がいちばん明快なものが「済み―火が消えて済んだもの」から来ているという説で、「消し炭」という今も使われる言葉がそれを裏付けている。
火を熾すことを学んだ祖先たちは洞窟や崖下の住まいのなかで暖をとる術を模索したにちがいない。焚火などの炎では煙たくて仕方ないだろう。しかし燃え残った薪にもう一度火をつけてみると、なんと煙を出さずに燃えてくれる。しかも灰の中に埋めておけば眠らせることができる。風にあてると火が強くなる。これが「炭」であり、赤黒い炭火こそが「火」である。その「火」に乾いた小枝や草をおしつけると明るい玉がぽっとみのる。それを「炎―火の穂」と名付けたのであろう。「炭」との出会いが「火」と「炎」の違いを知り、使いこなすきっかけとなった。
より高い温度の火が必要になるのは土器をつくるとき、そして金属を加工するときであった。縄文式土器と弥生式土器の製法の大きな違いは焼成の方法で、前者の縄文式土器は焚火の中に直に投じて焼成するのに対し弥生式土器は地面を掘り下げるなどして、それを何か(おそらく葉のついた枝など)で覆って単純な釜をつくり焼いたとされる。
焚火で魚を焼いたことがある方ならお判りであろう、焦げるばかりでさっぱり火がとおらない。「炎」の出す熱の波は気が短いというか、表面ばかりに気を取られて中まで根気よく到達しないのである。縄文式土器の解説に低温で焼成されたとの記述が多い。間違いではないが温度だけの問題ではない。
炭火で焼いた魚は焦げずに中まで焼けていてしかも旨い。これは「火」の出す熱の波の、気長で粘り強い性質に拠るものである。釜の吸気と排気の道を制御すれば温度を上げることも下げることもできる。弥生式土器は高温で焼かれたというだけではく、火を操ることをもってつくられたのだ。その技は金属加工に受け継がれる。鉄器や銅器を鋳造、精錬するには炭火の利用をおいて他に術はなかった。
さて、筆者は日本史の教科書に古代人が竪穴住居の前にすわって弓のような道具で火をおこしている挿絵があったのを記憶している。火をおこすのはかつては大変な作業であった事を教えた訳だがちと疑わしい。煮炊きのたびにいちいち弓を使って火を熾していたのでは、子供が腹を空かせて泣き出しはしまいかと思うのである。ワラを一本、子供に持たせて先に朝餉の支度を始めたお隣さんから火種を頂戴したほうがよろしくはないか?夕べの炭を灰の中から「ほれ、おきろ」と掘り出して使ったかもしれない。「火をおこす」という表現はこのあたりから来ているとも考えられる。そして弓きりとよばれる火道具は村一番の早起きさんが朝一番に火を熾すのに使ったか、おもに狩りや旅の共として使ったと考えるほうがたやすい。
穂から種がこぼれて命を継ぎそれを繰り返すことは古代の人々にとってこの上なく大事な出来事で神の恵みそのものであったはず、「火の穂―ほのほ」から「火種―ひたね」を得て火を継ぐ。その作業に自然界の転生を意味する言葉をあてたのである。すでに暮らしから切り離せぬものであってもひとつ間違えば山をも焼き尽くす「火と炎」、それを扱うには、おのずと神の助けを求めただろう。
鍛冶、製陶、凡そ火を扱う職場には必ず神棚があり、職人は身を清めて神に礼を尽くしてから仕事にかかる。家の釜戸にすら神が祀られている。火を扱うことは神事でもあったのだ。火事や事故から身を守ることだけではなく、己の職を全うするための力を分け与えてもらおうと祈願するのである。
現代はどうか。すべてが電気制御で焚火はおろかもはやマッチを擦ることすらない生活をしている。火といえばせいぜい喫煙者が煙草を点けるぐらいだろう。これを「高度な文明」と信じて疑わない。
われわれの見ていないところで炎は燃え続けているのだ。電気の発明以来その需要は止まるところを知らず高まり続けている。しかし電気の供給を担うのは今日も依然「火」と「炎」である。燃料たる石油やガスを巡っては醜い争いが絶えず、不運にも足元から石油が湧いてしまった国々は常に搾取される立場に追いやられた。劣悪な雇用条件に抗議する炭鉱労働者の暴動が絶えなかった先進国は、労力のいらない、しかし危険極まりない燃料である「核」を地球の原動力にすえるために地球温暖化現象をはじめとするあらゆる大嘘を並べて人類を騙した。搾取や嘘の上に成り立つ文明など、行き着くところは地獄と決まっている。地獄の業火がこの世をを焼き尽くす日を人は恐れて然るべきである。
「高度な文明」の正体はもう見えている。いつまでそれを追いかけるのか。心に火を灯して見極めてはどうか。
「炎―ほのお」の語源は「火の穂―ほのほ」であるという。大陸から漢字の伝わるそのずっと昔から火を道具として使っていた我らが祖先たちにとって、炎はあたかも草木の先端にみのるもののようであったらしい。
科学の世界では、炎とはマッチをすったときに生まれる熱と光を放つ玉、火とは炎が消えた後ぼうっと赤く光るマッチの軸をさす。我々が普段「火」と呼んでいる焚火やろうそくの火は本当は「炎」だった。「火」とは炭火や線香の火のようなもののことである。だがこれはあくまで科学の世界の話で、日本語という言語の中では「炎」は「火」のなかに含まれていることが多い。つまり「炎」と表現されたものは「火」と言い換えても差し障りなく、むしろ一音節と三音節という違いを利用し和歌の中で使いわけられてきたと見たほうがよい。しかし逆はそうもいかない。すべての「火」を「炎」に置き換えることはできず「炭火」のようなものは決して「炎」と呼ばないのである。
おのず、「火」と「炎」の間を取り持つのは「炭」ということになる。
「炭―すみ」は燃えそこなった(不完全燃焼した)燃料、おもに木片をさす。その語源は諸説ある中がいちばん明快なものが「済み―火が消えて済んだもの」から来ているという説で、「消し炭」という今も使われる言葉がそれを裏付けている。
火を熾すことを学んだ祖先たちは洞窟や崖下の住まいのなかで暖をとる術を模索したにちがいない。焚火などの炎では煙たくて仕方ないだろう。しかし燃え残った薪にもう一度火をつけてみると、なんと煙を出さずに燃えてくれる。しかも灰の中に埋めておけば眠らせることができる。風にあてると火が強くなる。これが「炭」であり、赤黒い炭火こそが「火」である。その「火」に乾いた小枝や草をおしつけると明るい玉がぽっとみのる。それを「炎―火の穂」と名付けたのであろう。「炭」との出会いが「火」と「炎」の違いを知り、使いこなすきっかけとなった。
より高い温度の火が必要になるのは土器をつくるとき、そして金属を加工するときであった。縄文式土器と弥生式土器の製法の大きな違いは焼成の方法で、前者の縄文式土器は焚火の中に直に投じて焼成するのに対し弥生式土器は地面を掘り下げるなどして、それを何か(おそらく葉のついた枝など)で覆って単純な釜をつくり焼いたとされる。
焚火で魚を焼いたことがある方ならお判りであろう、焦げるばかりでさっぱり火がとおらない。「炎」の出す熱の波は気が短いというか、表面ばかりに気を取られて中まで根気よく到達しないのである。縄文式土器の解説に低温で焼成されたとの記述が多い。間違いではないが温度だけの問題ではない。
炭火で焼いた魚は焦げずに中まで焼けていてしかも旨い。これは「火」の出す熱の波の、気長で粘り強い性質に拠るものである。釜の吸気と排気の道を制御すれば温度を上げることも下げることもできる。弥生式土器は高温で焼かれたというだけではく、火を操ることをもってつくられたのだ。その技は金属加工に受け継がれる。鉄器や銅器を鋳造、精錬するには炭火の利用をおいて他に術はなかった。
さて、筆者は日本史の教科書に古代人が竪穴住居の前にすわって弓のような道具で火をおこしている挿絵があったのを記憶している。火をおこすのはかつては大変な作業であった事を教えた訳だがちと疑わしい。煮炊きのたびにいちいち弓を使って火を熾していたのでは、子供が腹を空かせて泣き出しはしまいかと思うのである。ワラを一本、子供に持たせて先に朝餉の支度を始めたお隣さんから火種を頂戴したほうがよろしくはないか?夕べの炭を灰の中から「ほれ、おきろ」と掘り出して使ったかもしれない。「火をおこす」という表現はこのあたりから来ているとも考えられる。そして弓きりとよばれる火道具は村一番の早起きさんが朝一番に火を熾すのに使ったか、おもに狩りや旅の共として使ったと考えるほうがたやすい。
穂から種がこぼれて命を継ぎそれを繰り返すことは古代の人々にとってこの上なく大事な出来事で神の恵みそのものであったはず、「火の穂―ほのほ」から「火種―ひたね」を得て火を継ぐ。その作業に自然界の転生を意味する言葉をあてたのである。すでに暮らしから切り離せぬものであってもひとつ間違えば山をも焼き尽くす「火と炎」、それを扱うには、おのずと神の助けを求めただろう。
鍛冶、製陶、凡そ火を扱う職場には必ず神棚があり、職人は身を清めて神に礼を尽くしてから仕事にかかる。家の釜戸にすら神が祀られている。火を扱うことは神事でもあったのだ。火事や事故から身を守ることだけではなく、己の職を全うするための力を分け与えてもらおうと祈願するのである。
現代はどうか。すべてが電気制御で焚火はおろかもはやマッチを擦ることすらない生活をしている。火といえばせいぜい喫煙者が煙草を点けるぐらいだろう。これを「高度な文明」と信じて疑わない。
われわれの見ていないところで炎は燃え続けているのだ。電気の発明以来その需要は止まるところを知らず高まり続けている。しかし電気の供給を担うのは今日も依然「火」と「炎」である。燃料たる石油やガスを巡っては醜い争いが絶えず、不運にも足元から石油が湧いてしまった国々は常に搾取される立場に追いやられた。劣悪な雇用条件に抗議する炭鉱労働者の暴動が絶えなかった先進国は、労力のいらない、しかし危険極まりない燃料である「核」を地球の原動力にすえるために地球温暖化現象をはじめとするあらゆる大嘘を並べて人類を騙した。搾取や嘘の上に成り立つ文明など、行き着くところは地獄と決まっている。地獄の業火がこの世をを焼き尽くす日を人は恐れて然るべきである。
「高度な文明」の正体はもう見えている。いつまでそれを追いかけるのか。心に火を灯して見極めてはどうか。
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