冬のごあいさつ

2013年もあとわずかとなりました。みなさま如何お過ごしでしょうか。この季節になると時のたつ早さをつくづくと思い知らされます。
月を見れば十五夜、冷えきる冬空はますます蒼く冴え渡り、春の足音は未だ遠く…

新年とはいうまでもなく年が新しくなる節目をさしております。新春と呼ぶのは年を春から順に数えるためで、冬の眠りから覚めて春を迎えるその門出を祝い新たな年の五穀豊穣と息災を願うのが、わが国の新年でした。

春は。

日の高さ、そして長さが、草木を目覚めさせるに至った頃にはじまります。つまり立春です。立春にいちばん近い朔(新月)の日を新しい年のはじまりとしていました。それは朔からはじまり次の朔までをひと月と数えていたことから来ています。闇から生まれて満ち輝きまた闇に還り行くという人の生死という侵すことのできない律動をを月の満ち欠けに重ねてのことです。

一年の十二ヶ月のはじめの月の初めの日、それは立春を迎える頃の朔日でありました。

私はこのブログで毎年この時期になると同じようなことを書いており、昔からの読者のみなさまはもう呆れておられるだろうと申し訳なく思っておりますが、今年も例のごとく書かせていただいております。
明治の「改暦」により本来の新年は祝うことがなくなりました。代わって目出度いとされるようになったのは西洋のグレコリオ暦の新年です。その昔の西洋では一年は十ヶ月のみ、農事の営まれない真冬の二ヶ月は暦も日付もありませんでした。その後にユリウスとアウグストスが自分の名前を残すため真夏にユリウス月とアウグストス月を捻じ込みました。そうして春のはじまりにあった第一月は後ろにはじき出されてしまい、真冬に一年をはじめることになったのです。目出度いでしょうか。

春の気配をいち早く知る梅の花は立春が近づくとほころび始めます。手折ればそこから枝が分かれ、ますます栄える梅は初春の知らせであるとともに目出度いものとして喜ばれました。毒にも薬にもなる梅の実の霊力もひろく認められていました。それが正月に梅を門扉に飾る由縁であります。

あと三日、梅の花がほころぶことはありません。町の正月飾りの梅の花は紙か樹脂製の造花、そうでなければ特殊な環境で育てられた花でしょう。温室でぬくぬくと育ち、ようやく花をつけた梅はとつぜん真冬の空の下に放り出されます。梅の花に情をうつしてものを言うのもおかしな話ですが、私たちは同じ仕打ちを人に、世の中にしてはいないでしょうか。



新年を祝う習慣のない国に来てからは年末の慌しさも正月気分からもすっかり縁遠くなりました。だからこそでもありますが、やはり今の時期に年末年始のご挨拶をこのブログから申し上げるのは憚られます。
しかし皆様がこの先も健やかに、心やすくお過ごしになることを願って止まぬ気持ちは変わらず、日本の国が少しでも良くなることを祈る気持ちは皆様とともに在ります。

2012年の更新はこれまで、次号は2013年を迎えてからになります。またのお越しを心からお待ちいたします。

あやみ

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根無し草 憲法と軍隊

筆者は護憲でも改憲でもない。
護憲派の方々に申し上げたい。いったい何を護ろうとお考えなのか。
改憲派の方々にもお尋ねしたい。いったいどう改めてゆくおつもりか。




先の選挙

吐き気をもよおす有様だ。思いもよらない結果とは言わないまでもここまでとは想像しなかった。日本人は烏合の衆か。


日本を出てから十一年、後悔しないようにと心がけそれなりに懸命に生きてきた。一度も帰国していない。
しかしそんな小さな意地とは無関係に、いつのまにやら日本を出たことを後悔しようがなくなってきた。音を立てて崩れてゆく日本、不安げな同胞たちを遠巻きに眺める自分、皮肉だ。

日本人として人間として親として、真剣に考えなければいけないことに目をつむって生きてきた皺寄せが来た。この負債は我々の世代だけではとても埋めることのできる代物ではない。子や孫の代まで重くのしかかるであろう。原発もTPPも日米関係も、酷すぎる借金だ。

どれも議論の余地などない危険物である。目の前に着火した爆発物がころがっているというのに雁首そろえて眺めながら「これは我々にどのような不利をもたらすか」について尤もらしく意見交換しているのが今の日本人、近代は我々を危険が察知できない愚鈍な民族に変えた。

愚鈍だからこそいまだに自民党や石原を支持する。民主党に裏切られたことへの復習のつもりなのか、二者択一しか知らないのか。国政はオセロではない。それとも流行りの国粋主義に軽い気持ちで染まったか、エエエ情けない。

平和憲法の根拠

平和を愛し戦争の永久放棄を謳う日本国憲法の素晴らしさが強調されているが、その根拠をどこに求めているのか。改憲派の指摘のとおりアメリカの傘、しかも核の傘という大前提がなければ何の効力もない平和である。地球上に日本列島しかなけれはありえるが、護憲を唱える方々はそこまで盲目なのか。
日本の経済発展は軍事費をかけず若い労働力を削らずに製造と商売に専念してきたことが大きく関与した。狂犬病のアメリカン・シェパードを前庭に放っておけば外から攻撃されることもない。そんな環境の中で日本人は平和を愛する民族であると嘯いたところで笑いものになるのが関の山である。戦争は厭だがアメリカにカネで片付けてもらうならよいというのは、核兵器は悪いが原子力エネルギーならよいと言ったり、東京に原発はあってはならないが地方ならよいと言ったり、人件費の高い日本での製造はあきらめ途上国の未成年を一日18時間働かせて安く作ればよいと言ったりするのと同様の幼稚な理屈でしかない。

日本国憲法は日本の軍事力を無力化し、アメリカに頭の上がらない国に貶めるための五寸釘である。基本的人権の擁護はその痛み止めである。「軍隊を持たない代わりに人権は最高に尊重される」と言うほうが「軍隊も人権もやらん」と書くより広く長く支持されるだろう。この憲法の原文を作成したのは「権利」のプロたちである。彼らはこの言葉をいかに麗しく魅せるかをよく心得ている。権利には必ず義務がついてくるのは小学生でも知ったことだが、その重さは常に等しいとは限らない。ちんけな権利のために甚大な義務、いや犠牲が伴なうこともある。権利を逆から読めばわかりやすい。


ならば破棄して軍国化なのか。

恐ろしい短絡である。あからさまな軍国化を目的とする意図的な破棄としか言いようがない。改憲と軍国化は本来まるで別の問題である。それが混同されているのは問題の焦点を捻じ曲げ護憲派と改憲派の睨み合いをあおって国論を分断するためである。
戦争ほど儲かる商売はない。アメリカはカネに困ったと言っては戦争をふっかけ、あるいは第三国同士を仲違いさせて漁夫の利を得ている。どこかで戦争が起これば大統領に支持率があがるという物騒な国である。建国以来この世界でアメリカの関わらなかった戦争・紛争があるか数えてほしい。

通信の発達に伴い大航海時代にやっていたような卑怯な真似をやりにくくなったイギリスが汚れ仕事を任せるために作った国がアメリカである。そのアメリカも世界の警察を気取るためにイスラエルを生んで後を譲った。こうして親子三代続いた老舗だが、三代目が言うことを聞かなくなってきたために勘当し、その代りに日本を養子に取ろうという魂胆かもしれない。
日清日露と二度の大戦がそうであったと同じく日本が軍隊を持ってしまえばアメリカの代理戦争をまた買って出ることになる。つまり昨今の日本の右傾化はアメリカを中心とする軍産勢力の差し金である。わが国の対米従属を軍国化で断ち切れるなどと思うのは無知にも程がある。


憲法を持つということ

もし憲法を持つならば、それはこの国の中から生まれなければならない。先祖たちの血が条文の中に脈々と流れてなければいけない。
それなのに、この日本国憲法にはそれがない。なぜならそれは「自由」「権利」「平和」「文化」という我が国にはなかった言葉と概念で作られた舶来品だからである。自由や平和はすばらしい、その何が悪い、そうおっしゃる方々のほうが圧倒的に多いのは徹底した戦後教育の賜物であるし、ハリウッド映画によるやわらかな洗脳の成果でもある。

欧米にはキリスト教が、中東にはイスラム教とユダヤ教がある。彼らの国の法律には生活規範としての信仰がいまだ生きており、それは最後の審判を神に委ねる気質が残っていることの証拠でもある。近代法といえどその精神を踏まえて作られた。しかし日本の場合は先祖たちから受け継いだ精神を近代化のためにかなぐり捨てた。捨てさせられた。日本の憲法は外から取ってつけたに過ぎない。日本人の血が少しも生きていない。

我が国は一朝一夕で成りえたものではない。たかだか二百年たらずの近代と、たかだか二千年あまりの有史時代のその前には二万年を越す太古の時代がある。我々の五体と心にはこの古代の記憶が生きている。森羅万象に神の存在を見出し、それを畏れ敬い多くを望ます行いを正して生きてきた先祖の記憶が生きている。日本を共同体としてとらえるとき、必要なのはこの「民族の記憶」である。日本民族であれば誰もが同じように考えるとは言わないが、必ず心の共通項、数学で言えば公約数が存在する。かりに憲法を制定しようと言うのならばここから歩み始めるべきである。
現実はそうではなかった。我々の民族の記憶は非科学・非合理と形容され顧みられなくなった。それよりも輸入された近代思想を持ち上げ、その上で受け入れたのがこの日本国憲法である。民主主義という係数を掛けて公倍数を得たのである。この憲法は我々の内側から生まれなかったために軋み、揺らぐ。国の最高法規がこのざまであるからこの国が独り立ちできない。改憲派がいくら上書きしたり削除したとしても時間の無駄である。

政府内の改憲派のやりたいことは明解だ。冷戦時代とは掌を返し日本に戦争をさせたがるようになった欧米軍産勢力に国を売り渡し権力と身の安泰を得たいだけだ。まるで幕末の再来を見るようだ。あまりに不毛な150年だ。その売国奴の尻馬に乗る国民の多さはさらに不毛だ。

ばかげた憲法論争はこの先も続く。論争すべきはこの国をどうするのか、どのような国をつくらねばならぬのか、それだのに。

軍隊を持つということ

自分の国を守るために国民が戦う、ときには負傷し、あるいは命をおとす、国はその補償をする。よその国々ではこれは当然のこととなっている。この制度を肯定した教育を受けて育つので日本にあるような軍隊嫌悪症候群はみられない。日本には軍も兵役もないというと「いいなああ」より「だめだなあ」といわれることのほうが多い。他国と国境を接してしのぎを削ってきた経験のある国から見れば軍がないのは裸も同然なのである。今日は仲のよい隣国が、明日に攻めてくることもあり得る。彼らにとっての国境というものが縄張り争いの結果に張られた「縄」であり、それはいつでも「最前線」に変わりうるものだからである。そういう意味では海に囲まれた日本国は特殊な状況に見えないこともない。が、そう見えるだけである。爆弾は海の向こうからでも、大気圏外からでも飛んでくる。弓と刀で戦った時代は過ぎてしまった。

トルコは長年、隣のギリシアと領土問題で反目し続けてきた。近年それが氷解に向けて動き出し首脳会談にまでこぎつけたがその矢先、あろうことかトルコ軍はイスラエルから対ギリシアと称しミサイルを購入、配備した。軍が政府の言うことをきかないのである。軍は必ずこうなる。それは各国の軍部の中枢には無国籍の軍産勢力の息がかかった間者が放たれるからである。もちろん政府の中にもであるが、そこに必ず介在するのが財界人、薬や食品にかこつけて兵器を売買する武器商人たちである。世界のそれを「調整」するのは国連の仕事である。大戦争を回避し小競り合いを長く続けさせるよう手心を加える。これが一番儲かり、しかも先進国の威光をより見せ付けることができるからである。

もし軍をもつならば政府に軍の首根っこをつかみ制御する力量と他国と渡り合うだけの外交手腕が必要なのである。日本政府にそれができるかなど笑止千万、軍隊を持つ持たないの話をする前に政府と呼べるものなど日本にはない。


特定の国を第三国に貶めるためには内紛を煽るか近隣諸国と仲違いをさせておくのがよい。国論を分断され戦費を費やし若者が傷つき命を落としてゆく。国力は下がり続ける。罠である。今この世の中で軍隊を持ち戦争をするということはこの罠に嵌りにゆくことである。陰で笑うのは誰か、それは国旗をふりかざす者に違いない。

そしてもうひとつ、この軍国化を叫ぶ政党は原発の推進もしたがっている。それには福島第一原発の収拾と今後も起こりうる原発事故の処理に当たらせる人員の確保が急務となる。国に軍があり兵士がいればそれは当然彼らの責務となる。汚い奴等ほど勘定高い。


何を守るのか

これまではカネに物を言わせて外国に国を守らせるていた。ただし「守る」という言い方は正しくない。アメリカが楯になり外からの攻撃をかわしてくれた訳ではなくアメリカが日本のための戦争を用意しなかっただけのことである。だから米軍は日本に無意味に駐留していたことになる。日本が米軍のために費やしたカネをそっくり寒い国にくれてやればそれでも事は済んだはずだ。我々が「平和」と呼んでいたものはこれである。白昼夢でも見たと思って忘れたほうがいい。

しかしアメリカはもはや方向を転換し、日本を防衛する気などない。なぜなら新与党は昔からアメリカの手先でありこれまでもアメリカの指示に従い政策を打ち出してきた。勝手に改憲・軍備をさけぶことなどは罷りならない。つまり日本に軍隊を持たせたがっているのはアメリカ、いや軍産勢力であり、このままでは日本の若者たちは国のためではなく武器商人たちの利益のために戦地に赴くことになる。そして敵兵とて武器商人に駆り出されただけの人の子である。あってはならない。

近代、そして戦後に手に入れた繁栄に盲執し、さらに多くを望む我々の姿ははたして日本人に似つかわしいだろうか。繁栄を失いたくないあまり原発事故にすら目をつぶる姿は、人に似つかわしいだろうか。挙句には子供たちに武器をわたし人を撃たせる羽目になる。これが親のすることだろうか。モノの豊かさを追い求めれば最後には血を流さざるを得なくなるのだ。

そうまでして守ろうとしている物は子供たちよりも重いのか。

我々が今日ここに在るのは遠い昔から命を紡いできたからである。子を産み、育て、守り、それを繰り返してきたからである。辛かろうが、飢えていようが、我が子を思う気持ちは普遍である。しかし今、若者たちは子を持つことに逃げ腰になった。貧しさを恐れてか、時間が惜しいのか、よほど邪魔なのか、理由はそれぞれだろうが子供どころか結婚まで億劫になったという。これではもう守るべきものを失ってしまったといっていい。そんな彼らと国防の話などできようか。国は国民の集まりである。国民一人ひとりを生んで育てるのは家族である。その家族を守れない、あるいは守るべき家族をほしがらない国民が集まってできた国を、誰が何のために守るというのか。

死守すべきは繁栄でも、憲法でも、ましてや日の丸でもない。遠い先祖たちから受け継いだこの命の、そのあるじたる魂の、その担い手たる我が子たちである。それを思い出さねば法も国家もただの偶像でしかない。

いざ アンカラ   在外投票

去る十二月五日、公示の翌日から三日間は日本の外からの投票が行われた。筆者も一足早く票を投じた一人である。カッパドキアから日本大使館のあるアンカラまで片道五時間のバスの旅。いやな予感はしていたが、ごんごんと雪が降ってきた。

在外投票自体まだ日が浅くこの十数年でやっと確立した制度だが、その不便さには閉口するしかない。海外在住者は「在外選挙人証」というものを前から申請し手元に持っておかなければならず、その申請もすべて日本との往復郵便なので時間がかかる。つまり国会が解散してから申請しても間に合わない場合がおおい。

筆者の住むトルコなどは投票所がアンカラとイスタンブールの二箇所もあるから文句も言えないが、アフリカには国境をふたつもまたがなければ投票所に行き着けない国もある。そのような交通事情が悪い国の日本国民は日本の選挙管理局に直接、郵送で投票できる。しかしその場合は投票用紙を選管つまり日本の役所に請求、そこからまた郵送されてきた投票用紙に記入し返送、という国際郵便の一往復半がある。例の在外選挙人証の請求と受理を含めると二往復半だ。なめているのだろうか。

まさか歩いて行くわけでなし、と不服を飲み込んで一路アンカラを目指し車中の人となる。


ここは旅のしやすい国である。道路網は隅々まで整備され、公共交通の要であるバスが縦横無尽に駆け回っている。バスの中でふるまわれるお茶と軽食がうれしい。数時間に一度は必ず休憩所にとまり、気の利いた食事もとれる。

雪のふる田舎町の休憩所、遠巻きに見たのは若い日本人旅行者たち。いったい本当に日本語を話しているのだろうかと不安になるが、耳を澄ませるとどうやら日本語らしい。最近ますますせわしなく話すようになったような気がする。頷きながら話す癖もみなに共通している。定まらない視線も腰砕けの歩き方も何とも頼りない。それより彼らは帰国後に選挙に行くのだろうか、などと思ったが、もちろん干渉する筋合いではない。しかし選挙というのは個人の好き勝手ではなく日本人全体の問題のはず、道端に空き缶をすてる子供をたしなめるのと同じように選挙に行かない連中を叱り飛ばしてももいいはずだとも思う。厄介な問題だ。


残念だが今の政治は消去法で考えるしかない。絶対にしてはいけないこと、してほしくないことをシラミつぶしに消去して、あっちよりはこっちのほうが少しはましだろうというという選択しかないと思っている。ろくな選択肢しかない選挙区のほうが多いだろう。少なくとも比例は最高裁判事の信任投票のように否定投票に切り替えればもっと正しい結果が出る筈だ。

民主主義などにははなから少しも期待していないし、「真の民主主義」「民主国家のあるべき姿」、こんな馬鹿げた議論に加割る気持ちなど微塵もない。

「民主主義」に実体はない。ぶよぶよした袋のようなものに、自由だの、権利だの、平和だのという甘い言葉を吹き込んで誰もが憧れる姿に仕立てた操り人形でしかない。それを操るのは「資本主義」、その媒体は「経済」である。民主主義に熱い思いを寄せる気持ちはよくわかるが叶わぬ恋とすっぱり思い切るほうがいい。つまり民主主義とは聞こえは良さそうだが所詮は資本主義の隠れ蓑に過ぎない。人種差別や殖民支配、ナチスの恐怖政治という汚物をさんざん見せ付けたあとで民主主義をご開帳すればみなありがたがるに決まっているではないか。


今の世の中は電子レンジとよく似ている。中に食品を入れて強引に暖める箱のことである。食品が冷たいときはその食品を組成する原子の周りをまわる電子の動きは緩慢である。つまり電子の運動エネルギーが小さい。電子レンジに電源をいれるとその中に磁場がつくられ電子がとびかう。電子は食品の中をつきぬける。そのときに食品独自のもっていた電子とのあいだに摩擦がおこり食品電子の運動が加速される。すなわち電子の運動エネルギーが増す。熱エネルギーを与えたわけではなく、電子摩擦を誘発して温度を上昇させるのである。
市場という箱のなかでは必要・不必要に関わらず貨幣が飛び交い、われわれの暮らしのなかを突き抜ける。消費につぐ消費を誘発されてわれわれはそれを追いかけ、おいこそうと奔走する。これこそ経済が活性化された状態である。市場に貨幣を投入し拡大し、雇用を増やし、所得を増やし、発達を加速させ…この世の運動エネルギーが高まることを誘発するための大義名分が資本主義だ。しかしこれはいずれ疲弊と枯渇をもたらす。それが今の日本、そして世界だ。

電子レンジであたためたものが鍋にかけたものより早く冷めることにはお気づきであろう。それは誰とも熱交換を行っていないからである。働きもしないで得たカネが一晩で泡と消えるのとよく似ている。そしてこの電子摩擦には、食品の組織や微生物は耐えられず死滅する。それを口にする我々は食品から受け取ることのできた免疫力を完全に取り逃がすことになる。われわれの中の大切なものがこの飛び交う貨幣に焼かれているのも事実、ならば何故この市場という箱から出ようとしないのか。

資本主義をあげつらって民主主義を否定するのはおかしいとのご意見もあろうかと思うが、先に述べたようにこの両者は人形遣いと人形の間柄にある。外は可憐だが使い手が腐っている。だからこれまでもこの先もまともに機能する筈などない。それを旗印に政策を叫ぶ政治家どもも滑稽でしかない。もし日本の歩むべき道を民主主義という言葉を使わずに説く政治家がいれば耳を貸そう。だが、我が国にその力量と勇気を持つものが現れるとは思えない。

民主主義も共産主義も理論上は実現可能である。ただし人間の生きる「場」をとことん無視すればである。
たとえば羽毛と硬貨は質量が違うが引力は等しく作用する。同じ高さから同時に落とせばそれぞれ自由落下し同時に着地する、はずであるが、普通はそうはならない。「空気の抵抗はないものとする」というお決まりの但し書きがつかない限り決してあり得ない。空気抵抗のない宇宙空間は重力場の外になるので論外、ならばどこかの大学の真空試験室の中にでも行くしかない。いわば恐ろしく限られた「場」でのみ実現する法則であるが、これを一般解としてしまうから矛盾が生まれる。
人はもともと怠惰で強欲、嫉妬深く淫蕩な生き物である。物理空間に空気抵抗や摩擦があるように人の生きる「場」には様々な抵抗が渦巻く。これを「ないもの」としたときにはじめて民主主義や共産主義がなりたつのである。こんないかさまに気づかぬために前に進まない、それが近現代だろう。

ペレストロイカの風を受け東欧の共産主義が崩壊した。その数年後のブルガリアを旅したことがある。首都ソフィアは凍てつく町、ならぶ建物は共産のにおいが強く残る無機質な造りで、駅、地下道、廃墟と処かまわず失業者たちが寒さをしのいでいた。せわしなく働くのはヤミ両替の業者だけだった。生活必需品はキオスクのような売店のみで専売されていた。すり、ひったくり、強盗、警察もそんな軽犯罪にはお構いなし、強盗に遭い所持金もパスポートも全部なくして大使館に保護されているという気の毒な日本人にも会った。一方でトルコ国境に近い東の町は共産党時代から「運び屋」が活躍し裕福層が存在する。人間界で共産主義を貫こうとしてもこうなるだけである。
民主主義を掲げる国々はミサイルを片手に.世界平和を謳い、従わぬ国があれば木っ端微塵の焼け野原にする。その傍らでかつて植民地として支配した国から資源と労働力を搾り取る。人間界においての民主主義とはこれである。主義主張の内容など議論しなくとも結果だけ見れば明白である。

そうこう思いを巡らすうちにバスはアンカラに到着、地下鉄に乗り換え中心街へ。久しぶりに来たアンカラだがやはり好きにはなれぬ町だった。この都市は帝政が打ち倒され新政府が樹立したときに人心を一新するためイスタンブールから遷都されたもので歴史も味もない。西欧化にそぐわないイスラム教色を排除するため左寄りの政策がおかれた近代トルコの新首都の風景はよく見ると共産圏の都市のそれと酷似していた。今でこそ華々しく飾られ物質的な豊かさと賑わいを見せてはいるが町の骨子はブルガリアの首都と同じ臭いがする。

さらに市バスで日本大使館へ。菊の御紋をはりつけた入り口をくぐり館内へ。受付をすませ投票。比例は未来を選んだ。筆者の日本での最後の住所地のある東京一区の候補の中から誰かを選ぶのは不可能、ひどい選挙区もあったものだ。腐ったりんごと虫食いだらけのりんごのどちらでも好きなほうを選べと押し付けられている。選択肢は「該当者なし」。未来の候補だからといってN氏と書くのは踏み絵を踏むこと同然だ。こんな候補をあわてて立てるなら未来もお里が知れる。
職員の方に投票率はいかがですかと訊ねたところ、ぼちぼちです、と気まずい笑顔が返ってきた。留学生も商社や銀行に携わる日本人もこのアンカラには多いはず、民主国家で民主教育を受けて育った優等生たちには原発もTPPもたいした問題ではないのだろう。

勝手にすればいい。


世の中は「変える」ことはできない。何かの結果として「変わる」のである。我々が変わってはじめて世の中も変わる。主権者である国民が今のままではその延長上にある国も今のままだろう。しかし我々はくだらない知恵をつけられすぎたおかげで個々の思考が方向性を欠き、国として共同体として纏まりようがなくなった。そこで民主主義が数の理論で横車を押すことを認めざるを得なくなる。また、鍛えられずに成長してしまった我々の脆弱な思考力は社会生活に忙殺される毎日によってほぼ麻痺してしまった。そこで民意を問われたところで結果はわかりきっている。失意の海に沈みゆく日本。


潮流をよみ、風をも見据えて舵取りをするべきはずの我々は、民主主義という誤った海図を信じたためにに座礁した。

日本丸よ、いつまでそこで立ち往生するつもりか
はやく帆をあげてゆくがいい、潮はとうに満ちている。

アシュレ ノアの方舟の炊き出し

預言者ノアとその家族たち、そして動物たちのつがいを乗せた方舟は、長い漂流の末に陸に辿り着いた。ノアたちは神に感謝をささげ、船に残ったありったけの食料を炊き出してともに食し、再び大地を踏みしめることの叶ったその日を祝うのであった。

なにしろノアの方舟のことであるから、積み込んであった食料は麦や木の実、豆類がほとんどであったことだろう。それをまとめて麦粥に似たものを炊いたと伝わっている。そして今もそれにちなんで「大地との再会」を祝うこの日を迎えたイスラム教国の町や村、そして家庭では朝から炊き出しの支度をする。方舟の麦粥を忠実に再現したものではなく誰が食べても美味いと感じるようなものに変わってはいるものの、素朴でやさしい味のする麦粥「アシュレ」について書いてみたい。


「アシュレ」とはアラビア語の数詞「10‐アシュラ」から来ている。預言者ノアとその一行が大地に降り立った日はイスラム暦第一月(ムハッラム月)10日にあたる。太陰暦であり閏月を用いないイスラームの暦の一年は365日に11日ほど足りないため信仰にかかわるすべての行事は毎年11日ずつ早く訪れるのだが、今年は去る11月の24日にその日を迎えた。ムハッラム月の残りの二十日間、つまり次の新月の晩がくるまではこのアシュレを何度か味わうことができる。

さて、いったいどのようなものであるか。
粥といっても塩味はつけない。麦と一緒に豆や果物を煮て最後に砂糖を加える「甘味」である。文字で書いてしまうと日本人には馴染みにくいもののようだが、みつ豆や汁粉の遠い親戚だと申せばお分かりいただけるかもしれない。

大麦は研ぎ、ひよこまめ、白いんげんをそれぞれ別に一晩水につけておく。干しぶどう、干し杏、干しプラム、干しりんご、干しいちじく、そのほか家にある乾燥果物がっさいを一緒に茹でる。
台所で作るならばここで圧力鍋のお世話になる。最初に麦を大目の水で七分炊きにする。この時点で炊きすぎると後で溶けてしまうので早めに蓋を開け、大鍋にうつす。水を足し、焦げ付かないように時々かきまぜながら弱火にかける。
次にひよこまめ、づづいて白いんげんも圧力鍋にかけ、それぞれやや硬めに炊いて大鍋に加える。
乾燥果物を茹で汁ともども大鍋に空ける。
さらに生の果物をきざんでくわえる。今は冬なので柑橘類やぶどう、りんごがある。そしてくるみや落花生、杏仁などの木の実も煮る。栗があれば下茹でして加える。それぞれに火がとおった頃に砂糖で甘味をつける。
白玉団子や餅を入れたらさぞ似合うだろうなあ、などと思うほど、日本人の筆者にとって親しみの沸くアシュレである。

          アシュレ



大鍋のアシュレを小鉢に分け、ざくろの粒や胡麻、くるみを砕いてちりばめる。それが冷めぬうちに近所の家々へ「召し上がれ」と配ってあるく。ムハッラム月は毎日のように、どこからともなくアシュレがやってくる。寺院の前や市場に大鍋が設けられて道行く人に振舞われる。振舞う側もそれを受ける側も「神のご加護がありますように」と、お互いの平安を祈り謝意を伝える。万物はそもそも神からの賜りもの、神はそれを隣人と分かち合い世に還元することを望むと聖典クルアーンに繰り返し記されている。イスラームに限らずこの世の多くの信仰で教えられていることである。


ノアも、モーゼも、アーダムも、一神教の信者たちにとっては実在の人物であり伝説などではない。楽園を追われたアーダムとエヴァから生まれた子供たちが世界に散らばり今の世の中をつくったと認識している。ヒトの祖先が猿であったなどと言えば笑われるか、下手をすると叱られてしまう。

旧約聖書に記された「創世記」によれば、アダムの死後その子孫たちは時とともに堕落し世の中は業に満ちあふれ、神に跪き天命に従う者は絶えようとしていた。怒れる神は大洪水を呼び起こし生きとしけるものすべてを滅ぼすであろうことを預言者ノアに告知し、しかしノアとその家族だけはこの世に踏みとどまりその子孫たちが人の営みを続けることを許した。方舟をつくり動物という動物の全てのつがいを運び込み、大洪水に備えよとノアに命じた。

クルアーンにも預言者ノアはいくつかの章にわたって記されているが洪水と方舟については旧約の記述とはいささか違いがある。神は堕落の民「ノア族」に対し預言者ノアを遣わして(民族の中のひとりであるノアに預言を与えて)神を畏れ行いを正すよう命じた。しかし聞く耳を持たないノア族を神は見限り、大洪水を起こしこの救いようのない民を滅ぼすとノアに伝えるが、ノアの家族そして最後の日までに改心した者たちには救いを差し延べるとした。そして方舟の作り方、食料の保存のしかたは神がノアに預言という形で与えたとある。
方舟を作るノアは周りからそしりを受け続けた。
「預言者を名乗るノアよ、どうしたことか、今は船大工に身を落としたか」と笑った。
大洪水が近づいた頃に方舟は完成した。食料と動物たちの餌が運び込まれる。

旧約では動物たちを確保するよう神が命じているが、クルアーンでは動物たちが自ら方舟に集まってくるとある。また旧約にある「動物」とは哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫その他全ての動物種であると明記されているのに対しクルアーンにはそのことは触れられていない。

風雲はいよいよ急を告げ天から滝のごとく降る雨の中でノアは人々に改心を求め呼びかけ続けた。しかしそれに耳を貸す者は少なく、八十人がようやくノアに続いたという。ノアの息子たちのひとりケナンも頑として方舟に乗らぬ者の中にあった。高い山にのぼり洪水をやり過ごすのだといい、方舟に乗ること、つまり神にひれ伏すことを拒み現世を選んだのである。ノアは深く嘆き神にケナンを救うことを哀願したがそれは赦されず、水が大地を呑み込むと方舟は溺れるものたちを後にすべり出した。
救いがたいノア族の中からでさえ神とともにあろうとする預言者ノアが現れ神の道を説き続けたことも、その預言者の息子たるケナンでさえその声を聞き入れずに背徳者として沈んでいったことも共に深い何かを訴えている。ケナンが逃げた高い山とてもとより神の創造物であり、神の怒りをかわす力は持ち得ない。


この洪水が何を意味しているかは議論が絶えない。最後の氷河期がおわり海水が急激に上昇したことを指すとするものもあれば中東の一部地域の川の氾濫という考えもある。旧約にあるようにノアがこの世の全ての人間の中でただ一人神の目に適った者とするならば、そのほかの全てを滅ぼすための洪水はそれこそ世界規模でなければならない。しかしクルアーンによれば神が見限ったのはノアの属するノア民族であるとされる。そしてこのノア族の拠点はメソポタミア高原一帯であったとの記録があり、となれば大洪水が指すのはチグリス・ユーフラテスの大氾濫という予測も可能になる。

さらに、ノアの方舟が到着した土地も食い違いがある。旧約ではアララト山、クルアーンではジュディ山となっている。いずれもトルコ東部に実在する山であるが400km以上の隔たりがる。学会で勢力を持つのは当然西欧の学者であり、そうなればキリスト教・ユダヤ教の見地から旧約聖書に記されるようにアララト山をノアの方舟が行き着いたところとする意見が定説となった。(繰り返しになるが、中東でも西欧でも洪水や預言者たちの存在は史実とする考えが強く学会の中にも深く根付いている。近代合理主義とは本来水と油の間柄にある旧約の世界だが、西欧・中東の研究者のあいだでは両者の関連付けを試みる斬新な動きすらある。日本はこういう点では甚だしく遅れているといえる。)

19世紀後半からアララト山一帯の調査がたびたびおこなわれている。方舟と思わしき木造の遺構がオスマントルコ帝国政府により発見されたがなぜか調査を断念、しかしそれにより方舟の存在が世界に知られることになる。その後帝政ロシアが没する直前にロシア軍による大規模な調査が行われたが革命の混乱で資料は散逸、そして二度の世界大戦を経て冷戦時代を迎える。東西の緊張が高まるとアメリカの同盟国となったトルコと旧ソビエトの国境付近に位置するアララト山に調査団が近づくことは不可能となった。その中で唯一調査を進めることができたのはトルコに駐留するアメリカ軍であった。そして今日、ノアの方舟についての議論の材料はほとんど米軍の作成した資料によるもので、また一番の発言権もこの国にある。

きな臭い。

一方でクルアーンに登場するジュディ山はといえば、80年代以降はPKKと呼ばれるクルド人のテロリストの潜伏地帯となり調査隊はおろか軍隊さえも近づけない。いや、近づかないのである。なぜならPKK問題は世に知られるところの民族紛争などではなく、トルコ軍部が深く関わる麻薬と武器の密売組織の隠れ蓑だからである。トルコ東部の、かつては絹の道と呼ばれた交通網をくぐるのは駱駝に積まれた絹や香辛料ではなく、イラン・アフガニスタン方面の麻薬と欧州製の武器弾薬に変わった。加えて国内に軍の権威を誇示するためには暴れるテロリストの鎮圧という茶番が欠かせない。武器を売って麻薬を買う国の肝煎りでトルコ軍が周到に用意したでく人形、それがPKKである。だから間違ってもジュディ山にノアの方舟の聖地などがあっては困る。世界中から注目され、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教すべての信徒たちの巡礼地となり、都市が出来上がり、それでは密売どころではない。この地が本当に新天地であったかどうかは別としてそのような厄介は是非とも避けたいところであろう。

人の思いがいかにあろうと方舟は、どこかに眠る。



アシュレの中身は、木に生る実、育てた実、そしてそのいずれかを蓄えた実、といくつかに分けて考えることができる。

木に生る実は天から「たまわる」ものと素直にとらえることができる。秋には木々が枝も折れんが如く実をつけるとわれわれはその恩恵にじかに触れることができる。

育てた実とは土を耕し、種を蒔き、水を引き、春から秋までを身を粉にして働き手に入れる実りである。土や雨や日の光という天の恵みに「そだてる」という人為が加わる。

冬から春にかけて大地は風雪に閉ざされ木々も土も眠りにつく。が、我々は森の獣のように冬を眠りとおすことができない。海を越え南を目指して飛ぶ翼もない。実りのない冬も食べ続けなければ生きられない。そうして、天から「たまわる」もの、そして人が「そだてる」ことで得たものを、「たくわえる」という知恵をもって冬をしのぐようになった。

夏から秋にかけての豊かな実りを乾かし干して冬の糧とし、正しく保存すれば何年でも蓄えておける。このおかげで飢饉をもやり過ごすことができた。この世に生をうけた者たちはより多く、より長く命を繋ぐことができるようになった。


だが、それは両刃の剣でもあった。たくわえは貧者と富者を生み、弱者と強者を分け、物欲に駆られたもの同士を争わせた。業は業を生む。人々は神の名を騙って争いを仕掛けるまでにのぼせ上った。

万物は神からの賜りものであることを承知しながらも、働いて麦を育てる力、それを乾かし、雨露から守り、蓄える知恵とてそもそもは賜りものであることが次第に忘れられた。そして「そだて」「たくわえ」たものを人の手による「私物」と錯覚した。神の手を振り払った。この断絶は人をいばらの道に引き込んだ。



ノアの故事であるアシュレがならわしとして今に伝わるのは、己に与えられた力と知恵を隣人と分かち合い世に還元せよとの暗示である。その逆を行く我々は、知恵も、力も、恐ろしい仕業のために使い続けている。それは廻り回って我が身に、我が子たちに降りかかるであろう。


人の思いがいかにあろうと方舟は、沈みゆくものを後にする。
我々は新天地に立てるのであろうか

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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