fc2ブログ

戦争屋の理屈 シリアで化学兵器が使われたことについて

この映像は春の風が吹きすさぶリビアにサルコジ前大統領が仏軍を侵攻させさた後だった。2011年6月2日、イスラエルのテル-アヴィブ大学で行われた講演である。講師はフランス人哲学者のベルナール・アンリ・レヴィ(Bernard-Henri Lévy)、そして現在イスラエル法相のツイッピー・リヴニ(Tzipi Livni・当時はイスラエル野党第一党党首)である。



おふらんす野朗のオカマ英語にイライラするのでご了承いただきたい。



-レヴィ氏に質問します…政治において倫理と現実との間の選択はどのように為すべきとお考えですか?たとえばじきにエジプトで大統領選挙がありますがムスリム同胞団が議席の過半数を得たとしますと、どのような立場をとられるでしょう?アルジェリアで起こったようにエジプト軍がムスリム同胞団の政権獲得を阻止する必要があるというご意見はおありでしょうか?もしくはガザ地区でハマスがそうなったように民主主義の掟に従いムスリム同胞団の勝利を許すのでしょうか。

-1992年にアルジェリアで選挙が(軍事クーデターにより)中断したのを肯定的に見ている。「GIA(武装イスラム集団)」や「イスラム救済戦線」が与党となるのは民主主義に反している。
ガザの例(ハマスが選挙に勝ったこと)にも同じ感情を抱いている。私に言わせればあれもクーデターだ。民主的なクーデターだがクーデターには違いない。ヒットラーが1943年に与党を勝ち取ったのもクーデタだ。
エジプトでムスリム同胞団が与党に立ったとしても「民主主義がこれを欲した」とは言えまい。「選挙の結果に従おう」とは、もちろん言えまい。
モンテスキューの言を用いてバラク・オバマが言ったように、民主主義は選挙だけを指すのではなく社会的価値を指す。両方とも必要だ。
もし私が何を信じているかしりたいのなら…ここでこれをいうにはリスクがあるけれど…私もエジプトの専門化ではないので皆さんと同様に状況を見ながら主張しているに過ぎない(ことを前提に話す)が、私の主張は、エジプトで有力になるであろう新しい空気(ムバラク独裁を駆逐し国民投票による民主政治が始まること)はムスリム同胞団にとっていい風を送るとは言えないということである。同胞団が与党になりそうだという状況を役立てるために彼らを「力をもつ唯一の政治組織」と認めることを私は肯定しない。

-あなたのお話を正しく理解したとすれば、もしムスリム同胞団が正式に選挙に勝ったとすれば、同胞団が与党に立つことを阻むために軍部がクーデタを起こすことに賛成するとおっしゃるのですか?

-ああ、賛成する。彼ら(ムスリム同胞団)が与党に納まらないためならなんでもする。

-国際法に従って、ね(笑うリヴニ)

-さっき話したようにね(笑うレヴィ)




演題は「リビア」であった。ここでは欧米がリビア問題にどういう姿勢をとるべきかということが話され、その関連で話に上ったのがエジプトである。
講演の日付は2011年6月でありながら、語られた内容はまさに今日のエジプトである。これが何を意味するかはお察しのよい方であれば説明の必要もない。


レヴィの主張を要約すれば次のようになる。

ひとつ、西欧の価値観から外れた政党が当事国国民の支持を得て勝利した場合それをクーデターと定義している。

ふたつ、アルジェリアの選挙が軍事クーデターにより反故にされたことを肯定している。

みっつ、国民が指導者を選ぶという民主主義の大原則をはなから無視している。

よっつ、エジプト国民が選んだ政党をエジプト軍によるクーデターにより排除すべきだとしている。



ベルナール・アンリ・レヴィは、アルジェリア生まれのフランス国籍を持つ「哲学者」である。ユダヤ系であるとされている。アフリカ・中東・旧ユーゴ・旧ソ連のあらゆる政治問題に首を突っ込んでは欧米の軍事介入を煽るいわば「戦争屋」である。懇意にしていたサルコジ前大統領に仏軍のリビア侵攻を提唱したのもこの男、つまり「アラブの春」の脚本家の一人でもある。レヴィに鼓舞されたためかサルコジは仏軍にリビア空爆を開始させ、英米軍はそれに続く形で参戦した。さらにNATO軍が加わりリビア介入は空爆開始後半年でようやく終結する。この映像の講演が行われたのは仏英米NATO軍の「いい加減な」爆撃のため多くの市民が誤射・誤爆の犠牲になっていることが明るみになり介入に批判の声が集まりだした頃であり、おそらくは軍事介入の正当性を再確認するためにもこのような講演会が催されたのだろう。

仏軍のリビア侵攻は一般には「悪者カッダーフィー」を王座から追い落としたとされ肯定的に見られているがそうではない。アフリカ・アラブ一帯に欧米の新体制を布くための作為であり、侵略である。今のエジプトの惨劇も同じように欧米の標的となったために起きたであろうことはこの映像がそれを証明している。

横で首を立てに振りながら賛同する女はツイッピー・リヴニである。ユダヤ人である彼女はシオニスト武装組織の幹部の娘として生まれた。兵役の後モサドに勤務しパリなどを舞台に多くの特殊工作(暗殺)に携わった。その後弁護士を経て政界に入りシャロン首相の懐刀として活躍、脳卒中に倒れたシャロン(暗殺未遂説あり)からオルメルトに政権が移るとそこで外務大臣に就任した。その後一時政治の中心から遠ざかるが去年から議員として復帰する。現在はネタニヤフ政権の法務大臣を務める。殺し屋が大臣になれる物騒な国である。

一般人が勝手にこのようなことをほざく分には問題はない。しかし欧米の政財界そして世論に少なからぬ影響力を持つこの男が、国立大学の講演会で元閣僚と同席の上で発言したことであれば意味が違う。さらなる問題はエジプトがこの男の提言したとおりの道を歩まされていることである。



今日のエジプトの惨状は日本でも映像が公開され知られるものとなったがわかりづらいことが多い。「誰が暴力を振るっているか」が見えにくい。

虐待を受けるのはムスリム同胞団とそれを支持する市民たちである。
銃で市民を射殺するのはエジプト軍である。
催涙ガスや棒で市民を攻撃するのは警察である。
軍や警察とは別の「自警団」がある。現地では「バルタギイヤ」と呼ばれている。テロや紛争で親を失った子供たちをムバラク政権が保護養育しバルタ(=斧)を持つ私服の暴力集団として育てた。思想も信仰もない。金、食料、覚せい剤を与えられ、家もなくバラックで暮らす。ムバラク政権時時代には敬虔なイスラム教徒の市民たちはこのバルタギイヤに常に生活を脅かされていた。
ムスリム同胞団のデモ隊に危害を加え、逃げる者をリンチにかけ、逃げこんだモスクを取り囲んでは火をつけ、教会に放火しその罪をムスリム同胞団になすりつけたのはこのバルタギイヤである。ソーシャルメディアの映像の中で棒を振り上げ暴れ周り「暴徒化したムスリム同胞団」の印象を世界に与えたのはこのバルタギイヤである。

アメリカはエジプト軍に対する一切の援助から手を引き制裁することを宣言した。こうして表面上は虐殺を受ける側に立つかのように取り繕う。しかしアメリカの中東外交はイスラエル抜きでは語れない。アメリカがエジプト軍に資金と兵器を流さないことはイスラエルを中東で丸裸にすることに近いのである。ではどうやってイスラエルを納得させたか。

アメリカが停止した援助は我々が埋め合わせる、と、エジプト軍を勇気付けるサウジアラビア王家。イスラエル・米・サウジ・エジプト軍がそう合意した上での制裁宣言だった。サウジを含む湾岸諸国の殆どは欧米追従型の世俗主義政権である。彼らにとって同胞団の台頭は甘い石油を貪ることを阻害されかねないために何より恐ろしい。その湾岸諸国を使い石油価格を操る欧米としては同砲団にその基盤をひっくり返させるわけにはいかない。この好機に同胞団をあぶり出し、駆除したいのである。

エジプトではムスリム同胞団の幹部たちが次々に捕らえられている。
若く血気盛んな者たちに忍耐を教え、神の言葉を咀嚼して説くことのできる老練の指導者が最も必要なこのときに彼らは軍によって獄中に送られる。
そのかわりに獄中から舞い戻ったのは無期懲役で服役していたムバラクである。今後は自宅で軟禁されるという。

世界のメディアがいかに同胞団をテロ組織呼ばわりしようとそうでないものは仕方がない。彼らの真の目的は教徒として生き、教徒として死ぬことである。そして神のほかには誰にも服従しないという教義を守るためには命を顧みずに戦う。
傀儡政権によって信仰を妨げられることに反抗したこの市民たちを「民主化を求めて立ち上がった」と勝手に定義したのはじつは西洋人である。


シリアでも昔からムスリム同胞団が政治組織として活躍していた。そして悲劇は国民のほとんどがスンニ派イスラム教徒であるこの国で、シーア派であった軍人ハーフィズ・アサドが欧米の支援でクーデターを起こして政権を乗っ取ったことで起こった。スンニ派の同砲団と市民は政府から激しい弾圧を受けることになった。そして1982年、「ハマの大虐殺」が起こる。非武装の市民が政府軍の爆撃に遭い、地下に避難した市民は毒ガスによって殺害、その数は三万人を超える。シリアにおいてこの大虐殺に触れることは投獄を意味している。

そしていま泥沼の内戦にあえぐシリアでは、息子のバシャール・アサド政権と、それに反抗する勢力が攻防を繰り返している。

反政府勢力はひとつではなく、いくつもの勢力がゲリラ的に戦いを続けていることは「いったい誰が悪いのか」を見えにくくしている。


父から大統領を継承したバシャール・アサドは引き続きスンニ派の国民を迫害し続けた。
ハマの大虐殺以後もムスリム同胞団は地下活動を続けアサドを政権から追う好機をうかがい続けていた。そしてエジプトから飛び火したアラブの春に乗じて反政府デモを開始したが政府軍の激しい制圧はデモを内戦に発展させた。
シリア軍から離反した軍人たちが「自由シリア軍」を結成し反政府戦闘勢力の中心的存在となる。
シリア北部に勢力を持つクルド人武装部隊も反政府側に組みしているが、圧政に対して戦う集団とは目的が違い彼らは「国土」を求めている(旗をたてれば建国できると思っている)。
そのほか金で雇われた寄せ集めのアルカイダとヒズボッラー(いずれも擬似イスラム武装集団)が目的もなく暴れている。その雇い主もまた欧米である。
アサド政権を非難しこの反政府組織に資金協力をするのは欧米である。
それに対しアサド側に資金を貸し付け武器を売るのはロシアである。
これだけの流血惨事を前にして、指一本動かそうとしないのが国連である。


いったい誰と誰と誰が悪いのか。


アメリカはアサド政権に対し「化学兵器の使用が(侵攻の)限界線である」とかねてから宣言していた。しかし去年から化学兵器が使用されたとの噂が流れていたが調査する権限のある唯一の組織である国連は何の調査も行わなかった。
今月にはいりエジプトの情勢がますます悪化するのと同時にシリアの戦火は激しさを増した。そして今週明けに国連の調査団がシリアに入り化学兵器の使用があったかどうかの調査がようやく行われ始めた。


その矢先である。
21日未明ダマスカス近郊の数箇所で、サリンと思われる化学兵器が使用された。正式でない発表によれば死者は1300人を超える。苦しみながら命を落とした罪なき市民の、その大半は子供だった。


アサド政権は化学兵器の使用を否定した。
ロシアは反政府勢力のプロパガンダだとして支援していたアサドを庇った。
国連は直ちに事の真相を明らかにするよう委員会を立ち上げる意向を明らかにした。
アメリカは「限界線を超えた」と指摘、反政府勢力に更なる資金援助をすると発言。
イギリスはアサドを非難。
フランスは「軍事介入」と即座に言った。
イスラエルはアサド政権が化学兵器を使用したことを諜報部が確認したと発表。


国連調査団がシリア国内で活動中の今なぜ化学兵器を使ったか、これは解せない。
アメリカが以前から化学兵器の使用を侵攻の前提のような言い方をしており、イスラエル諜報部がその使用を告発し、それにフランスが呼応するかのように侵攻を叫んだ、これも解せない。
なにより今まで何もしなかった国連が重い腰を持ち上げて調査団を送った時点と化学兵器が使用された時点の一致、これが一番解せない。

そして気が遠くなるほど恐ろしいのは、化学兵器を使ったのは誰であったかを「認定」するのは国連なのである。



冒頭の、民主主義とは投票結果ではなく社会的価値観だという戦争屋の主張をぜひもう一度読んでいただきたい。その価値観とやらの中には非西洋人社会のそれは含まれていない。まさにこれが民主主義の産みの親たちが掲げた思想である。
この世で親子が死に別れたり、一家が消えてしまったり、町中、村中、国中が焼かれたり、国が孤児たちをゴロツキに育てたり、そして同国人を殴り、襲い、血を流して内戦へと引きずり込む地獄絵の背景にはこの吐き気のするような戦争屋の理屈があることを知っていただきたい。
そしてこれはイスラエルという特殊な国での理屈ではなく世界の主導権を握って離さない欧米と、国連という決して和平のためになど機能しない巨大組織で共有する思想であることを、ゆめゆめ忘れないでいただきたい。
スポンサーサイト



スノーデンなんかにかまっている場合ではない

青白いヲタク青年がやたらとメディアに露出しているのが引っかかっていた。出すぎである。アメリカにとって本当に都合が悪いことであれば隠蔽できる類の事件であろう、もう彼の存在の目的が見えてきたような気がする。あくまで予測でしかないため短い記事にしておこうと思う。


「のぞき趣味」をすっぱ抜かれた合衆国政府はまっつぁおになり捜査に乗り出す。が、そのころにはスノーデンは香港に逃れていた。彼はNSAのプリズム計画(監視・盗聴システム)が存在することとその手口を告発、NSAから持ち出した機密情報を複製して多数の新聞社に送付し、危害が加えられることがあればその情報を公開するとそして身の安全を図った。
スノーデンはプリズム計画を告発した時点で合衆国政府からパスポートを失効させられている筈であり、そうなれば香港当局に身柄を拘束されアメリカに強制送還されなければならない。なのになぜか香港から出国できた。行き先はロシアだった。

合衆国政府はスノーデンの引渡しをロシア側に要請するが、両国間には犯罪者の引渡しに関する取り決めがないため交渉は平行線をたどる。プーチン大統領は「おいでやすモスクワへ」とも言えないのですぐには入国を認めなかった。その間スノーデンは空港内(ここはロシア国内でないためロシアの法律が及ばないとされる。もちろん外交上の言い訳でしかないが)にとどまり、同じく空港内のロシア外務省出先機関から各国政府に対し亡命の申請をしていた。また人権団体との面会も頻繁に行われていた。

結局ロシアが一年を期限とした亡命を受け入れた。

国家機密の国外持ち出しはどこの国でも最高刑に値する重罪である。アメリカはロシアの犯罪者保護を激しく非難した。しかしその国家機密というのが「国家的のぞきシステム」であったというのが笑うに笑えない。諜報機関がある国ならばどこでもやっていることと主張するオバマには悪びれた様子もない。さて、各国はこれをどう評価しているか。

盗聴の対象にされたのは一般人の個人情報から大学、ひいては各国大使館に及ぶ。各国政府は一様に不快感の声をあげた。しかしその程度である。その筈、冷戦時代から大使館の盗聴などは日常茶飯事であり、KGBとCIAは言うなれば盗聴の家元であった。時代が変わってコンピューター化したために情報の量と速度が増しただけのことであり、NSAの収集したような情報は世界中で共有され使い回される。どの国も文句を言う筋合いでない。

事件は一般人の興味を引いてはいるがその反応は鈍い。個人情報を盗まれていることに対する危惧よりも事件のドラマ性に惹かれて興味本位で成り行きを眺めているといっていい。おそらくこの手の情報収集が行われているであろうことは一般人でも多かれ少なかれ予感していたことで、やや不感症に陥っているのかもしれない。メールの内容や個人情報が盗まれているのではないか、それによる脅迫がこの先おこるのではないか、そんなことは普通にささやかれていた。そして、

「後ろめたいことをしていなければ恐れることはない」

多くの人がそう結論付けている。
強請られるようなことをしなければよい、たしかにそうだがそこでは終わらない。指紋や声紋や筆跡を利用したり、データを改竄した冤罪がいくらでも可能になる。犯罪現場に政府にとって煙たい人間の指紋を人工的に残すことなど朝飯前になる。これはやや極論めいているとしても「データ」の過信が覆すことのできない冤罪を生む可能性はおおきい。

それでも多くの一般市民に直接降りかかる災難というよりは反政府的な発言を繰り返す文筆家や一部の政治家が危惧することであろう、やはり普通に暮らす善良な小市民には縁遠い話である。だからこのスノーデン事件をスパイ映画を観る感覚で眺めていられる。





この事件をいつものヤラセ・アメリカーナだったと仮定する。
大使館をはじめ一般人の個人情報までが公然と盗まれている、そんな事実が公になったとしてもアメリカは痛くもかゆくもない。実はこうして告発されて明るみに出ることで、世界中に盗聴を「承諾」させることができる。既成事実による事後承諾である。それが意味するのはすなわち「あなたは監視されてますよ」という暗示である。

監視を受けていることを潜在的に意識することで人々は政府批判、政治談議、そういったものから無意識に遠ざかるだろう、沈黙を余儀なくされる。政府に従順な国民をそだて、その枠の中で民主主義とやらを展開させればいいことになる。楽だ。

そして親たちは政治から目を背け、ただでさえメディアが垂れ流す娯楽に骨を抜かれたその子供たちは一切政治に触れずに成長することになる。今の子供たちが成人する頃には世の中から政治の話をするものが絶滅することになる。これが第一の目的であろう。



スノーデンは香港から出国できたというだけでも十分におかしいが香港は完全に中国とは言い切れない地帯である。100年もの英国支配を受けた土地は返還の一言でその影響が一蹴されるようなことはない。国家機密を持ち出したとされるスノーデンは女王陛下のスカートの中にかくれた。盗聴されて困るようなことが何もない中国政府は「しらんかお」を通し目をつぶり、英国情報部との細かい調整を終えたスノーデンはモスクワ・シェレメチヴォ空港へと発った。

英国とアメリカは別の国はあるが親子関係にある。本店と支店の関係ともいえる。

スノーデンのもつ情報がはたしてロシアに有益なのか、ゴミ屑同然かもしれない。そしてスノーデンを受け入れることで米から批判を受けるのと米露関係が傷つくのは明らかである。しかしロシア行きは最初から決まっていた。なぜか。

この事件を受けてオバマは九月に予定されていた訪露を一方的に中止した。メドヴェーシェフ時代に氷解に向けて動いていた米露関係はプーチンの再就任により逆戻りしたように見える。

W・ブッシュ時代の外務大臣であり現在は大学で教鞭をとるゴンドリーサ・ライスはCBSの番組に出演しオバマの訪露中止を支持する発言をした。「ロシアによるスノーデン亡命受け入れはアメリカの顔に食らわせた平手打ちだ」、そして「米露関係は冷戦時代に逆戻りしたとは言わないまでも恐ろしいものとなった」と言った。

ここにきて「冷戦」の言葉をちらつかせている。
第二の目的がこれである。冷戦状態はアメリカにとってもロシアにとっても都合がいい。大統領の支持率は上がり、武器弾薬がよく売れる。



そして第三の目的は中東問題の長期化である。
九月に予定されていたプーチン・オバマ会談では長引くシリア問題の解決が重要な議題とされていた。表向きは内戦という触れ込みのシリア問題もアサドを利用したロシアと欧米の代理戦争である。双方ともまだ停戦する気がないためわざと仲たがいして見せることで和平協調の席に敢えて着かないのである(イラン系サイトのアサドを支持する記事を鵜呑みにするとロシアが正義の味方に見えてしまうので注意が必要である。普通どの国も自国の利益のためにしか動きはしない)。




当ブログに中東事情を綴るのは単なる興味や暇つぶしではない。ましてや無責任な正義感からでもない。中東で常に非道をはたらく影の勢力と、わが日本人が憧れて止まず生き方や思想の手本としている国々は同一であることを申し上げたいのである。そのようなことは判りきっているとおっしゃる方々には、ではなぜそれに甘んじて生きてゆかねばならないのかをお尋ねするためである。
わが国は知らぬうちにその非道に加担していることも、いずれ同じ非道を行うであろうことも逆に同じ非道を受けるであろうことも目に見えている。中東の戦火は対岸の火事ではない。
日本には日本の先祖が残した知恵と生き方がある。近代の訪れとともにその全てを「非合理」と見なしかなぐり捨てて、西欧に学び西欧を真似て生きてきた150年間の負債をいま突きつけられている。このまま非道に迎合し続けるか、踵を返すかを日本人がその胸に問いただす時は今である。


エジプトでは敬虔なイスラム教徒でありムルシー大統領を支持する非武装の市民が軍のクーデターの餌食になり、13日から続いたなりふり構わぬ虐殺で600人以上の命が失われた。黒幕でありながらこの恐ろしい殺人劇に気づかぬ振りをしてきたアメリカはここに来てようやく流血を非難、アメリカに続いて西欧諸国と国連も似たような声を上げた。西欧には非難に必要な死者数というものがあるらしい、さすがは数量でしか物事を判断しない民主主義の信望者である。しかし軍と市民のどちらを非難しているのかまったく不明瞭なゆるい発言であった。エジプトにはコプトと呼ばれるキリスト教徒が生活しており、その宗教活動のための教会も多数ある。その教会が放火による被害を受けていることをオバマは軍部に反抗するイスラム教市民の仕業と発言しているが明らかな虚偽である。なぜならたとえ異教徒のものであろうと聖域は聖域、決して侵してはならないという教義がイスラームにはある。なによりも無抵抗で凶弾に倒れることを選んだ市民は蛮行など働けない。

アメリカとイスラエルも親子である。イスラエルと国境を接するシナイ半島では混乱に乗じてイスラエル軍が侵入し市民に危害を加えている。ここでも馬鹿息子に火事場泥棒をさせている。
ムルシー支持派の市民を軍に殲滅させ、その軍事政権はこのまま世界世論に抹殺させてエジプトの全土、あるいは一部をイスラエルの手に委ねようとしているのかも知れない。そしてパレスチナを完全に孤立させることを目論んでいるのかも知れない。



イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、ソマリア、紅海をはさんでイエメン、いま非道が進行している地域である。この地域を人の近づけぬ地獄にしてしまいたいのである。なぜか、石油目当てというだけではない。
ここはユダヤ教・キリスト教の初期の教徒たちが流浪した土地である。ローマ教会とシオニストたちが歪曲する前の純粋な教義を記した、教義とともに生きて死んだ教徒たちの魂を刻んだ紙片が、羊皮が、木片が、石碑が石油の如く埋もれている土地である。宗教を大義名分に世界地図を作り上げた欧米が知られて本当に困ることはこの地に昏々と眠る。スパイが持ち出した情報などは紙屑にも及ばない。




スノーデン事件。アメリカがとっつきやすいスパイ劇をメディアにばら撒いたという予測とその理由に関する覚書きとして読んでいただければ幸いである。

ただし理由とした部分は予測などではない。

民主主義は犠牲を求めて彷徨う

世は「民主主義とは何か」を滔々と語る。あたかもこの世の真理を語るが如く美しく。


ある空間を共有するためには何らかの「きめごと」が要る。共有される空間は家や寮や学校にはじまり、仕事場、地域、と規模を大きくしてゆけばやがて国に行き着き、いまのところ最大規模のそれは地球という惑星である。この地球での「きめごと」、それは民主主義である。いつのまにか何となくそういうことになっている。

それは筆者が生まれついた時代にはすでに日本に深く根付いていた。その国で育ち、教育を受けた。しかしどうも腑に落ちないままこの歳になった。そして世界中で「民主」「民主」と連呼される今、それを実現しようとする側と壊そうとする側の双方からその語がとびだすのが耳障りでならない。このブログを長い間読んでくださっている方であれば筆者が「民主主義」というものにえらく懐疑的であることはお気づきであろうと思う。



終戦記念日が近づいた。
アジアの盟主と呼ばれていた軍国日本は焼け野原になり民主国家として生まれ変わった。生まれ変わらせた戦勝国のアメリカは日本に原爆を二つも落とした民主主義国家である。その国はその後も朝鮮の、ベトナムの、フィリピンの、アフガニスタンの民主化に貢献し世界から深く感謝されているに違いない。各国はその感謝のしるしとして米軍基地の配備を請け負い、思いやり予算を差し出し、駐屯兵の起こす交通事故も婦女暴行も自国の法律では裁かないと約束した。
二度と軍隊を持たず二度と戦争に加わらないと憲法において誓わせたのは占領軍であった。それから半世紀後のイラク戦争に出兵しろと圧力をかけたのもかつての占領国である。


一月ほどまえにトルコで起こったデモは皆様のご記憶に新しいかと存ずる。
イスタンブールの公園開発を環境破壊であると叫ぶ集団がソーシャルメディアを駆使して参加者を募りいつの間にか民主化を求める反政府デモにすり替わった。バス停や車両に火を放ち商店のガラスを割りながら強硬に民主化を叫ぶ彼らを支援していたのは1980年の軍事クーデターの後20年以上政権を握っていた社会民主主義政党と、いずれも民主国家とされる欧米諸国とそのメディアであった。槍玉に挙げられたのはここ十年来トルコの民主化を進めた政権政党、つまり国民の投票によって選ばれた政権である。


前回の記事でエジプトについて書いた。
アラブ地域で民主化を求める市民が起こした一連の民主化運動はが飛び火したエジプトでは独裁者が政権から引き摺り下ろされ大統領選挙が行われた。そして民主的に選ばれた新大統領民主化を求める反政府派市民から批判を受け大規模デモに発展、しかし同じく民主化を求める大統領支持派の国民も立ち上がる。混乱に乗じた国防軍が大統領の身柄を拘束し政権を剥奪、軍による暫定政府を立ち上げ大統領支持派の市民を大量に射殺した。民主主義の守護神を自称するアメリカ合衆国政府はこの身柄拘束は民主的でないとして民主的な解決を求めながらも国防軍による暫定政府に対し民主主義を築きだしているという評価を与えている。


もう矛盾が多すぎてどこが矛盾しているかを指摘できない。
言葉は身を離れてとして独り歩きをする。賛美されすぎたこの言葉は無条件で受け入れられそしてその中身が吟味されることはまずない。いま民主主義は両手に兵器を引っさげて世界を闊歩する。



理論上可能でも実現しようのないことはいくらでもある。
軍隊を持たず永遠に戦争を放棄する、それは素晴らしいことである。しかし戦争はひとつの国でするものではなく相手国が存在してはじめて成立する。だから日本だけ一方的に戦争を放棄してもはじまらないのである。この世のどこかに軍隊がある限り必ず攻めて来るだろう、なぜならそれが軍の仕事であるからだ。そうなれば自衛のために武器を取らざるを得ず、それをあくまで自衛であり戦争ではないというのは綺麗ごとだといっていい。軍備とは自衛という大義の元におこなわれるものである。そして武器を持てば使うことを余儀なくされてしまうのが常である。
戦争放棄、耳には美しく聞こえるそれを美辞麗句で終わらせないために払うべき努力というものがあった筈だ。自国、相手国、他国間におけるあらゆる侵略を否定し戦争撲滅を世界に毅然と働きかけるべきであった。しかし日本はこの憲法制定するやいなや勃発した朝鮮戦争でアメリカに武器を売り、その儲けで復興を果たしその後もアメリカの核の傘の下でぬくぬくと経済成長を遂げた。日本が戦争に巻き込まれないための外交はアメリカに丸投げし、そのぶん貿易に精を出し、アメリカの軍事活動に多額の資金を供出した。


この精神分裂症患者に近い言行不一致の後ろにあるのが民主主義である。冷戦以降のこの世界の全ての戦争は「民主化」の名の下に行われた。炸裂する民主化の爆弾に家や村を焼かれ民主化の銃弾に倒れた。孤児たちは民主主義の養子になった。



戦後アジアの民主化においての日本の役割は米軍の補給であった。極東に睨みを効かせたいアメリカは日本を基地だらけにし、食料と武器弾薬と燃料の補給庫として利用した。また格好の資金源でもあった。幕末に開国を求めて日本近海をうろつく外国船を体よく追い払うため幕府は外国船団に補給の協力はしても開国はしないという「薪水給与令」という苦策を講じたが、戦後は逆に桁違いの「薪水」をむこうから要求されることになる。


とある永久中立国すら世界中に武器を売ってはじめて経済・軍事ともに自立できるのであり時計を作って生計を立てているわけではない。二枚舌を駆使し何らかの形で戦争に組しているのならば中立も放棄もへったくれもない。この矛盾に気づかぬのは、あるいはこの詭弁に耳をふさいでいられるのは民主主義という言葉が眩しすぎるからである。


「人民による人民のための人民の政治」を執る民主国家アメリカは思うにすでに年老いた。かつて大航海時代から横車を押し続けていたイギリスが年をとり侵略に倦んだため敢えてアメリカを建国して汚れ仕事を任せたように、派手な軍事外交に疲弊したアメリカはイスラエルをして中東の、日本をして極東の遠隔操作を目論むようになった。これが日本の右傾化の背景である。民族主義を外から煽られて負け戦に手を染めた教訓は泡沫に帰し日本は今おなじ過ちを犯そうとしている。戦後日本をその庇護下に置くかわり軍備することを許さなかったアメリカが掌を反してこれ以上日本を防衛する気がないことを仄めかすと世論はすぐさま右傾化を煽った。そして再軍備を唱える政党が政権をとった。これは憲法に謳われた戦争放棄が日本国民に本気で相手にされていなかったことの裏返しである。


逆に、四面楚歌ならぬ戦争屋だらけのこの世界で国を挙げて毅然と戦争放棄の道を歩み出せばどうなるか。ひどい経済制裁を受ける。在外公館がテロの標的にされる。外交官が誘拐される。先の大戦の責任を問われ続ける。海外で差別を受ける。核兵器保持の濡れ衣をかけられる。伝染病と麻薬に侵される。頭の弱い学生が環境・人権保護団体に騙されて反政府デモを起こす。突然爆撃されて誤射だったといわれる。駐屯兵が傍若無人に振舞う。耳に民族自決の言葉を吹き込まれて陶酔し、どこからともなく供給された武器で武装する集団が現れる。戦争放棄と憲法に書くだけなら楽なものである。


エジプト軍によるムルシー大統領の拘束をうけて人道的立場から仲介に乗り出し大統領と面会したEUの外務官の「ムルシー氏の健康状態は良好」という発表に対し、炎天下でクーデターに反抗し続ける市民の一人が言った言葉が忘れられない。

「我々がこの広場に集まるのはムルシーの健康を願うがためではない、我々が選んだ政権を取り戻すためである」

老婆であった。EUの偽善に対するこの鋭い批判をしたのはソーシャルメディアで意見交換しあう若者ではなかった。外の国が「非民主的」と揶揄するこの国の秘められた力を感じた。


国民の代表を選んでそこで終わりではない。投票だけが権力の行使と義務の遂行ではない。選んだ候補者と政党の後ろ盾になり、監視し、その政策に責任を負わなければならない。政治家は国民のはしくれであり民意の請負人でしかない。日本では政治家だけが失政を責められているがそれでは国は作れない。政治家を厳しく躾けて育てなければならない。でなければ政治家は得票のために美味い話を並べるだろう、できもしない公約を掲げて支持を得るだろう、これが民主政治の弱点だということを忘れてはならない。国民は騙されてはならない。聡明でいなければならない。民意は国を作る。民意とは国民一人ひとりから生まれる。ならば我々は国の母体である。母体が愚かではそれなりの国にしかならない。民主主義とは、楽ではない。



民主主義には古代ギリシアで産声を上げたその当時からすでに「衆愚政治」という批判があった。書いて字のごとくであるが、今のままでは紀元前の批判がまさに的中したことになる。民主政治はそれを熱愛し過信し甘やかし放任すればするほど衆愚政治に近づくのである。衆愚のままでは軍隊など持っても国は守れない。どこぞの衆愚主義国家の後を継いで世界中を犠牲にするのが関の山である。










エジプト事情 クーデターの背景

エジプトで1980年代から長年続いたムバラク政権が倒れたのは去年のこと。「現代のファラオ」と評されたムバラクが失脚したのを受けて大統領選挙が行われ、当選したムハンマド・ムルシーはエジプト初の国民に選ばれた指導者だった。


ムスリム同胞団

ムルシーの所属するイスラム政治団体「ムスリム同胞団」はその名のとおりイスラム教の教義に基づく政治を志す組織である。その歴史は古くエジプトにおけるイギリスの殖民支配が終焉を迎えた後に結成されて以来、幹部の暗殺や投獄などの弾圧を受けながらも草の根の活動を続けてきた。その内容は民衆の教化(もともと教徒である民衆のイスラーム知識を深めること)、モスクや病院の建設、貧者救済という地道なものであり、世界に悪名高いアルカイダやヒズボッラーなどとは性質が違う。組織は時とともに拡大を見せた。その影響はシリアやパレスチナをはじめとするスンニ派のイスラム諸国に広く及ぶ。同胞団のパレスチナ支部であるハマスは武装部隊であったが現在は穏健化し同国の政権政党になっている。
かつてのハマスのように同胞団の中には武装派がいくつか存在する。中東不安定化を目論む西欧が巧みに彼らを利用したことから多くの血が流れた。ウサマ・ビン・ラッディーンは同胞団の出身ではないにしても関係は深く、結局はここからアルカイダのようなテロ組織が生まれてしまった。時おり議論にのぼる同胞団とCIAとの癒着はこのあたりを指摘したものである。

アラブの春と呼ばれる市民蜂起の結果解体されたムバラク政権はアメリカ合衆国が糸を引く傀儡政権であった。ムバラクにエジプトの石油利権をしゃぶらせる代わりにイスラエルの防護壁になり、湾岸諸国と提携して原油の価格をアメリカの意向で動かすよう命じられていた。また世俗主義を標榜してイスラム主義を地に貶めることもムバラクの大事な使命であった。アメリカの支援で整備された軍はその権力を振るい放題であった。エジプトの石油、電気、産業、その他思いつく限りの企業の経営は軍人とその親族に占められてる。それ以外の市民といえば、仕事がほしければ軍人に擦り寄り便宜を求める必要がありそのためには世俗側の立場をとらなければならなかった。信仰を守り世俗主義に染まらない市民の生活がどのようなものかは想像にたやすい。この市民がかたくなに拝金主義の世俗派と一線を画し続けたのは長年にわたるムスリム同胞団の活動がそうさせたと言える。


ムルシー政権

日本を含む各国のムルシー政権への評価は厳しく特に経済の失策が強調されている。国の舵は一年やそこらで切ることのできるものではないことを指摘できる心ある政治学者などは存在しないらしい。新政府とすら呼べるこの政権にすぐさま評価を下すことなど不可能である。ましてや、選挙で大統領に選出されたとはいえ閣僚や軍部の高官そして資源と資本を握るのは旧勢力の残党ばかり、ムルシーはまさに裸で政界に乗り込んだといえる。ムルシー政権に移行するやいなや電気水道の供給が滞り燃料と食料の価格も軒並み上がった。産業も停滞を見せた。これは旧勢力がムルシー政権に対しての国民の不満を煽るためにおこしたサボタージュであった。
ムルシーに失策があったとすれば急激なイスラム化にともなう非イスラム層への配慮の少なさであろう。陸海空軍司令官を解任し、軍部が作成した新憲法草案を破棄、閣僚の人事はイスラム色を弱めつつも官僚には同胞団の幹部から任命した。エジプトには少数ながらもコプトとよばれるキリスト教徒もいれば、先述の世俗層はすでに非イスラム教徒と形容しても過言ではなく、その非イスラム層が恐れるのは社会でイスラム層ばかりが優遇され自分たちが冷遇されることである。そういった広い層からなる国を収めるのは難しい。最初からシャーリア(イスラム法)を表に押し出しすぎたのでは抵抗にあうのは目に見えている。成果を出しながら民意がついてくるのを待たなければならない。
大統領であれば不支持層を含めた全国民に責任がある筈、選挙に勝って選ばれたにしても自らを支持する特定の集団だけを優遇したのでは前任のムバラクや日本の某政党と何もかわらない。それは民主主義がどうのと言う以前に統治者としての最低の義務である。


数の上ではイスラム層が世俗層(非イスラム層)をやや上回る。2012年の大統領選挙が示す数字である。



7・3 クーデター勃発

2013年6月30日、ムルシーを支持する国民と支持しない国民がそれぞれ大集会を開く。政府閣僚たちははデモに同調するかのように次々と辞任し内閣は空中分解した。騒然となったカイロをはじめとする都市という都市では軍がデモ鎮圧に乗り出した。その騒ぎに乗じて7月3日、国防大臣のシーシーはムルシー大統領を拘束し大統領権を剥奪したとの声明を発した。直後に最高裁判官のマンスールを大統領とする暫定政権を樹立、自らが擁立した大統領の前で宣誓し副首相に就任した。これほど滑稽な茶番があるだろうか。このシーシーという男は数年後にはムバラクの如く使い捨てにされるであろうことを想像できないらしい。
この時点でエジプトで起こったこの事件を「クーデター」と表現し非難したのはトルコだけである。アメリカは軍の行動に憂慮するとしながらもクーデターとはいわなかった。

ムルシーを支持する市民は連日のように数万人規模の集会を開きこれに抗議し「大統領を返せ」と叫ぶ。



7・8 虐殺

クーデタ以後もカイロでは市民がアディヴィエ広場で寝起きし昼夜を問わず軍に対して抗議の声を振り絞っていた。そしてラマダーン(断食月)が始まろうとするその前日であった。広場で朝の礼拝を行う群衆に軍が背後から発砲し五人の子供を含む55人が殺害された。軍はこれを「やむを得ない迎撃であった」と発表する。立ち姿勢から膝を折って床にひれ伏すことを何度も繰り返し行う礼拝の真っ最中に軍に向けて先制攻撃を仕掛けるのは不可能であり明らかな虚偽であるが西欧のメディアは軍の発表をそのまま報道する。アメリカ政府とEUと国連は遺憾だの憂慮だのとモゴモゴ言っていた。

礼拝中の丸腰の市民に向けて発砲することが「迎撃」であるのならば礼拝そのものを軍に対する「攻撃」とみなしていることになるが、違うだろうか。

この虐殺の後もムルシーを支持する市民は広場を離れずそのままラマダーンを迎えた。日中は40℃を越える炎天の下で断食をしつつ暫定政権への抗議を続ける。この暫定政権発足後は停電も断水もなくなった。

この状況を同じイスラム教国はどうみているか。湾岸諸国(サウジアラビア、アラブ首長国、レバノン、ヨルダンなど)はムルシーの退陣を歓迎する声明を出した。シリアのアサドも同様にエジプト軍を擁護する。これら産油国政府にとって市民を救済し教化し続けるムスリム同胞団は非常に煙たくその台頭を恐れているからである。またシリアには同胞団に対する大虐殺の過去があり70年代以来つづく確執がある。アサド政権と戦闘状態の数ある集団には同胞団も含まれているためさらに煙たい。

シーシーはムルシーを拘束後に告発、その罪状は「犯罪組織ハマスと協力関係にある」。ハマスは誕生以来ずっと同胞団の傘下にあるというのに今更なにをほざくか。


欧米の算段

アメリカは長年エジプト軍をイスラエルの番犬として兵器を供与してきた。これはアメリカ内の右派とユダヤ勢力の意向であり大統領といえどなかなか却下できない。しかし相手がクーデターにより違法に樹立された政府であれば兵器の供与は法的に不可能になるためクーデターという言葉を使えない。民主主義の守護神を自負するアメリカがエジプト軍の蛮行を容認する理由はこのように語られているがそれだけではない。このクーデターは何年も前から計画されていたことのひとつである。

ムバラク政権解体後にエジプトで大統領選挙が行われればムスリム同胞団が勝利することは目に見えていた。それを承知でムバラクを政権から引き摺り下ろすための市民革命(一連のアラブの春)を扇動したのは欧米である。ならばわざわざ政権を取らせた同胞団の危機をなぜ見過ごすのか、そればかりか失策をあげつらい軍部の行動を支持する世論を作り出すのはなぜか。

欧米は地下活動をしていたムスリム同胞団をまず政治の表舞台に立たせた上で施政を妨害した。デモとクーデターを誘発し、軍の台頭や扮装の絶えない「未開なイスラム社会」と「無能なムスリム同胞団」をメディアを通して強調した。ここまでが現時点である。そしてシリアのような内戦状態に持ち込み最終的に西欧(NATO,国連、米軍)の介入によって収拾をつけ世界の正義はつねに西欧にあることを、それに乗じて中東の支配地図をあらたに作成することを目的としている。湾岸諸国の政府もそれに加担しているのが我々の理解に苦しむところだが国や国民よりも自らの資産や身の安泰が大事な施政者はどこにでもいる。日本にもいる。


7・26 大虐殺

金曜日の集団礼拝の後にムルシー側の市民は各地で大規模な抗議集会を計画、そして実行した。それに対抗する形で軍部を支持する市民も集結した。カイロでは深夜から未明にかけて軍部がムルシー支持層にむけて発砲、少なくとも200人の非武装の市民が射殺され、負傷者は8000人を越えた。世界では衝突する二勢力の鎮圧の際に死傷者がでたと報道(死者は75人と発表)されているがこれは軍による虐殺でしかない。市民は最後まで無抵抗であった。遺体の多くは頭や首を狙い撃ちにされていた。7・8の礼拝中の虐殺と同様に訓練された狙撃手によるものである。

翌日、アメリカ政府と国連はまたしても虐殺の表現を避けムルシーの開放を呼びかけるにとどまった。しかし政権をムルシーに返せとは言わず新憲法の草案を作成し総選挙を行うよう提言している。これは先の大統領選挙の結果を否定する、つまりエジプトの民意を踏みにじる発言である。

民主主義と口うるさくまくし立てる国にとっての「民主」がどのようなものかは容易に理解できる。「民」の「主(あるじ)」が国をつくる主義である。


国の設計図が大国によって作られ、それに沿った国づくりが実は大国から強制されている。その間に選挙があろうと国民がどのような判断を下し誰を指導者に選ぼうと結果は変わらない。エジプト国民はムルシーとムスリム同胞団を選んだが用意されたクーデターにより一年で元の状態に戻されようとしている。多くの血が流れた後で新たな枠組みが大国によって押し付けられるであろう。30日にはEU外相が人権擁護の立場からエジプトを訪れ拘束中のムルシーと会談したが「ムルシーの健康状態は良好」という頓珍漢な発表をした。それに対し市民は「我々がこの広場に集まるのはムルシーの健康を願うがためではない、我々が選んだ政権を取り戻すためである」と怒りを顕にした。メディア対策のために時間を割いているだけのEUの姿勢などはもはや子供だましにもならない。先に擁護すべきは市民の権利と生命である。



欧米の誤算

砂漠の国の断食月に無抵抗で抗議集会を続ける市民は西欧を震撼させている。民衆が暑さと空腹に追い詰められ暴徒と化し、つかみかけた市民による政治を自らの手で壊すことを期待しわざわざこの時期に計画されたクーデターであった。しかしムスリム同胞団をはじめとする宗教指導者たちは悪魔の誘いに乗ってはならぬと市民に忍耐を呼びかけ、みな罵声にも銃声にもおののかずに祈り続けている。また同胞団傘下の急進派武装集団も歯噛みをしながら行動を自制している。欧米の筋書きはここで狂った。彼らの祈りの力、神という存在とのつながりの強さは数字にすることができないゆえに計算に入れられないのである。残虐な者たちは同時に臆病であり、臆病であるからこそ残虐になることを考えれば、震え上がった欧米の更なる蛮行が重く懸念される。


民主主義がひとつの政治形態として世界に定着して久しい。国民が施政者を選ぶことができ、選ばれたものは民意を担い国政に臨む。ならばその政治の根源は民意にある。ならば一番賢明でなければならないのは国民である。そうでなければ国政は口の巧い小利口者の手に落ち、その飼い主である大国に世界は握られる。一般の国民が政治を理解し、監視し、選んだ者に対し責任を負う能力をもたねばならない。そうでなければ「民」が「主」になることはありえない。民主主義と呼ばれるものが成功した国がどこにもないのはこの落とし穴のせいである。民主主義は楽ではない。
ムスリム同胞団は90年かけて民衆を教化してきた。隣人を騙さず、盗まず清貧に甘んじて生きること、エジプトのみならずシリアでもパレスチナでも虐殺と弾圧に遭いながらその意思を通してきた。彼らの標榜するのは民主主義ではないが少なくとも西欧の押し付けたこの世界基準に沿うために一応の努力はしてきたといえる。しかし欧米は彼らに非民主的という言葉を使い続ける。


たとえば某国の首都では最近の国政選挙で脱原発を掲げた某候補が国会議員に選出されたがその都市の某馬鹿知事と前馬鹿知事を選んだのも同じ選挙民である。これでは「選びっぱなし」である。
「彼」は立派な市民活動家であっても政治家としての経験はない。周りを見れば敵ばかりでムルシーと同じく裸で国政に臨むことになったが同胞団のような組織がついているわけでもない。議事堂ではひどい目に合わされかねない。彼を議員に選んだ市民は彼の議員としての立場に責任がある。もし彼が攻撃されることがあればその辱めは市民に向けられたという認識を持つことができなくてはならない。できるのか。




カイロの大虐殺から数日後、アメリカはやっとクーデタが起きたことを認めた。そうすればアメリカはエジプトに兵器の供給ができなくなる。イスラエルがまた騒ぎ出しそうだがまさにこの時期、パレスチナ和平交渉を三年ぶり再開すると発表した。ムスリム同胞団が窮地にありその下にあるハマスの発言力が低下した隙をすかさず狙ってのことである。あまりに姑息な手段だが世界はそれを「外交」と呼ぶ。


Pagination

Utility

書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

つれづれのかきこみ

さがしもの

こよひのつき

CURRENT MOON