これでもアサドが好きですか?
アラブの春は情報戦争と化してしまった。とくにシリアは大国による二重、三重の情報操作に撹乱されたソーシャルメディアの利用者が趣味や娯楽と履き違えた論評を好き勝手に行い続けるのをよそに泥沼、いや血の海と成り果てた。
各国政府と大手メディア、人権団体と国連等国際機関の評価はアサドを断罪する動向、逆に市民の意思を代弁する(かのように誤解されている)ソーシャルメディアはアサドを支持している。
混乱を避けるために先に結論から書けば、この極悪非道の頂点にいるのは国際社会である。アサドは実行犯であり、国連やEUは悪事の黒幕の中に座していながらアサドを独裁者として非難している。国際社会とメディアの欺瞞に辟易している世界市民はマスコミに騙されるものかとの思いから逆説的にアサド擁護に走った。市民は「敵の敵は味方」という短絡した理論に嵌まったといえる。
裏の裏が表であるのはオセロ板の上の定石でしかない、そんな単純なことが解らなくなるほど人の心が摩滅していると、そう思わざるを得ない。
以前から「阿修羅」という投稿掲示板にこのブログの記事を投稿している。そこには「政治板」「原発板」など多くの選択肢がありどこに投稿するかを記事の内容によって選ぶのだが、筆者はめんどうくさいのでいつも「雑談板」にお世話になることにしている。でもたまに「戦争板」に投稿したりする。
上に記したことを指摘するため短い記事をブログに書かずに直接戦争板に投稿した。内容は、内戦の続くシリアでこの20日、国防軍の軍属の一人がアサドによる市民への非道を写真とともに告発したことについてである。その投稿文と映像のリンクを以下に転載する。続けてその投稿に寄せられた質問と意見への筆者の回答を、煩雑にならぬよう質問文は省略し細切れの回答文を編集し載せるものとする。
ただ、映像はやむなく添付したものであり、なるべくなら見ないことをお勧めしたい。残忍なものであるし、こういうものを見慣れてしまうことは確実に人間性を浪費させるからである。
これでもアサドが好きですか?
http://www.youtube.com/watch?v=c0S6rG6pelA
この罪悪を許すか許さないかは神の領域であり、人は関与できない。
しかし看過することは罪悪への供与であり、加担であり、同罪である。
日本ではなぜかシリアの殺人鬼バシャル・アサドの人気が高い。
それはアメリカへの敵意、イランへの同情心、プーチンへの憧れが入り混じることでおこる混迷であることを指摘した上で、日本人が陥った落とし穴であることを断言する。
この写真はシリアの従軍警察官の撮影した、シリア国防軍による拷問と飢餓により死亡したシリア市民である。罪の意識に耐え切れずに二年間にわたり写真を海外に流出させ保存したものであると報道されている。保存先は国連関連の研究所であり、当然国連の目にも二年前から触れていたことになる。
合成写真かどうか、好きなだけ議論するがいい。
反政府軍の自作自演であるかどうかを好きなだけ詮索するがいい。
反政府軍が空軍機で村を、町を爆撃できるかどうかを気の済むまで討論すればいい。
それでもアサドがすきですか?
------------------------------------------------------------
コメントありがとうございます。すべてにお答えできるよう、少々長くなりますがひとコマで書かせていただきます。
まず「アサドが好きですか?」という題ですが。
シリア問題に限らず中東問題に関しては日本はあまりに情報不足で、なにより石油の輸入以外にはほとんど無関係の地域での事件であるために事実を知る必要さえないのが現状です。しかし非道に対する怒りは当然存在し、そこで前に出るのは近代主義的な(西欧的な)正義感・倫理観による短絡した判断と経済先行型理論で、いくら中東情勢評論家たちが分析の真似事をしてどっちが正しい正しくないと書きたてようと、そこから生まれるのは結局「好きか・好きでないか」という程度の幼稚な議論です。「アサドが好きですか?」とやや恣意的な言葉を使ったのはそれに対する問題提起です。
アルカイダはイスラム原理主義とは何の関係もありません。ゴロツキどもを集めて銃を与え「神は偉大なり」と叫ばせているだけです。
原理主義とは危険思想保持者という意味で使われがちですが、本来「原形」という意味です。イスラム原理主義とは預言者ムハンマドの時代のイスラームであり、スンニもシーアも教義の上では差異はありませんでした。シーア派が定着した地域、古代ペルシアの多神教の土壌が後のシーア派の体質を創りました。
シリア内戦にあまり宗教色はありません。シーア・スンニの対立はあくまでイスラームの荒廃を狙う欧米の画策です。信仰とイデオロギーを取り違えた場合こういう罠にかかります。
アルカイダの存在理由など私が書くまでもありませんが、要はアルカイダの行動が確認された地域には米軍が、国連軍が、NATO軍が侵攻する権利が発生してしまうわけです。こんな便利な組織があるでしょうか。
シリアに欧米が攻撃できなかった理由は、トルコのエルドアン首相が空爆を阻止するため徹底的に反対したからです。トルコが陸軍を出すから空爆するな、と。こうして欧米多国籍軍による無人爆撃機の無差別攻撃は出る幕を失いトルコも陸軍を出せなくなりました。陸軍が出ることで内情が表沙汰になると困るのは虐殺を繰り返すアサド、そして黒幕の欧米です。
アサドの父、ハフィズ・アサドはソ連に教育・援助された独裁者です。クーデター、検閲、拷問、虐殺に関する技術をソ連から授与されました。そして一方で英国と繋がり立場を強化し世俗国家シリアを独裁しました。それに反抗するムスリム同朋団を一掃するために1982年、父アサドは暴動を扇動し数万人の自国民を虐殺しました。それ以来のシリアは緩い世俗国家として国民は比較的「自由」に生きてきましたがその実は厳しい監視・密告・情報規制社会に怯えていました。政府批判をしようものなら即投獄です。アサドが国民の支持を受けているという解釈はここに根源を持ちます。支持者とはアサドが怖くて批判が出来ないか、イスラームを捨てて自由享楽に浸って生きることを選んだかのどちらかです。
アサドを支持するかしないかはシリア国民が決めること、そのとおりです。しかしこれは内戦が始まる前までの話です。逮捕者に食料を与えず、拷問を加え、餓死するまで放置する。この手口を看過するか、しないかはシリアだけの問題ではありません。
リビアの春がシリアに飛び火したのはアルカイダの工作です。もちろんアサド政権も反政府組織のあぶり出しの好機として喜んで活用しました。地下活動を続けていたムスリム同朋団とそれに近い組織は否応なく決起します。そこへ、近隣国の支援を得たゲリラ組織が蝿のようにたかり出し内戦と化しました。反政府ゲリラを捕まえてみたら外国人の傭兵だったなどの理由はこのあたりで、これがアサド政権を正当化するために利用されています。
昨年のいわゆるトルコの春はエルドアン政権を憎む欧米の画策でしたが失敗に終わりました。失敗の理由はいろいろありますが、一番はエルドアン首相の背筋が曲がっていないこと、そしてトルコ国民の愚民化がまだ足りなかったこと、欧米の手先の野党があまりに無能だったことが挙げられます。
エルドアン首相はシリア国民を援護し、難民を数十万人トルコに受け入れ、またトルコの非政府組織も物資の供給などの援助を繰り返しています。ただしシリアとは800キロの国境線を共有しており自国民をアサド政権およびその息のかかったゲリラから守る義務から防衛活動も当然行います。それを指して「トルコとシリアは戦争状態」というのはあまりにぬるい表現としか言えません。日本はそんなに平和なのですか?
アサドの抱える国防軍が攻撃しているのは罪のない市民です。イスラエルがゴラン高原に侵攻した際に土地を失ったパレスチナ難民がシリアにおり、彼らも攻撃の的になり、食料が届かず、骨と皮だけになって死んでいった子供たちが大勢います。転載した映像も、その対象となったのは一人や二人ではなく一万一千人であり今この瞬間も虐待が続いています。これがシリアの春といわれるものです。
欧米主導の新世界体制が築かれているのは中東も極東も同じです。中東は対岸の火事ではありません。
アサドと国が一丸となってシオニストと戦わなければならないときに自国の力を減らし、自国民を殺して何のメリットがあるのかという問いについてお答えします。
まず、アサドはシリア人でありイスラム教徒という建前ですが、彼はイスラームに対する敬意も信仰心も少しも持ち合わせていません。またシリアという国、そして国民は私物として認識しています。アサド自身がシオニストであるかどうかは確認のしようがありません。が、おそらくそうでないとしてもシオニストたちの画策に加担し中東での権威拡大の好機を狙って漁夫の利を得ようとしていることは確かです。シオニストたちはイスラームの崩壊を切望しています。しかし信仰心のないアサドにしてみればそれはどうでもいいことです。中東は国という枠組みでは何一つ動きません。
アサド側の国防軍は市民ではありません。アサドの命令でいかなる行動でもとるように訓練されています。シーア・アレヴィー派であるという(教義ではなくあくまで)血縁的な縛りもあります。また特権階級であり一般市民のことは動物同様に考えています。
皆様の最大の誤解を指摘させていただきます。
反政府軍は反政府連合ではありません。それぞれ意識の違う小さなゲリラの複数形でしかなく、共謀も同盟もありません。数の上で一番多いのはアルカイダに代表されるプロパガンダ組織であり、無差別な破壊行為を行いその映像がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、「アサドの愛する国家と国民」が外国勢力から無体な攻撃を受けているとのプロパガンダを信じ込んだ人々がアサド擁護をしています。あなたのことです。
また、一般市民はただの巻き添えであり反政府組織との混同は厳禁です。政府軍の空軍機からの爆撃により市街は壊滅し生活基盤を失い、救援もなく、彼らはただ飢えに苦しみ餓死と背中合わせで暮らしています。
「アッラーフ・アクバル=神は偉大なり」はアラブ系の人々の一日のうちでもっとも多用する言葉です。いいにつけ、悪いにつけ、とにかくこの声を発します。映像の中で反政府軍がアッラーフ・アクバルとしか発していない(ように聞こえる)のは非シリア人であるために言葉がわからないからではありません。シリア人の言語はアラビア語であり、中東の殆どの人種が使うのがこのアラビア語であり、たとえばリビアから、チュニジアから、サウジから流れ込んだプロパガンダ組織のゴロツキどもも信仰心とは無関係にアッラーフ・アクバルといい続けます。もちろんイスラム教徒の残忍さを強調するために「アッラー」と叫びながら暴行を繰り返す映像を意図的に撮影したでしょうし、実際流通しています。逆に政府軍と見られる男が市民の頭に銃をつきつけアサドの肖像に接吻させる映像もあります。なんでそんなものわざわざ撮影してソーシャルメディアに流すか考えれば簡単です。情報戦争において映像は撹乱でしかないということを皆が気づくべきです。
反政府軍に子供を殺され政府軍に助けをを求めるという女性のアラビア語と字幕の英語や日本語との整合性を考えたことがおありでしょうか?
米国という国は国家予算を投じて映像技術やマインドコントロールや集団煽動術を研究していることをお忘れなく。
シリア軍に限らず、どの国の軍部にも反政府体制が潜んでいるのが普通です。それに発破をかけるのは海外からの協力者です。また、世界の多くの軍国政府は自国の軍部を制御するのに手を焼いていますが、こうした造反を反政府的思想保持者を一掃する好機として使うことがよくあります。自由シリア軍は国防軍からの離反者たちが結成しましたが、その時期は欧米がリビアに介入し終結に向かった頃です。「アラブの春」自体が西欧の画策した中東新体制構築の一環であることを考えれば自由シリア軍の結成もまた西欧が一枚も二枚も噛んでいたことの現われです。
自由シリア軍の構成員の信条(愛国心・信仰心)とその結束力はどれほど硬いものかは疑問です。アサドが離反者を許すなどということは皆無です。
シリアの惨状は昨日今日の話ではありません。そして国際社会はそれをを「知っていた」のです。少なくとも、写真流失がはじまったとされる二年前からこの拷問、餓死、遺体への辱めの事実は国連をはじめとする国際機関は知っていながら見ない不利をしているのです。国連が人道と国際平和のために作られた機関であるなどということをいまさら信じる人もいませんが、この社会は写真等物的証拠とそれを審議する司法機関、そしてそれにお墨付きを与える国連の縛りから抜け出せないのです。そして国連をはじめとする国際的に法権威を持つ機関は英米イスラエルの手にあります。
写真を撮影させたのはアサドです。流出させたのもアサドかも知れません。逆らえばこうなる、との暗喩かもしれません。
アフリカで飢餓に苦しむ子供たちの写真は見慣れてしまいました。こうして拷問死したイスラム教徒の写真も見慣れてゆくでしょう。ソーシャルメディアを通して共有される画像は捏造であろうとなかろうとその残忍さだけは変わりません。そうして国際社会は残虐・非道に「不感症」になり行くでしょう。もっと近いところでこの非道を目の当たりにしても正視できてしまうでしょう。しかし人間ですから潜在意識の中に恐怖は残ります。その恐怖心を刺激されることで、われわれはより制御されやすくなるでしょう。
しかしその状況から目を背けることはもう不可能です。心して見るべきだということを申し上げる次第です。
化学兵器は何だったのか。化学兵器は使用され、市民が被害を受け、国際社会が騒ぎ立て、化学兵器は残忍だが普通の爆弾は残忍ではないのかという議論には決してならず、他国が処理費用を負担してアサドがその費用を丸儲けしました。
国民も国の行く末も糞食らえで、国家シリアとしての権威拡大などは鼻から眼中になどないでしょう。アサドがシリアという国を母国とも何だとも意識してないからです。アサドは新世界体制というものに意識を移し、つまり中東一帯の地図は西欧の手によって一新され、その舞台の上で何らかのおこぼれ(=漁夫の利)を頂戴するぐらいしか考えていないでしょう。ロシアと組んで起死回生を狙っているとは考えにくいです。
子供を失った母親ほど不幸な存在はないでしょう。それにあれこれ注釈をつけるのは私自身も気が引けますが、その心理も利用されています。映像班は必ず母親を利用するのです。ただ例の母親は間違いなくアサド支持層の裕福な世俗家庭の女性です。それ以外は何も申せません。
カダフィーは見せしめお為に殺されました。彼は元は英国のエージェントでありそこはアサドと似ています。カダフィーの場合とちゅうで覚醒して国家主義に転換したためにああいった最後を遂げました。アサドも英国で養育を受けています。
シリア転覆を狙い行動を起こしている組織の多くはのはシリアの明日のために戦っているわけではありません。それぞれの利益のため、あるいは傭兵としてです。ただその中にイスラム同胞団のように強固な信条の元に戦う集団もあるので、それが事を複雑にしてしまっているのが現状です。
「アラブの春」の指揮者である西欧は混沌を、そしてその混沌の末に西欧主導の新体制を築くことを求めています。アサドがどうのといっている場合ではないのです。
BBCやCNNしか情報源がないのであればいっそ見ないほうがよいでしょう。
「信用にたりる情報源」、そんなものはどこにもないのかもしれません。昨日まで全うな報道をしていた局が明日にはひそかに買収されることなど日常茶飯事になりました。さらにソーシャルメディアなどは自分に似た意見の持ち主との馴れ合いの場であり、さらに実は電網の持ち主である英米に洗脳されるための道具でしかないことを、私はもうずいぶん前から指摘しています。
質問をいただいた、「詳しいブログ」などというものも所詮は執筆者の主観の範囲を出ませんし、私の意見もその一つに過ぎません。私の意見が絶対正しいなどとも申して降りませんし、それは誰にもできないことです。
事実を知り得るのはもはや神のみです。しかし皆さん、どうか事件の行間を読む訓練をなさってください。目の前に突きつけられた映像も、写真も、その裏にはあらゆる意図が隠れています。異なる情報をいくつか並べてみれば、運がよければ何かがわかるかもしれません。そのためには偏見や利己を捨てていかなければなりません。今のままではみすみすメディアの食い物になり新世界体制の歯車にされるのが関の山、次世代にひどい世界しか残せないことになります。それを食い止める必要があると主張しているのです。
次元の低いコメント応酬はまだ続いている。http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/371.html
各国政府と大手メディア、人権団体と国連等国際機関の評価はアサドを断罪する動向、逆に市民の意思を代弁する(かのように誤解されている)ソーシャルメディアはアサドを支持している。
混乱を避けるために先に結論から書けば、この極悪非道の頂点にいるのは国際社会である。アサドは実行犯であり、国連やEUは悪事の黒幕の中に座していながらアサドを独裁者として非難している。国際社会とメディアの欺瞞に辟易している世界市民はマスコミに騙されるものかとの思いから逆説的にアサド擁護に走った。市民は「敵の敵は味方」という短絡した理論に嵌まったといえる。
裏の裏が表であるのはオセロ板の上の定石でしかない、そんな単純なことが解らなくなるほど人の心が摩滅していると、そう思わざるを得ない。
以前から「阿修羅」という投稿掲示板にこのブログの記事を投稿している。そこには「政治板」「原発板」など多くの選択肢がありどこに投稿するかを記事の内容によって選ぶのだが、筆者はめんどうくさいのでいつも「雑談板」にお世話になることにしている。でもたまに「戦争板」に投稿したりする。
上に記したことを指摘するため短い記事をブログに書かずに直接戦争板に投稿した。内容は、内戦の続くシリアでこの20日、国防軍の軍属の一人がアサドによる市民への非道を写真とともに告発したことについてである。その投稿文と映像のリンクを以下に転載する。続けてその投稿に寄せられた質問と意見への筆者の回答を、煩雑にならぬよう質問文は省略し細切れの回答文を編集し載せるものとする。
ただ、映像はやむなく添付したものであり、なるべくなら見ないことをお勧めしたい。残忍なものであるし、こういうものを見慣れてしまうことは確実に人間性を浪費させるからである。
これでもアサドが好きですか?
http://www.youtube.com/watch?v=c0S6rG6pelA
この罪悪を許すか許さないかは神の領域であり、人は関与できない。
しかし看過することは罪悪への供与であり、加担であり、同罪である。
日本ではなぜかシリアの殺人鬼バシャル・アサドの人気が高い。
それはアメリカへの敵意、イランへの同情心、プーチンへの憧れが入り混じることでおこる混迷であることを指摘した上で、日本人が陥った落とし穴であることを断言する。
この写真はシリアの従軍警察官の撮影した、シリア国防軍による拷問と飢餓により死亡したシリア市民である。罪の意識に耐え切れずに二年間にわたり写真を海外に流出させ保存したものであると報道されている。保存先は国連関連の研究所であり、当然国連の目にも二年前から触れていたことになる。
合成写真かどうか、好きなだけ議論するがいい。
反政府軍の自作自演であるかどうかを好きなだけ詮索するがいい。
反政府軍が空軍機で村を、町を爆撃できるかどうかを気の済むまで討論すればいい。
それでもアサドがすきですか?
------------------------------------------------------------
コメントありがとうございます。すべてにお答えできるよう、少々長くなりますがひとコマで書かせていただきます。
まず「アサドが好きですか?」という題ですが。
シリア問題に限らず中東問題に関しては日本はあまりに情報不足で、なにより石油の輸入以外にはほとんど無関係の地域での事件であるために事実を知る必要さえないのが現状です。しかし非道に対する怒りは当然存在し、そこで前に出るのは近代主義的な(西欧的な)正義感・倫理観による短絡した判断と経済先行型理論で、いくら中東情勢評論家たちが分析の真似事をしてどっちが正しい正しくないと書きたてようと、そこから生まれるのは結局「好きか・好きでないか」という程度の幼稚な議論です。「アサドが好きですか?」とやや恣意的な言葉を使ったのはそれに対する問題提起です。
アルカイダはイスラム原理主義とは何の関係もありません。ゴロツキどもを集めて銃を与え「神は偉大なり」と叫ばせているだけです。
原理主義とは危険思想保持者という意味で使われがちですが、本来「原形」という意味です。イスラム原理主義とは預言者ムハンマドの時代のイスラームであり、スンニもシーアも教義の上では差異はありませんでした。シーア派が定着した地域、古代ペルシアの多神教の土壌が後のシーア派の体質を創りました。
シリア内戦にあまり宗教色はありません。シーア・スンニの対立はあくまでイスラームの荒廃を狙う欧米の画策です。信仰とイデオロギーを取り違えた場合こういう罠にかかります。
アルカイダの存在理由など私が書くまでもありませんが、要はアルカイダの行動が確認された地域には米軍が、国連軍が、NATO軍が侵攻する権利が発生してしまうわけです。こんな便利な組織があるでしょうか。
シリアに欧米が攻撃できなかった理由は、トルコのエルドアン首相が空爆を阻止するため徹底的に反対したからです。トルコが陸軍を出すから空爆するな、と。こうして欧米多国籍軍による無人爆撃機の無差別攻撃は出る幕を失いトルコも陸軍を出せなくなりました。陸軍が出ることで内情が表沙汰になると困るのは虐殺を繰り返すアサド、そして黒幕の欧米です。
アサドの父、ハフィズ・アサドはソ連に教育・援助された独裁者です。クーデター、検閲、拷問、虐殺に関する技術をソ連から授与されました。そして一方で英国と繋がり立場を強化し世俗国家シリアを独裁しました。それに反抗するムスリム同朋団を一掃するために1982年、父アサドは暴動を扇動し数万人の自国民を虐殺しました。それ以来のシリアは緩い世俗国家として国民は比較的「自由」に生きてきましたがその実は厳しい監視・密告・情報規制社会に怯えていました。政府批判をしようものなら即投獄です。アサドが国民の支持を受けているという解釈はここに根源を持ちます。支持者とはアサドが怖くて批判が出来ないか、イスラームを捨てて自由享楽に浸って生きることを選んだかのどちらかです。
アサドを支持するかしないかはシリア国民が決めること、そのとおりです。しかしこれは内戦が始まる前までの話です。逮捕者に食料を与えず、拷問を加え、餓死するまで放置する。この手口を看過するか、しないかはシリアだけの問題ではありません。
リビアの春がシリアに飛び火したのはアルカイダの工作です。もちろんアサド政権も反政府組織のあぶり出しの好機として喜んで活用しました。地下活動を続けていたムスリム同朋団とそれに近い組織は否応なく決起します。そこへ、近隣国の支援を得たゲリラ組織が蝿のようにたかり出し内戦と化しました。反政府ゲリラを捕まえてみたら外国人の傭兵だったなどの理由はこのあたりで、これがアサド政権を正当化するために利用されています。
昨年のいわゆるトルコの春はエルドアン政権を憎む欧米の画策でしたが失敗に終わりました。失敗の理由はいろいろありますが、一番はエルドアン首相の背筋が曲がっていないこと、そしてトルコ国民の愚民化がまだ足りなかったこと、欧米の手先の野党があまりに無能だったことが挙げられます。
エルドアン首相はシリア国民を援護し、難民を数十万人トルコに受け入れ、またトルコの非政府組織も物資の供給などの援助を繰り返しています。ただしシリアとは800キロの国境線を共有しており自国民をアサド政権およびその息のかかったゲリラから守る義務から防衛活動も当然行います。それを指して「トルコとシリアは戦争状態」というのはあまりにぬるい表現としか言えません。日本はそんなに平和なのですか?
アサドの抱える国防軍が攻撃しているのは罪のない市民です。イスラエルがゴラン高原に侵攻した際に土地を失ったパレスチナ難民がシリアにおり、彼らも攻撃の的になり、食料が届かず、骨と皮だけになって死んでいった子供たちが大勢います。転載した映像も、その対象となったのは一人や二人ではなく一万一千人であり今この瞬間も虐待が続いています。これがシリアの春といわれるものです。
欧米主導の新世界体制が築かれているのは中東も極東も同じです。中東は対岸の火事ではありません。
アサドと国が一丸となってシオニストと戦わなければならないときに自国の力を減らし、自国民を殺して何のメリットがあるのかという問いについてお答えします。
まず、アサドはシリア人でありイスラム教徒という建前ですが、彼はイスラームに対する敬意も信仰心も少しも持ち合わせていません。またシリアという国、そして国民は私物として認識しています。アサド自身がシオニストであるかどうかは確認のしようがありません。が、おそらくそうでないとしてもシオニストたちの画策に加担し中東での権威拡大の好機を狙って漁夫の利を得ようとしていることは確かです。シオニストたちはイスラームの崩壊を切望しています。しかし信仰心のないアサドにしてみればそれはどうでもいいことです。中東は国という枠組みでは何一つ動きません。
アサド側の国防軍は市民ではありません。アサドの命令でいかなる行動でもとるように訓練されています。シーア・アレヴィー派であるという(教義ではなくあくまで)血縁的な縛りもあります。また特権階級であり一般市民のことは動物同様に考えています。
皆様の最大の誤解を指摘させていただきます。
反政府軍は反政府連合ではありません。それぞれ意識の違う小さなゲリラの複数形でしかなく、共謀も同盟もありません。数の上で一番多いのはアルカイダに代表されるプロパガンダ組織であり、無差別な破壊行為を行いその映像がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、「アサドの愛する国家と国民」が外国勢力から無体な攻撃を受けているとのプロパガンダを信じ込んだ人々がアサド擁護をしています。あなたのことです。
また、一般市民はただの巻き添えであり反政府組織との混同は厳禁です。政府軍の空軍機からの爆撃により市街は壊滅し生活基盤を失い、救援もなく、彼らはただ飢えに苦しみ餓死と背中合わせで暮らしています。
「アッラーフ・アクバル=神は偉大なり」はアラブ系の人々の一日のうちでもっとも多用する言葉です。いいにつけ、悪いにつけ、とにかくこの声を発します。映像の中で反政府軍がアッラーフ・アクバルとしか発していない(ように聞こえる)のは非シリア人であるために言葉がわからないからではありません。シリア人の言語はアラビア語であり、中東の殆どの人種が使うのがこのアラビア語であり、たとえばリビアから、チュニジアから、サウジから流れ込んだプロパガンダ組織のゴロツキどもも信仰心とは無関係にアッラーフ・アクバルといい続けます。もちろんイスラム教徒の残忍さを強調するために「アッラー」と叫びながら暴行を繰り返す映像を意図的に撮影したでしょうし、実際流通しています。逆に政府軍と見られる男が市民の頭に銃をつきつけアサドの肖像に接吻させる映像もあります。なんでそんなものわざわざ撮影してソーシャルメディアに流すか考えれば簡単です。情報戦争において映像は撹乱でしかないということを皆が気づくべきです。
反政府軍に子供を殺され政府軍に助けをを求めるという女性のアラビア語と字幕の英語や日本語との整合性を考えたことがおありでしょうか?
米国という国は国家予算を投じて映像技術やマインドコントロールや集団煽動術を研究していることをお忘れなく。
シリア軍に限らず、どの国の軍部にも反政府体制が潜んでいるのが普通です。それに発破をかけるのは海外からの協力者です。また、世界の多くの軍国政府は自国の軍部を制御するのに手を焼いていますが、こうした造反を反政府的思想保持者を一掃する好機として使うことがよくあります。自由シリア軍は国防軍からの離反者たちが結成しましたが、その時期は欧米がリビアに介入し終結に向かった頃です。「アラブの春」自体が西欧の画策した中東新体制構築の一環であることを考えれば自由シリア軍の結成もまた西欧が一枚も二枚も噛んでいたことの現われです。
自由シリア軍の構成員の信条(愛国心・信仰心)とその結束力はどれほど硬いものかは疑問です。アサドが離反者を許すなどということは皆無です。
シリアの惨状は昨日今日の話ではありません。そして国際社会はそれをを「知っていた」のです。少なくとも、写真流失がはじまったとされる二年前からこの拷問、餓死、遺体への辱めの事実は国連をはじめとする国際機関は知っていながら見ない不利をしているのです。国連が人道と国際平和のために作られた機関であるなどということをいまさら信じる人もいませんが、この社会は写真等物的証拠とそれを審議する司法機関、そしてそれにお墨付きを与える国連の縛りから抜け出せないのです。そして国連をはじめとする国際的に法権威を持つ機関は英米イスラエルの手にあります。
写真を撮影させたのはアサドです。流出させたのもアサドかも知れません。逆らえばこうなる、との暗喩かもしれません。
アフリカで飢餓に苦しむ子供たちの写真は見慣れてしまいました。こうして拷問死したイスラム教徒の写真も見慣れてゆくでしょう。ソーシャルメディアを通して共有される画像は捏造であろうとなかろうとその残忍さだけは変わりません。そうして国際社会は残虐・非道に「不感症」になり行くでしょう。もっと近いところでこの非道を目の当たりにしても正視できてしまうでしょう。しかし人間ですから潜在意識の中に恐怖は残ります。その恐怖心を刺激されることで、われわれはより制御されやすくなるでしょう。
しかしその状況から目を背けることはもう不可能です。心して見るべきだということを申し上げる次第です。
化学兵器は何だったのか。化学兵器は使用され、市民が被害を受け、国際社会が騒ぎ立て、化学兵器は残忍だが普通の爆弾は残忍ではないのかという議論には決してならず、他国が処理費用を負担してアサドがその費用を丸儲けしました。
国民も国の行く末も糞食らえで、国家シリアとしての権威拡大などは鼻から眼中になどないでしょう。アサドがシリアという国を母国とも何だとも意識してないからです。アサドは新世界体制というものに意識を移し、つまり中東一帯の地図は西欧の手によって一新され、その舞台の上で何らかのおこぼれ(=漁夫の利)を頂戴するぐらいしか考えていないでしょう。ロシアと組んで起死回生を狙っているとは考えにくいです。
子供を失った母親ほど不幸な存在はないでしょう。それにあれこれ注釈をつけるのは私自身も気が引けますが、その心理も利用されています。映像班は必ず母親を利用するのです。ただ例の母親は間違いなくアサド支持層の裕福な世俗家庭の女性です。それ以外は何も申せません。
カダフィーは見せしめお為に殺されました。彼は元は英国のエージェントでありそこはアサドと似ています。カダフィーの場合とちゅうで覚醒して国家主義に転換したためにああいった最後を遂げました。アサドも英国で養育を受けています。
シリア転覆を狙い行動を起こしている組織の多くはのはシリアの明日のために戦っているわけではありません。それぞれの利益のため、あるいは傭兵としてです。ただその中にイスラム同胞団のように強固な信条の元に戦う集団もあるので、それが事を複雑にしてしまっているのが現状です。
「アラブの春」の指揮者である西欧は混沌を、そしてその混沌の末に西欧主導の新体制を築くことを求めています。アサドがどうのといっている場合ではないのです。
BBCやCNNしか情報源がないのであればいっそ見ないほうがよいでしょう。
「信用にたりる情報源」、そんなものはどこにもないのかもしれません。昨日まで全うな報道をしていた局が明日にはひそかに買収されることなど日常茶飯事になりました。さらにソーシャルメディアなどは自分に似た意見の持ち主との馴れ合いの場であり、さらに実は電網の持ち主である英米に洗脳されるための道具でしかないことを、私はもうずいぶん前から指摘しています。
質問をいただいた、「詳しいブログ」などというものも所詮は執筆者の主観の範囲を出ませんし、私の意見もその一つに過ぎません。私の意見が絶対正しいなどとも申して降りませんし、それは誰にもできないことです。
事実を知り得るのはもはや神のみです。しかし皆さん、どうか事件の行間を読む訓練をなさってください。目の前に突きつけられた映像も、写真も、その裏にはあらゆる意図が隠れています。異なる情報をいくつか並べてみれば、運がよければ何かがわかるかもしれません。そのためには偏見や利己を捨てていかなければなりません。今のままではみすみすメディアの食い物になり新世界体制の歯車にされるのが関の山、次世代にひどい世界しか残せないことになります。それを食い止める必要があると主張しているのです。
次元の低いコメント応酬はまだ続いている。http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/371.html
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