“ことば”はここ数年の私にとって、いちばん大きな命題かもしれない。
日常で殆ど日本語を話さずにいる。しかし、トルコ語で生活しながらも脳は母国語で配線されているので
思考そのものは生まれ育った国のことばでなされており、日本のことばをまるで使っていない訳ではない。
流行りの表現をすれば脳内言語とでも言うのだろうか、これは。
たとえばここである花が咲いている。
トルコ語でOrtanca(オルタンジャ)という花。
おそらく、あじさいその時「あ、あじさいに似ている」という心の中のつぶやきは正しく日本のことばで、
「日本にはあじさいという、これに良く似た花がある」
という意味合いのトルコ語を発するための下敷きとなる。
わがくにのことばは、うつくしい
いま日本で使われる言語は醜悪といえる。でもあれは日本語じゃないと思えばさして気にならない。
生活の様式が変ればそれを表現することばも当然変化するのだ。こんな言い方は乱暴かもしれないが、
ことばとは常にその姿を変え続ける‘生き物’であり、○○語という名前はその語が滅びて千年ぐらい経ってから
付ければよいと思う。
なくなり行くことばの、遠くない過去と今日の間で例を挙げれば「豆腐や」が分かりやすい。
いま豆腐が入用になったとき(豆腐を買いにいかされたとき)どこへ行くべきか、
よっぽどの事がないかぎりスーパーへ行く。
だが遅くとも筆者の子供時分までは豆腐と練り物のみを商う「豆腐や」があったのだ。早朝から仕込みをはじめ、
家々が朝食の仕度を始める頃には店を開けていた。木製で内側にトタンをはった大きな槽は二つに仕切られ水を湛え、
絹ごしと木綿ごしが別々に入れられていた。豆腐を一丁買うために家から桶をもって走ってゆく。
薄暗い店先、湿り気、あの大豆特有のふくねたようなにおい,これが「豆腐や」のことばの持つ世界。
豆腐の販売形態が変った今、その言葉は記憶に封印され、記憶する人々がこの世から去るとともに消えるであろう。
ただし文献には食習慣・商業事情の資料として残る。が、これはツタンカーメンのミイラ同様、
歴史を物語る展示物でありえても生きたものではない。
豆腐やに限らずその職業が時代と共に変化あるいは消滅したがために存在しなくなったことばは多い。
「箍(たが)や」、「鋳掛や」などの生活用具の修理ではもはや稼ぎにならないし、
「金物や」「竿竹や」もホームセンターに吸収されてしまったようなものだ。
布団が煎餅になったら「布団や」で「打ち直し」すれば新品同様になることも、
着物が汚れれば「洗い張り」に出すことも、もはや知らない人のほうが多いのではなかろうか。
生活のかたちが変ればそれを語ることばも当然かわるのだ。
育っては老いてゆく人の一生と変わりない。
つづく
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