脱原発と江戸明け暮れ考―「技の巻」

カネとはあくまで物や事に対して支払われる対価である。
と、考えるのであれば、先ず実態としての「物事」があり、これに日が当たっているとする。
日の高さが変われば影の長さも変わり、濃淡は日の強さに左右される。日がなければ影も消える。
そう、「カネ」とは影のようなものである。

前号の「金の巻」で江戸時代の人々の金への執着のなさとその背景を述べた。
今回「技の巻」はその逆、身分や職に関わらずこの時代の人々がとことん拘ったものについて書くとする。

江戸時代は「奇跡の時代」とも言える。筆者のつたない筆などではとても書きつくすことのできない世界、ただしそれが長い日本史の中に彗星の如く現れたのではなく、戦国の世を、鎌倉を遡り、平安を越え、飛鳥を辿り、そしてそれよりも遥かに遠い神代から続く営みがその後ろに控えていることを今号の冒頭に記しておきたい。


日本人と「技」との出会いは研究が進むにつれて遠い昔へと遡っていくようだ。さらに古い時代のものが次々と発見され続けている。
柄の先に石器をくくりつけた石槍はマンモスなどの大型動物を捕らえ、やがて気候の変化から動物が小型化し俊足になると弓矢で追うようになった。また、小さく鋭い石刃を刃こぼれするたびに付け替えるという高度な細石器も登場した。気候の温暖化を受けて植生が変わると椎や栗を採取して食するようになる。それを煮沸、アク抜きするための土器が発達した。また魚や動物の骨で銛や釣り針をつくった。獣の皮や木を加工した道具も当然あったがこれらは土に還ってしまったであろう。


細石器刃は黒曜石を砕き薄く剥離させて作る。日本の各地で産出される黒曜石だが、道具として発掘された場所と材料である黒曜石の産地が遠く離れていることが多く、このことは大昔の人々がより良い材料を捜し歩いたことを語っている。


銅器、稲作、鉄器、機織り、新しい「技」が次々ともたらされた。


「稲作伝来」と一言で片付けるのは簡単だが、稲作には土地選び、灌漑、耕作、農具、施肥、貯蔵、暦術、祭祀など多くの事柄が含まれており、それら全部を大陸から丸ごと輸入することを「伝来」とは言わないのである。長い試行錯誤を以って日本の地に根付かせた先祖たちがあったからこそ日本史を通じてのコメ文化がある。
戦乱のない江戸時代、農民の生活は飢饉などにに見舞われながらも押しなべて安定しており農業に集中できた。元禄時代に著された「農業全書」が木版で何度も刊行され広く農民たちに読まれた事を見ると農村の識字率も低くはなかったことが伺われる。こうして知識が深まってゆくとともに農具の発達や開墾がおこなわれ生産量が上がっていった。


コメ作りとともに定住生活に入った日本人は機織りや養蚕も習得した。七世紀以降の律令時代、絹織物は税として朝廷に納められた。が、奈良時代から戦国時代までは農村に養蚕をするまでの余裕がなく、織物工業は発達したものの原料の生糸は中国からの輸入に頼りきっていた。これは日本で産出した貴金属の流出の原因にもなった。江戸時代に入ると寒冷地を除けばコメのほかは年貢をかけられず野菜や織物は農家の収入源となった。綿の栽培が各地で本格的に始められ綿織物が盛んに織られる傍ら、幕府は養蚕を軌道に乗せ天領の専売品として保護、その後専売を解いて各地に奨励し、生糸の自給から絹織物生産までを確立、こうして地域ごとにそれぞれ違う豊かな織物の文化が生まれた。


鉄器とともに製鉄法が伝わり、程無く鉄の鉱山も国内に見出された。伝来時の原始的な製鉄法によって農具や武具が作られるようになり、その後材料を吟味しさまざまな工夫が我が国において加えられ、そして末に出来上がったのは悪霊をも切り伏せるであろう「日本刀」である。刀工たちは硬度が低いが粘り気が強い鋼と、硬く切れ味が良いが脆い鋼の二種類を抱き合わせる法を編み出した。前者が刀身の峰側、後者が刃側となる。炎にくべては槌でうち鍛え何度も折り返し、姿が整うと焼(やき)を入れて研(とぎ)をかける。焼き入れの際、金属分子の構造変化による膨張がおこるが、刀の反(そり)は二種の鋼の膨張率の違いにもたらされる。


平安時代、都は讒言、呪詛、流刑、幽閉がまかり通り世の中が酷く荒んだ。度重なる天災と東国の反乱は政争に敗れた者の悪霊の為せる業と懼れ、貴族であろうと僧であろうと雅な暮らしとは裏腹に心は病み、その悪霊から逃れんと寺院建立、加持祈祷に勤しんだ。仏の加護を頼りに国を治める鎮護国家の思想がおこる。これは仏教美術と寺院建築の興隆の契機となり、折りしもこのころ遣唐使廃止を受けて唐に対し鎖国状態にあった我が国は美術・工芸・建築においても独自の様式を模索する道を歩み始めた。
しかし、この文化の土台は寺社や貴族に寄進される地方の土地財産であったため農作物を守護や地頭に吸い上げられたうえ重い労役が課された農民の疲弊は甚だしく、土地を棄て餓えて彷徨うことを選ぶものが絶えなかった。


地から産まれた鋼を身を清めた刀工たちが炎に投じ鍛えた刀には霊力が宿り、それを使い得たのは武士と呼ばれるつわものたちであった。身を鍛え武芸を磨き命を賭して戦うことを本道とする武士が振る刀には魔を破る力があるとされた。御仏は、衆生を生き地獄にさらした貴族たちに光明を与えなかった。悪霊どもは平安の世もろとも斬って棄てられ時代は武士の手にと移っていった。


戦乱から遠ざかった江戸時代、強固な行政と安定した食料の供給に支えられ、それまでに蓄えられた「技」が一気に花開いた。江戸・大阪・京の三都をはじめ各地の地方都市にはあらゆる「職」がひしめきそれを担ったのが士農工商でいう「工」に属する日本人たちであった。


「工」を代表するのが先ず「普請業」。大工、建具屋、左官などをさす。
そして何かを作って売るのが「製造業」、刀屋、桶屋、鍛冶屋、畳屋、指物屋、豆腐屋、下駄屋、漬物屋、筆屋、ものの種類だけ職種があったと言ってよい。
さらに道具の手入れをする「修繕業」、大工が使う鋸の手入れをするだけの目立て屋、刃物を研ぐだけ研ぎ屋、ゆるんだ桶の箍(たが)を交換するだけの箍屋、割れた鍋や釜の修理だけをする鋳掛屋など多くの超専門職が独立して成立していた。成立とは、それなりに需要があって食べていかれるだけの対価が得られ、次世代を同業者として育てるに値したという意味である。


彼らが手にする賃金は微々たるものであった、が、おのれの「技」を極めるという人生の目的に比べれば大きな問題ではなかった。その結果として人に喜ばれ、信頼を得ることを「冥利」とは言ったが本道には非ず、それを得るために世に媚びることはしなかった。


農民や職人たちが作り出したものを流通させて富を築いたのが商人、そして豪商たちの溢れる富はまた世界の違う「技」を育てた。書画工芸、歌舞音曲、そして遊郭である。
我が国の陶器、漆器、染物、織物などの工芸品は遠い昔からすでに調度品の枠を超え書画同様に見る者の魂を奪うまでに昇華していた。その主導者が貴族や僧から武士へと代わり、この時代はとうとう商人のものとなったのだ。商人は競って金を出し職工を育てた。
室町までに大成した「能楽」の鑑賞は庶民にはご法度であった。江戸当初に出雲の阿国がはじめた「かぶきおどり」が大当たりし大衆芸能の走りとなった。安泰な世の中が訪れると娯楽も盛んになるもので、商人たちは芸能の世界においても競い合った。芝居小屋の金元(かねもと)となり戯作者に脚本を書かせ、贔屓の役者の支度一切を引き受けて祝儀までふるまった。作者も役者も資金に心を悩ますことなく「技」の道に没頭することができた。こうして「歌舞伎」が確立していった。
歌舞伎と切り離せないのが「浮世絵」、紙漉きが発達し質のよい和紙の普及も手伝い、一点物の肉筆画が版画へと発展し刷り物となったことで庶民の手に届くようになった。絵師と彫師と刷師のそれぞれ領域の異なる技がその絵ごとに生きていた。

歌舞伎や役者絵を眺めてみれば、その題材となった江戸の庶民や侍、遊女が、鎌倉武士や平安貴族が、悪党が、悪霊が、その原点である古事記や日本書紀に書かれた神々が、役者に扮してこちらを睨んで見得を切る。



「技」が時を越えて運んだものは、こういうものではなかろうか。



日本人たちは何かと対峙したときにそれを見つめ、読み、呼吸を合わせて対話する。相手が一握の種籾であろうと、謡曲であろうと、刀剣であろうと変わらない。先人に習い、それに達したとき「技」として身に纏う。その手をそこで止めることなく磨き続ける。これは日本人が日本人たる所以である。


この「技」と、我々が「技術」と呼んでいるものは、似てるようだがたいそう違う。
技術は引力や熱、つまり自然の成り行きと戦う術であり、鉄のかたまりを飛ばしたり水平方向に加速させたり物の温度を異常に変えたりすることを指す。膨大な生産力を持ち膨大な利益をもたらすが、膨大な資源が必要であり、膨大な資金も費やす。それは膨大な消費者の欲求を煽ることでいくらでも補うことができる。が、後に残った膨大な「穢れ」を土に還す術は無く、今、膨大なツケを子孫に残そうとしている。それが技術である。それに政治の思惑がかぶさり、膨大な情報が操作され戦争が起こされ膨大な殺戮、破壊、征服がなされ、勝者は膨大な利益を得る。その道具も技術である。


かつて「技」の後をついて来るのが「金」であった。しかし今。「技術」は「利益」を生み出すちゃちな道具に成り下がった。よく「技術の恩恵」などという都合のいい言葉を耳にするが、一体どこまでを恩恵と考えるべきか今ここで吟味するべきだ。便利な生活にはそれこそ膨大な対価を支払い続け、知らぬ間に他国の人々の生活をも脅かし、たりないところは次世代に補わせようとしている。江戸の人々は我々にこんな禍根を少しでも微塵たりとも残したであろうか。



わざ(技、事、態、業)は自然のことわりを越えるものではない。越えれば即ち、わざわい(災、禍、厄)に転じる。その線引きができないのであれば技など身に着けるものではない。


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Comment

はなさかすーさん

あやみさん、こんにちは^^

理論的な文章にいつも舌を巻いてしまいます(あやみさんの文章ファンです)

「技」と「技術」は違うのですね。確かに江戸の技は、後世に禍根を何ら残していませんし、寧ろ現代人はたくさんの恩恵に預かっていると言えますが、仰るようにそこのところをよく考えないとなりませんね。反省^^;

出口王仁三郎の大本教は、国家権力によって一夜にして潰されましたが、出口なおさんが言われた、異国から学んだことを合わせてこれからは花咲かせる三千世界・・・うんぬんという時代にあるような気がいたします。それこそ、技の出番です。お金よりも命を懸けられるものは、例えば幸福な社会を築くための技・・・。

技にヒューマニズムが加味されれば、ジャパニーズ・テクノロジーとして太陽のように世界を照らすのかも知れませんね^^

あやみ

コメント、お褒めの言葉、いたみいります。

文章は、どちらかというとニガテな分野です。書くのに時間がかかり過ぎているんです(笑)。

昔は親の職を継ぐのが当たり前でしたね。いまは職業選択の自由があったり世の中が変わりすぎて継ぎようがなかったりですが、若い世代は自由である反面、ひろい選択肢のなかから何一つ選択できなくなってしまいました。結局、敷かれたレールにのっかってしまうというか、そのレールの行き先である資本主義経済というマシンに組み込まれてしまうというか、そんな現状ではないでしょうか。

私の弟は幸か不幸か(?)父の後を継ぎました。舞台があるから金髪に染められないとぼやいてましたっけ。
  • URL
  • 2012/01/22 23:06

田中洌

うん、おもろいね。

「金」、「技」と読みつぎなんだかほんわかと身にしみ、ちょいと驚いた。

――遠く、埼玉のはずれより、さらなるご健筆を祈りたい。

あやみ

田中洌さま 有難いおことばいたみいります。

江戸ネタはもっと書きたいのですが調べることが多くてちょっと書きあぐねています。
近いうちにがんばって書いてみます。
  • URL
  • 2013/06/16 00:24

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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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