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ローマ法王狙撃事件の証人 (4)

  • 2010/02/04 00:30
  • よりわけ: 世界
そもそも背景に何があったのか。一言で言ってしまえばそれは「冷戦」だ。
世界を東と西に、いや左と右に二分して争わせることに血道をあげた輩が、その混沌(カオス)を持続するために
絶え間なく繰り広げたテロ行為の数々は列記すればキリがない。この法王狙撃事件もそのひとつだ。

二つの勢力の抗争を長続きさせるためには「力のバランス」に留意せねばなるまい。
将棋にしてもチェスにしても互角の者同士の勝負は時間がかかる。
が、どちらかが過分に優勢になればそこで決着がついてしまう。それは是非とも避けたいところであった。

経済的にある程度の成功を遂げている国に対しあらゆる娯楽文化と麻薬をばら撒くことで国の内側を腐らせ、
さらには受験戦争や不倫。伝染病などを煽って国民の関心を政治から遠ざける。そうでない国に対しては、
先ず十分に虐げておいてから武器を握らせて「革命家」という名のテロリストを養成する。
テロを起し、その報復をさせ、双方を仇敵とする認識は益々強まる。和平を叫ぶものは消す。
これが冷戦の仕掛け人たちの常套手段である。人の風上にも置けたものではない。

アージャの供述では、イペクチに向かって放った銃弾は4ないし5発ということだ。だが現場には
9発の銃弾が残されていた。これはアージャが仕損じることを想定した第二の狙撃手の存在を示すものである。
イペクチの口を確実にふさぐこと、そしてアージャを実行犯として入獄させることが第一幕の筋書きだ。

イペクチ狙撃を仕組んだ軍部はアージャを逮捕させ、アージャの素性を「精神疾患のある右翼系のヤクザ者」と公表さた。
その男が左派のジャーナリストに天誅を加えたという形で事件を済ませるはずであったのか
ほとぼりの冷めた頃にアージャの口をも封じるつもりであったのかは分からないが、
ある時アージャのさらなる利用価値を見出し、もう一度銃を握らせる手筈を整えたことは確かである。

1979.11.23、アージャを脱獄させたのは先の「第二の狙撃手」であった。すべては軍部の茶番である。
メフメット・アリ・アージャはトルコを後にし陸路ブルガリアへ入った。

続く
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ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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