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「くし」の構造 ―うつくしきくに

我が国で太古から使われていた言葉、すなわち大陸から列島に漢語の波が押し寄せてくる前のことばをやまとことばという。やまとことばからは、今を生きる我々がとうに忘れてしまった本当の祖国、それを造った先祖たちの生き方を伺い知ることができる。

やまとことばにおいてクシの音をもつものはまず「髪-クシ」、これは頭髪のみを指す。「頭-クシ」は頭部と頭髪の両方を意味する。ちなみに「頭-カシラ」は「クシ」の美称である。髪と頭は「カミ」の音も共有している。「首-クシ」というものもあるが、頸部ではなくそこから上すなわち頭部のことをいい、「頭」とほぼ同意である(すでに身体をはなれてしまった頭部を指すことが多い)。

そして今では完全に忘れ去られた言葉、「奇し-クシ」は、不思議な、霊妙な力をたたえた状態を示す形容詞である。

漢語の「奇-qui」が日本語化したようにも見えるがそうではない。漢語外来語であれば「し」の音はサ変動詞「す」の連用系ということになり「くす」という動詞が存在して然るべきだが、ない。「奇し」の「し」はシク形容詞の終止形でありまぎれもなくやまとことばと言うべきである。ところが奇妙なことに「奇」の漢字源をみればやまとことば「奇し」のもつ意味とは当たらずとも遠からぬ「不安定なものが不思議な力によって支えられている様子」とある。どのような接点があったのだろうか。

大陸と列島がほぼ陸続きであった大昔、日本語の祖語がはぐくまれた頃の大陸人と和人は双方の国を行き来し、そして少なからぬ共通の語彙があったと、筆者は考える。奴国王や倭の五王、ひいては漢字伝来などの遥か昔の話である。

物を言い、音を聞き、姿や香りを捉える窓のある、憶えおもんぱかる処でもある「頭-くし」は人の霊力の源、「奇しきもの」にほかならない。

その「奇し」から派生した語が「櫛」である。
そのむかし、髪をすくことを「くしけづる」といった。切ってもまた伸びる髪は生命力の証であり、異性を虜にする力も持ち合わせている。「クシ」を「梳る-ケヅル」道具である「櫛-クシ」にも霊力を見出していた。「梳る」ことは、筋道をつけ整えて恵みを受け入れる支度といえる。田を「鋤く-スク」ことと髪を「梳く」ことが同じ音で表されるのは偶然ではない。


命を絶たれたイザナミを恋うて黄泉の国にまかったイザナギが暗がりの中で櫛の歯を折って火を灯し、そこで見たものはこの世のものではなくなった妻のあるべき姿であった。身体のいたるところに雷神が纏わりつき蛆の湧いたイザナミに怖れをなしイザナギは黄泉の国を後に逃げ出した。怒るイザナミは追っ手を遣わす。イザナギは髪に挿してあった櫛を取り、その歯を折って投げるとそこから竹の子が生え、追っ手がそれに喰らいつく隙に黄泉から逃げ切った。
イザナミとイザナギの子、スサノオは乱暴狼藉をはたらいた末に高天原を追われて出雲へと降り立つ。その地でスサノオは、ヤマタノオロチに姫たちを全て奪われ最後に残った末の姫までも生贄に差し出さねばならぬと嘆く老いた夫婦に出会う。オロチ退治を買って出たスサノオは、生贄の姫を妻に貰うことを言い交わすがその姫の名こそ「櫛名田比売-クシナダヒメ」である。古事記では「櫛名田」と記されているが「日本書紀」では「奇稲田」とある。「霊妙なる稲田」を意味するであろうクシナダヒメがスサノオと結ばれることは日本人と稲作との出会いを暗喩するとされている。スサノオはクシナダヒメを櫛に変え髪に挿してオロチを退治した。ヒメの「奇しき」力を櫛に変え、それを身に纏い戦いに臨んだのである。
スサノオの子(あるいは六世の子孫)のオオナムチ(大国主命)とスクナヒコナの二神が力を合わせて国つくりをしていたが、スクナヒコナが忽然とオオナムチの元を去る。

遂に因りて言ノタマはく、今此の国を理ヲサむるは、唯吾一身ヒトリのみなり。

オオナムチが途方にくれていると海原を照らしながら誰かがやってきた。

時に神光アヤシキヒカリ海ウナバラを照テラし、勿然タチマチに浮び来る者有り。曰イはく、如モし吾在アらずば、汝イマシ何イカにぞ能く此の国を平コトムけまし。

そして言うには、吾在ってこそこの国を平らげることができると。オオナムチが誰かを訊ねれば、吾は汝のさきみたま・くしみたまであると答えた。

然らば則スナハち汝は是れ誰タレぞ。対コタへて曰ノタマはく、吾は是れ汝が幸魂サキミタマ奇魂クシミタマなり。(日本書紀 一  神代 上)

神の霊魂にはそれぞれ二つの性質が在り、ひとつは天災や凶事をもって世と人心を荒らし争いへといざなう「荒魂-アラミタマ」、もうひとつは逆にあらゆる恵みをもたらす「和魂-ニギミタマ」であるとされている。そしてニギミタマをさらに二つに分けて解釈がなされている。即ち人に収穫などの幸いを与える「幸魂-サキミタマ」、神秘的な力をもって人に奇跡をもたらす「奇魂-クシミタマ」である。

オオナムチに対し自身の幸魂・奇魂であると明かし、自らを三諸山(大和・三輪山)に祀ることを求めたのはオオモノヌシ(大物主)として知られる三輪山の祭神である。オオモノヌシは蛇神、水神、雷神とさまざまな性質を持ち合わせ、稲作や酒造りの神でもある。


ここでまた、「奇し」から生まれたことばを挙げよう。
「酒-クシ」である。酒の持つ力を考えれば奇しきものにちがいなく、人を良くも悪くも変えてしまう。傷や病を癒す力もある。その効果は特に「薬-クス」と表現されるがこれも悪く使えば毒になる。つる性の植物「葛-クズ」の根から取れる澱粉は食品として、また薬として重用されていた。滋養に優れており胃の働きを整え、体を温めて発汗を促す力がある。いっぽうその激しい繁殖力は時として手に余り作物や樹木の生長を妨げ、現代では害草とも見なされている。この植物を「葛―カタ」とも呼ぶのは水に溶いて加熱すると固(カタ)まる性質をしめしている。そして「仇-カタキ」の語源にもなった。

上代、大和、そして常陸の国に土蜘蛛とよばれる集団があった。朝廷と距離をおき古来(縄文)の風習を保つ彼らは「国巣-クズ」とも呼ばれ恐れられていた。時に激しく抵抗し、時には宮中に参内し土地の産物を献上して楽を奏でることもあった。ヤソタケルと呼ばれる土蜘蛛の一族を騙し討ちにかけたイワレヒコ(後の神武天皇)に手を貸したのは同じ土蜘蛛の国巣の一族であった。さらに大和の土蜘蛛はイワレヒコが葛のツルを編んで仕掛けた網にかかり滅んだ。この故事からその地は葛城山と名づけられ、葛城山の土蜘蛛の霊は朝廷を仇と恨み平安京によみがえった。


もうお気付きの方々もおられるだろう、「うつ」というやまとことばを記事にしたことがあったが今回はそのつづきでもある。

終わりのある「現世-ウツシヨ」、つまりこの世での命をながらえるための「器-ウツワ」である人の、その「空-ウツ」なる「「内-ウチ」側が「うつ」であると書いた。そこに霊妙なる、奇しき力を宿した人はもはや「うつくし-ウツ・クシ」さを隠すことなどできまい。

ひとのうつくしさは言葉や振舞い、そして顔に現れる。その根源はその人の内側にある魂であり、そこにやさしさや強さや厳しさが具われば口をついてよい言葉となり、よい行いとなり、いずれはよい顔をつくる。見た目の整ったうわべの麗しさとはそもそも源を異にする。奇しき力とは向こうから歩いて来はしない。櫛で梳いた髪も如く、鋤で鋤いた田の如く、つとめて整えられた心の内にこそはじめて降り立つ。

人のみにあらず、それは森羅万象すべて同じく空も、海も、草木も雪も月も花も鳥もみなうつくしい。山河はもとより路傍の石とて人がこの地を踏むはるか昔に生まれ悠久の時に形づくられた姿を呈している。裸でこの世に生まれた我々の暮らしを支える道具もまたうつくしい。日々精進し技を磨いた職人の作り出す道具は用に徹し微塵の隙もなきにしてそのうつくしさは時として人の心を奪う。一枚の画は人の目を楽しませるだけの色と形の組み合わせに非ず、画工の魂から溢れるものをその腕によって紙に写したものである。見るものの心がそれに打たれ画工の心と邂逅したときにうつくしいと思うのである。しかしそれを見る側の心が鈍っていればなにも感じることはできない。

いま、大量生産された粗悪品に囲まれる日々は我々の心を鈍らせる。経済に重きを置くあまり、ありもしない需要をひねり出しありあまる供給をなし無茶な消費を迫る。無駄が無駄を呼ぶ。ありもしなかった需要に存在の価値があるはずもなくすぐさまゴミとして彷徨うことになる。うつくしき山河は土に還らぬ骸で埋められようとしている。
音楽や絵画など凡そ芸術と呼ばれるものは全て商品化されたであろう。作家の魂には値札がつけられ見るものの心はその数字にのみ打たれる。目と舌先を喜ばせるだけの華美な食卓は病巣を育てる。いかがわしい原料から作った物の悪臭を隠すために香料を添加し、あるいは見目よく着色する。おなじく見た目の麗しさを追いかけるのみの美容は異性の目を惹きつけるか同性との競いに勝つためのものでしかない。見ばえのする姿態と見ばえのする暮らしを維持したいと願うものは子を産み育てることから逃げたがる。放射能や遺伝子組み換え食品が不妊を招くといくら喚起したところで馬耳東風、このような人たちと次世代の話する術など、どこにあろう。


日本人が目先にとらわれ心の内側をこれほどまで置き去りにしてしまったのはいつからか。


原発という巨悪に対し立ち上がる動きは日に日に大きくなる。原発を擁護する世論はそれに押され弱まりつつあるかのようにも見える。

しかしここに掻き消せない一抹の不安がある。

それは危険極まりない原発も目に見える表層の現象でしかなく、その内側にははるかに大きな悪が控えていようそのことである。かりに日本から原発がなくなったとして、その後の日本をどう造るのかが如何に語られているのか。いまの生活、いや経済水準を維持するために必要な電力を何かしらの方法でひねり出すことが解決なのだろうか。原発の内側にある本当の問題に気づく者がこの先増えていくのだろうか。

現状、原発の是非の問答は経済にはじまり経済に終わる。ただでさえ不況を抱える今、原発による電気の供給がなければ経済が落ち込むという恐怖が人を捕らえて離さない。それを言い換えれば競争に負ける恐怖である。
周囲から引けをとっていないかに気を揉み、相手を出し抜く方法を教え込まれ、目の前の相手の価値を収入と肩書きで値踏みする。自らと競争相手だけで構成される集団の中で生きている。我々がこの競争に勝つことに生きる意味を求めている以上何も変わりはしないだろう。原発をなくしたところで原発よりもさらに危ういものを作り出すだろう。国とは人の集まりである。人同士の繋がりが競争でしかないのなら、それが集まった国とはいったい何なのか。国同士の繋がりが競争でしかないのなら、この世はいったい何のためにあるのか。

原発はなくすしかない。なくなるしかない。だが本当に戦う相手は原発や原子力村などではない。魔物は我々一人ひとりの内にある。それは見せ掛けの豊かさを手放せない弱さである。他人への妬みと嫉みである。飽くことのない欲である。もとより人に備わる穢れではあるが先祖たちはこれをよく戒め、手懐けて生きていた。それが近代の幕開けとともに競争原理がなだれ込み、勝ちたいがためにこの力を解き放った。鎖を解かれた獣は自由放蕩に暴れ周り我々を競い合いへと駆り立てる。

人々が常に誰かと競い、走り続けるこで経済の車輪が動く。立ち止まることは市場の持ち主たちにとって許しがたい行為である。だから脅して賺して走らせる。脱落するものは踏み潰されそして誰一人として勝者になれない。なぜなら輪を描いて走り続けるだけなのであるから。

外にとらわれ心の内側をこれほどまで置き去りにしてしまったのは、それは無理矢理に外を向かされたそのとき、近代を迎えたときからである。道を誤ったのであれば辻まで戻って行き直すしかない。

心の内側に巣食う魔物をねじ伏せることができさえすれば、原発などはその後ろ盾を失いたちまちに消えて失せる。そして心の内に奇しき力をふたたび呼び戻すことができるだろう。そしてうつくしき人に戻り、うつくしき国を立て直すことができよう。
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日本人の国

原発再稼動に反対する首相官邸前の抗議集会の中継、おなじく大飯町からの中継を見ながら思ったこと、そして脱原発について思うことを書いてみたい。

日本では、反原発を唱えるものは「左翼」の烙印を押されるのが常であった。戦前・戦後を通しての「赤狩り」の恐怖を知るもの、学生運動に加わっることで出世の道が閉ざされる悪夢を知るものには左翼と呼ばれたくない気持ちから「反原発」を遠巻きに見る習慣があった。その時代から遠ざかった今もなおその記憶は消えていないようだ。

いま、日本から原発をなくしたいと真に願う者たちの志しは主義やイデオロギーなどという手製の偶像とは比較にならない。子供たちと、彼らががこの先も生きていくこの国を守らなければならないという必死の思いから湧き出るものだ。
中継画像の横に表示されていたコメントには「革命」「闘争」などの文字で冷かすものが目立った。デモ参加者のなかにも左翼集会と印象づけようとでもしたのかチェ・ゲバラの肖像のブラカードを持ったものが数名放たれていたようだ。何が何でも脱原発をイデオロギー闘争の一種として葬りたいらしい。

しかし「反原発」自体は左翼思想ではない。社会共産主義の元締めだった国は現に原発だらけである。

「右翼」または「保守」の方々は何をおっしゃっているか。相変わらず「放射能ハ愛国者ニ害ナシ」だの「原発ヲ以テ核武装ノ道トス」だのほざいておられる。こういう仕方の無い人たちは別として、残念なのは反TPPの論客であり極めて鋭利な意見の持ち主であるN氏やM氏が原発を肯定的に見ていることである。一方が官僚出身であったり、もう一方がかつて自民党から立候補したという経緯から原発を批判できないのだろうか。

○○主義、○○党、という看板が邪魔をして言いたいことが言えなくなるのか、逆に看板でも背負っていないことには物が言えないのか、どちらにしろまことにお寒い話である。
ではなぜ反原発だと左翼になるのか。何のことは無い、自民党が原発を作ったからだ。

原発の制御は電気仕掛けである。いざ電源が確保できなくなったという時に人力で制御できないのであればもとより制御不能を意味する。
「かわいそうなそう」を思い出してしまった。第二次大戦の戦況が悪化する中、空襲で動物園の檻が壊れて猛獣が逃げ出す危険を防ぐために軍が殺処分を命令、動物園はそれに逆らえるはずも無く動物たちを殺してしまう。東京の真ん中に猛獣を連れてきたという誤り、檻に入れておけば制御できるという理屈の誤り、そして戦争という誤りから生まれた悲しい話である。
しかし今、フクシマで制御に困っているのは象などではない。朽ちかけた檻の中で牙を剝いているのは手負いの核燃料、そしてさらにそれを脅かすのは敵国ではなくいつ起こるかも分からない天災である。
国民の命を守らなければならないはずの政府はこの猛獣を処分する気など毛ほども無く逆にまだまだ増やそうとしている。あろうことかこんな連中に政権を与えてしまったのは国民だった。

今の政権を握る政党は、それ以前の政権政党に嫌気がさしそれを敵視するようになった国民が「敵の敵は味方」の理論に従い捧げた票で政権を獲ったに過ぎない。これは明らかに有権者たちの誤りであるが、その根底には有権者たちがいかに正しい判断をしたところでそれは決して政治に反映されないという枠組みが出来上がっているという現実がある。
政党とは政治に対し同じ志しを持つもの同士が集まり作るものである。しかし、「政権を獲れる政党」に政治家たちが蝿のようにたかるだけの政党にはもとより志しなどあるはずも無い。そのような者たち、そのような政党を寄せ集めた政党政治など所詮お里が知れている。
政治家たちが全身全霊をもって取り組む業務は選挙のみであろう。選挙の資金を集めるために支援者と語らい、企業に便宜を図り、宗教団体にへつらう。そうこうしているうちに解散、また選挙である。大事な取り決めや調整は我々が選んだ覚えの無い官僚たちが行う。「参政権」の名の下に我々が投じている票は政治には掠りもしないところでグルグルと回っているに過ぎない。
では実際に政治に参加している国民はどこかにいるのだろうか。官僚と呼ばれる人間たちがそうなのであろうか。否、官僚とは分類学上、日本国籍を有する人間に属してはいるが、人間として職務に従事しているわけでなく省内で構築された独自の規律に従い機械の如く仕事を処理するのみ、人としての感情、人としての思考はすでに封じ込めてられているため彼らは「国民」の定義の外にある。つまり日本には政治に携わる「人」がどこにもいない。

このような無人政府から、人心が離れぬはずがあろうか。

筆者が小学生のころ、我が一家は東大の赤門前に棲んでいた。(赤門前の和菓子屋の裏に借家していたのであって路上生活ではない。)前田藩の江戸上屋敷の旧跡である朱塗りの可憐な門。その前にはいつも「闘争」「決起せよ」とかかれた小汚い立て看板が不似合いに置かれていた。子供心に変に思いながらも「頭のいい人たちのやることだから、いい事なのだろう」ぐらいに考えていた。その周辺の電柱には「北方領土を返還せよ」、「愛国反共」とかかれた紙がベタベタ張られていた。「ああ、赤門の前に看板を立てたひとはこの赤尾っていうおじさんかぁ」と勝手に納得したものだった。

当時から多少変わり者だった筆者は学校などで多数決に場面になるといつも損をしていた。そしてそれが「民主主義」だと教わった。で、あるから、民主主義とは少数意見を踏みにじるための方便だということに早くから気がついていた。民主主義などは数の勝負である。中身はともかく数の大きいほうが物をいう、力の強い物が勝つ。少数派は不良品と見なされる。選挙のみならず学校や企業その他あらゆる組織において人を数字でしか評価できない仕組みになっている。この民主主義を支えているのが双子の兄弟の「資本主義」である。こちらのほうはまさに数字、いやカネでしかない。

資本主義は常に拡大することが要される。十九世紀、資本主義帝国がその版図を広げるうちに日本の国も飲み込まれた。
より拡大、より増強するために必要な道具、それは「敵」である。「共産主義」という敵を自ら創意工夫し作り上げた。資本と共産の敵対は世界を東西に割り長きに渡って多くの争いを引き起こした。この長い争いで生まれたのは莫大な資本である。そして他の負の遺産は書けばきりが無い。優れた研究者、識者の知能がこのふざけた争いに注ぎ込まれたこと、殺戮や搾取に反対する良心を正体の無い正義に摩り替えられたこと、カネにふり回されるだけの人生に慣らされたこと、それらは冷戦が終わったとされる今もなお続けられこの世をどこまでも貶める。

その政治指針同様にコロコロと名前を変えつつ最後に落ち着いた民主党の党名は、数の理論で横車を引きそのために数を膨らませる努力はするものの中身は吟味することの無い「民主主義」から採ったのであれば上出来である。名は体を表す。

国の象徴として政権の座に居てもいい。だが何もするな。



集会の中継につけられたコメントも中傷めいたものだけでは無かった。惜しみない賛辞や共鳴の声も多かった。筆者もおなじく、この行動に参加された方々に大きな敬意とともに感謝を表したい。ただ、中近東に身を置く者として言わせてほしい、「アラブの春」にこれを重ね合わせて評価することだけは忌避してほしい。

欧米の石油乞食どもが過去に作った傀儡政権を一新し立て直すための茶番、それがアラブの春である。それに使われたのがフェイスブックとツイッターだった。我々はこの二つを「ソーシャルメディア」と呼びすでに正体の知れた新聞やテレビなどに対抗する新しい情報媒体として歓迎している。一方的な情報受信者でしかなかった我々が同時に発信者となれるかつて無い新しい構造に期待がかけられている。しかしこの媒体の基盤たる「電網」には持ち主がおり、それは誰なのかといえば我々を騙し続けてきた既存のメディアのそれと変わらないのである。そして民衆を扇動するための新たな道具としてこれらソーシャルメディアをを開発したのは世界を牛耳る大国の軍部であったことを忘れてはならない。「敵の敵は味方」、オセロでもない限りこの幼稚な理論は役に立たない。既存のメディアに嫌気がさしたことを理由に新しいものに迎合しきるのは危険すぎる。便利さに骨を抜かれ手足を縛られたその時に、ソーシャルメディアは仮面を脱ぎ捨て我々に襲いかかる事を予期していなければならない。

日本、そして次世代を守ろうと立ち上がる同胞(はらから)たち、これからどんな日本をつくろうか、舵取りをどう行うのか決めるのはあなた達だ。外の国に押し付けられた安物の主義主張は原子炉の中にでも投げ捨ててほしい。そして外の国と競い合うことを忘れてはどうか。外を眺めて追いかけるのではなく、かつての日本人がそうしてきたように、ただひたすらに内を磨いてはどうか。日本人の国は日本人にしか作れないのだから。

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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