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ねんねんころりよ

二歳の娘は放っておいても勝手に寝てくれる子だ。それでもある時、めずらしく子守唄を唄ってやったことがある。

ねんねんころりよ おころりよ
短調の、悲しいしらべ。

するとどうしたことか、娘の唇は震えだし目に涙をためた。

驚いて唄うのをやめたら、もっと唄えとせがまれた。
そんなわけはないと思うが美声に感動したのだろうか?
それとも、こんな小さい子でも曲調の悲しさがわかるのだろうか?
背中をトントンと叩きながら、続けて唄った。

日本の調べは西洋音楽で言うところの「短調」なのだから、なんとなく「悲しい」のかもしれない。旋律が人のこころに何かを訴えるのには違いないだろう、なぜかはわからないが。

筆者がこの子と同じ齢のころ母はまだ学生だった。いつも傍にいてくれたのは母の祖母、筆者のひいおばあちゃんで、「ねんねんころり」を聴いた記憶は祖祖母へと繋がる。明治の生まれで、いつも着物をきていた。

祖祖母は孤高の人といおうか、技術者であった夫と死別した後は再婚することもなく祖母とその弟を育て上げた。資産もあったのだろう、戦時中に祖母を東京の女学校にまでやることが出来たのだ。が、そこで戦況が悪化し、祖母は女子挺身隊の一員として電話交換手として働いた。
戦後すぐに祖母は挺身隊時代の監督員(?)だった兵士に求婚され一緒になった。会ったことはないが筆者の実の祖父に当たる人である。「男前だったけどとんだ貧乏くじだったね」と、祖母は述懐する。

喘息もちでちっとも働かなかったそうだ。ある時点で祖母は二人の娘を連れて夫を見限り京都へ。そこで知り合った料理人と再婚した。シベリア帰還兵だった。
二人の娘、すなわち筆者の母と叔母は別々に養女に出された。戦後を生き抜くための選択だったのだろうが、まずかった。何度も引き取りなおしては、また別の家に遣ったりしたのだ。母とその妹はそのまま生き別れた。

しかし最後に縁組した先が母の人生を決めたのだった。長唄のお師匠さんであった。
母は義母に弟子入りした。



そういう時代だったのか、筆者の父の両親はその親から無理やり離婚させられたという。父もまた、当たり前の家庭で育つことが出来なかった。実の母親に会うことは許されなかったという。父とその弟がだいぶ大きくなったころ祖父はようやく再婚、さらに二人の男子が生まれる。

父の実家は京都にあって、祖父はお囃子という世界の人間だ。鼓や太鼓の奏者である。祖父の養父(これまた養子縁組)から続く流派で、父はその後継、筆者の弟もその道を進んでいる。

そんな父と母が出会ったのは東京の音楽学校。それぞれの境遇を知ってか知らずか、とにかく惹かれあった。父には婚約者があった。それを破談にしてまでの恋愛だった。

まず怒り狂ったのは母方の祖母であった。
「河原こじきの端くれに大事な娘をやれるもんか」そう言ったそうな。滅茶苦茶な言い分もあったものだ。だいいち河原こじきは役者に対する蔑称で奏者にはつかわない。
「そない言われてまで嫁にもらう筋合いなどないわ!」というのが父方の祖父。それでも一緒になりたいという父、「好きにさらせ」とその場で勘当をうける。


二人は学校のそばのアパートで一緒に暮らし始める。仕送りは当然なくなったので、すでに舞台に立っていた父は僅かな演奏料と日雇いの賃金でなんとか暮らしを立てることになった。死体洗いのバイトはさすがに一日で逃げたという。

見かねた祖祖母は孫である母を自分の籍にいれて養女にした。
「この娘の責任は全部私にあります。もう母親とは縁を切っておりますんで、どうか仕切りなおしてやってくださいまし」
祖祖母がそう頭を下げたことで全ては丸く収まった。すでに私が母の胎内にいた。父は勘当を解かれ、二人は晴れて式を挙げた。

母は出産と育児のために休学し、その後復学した。昼間はずっと祖祖母がそばに居てくれた。散歩をしたり、絵を書いたり、いろんな話をしたり、子守唄で寝かしつけてくれたのも祖祖母だった。母の子守唄を覚えていないことに気がついたのはずいぶんと後になってからだった。

母親というものは大昔から忙しかったに違いない。田畑で働き、飯を炊き、はたを織り、赤子なんぞは背中におぶわれっぱなしで勝手に眠っただろう。そうでなければ「ねえや」か「ばあや」にもりをされていたのだろう。ならばどうやら、子守唄なるものは母親が自らの子のために唄ったものではなさそうだ。


ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやのおもりは どこいった


昨日までぼうやのお守りをしていたばあやは帰らぬ旅に出たのだろうか、それともねえやは嫁にでも行ったか、奉公に出たか、逆に、でんでん太鼓と笙の笛を買って帰ると約束した、故郷のおさない兄弟を思って唄うのか。




筆者が生まれるころには母の両親は日本にいなかった。ニューヨークの日本人街で仕事を見つけたのだ。
戦後、焼け野原に佇んでいた自分たちの目の前に現れた足の長い進駐軍たちの颯爽とした立ち居ぶるまいに密かに憧れていたという祖母は、夢をアメリカに見出した。カーネギーホールでオペラを鑑賞し、ブルーミングテールズで買い物をし、黒人のタクシー運転手からマダムとよばれる。それが祖母の至福の時であった。あのころでは誰も持っていないような靴や服、おもちゃがアメリカからの船便で送られてきたのを憶えている。
そんな羽振りのいい暮らしをすれば経済難に陥るのは目に見えていたのだが案の定、あちこち逃げ回った挙句に日本に舞い戻り、夫婦して娘夫婦の家に転がり込む。


「河原こじき」と罵った父の元にである。

つづく

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Comment

はなさかすーさん

あやみさん、こんばんは^^

いきなりこんなことを云うのも少し憚られますが、
僕は輪廻転生を信じているのです。ですから、まだ
2歳の娘さんが子守唄を聴いて涙を流したのは、
きっとご自分が生きていた時代と、生まれる親を
選んだことの双方が瞬時に歌の思い出を想起させた
のだと思います。と、勝手に思ってもやはり不思議な、
そして、素敵なお話ですね。

あやみさんのご家族は、ドラマチックな数奇な人生
を歩まれたのですね。事実は小説より奇なり、は
こうしてお話を伺って実感するものなのでしょう。

昔は、小説家や役者などは、かわら乞食に等しい
存在でしたものね。親不孝者ということで、信念
は益々磨かれたことでしょうし、道を外すことも
あったのでしょう。自分を知ることは、ルーツと
その個々のドラマが歴史ですから、色々調べられ
ないと分からないこともありますけど、本が書ける
くらいご自分をご存じなのですね。敬服です。

続きが楽しみです^^
子守唄、好きです。

あやみ

コメントありがとうございます。

輪廻転生ですか、それもあろかもしれませんね。私は二歳ごろの記憶が微かに残ってますので、大きくなったら試しに訊いてみようと思います。

祖祖母、祖母、母の愚痴や陰口をたんまりときいて育ったものでして、そりゃもう大変でした(笑)。父はもっと大変だったでしょう。

>親不孝者ということで、信念は益々磨かれたことでしょう

そうですね、「芸」で身を立てる者ののゾッとするような色気や凄みはこういうところからも生まれるんでしょうね。

後半もぜひお越しください。
  • URL
  • 2011/11/30 03:26

春野

ごぶさたしてます。
子供の夜泣きに悩まされ、今日は妙な時間に目がさえてネットめぐりです。
ううっ…夜泣きって、いつになったら終わるんでしょう?

子守唄に涙をためてせがむ子供…
素敵なお話ですねえ。
子守唄の旋律って本当に物哀しいですね。

私は土地柄、「五木の子守唄」を思い浮かべます。
意味も分らず唄っていた、「おどま、かんじんかんじん」の「かんじん」が
勧進帳の「勧進」だと知った時はなかなか衝撃でした。
寄進を求める物乞い→乞食の意味…だそうで。
と、これを周囲に語ったところで誰にも驚きを共感してもらえないんですが…

祖祖母やご両親のお話、壮絶ですねえ。
まるで小説のようで、でも事実ですから重いですね。
親や祖父母の親子関係を見つめながら、見習ったり反面教師にしたりするんですよね。

果たして自分はどんな親子関係を築けるのか…
じかに子守唄をうたってあやしてあげられるならば、そうは悪くならないかなと期待しているところです。
  • URL
  • 2011/11/30 05:51
  • Edit

真衛門之助

あやみさん。はじめまして。こんにちは。
カテゴリー違いのブログからやってきてしまいましたが・・・吸い込まれる思いで拝見してました。
私も子守唄や手鞠歌でなぜか心淋しく思うことがありました。後半も楽しみにしております。

あやみ

コメントありがとうございます。
お元気そうで何よりですが、どうやら寝不足ですね。姫は寝ないのですか。

私は子守唄など唄うガラじゃあないんですが、たまに唄うとこういう変なことが…(笑)。

「核家族とは、人類が直面した前代未聞の状況」と、ある小児科医の先生が著書で述べておられていたのですが、最近その意味がわかってきたような気がします。母親と父親という一世代だけでは子供に教えきれないことが沢山あるのでしょうね。

こちらは寒くなりました。九州はあったかいでしょうねえ。またのお越しをお待ちしてます。

  • URL
  • 2011/11/30 21:14

あやみ

コメントありがとうございます。
真衛門之助とは粋なHNですね。ブログを拝見しましたがまるで新婚さんのようですね。お灸はぬるめにしてあげた方が…。

私も長い専業主婦時代を経て仕事を始めたものです。これからも宜しくお願いします。
  • URL
  • 2011/11/30 21:22

kotodama

こんばんは。ちょっと前から楽しく拝見しております。
あんまり関係ないかもしれませんが、感じたことを少々。

私は血のつながらない祖母と軽く血のつながりのある祖父と三世代同居の家で育ちました。母は家業と祖父母の世話と家の切り盛りで忙しく、「子育てはした覚えがない」と今でも言います。父は仕事でほぼ不在。私たちきょうだいは祖父母と近所の親戚に育てられたようなものです。それが当たり前だと思ってました。

今から思うと核家族でなかったこと、小さい頃に色んな大人に日常的に関わったことが実はすごく良かったんだと思います。指示待ち人間の多い世の中で、私の中に珍しくも自主性みたいなものが育ったのは、そんな環境の賜物だと思っているのです。その代わり、生きにくくはなってはいますが、まぁそれは仕方ないです。

次回も楽しみにしています。
  • URL
  • 2011/12/01 00:07

あやみ

以前も拍手にコメントを頂いてましたね。
重ねてお礼申し上げます。

「実は良かった」というのは、得てして後からわかることなのでしょうね。お母様が子育てをした覚えがないとしても、子供たちはその背中を見ていたはずです。それでも充分、子育てになっていたと思います。

ブログを拝見いたしました。お能をされるんですね!
また、是非お越しください、お待ちしております。
  • URL
  • 2011/12/01 04:44

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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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