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脱原発と江戸の明け暮れ考「食の巻」

「原発をなくしてしまっては生活の質が落ちる、江戸時代に戻れとでもいうのか」

こんな声が耳につく。江戸のえの字も知らない輩がどう騒ごうと説得力はない。もとより今の暮らしの尋常でなさに気づかぬ上は過去の考察などおぼつかぬ筈だ。
ともあれ江戸と言う言葉が出たからには、江戸の明け暮れを覗くことで電気仕掛けの今の生活を顧みるいい機会ではないかと思う。前回の「衣の巻」に続き今と江戸時代の「食」を見比べてみたい。


食――途方もなくかけ離れてしまった江戸と今の食生活を、いったいどのように比較していいかたいそう悩んだ。なにしろ中央と地方、また260年間の江戸時代の初めと終わりでは大きな開きがある。さらに身分の差をも勘定に入れると「江戸時代の平均的な食生活」なるものは何の目安にもなりえない。そこで町人、農民、はたまた公方様、この時代に生きたすべての人々に共通して言えることを選んで書いてみたい。

まずひとつめに、口には旬のものと保存食以外は入らなかったことを挙げよう。なにせ冷蔵庫やビニルハウス栽培、ましてや地球の裏側からの空輸などが当然なかった時代である。

海で水揚げされた魚貝をその日のうちに食べられるのは海に近い地域のみで内陸や山間部に輸送されるのはワタをだして塩漬けにしたものか干物であった。江戸の場合は日本橋に魚河岸が置かれ武家はもとより庶民を相手に活魚を商った。天秤棒を担いだ「棒手振り」が江戸を駆け抜け河岸と台所の間を直に取り持っていた。

数ある魚介類の保存方法の中、もっとも長く保存できるものが煮干のように過熱し乾燥させたものか、鰹節のように加熱後カビにより醗酵させさらに乾燥させたものである。

その次は砂糖と醤油で炒り煮した「佃煮」だ。家康公が江戸に移った後、摂津の国(大阪)は佃(つくだ)から漁民が江戸に呼び寄せられ幕府の台所に江戸前(東京湾)の鮮魚を供し、その後庶民も利用するようになったのが日本橋魚河岸である。隅田川の河口にに新たに島を築いて漁民たちを住まわせ、その島の名は彼らの故郷に因んで「佃島」とされた。網にはかかるが売りにくい小魚を甘辛く煮て保存食に仕立てたものを「佃煮」と呼び、濃い口好みの江戸の味のひとつとなった。

そして、切り身を塩や酢や醤油や味噌、または米や粕に漬けて腐敗を妨げるか醗酵させる方法で短い間保存するもの、または開いてはらわたを取り去って塩をし、天日で干した「ひもの」が挙げられる。これらは固定店舗である「魚屋」によって主に商われていた。

鮪の脂身、いわゆる「トロ」は腐りやすいだけでなく脂が強すぎて「煮ても焼いても食えねえ」と好まれなかった。近郷の農家がハラワタや骨と一緒に肥料として引き取っていたという。勿体ないが、そのころの食糧事情からみてもあまりに濃厚な脂の味は嫌がられて当然かもしれない。


大江戸とよばれたのはほぼ山手線の内側あたりと考えてよい。その外は農村であり、鮮魚以外の生鮮品はすべてこの近郷農家から手に入れていた。採れたての野菜が毎日運ばれてきた。したがって旬のものしか手に入らない。では農閑期の冬から早春にかけては何を食べていたのか。ここでも魚介類同様、漬けるか、干す。
柿、大根、にんじん、かんぴょう、山菜、昆布、椎茸,みかんの皮、芋、栗、豆…収穫したあとも干して保存できるものは何でも干した。冬、乳幼児は日光に当たる機会がおのずと少なくなるが、天日にさらして乾燥させ日光からビタミンDを蓄えた椎茸を子供、あるいは母乳を出す母親か摂ることで日照不足による疾患を防ぐことができる。生野菜のない冬場のビタミンCは干し芋、干し大根、大豆を発芽させたモヤシでじゅうぶん補うことが出来た。

大豆は一旦乾燥させたあとは一年をとおして蛋白質を安定供給できる重要な作物だ。味噌、豆腐、納豆は季節を問わず庶民の口に入る基本の食材である。
ちなみに大豆、小豆、昆布などの乾物や酒、醤油をはじめとする醸造品は全国から大阪に集められてから各地へと取引された。日本中の特産物がくまなく流通していたことになる。

青菜はもちろん根菜や今では捨てている根菜の葉を漬物として保存した。塩水に漬けてもビタミンは破壊されない上、寒ざらしにして萎びさせてから漬けるので栄養は凝縮される。とくに糠漬けの場合は野菜本来の味と栄養だけでなく、糠、海草、魚のアラ、鷹の爪、古釘などの添加物が作用して野菜をまったく別の発酵食品として生まれ変わらせる。江戸では庶民までが白米を食べていたが、結果招いたのが脚気の蔓延であった。「江戸患い」とも呼ばれた脚気の原因は玄米から糠を取り去ることで起こるビタミンB1不足である。糠漬けと味噌などの大豆製品を食することで脚気は防ぐことはできたであろうが、糠漬けを「糠臭え」といい好まなかった裕福層は庶民より脚気に悩まされることが多かった。その後、鈴木梅太郎が糠に注目し脚気の原因を突き止めたのは明治も終わりになる頃である。糠漬けに限らず各地にそれぞれ違う漬物がありその種類の多さは世界一である。今の日本人が漬物を食べなくなったのは食料保存の必要がなくなったことが大きな理由のひとつだが、その損失は計り知れない。

そのほか日本人と生野菜の話を過去の記事で少し触れているので是非ご一読いただきたい。

ところで、食べれば間違いなく「出る」のだが、その「出物」はどこへ行ったのか。
言わずと知れた汲み取り式の便所、汚物は下肥として農家へと運ばれた。下肥商いをする業者が汚物を思いのほか高額で買い取りさらに農家がそれを買ったのだ。こうして江戸市民の出物は水路や海を汚すことなく見事に農地へと還元された。現代でこの歯車が回らない致命傷は我々が常用する抗生物質だ。新薬は体内の菌を一掃したあとも排泄物の中で生き続けそのあとも忠実に土や海の微生物を攻撃する。残念だが現代人の下肥に下肥としての価値はない。


ふたつめに、副食にたいして主食(米、麦、その他の穀類)の割合が圧倒的に多かったことが挙げられる。

武士の給料である俸禄のひとつに扶持米(ふちまい)というものがある。自らの家族、そして家来とその家族を含む人数に対し米が支給された。そこで計算の基準になったのが男五合、女三合という一日に食べるとされる米の量だった。米五合とは今で考えればかなり食べごたえのある量である。武士、町人に関わらず一汁一菜が基本であったのであれば、また白米に転じたことで急に脚気が流行ったことを考えればおのずと米とその他の比がわかる。
この米飯を体内で無駄なくエネルギーに昇華させたのが大豆製品と漬物に含まれる酵素だ。

日本人と稲の出会いは遠く神代にさかのぼる。日本人は米を作ることで国を築いてきた。

常に飢えにあえぐ農民の姿は西欧的民主主義を礼賛し封建制度を蔑視する教科書が誇張している。農民は我々が思い込んでるよりはもっと米を食していた。飢饉の影響を真っ先に、そして最後まで受けるのが農民だったということだ。麦や雑穀を裏作して食べたのは米を売るため、または飢饉に備えて備蓄する手段であった。米は食料であったと同時に通貨だったと考えてよい。 
次号の「住」と重なるが、たたみ一畳は成人が寝起きするのに必要な広さという基準がある。一畳は六尺かける三尺、すなわち1.82m×0.91m、つまり敷布団がそれくらいということになる。では当時の成人の身長は?というと、大柄の男でもせいぜい1.6mくらいではないだろうか。米飯中心で一汁一菜、獣肉と乳製品をほとんどと摂らない食生活を続けた結果として当然だが、「小さいのはよくない」というのは考え物。人体は肉や卵などの効率の良い動物性蛋白質を摂れば摂るほど速く成長するのはいまや常識といえるが、それがよいことなのかも考え物だ。大きな体を維持するためにはそれだけ余計にエネルギーが必要となる。体がどんなに大きくなろうと五臓六腑の働きはそうは拡大しない。我々の先祖は米が基本の粗食を守り小さい体で日本を築いた。大阪を筆頭とする地方都市との連携、そして農村を含めたすべてが米を中心に機能した上で「江戸」という華が咲いたのだ。


米は連作障害を起こさない特殊な作物である。逆に米作りをやめると稲と共存する土中の微生物が減り田んぼが死んでしまうのだ。米は作り続け、食べ続けてこそ意味がある。しかし今や主食と副食の量が逆転し、人は米飯から離れ終わりなき美食の後追いをはじめた。おのず米をつくる農家は減った。

全国の休耕田にソーラーパネルを「仮設」しエコ発電をするなどという姦計を以って世の支持を得ようとする輩がいる。農地を他の用途に使えないという法律に対し「仮設」という逃げ道を自ら示しさも名案のように吹聴するが、常設であれ仮設であれ田を殺してしまうことに何のかわりもない。戦後60年をかけてすこしづつ米を忘れさせられた日本人はこの案の狡猾さがもう判らなくなっている。日本は米の自給の道を断たれ外に依存するほかなくなるか、米食と決別することになりかねない。孫正義の電田プロジェクトは「脱原発」のためではなく「脱日本人」が目的である。これが日本人の口から出なかったということだけが救いであるが異論を唱える日本人の少なさが危惧を大きくする。そしてこの後ろにはTPPというさらに危険な国際協定が控えている。

遠く神代のころから日本人は米を作ることで国を築いてきた事を忘れてはならない。

魚の骨をはずし、茶碗に残った最後の米粒までを食べるには箸を使いこなす必要がある。我々は子供の頃からこうして手と脳をきたえて育つ。工芸品から自動車まで何を作っても世界一の所以はここにある。ジャンクフードをかぶりつくか噛む必要のない食品を匙で掻きこんでいたのではたかが知れていよう。
懐石料理にラーメンに宅配ピザに中華フルコースにケーキ食べ放題、本当に味がわかって飽食しているのか甚だ疑疑わしい。結核や先に記した脚気の流行は栄養の「不足」か問題になるが、逆に「過多」が原因の病は挙げだしたらきりがない。今の世の飽食がもたらす不健康は異常とするほかない。が、日本人はこの現状に慣れきっており、その理由も解法もわかりきっているのに誰も後戻りしようとしない。食料、資源を無駄に消費し廃棄物を垂れ流し、体は病気の巣窟、医療と美容と廃棄物処理にさらにカネをつぎ込む。

そうまでして死守しようとしている現代生活とはいったいどれだけありがたいものか、考える時だ。


次号「住の巻」につづく
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甲辰

なるほど とうなずきながら読ませていただきました。

今とは違って食は必要に迫られて加工や保存の技術が発達し食文化が生まれたのですね。

今は技術が発達して飢えることが無くなったために食の有難さが薄れてきているように思います。例えばブログにラーメンやB級グルメやジャンクフードをアップして美味いの不味いのと 評論 している輩がにょきにょきと出てきています。

>そうまでして死守しようとしている現代生活とはいったいどれだけありがたいものか、考える時だ。

本当にその通りだと思います。

*私もTPPは反対です。これは日本の農業、工業に壊滅的な被害を与えます。
  • URL
  • 2011/09/17 10:14

あやみ

ありがとうございます。

保存食の文化はそれこそ世界中にあります。各地の気候風土がそこに現れるといった訳です。

先人の残したものをただの懐古主義にとどまらぬよう気をつけながら見直していこうと思います。
  • URL
  • 2011/09/17 16:02

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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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