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このごろ

このごろ掃除機を使うのを止めた。我が家の床はタイルと板張りなのでホウキとモップでことが足りる。面倒なのは絨毯で、日本でいう三、四畳ぐらいのものならベランダではたいてもいいのだがそれ以上大きいものはさすがに無理なので室内で裏返しにして静かにはたく。じつは掃除機で吸うより潔いになる。重要なのは絨毯の端を家具が踏んでいないことである。
そのためには家具は少ないに越したことはない。置き家具が少なければ少ないほど掃除が楽になる。静電気が埃を吸い寄せるプラスチック製の収納箱や電気機器も悪玉だ。

子供たちはよく汚してくれる。こうして家の中を掃いて掃除するとホコリをじかに見ることになる。すると、近くの公園の芝、草の実、ポプラの木の皮、サッカー場の砂…子供たちが何処で何をして遊んできたのかわかるので面白い。

遊び場所が割れてしまうのは子供だけではない。
仕事でアンカラに行くよ、と二日ほど家を空けた主人。アンカラはトルコの首都で我が家からは500キロほど西へ行く。帰宅した主人のズボンにアイロンをかけようとポッケットの紙屑をだそうとすると、何やら楽しそうな店の名前が印刷された紙切れが出てくる。しかもイスタンブール(アンカラよりさらに西へと500キロ)と書いてあったりする。
イスタンブールは、ど内陸に首都機能を置いただけのアンカラとは比べ物にならないほど楽しい遊び場である。

「お前さん、イスタンブールはさぞ寒かったろうねえ」
「おう、そりゃあもう海風が吹きっ曝しで寒いのなんの…(汗)」

日本人は些細なことに腹を立てないので怖がる必要はない。ただし道理に適わないことは糾弾する。このアイロンにどうしても納得がいかない。
曲線で裁断して立体的に縫ってあるものを平面的に伸すという実に馬鹿げた作業なのである。それに一回着るとまた皺になる。そもそもなぜ世界中で「洋服」を着ることに決められているのかが問題である。日本には着物があったし、トルコにも昔からの装束がある。が、いまでは民族舞踊の舞台でしか見られなくなった。トルコ人たちも日本人と同じく馬を駆り、弓を引き、海に船を出し、土を耕して生きてきた。豊かな暮らしを築いた装束は何故か不便なものとされ忘れられた。
何よりアイロンはとんでもなく電気を食う。貴重な電気をこのようなことに浪費していいものか。

「大オスマン帝国の子孫のくせして何だってこんな英国人の民族衣装なんかに執着するのさ!ご先祖様になんて言い訳するつもりだい?」

主人は愛国者なのでこう言えば何も言い返せまいとタカをくくっていると

「じゃあシワだらけのまんまで仕事に行ってやるから覚悟しろ!」

といわれてしまった。少しも説得力はないが何となく迫力があったので仕方なくアイロン続行。

筆者のご主人様は威勢がよくて気が短い。ついでに情にもろく、困っている人がいると放っておけない。江戸の町人みたいなのである。こういう人と一緒になるには少しばかり覚悟がいる。
働き者なので世間並みには稼いでくれるが、とにかく気前がよくて宵越しのカネを持ちたがらないので家計が大変なのである。むかし好きだった賭け事はさすがに治まった。でも人助けが好きなのはどうもなおる様子がない。
市場でおじいさんががホウレン草を細々と売っていると全部買い占めてしまう。身寄りのないおばあさんがいると聞くと食料品を買い込んで届けに行き、その家がボロ家だったら強引に修繕をしたりする。
お年寄りのみならず若い衆からも「兄貴~」と言われると弱いらしくつい面倒をみてしまう。まあ綺麗な姐さんに貢いでいるわけで無し、物価の安いこの国にいる限りは何とかなるのでよしとしている。
だから何か欲しいとうっかり口を滑らせると買ってくれてしまうので危険なのである。恋人や愛人であるなら気楽だが女房となるとそうもいかず結局、必要最小限の経済生活をすることになる。

尤もここは田舎なので娯楽といえば映画館があるだけ、商店は住民よりも観光客を相手に商売をしているのであまり誘惑が無い。筆者は女房衆の集まりなどには加わらないので自分にも自宅にもカネをかけて綺麗に飾る必要が無い。じつに心地よい。

筆者は仕事に行く以外はほとんど町に出ない。仕事といっても行き先は工事現場なので作業ズボンとチョッキ、頭にはターバンという中東テロリストのような姿で家を出る。それで小さな娘の手をひいているのでちょっとした不審者である(公園で煙草を吸う高校生をこの様相で怒鳴りつけると真っ青になって逃げていく)。行きがけはまだしも帰る時は袖や裾にセメントがついていたり耳に鉛筆を挟みっぱなしだったりで、仕事帰りにその姿で主人と待ち合わせをするとやっぱり叱られる。

「この寒いってのに素足でうろつくんじゃねえ!コートはどうした!?」

寒くないのだから仕方ない。雪が降っていなければサンダル履きで通している。よほど寒い日でなければコートも着ない。
主人の唯一江戸っ子らしからぬところはこの「寒がり」である。この国の人たちは寒さに弱く暖房の効いた部屋で丸くなるのが大好きで、ちょっと風に当たるとすぐに熱を出す。縄文人の血をひいている(かもしれない)筆者にはそんな生ぬるい環境は必要ないのである。それに寒いか暑いかは本人が決めるので夫であろうと干渉するべきではない。

「こちとらトルコ人とは体の造りが違うんだからほっといておくれよ」
「知ったことか、ビンボーだと思われるじゃねえか!」

寒さに関してはまるきり話が合わない。

「人目が怖いから着せようってのかい?冗談じゃないよ!」
「るせえ、見てるだけでこっちが寒いんだよ!」

こうして服屋に無理矢理つれて行かれることもある。

「うちのカミさんにいちばん上等の服だしてきな」

そんなことを言われた店主は揉み手をしながら寄ってくる。ため息。

昔はそれこそ着道楽、派手な姿で歩くのが好きだった。そしてずいぶん散財したものだ。それを後悔したり否定したりはしないし、他の誰かの装いに対しても同様である。着るものに限らず人間は飽食や贅沢にいつかは飽きるようにできているのだろうと思う。体の造りがそれを認めないからだ。美食を求めれば体を蝕まれる。それに気付いて粗食に切り替えることができればいいが、そうでなければ遅かれ早かれ食べられない体になる。いくら美しく着こなそうとも芯である身体は老いてゆくき、それに歯止めをかけようと妙な手段に訴えたところで結果は目に見えている。華美や豪勢を競い、羨み、奢ろうと、やがては平家の落ち武者の如く風の前の塵となる。そうなる前にどこかで「相応」という言葉に出会い、和解できるようになっている。
むしろ危ないのは「便利さ」、いちどそれに慣れて弱くなると元に戻るのは難しい。日本のような国に暮らしていれば誰でも手の届く都市住宅や電化生活を贅沢だという人は少ないだろう。しかしその便利さは人をとことん弱くしてしまった。指一本であらゆる仕事を片付けられる。寒々しい家庭にはテレビという灯がともる。終夜営業の店、宅配があれば隣人に頼ることなく暮らすことができる。そして人を助けることも助けを求めることも下手になった。

その便利さの後ろに潜む、しかし必ず潜む矛盾に目を向ける勇気をなくした。

そんな弱者にならぬよう、便利さの恩恵から少し離れて立とうとしているのだ。その恩恵に縛られて自在であることを失いたくない。なるべく家電に頼らないのも、なるべく薄着をするのも、歩ける距離なら歩くのも、家財道具や服をふやさないのもそのためだ。
子供たちは外で手足も服も汚してくる。好きなだけ汚せばいい。砂も、泥も、草の汁も少なくとも今はきれいだ。しかしトルコの周りの旧共産圏の国々では劣悪な管理の元で原子力発電がおこなわれており、この国自体も米軍の核弾頭を山ほど抱えている。おとなりイランは核で揺れている。津波は来ないがテロがある。日本の原発事故は決して対岸の火事ではない。そしてどこの国にも原発が作られていく。こうして世界中が何かに羽交い絞めにされていく。それは何かと訊かれれば、人の弱さとでも言うべきか。

今、掃除に洗濯に食事の支度、子供の世話、そして仕事におわれる暮らしに満足している。そしてその暮らしに相応の装いにも満足している。それに相応しくない服を着ることで均衡を崩すのが煩わしい。平たく言えばめんどくさい。余計なアイロンがけが増えるではないか。


まあ、たまには女房にきれいな格好をさせたいという気持ちは嬉しいのでここはありがたく受け取っておいた。「よっく似合うぜ」とお世辞のひとつも言ってほしいと思うのは贅沢だろうか。

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メディア 悲劇の媒体

人から人に何らかの情報を伝える、またそのために情報を記録し保管するもの―手紙、新聞やテレビ、書籍やCD、インターネットなどの総称をメディア‐madiaというが、これはmediumの複数形である。
この語は「中央」を意味するラテン語mediusに起源を持つ。原義は「中間にある物」で、そこから「媒体」「手段」といった言葉が生まれている。
今日我々に情報を提供する「メディア」にはこの「媒体」が訳語として充てられている。

しかしこれには別の意味があった。
それは、神と人を媒介する「霊媒」の意味である。

神や霊魂の意思をこの世に生きる人々に伝達できる者は巫女やシャーマンに限られていた。そして彼らの口に上る神託が国を動かす、かつてそんな時代が存在した。



話はギリシア神話のころに遡る。

王位が欲しくば黒海の果ての国から黄金の羊の皮を持て―それがイアソンに父亡きあとに王位を継いだ叔父から課された難題だった。王の息子イアソンをも亡き者にするための計略であった。イアソンは勇者たちを募り黒海の東の果てのコルキス国へと向かう。
一行は行く先々で襲いくる敵を倒しながらようやくコルキスに辿り着き、王アイエテスに黄金の皮を所望する。しかしが容易に渡してもらえるはずもなくイアソンは炎を噴く雄牛を御して土地を耕せとまたしても無理難題を出される。

そんなイアソンに懸想したのが王女メディアであった。

アイエテスの娘メディアは魔術の使い手であった。彼女は自らとの結婚を条件にイアソンを助けると約束する。イアソンの体は炎や剣を以ってしても傷つかないよう魔法をかけられ、難関をくぐり抜けて黄金の羊の皮を奪いとることに成功した。そしてメディアと共に一行はコルキスを抜け出すのだが、そのときメディアは幼い弟を殺し切り刻んで海に撒き後を追う王たちが遺骸を拾い集めるあいだに逃げ切った。
 

コルキスとは現在のグルジア共和国のあたりに前十三世紀ごろから実在した王国であった。前六世紀にギリシアの植民地となり、後にはローマに組み入れられる。王アイエテスは神話に登場するが実際にいたかどうかは判っていない。メディアはこの地に住む人々の信仰した女神だったといわれている。


勇者の名声を得たイアソンは黄金の羊の皮を手に、メディアをつれて故郷に凱旋し民衆を沸かせた。そこで王位を譲るよう王である叔父に迫るが始めからその気などない王はイアソンを相手にしない。イアソンがメディアに助けを求めると、メディアは老婆に姿を変え王の娘たちに近づき、皺だらけの姿の自分を若返らせ、老いた羊の屍骸を大鍋で煮て仔羊に生まれ変わらせるなどして驚かせた。そして王を若返らせて進ぜようと言えば娘たちは喜んで老婆の言うとおりにした。果たして王は娘たちによって切り刻まれ大鍋で茹でられて死んでしまった。

しかしこのあまりに酷い仕打ちは民衆の怒りを買いイアソンは王位につくどころか国を追われることになる。メディアとともにコリントスの地へとむかった。
コリントス王は勇者イアソンを歓待し、娘との結婚を持ちかけた。残忍で激しすぎるメディアにすでに辟易していたイアソンはこの結婚を受け入れメディアを捨ててしまう。


王女メディアが仕掛けた術は今日のメディアの手法に生きている。
イアソンの体にかけた「傷つかない魔法」は権力者が敵の攻撃や世の中傷誹謗を跳ね除けるための理論武装、第三者である弟を殺し追っ手の注意を別の方向に向けさせたのは世論の撹乱と解釈できる。さらに「いつわり」を見せつけられ信じてしまった娘たちは父親を殺すという愚行に走るが、これは言うまでもなく虚構を視覚化して民衆の心理に訴えるテレビや映画と見ることができ、9.11報道やアル・ゴアの「不都合な真実」がその好例である。またメディアに敵対する者が醜聞や冤罪の餌食になるのを見せつけられ、汚れた政争や利権構造を知ることで我々はまともに生きるという気力をなくしつつある。


いちどメディアの助けを借り成功したものはその呪縛から逃れることはできない。裏切られたメディアの復讐は夫にではなくその周囲に向けられた。毒を染み込ませた花嫁衣裳を贈り、イアソンとの婚儀でそれを纏った王の娘は炎に包まれる。そして助けようとした王ともども焼け死んだ。さらにはイアソンとの間に儲けた我が子たちの命すら奪う。すべてイアソンを痛めつけ生きる気力さえも奪うためでった。イアソンは我を失い、彷徨い、かつて黒海を凌駕した自らの船の残骸の下敷きになり命を落とした。すべてはメディアの望んだ通りになった。


メディアの行動はすべてイアソンへの恋慕とそれから生じた憎悪からなるのもなのだが、もとよりメディアのこの恋は仕掛けられものだった。ゼウスの妻ヘラがアフロディーテに術を使わせ、そうして恋に狂ったのであった。しかるにこの悲劇の元凶はメディアを操った者たちであり、それによって人々は争いの中に堕ちた。メディアを恐ろしい女、または哀れな女と見ることは文学の中ではあり得るが、やはりただの「媒体」として捉えその裏側を見るべきではないだろうか。
どの国の言葉でもその一語一語の成り立ちには深い意味が潜んでいる。普段なにげなく使っている言葉も語源を辿れば意外な言葉に行き着くことはよくある。しかしそれは言葉が時間とともに古い時代の意味を脱ぎ捨てながら変化し続けることではない。言葉とは人が話すこと、書くこと、残すことによって息をする「いきもの」であり、その根本たる語源が力を失うことは永遠にないと言っていい。現代語や外来語であろうと、それを吐けば語の遺伝子が刺激され脈を打ちはじめる。

今この瞬間も世界中の人々が「メディア」と連呼する。何かに息が吹き込まれる。



メディア‐情報媒体の起源は活版印刷の登場とも羊皮紙やパピルスともいわれている。だが今メディアと呼ばれているものに誰が、いつ頃その名をあてがったかは判らない。それほど古い話ではないだろうが、敢えて「霊媒」の意を持つこの語を選び冠したからにはそれなりの悪意を感じないわけにはいかない。


古代世界の霊媒師や神官は神と人の間に立ち忠実に「媒体」としてのつとめを果していたのだろうか。森羅万象の霊を畏れ、施政者が即ち「巫‐かんなぎ」であった太古の日本や南米は別として多くの場合はその逆、腕力で施政者となった者が自らの思惑をあたかも「神々の声」として民衆に聞かせるために霊媒師という存在を利用してきた。また権力を横から狙う者たちもそうした。互いに矛盾する神々の声がひしめき合う世の中は乱れ腐敗した。


「媒体」という名には中性であり、中立であり、どちらにも偏向してないという性格、そして遠いところで起きている事をありのままに伝達するという役割を期待してしまい勝ちだがどうしたことか、この一年と一ヶ月だけを考えても日本国民が目の当たりにしたものはその正反対であった。安全神話を死守せんがために「安定」「影響はない」を繰り返し、真の知識がある者の声は消され、電力不足の不安を煽り、本当に起こっていることは知らされていない。
日本から「媒体」を通して世界を見れば「崇高なる民主主義」に牙を剝く「未開な有色人種」たちに対して「世界の警察たる大国」と「世界の司法たる国連」が「人道的な戦争」の準備に精を出している。ただしこのようなことを気にしない者たちには賭け事や投資、ポルノや美容などに興ずる権利がいくらでも保障されており、そのための媒体は尽きることがない。


現代のメディアは古代の権力者たちが自らの言葉を霊媒師の口から神々の意思と偽り語らせたのと同質のものである。違うのは「神々」のかわりに「人道」「人権」「経済」「正義」「技術」「自由」「平和」「発展」云々を崇拝の対象に据えている処である。メディアつまり媒体とは権力者側に属する道具であり、それがもたらす情報は特定の人間の利益のために曲げられたもの、あるいは根も葉もない虚言である。逆に言えば平和や自由を高らかに謳う連中の話は聞き流すに越したことはないということだ。
ソーシャルメディアが世界から賞賛を受けている。しかし、メディアの名を背負っている以上はいつ誰に刃を向けるか知れたものではない。この女に深入りは禁物だ。

王女メディアの最期はどこにも記されていない。

背景 変えました

じつは「目が疲れて読みにくい」というご指摘を頂いていておりました。それに一年じゅう桜が咲いているというのもよろしくないのでいつかは衣替えをと思いながらもだいぶ時間がたってしまいました。

背景の色と扉絵を季節ごとにきせかえてみようと思っております。

あれこれいじってしまったのでひょとすると不具合が出てしまったかもしれません。著しく表示が壊れているなどのことがありましたらコメント欄よりおことばを頂けますと助かります。

ことのついでに今までカテゴリーが滅茶苦茶だった過去の読み物もいちおう整理してみました。が、これがなかなか難しく、いろんなことをごちゃ混ぜにして書いている為にほかならないのですが、結局「よりわけ」をした意味があるとは思えなくなってしまいました。そこでタグをつけて「かぎ」になる言葉で記事をひっぱりだせるようにと少しずつ手直しいたしております。よろしければご活用くださいますようお願いいたします。
トラックバックなるものも頂戴するようになりましたが、これが何なのかよくわからず「おさそひ」と表示したもののいまいち不安であります。

いつものことですが、当ブログでは外来語をなるべくなるべく使わないように努めております。当代、すなおに外来語を使えばなんでも伝わりやすいのは疑う余地もありません。しかしよその国で生まれた言葉に頼りすぎることで招く日本語の陳腐化は目に余るものがあります。否、もとより陳腐な内容を少しでも知的に見せたいとき、あるいは相手を煙に巻きたいときに外来語が役に立つのです。読むほうの側も「○○イズム」や「○○ゼーション」が出てくると何故か納得したつもりになってしまう。そんなやりとりを続けるうちに、すっからかんの議論が服を着て一人で歩くような社会が、国が出来上がってしまう。それが今の日本ではないでしょうか。

ひとは言語に育てられるとも言えます。思考の筋道は母語によってつけられるのです。言語、あるいは母語が豊かであればあるほどその人の思考の世界が広がるでしょう。根の浅い外来語に自らの世界を委ねるのはあまりに惜しい、そう思うのです。

きょうはご挨拶なので短めに。またのお越しをお待ちしております。

もものはなし

そろそろ桃の花が見ごろであろうか。散ってしまったか。


日本が旧暦に従っていたころは月初めは新月、月中は満月、そして次の新月で月が改まった。すると一年365日には11日ほど足りない計算になる。それが三年たまるとおよそひと月になり、その足りない分を「閏月」として四年目のどこかに挟み込む。今年はその年にあたり次の新月から「閏三月」が始まる。

なにせ三年分のずれが立て込んだ年である。先月末の旧暦の桃の節句でも桃の花盛りにはちと早かったのではないだろうか。ましてや新暦の三月三日に店先に出回る桃の花などは、どこの誰かであろうか。


桃と日本人の関わりは深く、古くは縄文時代の遺跡からも桃の種が見つかっている。大陸から伝わったというのが定説であるが日本在来種があったかなかったかはまだ結論が出ていないという。


遠い神代の昔、イザナギとイザナミの頃から桃の話が残る。
古事記によれば、息絶えたイザナミを忘れることが出来なかったイザナギは恋しい妻を黄泉の国まで追い、姿のみえぬ暗がりの中で会うことができた。そしてどうしても戻れと聞かない夫をイザナミは決して見てはならぬと制しそこに待たせた。しかし待てど暮らせど来ぬ妻にしびれをきらせたイザナギは禁を犯して灯をともし、雷神の纏わり憑く変わり果てた妻の姿を見てしまう。恐れをなして逃げだしたイザナギをイザナミに仕える黄泉醜女(ヨモツシコメ、力士のような女)が追い迫る。髪飾りや櫛を投げると山葡萄や筍に変わり、醜女がそれに喰いついている隙に逃げる。が、イザナミはさらに雷神と黄泉軍(ヨモツイクサ、黄泉の大軍)を遣わして負わせ、イザナギは剣を後ろ手に振りながら猶も逃げる。黄泉比良坂の坂本(登り口、つまり黄泉国は地下ではなく山の上であった)に着いたとき、イザナギがそこにあった桃の木からもいだ実を三つ投げつけると追っ手は退散したという。


「汝、吾を助けしが如く、葦原中国(アシハラノナカツクニ)に有らゆる宇都志伎(ウツシキ)青人草(アヲヒトクサ)の、苦しき瀬に落ちて患ひ愡む時、助くべし。」と告りて、名を賜ひて意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)と号ひき。

―我を助けたように、葦原中国(日本)にいる此の世の人々が苦しいときや患い悩むときに助けるべし―イザナギはそうのたまい、オホカムヅミノミコト‐大神実命の命と名を与えて呼んだ。


イザナギを助けたものが桃であったと古事記に記されているからには、桃に秘められた力に人々が助けられていたと考えることが出来る。そしてその力とは他の木の実ならぬ桃にのみ見出すことができたのであろう。


苦しいときや患い悩むときに助けになるのは先ず薬。実はもちろんのこと種にも葉にも花にも薬としての効果がある。
整腸のために薬草を食べるなどの本能は動物たちでも持ち合わせている。しかし人間は草木から単に治療や滋養だけではなくより深い何かを求めた。それは病や死などの穢れを遠ざけ、人に生きて命を継ぐ力を与えてくれる霊力であった。

枝も折れんばかりに実をつける桃は豊かさの象徴であった。
桃に限らずマ行の音ではじまる「やまとことば」には「生産」や「増加」の意味が多く見当たり

ス(増す)、ル(丸、円)、ユ(繭)、(実、身、三)、ツ(満つ、蜜、水)、ス(産す)、ツ(持つ、物)、チ(望、餅)、モモ(桃、百)

などをすぐに挙げることができる。また、女を意味する名詞もマ行の音を含むことが多い。

(女、雌、妻、妾)、ヒ(姫)、イ(妹)、オナ(女、嫗)、ノト(乳母)、イザナ

「女」とはあらゆる意味で生産の担い手である。花の色、身のかたち、いずれも「女」を思わせ、そして子供である「実」をたわわにもたらす桃の木に霊力を感じないわけにはいかぬはずである。

黄泉の国の軍勢が生産のしるしたる桃の実を嫌がったのも無理はなさそうだ。

さて、気になるのは桃の保存方法である。古代人は我々とは違い収穫したものを腐らせることなどはしなかったはずである。
木の実には栗や椎の実のようにそのままとって置けるものと、干し葡萄や干し柿のように乾燥させるもの、梅のように塩漬けにできるものがある。しかし桃はそのままでは腐ってしまう。日差しが強く乾燥した国でも干し桃というものがないところを見れば日本では尚更むりであろう。塩梅ならともかく、塩桃などはどう考えても美味くない。蜂蜜漬けはできたかもしれないが大量の蜂蜜を使ってしまうことになるので理にかなわない。

おそらく唯一の保存法は果実酒、娘たちが桃の実を噛んでつくる口噛み酒ではなかろうか。
酒造りは神事であり神々のためにつくられる。そして人々は一旦神々に捧げられた酒を下賜されるかたちで口にする。酒は人の心を楽しませ、疲れを癒し、薬でもあり、あるいは我を忘れさせ心を惑わす力もあった。これらは神々の力によるとされていた。

話をわざとそらすと、スサノオがヤマタノオロチに飲ませた「八塩折之酒」は何度も繰り返し醸造させた強い酒であった。日本書紀に「汝、衆(あまた)の菓(このみ)を以ちて…」とあるように、米から搾った酒ではなく「あまたのこのみ‐いろいろな果実」の酒であることが窺える。桃はその中にあったのだろうか。ヤマタノオロチが甘い桃の酒でへべれけになったことを思うのもまた面白い。


桃の節句は大陸から伝わった五節句のひとつ、上巳にあたる。
唐の歴法によれば奇数が揃う三月三日や五月五日などの日は邪が近づくとされ、それを祓い清めるために川にはいり禊をおこなう「避邪」の風習があった。その暦法は風習をも伴って日本へとやってきた。当時の日本での三月三日はちょうど桃の花が咲く頃、上巳は古代日本の桃の霊威への畏れと重なり「桃の節句」と相成った。平安貴族たちは上巳のならわしとして紙を切り抜き自らに見立てた人形に穢れをうつし水に流す「流し雛」をおこなった。まだヒト(人)に満たない小さなものをヒナ(雛)という


やまとことばの「母音が変わる」という特徴を考えればモモ(桃)はミミ(三三)と関わりがあって不思議ではない。そういえばイザナギが投げた桃の数も三である。桃が生産の象徴であるとするならば、その前提には夫婦がなくてはならない。神前で夫婦の契りを結ぶ三々九度の杯も三に三を掛けたもの、偶然なのだろうか。

最初の夫婦神はイザナギ・イザナミではない。古事記によればイザナギ・イザナミよりも前に生まれたウヒジニ(宇比地邇)・スヒジニ(須比地邇)がそうであり、それぞれ泥と砂の神性を持っていた。そして人形の祖は土偶や埴輪であった。紙という貴重品を流し雛として使う以前には泥の人形を流していたのではないだろうか。

これらが複雑に絡み合い、雛祭りの基になったのではなどと思う。

                ひなまつり


本題である。暦とは年や月や日を番号で整理する方法ではない。天体の運行で日々変わり続ける磁力や重力、日の光、潮の動き、草木が目覚め育ち実をつけまた眠る律動を知るための術である。それを読み人々に告げるのはスメラミコトたる天皇の為すことである。

明治六年の「改暦」を以って旧暦は廃されグレコリオ暦(現在の暦)が施行された。同時に五節句も国の行事から外された。そうして日本は目出度くもない日を祝い、咲くはずのない花を供え、穢れを祓うことを忘れた国となった。自然の力に生かされていることを思い出さなくなった。
外国と付き合うための改暦であれば節句や正月という国の大事まであっさり変える必要が何処にあろう。これは偶然ではなく、故意である。日本の国を資本主義帝国に取り込むためには自然との共生を旨とした江戸時代までの日本人の生き方が邪魔だった。それを根底から突き崩すために作られたのが「明六社」である。‘

このようなことは「識者」たる方々が考え主張して然るべきであって、れっきとした無識者である筆者が書きたてることなどではない。ところが皇室の行事も神社の神事もみな一向にグレコリオ暦によって為されている。愛国者を名乗る政治家は国歌と国旗を振りかざすが、それだけだ。まったく以って理解しがたい。

                         
                    三日月



新月をついたちとする旧暦では、毎月三日目の月は三日月となる。
三日月は上弦、晴れていれば、日の入りの頃の西の空には地に向かって弓をひく三日月が見えるだろう。そして今年は閏年。来る新月に閏三月がはじまり、今年はもういちど上巳がある。それは新暦四月二十四日である。
その昔、桃の木で作った弓には穢れを祓い幸を呼ぶ力があるとされていた。

願はくば ももの弓もて祓はれむ 霞ヶ関の 痴れものどもを

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Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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