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アフリカ 受難の大陸

「アラブの春」という言葉、一般に認識されている解釈は、民衆がソーシャルメディアを武器として前時代的かつ非民主的な独裁政権を倒し国政を民主化する、といったところであろうか。なべて見ればアラブの春は世論から賞賛を受けていると言える。しかし地中海地域を中心としたこの動きを春=民主化と歓迎してしまうのは勘違いというものであり、ましてや日本での反原発・脱原発の運動をこれになぞらえて鼓舞するなどあってはならないことである。

日本には縁のない話のようだがそうでもない。これは世界を取り巻くエネルギー問題の根に巣食う妖怪物語である。アルジェリアの石油関連施設(ガス田)がテロ攻撃を受け邦人の技術者たちを含む多くの人質が拉致され救出作戦において双方に死傷者が出た事件、これも同根の問題である。

一部を除くアラブ・アフリカ諸国が貧困にあえいでいることは事実である。その理由は教育がないから、政治が立ち遅れているから、雨が降らないからと我々の思考は何故かそこで停止する。たしかにそこは渇いた砂漠であり教育も政治も遅れているが、その原因や解決には無関心、対岸の火事でしかない。

大航海時代以来、欧州人はアフリカ大陸に住む者を労働力つまり奴隷として売買していた。しかし大陸の沿岸部に総督府がおかれる程度であり欧州の支配が内陸まで及ぶのは産業革命を待つことになる。工業化にともなう燃料の需要がアフリカに対する態度を変えた。アフリカには豊かな地下資源があった。

欧州の列強諸国がアフリカ大陸の鉱物をどう嗅ぎつけたかはよくわからないが、おそらくは内陸では昔から現地人たちが生活必需品の「塩」の確保のために掘削を行っていて、そのついでに金や石炭がざくざくと出てきたのではないか、それらが海産物との交換のために沿岸部に運ばれて欧州人の目に留まり知られるところとなったと考えられる。とにかく近代を迎えて欧州は本格的な地質調査を行い、侵攻そしてアフリカ分割を重ねる。第二次大戦後までにはアフリカ大陸がきれいに塗り分けられることになる。その後植民地政策は終わりを告げ独立国となったとはいえ、アフリカ諸国はいまも欧州列強の都合で引かれた境界線を国境としている。

地中海・紅海沿岸とその周辺に位置するイスラム教国はどうだったか。
一部はかつてのオスマントルコ帝国の領土であったが第一次大戦に帝国が敗戦するとその版図は欧州列強に割譲されその植民地と化した。そして石油の発見が相次ぎ宗主国を潤すが現地民の生活などは誰にも顧みられることはなく、やがて激しい独立戦線の火がつく。そして市民は独立を手にするが、後には旧宗主国の息のかかった傀儡政権がもれなく残された。
アラビア半島の砂漠に位置する数カ国はオスマン帝国の勢力圏外にいたため植民地化は逃れたが、次々と油田が発見されると甘い汁を見逃さないアメリカはすかさず傀儡政権を置き、あふれる石油がもたらす巨万の富は市民に還元されたが国政を牛耳るのはやはりアメリカである。


一羽の鷲が中空を飛び 大きな声でこう言うのを聞いた
「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。」   ―ヨハネ黙示録より

この国々にとって、地下資源はわざわいでしかなかった。


アルジェリアは地中海に面する北アフリカの国である。去る十六日この国にある石油関連施設をイスラム武装勢力が襲撃し外国人を含む作業員数十名が人質にとられた。この施設は英国のブリティッシュ・ペトロール、ノルウェーのスタトイル、そして現地企業の提携で運営されていたため西洋人の技術者が多く派遣されており、中には施設建設に携わる邦人も十数名含まれていた。
人質の国籍国政府からは慎重な行動が求められていたにも関わらず翌日はアルジェリア軍によるテロ撃退攻撃がはじまり、犯人側と人質側双方に多数の死傷者をもたらしたと伝えられている。
イスラム武装勢力側はこれはフランスのマリ侵攻への報復行動であったと声明を出した。

マリはどこにあるのか、なぜフランスはマリにちょっかいを出すのか。

サハラ砂漠の西にあり、アルジェリアとは国境を接するこの国は豊かな地下資源に恵まれた。いや、呪われたというべきか。金の産出量はアフリカ第三位、ダイヤモンド・鉄・リンなど多種の鉱物が産出され今後も増産が見込まれている。燃料は石油の発掘が進められており欧州へのパイプライン構想が打ち立てられるほどの期待がかけられている。そしてウランが大量に埋蔵されている。フランスに限らず欧米の各国は以前からマリの主導権を得るべくそれぞれに好機を伺っていた。フランスはかつてマリの宗主国であり、前大統領が自ら手を汚し率先してリビアを攻撃したのも手伝い軍事行動ではフランスが存在感を見せ付けていたが、王手をかけるために国内紛争の解決と称し今年の初めからマリに侵攻していた。そのころ世界はシリアのあたりを向かされていた。


アルジェリアのガス田を襲った武装勢力は人質の命と引き換えにマリへの脱出を要求している。できるだろう。あるいは仲間と称する武装勢力がマリで同様のテロ活動を開始するだろう。それはフランスにマリ総攻撃の免罪符を授けるだろう。

そもそもこの事件の詳細はアルジェリア政府筋の発表を鵜呑みにするしかない。世界から隔絶された砂漠地帯で起きていることなど誰にもわからない。

だからどんな出鱈目でも「報道」できる。

シリア介入もリビアのそれも同様である。ニュース映像を見れば、銃を構えている男と血を流して倒れている男の二者がいて、そのどちらが政府軍でどちらが反乱軍側だということをいったい何を根拠に語っているのか、そしてなぜそれを丸ごと信じてしまうことが不思議でならない。流血惨事が存在するという事実以外は何一つ証明できないのにである。アラビア語が堪能な方なら分かるかもしれないが、被害者と加害者の双方とも叫んでいるのは「神は偉大なり」「神の加護を」のみである。それに好き勝手な字幕をつければいくらでも脚色できる。

そこに登場するのがソーシャルメディア、情報受信者でしかなかった誰もが発信者として活躍できるというかつてない構造が歓迎されている。流血現場の当事者たちがより事実に漸近した声を発信し、政府や軍の虚偽をくつがえすことも可能になった。なったのだが、「誰もが」発信者になれることが迷路の入り口でもあった。

「フェイスブックがネット上に生まれた翌年のに2005年に二つの暴動があった。イラン反政府デモとフランスの移民暴動事件、これらは暴動を扇動する道具にフェイスブックを試験的に駆使したものである。西欧では、イスラム教国の騒乱を見せつけ、移民の暴動を鎮圧することで現行政権の支持率があがる。(過去記事より)」


ソーシャルメディアを駆使する側を「善」、そして従来の報道を「悪」とする思い込みが明らかに浸透している。世の中がそれほど単純であれば素晴らしいが、メディアを使い我々をだまし続けた政府や軍が今度は一般人になりすまし更なる虚構を築くことなどは容易であり、このソーシャルメディアの存在理由も実はそこにある。

「アラブの春」とは資源権をめぐって欧米列強がかつての植民地に残した傀儡政権を一新し、あるいは不満分子を懐柔または粛清するための一連の暴力行為を指す。ソーシャルメディアは「暴力」を「正義」に塗り替える塗料である。だからして、もっと距離を置くべきである。


フランス軍はマリの空爆に際してアルジェリアの空軍基地から戦闘機を送り出していた。これはアルジェリア政府がフランスのマリ介入に反対できない立場にあることを意味し、そのマリ介入の正当化の切り札なるであろう今回の事件にアルジェリアが関与していることをも意味する。西欧の多国籍企業のエネルギー施設などは最大限に警備されていなければならず、「警備に問題点があった」などという間抜けな指摘はありえない。あるのはテロの自作自演である。西洋からすれば「イスラム武装勢力」と名がつきさえすればそれだけで悪の象徴であり、西洋人(+日本人)の被害者が多く出ればそれだけ西欧の世論をマリ介入支持へと引き込むことができる。人質の命をまったく顧みない強行な作戦がとられたのも、「テロに屈するわけにはいかない」を無理に納得させようとする報道姿勢もそれを裏付ける。

自由と平等と友愛の生まれたフランス本土では、市民は不景気に苦しみ移民に対する悪感情を顕わにしている。こういう時節は国粋主義が台頭し、国政が右に傾きやすくなる。海外派兵も容認される。若者たちの職を奪う憎らしい移民たちの国を攻める兵士の姿に市民は胸を熱くする。景気対策をすることなく国民の不満を逸らした政府は支持率を上げることに成功する。

シリアの戦火が下火になりつつある。もう用が済んだのだろう、マリという火薬庫に着火が完了したからだ。

紛争地域の成り行きを「管理」するのは国連である。大戦争を回避しながら小競り合いを長期化させることでより多くの武器売買を促し、同時に先進国の覇権を拡大させる。カッダーフィーやアサドを糾弾し欧米の軍事介入を支持し、あるいは国連軍を派遣することがあっても、そこで生まれた難民にたいしては援助と呼べる活動はろくに行いはしない。地域の飢餓や貧困は国連には「あたりまえ」のことである。むしろ先進国の資源庫として、安い労働力の宝庫として今の貧しい状態を維持させることこそが国連の職務なのである。国連はフランスのマリ介入に続くかたちでマリでの紛争解決とテロ撃退を協議する委員会を立ち上げ、マリ周辺諸国の要請により英国軍・独軍の派兵を承認した。日本はまた何らかの支援を要求されるかもしれない。


日本政府はこういった問題には徹底的に無力である。国民がさらわれようと殺されようと「遺憾」としか言えない。政府ならともかく企業から海外に派遣された日本人の皆様は一日も早く帰国されてはどうか。

アフリカからは遠く離れてはいるものの、日本の日本人がすべきこと、少なくとも考えるべきことはあるはずだ。今の消費社会が貧しい国々を踏み台に成立していることに目を向けることである。使い捨てにしているポリ袋から自動車に至るまでその生産に必要な資源はどこでどう調達されているのか、足元を直視する必要がある。
大金を払って輸入したとしてもそれを生産する国に、いや国民に還元されているわけではない。むしろ消費経済社会の最下層に組み込むことで地獄の責めを与えている。石油やガスだけではない。最先端の情報端末機の部品も、日本で使用されている建築資材もそのほとんどが輸入品、ひどい条件のもとで低賃金で働く労働者の、時には未成年である彼らの生産品である。そしてわが国の国土は処分しきれない産業廃棄物で埋め尽くされようとしている。いったい何をしようとしているのか。



因果は必ず輪を描く。使い捨てを繰り返すことで経済を盛り立てることができると信じるならば、いつかは自らが使い捨てにされることを覚悟の上でそうするべきである。砂漠の国で犠牲になった技術者たちのように。
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マリ侵攻とアルジェリア事件 from もうすぐ北風が強くなる

  アフリカ 受難の大陸 1/20 「つれづればな」氏から  (※ 筆者はトルコに十数年在住の建築士。  欧米による「アラブの春」がフェイスブックによる大衆操作であること。アル
  • 2013/02/07 10:48

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Comment

建岳

アフリカはまさに、資源によって呪われている大陸ですね。
残念なことですが。

欧米そして私たち日本の経済活動の犠牲、奴隷となっているところに目を向けず、物事の表層ばかりを追って「民主化」だの「自由」などに踊らされ、より一層、無自覚な加害者が増えていく状況について、悩ましさを感じています。

昨今、物事の表層ばかりを面白おかしくあるいはことさら悲惨に、美談に報道し(その類の報道をを多くの人が望み)、世の中の流れができてしまっていると感じます。

一人でも多くの人が、現実を見抜いていく力、その現実に気付いていくことが大切だと思います。
ブログ、SNSなども表層だけの情報でなく、そのツールを利用して、現実のありのままの姿を伝えていく活用ができればと思っています。
  • URL
  • 2013/01/21 13:35

あやみ

建岳さま

お言葉ありがとうございます。
「物事の表層」ばかりに囚われてしまう理由のひとつは、現代社会の過剰なまでの「速度」でしょう。車、飛行機、情報化、電化のおかげで確かに便利になりました。そして時間を「有効に」使うことができるようになりました。が、それに追いつくために返って忙しくなりました。しかし人の思考回路がある一つのことを咀嚼するにはそれなりに時間が必要で、それはいくら世の中の速度が増したところで変わらない、縄文人がものを考える早さもわれわれがものを考える早さも変わらないのです。だから事象の表層しか見えなくなり、さらに悪いことに「借り物の理論」つまり既成概念や常識とよばれるものに寄りかかりさっさと納得しようとしています。これではいくら就学率が高い国に住んでいようと文盲も同然です。

悲惨なニュース、美談、歓迎されるからこそ溢れかえるのですよね。同感です。いけないことです。

寄りかかるべきは先祖が残してくれた経験的な知識と神仏や自然を畏れる心だと思います。常識とよばれる作り事ではない筈です。

神仏や自然がわれわれに何かを語りかけようとしたとき、その真髄をわれわれの言葉に直して伝える勤めを担っていたのが宗教家でありシャーマンであったのですが、中世の欧州の宗教家たちは何を勘違いしたのか肌の黒い人間を人間とみなさず、命も財産も奪い放題と定義しました。その理念は彼らの国づくりの基本姿勢として定着し今もその考えを少しも改める様子はないようです。

  • URL
  • 2013/01/21 19:41

彼岸花さん

こんにちは。
ここにお書きになられたことの一言一言が、ぴしぴしと
胸を打ちます。
  • URL
  • 2013/01/24 09:50
  • Edit

あやみ

彼岸花さん こんにちは。

いろんな職業のいろんな生き方をされる方々がいるこの世の中ですが、その根幹に関わる問題だと思っています。難しい話ですが、次世代のことを考えればやはり見つめなおさなければならないでしょう。
  • URL
  • 2013/01/25 07:56

もうすぐ北風

貴重な解説をありがとうございます。
「アラブの春」以来の報道が、フェイスブックやツィッターをあたかも民衆の革命的な道具であるかのように評価するのが、不自然です。
この三百年来の欧米帝国主義の様々な謀略を考慮するなら、マリ侵攻とアルジェリア事件は連動した世論操作と思います。
9.11を引き起こしてアフガン、イラク戦争、政権転覆への過程と同一パターンと思います。
アルジェリア政府の不自然な対応と情報統制に表れているのは、まさに欧米の自作自演と思います。
全文を転載させて頂きました。
http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-1573.html
  • URL
  • 2013/02/07 11:10

あやみ

北風さま

コメント、転載の件、ありがとうございました。
日本は欧米ファンです。とくに、おフランスが大好きです。そのおフランスがあこぎな真似などする筈がないと信じているので、あれだけ同国人が犠牲になっても「テロ許すまじ」の一言に加担してしまうのです。無知もここまでくると罪になるでしょう。

おフランスをはじめとする欧米が、なぜにそんなに好きなのかを解きほぐす作業をしています。
また、いつでもお越しください。お待ちしております。
  • URL
  • 2013/02/08 00:33

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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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