こんなご時勢ではありますが 電線音頭とまいりましょう

眉間のしわが深くなる

こんな浮き世に誰がした


人の迷惑かえりみず

やってきました電線軍団


見知らぬあなたもご一緒に 

電線音頭とまいりましょう!!






電線マンってニューギニア生まれだだったのか…知らなかった
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ことのは いまむかし

大陸から漢字が伝わる前、わが国には表記文字がなかったと「されて」おり、学校の日本史でもそう習う。そしてそれを疑う余地はあまり残されていない。
現在、漢字以前からの「日本固有の古代文字」に関する研究が数多くなされ書物も出回っているがどれもトンデモ扱いを受けている。国費を投じての調査・研究どころかケンモホロロの門前払いだ。自国の古代史にここまで薄情な国も珍しい。
まるで古代文字があっては迷惑する連中がいるかのようであるが、しょせん行き着くところはその辺りではなかろうかと思う。



遠い昔、今の日本の地で交わされた言葉を「やまとことば」という。

表記文字が「なかった」以上は古代語がどのようなものであったかを予測し、検証するしかない。
今日つかう日本語の中で、漢字で書いたときに訓読みをする語彙すなわち「やまとことば」であればその語源を単純な動詞に見出すことができる。おもしろいので是非ためしていただきたい。

たとえば「恋」、もとは(恋ふ)という動詞であり(請ふ、乞ふ)さらに(媚ぶ)などと同源の語彙である。「愛」などは外来語で、「愛す」は(愛)に動詞(す)をくっつけた漢語動詞でしかない。わが国で「愛してる」などと言われると鳥肌が立つのは先祖の血が拒否しているにちがいない。外国人男性が日本女性をたぶらかす際には「アイシテル」はやめて「スキ」と言うのをお勧めしたい(あくまでも日本語を正しく使ってもらうために)。

動詞「ミル」は、見る、観る、視る、診る、看る、…といくつもの漢字を当てることができるが、すべて(目)のする仕事を表している。ながメル、こころミル、かへりミルなどは「ミル」からさらに生まれた動詞だ。メ(目)は映像を取り入れる器官、そして、家の中に戸外の眺望をもたらすマド(窓)はマ(目)のためのト(戸)と考えられた。

このように、やまとことばは決して難解ではなく、むしろ小さな子供がはじめて言葉をおぼえていく時の驚きや感動に似たものを与えてくれる。



それでは、わが国の古典がなぜにあれだけややこしいのか。好きでなければ古典などに誰も近づこうともしないだろう。

飛鳥、奈良時代を通して大陸からひっきりなしに文物が渡ってきた。詔勅や律令をはじめとする朝廷の公文書はすべて漢文で作られ、それどころか官職・法令すべてが大陸の制度に基づいて整えられた。万葉仮名をつかい日本語として書かれたものは和歌とその注釈が残るのみである。

これは何を意味するか。朝廷の貴族たちはみな漢語に長けてなければならなかったということになるが、逆にいえば日本語などできなくてよかった。日本語を知らない大陸人が朝廷の官職に就いても差障りなく、わがもの顔でいられたことにもなる。
万葉の時代、朝廷に「歌人」という職能者がいたことを思えば、漢詩はつくれても和歌のよめない貴人が多かったのではないだろうか。

ある時代を境に国家の中央での言語が大陸の言葉に席捲されてしまった。それが日本語の古典を複雑なものにしたのだ。

庶民たちはどうであったか。
おそらくは大陸の言葉などとは縁がなかったのではないかと考えられる。日本史に庶民の暮らしが見えてくるのはずっと後の時代である。武士がおこり、貴族たちから国の主権を奪う時代が来るまで古代のやまとことばを使い続けていたかと思われるが、やはり筆者の推察の域をでない。




このよをば わがよとぞおもう もちづきの かけたることの なしとおもへば

藤原道長は己が世の栄華をみずからこう詠った。はたしてこの歌が日本人の心情に合うかどうか、筆者にはとてもそうは思えない。散りゆく花を、山の端からいづる月をめでた我々の先祖よりも、酒池肉林を好んだかと思えば嘆きのあまり白髪が三千丈も伸びる国の人々にふさわしくないだろうか。日本人であれは欠けぬ満月などを恐れこそすれありがたがりはしない。

道長から遡ることおよそ百年、藤原氏の増長に釘を刺し、さらに遣唐使の廃止を建白した菅原道真を失脚させたのは藤原時平であった。

さらに昔、道長や時平の直系の祖である藤原不比等は文武天皇に娘・宮子を嫁がせ聖武天皇を産ませている。文武天皇の乳母を勤めた橘三千代を妻にし、その\口添えもあって朝廷内で頭角を現した。漢語や唐の律令制に明るい不比等は大宝律令の編纂に大きく関与している。さらにその三千代との娘の光明子を聖武天皇に嫁がせた。藤原家と天皇家との強固な外戚関係はここに始まった。

そして不比等の父親は、蘇我入鹿を倒した鎌足である。
息子の最後を知った蘇我蝦夷は自害、屋敷は焼き討ちに遭い、日本書紀・古事記よりも古い「国記」と「天皇記」は焼失してしまった。また、その時代の生き証人たるそのほかの書簡、宝物も灰となった。

学校日本史は大化の改新を評価して曰く蘇我氏の専横を粛清したとあるが、その評価のよりどころは藤原氏の都合で書かれた日本書紀にほかならない。蘇我馬子は遣隋使を通して大陸の不穏な情勢を察知し大陸外交に慎重になるよう聖徳太子とともに天皇に上奏していた。「国記」「天皇記」は聖徳太子と馬子によって編纂されたがその内容は全く不明である。ただ、藤原氏はその起源に陰をおとすようなことが書かれたものを残しはしなかったであろう。だからこそこの世に姿をとどめていない。
 
こうして日本の古代史や古代言語は深い闇の中に隠されてしまった。 
また、もしかすれば古代文字も時の権力者によって同じくその跡を消されたのかもしれない。


平安時代の遣唐使廃止によって事実上の鎖国をした日本には国風文化の花が咲いた。外国語である漢文も女房たちの手でひらがなに書き下され、漢語と融和した日本語として生まれ変わった。やまとことばの単純明快さはすでに失われたとしても日本人の心を描くに足る美しいことばが出来上がった。

また、徳川幕府が鎖国を布いた日本には江戸時代という奇跡の時代がやってくる。この国が政治、暮らし、そして言語のすべてにおいて最も成熟した時代である。

明治以降、モダンな外来語が流入し、また日本になかった西欧の価値観を輸入するために漢語由来の新語が次々と作られた。そして戦後はもはやどっちを向いてもカタカナだらけ、外来語抜きでは生活もままらなくってしまった。

日本語の変遷が日本の外交政策と深く関わっていたことはすでに書いたとおりである。外から常に負の影響を受けながらもそれを克服し昇華することに成功してきた。二度の鎖国のあとに日本語が独自の発達を遂げたことがそれを証明している。しかし三度目の鎖国はどう考えても無理であることから、日本語のこれ以上よくなることも無理だ、とつい悲観してしまうのは筆者だけであろうか。

たかがコトバと思わないでいただきたい。コトバとは「言の葉」であり「事の端」でもある。やまとことばの世界では(言と事)、(葉と端)はそれぞれ源を同じくする。つまり我々の口から出る事の葉は、我々が生み出す事象の写し絵であり、それは昔も今もこれからも決して変わらない。いまの日本語の味気なさと醜さは日本の味気なさと醜さである。



王族の陵墓か、三輪山の奥深くかは判らぬが、どこかに古代の日本の姿を伝えるものが息をひそめて待っているのかもしれない。それを目の当たりにした時、日本人はどう受け入れるか、それに微かな望みをかけたい。



追記  先日23日にトルコで大きな地震(M7.2)がありました。山の険しい地域であるため被害状況がまだ把握されていませんが、私の在所からはかなり遠いため無事にしております。ご心配いただきありがとうございます。また、救援を申し出てくださった日本の方々にこの場を借りまして深くお礼申し上げます。

キライな日本語――養生なき「健康」

「健康」というこの言葉には日本語になじまない何かがある。日本語が日本の暮らしを綴る言葉であるという考えを以ってすれば、「健康」と日本人の間にそぐわぬ何かがありそうだ。
健康茶、健康蕎麦、健康味噌、何でもいいがおよそ食品に「健康」の文字がくっついただけでマズそうになる。食べ物に限らず「健康ランド」「健康ビジネス」「健康ショップ」と、健康の次にカタカナ語がつづくとチャチになる。まことに不可解なことばだ。


まずは語原。
易経に出典をもつ「健体康心」、健やかな体と康らかな心を意味する。もちろん、やまとことばに縁もゆかりもない外来語、いや、外国語だ。
今から三千年以上も前、孔子以前から存在した「易経」が明確に現れたのは漢の武帝のころであった。後の後漢の時代に詩、書、礼、春秋、など並び「五経」と呼ばれ儒教の基本経典となった。

我が日本には531年(継体帝)に百済の五経博士がそれを伝えたとされる。しかし「健体康心」の一節はとくに目を注がれることもなく、日本語として息を吹き返すまで千年以上待つこととなる。

「健康」にあたる古語はない。一番近いのが「まめ」だが、かなり新しい。遠い先祖たちは病気や禍のないことを「つつがなし」といったが健康とは違う。「健康」は日本でまだ日が浅いのだろうか。


古語「むくろ」は「ム(霊、身)」と 「クロ(殻)」からなり、「からだ」を意味する。
やまとことば(古代日本語)の語彙はすべて二音節の単純な動詞からはじまる。その動詞に語尾が一つ、時には複数くっついて別の動詞に、または形容詞に、名詞に変わって語彙が増えてゆく。この特徴は「膠着語」と分類され、朝鮮語、フィンランド語、テュルク(トルコ)語などが仲間だ。

「クル(繰る)」から「クルム(包む)」が生まれ、胡桃、栗、そして殻、蔵、倉がさらに生まれた。殻も蔵も何かを包み込む容器として考えられる。では「ムクロ(躯)」は何を包んでいたか、それは「タマ(霊)」に違いない。

「玉の緒よ 絶えなば絶えね 永らえば 忍ぶることのよはりもぞする」

霊(玉)をむくろに繋ぎとめているものを「玉の緒」といい、それが絶たれると霊がスルリと抜けてしまう。死を意味する。霊の抜けた体を「ナキガラ(亡骸)」といった。日本の祖先は人の体を霊の入れ物と捉えていたことが判る。

死は「穢れ」と恐れられた。病や事故、天変地異そして犯罪も「穢れ」に含まれる。「汚れ」との違いは「洗い」流せないところにあり、「忌み(祓い)」を行うことが求められた。夏のはじめに菖蒲の葉で屋根を葺いた小屋に大事な働き手である女たちを集め、日本人の恐れた季節、夏にそなえる「五月忌み」を行った。(この風習は紆余曲折あって「こどもの日」となった。)菖蒲の葉の持つ薬効を穢れを祓うものと解していたのだ。

わが国の医療の原点はここだった。

「穢れ」は「ケ(褻)」が「カレ(枯れ)」た状態である。ケとはハレを祝祭などの非日常としたときそれに対する日常をいう。つまり日常が枯れ豊かさを失ったさまをさす。病人や怪我人、災難を被った者、飢えた者、家族を失った者は日常を欠き心を乱し、躯が傷み、「穢れ」が進み死に至る。心と体をそれぞれ別のものと捉えながらも互いに強く影響を及ぼしていることをよく知っていた。。外的あるいは内的な要因が体調を崩す、そしてそれが進行し命を落とすことはかなり昔から認められていたことになる。しかしそれは今ではとうに忘れられ「穢れ」は差別を仄めかす言葉と化した。

そして人と国の間にも同じ絆を見出していた。薬効のある植物、塩や酒で患部を清め、罪人を咎め、地神海神を祀って赦しを請い、死者を墓に葬り「穢れ」を遠ざけた。政治を意味する「まつりごと」は「祀りごと」であった。


心が痛むと体が病む。その心を痛めるものとは禍々しい出来事すなわち「穢れ」である。そして、その穢れの中には「病」も存在する。「病」のみならず悪いことは輪を描いて立ち戻る。すべては循環する。


古代から中世へと時代が降るにつけ、世の中を握る貴人と呼ばれた人々の心は権力欲にとり憑かれ人を欺き陥れることに明け暮れた。その罪悪感にと末法の世に対する恐れが重なって生まれたものが「悪霊」である。天災や疫病、国の乱れの原因を「たたり」によるものとした。有名なのは菅原道真、讒言のすえ大宰府に配流され失意のうちに世を去るが、都の人々は寄せ来る災禍を道真の祟りと恐れ、神として祀ることでこれを鎮めんとした。そのほかにも仏教界は「鎮護国家」を名目にここぞとばかり寄進を募り寺院建立と勢力の拡大を図った。相次ぐ遷都、造営、戦乱に国は疲弊し、病み、さらなる国の乱れを引き起こした。

鎌倉時代以降、世は貴族から侍の手に移った。

「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、 我こそは…」

名乗りを上げて真っ向から戦うことを潔しとし、自ら太刀を振り、常に死と背中合わせに生きる武士が国の実権を握るようになると人心はようやく悪霊から開放された。また、家、国、民を守るために命をかけた武士たちは相次ぐ戦いに臨む強さを得るために粗食を旨とし体と心の鍛錬を怠らなかった。このような世の中でも百姓衆の間で猿楽や田楽が興りそれが能楽の礎となった事は、この国の底辺にいた人々でさえ食うや食わず以上の暮らしをしていたのを物語る。

そして戦乱は鎮まり、泰平の世が訪れた。執政者のみならず市井の人々までもが歴史の表舞台に立つ時代、江戸時代が幕を開けた。

江戸の中頃、朱子学者の貝原益軒によって体と心を養う術を綴った「養生訓」が著された。これは儒教の精神に基づいてはいるが漢文の書きくだしのような難解なものではない。庶民にもわかり実践できるようにと易しい文体で書かれていた。
「天寿というものは本来長く、人は気を損なうことで自ら命を縮める」
「内敵(欲と感情)、外敵(風・寒・暑・湿)を畏るべし」
「およそ人の楽しむべきこと三あり、善き行いを楽しみ、病なきを楽しみ、長寿を楽しむべし、富貴などはその内にあらず」

欲と感情の虜になって「気」をすり減らすと風・寒・暑・湿という外的要因によって体の機能が破られる。これを病という。「やまいは気から」の本当の意味はこれである。もともと「気」とは中国気孔術でいう血や体液、内分泌の通り道、さらには天地との関係を意味する。今の日本語の「気のせい」「気にするな」などにみられる「気」は漢語外来語を日本流に柔らかく解釈したものであるが、本来の意味を失ったわけではなく我々が見落としてもはや気づかなくなっているだけである。
時間のゆるす方はこの「養生訓」をぜひ読んでいただきたい。原文でもじゅうぶん理解できる傑著である。

幕末、蘭学者たちの間では「強壮」「壮健」「康健」などの言葉が使われだした。そして「健康」が日本語としてはじめて使われたのは高野長英の著した「漢洋内景説」(1836年)、続いて緒方洪庵による「病学通論」(1849年)であるという。洪庵のほうがより積極的にこの語を使用したことが著書から伺われることから「健康」の親は洪庵であろうという見方がある(北澤一利『「健康」の日本史』 平凡社新書)。
緒方洪庵は漢学をも修め、造語にも秀でた才をもっていた。。易経などにも通じていたと想像できる。

一般の日本人に「健康」なるものを広く知らしめたのは洪庵の門人、福沢諭吉であった。英語healthの対訳に「健康」を適用、「学問のすゝめ」をはじめとする著書のなかでたびたび使用し、国民に「健康」を啓蒙した。
しかし健体康心を語原にもつ割にはあくまで生理的、物理的な正常さを説くにとどまり「心」の方はあまりにもおろそかにされた。日本人の体格を西洋人のそれと比較し遅れていると見なし、追いつき追い越さんと強壮を謳い、一方では兵力と労働力を強化するために子供を生み増やす事を奨励した。 

北澤氏は福沢の「健康」に対する理念が富国強兵政策の道具にされ残念だ、と嘆いているが、逆である。たしかに国民を鼓舞して世論を新政府の意向にそぐわせたのは明六社、そして福沢諭吉らであった。が、新政府の政策を西欧列強に追随せしめたのもまた明六社を筆頭とする啓蒙家たちであったことを忘れてはならない。この売国行為の末、先祖の教えを軽んじ、あめつちとの関わりを絶った日本は内側から綻び、病んでいった。

いま、戦力はあまつさえ労働力もあまり必要でなくなった。機械が働くか、輸入する。すると「健康」は政府の手を離れ市場の道具と化した。不要で過剰な医療によって大金が動きそのぶん体は痛めつけられ、抗菌・滅菌商法はさらなる疾患の元となった。そして「健康商品」「健康食品」にすがるが如く投資する。わざわざ「心の健康」なる言い回しをせねばならないのは「健康」がそもそも物質であることを意味している。



「健康」などはまさにカネで売買するものでしかない。国をも売り買いする輩が生み出した言葉にふさわしい。



「健康」は商売になっても養生ビジネスなどは成立しないのだ。養生とともに本当に必要な医療とは、感染症から弱者を守り、難産から母子を救い、怪我人に迅速な手当てを施すことだ。みなが「養生訓」を実践したのでは今の医療の殆んどは要らなくなってしまう。そして医者の多くが路頭に迷うことになる。そんな世の中が来ることを願う。

人ひとりがつつがなく楽しく生きるためには、その入れ物である国が病んでいてはならない。同じく、けがれなき国をつくるにはそのあるじたる一人ひとりが善い生き方をせねばならない。つつがない、けがれない暮らしを喜び、そうあるために努めるのが国をつくることに繋がる。殆どの病は備えを怠り欲に負けた自らが引き起こす。国難もしかり、国民が行いを正すことで救うことができる。

もし、息子たちが医者になりたいなどと言い出したら、
「食べていかれないから よせ」
と諭すつもりである。

孤児 パレスチナ

  • 2011/10/01 09:11
  • よりわけ: 世界
2009年6月、エジプトを訪問したオバマ大統領はカイロ大学で演説した。
イスラームとの融和を宣言し、そこでパレスチナ人の国家を運営する権利を強調した。

そして2011年の今日この頃、アメリカはパレスチナの国連加盟を拒否する姿勢を明らかにした。過半数のアメリカ国民もそれを支持する。

ごく、至極普通にこれを評価すればアメリカの二枚舌は世界から批判されて当然だろう。たちの悪い虐めをするな、まだ石油が呑み足りないか、イスラエルに頭の上がらない甲斐性なし、と。


国際社会の「孤児」は国家として承認されることを求めている。
では、願いかなって国連の一員となればパレスチナでの戦火は絶えるのか?

答えは「否」。
なぜならイラクも、アフガニスタンも、国連加盟国だ。

そもそも国連に加盟するとどんな特典がついてくるのか、今となってはまったく不明だ。軍事力を持った国がその国益を得るためのあらゆる破廉恥な行動を世界に「認知」させるための役所でしかないではないか。その下にあるWHO,WFPの医療や支援の活動も極めていかがわしい

ではパレスチナはなぜに国連加盟を望むのか。
アメリカがこれを拒否することは当然知っていた。国連なる機関に本気で何かを期待してはいない。2008年の終わり、イスラエルは白リン弾、劣化ウラン弾までも使用しパレスチナの民間人を焼き殺した。クリスマス休暇中の国連は業務停止中で無反応。国連は体面を保つため敢えて休暇中の攻撃を要請したか、キリストの苦悩を分かちあうためにその誕生日の前後は虐殺をしても良いという教義があるのかどちらかは判らないが、ともあれ年が明けた後「遺憾」の意を伝えた。

いまさら国連が救世主と信じるほどパレスチナ政府も市民も愚鈍ではない。
なぜならシリアも、リビアも、国連加盟国だ。

パレスチナとしては和平交渉をしようにも「自治区」の肩書きでは「国」として交渉の席につけず、常に第三国の仲介が必要となる。国連がどうというよりも先ず「国」にならねばなにもはじまらないのだ。
現時点で多くの国から加盟支持を取り付けているパレスチナは、加盟がアメリカの拒否に妨害されたとしてもこれを機に国家として認知されることを目的としている。
「里親」など必要としていない。

 

英仏は「アラブの春」の成果の維持のために加盟を歓迎できないとの建て前を取るが内心は、波風立てて欲しくない、賛成すればユダヤ人の機嫌を損ねる、反対すればアラブ社会はもとより世界の世論に馬脚を見せることになるではないか、と迷惑がっている。ちなみにアラブの春の成果とは「アラブ諸国の民主化」などではなく欧米による石油・天然ガス利権の獲得である。ブレア元首相は反対票集めに各国を説得(恫喝)している。

ドイツはイスラエルが絡むと金縛りにかかって口がきけなくなる。かわいそうなので誰もドイツを咎められない。


アメリカがイスラエルの尻に敷かれていると思い込むのは正しくない。
イスラエルはアメリカの女房ではなく、実の子供である。
アメリカが表立ってできないような汚れ仕事をさせるために作った子供が「国家イスラエル」なのだ。そして当のアメリカもかつては同じ事情で生まれたイギリスの子供だった。

パレスチナが国連加盟を果せがイスラエルが怒り狂いまた爆撃が始まりそして報復合戦。

加盟がかなわなければパレスチナ側の不満が爆発しイスラエルに攻撃、そして報復合戦。


中東の火種は世界の金ヅル、どちらに転んでも結果は同じだが、アメリカにしてみれば後者のほうが馬鹿息子のためにも都合が良い。


日本。アメリカを愛して止まない我が日本政府は同盟国という愛人関係にありながら賛成の意向を見せ、とりあえず国民からの総スカンから逃げた。

しかし事実上、誰かが「いや」と言ったところで何も変わらない。
だから日本がいやと言ってもが咎められない。咎める必要すらない。
賛成できても「孤児」パレスチナについて意見することは許されない。
そして当然、賛成したことの見返りを要求されるのだ。



「許して。国債買ってあげるから。TPPにも入るから。だから棄てないで。」
「よせよ、トモダチだろ。」

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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