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追記 アラブの春が大好きな方に言うことはもう無いが

前回の記事に寄せられたコメントをくまなくお読みになってくださる方々、またソーシャルメディアに対して何らかの疑いをお持ちになっていることを伝えてくださった方々が大勢いらっしゃるので短い投稿を以って続報を兼ね補足させていただきたい。



イスタンブールのゲズィ公園デモは、もとは環境破壊反対を名目としてはじめられた抗議集会だった。既存の公園の26本の木を切る、切らないを言い訳におきたプロパガンダであった。

問題の根底にはイスラム主義を掲げる現政権(エルドアン首相)と西欧化・世俗化を標榜する前政権の対立がある。前政権は「弾圧」という言葉を連発して現政権を挑発・牽制する。

前政権はひどい弾圧政権であった。たいした政治理念があったわけではないが自らを支持しない層は徹底的に排除された。婦女は髪をスカーフで隠すというイスラムの風習を「悪習の象徴」と設定し、髪を隠した女子は大学の入試すら認められなかった。大学に入りたければ髪を出せというのである。女子は海外で学ぶことを余儀なくされたか、泣く泣くスカーフを外したか、多くは進学をあきらめた。彼らのいう民主主義とはこの次元である。今もこの先も同じ次元である。まあ、民主主義などはそんなものかもしれないが。

イスラム主義を世界は快く思っていない。わかりもしないのに、である。

ある方からいただいたコメントに筆者がお返しした文章の要約を以下に貼り付けておく。「反イスラム製造法」および「目的」について。

――まず欧米はアフガニスタンに内側から干渉し「イスラム的独裁国家」の雛形として世界に発信した。つまりあそこも傀儡である。あまりにもひどいイスラム圧政、それを若者に見せることで反イスラム主義を植えつける。「世俗化しないとアフガニスタンになるよ~」と脅す。
社会が世俗化すると得をするのは「金融」である。彼らが標榜する「カネが全ての世の中」に宗教ほど、とくにイスラム教ほど煙たいものはない。なぜなら利息を取ることも払うことも禁忌だからである。中世からこの方、金融の仕組みが世界を痛めつけてきたことを考えていただければなぜ禁忌とされたかということはお分かりいただけるであろう。エルドアン首相が何年も格闘しているのは金融ロビーたちで、そのためにトルコ国内の金融業者と、それと深いつながりのある司法・医療・大学・メディア(つまり他人のふんどしで相撲を取って稼ぐ人たち)はこぞってデモを支援している。金融業者は大航海時代からグローバルなので世界中のメディアが「春」を応援するのは当然なのです。
デモ隊のおおくは裕福な家庭に育った子供たち、そして彼らを束ねているのは極左の運動家、中には人権・環境活動家の仮面をかぶり世界の暴動に首を突っ込む海外テロリストも顔を連ねている。
人権および環境団体は「きれいごと」を武器に世界に火種を撒き続ける糞虫である。もちろん金融業界の出先機関でしかなく、日本の反原発運動を複雑にしているのこの連中である。(例 アムネスティ、グリーンピース、シーシェパード他)――


五輪招致合戦が過熱しだした頃からいやな予感はしていた。

オリンピックはスポーツの祭典などと思ってはいけない。「代理戦争」である。国の威信を賭けて、でもとりあえず血を流さずに戦士たちを衝突させるのである。
しかし戦士たちは見えない血を流している。日本の柔道会の虐め、監督による暴行、ドーピング詐欺、女子選手の無月経症やホルモン異常。北京五輪の際のウイグル人暴動。
世界中から諜報員が集まりスパイ外交の天国となる。開催国はその緊張の代償として国際社会への入場券と海外からの投資、内需の拡大を約束されはするものの、それとは別に地価と物価の高騰や古き良き精神的財産がある形で失われてゆくというつり銭を渡すことになる。

日本における「トルコの春」支援は東京にオリンピックを招致したいという日本政府の了見が見え隠れしている。猪瀬馬鹿都知事の失言(というかアメリカにそう言わされたこと)もあるため慎重に行動しているようだが、日本としてはオリンピックをぜひとも招致し、かつてのオリンピック景気の再現を夢見ているようである。多くの国民の皆様もやぶさかではない筈だ。
しかし戦後のオリンピックと万博、それによる景気の向上は、あれは日本が自力で勝ち取ったものとだとでもお思いなのだろうか?核の傘の下でアメリカに握らされた飴でしかなかったことをまだ認めようとしないのだろうか?それとも、もっと飴がほしいのか?

西欧の腹の底はまた別のところにある。オリンピックは西欧社会のものであり、西欧のほかで行われることは気分がよくない。だから高く売りつける。機会を与えないのは民主主義に反する(らしい)のでいちおう立候補は認める。そして気を持たせておいたあとで言いがかりをつけ、罵詈雑言をあびせて招致権を剥奪するのである。または開催中に事件を起こして台無しにする。

トルコ現政権としてはオリンピックはべつにどうでもよい。面倒なのでできれば他の国に持っていってほしいが確かに投資は魅力であるし国民が望んでいるものを頭から否定するのはリーダーのすることではない。逆に招致を逃してしまうと野党の攻撃材料を与えてしまう。今度の騒乱を理由に候補地から外されれば現政権には怪我の功名ということにはなる。(デモを支援した野党のせいにできる)


煽りたい側の人間が何を言おうとデモは収束にむかっている。それを妨害しようと、ヨーロッパ議会はエルドアン政権を弾圧政権として批判、抗議文書の作成を決議した。トルコ政府は「そんな紙切れは受け取れねぇ」と、受理しないことを今朝表明している。

デモがはじまったのは5月31日だが、イスタンブールでは28日の時点でテレビ中継用の車両が海外メディアからレンタルされている。多くの海外記者がその前日までにトルコに入国している。そんなことはFBマニアたちは知らないし、知りたくも無いだろう。

火炎瓶と肉切り包丁を振り回し、商店に放火しガラスを割り、盗みすら働く反政府勢力に対して水と催涙ガス(トウガラシ水溶液)を使用することになにか問題があるだろうか。米国CNNはトルコ政府が化学兵器を使用していると報道している。そうしたければ自分の国ですればいいのであり、よその国で使っても、使わせても、使ったことにしてもいけない。
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アラブの春が大好きな皆様に申し上げる

つくづく報道というものは見る価値のないものだと再認せざるを得ない。そしてソーシャルメディアも同じ穴のムジナ、低級下劣下劣極まりない。

いま日本の世論で「トルコの春」が騒がせていることは何となく耳に入る、というか心配をしてくださった方々からメールをいただいたりブログにコメントを寄せていただいたりしているのだが、とりあえず海外で報道されているような状態は虚構といっていい。都市でも田舎でも普段どおりの生活が続いている。

「アラブの春」に関していつも思うのだが、政府に対して抗議行動を起こす団体はなぜか海外から支援される。エジプトもリビアもシリアも、どの国もまるで事情がちがうのに糞味噌ごちゃ混ぜに反政府組織を支持する「悪癖」が市民にある。世界地図のどこに位置するかすら認識されていないのにその国の歴史的問題に起因する実情が外からうかが得るわけがない。だがなぜか、デモの映像が流れれば「加害者が政府で被害者が市民」ということにされてしまいみなそれを信じ込んでしまう。盲信するだけならメディアなどに触れるべきではない、危険だからである。

政府に対して抗議行動を起こす団体が海外から支援されるのはなぜか、それはそう仕向けるためにテレビで報道され、ネットで共有されているからに過ぎない。「市民主導の民主化への戦い」と評されるこの一連の暴力の正体は「西欧の意図による国家元首の首のすげ替え」である。中東地域には近代以降各国に西欧寄りの傀儡政権がおかれたが、古くなったもの、あるいは都合が悪くなったものを一新し再統制するために始められたものであり、フェイスブックを筆頭とするソーシャルメディアはその道具として開発されたものである。そのユーザーはさらにその下の道具にされたと言っても過言ではあるまい。

イラクのフセインは「増徴して言うことを聞かなくなった」としてアメリカに捨てられクルドゲリラの親玉に政権を譲ることになった。クルド民族の名誉のために一応書いておくが、クルド人問題も欧米が仕組んだ「火種」でしかない。

エジプトのムバラクは親米派の代表であったにも関わらず切り捨てられた。エジプトはパレスチナ問題の緩衝地帯である。そのエジプトの元首があまりにアメリカ寄りでは、パレスチナ問題の尻拭いがいつもアメリカに回ってくるので重荷になってきた。逆にここでイスラム政権を立てておけばアメリカの責任外で戦火を煽ることができ、漁夫の利を得ることすらできる。

ヨルダンとレバノン政府は不穏分子を摘発し西欧に対し再度忠誠を誓うことで温存された。

リビアのカッダーフィーは元は英国のエージェントとしてイスラムの醜悪さを印象付ける反欧米の旗手を演じていたが後に本当にイスラムに覚醒してしまった。アフリカを纏め上げアフリカ連盟の樹立を構想、さらに欧米を本気で怒らせたのは金貨による独自通貨の導入計画だった。そんなことをされてはドルもユーロももともと紙屑であったことが明らかになる。だから潰された。リビア国民は裕福で労働の必要すらなかった。働いていたのは世界各地から集まる外国人で、彼らにすらドル建ての高給が支払われていた。革命がおこる理由はない。

シリアのアサドは独裁者として描かれているが米国政府の傀儡政権を父親から譲り受けた「二代目のぼん」であり、政治らしい政治はしていなかった。平穏な世俗主義国家であったシリアでは政府批判以外は全ての権利が認められており、国民は政治にほとんど関心がなくアサドは好かれも嫌われもしていなかった。血まみれの内戦を招く状況はなかった。ここまで混戦したのはロシアとイランがどうしても南下したいために自らに都合のいい新政権を立てたがっているところにも原因がある。

こんなことを日々画策しているのは欧米とイスラエルの政財界の大物たちである。年に数回どこかに集まっては血のしたたる肉料理を葡萄酒で胃に流し込みながら次は誰をどうやって殺そうかと討議しているのである。どちらが野蛮人かは明白である。

トルコ国内の問題は山積しており、その原因のひとつは多民族国家であることが指摘されている。しかしこの国の国民は多民族であることを誇りにすら思っている。それはオスマントルコ帝国のかつての版図の広大さを示すものであり、かつてはひとつの共同体という屋根の下で共存共栄していたという自負がある。それがどうして問題化したかといえば、ナショナリズムが海外から持ち込まれたからである。
クルド問題はこうして始まった。1970頃のトルコ政府はクルド語をトルコ語の方言であるとしてその存在を否定、クルド民族を差別下においた。不当な差別を受けた側の一部はゲリラ化し東部国境に近い山岳地帯に潜伏してテロ活動を行う。しかしこの活動を支援していたのは西欧諸国であり、彼らに武器弾薬を供給する傍らアフガニスタン方面から麻薬を調達させていた。その麻薬を欧州に運搬していたのはトルコ正規軍の輸送車である。トルコ軍は英米に育てられた使い走りである。トルコ軍は兵役で集められた未熟な兵士を武器も持たせず山中に置き去りにし、テロリストたちにその居場所を無線で連絡し惨殺させた。すると翌日の新聞には「クルド人による残虐テロで若い兵士が戦死」という見出しが載り国中で反クルドの抗議行動が起こるのであった。国はこうして割られていった。

当時のトルコ政府は「アタテュルク主義」を標榜する左翼系軍事政権である。どのような主義かといえば民主主義と共産主義と世俗主義と拝金主義をごちゃ混ぜにしたような、これといって主張のないよくわからない主義である。はっきりしているのは無神論・唯物論を核としている事、政財界と軍が偉くてそれ以外は奴隷と定義している事である。

冬、山間部の村に通じる道は雪に閉ざされ病人が出ると村人たちがソリでふもとの保健所まで運搬していたような国だった。子供の出生届けを出すのにも役人が賄賂を要求するような国だった。それが是正されたのはアタテュルク主義政権を倒したいまの政権に交代してからである。ほんの十年前のことである。国中に医療チームがヘリで出動し、子供の医療費が無料になり、高校までの教科書が無料になり、贈収賄が厳禁になり、道路が整備され、地震で家を失った人々には耐震構造の住宅が支給され、いちいち書いていてはきりがないが、とにかく今のこの国の政府は国民に文句を言われる筋合いなどなく、「政府の弾圧」も糞もないのである。

「アタテュルク主義者」たちは確かに面白くないだろう。今まではそれこそ大意張りで生きてこれたのに、大好きな賄賂が要求できないし、なにか下手をして裁判沙汰になっても判事を買収できない、旧共産圏の企業に天下りして優雅な老後を送ろうと思ってせっかく軍人になったのにその夢を砕かれた、等々、恨み骨髄とはまさにこのことである。

エルドアン首相の率いる現政権は欧米イスラエルにとって目の上の瘤である。高利貸のIMFがユーロを無理やり貸したがっているのを拒否しているのがひとつ、加入を認めてやるから靴を舐めろとまでに高飛車な態度をとるEUに対し背中を向けたのがふたつ、日本をふくむ多くの国の資本がトルコに大量に流れ始めていることがみっつ、そしてクルド問題が解決に向かって動き出しているのがよっつ目、「トルコの春」を起こして現政権を倒したいのはEUであってトルコ民衆ではない。


もちろん、火のないところに煙は立たないことを否定するものではない。アラブの春が起こった国々にはその国なりの問題があった。トルコの場合はかつてのアタテュルク主義政権による愚民化政策が功を奏して若い世代は無知無教養、路上でキスをする権利を求めて抗議集会に参加しても参政権を行使して国政に参加することはない。物欲に囚われ、常に支払いに追い立てられていてもまだ新しいものを欲しがる。自分の境遇が悪いのは政府のせいだと思い込む。フェイスブックに一日の大半を費やし、「春ごっこ」に憧れ、気がつけばデモ隊の中にいて警官に石や火炎瓶を投げている。まあその程度である。つつけば燃え上がる火種はいくらでもあり、下手をすれば皆様のお望みどおりの軍事クーデターにまで発展するかもしれない。

恐ろしいのは、その問題を的確に見抜き、その一番脆いところを突き刺す能力を持つ連中がメディアを握っていることである。このブログで何度も何度も何度も指摘しているが、インターネットには持ち主がいて、いかに利口に利用したつもりでも結局は彼らの情報操作からは逃れられないのである。テレビと新聞が悪でフェイスブックが善、そんなオセロのような単純な世界ではない。もしニュース同士を突き合わせて検証し、その骨髄を抽出するだけの目がおありならばネットを駆使して情報収集なさるのもよかろう。しかし盲信するだけならばいっそ目を塞いだほうが賢明である。

ネット上に公開されている暴力映像を見て、どちらが加害者でどちらが被害者かお判りになるだろうか?アラビア語の音声と字幕が合致しているという確証がおありだろうか?裏で誰が儲けているか考えたことがおありだろうか?

アラブの春が大好きな皆様に申し上げる。
弾圧を受ける遠い国の民衆を支援したいという純粋なお気持ちは大事にしていただきたい。しかし日本の状況はアラブ諸国より良好かどうかは微妙である。日本政府の機能は町の商工会議所以下でありとても政府と呼べるものではない。しかしたかがそんな政府に対し行動を起こそうとしても糠に釘だった。国民の多くは「不景気」の一言で全てを片付け問題の所在を見ようとしない、それを3.11以来今日まで目の当たりにしてきた苛立ちを、皆様は遠い国の蜂起を鼓舞することで癒そうとしてはいないだろうか。そして流れる血に興奮を覚え、自らを戦地に投影して心の中で武器を取っていないだろうか。皆様が作り上げる世論はありもしない正義を生み出し、遠い国のつましい平穏な暮らしを取り返しがつかないほど壊した可能性があるのだ。

はっきりとしているのは流血惨事が確実に存在しているということである。片目片足片親を失った子供たちが大勢いるということである。ソーシャルメディアは掠り傷をを癌細胞にまで仕立て上げてしまった。その片棒担ぎをしてしまったかもしれないことをどうか認識していただきたい。


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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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