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これからの聖戦 四男

「まったくこの不景気だってのに四人も生んでどうするの!学校にやって、食べさせて、結婚させて…あああ~あんたの亭主の稼ぎじゃ足りるわけないでしょうが!」

四年前に長女が生まれたときは近所の人たちによく叱られたものだ。よそ様の生活といえど、おせっかいなこの国の人たちは本気で心配してくれる。町ですれ違う見ず知らずのおばさんからも同じような小言を食らったものだ。

しかしさすがに五人目となると周囲の方々も諦めたのか呆れたのか、よかったねえ、と素直にいってくれる。じつは先日、四男がうまれた。


  bebek



筆者には薄情なところがある。新生児を前にしても「新しい生命の誕生…」とか「穢れなき真っ白な存在…」とか、その手の感情にまるで駆られないのである。新生児が新しいのは当たり前ではないか、と思うし、生まれたての赤ん坊の顔をみて「あどけない」とは思ったことがない。


およそ子供という子供には父方と母方の血が流れており、その中には遺伝子などという言葉だけでは語りつくせない太古の記憶が眠っている。「血―ち」と「霊―ち」は互いに近い意味を持つ言葉である。
浮世の思惑に触れていない子供たちには先祖との「霊―ち」のつながりが色濃く現れる。我々には聞こえない声が聞こえる。だからどの子も気難しい老人か求道者のような顔をしている。赤ん坊が何からも影響を受けていない穢れなき白紙の状態と思えないのはこのためである。




「へ?こんなものどうすんの?」

トルコの助産婦さんは臍の緒を持って帰りたいという変な注文におどろきながらも大事にガーゼにくるんで手渡してくれた。(半分だけ)日本の赤ちゃんが生まれたと病院中から看護婦さんや事務員さんたちが「見物」に来ていた。美女に囲まれてご満悦の四男とは裏腹に先生はちょっと不機嫌だった。この子の体重が平均よりも少なめで、筆者が処方されていたビタミンや鉄剤を使わなかったのを知っていたからである。ちなみにトルコでは新生児は3.5kgぐらいが望ましいとされ、妊婦はだいたい20~25kgぐらい体重が増える(!)。おそらく、新生児の体重が3.5kgに近いほど、担当医は産科医としての評価が上がるのだろう、しかし申し訳ないが栄養剤を使ってまでもご協力するようなことではない。子供は、天から授かった己が命運で生まれてくるのだから、その体重にまで周り口出しするものではない。


臍の緒は、医者が匙を投げるような大病をしたときに煎じて薬にするためにとっておくと祖祖母から聞いていた。「母と子の感傷あふれる記念品」という解釈はかなり新しいものである。イワシの頭よろしくこれも民間信仰の一種だともいわれているがそうとも言い切れないだろう。この手のことをあまり科学の窓から見つめるのは好きではないのだが、臍帯血は白血病の治療に現に役立っており、臍帯の中の体液は細胞を再生させる効果があるとされている。日本の先祖たちはこの不思議な緒の中に何かを見出していたのだろう。しかし科学という窓を持たなかった先祖たちはこういうものに「信心」と名をつけて守ってきたのだと思う。
とにかく薬として使わずに済むことを祈りつつ、とっておく。


母親という殻に宿った時から、その子は臍の緒をとおして母親の血から栄養、酸素そのほか全てを補う。元気な子が生まれるようにと母親はつとめてよい食生活を心がける。そう、母親が口にしたものと嗅いだものは即刻その子に届いてしまうのだ。煙草や薬品、排気ガス、化学物質、何もかもである。人の体に入った「毒」は肝臓や腎臓、膵臓脾臓が分解してくれるのだが、はたしてどこまでか。この臓器は生まれてこのかた摂取し続けた薬品や化学物質の分解に疲れ果てている。血圧や糖やコレステロールが高い価を示すのは、肝臓がもう仕事をしきれなくなっていることの現れである。そしてアレルギー疾患の原因は免疫力の低下、その原因もやはり体の自浄力の衰えにある。


食品とて生体である。植物や動物の組織を食べやすく加工しただけであり、そこでは生きた成分や微生物がまだ活動を続けている。しかし電子レンジの電磁波は人の胃のなかに納まった食品の分解に役立つ成分を殲滅してしまうために大仕事は全て消化器の負担となる。
胃が重いといっては胃薬を飲み、その分解もまた肝臓に押し付けられる。鼻水が出るといっては抗生物質をつかい、体内の自浄活動を担う微生物をも殺してしまう。消費者の五感に訴えようと添加した着色料や香料は体に残留する。フッ素という有害金属を喜んで歯磨き粉に添加し骨を脆くする。それだけではない。洗髪料、液体洗剤、乳液、化粧品はその中にたった一滴の植物油を混ぜておくことで植物オイル配合と表示できるが基材は石油系鉱物油、さらにその品質維持のための保存料、安定剤、乳化剤、香料、保湿剤、色素などの毒物が添加されたものを、、人はなぜか顔や体に塗りたくっている。それは皮膚と呼吸器から体内に浸透し血に混ざり「処分場」へと集められるが、処分しきれない毒は溢れてふたたび血に戻され臓器や血管に巣食う。
農作物に使われた農薬と化学肥料、そして有機肥料と銘打つのは得体の知れない添加物入りの餌を食べた家畜の糞であり、遺伝子を組み替え大量生産した作物を食べさせられ、ひどい国では家畜を生きたまま挽肉にしたものを乾燥させて飼料にまぜている。その肥料で育った作物を、あるいはその飼料で育った家畜の肉を食べたとき、工業や生活排水に毒された水域で育った魚介藻類をたべたとき、捕食の頂点にいる人間はどうなるか、言うなれば、環境の中の毒素を最も濃縮した存在となる。


父となり母となる齢を迎えるまでに人の血はこのように毒されてゆく。母親だけが身篭ってから気をつければよいというものではない。


この惨憺たる状況下でも元気な子供たちが生まれるのは奇跡というほかない。目には見えない力が働いて子供たちを穢れから守ってくれているのだろう。
臍の緒の根っこの部分である胎盤が胎児の呼吸器と泌尿器と消化器の仕事をしており、おそらくここで母親側から来る多くの毒物はせき止められるのだろう。胎児には胎児の体内で新しい血がつくられ、母親の血が混じることはない。産後直後にこの胎盤は母体から剥離する。血に滞った毒素とともに母体を去る。大量の血を失った母体は授乳のために必要な清い血を大急ぎで作り出す。そう、「乳―ち」は「血―ち」から作られる。

母乳が子供に免疫力を与えることはすでに知られている。ならば母乳にありつけなかった子達はこの先つねに病魔の脅威にさらされることになるのか、そうではない。母親の胎内にいるうちから免疫力はやはり臍の緒をとおして受け取っており、母乳はその延長上にある。妊婦がくよくよ、いらいらしてはお腹の子に障ると昔からいわれているとおり、母親が心を乱すと内分泌が狂い臓器を作るに必要な成分や免疫力の譲渡を妨げてしまうためである。
始まったばかりの生命活動から排出した老廃物はまだ臓器が出来上がっていないためには母親に戻される。これも臍の緒を介してである。

しかしそれでも子供の虚弱やアレルギー体質、先天的な疾患は起きてしまう。あるいは生後何年もたってから食生活や生活環境と絡み合い病におかされることもある。胎盤が盾になれない毒物もある。放射線である。

つまり、世の抱えるさまざまな問題が、この世のもっとも弱い、抵抗の余地のない存在である赤ん坊に「病」という皺寄せを与えている。そしてその問題とはひとごとではなく我々一人ひとりが関わっている。


我々の消費した資源が何らかの環境汚染を引き起こしているのは間違いない。いかに行政の過ちが大きかろうとも消費したのは我々である。妊婦のみならず誰ひとり心穏やかに暮らせないのもみなが異常なまでの「不安」をかかえて生きているからであり、その温床は我々の属する競争社会である。溢れ返る情報の尻馬に乗り目隠しをしたまま走るのも、商品に無駄な付加価値をのせることで利潤が上がる市場のありかたを受け入れているのも、その市場に依存してしまっているのも、隣国に嫌悪を抱くゆえに開戦をほのめかすような政党を勝たせたのも我々である。その政党は原発再稼動、TPP、戦争へと向かう。


胎児の異常の有無を調べようと、医者つまり政府は「検査」を推奨する。ダウン症などの障害の兆候が認められると中絶を勧める。ひとつの家族にとって障害を抱えた子を持つことは大変なことであることは間違いない。その子の人生も健常者のものとは明らかに違い周囲の支援が必要になる。その後ろ盾にならなければならないのは政府である。その筈の政府が「面倒を見たくないから生まないでくれ」とばかりに門前払いにするのは筋違いだ。国にとっては経済効果の期待できないない見返りのない仕事である。だから冷たい。そしてこの先、子供たちの先天疾患は確実に増えていくことを重々承知しているためになおさら突き放すのである。
どういう姿で生まれようとそれはその子の天命である。その子の親となることは親の天命である。その子を社会の、国の一員として迎えることは世の中の天命である。それに逆らいまだ産ぶ声をあげる前の人生を雑草のごとく摘み取ることを国は推奨する。そう、強制ではなく奨励という名のやわらかい脅迫である。この検査を受けるかどうかの判断は子の人生に責任のある親のほうにある。政府の勧めに忠実に従う必要はない。



「ジハード―聖戦」、この言葉を聞いて思いに浮かぶのは、剣を喉元につきつけて改宗を迫るイスラム教徒、あるいは神の名の元に破壊活動をする中東ゲリラといったところだろう。しかしこれは異教徒側がイスラム教徒を悪意の目で見たときの姿であり本来はそうではない。聖戦とは神の教えを守って生きることを阻害するもの、「異教徒との戦い」は狭義でいう聖戦である。広義では人の中の欲や悪意、物質世界への固執との戦いをいう。
そして人の体は魂がこの世で生きるための入れ物として神から与えられたものという考えがある。いわば神からの借り物である体に害を与えることは「ばちあたり」であり、他人の体はもちろん自らのその体も穢し傷つけることを禁忌としている。

ならば、体を穢すものとの戦いは聖戦である。

次世代の命を病に曝し、あるいはこの世に生まれる前に命を奪う「毒」、その毒の出どころは社会であり、こともあろうにその社会の持ち主は我々である。経済中心の社会の掟を忠実にまもる我々である。「人の中の欲、悪意、物質世界への固執」、これは仏教の言葉の「貪欲・瞋恚・無明」つまり「煩悩」にとても近い。また古代日本の先祖に言わせれば「けがれ―穢れ・気枯れ」になる。全人類の敵は大昔から知られていた。


冒頭にあるおばさんの小言は罪のないものだが実は世相が露呈している。この世の不安を「不景気」という言葉で一括してしまう。「不景気」の行き先は「貧困」である。物質の豊かさは幸せに生きるためなくてはならない条件、家と車と貯蓄があって初めて幸せといえるような幸福観に人々は支配されてしまった。生活に追われる経験がまだない若い世代はさらに即物的である。最新の通信機器と誰にも干渉されない部屋、なるべく時間に縛られない楽な仕事をして趣味三昧の暮らしをするのが彼らの幸せである。結婚の条件は経済力、それを得るために教育を受け、病気になっても医療費が払えることが解決であり、事故を起こしても保険が保障し、裁判になればよい弁護士をつければよい。寄せ来る不幸の盾になるのも金銭である。自分の持ち物が隣人のものより劣っているのは我慢がならない。だから「貧困」は何よりも恐ろしい。姿なき神の怒りよりも、いまだまみえぬ地獄の業火よりも、目の前の貧困に呑まれるほうが恐ろしいのである。
 
怒りを人間外にむけることは難しい。人は顔の見えない敵と戦うために仮想敵をつくりだすことでようやく怒りを集中させることができる。そこで誰かを、どこかの組織を、自国政府あるいはよその国を敵に見立てて戦いだす。しかしそのような狭義の戦いは不毛、新たな怒りの呼び水にしかならない。いま怒りを向けている相手は影法師、東電も、原発も、政権も、戦争もアメリカもイスラエルもみなおのれの欲の化身かもしれない。見誤ってはいけない。敵は一人ひとりの中にいる。


目まぐるしく変わるわが子の面差しには日本の両親や弟、叔父たち、もとより会うことの叶わぬ遠い遠い先祖の顔も現れているのだろう。かわいい子孫の誕生をことほぎに黄泉の国から現れたのか、それともこちらから会いに行ったのか。
大好きだった祖祖母と祖父の顔が見えたときはさすがに涙が流れて止まらなかった。
主人の家族も冬の終わりに他界した義父の顔も順番に見える。スキュタイや突厥と呼ばれていたトルコ人の先祖や、北バイカルの大地を馬で駆け回っていた民も現れているかもしれない。そして彼らは在りし日に大陸から列島に渡り、その血を縄文の日本にもたらしたのかもしれない。綿々と続く親子の縁を縦糸に、時の記憶を横糸にした織物はながらえて今に至る。


― 穢れと戦え これは聖戦ぞ ―
先祖たちは子の母親の肝に銘じ還っていった。







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すーさん

あやみさん、こんにちは^^

こんにちは!赤ちゃん!
四男さんのお誕生、おめでとうございます。
僕の父も四男一女でした。あやみさんはタフですね^^

生きることの大切なことが網羅されていて本当に知恵のある
お方だと思います。とても素敵な祖祖父と祖母の存在が今も
生きておられることも、やまとごころなのだと感じています。

へその緒。我が家の三男、四男は、自宅出産で僕がへその緒を
切りましたから、その時の感動はよく憶えているのです。それ
は切った人でなければ感じられないことですが、出産直後の
へその緒は、色と言い形状と言いとても宇宙的!なのです。
おそらくこの世で一番美しいのかも知れません。そのくらい
驚きつつも、空気に触れて次第に色褪せ、切り落とした後には
その美しさは見られなくなるのでした。

「穢れと戦え これは聖戦ぞ」
あやみさん、お嫌いなフェイス・ブックに今回の記事を
御紹介してもよろしいですか?草の根です^^
  • URL
  • 2013/07/03 22:50
  • Edit

あやみ

すーさん こんにちは。ありがとうございます。

今日で半月です。のんびりさせてもらっています。
臍の緒や胎盤の話はとても書ききれないですね。もっと不思議な力があるはずです。
古代の先祖たちは体と例をつなぐものを臍の緒に見立てて「霊の緒」と呼んでいました…

胎盤呼吸から肺呼吸に産声を上げた瞬間に移行します。そのときに、五臓六腑の弁が同時にきりかわる、本当に凄い仕組みになっています。目に見えるにはオヘソだけですが私たちの内臓のあちこちには胎児期の循環の名残があるすです。
臍の緒を切るのはある種の「別れ」ですね。そう思うと複雑です。

ちなみにうちの主人には臍の緒を切るなんて無理です。きっと卒倒します。さすがはすーさん。

ご紹介はありがたくおうけします。よろしくお願いします。
  • URL
  • 2013/07/04 02:08

建岳

とっても可愛らしいお子さんですね♪
おめでとうございます。

この子たちが生きていく世の中を作る為の聖戦。


「敵は一人ひとりの中にいる」ですか。
本当にそうですし、そして、非常に重い言葉ですね。

私も見誤っていたかもしれません。


祖先の面影に想いを感じること。
現代の日本仏教は、先祖供養教といわれることがありますが、

この、あやみさんのお考えかたなら、
本当に素晴らしいものになりますね。
  • URL
  • 2013/07/04 13:04

春野

おおめでとおおございますぅうう!
びっくりしました!
(驚くってこと自体、5人兄弟という数に現実味を感じない、あさはかな現代日本人の典型なんでしょうか)
慈しまれて育てられる限り、一人っ子だろうが多兄弟だろうが、子供は幸せなものですよね。

私は長らく子供を産まず、周囲から「自分の子は可愛いわよ」と言われ続け、この言葉にずっと首をひねって反感を持っておりました。
どう考えても、猫の子の方が可愛いだろう…と。

自分で産んで、この日本語は正確でないなーと感じる今日この頃。
子供は「可愛い」んじゃなくて「愛しい」んだなーと。
美醜の話ではなく、情の話であったんですね。

赤ちゃんは愛しいですね。
写真を見るだけで、笑みが誘われ、目が細くなってしまいます。
この愛しさは、過去から未来へとずっと繋がってる、「情」から沸き起こる感情なんでしょう。
しかもうらやましいほど可愛いっ!
どうぞ母子共にお健やかに!
  • URL
  • 2013/07/04 20:45

あやみ

建岳さま こんにちは、 ありがとうございます。

>現代の日本仏教は、先祖供養教と…

先祖崇拝は仏教を含めた世界のどの宗教よりも古い信仰です。
しかしその後世界の多くの地域で受け入れられた一神教では先祖の崇拝は禁止です。神様以外は崇拝の対象にしてはいけないのです。そこで崇拝ではなく、あの世で罰を受けることがないように神に祈ります。つまり神様経由で祈りをささげます。日本仏教の場合はそのような考えがないため、供養する側とされる側がより近い関係にあり、もし一神教と比較してしまえば「先祖供養教」という見方がされてしまうかもしれません。あとは日本の場合、葬儀や法要がやや形式化しすぎてしまった殻というのも否めません。

たとえば縄文人たちですが、彼らは山や海の神の怒りを恐れて頑として農耕をしませんでした。しかし迫りくる気候の変化により食料難に陥りました。しかしそこで起こる筈の食料をめぐる争いは起きなかったのです。先祖たちはわが子や次世代のことを思うがあまり神に許しを請いながら農地を求めて移動しました。この英断がなかったならば、私たちもこの国もなかったでしょう。

私たちは子孫のために何ができるでしょうか、もっとましな世の中に戻さなければならないと思えてなりません。
  • URL
  • 2013/07/04 21:00

あやみ

春野さま 、ありがとうございます。私もびっくりしてます。

一人っ子でも大勢でも…ってのはなかなか的を得てますね。
子供に関することは数の理論がいちばん通用しないところだと思います。
大勢は大変だけど一人なら楽というものではないし、逆に大勢いればそれだけ幸せというものでもありませんしね。何人いても、同じように愛しいものです。

母子とも元気にしております。お気遣いありがとう!
  • URL
  • 2013/07/05 02:50

彼岸花さん

あやみさん。
おめでとうございます。^^
もう、可愛いの一言ですね。
なんて小さな足なんでしょう。

赤ちゃんを見て微笑む気持ちには国境などない。
ね。国家間の政治もそんなふうにはいかないものかしら。

どうぞゆっくりお疲れ回復なさってくださいね。

重ねて。おめでとうございます♪


  • URL
  • 2013/07/05 21:18
  • Edit

あやみ

彼岸花さま

ありがとうございます。いま横でいい子で眠ってます。
国境、本当の意味でなくしていけたらどんなにいいでしょう、グローバリストの詭弁ではなく…

元気にしてます。ありがとう
  • URL
  • 2013/07/06 01:10

いちごじゃむ

あやみさん、おめでとうございます!
かわいい赤ちゃんですね(^^)
手を伸ばして抱っこしたくなります。

5人のママさんになられたあやみさん。
お一人で何役もこなされていますね。
産後のおからだを大切になさってくださいね。

我が家の次女も、5人のママです。
4姉妹と5人目の子が男の子です。
子育てが大変そうに思いましたが、
ママさん大奮闘で子供たちもたくましく育っています^^
この頃は出る幕もあまりなくなったバーバです(笑)
あやみさん、ゆっくり休めますように。
  • URL
  • 2013/07/06 04:17
  • Edit

あやみ

いちごじゃむさん ありがとうございます。

一男四女、うちと逆ですね。大変な分だけ賑やかでいいですね。
一人で何役も抱えてはいますが至る所で手抜きをしているので大丈夫です。
「おばあちゃん」の存在は子供にはとても大事だと思います。うちにはそれがないので残念です。
いちごじゃむさん、出る幕どころか出ずっぱりでいてあげてください。
  • URL
  • 2013/07/06 21:33

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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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