ねんねんころりよ

二歳の娘は放っておいても勝手に寝てくれる子だ。それでもある時、めずらしく子守唄を唄ってやったことがある。

ねんねんころりよ おころりよ
短調の、悲しいしらべ。

するとどうしたことか、娘の唇は震えだし目に涙をためた。

驚いて唄うのをやめたら、もっと唄えとせがまれた。
そんなわけはないと思うが美声に感動したのだろうか?
それとも、こんな小さい子でも曲調の悲しさがわかるのだろうか?
背中をトントンと叩きながら、続けて唄った。

日本の調べは西洋音楽で言うところの「短調」なのだから、なんとなく「悲しい」のかもしれない。旋律が人のこころに何かを訴えるのには違いないだろう、なぜかはわからないが。

筆者がこの子と同じ齢のころ母はまだ学生だった。いつも傍にいてくれたのは母の祖母、筆者のひいおばあちゃんで、「ねんねんころり」を聴いた記憶は祖祖母へと繋がる。明治の生まれで、いつも着物をきていた。

祖祖母は孤高の人といおうか、技術者であった夫と死別した後は再婚することもなく祖母とその弟を育て上げた。資産もあったのだろう、戦時中に祖母を東京の女学校にまでやることが出来たのだ。が、そこで戦況が悪化し、祖母は女子挺身隊の一員として電話交換手として働いた。
戦後すぐに祖母は挺身隊時代の監督員(?)だった兵士に求婚され一緒になった。会ったことはないが筆者の実の祖父に当たる人である。「男前だったけどとんだ貧乏くじだったね」と、祖母は述懐する。

喘息もちでちっとも働かなかったそうだ。ある時点で祖母は二人の娘を連れて夫を見限り京都へ。そこで知り合った料理人と再婚した。シベリア帰還兵だった。
二人の娘、すなわち筆者の母と叔母は別々に養女に出された。戦後を生き抜くための選択だったのだろうが、まずかった。何度も引き取りなおしては、また別の家に遣ったりしたのだ。母とその妹はそのまま生き別れた。

しかし最後に縁組した先が母の人生を決めたのだった。長唄のお師匠さんであった。
母は義母に弟子入りした。



そういう時代だったのか、筆者の父の両親はその親から無理やり離婚させられたという。父もまた、当たり前の家庭で育つことが出来なかった。実の母親に会うことは許されなかったという。父とその弟がだいぶ大きくなったころ祖父はようやく再婚、さらに二人の男子が生まれる。

父の実家は京都にあって、祖父はお囃子という世界の人間だ。鼓や太鼓の奏者である。祖父の養父(これまた養子縁組)から続く流派で、父はその後継、筆者の弟もその道を進んでいる。

そんな父と母が出会ったのは東京の音楽学校。それぞれの境遇を知ってか知らずか、とにかく惹かれあった。父には婚約者があった。それを破談にしてまでの恋愛だった。

まず怒り狂ったのは母方の祖母であった。
「河原こじきの端くれに大事な娘をやれるもんか」そう言ったそうな。滅茶苦茶な言い分もあったものだ。だいいち河原こじきは役者に対する蔑称で奏者にはつかわない。
「そない言われてまで嫁にもらう筋合いなどないわ!」というのが父方の祖父。それでも一緒になりたいという父、「好きにさらせ」とその場で勘当をうける。


二人は学校のそばのアパートで一緒に暮らし始める。仕送りは当然なくなったので、すでに舞台に立っていた父は僅かな演奏料と日雇いの賃金でなんとか暮らしを立てることになった。死体洗いのバイトはさすがに一日で逃げたという。

見かねた祖祖母は孫である母を自分の籍にいれて養女にした。
「この娘の責任は全部私にあります。もう母親とは縁を切っておりますんで、どうか仕切りなおしてやってくださいまし」
祖祖母がそう頭を下げたことで全ては丸く収まった。すでに私が母の胎内にいた。父は勘当を解かれ、二人は晴れて式を挙げた。

母は出産と育児のために休学し、その後復学した。昼間はずっと祖祖母がそばに居てくれた。散歩をしたり、絵を書いたり、いろんな話をしたり、子守唄で寝かしつけてくれたのも祖祖母だった。母の子守唄を覚えていないことに気がついたのはずいぶんと後になってからだった。

母親というものは大昔から忙しかったに違いない。田畑で働き、飯を炊き、はたを織り、赤子なんぞは背中におぶわれっぱなしで勝手に眠っただろう。そうでなければ「ねえや」か「ばあや」にもりをされていたのだろう。ならばどうやら、子守唄なるものは母親が自らの子のために唄ったものではなさそうだ。


ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやのおもりは どこいった


昨日までぼうやのお守りをしていたばあやは帰らぬ旅に出たのだろうか、それともねえやは嫁にでも行ったか、奉公に出たか、逆に、でんでん太鼓と笙の笛を買って帰ると約束した、故郷のおさない兄弟を思って唄うのか。




筆者が生まれるころには母の両親は日本にいなかった。ニューヨークの日本人街で仕事を見つけたのだ。
戦後、焼け野原に佇んでいた自分たちの目の前に現れた足の長い進駐軍たちの颯爽とした立ち居ぶるまいに密かに憧れていたという祖母は、夢をアメリカに見出した。カーネギーホールでオペラを鑑賞し、ブルーミングテールズで買い物をし、黒人のタクシー運転手からマダムとよばれる。それが祖母の至福の時であった。あのころでは誰も持っていないような靴や服、おもちゃがアメリカからの船便で送られてきたのを憶えている。
そんな羽振りのいい暮らしをすれば経済難に陥るのは目に見えていたのだが案の定、あちこち逃げ回った挙句に日本に舞い戻り、夫婦して娘夫婦の家に転がり込む。


「河原こじき」と罵った父の元にである。

つづく

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キライなことば――「自由」、とある女神の名前

かつて日本の国になかった物事が外の国から入り込んでくると、あたらしい言葉をつくらねばならなくなる。明治の世に西欧の思想を輸入するにあたり、新政府は多くの新語を登用した。

この「キライなことば」の連作で綴った「正義」「平和」「健康」などは全てこの新語にあたる。これらの言葉は我が国にはなかった。そのようなものがなくとも充分生きてゆけたのだから必要すらなかった。。病でない者に薬などいらぬのと同じだ。ところが故意に病原菌を撒き散らされた挙句に特効薬を押し付けられたのだ。この妙薬は口には素晴らしく甘いが知らぬ間に体中を蝕む。そして使い出すと止められない。

この新語を世に広めた、あるいは自ら造語したのは森有礼、福沢諭吉、西周(にし あまね)ら、すなわち啓蒙家と呼ばれた知識人たちの結社「明六社」である。彼らの目的は「国民に教育を広め先進国にふさわしく育てる」ことだが、言い換えれば祖先から受け継いだ心を否定し、国民を西欧の鋳型にはめて「改鋳」することだった。西は漢字廃止論者であったし、森に至っては英語を国語とすることを主張していた。
このような結社が新たに造語した言葉は軽妙浮薄であるに留まらず人心をたぶらかす「まやかし」をしたたかに秘めており、日本を呪う怨言であっても日本語などではない。

おりしも我が国に土足で踏み込もうとしているTPPを称して「自由貿易」とよろこぶ世論をみれば、明治の「呪い」がいよいよ身を結ぼうとしているかに思える。


日本で「自由」と訳されたのは共に異なる起源を持ち、今はほぼ同じ意味で使われている liberty と freedom の二語である。Libertyが拘束や恐怖などからの開放を謳う「~からの自由」の意味合いが強いのに対しfreedom のほうは信仰や言論、恋愛など即ち「~への自由」に近い。ただし手続き上は両者とも地続きである。
「西洋哲学においての自由」の議論は書籍でもネット上でも腐るほど為されているため本稿では割愛するとして、freedomの語源に注目すればそれは「我儘放蕩」に辿り着く。異教徒の国を侵略し、宝物は持ち帰り放題。近代以前の暴君の姿そのものである。Libertyの語源は「制限されない」で、民衆や奴隷として生まれなかったことの自由をいう。フランス革命以前の西欧社会では自由とは貴族や裕福層にのみ許された「特権」であった。そもそも全ての人が享受し得る言葉などではないのである。すなわち搾取される側が「自由」を手に入れた場合、それはすでに「特権」としての価値から逸脱したことになる。

「自由」のための革命の顛末はいかに。色と欲とにまみれて異臭を放つ特権階級の「自由」を一時的に破壊したのみに留まり、時代が変われば新たな階層が新たな搾取をはじめたではないか。ウォール街のデモを眺めて溜め息がでるのは筆者だけではないはずである。



さて、幕末より昔のわが国に「自由」はあったのだろうか。

現存する最古の書物「日本書紀」にすでに「自由」の文字がある。おそらくは「後漢書」をとおして漢語から輸入したであろうそれによると、神武天皇の子であった手研耳命(たぎしのみみのみこと)が父の崩御をうけその腹違いの兄弟たちを手にかけようとしたが、異母弟の神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)が手研耳を成敗し天皇に即位した(綏靖天皇)。
ここで、手研耳命の性格の記述が「威自由―いきおひほしきまま」とあり、それは明らかに傍若無人を意味している。

福沢らの啓蒙のお題目は日本を西欧と肩を並べ得る国にすることであったが、その手段に選んだのは西欧化そのもの、つまり西洋の思想、価値観をそのまま受け入れることであった。そのためには古代から幕末までの日本人が培ったすべてのものを過去の遺物かのように見せる必用があった。そこで何が何でも引き合いに出したかったのが絶対王政を打ち壊したfreedomとribarty であり、これを封建的な旧幕府体制の否定の道具に使う算段をした。そして古書をひっくり返して見つけたのが、この「自由」のふた文字だった。

「他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり」
「学問のすゝめ」では「自由」と「我儘放蕩」の境目をこう記してある。

ところが「天の道理に基き人の情に従ひ他人の妨をなさずして達するべき」などというサラ金の広告まがいの注意書きが付いている。まことしやかに謳ってはいるが、人にそんなことが出来るなら警察も軍隊も法律も必要ないではないか、べらぼうを抜かすにも程がある。詭弁である。福沢らに続く改革派はだからこそ、「自由」をあたかも翼を手に入れたかのような輝く瞬間、それを共に享受する者たちと賛歌をうたい、恐怖や拘束から開放された喜びと安らぎを抱きしめる…と、学校教育と娯楽映画、そしてメディアを駆使して薔薇色に塗りたくったのだ。
しかしその実はどうだ、権力者の自由から解放され自由を勝ち取った民衆は自由の名のもとに富と力を手に入れた。障壁のない自由な世の中は流動する富と力をさらに加速させ、その激流に耐えうるものは増長し、そうでないものはかえりみられることもなく波間に漂う。そして叫ぶ。「我らに自由を!」
古代中国においての「自由」とて同様、漢字の成り立ちで一目瞭然である。「自」らが「由―よりどころ、わけ」を作り出してしまうのだから、今の世にはびこる自由などお里が知れている。



人は天の道理に常に拘束されている。水と空気のないところでは生きられず、子は親を選べない。そしてこうべを垂れて死を迎え入れるしかないのである。人とはもとより一時も自由などではないのだ。日本人は遠い昔からそれを知っていた。それに抗うことなく生きていた。浦島太郎は竜宮城を去り、竹取の翁は不老不死の薬を焼いた。



世に天の道理にそむき人の情を踏みにじり他国に妨げを為し続ける国がある。その国の御本尊は「自由の女神」と呼ばれている。

クルバーン・バイラム――犠牲祭

ここ数日はひと足もふた足も早い正月気分をあじわっている。筆者の住むトルコは祭り一色、この秋から高校に進学し近くの都市で寮生活を始めた長男が家に帰ってきているのもうれしい。
おとといからの四日間、イスラム世界は「クルバーン・バイラム――犠牲祭」を祝う。


イスラムの教義はすべてクルアーンに明記されており、それを拠りどころに後世のイスラム法学者たちが千年かけて法律、生活規範を整えた。現代の資本主義経済や民主主義社会とはまるで噛み合わないイスラム法であるが、なにか不思議な斬新さと便利さを感じさせる。日本ではなじみがないと思うので犠牲祭という窓から覗いてみたい。


「犠牲」となるのは牛や羊、山羊をはじめとする(イスラム教で認められるところの)食用の四足動物である。血を流し、「犠牲」を神に捧げたあとはその肉を譲り受け、貧しいものと共に分け合う。

犠牲祭で動物を屠るのはイスラム教徒の義務である。ただし余裕のあるものに限ってのことで、貧しいものにはその義務がない。さらに負債のある者にはその資格がない。借金をして動物を仕入れたりカードで決済する者も多いがこれははよろしくない。

羊を40頭飼っているのならその内の一頭をほふり、農業を営んでいるならばその穫れ高の、商人であればその年の儲けの40分の1を、つまり一年の収入の40分の1を犠牲に費やすというのが大よその見当だ。
その肉の3分の1を貧しい家族に施し、ほかの3分の1は来客に振る舞い、そして残りの3分の1を家族で食す事が許されている。また、毛皮はモスクか政府の機関に寄付し自分で使ったり売ったりすることはできない。

家族の元を離れているものは、たとえどんなに儲かる仕事があろうと祭りの当日までには家に戻る。または家族を呼び寄せる。雇用主はそれを認め、援助しなければならない。そして可能な限り親に会いに行く。
仲違いをした親戚や友人があれば祭りの間にお互いを訪れて和解する。先に和解を切り出した者のほうが、神の御加護をより多く得られる。借金やツケは祭りの前日までに潔いにしておかなければならない。

一頭まるごと寄付してしまうこともできる。ただし、ともに食卓を囲む者、特に子供がいる場合は良しとされない。特別な日を家族と共に祝った記憶は子供たちの心と人生を豊かにするであろう。

また、例えば、近所に病人がいて一刻も早い手術が必要だがその費用がない、それならば羊に費やすはすだった資金をそのまま渡しても犠牲祭の義務を果したことになる。瀕死の病人が肉をもらっても困るのである。

生活に余裕のあるものであれば自分の家族のほか、学生寮や孤児院、医療施設、災害による被災地、海外の貧しい国のためにも出資できる。現物に限らず政府や民間の機関を通して送金してもよい。我が家からも及ばずながらアフリカの旱魃地帯とトルコ東部の地震被災地に援助を送ることにした。

自国の通貨が海外に流失してしまうのだが、そんなことは神様の知ったことではない。通貨などは地上を好き勝手に走り回っていれば良い。その振る舞いに人が一喜一憂していては、いけない。

庭や台所が血だらけになる、手を汚したくない、面倒だという理由で送金のみに逃げてしまうと、神のご加護もその分遠ざかってしまう。

仔を身篭った動物を犠牲にすることは厳禁である。そうと知りつつ売っても買ってもいけない。

「今年の羊は痩せてて脂が乗ってないわねえ、ほんとにあんたって見る目がないわ」
「隣が牛だってのにウチは羊だなんて、ああみっともない!これもあんたの稼ぎが悪いからよ!」

と、女房が亭主をなじってはいけない。なぜなら、動物はあたかもご亭主が連れてきたかのようにみえるがそうではなく、神に与えられたのである。ついでに言えば夫婦の縁を結ぶのも神様なのだから相手にいちいちケチをつけないでとりあえず大事にしたほうがいい。

動物にあたえる恐怖と苦痛は最小限に留めなくてはならない。逃げないようにと足の骨を折るなどはもってのほかで、刃物を見せてもいけない。他の動物の悲鳴を聞かせてもいけない。一瞬で仕留めなければ痛みと恐れにもがく動物の血は汚れ、脂は酸化し、肉は硬化し毒素がまわる。これでは犠牲を捧げたことから程遠い。




ひとはここで生きる物の「命をとる」という事態に直面する。さっきまで美味そうに草を食んでいた、罪のない動物の喉元に刃物を当てている自分、何のために? 誰のために? と迷う。手は震える。

―― 自分のためさ、斬れ、殺せ、かまうものか、そして誰にも分け与えずに腹を満たすがいい!」―― 悪魔は誘う。

―― 神は偉大なり 神は偉大なり 神をおいて我の信ずるものはなし ―― 女房と子供たちの歌声で我に返る。

神はなぜに犠牲を捧げよと命じたか。
一人の人間が肉を食べる、食べないは本人が決めることだが、「食べる」事を除いても人の営みが他の生き物の上に成り立つことは否定のしようがない。食料のみならず、住居、衣料、交通、調度品、楽器、武具、農耕すべての文化に動物は欠かせなかった。人間の暮らしを助けてきたのは動物で、それは人間がその命をとることで成立してきた。
しかし今の世の中、食料を調達するのに手を血で染める必要などない。虫も殺さぬ風情の者でも肉を、魚を食べて育つ。だからこそ、生き物の命を奪うことの重さと憂鬱さを知らなければいけない。


己の手によって血を流す動物がこと切れるまでの間、多かれ少なかれ人は胸の中の神と問答する。命とは、なにか。

いけない、ならない口調で述べたことは必ずしも履行されていないのが現実である。偽善、嫉妬、中傷、詐欺、虐待は絶えず、それは犠牲祭に限ったことではない。。しかしそのために逮捕されたり罰金をとられるわけではない。なにせ神様が相手である。
誰とて間違いはおかす。が、人生という限られた時間の中でそれに気づき悔恨することで神に近づくことができる。ただ、その人生がいつ終わるかは神のみぞ知る。


トルコでは家畜を大事に育てる。狭い家畜小屋に押し込んだり配合飼料やホルモン剤で太らせたりもしない。夏は放牧しタイムなどの香草をたべさせ冬は干草やりんご、ジャガイモ、穀類をやる。雪の中、湖の底から水藻を掬い取って食べさせたりもする。

近くの村の農場主が煮沸していない生の牛乳を車で売ってまわり、鍋を持って買いに行く。
先週の牛乳は変だった、ジャガイモのような味がしたと文句をいうと、あっごめんジャガイモ食べさせすぎたとあやまる。
当然だが、食が重要なのは人も家畜もかわらないのだ。よく世話をして大事に育てればそのぶん乳や肉の質が高くなる。
しかしそんな国でも大都市に行くにつれこの理屈が通らなくなる。人口が集中し外食産業が発達すればそれだけ食の質が落ちる。いいものは沢山はつくれない。ましてや生き物なのであるから限界はすぐにやってくる。足りなくなれば無理やり増やそうとするのが人間だ。そして去勢された味覚、いや五感すべてはは身に迫り来る危機を感じ取れない。
店舗で調理された食品がすべて消費されたりはしない。その半分近くが残飯として家畜に食べさせられる。そして運輸の発達が地方の畜産業までもこの悪循環に引き込んでしまうのだ。



祭りの間は、紛争や戦争も休戦しなければいけない。この間に傷ついた兵士を助け国許にかえす。また停戦の道を模索する。たとえ相手が異教徒でも攻撃は許されず防戦に徹する。しかし停戦とは名ばかりに終わることのほうが多く、どちらかの一方的な敗戦によって終戦を迎える。



トルコの東部、イラクとの国境近くには、羊の放牧で生計をたてている人たちがまだ多い。山から山へと牧草を求めて何ヶ月も移動し続け羊を育てる彼らは、世間とはある意味で隔絶されている。財産や教育ともあまり縁がなくて当然だ。

イラク戦争のころの、ある記者と羊飼いの老人との会話、事あるごとに思い出される。


おじいさん、ブッシュってしってる?

―― 知らんよ。

じゃあサダム・フセインは?

―― そんな奴、この山にいたかのう、何する人じゃ?

あのね、あの山の向こうで戦争してる人たちだよ

―― 悪いやつらだ。戦争は、してはいかん。

三度目の鎖国

TPP加入が平成の開国と言ったのは何処のどいつだったか。
過去の人、菅直人氏による施政方針演説だった。

その演説で「平成の開国」に先立つ「明治の開国」「戦後の開国」はなにを意味していたか。


まずは「明治の開国」。

江戸幕府が開国して明治になったのだから「明治の開国」というのは明らかな誤用だ。それはそうと、黒船が突然やってきて開国したのではなかった。1700年代の終わりからロシアの商船や米仏探検隊の船がちらほらと日本近海に現れるようになった。最初に日本との通商を求めてきたのは女帝エカテリーナ二世のころのロシアであった。漂流の末にロシアに辿り着いた日本の商人・大黒屋光太夫を日本に送り届けたラクスマンによって通商希望の親書がもたらされたのが最初である。日本は十一代将軍家斉のころ、欧州ではフランス革命が起こった直後である。
その後もロシアとの通商はのらりくらりと断り続けた。それとは別に、国交のあったオランダという国がフランスに倒され消えててしまった。主を失った長崎のオランダ商館は存続の道をアメリカ商船に求めた。そしてアメリカ船が地図上から消えた国・オランダの国旗を掲げ長崎に入港し臆面もなく日本と取引をしたのだ。その後何故かイギリスまでもがオランダ船を装い長崎に入港するようになった。ほかにも難破をよそおい日本側に保護を求めたりなど列強はあらゆるインチキを画策し日本に食入ろうとした。北の海ではロシア船との小競り合いが絶えず、幕府はついに異国船打ち払い令を出して頑なに鎖国を通そうとした。

1842年に清国がアヘン戦争によって凌駕されると幕府も世界に対する意識を変えざるを得なくなる。このころから開国せねば武力行使も辞さぬという恫喝が浮き彫りになりだし、そしておよそ十年の後に、黒船はやってきた。

日本にとっての超大国、清を打ちのめした列強が艦隊を従えて「開国しろ」と詰め寄ったのだ。開国とは即ち欧米主導の国際枠組みに羽交い絞めにされ不平等条約を受け入れることを意味し、拒否をすれば国も民も焼かれ、残ったものは捕虜として生きることを強いられたであろう。

ここに締結された日米通商修好条約の改正は日清・日露戦争にすべての国力をつぎ込むことでとやっと実現した。教科書では外交努力などと書いている。この間にも世界は大戦へと歩み続け、欧米が描いた国際枠組みどおりに日本はその主役にすえられる。国際連盟を離脱、世界から孤立した。


「戦後の開国」とは。

ここでくどくどと書くまでもなく、二つもの原爆を落とされたあとでは降伏するほかなかった。原爆によって戦争が終結したのは人類史上これが最初で最後だ。戦後日本は完全にアメリカの傘下にはいり現在に至る。GHQは日本の産業・法制・教育すべてに介入し日本を「育て」なおした。核の脅威に守られ平和な社会のなかで経済成長を遂げる傍らこの小さな列島は原発だらけにされた。今も駐留する米軍には国家予算級の手当てを出し、紙屑同然の米国債をひきとり、石油、食料、その他何を何処から輸入するにもご機嫌伺いをせねばならない。日本が安くて良いものを作ると買うくせに怒る。いったいどうしろと言うのだ。

機械部品ひとつまともに作れない、しかもろくに働く気がないし何より満足することをを知らない連中は日常的に何をするか、横取り以外に思いつくことはない。屁理屈をこねくりまわしていたかと思うと突然攻撃しだす迷惑千万な蛮族である。一族郎党さっさと荷物をまとめて火星にでも行っていただけると誠にありがたい。

その蛮族の長がTPP・環太平洋パートナーシップなるものを引っさげてまた我々に詰め寄ってきている。日本ではその内容すら明らかにされないまま次元の高いとはいえない議論が展開されている。それも、ごく一部で。これは日本がのTPP加入が不可避であることの裏返しである。過去の二度の開国のように、拒否をすれば何をされるかわかったものではない。国難より自分の首が心配な政治家と財界人がTPP打ち払いなどを一瞬たりとも考えるはずがないのだ。フセインの最後、病床のムバラク、暴行をうけるカダフィ、世界を駆け抜けたこれらの画像は、ハリウッド映画に慣らされた市民の目にはその延長としか映らなかったであろう。が、各国の首脳とそのとり巻きたちは明日は我が身と青くなったに違いない。



万にひとつ日本政府がTPP加入を拒んだとしたら、それは「江戸幕府の鎖国」「国際連盟脱退」に次ぐ「三度目の鎖国」といえる。事態はそれだけ深刻なのだ。一蹴にしてしかるべき不平等協定をやむなく受け入れようとしているのだ。時間がかかっているのは震災があったのと、何か真剣に考えている振りをしているからだ。



しかしである。
TPPを抜きにして考えても「経済」には問題がありすぎる。資本主義はどだい人を幸せになどできないのだ。需要も利便性もとっくに飽和しているというのに新たな付加価値をこじつけて市場に出す。そうして生まれた「あぶく銭」はその字の如く泡沫となって消え去ったではないか、資本主義の限界と破綻がとうにやってきている証拠だ。こんな危ういものを追いかけていても先はない。

満足を知らない蛮族と先に述べたが、このままでは日本人もそうなりかねない。TPP加入は日本の国の内側の綻びに指を突っ込んで広げる行為と言える。もっと足元を見るべきである。TPP反対派が農・工業の危機を説こうと国内の農・工業従事者が減り続けている現状のほうがもっと重要ではないのか。

「経済」という浮気であやふやな目先の問題にとらわれていると大事なことを見落とす。TPPに加入すると非関税障壁の撤廃に因んでさまざまな要求を呑むことになる。遺伝子組み換え食品の表示撤廃、日本で禁止されている薬品や添加物の許可などがそうだ。これらこそが日本人の暮らしをじかに脅かすものだ。
そのなかに我々の言語たる日本語が含まれているとの予測がある。TPPに関しての明確な内容を政府が公表していないので予測でしかないのだがつまりは欧米人にとって日本語は極めて難解であり貿易の障壁と見なされ、そのために日本国内の公文書はすべて英語で作成されることになりかねない、のだ。こうなると、国語は日本語でも公用語が英語ということになる。

日本に生まれ育った我々が先祖から受け継いだもののひとつ、そして受け継いだすべての財産を理解するための道具が日本語である。この地に生きた先祖たち、そして森羅万象の霊が日本語の中に在る。日本語を切り捨てることは霊との決別にひとしい。



守るべきは命、そしてその根拠である霊だ。資本主義経済に毒された者には事の重大さがわからないのだろう、嘆かわしい。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

つれづれのかきこみ

さがしもの

こよひのつき

CURRENT MOON