いわし しめなわ おにはそと ― 節分

さて、まもなく節分がやってくる。節分とは父親が豆をぶつけられる日ではない。

立春、立夏、立秋、立冬は「節」とよばれ、それは新しい季節を迎える日でありその前日が「節分」であった。季節の変わり目に入り込む邪鬼を追い払う儀式である追儺(ついな)の風習が飛鳥時代から奈良時代初期にかけて中国から暦学とともに伝わり宮中行事として定着した。日本では春の始まりである立春が特に大事にされ、その前日には炒り豆を撒いて鬼を追い払う行事が「節分」という名で今も残る。明治の改暦後に正月をはじめとするあらゆる行事が西暦に直された中でこの節分は古い暦に基づいて今も続いている。

明治以前、我が国では新月から新月を一ヶ月と考え、新月が月初め、満月を月中、次の新月の前を晦日として数えた。そして立春に一番ちかい新月が「正月一日」であった。

ここで今では考えにくいことが起こる。その歳によって、節分が正月の前であったり後に来たり或いは同日になったりするのだ。これは一ヶ月を月の満ち欠け(月の公転周期)で勘定しているのに対して「節」が太陽の運行(地球の公転周期)から導き出されているために起こる。我々には不可解だが当時にしてみれば当たり前であった。

炒り豆を鬼に投げつける風習、これは日本にしかない。生の大豆をわざわざ炒り豆にするのは、逃げ出した鬼の怨念がふたたび芽を出さぬようにとの願いがあるという。この念の入れようがまた日本らしい。
この宮中行事は平安時代には庶民にも広がり今に受け継がれている。そして家の門口に「柊鰯(ひいらぎいわし)」を飾った。

柊の小枝に先に焼いた鰯の頭を刺しそれを注連縄につける。豆撒きの影に隠れ忘れられたかのように見えるが、いまでも節分にこれを飾る地域もある。

参考:門守りのサイト―柊鰯 


鰯のにおいに誘われた鬼が門に近づくと柊の葉に目を刺されて退散するというこの柊鰯、最古の記録は平安時代の「土佐日記」に「小家の門の注連縄の鯔の頭と柊」とある。鰯ではなく鯔(なよし=ぼら)であるが同じ役割を果していたと考えていいだろう。
鯔は成長につれて名前が変わる出世魚、目出度いとされたために門にかざられたというが、それが何故いわしに変わったかは解っていない。鰯の古語がなよしという鯔の別名だったという説もある。ただ、この日記の日付けは承平五年(935年)元日となっている。

その昔、元日と節分は別ではありながらも一つの流れの中にある行事であったことが伺われる。またその流れの延長には上弦の月の人日の節句(七草)、満月の小正月が待っている。いま伊勢神宮で売られる正月の注連飾りには蜜柑やウラジロといっしょに柊の枝がついている。柊鰯も注連飾りもその役割はともに春の始まりに穢れが入り込むことを防ぐ「さかひ」であることを思えば繋がりがあって当然なのかもしれない。


「さかひ」(仏教でいう結界)は、人の生きる俗世界のうらみ、わざわい、やまい、くるしみ、なやみという穢れが入ることのできない聖域を作り出し、そこに神を迎え入れる場をしつらえるためにある。動詞「さく(放く、離く、裂く、割く)」に意味を限定する接尾辞がつき「さこふ(境ふ)」となった。さらに名詞に変化したのが「さかひ(境)」である。寺社の「境内」とはそういった場で、鳥居や山門という「さく(柵)」によって俗界と別けられている。

神社仏閣にかぎらず日本の建築にはこの「さかひ」が意識が随所に見られる。例えば茶室は聖域とみなされ、そこに至るまでには露地をぬけ蹲踞(つくばい)で清めをおこない、にじり口をくぐるという段階を踏まなければならない。
また家屋においても玄関を境に床が高くなり、人は履物をぬいでそこを上がる。外の湿気や汚れから家を守るための日本の屋づくりに起因することだが、やはりここでも穢れを防ぐという考え方に通じる。
外から内へ、廊から間へ、間から間へと違った場に入る時には一呼吸おいて意識を変えるのが作法であった。敷居を踏みつけてズカズカと入り込むのはよろしくない。襖や障子が閉まっているときは「隔絶」を意味し、問わずに外から開けてはならぬという不文律があった。几帳やついたて、屏風の向こう側もむやみに覗くものではない。

入るものすべてを跳ね返すものであってはいけない。商売をしていれば福の神にも客にも来てもらわなくては困る。門を硬く閉ざしてしまえば商売にならず逆にあけすけでは何が入り込んでくるか知れたものでないし福も客も散ってしまう。そこで重宝したのが店舗と街路を仕切る「暖簾」であった。店の銘を染め抜き、暖簾がでていれば「商い中」の合図でもある。店の中と外では暖簾に視界を遮られながらもお互いの気配は感じることができる。客は店の賑わいに誘われ、くぐって入ればほんのひと時その領域にとらわれの身となる。

塩は手っ取り早く穢れを祓う便利なものだった。腐敗を防ぐ効果に古くから神性を見出していたからだ。家や店の入り口には普段から盛り塩をし、いまいましい客を追い出したあとにはあてつけがましく塩をまいた。


柊鰯や注連飾りは一年のうちの特別な時期、そのときに限って現れる神様を迎え入れ、そのときを狙って入り込もうとする鬼を締め出す装置であった。


はて鬼とは、である。
絵に見る赤鬼・青鬼の姿は仏教の羅刹や夜叉の影響で出来上がった図像であり、物語の鬼は娘にも老婆にも変幻自在、しかしその本質は人の心の中にあった。死者がこの世に残した恨み、生きたものの妬み、嫉み、尽きることのない欲、犯した罪への悔恨、失うことへの恐れが具現化したものであった。幕末まで国を閉ざし外の国から攻められることが殆どなかったともいえる我が国にとって己の敵はまた己の中にあった。鬼退治は未知なる敵に戦いを挑んでいるのではなくあくまで人の世の穢れとの戦いであった。桃太郎に泣いて謝る鬼の大将や豆をぶつけられて逃げ惑う鬼たちの姿に親しみを覚えるのもそのためである。
古代、朝廷にまつろわぬ(恭順しない)存在を「蝦夷」「隼人」「土蜘蛛」などとよび神武天皇やスサノオ、ヤマトタケルらがこれを追討したと記紀に書き記されている。歌舞伎や能、昔話にのこる鬼退治譚の原型はここに求めることができる。そのまつろわぬものたちが棲むところは銅や鉄の採れる山であることが多いのについてはまた別の機会に書いてみたい。


これらの「さかひ」は人と霊の決め事であって実際は吹けば飛ぶようなもの、霊を懼れぬ者の攻撃には抗いようがない。悪意あるものは霊威を懼れず、したがって「さかひ」などは気にならない。踏みつければよい。家々に土足で上がり乱暴狼藉をはたらき火をかけて逃げてゆく。
明治の頃、糠の成分が脚気に効くことを指摘した農学者の鈴木梅太郎を学会は笑った。曰く「鰯の頭も信心からだ、糠で脚気が治るなら小便を飲んでも治る」と揶揄したという。近代思想と科学技術に毒された者からみれば鰯の頭などは取るに足らない迷信でしかなかった。


近代以降、日本は富を得る傍らとてつもない穢れを呼び込んでしまった。やり方が拙かった。外の国に向かい門を開けるときに、何一つ「さかひ」を用いなかったがために百鬼がなだれ込んで来た。近代の思想は資本主義経済と手を組んで我々の欲を煽り、膨れ上がった欲は鬼となって襲い掛かる。人に道を誤らせ、妬みを呼び、この世は嘘と疑いで溢れかえる。科学技術は利便と汚染を同じだけもたらした。もはや今こうなると鰯はおろか鯨の頭を吊るしても足りない。


おにはそと ふくはうち
懼るることを知るうちは
鰯の頭 鬼をも避けん




雑談

筆者の住むトルコ、その北海岸には黒海が広がる。冬の名物ヒシコイワシが今年も豊漁。
日本でイワシといえばマイワシでヒシコイワシは煮干の材料、あまりぱっとしないが黒海のヒシコは驚くほど味がいい。
十年前であれば内陸のトルコ人たちは海の魚など嫌がって見向きもしなかったのだが、一旦流通が始まるとみんなに好かれた。こちらの家庭では粉をはたいて油で揚げるか焼皿にずらーっと並べてオーブン焼きにし、レモンを搾って食卓に。

筆者はあまり和食にこだわらない。こだわりたくても味噌と醤油がここにはない。オランダ製の醤油が売られているが、GMO大国の大豆製品など恐ろしいので是非よけて歩きたい。日本の家族に頼めばいくらでも送ってもらえるのだがそれも往生際が悪い気がしてならない。
食文化の違いは気候や滋味に左右されるもの、それに逆うことで起こる害に悩むより、こちらの食を堪能する事を好むのである。

とはいえ子供たちのことになると話がちがってくる。いつか日本に行ったとき和食の味を知らなかったでは両親とご先祖さまに叱られてしまう。そのため、たまに料理してみる。

               すし
              〆鰯のにぎり


ヒシコイワシの頭、腸をとり、開いて骨をはずす。平たい容器に塩、イワシ、塩…と重ねて数時間つけおき、あがってきた水(ナンプラーとして使える)を切り酢で洗う。もういちど平たい容器に並べてかぶる程に酢をかけ、また数時間つけおく。
鮨飯は砂糖が少し勝つぐらいがいいようだ。塩は岩塩、酢はぶどう酢。酒と味醂は抜き、昆布と醤油は去年の父の手みやげだ。

なつかしい味がする。

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建岳

「さかい」の文化は日本独特、独自のものなんですね。
日本人の精神性の源となっているものが感じられます。「穢れ」を呼び込まない生活の知恵。現代の我々がしかっり学ばなければならないことだと思います。

文美さん。
お寿司料理。とっても素晴らしいですね♪
  • URL
  • 2012/01/30 00:00

あやみ

コメントありがとうございます。

現代、法規制や数値による基準が前面に押し出され、心の線引きであった「さかい」などは掻き消えてしまいました。「直ちに影響はない」「放射能は無主物」そんな言葉がまかり通るのもそのせいではないでしょうか。
仰るように、昔の知恵を学びなおさなくてはなりませんね。

お寿司は娘の好物です。
  • URL
  • 2012/01/30 02:41

はなさかすーさん

あやみさん、こんにちは^^

素敵な文章ですね。毎回、感じます^^;

今迄の歴史はみんな嘘、明日来る鬼が本当!と寺山修司さんは
劇中のセリフに使いましたが、そうだよなーと若い頃感心した
憶えがあります。確かに鰯ではなく、鯨でないと効き目がない
ような・・・。先日、四男と寝る時、互いにお話をしました。
四男のお話は、桃太郎。むかしむかし・・・から始まって、桃から
出て来た桃太郎がご飯を一杯食べると1メートルになり、二杯食べると
2メートルになり、三杯食べると100メートルになりました。と話すのが
面白かったです。(物語を通して言葉を獲得している)
僕のお話はいつも即興ですが、四男の反応が良ければ成功・・。

料理もお上手なんですね。素晴らしい!!
あやみさんの料理を食べたら、穢れがなくなりそう!

魂の掃除洗濯^^

あやみ

はなさかすーさん こんにちは
コメントありがとうございます。

鯨を吊るしたら環境保護団体の人たちに吊るし上げられそうだなーと思いながら書いてました(笑)。
寺山修二とは懐かしい、すーさんは東京時代ジァンジァンなどに通ったのでしょうか?四男君は本当に可愛いですね。三杯目に100メートルになるところが楽しい。
うちの娘は鬼がパンツでウロウロしているのが不思議なようで、何故だと訊かれて困っています。

ブドウの酢は米酢よりも甘みが強く、酸味が弱いです。何とかなるものです。
  • URL
  • 2012/01/30 15:24

はなさかすーさん

あやみさん、こんばんは^^

渋谷のジャンジャンとお隣のパルコ劇場はよく通いました。
あやみさんも、通われたのですか?僕の青春時代は、寺山さんが
亡くなられて、寺山さん原作の演劇は鈴木完一郎さんの演出でした。
天井桟敷でよく音楽を担当していたJ・A・シーザーさんの劇団、
万有引力で背景画の仕事を一度だけさせて頂きましたけど。
もう少し早く生まれていたら、と思います。

娘さん、なまはげの様な怖い鬼に会ったら、どう感じられるのでしょう?

お寿司が食べたくなりました^^

あやみ

アングラに興味を持ったのはまだ子供のころで、まさか劇場に通うわけにもいかず、寺山作品やコクトーなどは雑誌や本で何となく追いかけていました。もう少し大きくなると興味は別の方向へと…結局ジアンジアンには行かずじまいです。父が何かの演奏で出たことがあると思います。

舞台の仕事なんて、素敵ですね。もう少し早く生まれていたら…本当にそうですね。
  • URL
  • 2012/01/31 03:53

愚樵

節分のときの「魔除け」はヒイラギイワシというんですね。はじめて知りました。

今年の節分、我が家ではマメマキはしないでしょう。ヒイラギイワシも飾らない。つまらぬ付き合いがあって「恵方巻き」は食べるかもしれません。
(あやみさん「恵方巻き」ってご存知ですか?)

が、以前、熊野の山奥に住んでいたころはマメマキもしました。「魔除け」は近所のおばあちゃんが届けてくれました。当エントリーを読みながら懐かしく思い出していました。

http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-94.html

あやみ

こんにちは 愚樵さん
コメントありがとうございます。

うちも豆まきはしないでしょう。大豆がない(笑)。
恵方巻は知ってますが、関東ではあまり食べません。甘いお寿司が好かれないのだと思います。

木曽は寒いので柊が育たず?、かわりに豆を鞘から出した大豆の枝を使ったそうです。関東は柊と豆枝を両方、なんだか結構いい加減です。でも、おなじ魔よけでもプラスチックの海老をくっつけた注連飾りよりはご利益がありそうです。
  • URL
  • 2012/02/01 11:30

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書き手

ayamiaktas

Author:ayamiaktas
筆者 尾崎文美(おざきあやみ)
昭和45年 東京生まれ
既婚 在トルコ共和国

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