冬のごあいさつ
2013年もあとわずかとなりました。みなさま如何お過ごしでしょうか。この季節になると時のたつ早さをつくづくと思い知らされます。
月を見れば十五夜、冷えきる冬空はますます蒼く冴え渡り、春の足音は未だ遠く…
新年とはいうまでもなく年が新しくなる節目をさしております。新春と呼ぶのは年を春から順に数えるためで、冬の眠りから覚めて春を迎えるその門出を祝い新たな年の五穀豊穣と息災を願うのが、わが国の新年でした。
春は。
日の高さ、そして長さが、草木を目覚めさせるに至った頃にはじまります。つまり立春です。立春にいちばん近い朔(新月)の日を新しい年のはじまりとしていました。それは朔からはじまり次の朔までをひと月と数えていたことから来ています。闇から生まれて満ち輝きまた闇に還り行くという人の生死という侵すことのできない律動をを月の満ち欠けに重ねてのことです。
一年の十二ヶ月のはじめの月の初めの日、それは立春を迎える頃の朔日でありました。
私はこのブログで毎年この時期になると同じようなことを書いており、昔からの読者のみなさまはもう呆れておられるだろうと申し訳なく思っておりますが、今年も例のごとく書かせていただいております。
明治の「改暦」により本来の新年は祝うことがなくなりました。代わって目出度いとされるようになったのは西洋のグレコリオ暦の新年です。その昔の西洋では一年は十ヶ月のみ、農事の営まれない真冬の二ヶ月は暦も日付もありませんでした。その後にユリウスとアウグストスが自分の名前を残すため真夏にユリウス月とアウグストス月を捻じ込みました。そうして春のはじまりにあった第一月は後ろにはじき出されてしまい、真冬に一年をはじめることになったのです。目出度いでしょうか。
春の気配をいち早く知る梅の花は立春が近づくとほころび始めます。手折ればそこから枝が分かれ、ますます栄える梅は初春の知らせであるとともに目出度いものとして喜ばれました。毒にも薬にもなる梅の実の霊力もひろく認められていました。それが正月に梅を門扉に飾る由縁であります。
あと三日、梅の花がほころぶことはありません。町の正月飾りの梅の花は紙か樹脂製の造花、そうでなければ特殊な環境で育てられた花でしょう。温室でぬくぬくと育ち、ようやく花をつけた梅はとつぜん真冬の空の下に放り出されます。梅の花に情をうつしてものを言うのもおかしな話ですが、私たちは同じ仕打ちを人に、世の中にしてはいないでしょうか。
新年を祝う習慣のない国に来てからは年末の慌しさも正月気分からもすっかり縁遠くなりました。だからこそでもありますが、やはり今の時期に年末年始のご挨拶をこのブログから申し上げるのは憚られます。
しかし皆様がこの先も健やかに、心やすくお過ごしになることを願って止まぬ気持ちは変わらず、日本の国が少しでも良くなることを祈る気持ちは皆様とともに在ります。
2012年の更新はこれまで、次号は2013年を迎えてからになります。またのお越しを心からお待ちいたします。
あやみ
月を見れば十五夜、冷えきる冬空はますます蒼く冴え渡り、春の足音は未だ遠く…
新年とはいうまでもなく年が新しくなる節目をさしております。新春と呼ぶのは年を春から順に数えるためで、冬の眠りから覚めて春を迎えるその門出を祝い新たな年の五穀豊穣と息災を願うのが、わが国の新年でした。
春は。
日の高さ、そして長さが、草木を目覚めさせるに至った頃にはじまります。つまり立春です。立春にいちばん近い朔(新月)の日を新しい年のはじまりとしていました。それは朔からはじまり次の朔までをひと月と数えていたことから来ています。闇から生まれて満ち輝きまた闇に還り行くという人の生死という侵すことのできない律動をを月の満ち欠けに重ねてのことです。
一年の十二ヶ月のはじめの月の初めの日、それは立春を迎える頃の朔日でありました。
私はこのブログで毎年この時期になると同じようなことを書いており、昔からの読者のみなさまはもう呆れておられるだろうと申し訳なく思っておりますが、今年も例のごとく書かせていただいております。
明治の「改暦」により本来の新年は祝うことがなくなりました。代わって目出度いとされるようになったのは西洋のグレコリオ暦の新年です。その昔の西洋では一年は十ヶ月のみ、農事の営まれない真冬の二ヶ月は暦も日付もありませんでした。その後にユリウスとアウグストスが自分の名前を残すため真夏にユリウス月とアウグストス月を捻じ込みました。そうして春のはじまりにあった第一月は後ろにはじき出されてしまい、真冬に一年をはじめることになったのです。目出度いでしょうか。
春の気配をいち早く知る梅の花は立春が近づくとほころび始めます。手折ればそこから枝が分かれ、ますます栄える梅は初春の知らせであるとともに目出度いものとして喜ばれました。毒にも薬にもなる梅の実の霊力もひろく認められていました。それが正月に梅を門扉に飾る由縁であります。
あと三日、梅の花がほころぶことはありません。町の正月飾りの梅の花は紙か樹脂製の造花、そうでなければ特殊な環境で育てられた花でしょう。温室でぬくぬくと育ち、ようやく花をつけた梅はとつぜん真冬の空の下に放り出されます。梅の花に情をうつしてものを言うのもおかしな話ですが、私たちは同じ仕打ちを人に、世の中にしてはいないでしょうか。
新年を祝う習慣のない国に来てからは年末の慌しさも正月気分からもすっかり縁遠くなりました。だからこそでもありますが、やはり今の時期に年末年始のご挨拶をこのブログから申し上げるのは憚られます。
しかし皆様がこの先も健やかに、心やすくお過ごしになることを願って止まぬ気持ちは変わらず、日本の国が少しでも良くなることを祈る気持ちは皆様とともに在ります。
2012年の更新はこれまで、次号は2013年を迎えてからになります。またのお越しを心からお待ちいたします。
あやみ
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