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「まなぶ」を問う



現代では意味が違うことば同士が実はある頃に枝分かれした同じことばであることはよくある。とくに日本語の祖語やまとことばの成り立ちを見つめるとそれによく出会う。日本語はおもしろい。

最近日本人の学力が下がったとよく耳にする。教育の制度や政策が槍玉に挙げられるが本当のところは如何なるものか。
学力の学の字の訓読み「まなぶ」の一語を吟味したい。まず「まなぶ」とは何ぞ哉。

1.「学ぶ」の古くからの意味を下から選択せよ。

い)教育をうけること
ろ)思考すること
は)真似すること
に)記憶すること



「まなぶ」は古い日本語、大陸から漢語と漢字がやってくる前の日本で使われていたやまとことばである。名詞の「まな(合・真・正・似)」に助動詞「ふ」が膠着して(くっついて)まねをする、近づく、匹敵させる、などを意味する動詞となった。つまり「まなぶ」と「まねる」は今ではずいぶん意味が違ってしまったが元は同じ言葉であった。他動詞であるため目的語を取る。つまり何をまね、何に近づくかが問われる。そしてそれは「真-まこと-真事」を以って他にはない。「まなぶ」とは「まこと」に近づこうと尽すことである。時を経て平安時代ごろに「まねぶ」が「まなぶ」から分かれた。

記憶も思考も、学ぶという大きな目的を遂げるための行動の一つに過ぎない。たとえ教育を受けようが受けまいが「まなぶ」ことはでき、あるいはできない。ひとえに当人と「まこと」との間の問題である。「まね」が模倣や盗作という後ろめたい意味を持つようになったのはおそらく雅語として分かれた「まねぶ」のなかに「虚飾」らしき意味が芽生えたからであろう。    
正解  は)


2.「まこと」の説明として適当なものを下から選択せよ。

い)科学的に証明・立証が可能なもの
ろ)文献や資料に裏付けられた歴史的事実
は)教育者の一言一句
に)自然の摂理のなかにあるもの



まず根底にこの世をこの世たらしめる「摂理」、やまとことばで言うなれば「ことわり-理、事割り」が存在する。事を割る、筋道をたてる、混沌とした事象の中から核心を割り出す。潮の満ち引きと月の満ち欠けの間の「ことわり」、木から落ちた実とそこから芽生え育つ分身のあいだの「ことわり」、それらを謙虚に見つめて導き出せば、ことわりをつかさどる目に見ぬ力の存在に触れることができる。「ことわり」こそが「まこと」の在り処である。科学とはそれをを数式、あるいは図を以って体系付ける作業に過ぎない。が、どういうわけか世間ではこの科学ばかりに権威が集まった。すると人々は物事を科学の窓からしか見ぬようになり科学で証明できないことは議論から落ちこぼれる。そこであたかも科学こそが真理であるという考えが罷り通るようになった。
もちろん、「まこと」の在り処は物理・科学の庭だけではない。先人たちの歩んだ道や我々が日々使う言葉のなかにも「まこと」は必ずや在る。歴史・文学はその上に何とかと立っているだの分野、まして文献や資料はさらにその所産でしかない。教育とは図式化・言語化された端末情報を教えるただの手段・制度であることは言うまでもない。   

正解  に)


科学の権威を「安置」するため場所、それは学会や大学である。子供たちはただ大学というものに属するためだけの教育を十年以上も受け、競争をし、秤にかけられ
る。そして大学に受け入れられるとその後は出身校の名を肩書きに職業生活を送る。だから大学に権威があればそれだけ有難い。一般人だけでなく専門家にとってもそれは同様である。



3. 大学(university)を世界中に創設した機関を下から選択せよ。

い)創価学会
ろ)国連安保理事会
は)日本船舶振興会
に)イエズス会


古代のメソポタミアやギリシアにて展開された数学、天文学、医学、哲学などの学問はローマ帝国が東西に分裂した時点で東ローマにとどまり欧州の根源である西ローマには波及しなかった。理由はギリシア語で残された文献がラテン語を公用語とした西ローマでは価値が理解されなかったことにある。科学などは神の御業に干渉する呪わしき行為として糾弾され書物は炎にくべられた。そして何よりこの地の権力者たちは学問よりも腕力が好きだった。
そのまま中世を迎えた欧州だが、人々は神を讃える傍らでその心は悪魔や吸血鬼への恐怖に病んでいた。疫病、飢饉、天変地異、この世の全ての凶事は悪魔が目論み手先の魔女たちが引き起こすと説かれ、それを退治できるのは高潔な僧侶の祈り、あるいは銀の十字架などととされていた。しかしそれは教会が神の出先機関としてさらなる尊敬と信頼と寄付を集めるために作り上げたいわば虚構、人々の心を支配し教会に縛るものでしかなかった。
逆に東ローマでは学問が好まれ過去の文献も温存された。そしてイスラム教徒に圧される形で東ローマ帝国は領土を徐々に失いやがて消滅するが、この地に残った古代の学問はイスラム教徒たちによってペルシア語やアラビア語に訳され解釈が深められながら注釈がつけられた。さらにウマイヤ朝のあったイベリア半島ではそれらがラテン語に翻訳され徐々に西欧にもたらされる様になった。置き去りにしてきた古代の学問「科学」に欧州はそうして出会ってしまう。そして虚構が傾いた。

数学や天文学や医学という技術の土台となる分野だけをとっても「科学」の魅力を思い知り、そして錬金術に至ってはもう神への冒涜などとは言っていられなくなった。そこで教会は科学と信仰の融合を急いだ。「科学」とは「神の御業」つまり「自然」を神から与えられた理性で「理解」する行為だとする立場を築き、聖書の窓から科学を説くことを試みた。与えられた命題をとことん討論し、論理により真理を導き出すという、教会で培われたこの学問の形式を指してスコラ学という。

欧州各地に大学を開設したのも、スコラ学者を育てたのも修道会のイエズス会であった。神学とともに科学全般を教育した大学では同時に論理学教育にも重きを置き、論理により真理を導き出すという姿勢は教育の中に定着する。そしてそれは大航海時代、イエズス会がキリスト教の布教とともに世界中に大学を創ることで世界基準としてひろまる。    

正解  に)



やがて実験や観察による証拠を論理の根拠とする自然科学の台頭を受け、根拠を信仰にもとめたスコラ学は机上の空論として批判の対象となる。しかし役目を終えたあとで批判されようとそれは大きな問題ではない。重要なのは、信仰に支配されていた中世欧州において科学がスコラ学を通して見事に消化吸収されたという事実、その後の科学と信仰の別居、そして論理によって解き明かされないものは価値がないとする考えが教育を凌駕しその支配が今も続いているという惨劇である。



4. 日本と科学の出会いはいかなるものであったか。(複数回答可)

い)イザナギとイザナミの二神が諸物を生み出した。
ろ)大陸からの渡来人が、暦学、稲作、養蚕、機織、鋳金、薬学など多くの技術をもたらした。
は)戦国時代に望遠鏡、地球儀などがキリスト教と一緒にイエズス会の宣教師によって持ち込まれた。
に)開国後に近代の科学や思想が海外から流入し、福沢諭吉らがそれを啓蒙した。


キリスト教社会からの科学の流入は宣教師によるものである。聖書と鉄砲を餌に日本を西欧の軍事経済網に組み入れようとするイエズス会の魂胆を見通した豊臣秀吉は禁教令を出し伴天連どもを追放したが、ここで西洋の科学と縁が切れたわけではなかった。鎖国と言われるほどには閉鎖的ではなかった江戸時代、オランダとの貿易を介して西洋の知識は日本に届き「蘭学」と呼ばれ、軍事知識とキリスト教思想が侵入して日本の体制を揺るがさない限り幕府は蘭学を認めた。果たして日本でこの時代に浸透した「科学」は医学、暦学などであり、先祖から伝わる「暮らし」を毒することなく在来の知との摺り合わせを繰り返しながら学ばれた。おそらく西洋からすれば軍事知識を欠いた科学などは肉のない料理のように見えたであろう。
しかし黒船が日本の門戸を蹴破り近代の科学と思想が怒涛のごとく流れ込んだ。蘭学は洋学と名を変え、それまで欠けていた武器、軍制、法制の知識、資本主義、近代思想は肩で風を斬りながら「在来の知」の居場所を奪う。古きものを守ろうする者に対し福沢諭吉は「ばかもの」呼ばわりをした(「改暦弁」)。

太古、この世のすべてのものごとは互いに離れた陽と陰が「あふ(合ふ、逢ふ、和ふ、会ふ)」ことで生まれ起こると考えられていた。世界の古代文明を掘り下げればみなここに行き着く。陽陰とは「天と地」「日と月」「男と女」「魂と躯」…、原子も宇宙も引力も繁殖もこれに尽きる。そして「あふ」ことは別れることの始まりである。生と死は互いに呼び合い、永代に繰り返す。イザナギとイザナミの出会いと別れはそれを神話として饒舌に語るものである。   

日本人が遠いとおい先祖から受け継いだ知とは「生き方」である。それは「死に方」とも言い代えることが出来る。どのように生き、どのようにそれを終え、それをどのように子孫に伝えるかである。新しい何かを学ぶときも「ことわり」の中の「まこと」に真摯に問いかけその答えを待った。「ことわり」に叛けば子孫に害が及ぶことをよく知っていた。大陸から来た新しいものごとも時をかけて日本に馴染ませた。しかし宣教師や黒船が持ち込んだのは「殺し方」であった。    

正解 い)ろ)は)に)


5. 琉球大学遺伝子研究チームが福島で大量に見つかった蝶の奇形は放射性物質に遺伝子を破壊されたことが原因となったという発表を行ったが、根拠の一つとして突然変異促進剤を投与したときに起こる変異と同様の異常が見られることを挙げている。これの意味するものとして不適当なものを下から選択せよ。

い)福島の蝶に突然変異促進剤投与の事実がある
ろ)福島の蝶に放射性物質による汚染の疑いがある
は)突然変異促進剤とは放射性物質を指す場合がある
に)放射性物質を使って遺伝子を組み替えてまで生体に干渉することが当然になった


放射能が遺伝子を傷つけることはもう常識となっているが、「突然変異促進剤」というものは一般には聞き慣れない。これは抗生物質や農作物などの研究開発に利用されており、多くは放射性物質によって遺伝子に損傷を与えて突然変異を促して「強い」種を発見することが目的である。突然変異は人類が今日まで長い時のあいだに自然に体験してきたことではあるが、人の手によって、人の利益のために行われてきたわけではない。自然環境を構成する膨大な要素が同時に影響し合いその淘汰の中で生き残りをかけてごく微小な変異が生まれるのである。今しかし遺伝子研究の現場ではこのような実験が繰り返され社会にとって有益と判断された「異変」は時を移さず市場に放たれる。こうして開発された薬品や食品は日々我々の口に入る。その害の有無を判断するのもまた学者であって我々ではない。そして学者が無害を証明すれば誰も口を挟むことは出来なくなる。だが「ことわり」に手出しをすれば、その咎めがどのような道をたどりどのような形で与えられるかは学者には証明しきれまい。

正解 い)


6. 2011年から続くシリア内戦に対する世論が緩慢なものからに急激に厳しくなった理由として適当なものを下から選択せよ

い)反政府組織の中にアルカイダの活動が認められたため
ろ)サウジアラビアが子飼いのチェチェン人テロ集団をロシアにけしかけたため
は)シリア北部で国際法に違反する化学兵器が使用され多くの死者が出たため
に)トルコ軍がシリア国境にパトリオットミサイルを配備したため


二年以上続くこの内戦ではすでに何百万という死者、そして孤児、そして手足を失い、故郷を後にすることを余儀なくされた人々がいる。しかし世論はそれを直視せず中東は戦火があって当然という見方すらされていた。だがある日、化学兵器使用という一線を越えたそのとたん、世界は態度を変え一斉にシリアの子供たちのために泣き出した。   

正解 は)


化学兵器の使用を擁護するつもりはない。あってはならない事である。なら、ふつうの爆弾でなら市民の命を奪ってもよいというのだろうか。どちらも同じ殺人ではないか。国際法に触れさえしなければどのような非道も合法なのか。国際法とは誰が何を基準に作るのか。

人の子であれば、子の親であれば誰にでも浮かぶ疑念であろう、しかしそれが世論に声となって響くことはなかった。疑念よりも論理が先に立つからである。疑念が湧いて出る場所は「魂」である。逆に論理は「魂」を切り離し状況証拠あるいは経験からの共通項で組み立てるものである。我々が学校で学ばされてきたのは後者である。―化学兵器は残忍だ、残忍な化学兵器がシリアで使われた、だからシリアの内戦を終わらせて子供たちの人権を守らなければならない― あまりに、あまりに不毛なな思考。


学力が落ちた云々ではない。「学-まなぶ」対象のほうにに問題がある。学校という所で教えられていることは「まこと」を根とする枝葉のようなものである。世のことわりを体系付けた学問の表層だけを知識と呼ばされただやみくもにそれを拾い集めるが、評価されるのは集めた枝葉の量であり、そのために葉の色や姿を見つめる暇は与えられない。根から離れた知識は遠からず枯れて朽ちる。気づけば何一つ学ぶことなく人生を終えることになる。その空虚さ、不毛さが露わになることを恐れた個人も社会もただ「まねる」ことで殻を築く。他人から借りてきた思想と知識で武装する。そうしておけば世の中から嘲笑を買うことも抹殺されることもなさそうだから、である。

科学こそが真理であるという錯覚がここにある。それが科学そして科学を拠り所として生まれた思想、法律、経済に過度の権威を与えてしまったこと、そして権威を得たものがこの錯覚の発信源であることは畢竟、中世欧州の教会と神の関係を考えれば現代がその焼き直しに過ぎないことはよく分かる。科学は真理に築かれた「ことわり」を視覚化・具現化して我々に見せただけであり真理そのものではない。「まこと」をつかさどる世界は凡そ不可視である。


錯覚を捨てねば「まねる」ことはできても「まなぶ」ことはできない。この世の霧が晴れるまで、ひたすらまなぶことにつとめてはどうか。
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彼岸花さん

こんにちは。
わ~い!私、全問正解でしたよ!…って、喜んでる場合じゃないな。

いつもながら、時間軸も空間軸もを軽やかに行き来して、古今東西の
知を総合、駆使した鮮やかな論説に、頭を深く垂れたい想いです。
そう。『知る』ことはとても大事です。
例えば、今世界の各地で起きていること…あやみさんが奇しくも今回
クイズ形式でお問いになったようなことの本質を理解するには、まず
正確な知識がなければならない。
原発事故のことも、その本質を考えるには、やはり正確な知識が欲しい。

必ずしも大学で、でなければならないことはなく、ひとは書物からも
旅などの経験からも、また人の話からなどでも学ぶことが出来ます。
「まねぶ」ことも出来ます。
ただ、学校というところは、人間が最低限必要な知識を系統的に
教えてくれるところである。
私は学校の重要性というものを大きく買っています。
マララ・ユスフザイさんが奇しくも『教育』こそが、世界の不幸をなくしていくためにぜひとも必要なものであることを、わずか15,6歳の若さで、その不幸な経験から感得・知悉したように、この世界の貧困や飢餓や
戦争や病やあらゆる格差不平等も、『知る』ことで、その存在に対する理解も生まれる。今、多くの日本の若者が歴史にあまり関心がなく、世の中の不公正に鈍感なように見えるのも、知識がないからです。知らなければ、それらの不幸や不平等はないと同然。
学校というところは、親切に、その知識の巨大な体系のほんの入り口を、
簡易に体系化して示してくれるところです。
学校教育というものが、どれほどありがたいものか!それはマララさんのように、教育を受ける権利を享受することが出来ない者であって初めて、
奪われて初めて知ることだと思います。

ところが、日本のように誰でもが平等に中学までの基礎教育を無償で受けることが出来る国に住む人々が、なぜか、そのありがたさを感じていない。私は、中学までの教育で充分に人は、最低限の知識や思考力や分析力
統合力などを身につけることが出来ると思っています。
しかし、そのありがたさを知らない子供たちは、中学、高校、大学…さらにはその上の教育を受ける機会を持ちながら、学校での時間を無駄に過ごす…。
それは、『知』というものを、その総量で表面的、形式的に測ってしまう
大人たちの築いた教育制度の仕組みの罪でもあろうかと思います。
子供たちは、与えられた知識を分析・総合して応用したり、また、それらを自分の経験として深く内在化したりする暇もなく、その表面の知識をテストで測られ評価されるのみで、学年の進行と共に慌ただしく世に送り出されていってしまう。
知識は、ただ、まねぶ、学ぶだけでなく、いかにそれを自分なりに集積し、分析し、総合させて、さらにそれを自分の血肉として、心の、精神の深いところで内在化していくか、ということが大事なのだと思います。
その訓練を積んだとき初めて、ひとの目は広く開ける。
マララさんのように、その置かれた環境の不条理から、直感で本質をつかむ子もいるけれど。

日本人の私たちが普通学校で受けるのは、いわば、西欧的な学問体系による知識が多いです。だから、世界にそれ以外の地域があり、そこにはまた
西欧的価値観とは違うものの考え方や長い歴史があるということを、普段あまり考えてみない。
しかし、当初は西欧的であっても仕方がない、一応中学高校などで学んだ知識をもとにして、私達はその後、自分でいくらでも世界について学ぶことが出来ます。
ただ、…なかなか、染みついたものの見方を疑ってみることのできる人は少ない…
私なども恥ずかしいことに、9.11があって初めて、世界の実態に目を見開かれたくちです……

でも、ひとはあらゆるものから学んでいくことが出来る。
そして自分の物の見方を体系化し、時にそれを謙虚に柔軟に修正し、自分の生きていくための精神の背骨のようなものを形成していくことが出来ます。いくつになっても。

私は今、『わだつみのこえ消えることなく』という、太平洋戦争時、回天特攻隊員として死んで行った和田稔という東大生の遺書ともいえる日記をもう一度読みなおしています。一高生だった頃から、大学、そして軍隊へと、わずか数年のうちに、ただの『知の集積体』から深い洞察へ、と、一人の青年がどれほど大きな精神の転換を遂げたか、そのいたましい記録を辿っています。彼の精神は急速に成長する…。そしてその成長は、訓練中の事故死、というかたちで突然断たれます。

そのような理不尽は、この世で今もどれほど広範に行われていることでしょう!そしてこれからもまた、行われていくのでしょう…

あやみさん。素晴らしい記事をいつもありがとうございます!


  • URL
  • 2013/11/12 19:19
  • Edit

あやみ

彼岸花さん お久しぶりです。お風邪だとブログにありましたが、好くなったでしょうか?

ご回答ありがとうございました(笑)。
トルコの近隣国にも教育をうける機会に恵まれない層はたくさん存在します。そしてその惨状も肌で感じています。しかし、教育を受けられなかった人たちに「無体」をおこなう知識層の存在はさらに大きな問題です。被害者と加害者を分岐するものが知識なのかと悩んでしまいます。

ここ最近の記事はすべて西洋の傲慢と強欲についてです。西洋の方針に従わないものは「しね」と言わんばかりで、さらの悲しいことにそれは疑う余地のない常識として浸透しています。

>当初は西欧的であっても仕方がない、一応中学高校などで学んだ知識をもとにして、私達はその後、自分でいくらでも世界について学ぶことが出来ます。

それはある意味で不可欠と感じています。たとえば歴史。学校のインチキ授業でも網羅しておかなければ道に迷います。たとえインチキでもあとでまなび直すときの叩き台にはなるでしょう。しかし、それではあまりに不健康というか、なぜそんなことが強いられているのか考えなければなりません。


「知」は物質ではありません。これに得点をつけて計量しようとすることがそもそもおかしいのです。おなじく非物質である「思いやり」や「努力」を計量することは侮蔑の対象になってもなぜか「知」だけは計量することが罷り通ります。計量とは物質化であります。これは教育制度の失敗などではなく、デカルトやマルテスの論理を用いて物質崇拝の世界を完成させた近代主義者たちの意図によるものです。彼らは狡猾であり「自由」「人権」「正義」などの耳に心地よい言葉を巧みに使い民衆の支援を長年にわたって勝ち得てきましたが、もう限界でしょう。そんなものは西洋の行動には一度も存在したことはないのです。だから、彼らから押し付けられたものを頭から疑う必要があるのです。出なければ理不尽を次世代に押し付けることになります。

大学を無試験にするとどうなるか。大学の権威は地に落ちるでしょう。権威という利用価値がなくなるわけですから学生は減りますが、本当に学びたい者と本当に教えたいものの集う場所となります。学会や官僚は頭から湯気を出して反対するでしょうが知ったことではありません。国の行く末を考えるならば、国が国としてやるべきことの筆頭であると考えます。

またよろしくお願いします。お大事に。
  • URL
  • 2013/11/13 06:00

甲辰

素晴らしいです。

本当に勉強になります。

学習 とはまさにこの事ですね。
  • URL
  • 2013/11/13 12:04

あやみ

おひさしぶりです!お元気でしょうか?

おことば、ありがたく頂戴します。
  • URL
  • 2013/11/14 07:51

ワタン

今回は日本語の話ですね。<まなぶ>のことは、よくわかります。

日本の語源学は、いささか、あぶないやうなのですが、<かんがへる>(かむかふ)はどうでせうか。
<か>は接頭辞、本体は<むかふ>とわたしは思つてきました。<かんがへる>とは、モノやヒトに向かふ、体面する、対決することだと。もつとひろげて、自然や宇宙の摂理に向かひ、考へることだと。
しかし、日本人は本質的なことを考へる習性があるのか、執念があるかといふと、なさけないほどあやしいではないですか。<かんがへる>は、ほんたうに(かむかふ)なのか。

孫の名は薫(かおる)といふのですが、もちろん、歴史的かなづかひでは<かをる>で、文献初出は「万葉集」らしいのです。気(ヶ、香)をる(折)といふことになつてゐますが、これが、いまいちイメージが湧かないのです。

南島語を研究された崎山理博士(いまは定年になられたか、大阪の国立民族学博物館の教授であつた)によると、オーストララシアの古代人やアメリカ大陸の先住民が農耕栽培につかつた「堀棒」を意味する南島語のSWAN が日本語の<すゑる(据)>の語源ではないかといふことで、わたしは衝撃をうけたのです。<すゑる><うゑる(植)>、<ゐる(居)><をる(居)>すべてワ行活用のSWAN と同じW音をもつたコトバです。「堀棒」をつかつて、タロ芋・サトイモなどを栽培したのは縄文後期か晩期のことと推定されます。焼畑農耕も最近までおこなはれてゐました(熊本あたりで、NHKTVによる)。

「歴史的かなづかひ」を尊重しなければならないゆゑんだとおもふのです。
  • URL
  • 2013/11/24 05:27

あやみ

ワタンさま おことばありがとうございます。

><かんがへる>とは、モノやヒトに向かふ、体面する、対決することだと。もつとひろげて、自然や宇宙の摂理に向かひ、考へることだと。

本当におっしゃるとおりです。
「かんがえる」はかなり新しい日本語です。一番近い語源は「かんがむ-鑑む」で、手本を見つめてそれに近づこうと勤めること、つまり「まなぶ」と同じことであります。偉そうにふんぞり返っていては手本となるものを見つめることはできません。腰を低く構えて「かがむ-屈む」ことが大事で、これが「鑑む」の語源です。路傍の石や草の種をも軽んずることなく低頭して見つめてきたのがわれわれの先祖です。必ずやその奥にある大宇宙と対話していたことでしょう。
「かがみ-鏡、鑑」は人が屈んで水面にうつる自分の顔を見たことから発生した名詞です。しかしそれはただの顔ではなく、その表情の奥の光や影がにじみ出たものであった筈です。シャーマンは自分の顔を媒体に「うけひ」を行いました。
自然の摂理を司る存在を「かみ」と呼んでいたとすれば「かむかふ」は「神向かふ」になるとおもいます。古語辞典にはありませんが、消えていった言葉がたくさんあることを考えれば「鑑む」の同義語として存在したのかもしれませんね。

今の日本ではそんなことはおとぎ話です。他人の脳みそを借りて話をするのがやっとです。

「か」行音が接頭語として働くときは「神」「気」「奇」などの霊的な意味を持つことが多く見られます。「かをる-薫」の「か」もおそらく同様です。
ワタンさまがしっくりとしないところは「折る」という動詞の持ち合わせる「罪の意識」ではないでしょうか。たとえ一輪の花でさえ手折ることに躊躇するのが日本人です。ならば「気」というものを手折ったりしようとするでしょうか。「かをる」とは何か霊的なものがそこから沸き立つ、つまり「ゐる(をる)」ことを描写したことばであり、嗅覚にのみ訴えるものではなかったようです。

長くなってしまいました。日本語の話は尽きませんね。
  • URL
  • 2013/11/26 06:54

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Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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