ことはじめのつぎ

イランを中心とする地域がイスラム教を受け入れる以前はゾロアスター教とその文化が
人心を支配していた。
ネヴルーズまたはノウルーズと呼ばれる新年を祝う祭が太陽の春分点を通過する日に行われていた。
これは当然今の春分と一致する。

イスラム教の世界では陰暦に属するヒジュラ暦を使用する。
これは365日に11日足りない354日を一年と数えて閏月を設けないため毎年十一日づつずれてゆく。
不便なようでこれには大変な美学があるのでいずれ機会があったらそのことも書いてみたい。
ヒジュラ暦の第一月、、ムハラム月自体が争いごとを避けるべき月であるとされている以外は
その第一日も特別扱いはされていない。
特筆すべきは、ヒジュラ暦のみが太陽の運行に縛られていないということだ。
少なくとも農事暦でないことが理解できる。

中国および多くのアジア諸国は旧正月として知られる「春節」を祝う。文字通り、祝うのだ。
これは如何なる日か、一言で言えば「立春」である。ただしその年によって多少前後するので
言い切ってしまうには語弊があるが。
雪が溶け出し雨水となる月を一年の初めとするという思想は、明らかに農事を念頭においたものだ。

そしてわが国にっぽん。
西欧化よろしく明治の改暦を以って天保暦(旧暦)から西暦(グレコリオ暦)に切り替わる。
それまでは大陸と同じ、というか大陸から取り入れた暦を使用していたのは言うまでもないが、
ではその始まりは?となると定かではないらしい。
欽明天皇の時代に暦博士の来朝を百済に要請したとの記録があるために少なくとも六世紀には
暦が導入されていたとされる。が。どうであろう。
稲作がわが国にもたらされたのは弥生時代、その時点で暦と呼べるものが共に伝わったと考える方が
自然ではないか。なぜなら暦をみることなしにはクニを運営するだけの収穫は期待できないはずだからである。

シャーマンは祈祷を捧げて神託を請いつつ、暦法の叡智をして太陽の運行を読み、タミに種蒔の触れを出す。
このシャーマンをミコといい、ヒミコとは日の巫女、日巫女であると、筆者は考える。

話がそれたので元に戻す。
維新前の日本の新年は立春のころであった。維新後はは古代ローマのお役所の仕事始めの日が新年になった。
ご先祖様に叱られないか不安でならない。(明日に続く)
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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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