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ロヒンギャ大虐殺 ミャンマー独立の爪痕


今世紀、人類はここまで堕ちた

いまミャンマーの西海岸地域でおこる大虐殺を、例の如く国際情勢の圏外に位置する日本列島では知る由も無いかもしれない。しかしどうか直視していただきたい。なぜならこの虐殺の一端を担ってしまった我が国の一員にはその義務がある。ミャンマーのアラカン州に古くから居住するイスラム教民族・ロヒンギャ族に対し民族浄化とも呼べる残虐行為が日々行われており、世界市民がその実態を知ることをメディアは必死に妨げている。掠奪、強姦、機関銃掃射、怪我人の横たわる家屋に火を放ち、墓地を陵辱し、今日までに3千人を超える罪無き人々が命を奪われ、40万人を超える罪なき人々が家と家族を焼かれ片目両腕を無くして難民となった。雨季にさしかかった今月末、彼らは隣接するバングラディシュとの国境であるネフ河を自力で渡る。増水した河は彼らの僅かな食糧を飲み込む。そして幼児の溺死、悪条件に耐え切れず息を引き取る妊婦や怪我人。神よ、どうか彼らを助け、安住の地を与え給え。
     アラカン

この虐殺の実行犯はミャンマー国防軍治安部隊、そしてアラカン仏教徒(Rakhine-Magh)の僧侶からなる武装集団である。

注:報道等で「ラカイン(RAKHINE)」と表現されるのは「アラカン(ARAKAN)」の現地の発音を英語で表記されたものであり、両者は同一の地名である。

近代以前

ミャンマー。かつてビルマと呼ばれていたこの国を、「ビルマの竪琴」の影響か純然たる仏教国とする思い込みも薄くは無いはずだ。しかしミャンマー北西部に位置し地図の上でラカイン=アラカンと書かれるこの地にはイスラム教徒がその以前から国を築き営んでいた。
アラブ人商人に連れられた最初のムスリム集団が10世紀までにこの地に定住した。彼らは自らを称した名称こそがロヒンギャであった。同じ頃に仏教徒のチベット系ビルマ人も東インドのMAGHADA地方からこの地に移住する。彼ら仏教徒はマグと自称し、先住民、またロヒンギャ族とともにこの地の構成員となる。アラカンは1407年ビルマ王の侵略を受ける。アラカン王は一族と共にムガール帝国の属州であったベンガルに逃れ20数年に亘りベンガル太守の庇護を受けるうちイスラームに帰依した。1430年、ベンガル太守の助けによりアラカンのビルマ勢力は駆逐されそこにアラカン-イスラム王国を建国、1784年にビルマ王国からふたたび侵略を受けるまでの350年にわたりこの地域を統治した。ビルマ占領下の1824年、英国とビルマが開戦しその結果アラカンは英国植民地の一部となる。イスラム圏、仏教圏を無視(或いは綿密に計算)した国境線が英国によって引かれビルマという国が成立したのは近代以降である。

パイプラインとアラカン
現在アラカンはミャンマーを区分する七つの州のひとつで、ここにはおよそ百万人のイスラム教徒が居住している。いや、していた。治安部隊とマグ族仏教徒によるムスリムへの迫害は2013年から激化が始まり、とくに今年2017年の8月以降は地獄と化した。
迫害政策の直接の原因はアラカンの戦略的立地条件である。
 route

アラカンは東南アジアのベンガル湾に面する南北500kmに渡る海岸線を持つ。中東に端を発しインド洋を渡り中国の雲南省に至る天然ガスと石油の二本のパイプラインがこのアラカン州を横切る形で2010年にその建設が始まった。すると同州は国防軍の管理下に置かれ軍用地同然の警備体制が布かれた。これはアラカンの住民が国防軍によって全ての権利を剥奪されたことを意味する。
         pipeline


パイプライン建設の警備とはいえ異常なまでの厳戒体制が取れられた背景として、アラカンのムスリムたちの土地には豊かな資源が埋蔵されていることが以前から囁かれており、そして2004年の調査の結果160兆㎥超の天然ガスと32億バレル相当の石油、金額にして七百五十億ドル相当の地下資源が存在すると判明したことが挙げられる。警備区域の侵犯を口実に地域住民であるムスリムたちが見せしめの如く頻繁に射殺されていった。つまり地域占領の本当の目的は埋蔵された地下資源の利権である。目的はどうあれ国防軍治安部隊とマグ族仏教徒によるその手口は婦女暴行や放火、子の目の前で親を射殺するという目も当てられない残忍さであり、しかもこれはここ数年の事件ではなく1941年から繰り返されていたことを我々は知りえなかった。

ミャンマー アラカン州埋蔵地下資源調査結果および試算(PDF)

ビルマ対英独立運動の爪痕

仏教の僧侶が武器を手に狼藉を働くのは実に想像しにくい。しかし室町の頃の日本でも僧兵というテロ組織が活動していたこと思い出しつつ、暴力を教義の上で禁じられた仏教の僧とて一つ間違えれば暴徒と化すことを認めなければならない。
ロヒンギャ族とマグ族は互いに信仰が異なうがそれだけでは一方が他方の民族浄化を標榜した殺戮の理由にはならない。しかしそこに第三の力が介入すればその関係をどのようにでも操作できる。両者の関係が悪化したきっかけは1930年初頭にはじまったビルマ対英独立である。独立運動の旗手であったタキン党がアラカン地域のマグ族と接触し多くの党員を確保したあたりから様相は一変し、そして最初の虐殺は1941年日本軍のビルマ侵攻の直後に行われた。それ以前の虐殺はロヒンギャ側の記録にも記憶にも残っていない。


19世紀末、英国との戦争に敗北したビルマはイギリス領インドに編入されインド総督下の副総督による統治がはじまった。人を人と思わぬその専横ぶりに統治民たちの不満が募る中、20世紀前半にはじまる対英独立運動は次第にその勢力を拡大、1930年にアウンサン・スー・チーの父であるアウンサンが学生を中心とするタキン党に参加し更なる運動が広まる。そしてとうとう総督府の撤退が決定、1937年にアラカンはビルマと共に植民地から自治区へと移行する。しかし、ビルマのその後の統治について協議がなされたロンドン円卓会議にはマグ族仏教徒の代表とビルマ全土に分散したインド系ムスリムが招待されたのに対しアラカンのムスリムはひとりとて招かれなかった。そしてその際、ラカイン州の自治をマグ族仏教徒に託すという無体な採択が取られた。現地民の信仰の違いを撤退後も地域を背後から操作するための起爆剤として利用するというおなじみ英国流の政治手法である。タキン党はアラカン地域の勢力を掌握するためにかつてからマグ族仏教徒と手を結んでいたのである。もちろん英国の入れ知恵である。こうしてアラカン自治政府の構成員は反ムスリムのマグ族タキン党員で満たされる。日中戦争のさなか水平線に第二次世界大戦が白み始めた頃である。日本軍は英米による中国支援の道を阻むためにビルマ攻略を標榜、独立運動を支援して反英闘争への発展を画策、運動家たちを海外に脱出させ軍事訓練等の支援をおこなった。アウンサンもその運動家の一人であった。
                  アウンサン
                   日本潜伏中のアウンサン

1941年ヤンゴンが、翌年にアクヤブが日本軍の空爆を受けるとビルマに駐留していた英国軍は英国領インドに撤退した。その折にアラカン自治区の全権をタキン党マグ族に委託した英国駐留軍は武器弾薬をも置き去りにし、そのすべてがマグ族の手に渡ってしまう。そして1942年、英国製の兵器で武装した僧侶も含むマグ族自治団の手によりロヒンギャ族に対する大虐殺が行われた。10万人の死者、50万人の怪我人、294もの村が消滅、故郷を後にせざるを得ない8万人がバングラディシュに逃げ堕ちた。当時英国は統治国としての責任範囲の外にいた。また新たな占領国である日本も一切関知しなかった。しかしロヒンギャ族は激しい抵抗をみせて遂にアラカンを奪還、ふたたびこの地に生きる基盤を築いた。
         ナフ河
            ナフ河を越えてバングラディシュに逃れるロヒンギャ族

1943年日本の後見でビルマ国が建国される。しかし翌年には日本の敗色がいよいよ濃厚になるとアウンサンを指揮官とする国民軍、タキン党を前身とする共産党などが連携して英国に寝返り、日本の指揮下にあるビルマ政府に対しクーデターを起こす。連合軍はそれに乗じて侵攻してビルマを日本から奪回し再度植民地とし、そのまま終戦を迎えた。英国は大戦で連合軍側についた植民地に独立を約束していたが、日本と協調したビルマに対しては様々な条件を出して独立を先送りにした。アウンサンはその間、やがては実現する独立の後に自らが率いるAFPFL(反ファシスト人民自由連盟)による一党支配の実現のための準備に奔走、ビルマ人以外の各地の少数民族に団結を説いて回った。姑息なアウンサンとの協調には何の希望も持てないロヒンギャはAFPFLへの加入を拒否する。大戦の折にロヒンギャ族は連合軍側に立ち英兵と行動を共にしていたのである。いうなれば戦後の独立を約束された立場にあった。それを英国側に主張しあくまで自治権を求めた。

そして1947年ビルマの将来を構想するための国民会議がアウンサン主催で開かれるが、ロヒンギャはまたしても意図的に招待されず、自治権はおろかビルマ人とは歴史を異にする民族としての認定すら得られなかった。
英国と日本の両方を利用し、また利用されたアウンサンらの処刑を経て1948年ビルマ全土の独立が実現、アラカンを内包する現在の国境線が引かれる。

         bargandy blood
            現在のマグ族仏教徒武装集団の頭目Ashin Wirathu

血染めの衣を着る僧侶

英国の撤退を機にアラカンの警察権はふたたびマグ族仏教徒の手に渡り、当然の如くロヒンギャ・ムスリムへの殺戮が始まった。数で評価するべきことではないが1万人が命を奪われ、そして5万人がこの時点までに独立を果たしていたパキスタンへと亡命した。残ったロヒンギャたちは再び武装し仏教勢力と対峙、そして押し戻した。もとより大義名分の欠如したマグ族とそれを影で援助する政権にとってこれ以上の衝突は害があっても益が無いとの決断から、政権はロヒンギャに対してマグ族との和解と国政への加入を持ちかけた。ロヒンギャとしてもこれ以上の流血は回避せねばならない、しかしひとかけらも信頼をおけぬ連中との協力はそれこそ身を滅ぼしかねないと葛藤するうち共同体内の意見に一致が見られぬようになりそのまま弱体化していった。一方で政権はマグ族に対し民族間対立の「凍結」を指示、この不気味な静けさの中、次なる受難が近づいていた。
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                    焼失した村

1962年、軍部によりクーデターが決行される。軍が国の全権を掌握するや否や、アラカンのムスリムを反政府分子とする虚言を盾に彼らの権利の縮小が決行される。また軍から派遣された治安部隊による謂れのない暴力や恐喝、投獄は日を追って増し、それに勇気付けられたマグ族仏教徒は昔を懐かしむが如くロヒンギャたちに危害を加えるようになった。

数年おきに大量のロヒンギャ難民がおしよせるバングラディシュも事態を苦慮していた。ビルマ軍事政権は国境付近に避難したロヒンギャ難民をバングラディッシュからの不法入国者と主張しビルマ国籍を否定、彼らを無国籍状態におとしめた。人としても同じムスリムとしても難民たちを見殺しにできないが彼らを抱えるだけの国力もないバングラディシュの指導者はビルマ軍事政権に対し、ロヒンギャ難民をアラカンに帰国させない限りはカダフィーがリビアから部隊を差し向けアラカンでゲリラ活動を開始すると脅し、青くなったビルマ政府は早急に難民を召還した。しかし帰国したおよそ二十万人の難民たちにビルマの国籍を認めることはなく国民外と認定、事実上の無国籍である。
今現在もしつこく継続されるロヒンギャへの虐待と虐殺が国際社会から追及されるたびビルマにはロヒンギャと呼ばれる民族など存在しないことを主張し、国境地帯で逃亡生活をする人々をあくまで不法入国者と言い切り、国連の調査団はと言えば「ああそうですか」とばかりにミャンマーの言うがままの調査報告書を作成し帰っていくのである。そこらの市役所以下の仕事ぶりである。
          buddist
        イスラムホビックのまねごとをする血気盛んな坊主ども

きりがない。つまりロヒンギャ・ムスリムたちは絶え間なく交代する国家権力者にそのつど政治的迫害を受け、千年前から同じ土地に住むマグ族仏教徒からは物理的迫害を受け続けているのである。しかしこれはあくまで表皮でしかない。その内側の構造を端的に言えばマグ族仏教徒とは胸中の憎悪を刺激されればいつでも噛み付くように洗脳された集団であり、英国総督府にはじまり今日のミャンマー政府に至るまでの歴代の政権はアラカンからロヒンギャを一掃することを自らに義務化した集団であり、もしこの歴代政権が全て大英帝国の傀儡であると仮定すれば(べつに断言してもかまわないのだが)長期にわたりアラカンのロヒンギャ・ムスリムを虐待したがっているのは大英帝国だということになる。

新たな資源戦争

実はビルマは1853年以来の世界の最も古い石油輸出国(英国植民地となった直後)である。そして2004年にアラカン州に石油が埋蔵されていることが判明すると中国はその購入を希望、マラッカ海峡を経由する従来の海路交通ではなく、アラカンからのパイプラインで直接輸入することを条件とした。2010年に開始されたパイプライン建設は2013年に完了、そして供給が始まった。アラカンの西海岸は資源運輸にとって少ない投資で高い利潤を得る上で絶好の条件を備えている。中東から海路で運ばれた資源をアジア全域に行き渡らせ、またミャンマーで採掘された資源を精製し輸出、海路・陸路、長い海岸線と穏やかな海、欧米の言いなりになる政府、これ以上の立地条件はそうはない。そうなると世界の石油業界はそこに群がる。これに投資する業者の面子はといえば、BP、BG、シェル、トータル、シェブロン、アラムコ(サウジ)・・・

またか、としか言いようがないのだが、アラカンの虐殺が世界のメディアから無視され続けていたのはこのためである。しかしそう括って諦めてはアラカンの人々の傷つく魂を癒すことはできない。それどころか更なる殺戮に対し目を背けることになる。人の子としてそれは許されないはずである。

一部の見解によればアラカンの無人化を率先しているのはサウジアラビアで、理由は資源輸出入の拠点にすることと同時に肥沃なこの地域を自国の食糧供給に寄与する形で再計画するためだという。なさそうな話でもないが、ウラン濃縮施設でもあるまいし農地計画に無人化の必要はないだろう、ましてや労働力が必要な農業にサウジ国民が出稼ぎに来るわけもなく、それでいて人払いとは何やら胡散臭い。今年(2017年)から急にロヒンギャ問題に世界の目が向けられるようになったのもアラブ人のアラカン進出が糞面白くない英国が無人化のための虐殺という罪の衣をサウジに着せるため虚偽混じりの情報公開を始めたとも考えられる。


意図的な誤報、またの名は虚偽

ロヒンギャ虐殺に関していま日本語で読める情報は非常に限られており、その元に間なる記事も海外の主だったニュースの英語版がせいぜいである。つまり日本列島に住む日本人はAPやロイターの書いた出任せのあらすじの日本語訳の書き損じのコピーを読まされている。ましてや○○大学の××教授による論評云々や某多極化説などは一体どうすればこんな嘘八百がかけるのだろうかと情けなくなるものが殆どである。こうして時を追うごとに情報は混乱し、事態は全く理解されないまま忘却されて行くのである。ロヒンギャ虐殺に関する幾つかの英語の報道に悪質な嘘が密かに記されていることをここに記しておきたい。 

NIKKEI ASIAN REVIW

ここには本稿で繰り返し殺戮者として表記したマグ族仏教徒(RAKHINE MAGH)をシーア派イスラム教徒にすり替えて記載されている。つまりロヒンギャ虐殺問題をスンニー・シーア対立の結果として扱おうとしているのである。卑怯を超えて姑息といえる。
この虚偽の目的は実は歴然としている。現在イスラム諸国の軍事力と経済力を少しでも削ぐことに血道を上げている欧米は、それをもっとも効率よく実現させるための戦略としてスンニーとシーアを衝突させることを常に目論んでいる。事あるごとに領宗派を刺激し、憎悪の念を呼び覚まし、過ちを犯すのを待つ。

国と呼べないミャンマー

本稿を通してビルマあるいはミャンマーという国をかなり批判した。しかしアウンサンの寝返りといい、軍事政権の意識の低さといい、まともな政治家を輩出できない国民といい、それ以前に民族浄化とも言える虐殺を平気で行うような国に国という称号などふさわしくないことは明らかである。今ロヒンギャ虐殺問題に為す術を持たないアウンサン・スー・チーには批判と同情の両方が寄せられている。中国と欧米に挟まれ動きが取れないのは理解できる。しかし立場が苦しいのはアジアのどの国も五十歩百歩であり、ましてやミャンマーには資源という強味を生かす機会がまだ残っている。私腹を肥やして保身に勤しむことをやめなければ政治などありえない。しかしこの国は軍事政権時代から資源輸出の利益の着服が横行し、スーチー氏自身も2016年新政府発足当初、国家顧問と兼任する形でエネルギー相を勤め僅か三月で謎のポスト返上をしている。彼女に贈られたノーベル平和賞は欧米の対中エネルギー政策の飛車角的存在である彼女への報酬でしかなく、明らかな虐待に目をつぶり外に対してはそれを否定すると言う態度は人々が平和なる言葉に抱く幻想を捨てて我にかえるための格好の材料である。今後も元首として国の矢面に立つのであれば討ち死に覚悟で戦うべきであり、できないならばさっさと退陣し回顧録でも書けばよい。


日本のすべきことは何か

日本人の耳に「戦争責任」と囁けば頭に血がのぼり右か左に転んでしまう。ドイツ人に「ホロコースト」と言ってみても同じことが起こる。
日本軍のビルマ侵攻の際、英国勢力の排除のために独立運動に加勢したことは戦略の上では効果があったが、多民族国家の抱える複雑な事情を考慮に入れず、まして自治権の発生と共におこった民族浄化政策を見てみぬふりで通したなどは人として許されることではなく、すでに地に落ちて血にまみれた大戦の大儀を美談で覆ったところで覆い尽くせる訳がない。右翼の皆様の口癖でもある「日本はアジアの独立に貢献」とは所詮この程度のものであり、独立国としての資質のない地域を無理やり独立させていまだに父親顔をしているに過ぎない。父親であれば幼い我が子に刃物を預けはしないだろう。
               切手

今の日本政府がロヒンギャ問題に言及しないのは国民が知らないであろうこの疾しい過去を今さら知られたくないからである。さらに言えばロヒンギャと同じ運命を辿り戦後六十年を経た今も苦しみ続ける民族がほかにいくつも存在するはずである。それを報告書にまとめて政府の横っ面を叩き外交の舵を引っ張ることこそ左翼の皆様の仕事であるはずなのに護憲だの反戦だのとわめき散らすばかりで何の役にも立っていない。職務怠慢である。
日本人はまず事実を知ることからはじめなければならない。知れば良心が見ぬふりを許さないはずである。見れば何をすべきかはおのずと導き出されるはずである。このままでは原爆投下や東京大空襲を知らぬ存ぜぬで通されても返す言葉がない。

本稿は掲載を急いだため無感情に事実関係のみを記すに限った。シリア、パレスチナ、イラクなどの諸地域を含めての考察は次号に続けたい。
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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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