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アラブの春の夜の夢

古代ギリシアでは、地中海を挟んだ向こう側に果てしなく広がる大地をリュビアーと呼んでいた。カッダーフィーの築いた「リビア」はアフリカの古称である。

アラブの春の流れを受けリビアのカッダーフィー政権を揺るがそうとする動きが苛烈を極め出したのが去年の始め、そしてある事件を契機に、NATOのリビア総攻撃がはじまった。

ある事件、それは日本で起きた福島第一原発事故である。
世界の目がフクシマに奪われる隙に、リビアは焼かれた。

アフリカ、そしてアラブは日本にとって甚だしく関心の薄い地域であり接点もない。ただひとつ、石油を除いてはである。アラブの春とは中近東に位置するアラブ諸国の市民による、現行政権に対する抵抗をさして言う。「春」「抵抗」という言葉の性格上、ワルは現行政権という事に決まってしまう。これは恐ろしい短絡であるが、では誰がそうきめたか。


第一次大戦までにてアフリカ大陸と中近東はヨーロッパの列強が分け合い、数本の色鉛筆で塗りわけられるようになった。植民支配を受けた諸国はその後つぎつぎと独立を果したがそこには列強の傀儡政権が置かれた。また、直接支配を受けなかったかわりに欧米と激しく癒着した国も少なくない。筆者の住むトルコの十年前までの政権も英仏イスラエルによる指人形だったと言っていい。

植民支配をする間、宗主国の言語が公用語となる。現地民の一部を懐柔し警察や軍部の高官地位やその他特権を与え治安維持を行わせる。集会や結社は禁止される。豊富な鉱物資源と労働力、農作物はそっくりそのまま宗主国の財産となるが学校や病院はほとんどつくられない。人々は文盲であることを余儀なくされた。

しかし中世の王侯貴族がやってきたような支配は続けるわけに行かず、列強は植民地から徐々に撤退し多くの国は独立を掴んだ。。「独立」という言葉の魔術でいかにも新時代が到来したかに聞こえるが、その実はそれと程遠い。もれなく親欧親米の傀儡政権が残されたからだ。


例えばリビア、イタリア支配からの独立後は王国となり、自国の利益であるはずの石油収入は国外に流れ国民に還元されることはなかった。国はごく一部の世俗的な裕福層とその逆に別れた。西欧寄りの世俗主義にも国民の反感が募った。69年、将校カッダーフィーは反乱軍を率いて王を退位に追い込みリビア・アラブ共和国を建国、その元首となった。
彼はイギリスに留学していた。留学中に汎アラブ主義に目覚めたという。逆に西側に洗脳されアラブと西欧の亀裂を生成するエージェントに育てられたとの説もあるがやや眉唾である。
カッダーフィーによってリビアはそれなりに治まっていた。近隣諸国にやたら喧嘩をふっかけるは政治手段でしかない。砂漠ばかりで国民の少ないこの国、数ある部族たちがそれぞれ自治をし主張をし意見がまとまらないのこの国を民主主義で治めるのは理にかなわない。求められたのはやはり王制、しかも強固なイスラム王政であり彼はそれをやってのけた。そして民主主義を至上と考える国からは独裁者に映った。

外国資本を追い出し石油の収入は都市開発や教育、医療、福祉に回された。石油採掘や工事のために多くの外国人が合法的に雇用され、決して貧しくないトルコからも多くの労働者がリビアへと渡ったのはそれだけ雇用があり、条件がよかった証拠である。

そういう国で革命を起こすためにはいろいろな道具を使う。

所詮、砂漠の王国で起きていることなどは画面を通してしか知ることができない。逆にどうとでも語ることができる。映像を駆使して視聴者を操る術は欧米のお家芸である。「善人」と「悪人」の顔はハリウッド映画によって世界の人々の脳に刷り込まれている。太陽神アポロンのような顔が「善人」であればカッダーフィーは完璧な「悪党ヅラ」、説明がなくとも誰が悪役か明白だった。
だがあまり人を馬鹿にしすぎると尻尾も出る。8月にBBCが放送したニュースでのリビア反政府デモと銘打った画像(34秒以降)ではインドの皆さんがインドの国旗を振っていらっしゃる。

反政府勢力の中身はアルカイダ(アメリカ仕込の偽テロ集団)や外国人傭兵であったとする報告もある。2月にリビア各地で数千人規模の反政府デモが起こったと報道されているが、この人口の希薄な国で普通に数千人集めるだけでも大変なのである。ましてや命がけの革命に加担するだけの理由を持った者をどこから見つけたのだろうか。

ドイツとトルコの猛反対がNATOのリビア介入を引き止めていた。
「人道を叫ぶならば先に介入すべき地域がある。原油生産地に限って介入したがるのは納得がいかない」
トルコのエルドアン首相は石油を見据えた軍事介入を弾劾した。各国の世論も慎重になりつつある中、英仏は爆撃したい衝動を歯噛みをして堪えていた。

「市民の覚醒を促したソーシャルメディア」
フェイスブックやツイッターを賞賛する声は絶えない。確かに便利な道具である。東電や日本政府の罪をマスコミが隠蔽する中でインターネットの果した役割は大きい。そしてブログ活動や投稿サイトは日本のあり方を討論する場をもたらした。しかしどんな道具も使う側の胸一つでいつでも凶器になり得る。暴動も戦争も促せる。ましてや国家が自国あるいは他国で暴動を誘発できるとしたら、その悪質さは計り知れない。

フェイスブックがネット上に生まれた翌年のに2005年に二つの暴動があった。イラン反政府デモとフランスの移民暴動事件、これらは暴動を扇動する道具にフェイスブックを試験的に駆使したものである。西欧では、イスラム教国の騒乱を見せつけ、移民の暴動を鎮圧することで現行政権の支持率があがる。

「福島原発のタイムリミットは48時間」
3月15日ごろだったか、そんな見出しの情報がネット上を駆け回った。一号機が水素爆発、三号機がおそらく核爆発を起こし、日本の政府がそれでもまだ悠長なことをぬかしている間、世界中の目は福島に向けられ警鐘を鳴らし続けていた。中でもフランスの声がやたらに大きかった記憶がある。その「どさくさ」に国連はリビア介入を決議、英仏主導の攻撃が始まった。


日本の一大事をたてに取られた、その怒りを分かち合える相手がいなかった。


震災後まもなくサルコジ(敬称不必要)が原発の必要性と素晴らしさを語るためにわざわざ来日した。おなじくヒラリーもTPP加入を促すための「対日審査報告書」なる書簡を引っさげて現れた。靴や生卵で追い返さなかった我が日本国民は世界でも類まれなる君子だ。もちろん嫌味である。

NATOの広報はリビアの惨状やカッダーフィーの残虐さを世界に発信し続けるが民間人の救済は二のつぎ三のつぎ、それどころか誤爆と称して多くの市民の命を奪った。漁船に乗り自力で脱出を図るが転覆し、漂流するリビア民間人をNATOの攻撃船は見殺しにした。

トルコ政府は負傷したリビア国民と外国人労働者を船で救出しトルコで治療を受けさせ、外国人労働者は母国に送還した。そしてカッダーフィーに辞任を求めこれ以上血を流してはいけないと訴え続けた。しかし国連から圧力がかかりそれ以上できることはなかった。

カッダーフィーが捉えられ殺害された映像は西欧の威力を誇示するかのように容赦なく公開された。ひと一人の命は地球より重いと言ったのは誰だったか、ならば地球はよほど軽いのか。

春の夜の 夢ばかりなる アラビアの 砂漠の獅子の 名こそ惜しけれ

カッダーフィーには「アフリカ統一」の夢があった。豊かな石油と鉱物資源、黄金、溢れる労働力、そして足もとに眠るといわれる水資源をして荒野を緑で満たし誰一人餓えることのない国を作りたかったという。リビアの緑一色の国旗はイスラム教スンニ派の象徴としてだけではない。西欧の搾取から立ち上がり、民主主義でも共産主義でもない独自の主義主張に依り、アフリカの古称リュビアーを以って「緑のアフリカ」を築こうとしていた。
アフリカの持ち主を自負する亡者どもがこれを見過ごす訳はなかった。彼らの資本主義帝国にとってアフリカは資源庫であり食料庫である。そして労働力の宝庫でもある。だからこそ植民支配し、民主化の名のもとに傀儡政権を残して撤退し、学問をさせず灌漑も開拓もさせずにおいた。彼らの連呼する「民主主義」という耳に心地よい言葉には資本主義という兄弟がいる。帝王が人々にカネの掴み合いをさせながらそれを吸い取る構造に、あまり儚い夢を追わないほうが良い。

ペリーが日本に近代思想と資本主義を、そのあとマッカーサーが民主主義を持ち込んだ。それを受け入れたことで日本は金持ちになり、だからその主義主張に疑いを持たずにここまで来てしまった。民主化が上手くいかない国を蔑視してきた。何かが気に入らない時は必ず民主主義の原則に照らし合わせて批判した、が、何一つ前に進まない。選挙で選ばれた政治家は無力、金の力が物を言い、かつての宗主国に富が流れる。


しかしそのうち春の夜は明ける。夢から醒める時がくる。その時までに我々日本人の行くべき道を模索してはどうか。




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歌舞伎見物のお誘い―勧進帳

唐突だがお許しあれ。

こともあろうに「歌舞伎の筋は荒唐無稽、とても追随できないので深く考えないように」などという歌舞伎解説が多い。そんなこたあない。古典に精通しているはずの識者の皆様がこんなことを言ったんじゃ、嫌でもそういうことになっちまう。

そこで今回あたらしく立ち上げましたる新連作、
歌舞伎がなんでこんなに面白いのか、知らざァ言ってきかせやしょう。


                    勧進

                                 「勧進帳」


初回という事もあるので有名どころから引っ張ってみたい。

時は鎌倉前夜、壇ノ浦の合戦を以って源平の戦いも終わりを迎え、平家を滅ぼした源頼朝は武家の大棟梁たるべくその礎を固める中、どうしても厄介な者がいた。義弟、源義経であった。
鞍馬山での稚児時代、そして奥州平泉での食客時代を通して義経が夢見続けたのは「平家打倒」であった。いまだまみえぬ義兄、頼朝の挙兵を知り「いざ鎌倉」と奥州を駆け出した義経は戦功を重ね頼朝をよく助けた。
二人の想いは何処で行き違ったか、義経は兄の不興を買い追われる身となり自らの原点ともいえる奥州に落ち延びるべく、義経は弁慶そして四天王とよばれた郎党らとともに東をめざした。芝居はここからはじまる。


〽旅の衣はすずかけの 旅の衣はすずかけの 露けき袖やしおるらん

すずかけ(篠懸)の衣とは山伏が着物の上に着る露よけの衣のこと、一行は修験の者に身をやつし、月の都を立ち出でて濡れぬ衣を涙で濡らしつつ加賀安宅の関まで辿り着いた。帯刀した者たちが大勢で移動するとなれば怪しいのは当然で、姿を変えるとすれば山伏が妥当であった。一方頼朝も義経一行が変装し東国へ向かうであろうことは察しており、各地の関所にて山伏を硬く詮議するよう達していた。

歌舞伎「勧進帳」は能の「安宅」を模しており、ほぼ忠実にその筋が再現されている。安宅とは現在の石川県にある地名、そこに新たに設けられた関所には富樫左衛門が義経を討ち取らんと目を光らせていた。


弁慶は義経を強力(ごうりき‐荷物持ち)に仕立てた。
まさか主君が荷物持ちの姿をしていようとは気付かれまいと敵の目を欺くための算段であった。

「所詮みちのく(陸奥)までは思いもよらず」と覚悟を決めている義経は今さら強力などに姿を変えることがあろうかと弁慶に質す。郎党どもも刀に物を言わせて関を踏み破ると息巻くが弁慶は、とにもかくにもこの弁慶にお任せあれとこれを押し留める。

勧進帳では義経役を勤めるのは女形と相場が決まっている。舞台の義経には平家を滅ぼした猛者の姿はなく、まるで姫君のようである。とはいえ決して女々しい訳ではないがあまりにも儚い、義経の行く末を知る聴衆にとっては尚のことそう映るのである。能の「安宅」では子方(子役)が義経を舞うのだが、これは死地を求めて旅をする義経の魂がすでに浄められ菩薩と化し、遮那王と呼ばれた稚児のころの姿でそれを体現したのではないかと思う。それを必死で庇護するのが不動明王のような弁慶であった。

布施を募ることを勧進という。消失した東大寺を再建するための資金を諸国を巡り集めるために遣わされた、と申し開きをする弁慶に、ではその勧進の証である勧進帳のなきことはよもやあるまじと迫る富樫左衛門。

  勧進帳
                                     勧進帳読み上げ

弁慶  なんと、勧進帳を読めと仰せ候な
富樫  いかにも
弁慶  ムム、心得て候

弁慶の手にもとより勧進帳はあるはずもなく、白紙の巻物を天も響けとよみあげる。

富樫はさらに問い詰める。山伏の装束の由来は何ぞや、仏門にあって刀を佩くのは如何に、云々。もとは高野山の修行僧であったためそれに難なく答える弁慶であった。これは山伏問答と呼ばれる場面である。

「勧進帳」ひいては「安宅」は軍記物語の「義経記」に取材したものというのが常識であるがこれは明治以降の常識に過ぎない。義経と弁慶の都落ちは日本にもっと古くからのこる諸伝説が基になっている。

「御伽草紙」に収められた物語は民衆に語り継がれた太古の伝説をおおく含んでいる。その中にある「大江山の鬼退治」はこの「勧進帳」の要素のひとつと指摘したい(過去に指摘はあったであろうが書物となっているかどうかは調べられなかった)。

その昔、丹波の国の大江山のその奥に、京の都を脅かす鬼どもが棲んでいた。女を攫い人を喰い宝を奪うなどして人々を震え上がらせていたという。帝は鬼の棟梁・酒呑童子退治の勅命を源頼光に与えた。この摂津源氏の頼光は義経や頼朝の直系の祖にあたり、轟く武勇は帝のおぼえもめでたく都の警護には欠かせない人物であった。頼光は四天王とよばれる渡辺綱、坂田金時(金太郎)、碓井貞光、卜部季武らの郎党を従え、加えて貴族ではあるが剛の者であった藤原保昌と共に石清水八幡・住吉明神・熊野権現へと詣で鬼退治を祈願、そして鬼たちに怪しまれぬよう山伏にと姿を変え大江山へと向かった。もうここまでで勧進帳の原型となっていようことは明白だが、まだ続く。
一行は途中、三人の翁にであう。聞けば彼らはそれぞれ都のそば、津の国、紀の国から鬼に攫われた妻を捜して来た者という。頼光らが勅命をおびて鬼退治に参じたことを知っており、「神便鬼毒酒」なる、鬼にはしびれる毒となり、神の使いには薬となる酒を差し出した。この翁たちは石清水八幡・住吉明神・熊野権現の使いであった。
鬼の棲家に入り込んだ一行は酒呑童子の前に通され、自らを鬼神に呪文を与えることを修行の旨としていると偽った。一行を怪しむ鬼は頼光に激しい山伏問答を投げかける。尽く答うる頼光を本物の山伏と認めた酒呑童子は心を許して身の上を語る。

  大江山
                               「大江山酒呑童子酒宴之図」

「我が名を酒呑童子と言うことは。明け暮れ酒に好きたる故なり。されば是を見かれを聞くにつけても。酒ほど面白き物はなく候。客僧たちも一つきこし召され候へ」(謡曲 大江山)

こうして客僧をもてなす酒宴の席となり、頼光は土産の神便鬼毒酒を皆に勧めた。

「我比叡山を重代の住家とし」ていたが、「大師坊(伝教大師)というえせ人」が見せた奇跡に仏たちも騙されて「出でよ出でよと責め給えば」仕方なく比叡を立ち退き、あちこちの山を渡り歩いた挙句都に近い大江山に参りしも、今は末法の世、大師坊の如き法力の持ち主は絶え、ときおり都に出向いては好き放題をし楽しんでいるところだが、頼光という強者が邪魔をするようになったとつづける酒呑童子であった。

                          酒吞童子
                                   酒呑童子

しかしふと頼光を睨みつけ、ようよう見ればおぬし頼光に似てはおらぬか、と呻く。そこで頼光はその場を乗り切らんと――頼光とは神を畏れぬ極悪非道の者なればそれに似るとは承服しがたくも、この上は力及ばず、我らが命取らんとあらば好きにされよ――と居直った。非礼を詫びた酒呑童子、ますます酒を重ねては寝入ってしまった。鬼たちはそうして首を切られた。

「勧進帳」の山伏問答の後はこうである。一行は関を通ることを許され出立するが義経扮する強力がこの者は判官殿(義経のこと)に似ていると呼び留められた。もはやこれまでといきおい立つ郎党を押し留め、弁慶は最後の大芝居に出た。

弁慶「判官殿世と怪しめらるるは、おのれが業の拙きゆえなり、思えば憎し、憎し憎し、いでもの見せん。」

〽金剛杖をおっとって さんざんに打擲す

弁慶「御疑念晴らし、打ち殺して見せ申さん」
富樫「早まり給うな、番卒どものよしなき僻目より、判官殿にもなき人を、かく折檻もし給うなれ、今は疑い晴れ候、とくとくいざない通られよ。」

不動明王の「鬼」の側面を見せる弁慶であった。家来が主君を打つなどはもってのほか、しかし何としてでもこの場を切り抜け奥州へと落ち延びなければならぬと心を鬼にして禁を破った。弁慶の機転と忠義心に胸を打たれた富樫は通行を許す。富樫はとおに義経らであることを見抜いていたのだ。武士の情けなれども義経を見逃すことは鎌倉に対する謀反、即ち死罪に値することは承知千万。

富樫は門の内に去る。不忠を泣いて詫びる鬼の弁慶、手をとって許す菩薩の義経。

そこへ暫し暫しと酒を持って現れる富樫、先ほどの面目を雪ぐため一献差し上げたいと酒を勧める。ありがたやと葛桶の蓋に酒を注がせ一気に飲み干した弁慶は請われて舞をさす。

ここに酒盛の場面があることは大江山鬼退治の騙し討ちという原点を見事に構築しなおしている。酒で尻尾を出させる謀りごとかとちらり疑う弁慶、ともかく請われるままに舞をさし、関守たちが見惚れる隙に義経以下郎党どもを出立させる。

〽とくとく立てや手束弓の、心許すな関守の人々、暇申してさらばとて 笈をおっとり肩にうちかけ

「鬼」と呼ばれた酒呑童子は太古、民衆の信仰の対象であった。が、仏教が朝廷により広められるにつれ居場所を失っていった。童子が伝教大師を「えせびと」と呼び、仏たちがそれに騙されたと語っているところが鬼の心情を表している。童子の生い立ちを語る説のなかで注目すべきは伊吹山の鍛冶師の息子として生まれたというものである。父の伊吹弥三郎と呼ばれた者は八岐大蛇を祀る一族の子孫、かのスサノオに退治されたオロチ族の一派が出雲を逃れて伊吹山に棲むようになったという。そして伊吹山も大江山もかつては鉄を産出した山である。
鬼たちの根城は「鬼の岩屋」とも「鉄の御所」とも伝えられている。これを鉄鉱山と解することで古代の製鉄集団が鬼と呼ばれて恐れられ、朝廷に背き、いずれは征服されたという、史書にはさやかに書かれていない歴史に触れることが出来る。朝廷に背くことが必ずしも「悪」であったという解釈は愚かしい。
八岐大蛇も八塩折之酒‐ヤシオオリノサケという強い酒で酔ったところを成敗されている。子孫の酒呑童子もまったく同じ手を喰らうのだが、この卑怯な騙し討ちは日本の支配者たちが「特定の敵」に対してたびたび行ってきた。

義経らが目指した「みちのく」とは「道の奥」、律令国家となってもなお天皇の威光が届かぬ東北が道なき未開の地と思われていた頃の名である。都からは遠く離れ雪深い、縄文の血の色濃いみちのくの人々は平安時代を迎えてもなお征し難く反乱が絶えなかった。陰陽道に照らし合わせれば東北は丑寅の方角、即ち都からは鬼門にあたり、鬼やもののけの棲む「穢れ」の地と括られた。人が人を支配しようとしたときに必ず生まれる都合とでも言うのか、特定の敵とは「穢れ」と想定された者たちを指す。
このみちのくに生きた人々を「えみし‐蝦夷、毛人」と呼んだ。朝廷との争いの中で少しずつ帰服がすすみ大和化した蝦夷たち(俘囚)こそ、武士の祖である。学校日本史は武士の起源を荘園警護の土豪としか教えない。

武家のことを「弓馬の家」という。馬を駆り弓を使いこなす技はこの弓馬の家に生まれ育つことで得られる。遠い先祖の昔から馬と弓と供に暮らしてきた彼らを朝廷が追い落とせなかった道理はここにある。蝦夷を祖とする優れた武芸者たちは次第に都の戦闘貴族たちの郎党に組み入れられ平氏や源氏という巨大な武士集団が形作られた。彼らに求められたのはむき出しの武力ではない。卓越した武芸に裏打ちされた死をも恐れぬ強き魂があってこそ手にできる「辟邪の武」である。人の手に負えない疫病や天災の元凶となる悪霊を退治するにはこの辟邪の武をおいてほかはなかった。これが源頼光が鬼退治の大役を仰せつかる所以であるが、武士も鬼も互いに朝廷から恐れられ疎まれたものの中から生まれたことは皮肉であり、皮肉こそが人の世の常である。


義経を育てた奥州藤原氏も源氏に忠誠を誓うみちのくの武家の一つであった。源氏の子として生まれ生粋の武人たちの下で弓馬を修めた義経は「辟邪の武」の継承者としてふさわしく、それは合戦で華々しく証明された。しかし人々か義経に酔いしれるのとは逆に頼朝は苛立っていた。腹黒い貴族と血の気の多い武士たちの間を取り繋ぎ新たな政権を立ち上げる政治の「建て前」が、義経から匂い立つ武士の「本音」とまるで噛み合わなかったのだ。結末は悲劇、義経追討という鬼退治になった。

酒呑童子が酔い潰されて首を切られるその断末魔、「鬼に横道はなきものを」と恨みをこめて言い放つ。まつろわぬが故に征される者の声であろう、征することこそ横道なるや。義経はこうして鬼の胎内へと戻るがその二年後、頼朝にもはや逆らえない奥州武士たちに攻められ自害、さらに頼朝が奥州を平定し、夢の跡には夏草が生い茂る。

弁慶は酒呑童子であり、不動明王でもあり、頼光でも渡辺綱でもある。
富樫は鉄の御所で頼光を待ち受ける鬼の棟梁であり、鬼退治の役目を負う頼光でもある。
義経は穢れとして追われる身であり、聖として守られる身であった。

このような交錯を受け入れられるのは近代以前の日本人の豊かさであった。
神と仏と鬼が入れ替わる。聖と俗が立ち変わる。日本の足跡そのものである。

明治以降、演劇に対する批評の目はシェイクスピアという色眼鏡をかけられてしまい、よりよい芝居には起承転結と善悪が整然と表現されることが求められ、町人の子供でも飲み込めた歌舞伎の筋書きは「荒唐無稽」と罵られるようになった。庶民から三度の飯より好きな歌舞伎を取り上げて高嶺の花の伝統芸能と奉ったのはGHQであった。そして見向かれなくなった。歴史書にない日本史の語り部であった歌舞伎はこうして封印されたも同然、いまさら「識者」などにそれは解せない。
歌舞伎を見れば先祖たちの息づかいは我々に、技に裏打ちされた役者たちから必ずや伝わるだろう。それを感じたならば知識などはあとから幾らでもついてくる。

                   富樫
                   弁慶


舞台で見送る富樫、花道に立つ弁慶、互いに想いを共にする同士、見交わし、幕。
富樫に心を残し、弁慶は飛び六法にて花道を入る。


〽虎の尾を踏み 毒蛇の口をのがれたる心地して 陸奥の国へぞ くだりける

東電倒産

70年に東京で生まれた筆者はフクシマの原発電気に浸かって育ったことになる。実際に被害に遭うどころか日本にすらいなかった筆者にとって、その居たたまれなさは容易には書ききれない。

「大震災」から、そして「大人災」から一年経ってしまった。亡くなられた方々のご冥福を、残された方々が少しでも早く心安らかな日々を取り戻すことができることを、心からお祈りいたします。


原発は直ちになくさなくてはいけない。そして事故を起こし、対処の機を逃し、隠し、被害を最大級にまで拡大した東電を、なおも責任を認めない東電をこの世からなくさなければならない。

産業界と政界の特殊な関係と、世界の原子力産業界の権力が東電を守っている。だから原発が存在している限りは東電は倒せない。逆も真なり、東電が生きている限り原発は電気を作り続ける。

恐ろしく遠回りになるが、世界中が原子力から足を洗うのが正しい手順だろう。それに先行するのが代替エネルギーの「実用化」「普及」である。それの「開発」はもうだいぶ進んでいるのだろうが、原子力産業界とその息がかかった各国政府が実用化を必死に阻んでいる。脱原子力を旨とする技術研究をしようものなら大変な目に遭うのである。論文はこき下ろされ、大学の研究室には研究費が下りない。「と」と呼ばれ学会から阻害される。それどころか脅迫、誘拐、醜聞、処刑、何をされてもおかしくない。脱原子力のみならず心ある研究者は必ずこうした憂き目に遭う。

この世で「カネが欲しい」と思うのはのは人間だけである。カネを媒体とした社会に住む人間だからこそ喉から手が出るほどカネが欲しい。しかし人間以外にカネなど必要ない。私腹を肥やすために生きているのはせいぜいケチな政治家や官僚までで、上で述べた原発産業界や世界金融の頂上に巣食う面々にとってカネなどはただの印刷物に過ぎず、あってもなくても良い。なくなればいくらでも刷ればいいし、たまに退屈しのぎに騙し取ればいい。


つまり、彼らはとうに人間から脱している。


彼らの目的はこうである。人々を賭け事や投資に溺れさせ、快楽を売り買いさせ、医療はもとより学歴も結婚も育児も老後もすべて商品にされた。美辞麗句で飾り立てられたその商品に刺激された欲望は人を喰う。これだけの産業が、資源が、物質が動いていても誰一人満足できない、そして奪い合う。彼らの目的はカネを道具に人間を狂わせることにある。欲望を追いかけて人と人が、国と国が喰いあうさまを眺めることにある。そして時折その汚い手の内をわざと垣間見せ、気付いて刃向かう者があれば虫けらのように踏み殺すことで悦に入る。それを見せ付けられた人間は無力を感じて諦め口を閉じるか、喰い合いの獣道に戻ってしまう。彼らは我々とは違う生き物であるからして我々の思考の外にあって当然、だから彼らの大義名分が掴みきれないのである。


話を東電にもどせば――
政府の庇護下にある東電を法的に締め上げることは徒労である。何かのはずみで政府が東電を見放し解体されることがあったとしても頭部をすげ替えただけの「第二東電」が現れるのは必定、時間と労力の無駄に終わる。

つまり「東電」は掴みどころのない像のようなもので、消しても消しても幾らでも代わりが現れ実体を潰さない限り終わらないのである。無論ほかの電力会社も同様、さらに言えば、医療の世界、教育の世界、マスコミ、流通、凡そ思い浮かぶもののほとんどが実体を同じくする立体映像だと考えていい。そしてその実態とは「人間を脱した者」と冒頭で記したものである。
これはこの一年で我が国でもよく知られるものとなった「陰謀論」のさわりである。「世界政府」という影の存在が人類を操縦するための申し合わせがもとよりあって、戦争、紛争、イデオロギー、伝染病、ひいては自然災害までもがその筋書きに沿って「起こされて」いるという、世界の人口を減らし自分たちとその「奴隷」だけが生き残るよう仕向けているという普通に暮らしてきた善良な人間にはにわかには受け入れ難い論である。

テレビが世論の舵を握っているがため、この陰謀論が国民の関心をひきつけ大きく議論されることはこの先もないだろう。北野武氏の番組などで取り上げられたりもするがそれは事の陳腐化を狙う「冷やかし」にも見えるし、「仄めかし」ともとれる。どの国でもテレビは世界政府の使い走りである。
逆にネット上では歴史の中に埋もれた事実を結果論的に立証し、西欧社会主導の陰謀を白日の下に曝す作業が高い次元で行われている。
だが、「陰謀論者」の皆様にぜひ申し上げたい。世に言う「陰謀論」とは陰謀を行う者の側に立って陰謀の手法を説きその成功例を列記するところで膠着してしまっている。我々を無力感に陥れる危険な言論の域に入り込んでいる。これでは陰謀の後押しである。世界政府の途方もなく邪悪な陰謀は事実だろう、その上で我々に何が必要なのかを探してゆく議論へと早く昇華させて欲しい。



「東電」、いやその実体たるものに対し無力感に陥る前に、我々のやるべきことはいくらでもある。これ以上彼らを喜ばせぬよう彼らが望む世界の逆をいくのがよい。


まずはむやみに電気を使わないことである。


電気がないとどうなるか。エレベーターがとまる。電車がとまる。会社にいけない、行っても仕事にならない。冷凍食品が解ける。冷房がとまる。回転寿司が回らない。便座が冷たい。パチンコがフィーバーしない。もはやこの世の終わりか?いや、まだある。工場生産は停止する。商店から商品がなくなる。給水所のポンプがとまり水が出ない。冷凍ピザを調理しようにも電子レンジが使えない。仕方がないので宅配ピザをたのもうと思ったが電話の充電が切れた。もう生きてゆけないのだろうか。


人を殺すにゃ刃物はいらぬ、三日電気をとめりゃいい。こんな世間に誰がした。


「電気使い放題」を前提にこの社会を作り上げてしまったのが失敗なのである。我々は何を根拠にそれを信じているのか、誰がそんなことを言い出して、誰が責任を取ってくれるというのか。

建物を高層にするからエレベーターが要る。家が職場から遠いから毎日電車に乗る。これは都市に無理やり集中しようとするからである。「都市集中は経済効率を良くする」という常識に騙されずに、散ればよい。

なぜなら。「経済」のごくごく僅かを除いた全部は「無駄」なのである。家庭から、都市から出るゴミの山がそれを物語る。すし詰めの電車で通勤し、汗水たらして企画・生産したもののごく近い将来はゴミであり、残飯であり、産業廃棄物であり、使用済み核燃料である。

建設業者たちの推奨する建物を建てなければよい。都市型の住まいは落とし穴が多い。コンクリートの建物は気密性が高すぎるため電気的に空調・換気せずには居られたものではなく、断熱性の低さは化学物質での断熱を余儀なくしている。体に悪いのである。建築基準法にもとづき構造計算された耐震性のあるコンクリート造建築は、建てるのも壊すのも莫大なカネがかかる。そして後に残るのは、産廃の山と業者の笑顔である。そしてフクシマの瓦礫…。

冷たい便座に座りたくなければ「洋式」をもてはやすのを止めればよい。日本人の足腰が弱くなったのはこの「洋式」のせいである。

テレビを見なければよい。この世にありもしない、他人を虐げることで初めて手に入るようなものばかりを欲しがるように食べたがるように見せて誘うからである。そうして誘われた子供たちの要望にこたえ続けるため毎日の食卓を皿で埋め尽くす必要などないのである。親の負担の半分は残飯となるか肥満となる。職を持つ母親は冷凍食品やレトルトの助けを借りたくなる。電子レンジで調理して節約した時間は余暇を楽しむことに回せる、それは明日の活力をもたらすだろう。ただしその活力は電気料金を支払うことで相殺される。子供たちが将来「我が家の味」と思い出すのは冷凍ピザかもしれない。


事は電気に限らない。「電気使い放題」の後ろには資源の押し売りがある。「売る側」が更なる無駄使いを煽るのは当然である。電力の援護により程度の低い石油製品は大量に作られ、買われ、棄てられる。土には還らない。太古の植物や微生物の屍骸が永い眠りを経て石油と変わり、遥か遠く中東から長い旅をしてきたそれは、子供だましの雑貨になり三日と待たずにゴミになる。石油が湧いて出る国の子供たちがその利権争いのために血を流していることを判っていただきたい。爆撃機も戦車も石油で動く。

過剰包装、過剰梱包、時間短縮、便利、使い捨て、これら「使い捨て経済」の上に成り立つ企業は自らの戦士たちをも使い捨てにするようになった。人を都市に集中させる磁力であった「職」にもはやその力はない。ならば人は自力で都市にしがみつかねばならない。できるのか。


電気がする仕事、それはものを持ち上げたり早く動かしたりすること、ものの温度を変えること、文字や音や像を信号として送ることである。人間がやっていたのでは骨が折れる仕事を電力でまかなうのである。

電気を人が作ってみるとどうなるか。
自転車をこいで一時間に発電できる電力量を平均70whとする。
その70whでいったい何が出来るか。60wの電球を一時間と十分点灯できる。
五時間こぎ続けると、一回洗濯ができる。風呂を一回沸かすには84時間こぎ続ける勘定になる。

その程度である。電気とは素晴らしいものなのか、空しいものなのか。

どのみちむやみに使ってはいけない。電気大量使用の前提を覆さなくてはならない。電気を使い出してたかだか百年、使い方が拙かったのである。反省し、道を正す。これも人間にしかできないことだ。冒頭の「陰謀論」の真偽に関わらず我々のとるべき道は変わらないはずだ。



トカゲの尻尾きりであろうと尻尾は尻尾で裁きにかけねばならない。東電が政府の気まぐれで倒産させられた暁には社長を始め重役、そして大株主である東京都の知事も逮捕し刑に処さねばならない。その場合、普通の刑罰では償いきれないので発電刑がよい。それぞれに1万kw程度の実刑を与え、発電しきるまで塀の中で自転車をこぎ続ければよい。


学問のすすめかた

日本の教育がどういうことになっているか、今となっては想像するほかないのだが。

トルコ人の主人と所帯を持って以来、そして子供を授かってからもトルコに住んで子供たちをトルコの学校に通わせることに何の疑問も抱かなかった。日本の学校教育に対する失望のあらわれだったとでも言おうか、今でこそ失望の所在を言葉にできるが若かった頃の自分にその術はなく、気がつけば三人の息子たちがここで学んでいた。

筆者の長男は高校一年生、家から少し離れたカイセリという地方都市で寮生活をしている。矢継ぎ早に試験があり、いつも夜遅くまで勉強しているという。
日本のそれに比べてトルコの教育がそんなに素晴らしいか、決してそのようなことはない。「受験」という名のもので振り回し子供時代をむだに忙しくする以外、意味はない。

より良い職に就いてより良い暮らしを手に入れる、そのためには良い教育を受けなければならない、そこまでなら間違いではなかろう。が、そのために競争を強いられ勝者と敗者が生まれるのではすでに間違いだ。なぜなら勝敗を決める側の人間に都合のよい世の中をつくることが出来るからだ。
子供のころの筆者は何度か引越しをしたためにそのつど学校がかわった。すると自分を取り巻く環境もかわり、成績や評価が変わることに気付く。前の学校でドンジリでも今度の学校では優等生、自分は同じなのにである。おかげで周りのだれかと競争をして成績という評価を得ることの無意味さを早くから知ることができた。人とではなく、自分と競えばそれでよいではないか。


トルコでは学校に必ず「トルコ建国の父ケマル・アタテュルク」の銅像を、教室には肖像を置くことが義務とされている。このアタテュルクはトルコの近代教育の父でもある。

                atatürk



第一次大戦に敗れたオスマン帝国は西欧列強により割譲され支配を受けた。彗星の如くあらわれたアタテュルクが軍を率いて列強を押さえ、独立を勝ち取りトルコ共和国を建国したのが1923年、その後アタテュルクは西欧諸国と肩を並べるために様々な改革に着手した。それまでのアラビア文字を廃しローマ文字が導入され、都市にも農村にも学校かつくられた。小学校で自ら読み書きを教えるアタテュルクの写真は子供たちの教科書に今も必ず載っている。

                           ata


つい最近までこの国の子供たちは学校で何を習っていたか、アタテュルクの生涯、独立戦争、トルコ共和国の歩み、などである。西暦、メートル法、人権、民主主義、「新しく、すばらしいもの」はすべてアタテュルクを通してもたらされたという。アタテュルク以前は原始時代と同じ扱いかそれ以下で、帝政が布かれていたころは世襲制による恐怖政治が行われ文盲であることを強いられた民衆は餓えと恐怖の中で生きていたと、それを救ったのが近代思想と民主主義であったと、それは皇帝を追い出したアタテュルクによって国民に与えられたと教わっていた。

「アタテュルク」を日本語に訳すと「明治維新」になりはしないか。

新生トルコにとって近代化を阻むものは「信仰」であった。なぜなら、オスマン帝国の大義名分はイスラームの庇護にあった。政治も法律も教育も経済もすべてイスラームによるものであり、イスラームのためのものであった。民衆のイスラムの神に対する信仰心を破壊しないかぎりは「アタテュルク」を神格化できなかったからである。
近代国家である以上は信仰の自由を認めなければならない。禁教のかわりに行われた様々なイスラム蔑視は教育の場にも持ち込まれた。

「アタテュルクと預言者ムハマンドが川で溺れていたらどちらを助けるかい?」

教育省から学校に派遣される監視員が小学生にこう聞くと、子供たちは「アタテュルク」と答えねばならなかった。さもなくば担任教師と校長が処罰され、それから逃れるには子供たちにそう教えるしかなかった。保身のためのアタテュルク至上主義教育がいつしか常識と化すにはさほど時がかからなかった。

ハリス


半世紀ほどのずれがあるものの、明治維新とトルコ建国の背景、そしてその後の道はあまりにも似ている。日本には一神教の国にあるような明確な「神」はいない。しかし我々にとってのその存在は先祖であったり、山や海、大岩の内に見出すことのできる自然の秩序であるといえる。その仲立ちをしてきたのが祭司そして神社であった。明治新政府が国家神道の名のもとに推し進めた神社合祀はトルコにおいてのイスラム阻害と同じ目的を持つ。心のよりどころであった神々は「整理統合」され、このさき何を信じるべきかは尋常小学校でしっかりと教えられた。

日本人と、先祖から受け継いだものとの間に亀裂が走った。その後は音をたてて崩れていった。

「文明」という服を着た近代思想は格好がよく洒落ていたのですぐに歓迎された。だから近代思想とは一皮?けば暴力と軍事力にものを言わせて好き勝手をする「戦争屋たちの理屈」にすぎないことに気付くものはいなかった。いたのであろうが、いないことにされた。文明開化の演出をしたのは福澤諭吉とその仲間たちであった。

                  学問のすすめ
       

現代トルコ語の中に存在するアラビア語・ペルシャ語の語彙は英仏の外来語にとって替わられれ、今では外来語なくしては会話が成り立たないほどになった。そのため人々は生活の規範であるクルアーンを読めなくなり、読めたとしても意味が汲めなくなってしまった。若くとも敬虔な信者たちは社会から抹殺された。実際には投獄や拷問による獄死も横行していた。教義にのっとり髪をスカーフで隠した女性は職に就けず、大学には入試すら拒まれた。高校は普通科の他に職業(商業・工業・宗教)高校があり、職業高校を出た学生は大学受験が不利になるよう入試の際の得点を割り引かれた。


近代思想の崇高さは叩き込まれたものの、近代思想とは何なのかは誰も理解していなかった。


ここまで露骨にイデオロギー教育がなされていれば多くの者がおかしいと思うはず、トルコにとって結局はそれが救いとなった。9.11テロが契機となり西欧主導の近代思想の馬脚が見え始めると、それまで口を閉ざし、目を閉ざし、息を殺していた者たちがようやく立ち上がった。
独立後90年間この国の舵取りをしていた旧政権は倒され新政権は膨大な矛盾の解消に着手し、もちろんその筆頭には教育があった。国を貶める歪んだ歴史教育を廃し、近代史の年表とアタテュルクを讃える詩を暗記させるのみの指導法は通用しなくなった。

ここまで順調に進んだことは評価するべきである。が、その先は簡単ではない。むしろ教育があさっての方向に歩き出すおそれがある。

なにしろ近代史の年表とアタテュルクを讃える詩を暗記させるのみで事が足りていたのである。
生徒の前で威張り散らすだけでも給料と年金を保証されていた教育者たちは政権が変わったぐらいでは変質しないのだ。例えば中学校の社会の教師はアタテュルク史以外は知らなくて当たり前、試験で問われるお決まりの項目を繰り返していればよかった。それが急に古代帝国の興亡からオスマン帝国の足跡、地理史まですべて網羅せねばならなくなり、生徒たちの成績という形で逆に自らたちが評価されるようになってしまった。他の教科も状況は同じ、大混乱である。
教師たちが不名誉を免れるためにやることといえば、生徒の尻を叩き、競争させて点数を取らせる程度、子供は被害者のままだった。「競争原理」が加わったことでさらに悪くなった。


高校はもはや大学受験の予備校としか捉えられていない。では大学は何の予備校なのだろう、トルコにはこんな諺がある――利口な子には仕事をさせろ、馬鹿な子は学校にいかせろ――。


敗戦し、西欧列強によってたかってむしりとられている最中のトルコに突然現れたたった一人の軍人が本当に国を独立に導くことができるのだろうか。戦費をどこでどうやって調達したか、愛国心だけで勝てるのか、そんな事を考えさせないためには考える力を削ぐのが一番早い。そのために教育が、学校がある。
ともあれ一足先に誕生していたソビエトと、中近東とヨーロッパの間に位置するこの国の、かつての西欧寄りの政治を見れば盾として使われてきたことは明白である。

ソビエトの誕生も日露戦争が大きく関わっていた。本当は資金などなかった日本に戦費を融通してまで開戦させたのはアメリカのユダヤ人だった。二つの大戦に参戦したのも戦後の復興も外から仕組まれててのことだった。学校はそれを知らしめぬためにある。


いま、ともに教育を含む改革を叫ぶ両国で、このさき競争原理から踵を返し人の世をつくるための政治に立ち戻る可能性のあるのはトルコであって日本でではない。改革の骨組みが違いすぎるのである。近代思想が踏み砕いたものをイスラム回帰によって繋ぎ合わせているトルコに対し、目先の不満にとらわれて指導者を乗り換えつづける日本が同じ失敗を繰り返してしまうのは当然である。先祖たちが築いた共同体の根底にあったもの、自分たちに流れる血の中にあるものを見据えてゆかない限り不毛である。そうでなければ一つの国が国として成り立つはずもなく、政治屋たちの醜い争いの泥をかぶるだけで終わるだろう。国旗や国歌を道具にして改革を謳う輩には特に気をつけなければいけない。なぜなら、「象徴」が眩しければ眩しいほど中身が見えなくなるからである。



改革が行われるのを待つ間にも我が子たちはどんどん育ってしまうのだ。そしてその改革が良いほうに進むとは限らない。だからこそ親たちが正気を失ってはならない。


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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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